「企画」カテゴリーアーカイブ

退屈な大人になりたくないんだ

僕は最近ある団体を立ち上げた。

何を隠そう「早稲田から1トン増やす会」だ。

お気づきの方もいるかもしれないが、この団体は以前「僕は人を叩けない」で僕には作ることができないと語り設立を諦めた団体だ。

確かに僕はあの時設立を諦めた。しかし僕のなかでどこかこの諦めが残り続けていた。

「自分はただやらない理由を作っているだけなんじゃないか」

僕は明らかに「早稲田から1トン減らす会」の行動に怒りを感じていた。

1トン減らすと意気込んで約70人の会員を集めたにも関わらず何の企画も実行しない消極性

1ミリのセンスも感じないネタツイート

僕はこうした「団体を立ち上げた」という事実だけに満足して何も行動を起こさない団体が大嫌いだ

こんなのはうんこをすることに満足して水を流さない連中と同じだ

僕はあいつらをぶっ叩きたかった。

でも僕がそうしてなかったのは叩くことによって彼らと対立することを恐れていたからだ

「退屈な大人になってしまったわ トラブりそうな相手を避けながら… 」

これは僕の大好きなYUIの「Lock on」という曲の一節だhttps://youtu.be/3d3lt2JxYXs

決断に迷ったときいつも僕の頭によぎるのはこの曲だ。

いつだかこんな記事も書いていた。

「常識を疑え 我慢することが大人なのか 」

退屈な大人になるな

もう1人の僕は確かにそう叫んでいた

こうして僕は「早稲田から1トン増やす会」の設立を決意した。

団体というのは動いているからこそ存在価値がある。動いていない団体は「死んだ」も同然だ。

僕はいまこの価値観のもと「早稲田から1トン増やす会」で動き回っている。

設立当初は「早稲田から1トン減らす会」を叩きまくり

増量に成功した人の素晴らしさを伝えるためにデブ専門風俗に行ったり

「学生の増量を助ける」という名目でキャンパスで力士に扮しちゃんこを配ったり、

大学付近で絶大な人気を誇る「武蔵野アブラ學会」とコラボしたり

発足以降一度も行動を起こさない「早稲田から1トン減らす会」のアンチテーゼとなるためにひたすら面白いと思ってことを実行し続けている。

いま僕は本当に楽しい。

僕は最近少しブログの閲覧数が増えたからってゲイネタに頼りきっていた。

でも僕のしたいことは「面白いこと」であってそれは必ずしもゲイネタだけという訳ではない。

僕は「退屈な大人」になりたくないんだ

そんな自分の原点に気づかされてしまった。

明日は何の企画をしようかな

https://twitter.com/debugaseigi/status/1154355104134262784?s=19

実録 ハッテン場の実態を追え ~戸山公園のもうひとつの顔~

戸山公園

大学に近いということもあり、早稲田生であれば一度は必ず訪れたことがあるであろう超有名スポットだ。

昼は無邪気に玉遊びに興じる子供たち、夜はサークルの活動に勤しむ学生たち と市民の憩いの場として大いに親しまれている。

そんな戸山公園にある奇怪な噂が流れていることをみなさんはご存知だろうか。

そうハッテン場」だ

僕は最初にこの噂を聞いたとき、すぐに信じることはできなかった。

昼には授業を休んでお酒を飲み、夜には友達と鍋を囲んだ僕たちの思い出の場所にそんな裏の顔があっただなんて。

でも僕は調べなければならない。戸山公園を愛する者の1人として彼の表の顔だけでなく裏の顔もちゃんと知っておく必要がある。

僕は神妙な面持ちで「戸山公園 ハッテン場」と検索した。

僕は全てを察した。

「どうせ嘘だろ」と虚勢を張って必死に動揺を押さえていた僕の心境などお構い無く、グーグルは無慈悲にも戸山公園がハッテン場であるという事実を示す情報を表示した。

「いったい戸山公園で何が起きているのか」

愛する戸山公園の裏の顔を知った僕は、彼のもとでどんなドラマが生まれているのか詮索したい衝動に駆られた。

僕は戸山公園ハッテン場という名のついた掲示板を片っ端から閲覧した。

「箱根山には露出狂が多い」「トイレ付近は女装子がうろついている。」「水場の奥にある藪林が青姦スポット」

僕は2年以上に渡って戸山公園に通いつめていたが掲示板で語られていた光景を見たことはない。

「本当にこれらの情報は正しいのか?」

僕は調べれば調べるほど疑心暗鬼になっていった。しかし掲示板を見ているだけでは真相にたどり着くことはできない。となれば方法は1つだ。

「自分で確かめる。」

僕は勇気を振り絞り掲示板にこんな書き込みをした。

するとすぐにこんな返信があった。

心のどこかで「どうせ何の反応も無いだろう」と思っていた僕にとってこの素早い反応は驚くべきものだった。

その後はこの男に言われるがままに僕は自分のメールアドレスを掲示板に投稿し連絡先を交換した。

そして3日に渡って繰り広げられた熾烈な日程調整の後、僕らは7月11日の22:00に戸山公園にある箱根山のふもとに集合することになった。

ゲイマッサージ店での初出勤、2作目のホモビデオ出演の打診。

その間 僕にも様々な出来事が起こった。時が経つのはあっという間。すぐに運命の7月11日がやってきた。

当日を迎えた僕は愛する戸山公園の裏の顔を見ることになるかもしれないという興奮から猛烈なソワソワ感に襲われ、集合時間の30分前に到着してしまった。

箱根山のふもとに向かうためには、昼間は子供連れで賑わうグラウンド、やけに大きな公衆トイレ、青姦スポットとして噂されていた藪林と様々な場所を通る。

通学路として見慣れた場所もこれまで「ハッテン場」として男たちの間で熱い物語が紡がれきた場所だと考えると、

そこには同性を愛する者だけが入ることのできる世界が繰り広げられていて、軽い気持ちでその世界に入り込もうとしている僕を拒もうとしているような独特な空気感を感じた。

こうしてソワソワしながら待つこと30分、寸分の遅れもなく時間通りに1人の男が現れた。

彼はとても若かった

明らかに僕よりも年下で儚げな雰囲気があった。

顔を合わせた僕たちは雨が降っていたということもあり、すぐに男子トイレの中に入った。

実際の男子トイレ(後日撮影)

個室に入り鍵をかけバッグを置いた僕たちはどちらからということもなくすぐに互いの唇を合わせていた。

そのまま僕たちは時が止まったかのように静止していた。

そこには確かに僕たちだけの世界があった。

僕が「彼らの世界」に受け入れられた瞬間だった。

それから何分たったころだろうか。

ふいに外から足跡が聞こえた。

僕は一瞬「僕たちの世界」から離れてしまった。

彼に全く動じる様子は無かった。

その後もたびたび外からの足跡が僕の鼓膜にねじ込まれた。

その度に僕は彼との「世界」から離れて、勃起をやめてしまった。

彼はそんな僕を見てうつむき気味にこう声をかけた。

「どうしたら気持ちいいですか?」

情けなかった。

彼は決して「僕たちの世界」から離れることはないのに、僕はたった数秒の足跡で離れてしまう。

外にいる人たちが「僕たちの世界」に入ってくることは決してないのに。

もう外を気にしている場合ではない。

僕はあえて外で誰かが用を足している時に彼にこんな要求をした。

「ちくびなめて」

彼は嫌な顔1つせず僕の乳首に飛び付いた。

僕はひたすら快楽にのみ意識を向けた。

「僕たちの世界」はお互いが100%快楽に集中した時にだけできる世界だ。

もう他の奴は関係ない。

僕の局部は膨張を続けた。

そして快楽が100%を越えた瞬間、

「僕たちの世界」に純白の虹がかかった。

そして束の間の「僕たちの世界」は幕を閉じ、僕たちは無言のまま和式便所の周りに飛び散った精子を拭き取りトイレに流した。

その後互いに「世界」を共有した僕たちは最初に会った時よりも友好的な雰囲気で西早稲田駅まで歩きながら話した。

彼は18歳の大学生。実家暮らしでお金もなく「世界」を作る場所が無いため、戸山公園を利用してるとのこと。

僕はこの背景を聞いてはっとした。

戸山公園が受け入れてくれるのは楽しそうに遊ぶ家族連れや、ばか騒ぎをして青春ぶる大学生たちのような「日なたにいる存在」だけではない。

彼のような複雑な境遇や欲望を抱えた「日陰にいる存在」も受け入れてくれるのだ。

戸山公園の寛大さを改めて感じた。ハッテン場潜入だった

※僕はノンケ(女性好き)です。

僕の「売り専」体験記 part1

2019 5/16~6/20

これはとある事情で「新宿男道場」という男性向け風俗店で「売り専」として働いていた期間だ。

なぜ僕は「売り専」として働くことになったのか。

話は4ヶ月前にさかのぼる。

度重なる旅によって深刻な資金不足に陥っていた僕は以前から強い興味を持っていた某ビデオに出演した。

和やかな雰囲気が流れていた撮影後、熱い共演を果たした男優様がこんなアドバイスをくれた。

「お金困ってるなら、ウリセンやってみたら?」

ウ リ セ ン? 

僕は当時「ウリセン」というものが何なのか分からなかった

彼はそんな僕の疑問などお構い無しに「ウリセンはうまくいけばめっちゃ稼げるよ」と話を続けていた。

気になった。

僕は早速 帰宅途中の電車内で「ウリセン」という言葉を検索した。

僕は全てを察した。

どうやら「ウリセン」とはゲイ向けの風俗店を指しているようだった。

当時 ビデオ撮影の成功によって男性との性行為に強い興味を持っていた僕はこの「売り専」というワードに惹かれ、ページをスクロールしていった。

すると あるサイトが僕の目に飛び込んできた。

そう 「新宿男道場」だ。

圧倒的な存在感で見る者をたった一文字で魅了する「男」というロゴ。

「新宿」「男」「道場」

この男男しい言葉をつめこんだ まさしく男のトリプルブッキングと呼ぶにふさわしいネーミング。

僕は完全にこの「新宿男道場」の虜となった。

しかし当時はまだいくつか別のビデオ撮影案件を抱えていた。

僕はいったん「新宿男道場」への想いは捨て、別のビデオ撮影に性意を向けることにした。

そしてビデオ撮影案件が落ち着いた2019年5月。

僕の中に沸き上がってきたのは他でもなく「新宿男道場」への未練だった。

「新宿男道場で働いて真の男になりたい。」

僕は「新宿男道場」に自らの性意を伝えた。

するとすぐに彼らからこんなメールが届いた。

相手の性意に対して、すぐに誠意を持って答える。

ケツの締まりを大切にする真の男にふさわしい実に引き締まった対応だ。

そしてその後のやり取りを経て、僕の面接日は5/16に決まった。

もちろん「新宿男道場」には他の風俗店と同じく以下のようなキャスト一覧表がある。

いままで僕はキャスト一覧表はただ見ているだけのいわゆる「ROM専」だった。

それがいまやキャスト一覧に名を連ねる

「売り専」に変わろうとしているのだ。

仮に採用されれば、僕を指名した人間が親友であろうが父親であろうが必ず駆けつけ奉仕せねばならない。

しかし考えようによってはこれまで多くのワクワクをくれた「風俗業界」へ飛び込むことは一種の恩返しにもなるのではないか。

そんなことを考えながら日々を過ごしていると、すぐに運命の5/16がやって来た。

そして面接当日。

僕は指定された都内某所のとあるマンションの1室の扉を叩いた。

すると中から真の男にふさわしい精悍な顔つきをした一人の男が現れた。

彼は僕を見るやいなや開口一番に

「かっこいいね~♂ 写真よりもずっといいよ~♂」

と声を上げた。

僕は「イケメンだ」「男性受けする」だとか最近やたらと男性に容姿を褒められることが多い。

これまで女性から容姿を褒められたことは全く無いことを考えると、やはり僕は男性をターゲットに生きていくしかないのだろうか。

それはさておき、面接用の部屋に入った僕は先ほどの男(マネージャー)から面接シートなるものを渡された。

この面接シートは住所や年齢といった個人情報だけでなく、局部のサイズやセクシャリティ、

さらには男性経験の有無といった「個人情報」の記載も求める大変個性的な面接シートであった。

そしてこの面接シートを書き終え、マネージャーを呼んだ。

彼は僕の面接シートを一瞥するとすぐさま「採用」の旨を伝え、仕事内容の説明を始めた。

彼の説明によると「売り専」業界では主に3つの禁止事項があるとのことだった。

1 お客様との個人的な連絡先交換の禁止

2 お客様の情報を外部に漏らすことの禁止

3 お客様とのコンドームを用いないセックスの禁止 

その他にも料金前払いとセックス前のシャワーの徹底といった細かいルールの説明があり最後に給料の確認が行われた。

説明の間、僕はある不安を抱えていた。

「僕はちんこが小さい」

お気づきの方もいるかもしれないが、「新宿男道場」では全ての従業員がPsizeと称して自らの局部のサイズを公開している。

彼らのサイズは最低でも15cm なかには18cmを越える強者も存在している。

しかし僕は185cmという高身長を誇っておきながら、局部のサイズが13cmしかない。

15cm 18cmといった猛者たちの間に入れば確実に恥をかくに違いない。

僕は全ての質問が終わった後、マネージャーにこの不安を伝えた。

すると彼は笑って「2cmくらい平気だよ」といって僕の面接シートの局部サイズ欄に15cmと書き足していた。

なんて度量が大きいのだろうか。

彼こそこの「男道場」の王にふさわしい男だ。

こうして面接を終えると、予告通りサイト用の写真撮影が始まった。

パンツ一丁になり、様々な角度から数十分に渡り撮影が行われた。

そして撮影が終わると、マネージャーは早い段階でのサイト公開を約束と連絡先の交換を行い、面接は完全に終了した。

後日 サイトを確認してみると

いた。

局部のサイズもしっかり15cmとなっていた。

since5/16 こうして僕の売り専体験が始まった。

続く。

100万ドルの夜景を観た次の日に10万円を失った

それはたった2時間あまりの出来事だった。

僕は全財産の半分である10万円を失った。


きっかけはほんの少しの出来心であった

僕は今回6月7日から9日にかけての3日間、香港周辺に滞在していた。

7日 昼 深セン観光 夜 ピンポンマンション

8日 昼 バナナ配布&釣り 夜 夜景

といった具合で8日までの予定は簡単に決まった。

さて9日に何をするか。

流石に香港も3日目となると少し飽きてくる。

深センはもう行ったし…。

そう悩んでいた僕にある危険な選択肢が浮かんできた。

マカオ

「マカオ行ったことないし、せっかくだから行ってみよー♪ カジノでお金増やせたらラッキーだし♪」

僕の行き先はマカオに決まった。

周辺地図

そして運命の6月9日がやって来た。

僕は前日、夜遅くまで100万ドルの夜景を見ていたので、11時ごろに起床した。

100万ドルの夜景として有名な香港ビクトリアピークからの眺め

すぐに荷支度をして、宿舎を出る準備をしていると宿舎のおばさんが、中国語で「近くで政治パレードをやるから見てきたらどう?」と話しかけてきた。

僕はせいぜい地元のお祭りぐらいの規模なのだろうと思って あまり深く考えてはおらず、適当におばさんをあしらって宿舎を出た。

後で調べて驚いたのだが、おばさんが語っていた「政治パレード」はこの日偶然、香港で行われた史上最大級のデモだったのだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326196


このデモにコスプレで参加したらどうなっていたことやら。

僕は貴重なチャンスを逃してしまった。

あの時 素直におばさんの指示に従っていれば…

話を元に戻そう。

宿舎を出た僕は適当に昼飯を済ませ、すぐにマカオ行きのフェリーへ乗った。

適当な昼飯
適当なフェリー (奥)

僕はフェリーに乗っている時、カジノ情報を読み漁った。

ポーカー ブラックジャック ルーレット スロット。マカオには実にたくさんのゲームがある。

これだけ多くのカジノゲームを作り出す人間のギャンブル欲の凄まじさを改めて痛感した。

この多種多様なゲームの中で、僕の興味をひときわそそったものがあった。

「大小」だ

「大小」とは簡単にいうと3つのサイコロを同時にふり、出た目の合計が11以上の「大」か11未満の「小」かを当てるゲームである。

当たると賭け金は倍になり、外すと掛け金は没収される。

詳しいルールはこのサイトに乗っているので気になった人はぜひ見てほしい。

僕は知識など一切関係なく、ただ「大か小かをかける」という「大小」の強いギャンブル性に完全に魅了された。

僕はこの「大小」に関するブログを漁った。

すると、あるカジノで初心者が大小で大勝利を収めたという記事が僕の目に留まった。https://macaupackers.com/casino_episode1/

この記事の執筆者はなんと「大小」で1000香港ドル(15000円)をたった1時間ほどで、6000香港ドル(90000円)まで増やしたと語っている

彼の理論はこうだ。

「カジノ側は客に大きな利益をあげさせたくないから、大勢が同じ所にかけた場合は、その逆が出るように仕組んでいる。よって大小の必勝法は賭け金が大か小のどちらかに偏った時にその逆をかける。 」

僕はこの理論を聞いてとても納得した。

実際に勝っている人間が言うのだから信頼できる。

この理論さえ知っておけば、もう勝ったようなもんだ。

10万手に入れたら、何に使おうか。

あらゆる労働をやめて、これからはカジノで食っていこうか。

「マカオカジノ必勝法」なんてブログでも書こうかな~

僕はすっかり勝った気になって、不純な妄想を膨らませていた。

こうして僕がありもしない空想に更けていると、あっという間にフェリーはマカオに到着した。

マカオに降り立った僕はすぐに例のブロガーが勝利したと伝えらている五ツ星ホテルシェラトンマカオに向かった。

そして着いたシェラトンマカオはカジノからレストラン、さらには巨大なホールまで兼ね備える大変豪華な建物だった。

しかし この時僕の頭の中はカジノに侵食されていたため、写真をとる余裕などなく、ただただ道行く人々に「where is casino?」と聞き続けていた。

そして 心優しいホテルマンたちに助けられ、僕はついにカジノの扉を叩いた。

カジノ内撮影禁止のため 内部の写真はこれだけです。
実際にこの写真を撮ってる時に注意されました。

カジノ内では夕方にも関わらず、多くの人々が血走った目で必死にゲームの行方を追っていた。

彼らの真剣な姿は僕の賭博欲求に火をつけた。

「賭けたい 賭けたい 賭けたい」

僕はすぐに両替所に向かい、会員専用ゴールドカードを作り、手持ちの600香港ドル(9000円)をチップに変えた。

会員カード(帰国後撮影)

「これがチップか」

このころまだチップを日本円計算する余裕があった僕は1枚1500円という破格の100ドルチップの重みを強く感じていた。

そしてこの6枚のチップを握りしめ 僕は「大小」が行われるフロアに向かった。

案の定「大小」には多くの人々が集まり、至るところで悲喜こもごもな歓声が上がっていた。

撮影禁止なのでイメージ

しかし僕はここである重大なミスに気づいた。

ここの「大小」の最低賭け金は300香港ドルだった。僕の手持ちは600ドルしかない。

つまり僕は最低2回しか賭けに参加することができない。

ただ今の僕には最強の「理論」がある。

僕の持ち金が足りないことなんて、何の問題でもない。

僕は先ほど紹介した「大勢が賭けた方の逆側に賭ける」を実践する機会をうかがった。

するとすぐに 「大」の側に 数十枚の1000香港ドルチップ(15000円)が置かれるなど、その場にいた全ての人々が「大」の側にチップを置く瞬間が訪れた。

「チャンス」

僕は彼らの動きに反してすぐさま「小」の方に300香港ドルチップを置いた。

「しめしめ 大勢に流されるなんてバカな奴らだな」

そんなことを考えて結果を待っていた。

しかし待っていたのは驚愕の現実であった。

「負け」

電光掲示板には14の数字が掲示されていた。

自らの勝利に喜ぶ人々を尻目に、ただ一人だけ別の方へ賭けた僕の300香港ドルは虚しく回収された。

「あり得ない 何かの間違いだ」

僕は別の卓でもう一度理論を試したが、結果は変わらかった。

こうして僕のなけなしの600香港ドルは10分足らずで消えてしまった。

現金を失った僕は悩んだ。

ここでカジノを辞めるか、それとも…。

しかしフェリーの時間までまだかなりある。

それに理論が破れた今こそ「真のギャンブル」を味わうチャンスなのではないか。

僕は本能的に検索を避けていた禁断のワードをグーグルに打ち込んだ。

「マカオ カジノ クレジットカード」

検索結果 使える。

知ってしまった。もう戻れない。

僕はすぐさま両替所に行き、2000ドルチップ(30000円)を手に入れた。

そして僕は再び「大小」のフロアに戻った。

僕は理論を捨て、本能と周りの流れを見て300香港ドルチップを賭けた。

すると先ほどまでの苦労が嘘だったかのように勝利をあげ、一時はプラス900香港ドルまで増やすことに成功した。

しかしここで僕に危険な誘惑が襲った。

「1000単位で賭けたらどうなるのか」

僕の周りのギャンブラーたちは1000ドルチップを数十枚所有し、みな1000単位で賭けを行っていた。

そんな中、1人だけ最低賭け金300ドルを賭け続ける自分を見ているのが悲しくなってしまった。

「せっかくマカオに来たんだから派手に行こうぜ!」

僕は手持チップの大半である2000ドルチップを派手に賭けた。

「負け」

僕がこれまでコツコツためたチップたちは見るも無惨に回収されてしまった。

その後も流れは変わらず、僕は再び無一文となった。

「なんかイケる気がする」

コツコツ戦法で一定の手応えを感じた僕は「もうちょいあれば勝てる」と確信し、今度は3000香港ドル(45000円)分のチップを購入した。

「もう2度と全賭けはしない」

僕はこう固く決意した後、再び決戦の地へ足を運んだ。

三回目の挑戦は困難を極めた。

500ドル勝っては500ドル負ける、長い勝ちも負けもなく、戦いは長期化した。

それでも少しずつ借金は減っていき、カジノ開始から1時間がたったころには最高2600ドルまで膨れた借金は400ドルにまで減っていた。

「この一進一退の流れを何とかして変えたい。」

そう考えた僕はどうやったら流れを変えられるか考えた。

しかしもはや1時間以上カジノに入り浸り、すっかりギャンブル脳になっていた僕の頭に浮かんだ考えは

「大きく勝つ」 だった。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。あれほどさっき痛い目を浴びたはずなのに、この時 もう先ほどの全賭け負けが脳裏から消えかかっていた。

「大丈夫 勝てばいい」

僕はこの時の手持ちの大半であった3000ドルを賭けることに決めた。

「絶対勝つ」

僕はこの3000ドルを賭けるにあたって、この「大小」の法則性を導き出そうと考えた。

しばらく賭けるのをやめて観察していると、

このカジノには全部で「大小」の卓が15個ほどあったのだが、いくつかの卓では、連続して同じ数が出やすいことが判明した。

そして これらの卓に絞って観察を続けると、

大と小が交互に出る可能性が極端に低いことが分かった。

つまり長く大が続いた後に小が出た場合は次も連続して小が出る。

僕はこの法則性の正しさを確信した。

そして特定の卓に絞り、その瞬間を刻一刻と待った。 

「大」「大」「大」「小」

来た。

僕は誰よりも早く「小」の部分に3000ドルチップを置いた。

そして僕は祈るような思いで、ただひたすらサイコロの入った箱を見つめていた。

ディーラーが賭け時間の終了を伝えていた。

僕にはもう箱しか見えていない。

何度もうんざりさせられた待ち時間での大げさな演出も今は耳に入らない。

たった数秒の待ち時間が永遠に続くかのように感じた。

「来い!」

箱が開いた。


そこにあったのは4と6が記されたサイコロだった。

もうひとつは覚えていない。

僕は4と6が見えた時点でそっとその場を離れた。

卓上では「大」をコールする演出と、人々の歓声がこだましていた。

また負けた。

一時間かけてマイナス400ドルまで持っていった借金は一瞬で3400ドルまで膨れ上がった。

理論とは何だったのか。

僕は全ての気力を失い、残りのチップも惰性で適当に賭け続け、最後には全て失った。

こうして僕はカジノにてたった2時間で全財産の半分である10万円を失った。

帰り道 僕は自分が10万円を失ったという現実を理解できず、「何か楽しい体験をしたんだ!」と思い込み、ずっと笑っていた。

あはははははは! あははははははは!

「ピンポンマンション」のあるべき姿

皆さんは香港に「ピンポンマンション」という風俗店があるのをご存知だろうか。

詳しいことはこのサイトで解説されているため割愛するが、

簡単に言うと、マンションの一室に潜む嬢の部屋をピンポンして気にいった嬢が出てきたらSEXをするという風俗店である。

僕は長年この「ピンポンマンション」という名称に疑問を持ち続けていた。

なぜなら「ピンポン」と検索して出てくる画像は軒並み卓球🏓関係の画像ばかりで、インターフォンの画像がでてくることはまずない。

またピンポンという言葉は英語でも卓球の意味で「ping-pong」として使われ世界的にも親しまれている。

つまり「ピンポン」= 卓球というのが全世界の常識であり、「ピンポンマンション」はSEXではなく卓球が行われるマンションでなければならないのだ。

僕はいつか必ず「ピンポンマンション」で卓球をしてこの「ピンポンマンション」が抱える矛盾を是正しようと心に決めていた

僕は今日中国から香港に降り立った。

僕は香港に降り立った瞬間に、この野望を果たすため、ありとあらゆる観光地を無視し、日本で買った卓球セットを持ち、「ピンポンマンション」へ向かった。

今回向かった「ピンポンマンション」はその名も「發利大廈」

性に餓えた男で溢れていたパタヤの街とは違ってこの「發利大廈」は多くの健全な観光客が集まる街中で唐突に現れた。

中に入るとすぐにエレベーターがある。どうやらこのマンションは9階建てのようだが、

9階のゲストハウスと1階の受付を除いた全てのフロアが「ピンポンマンション」として使われていた。

エレベーターを出るとすぐに怪しい店特有の独特のネオンが僕を迎えた。

奥へ進むといくつかの部屋があり、

それぞれの部屋に「稍后片刻」(お取り込み中)の札か、「欢迎光临」(空いている)の札、どちらが掛けられ、

性客たちは我先にと言わんばかりに次々と「欢迎光临」の札が掛けられた部屋にインターフォンを鳴らしていた。

また興味深いのがこの「ピンポンマンション」区域のすぐとなりのフロアに居住者がいるということだ。

(住宅なので騒がないでくれという意味)

なぜ彼らはこんなところに住んでいるのか?

この「ピンポンマンション」のヘビーユーザーなのか、はたまた「ピンポンマンション」の経営者なのか。想像は尽きない。

この頃になると僕は本来の目的を忘れ、純粋に「ピンポンマンション」を楽しんでいた。

しかし僕はある重要な事実に気づいてしまった。

僕がいった時間は夜も深くなりつつある20時ごろで僕以外の性客たちも多く存在していた。

そしてこの性客どもは「欢迎光临(空いている)」と書かれた札を見つけると、片っ端から、インターフォンを鳴らし、嬢を呼ぶと、あろうことか出てきた嬢を無視して立ち去っていたのだ。

彼らはこの行為を自分の好みの嬢がでてくるまで何度も繰り返していた。

「許せない。」

いくら彼女たちが仕事だからといって、「呼ばれたら無視」を何度も何度も繰り返されれば、傷つくに違いないし、

ただでさえ望まないセックスを強いられ、不満を感じている中での拒絶が彼女たちにどのような感情を与えるのかは想像に難くない。

自らの性的快楽にしか関心を持たないこれらの性客たちに僕は激しい憤りを覚えた。

同じ畑で働く者として、彼らの横暴に一石を投じなければならない。

僕は直前にNOを突きつけられた嬢と卓球をすることに決意した。

正直なところかなり緊張していた。

あたりには監視カメラが張り巡らされ、これらのカメラの映像は常に入り口付近で監視されていた。

卓球のラケットを片手に辺りをうろつく金髪男は明らかに要注意人物だ。嬢に卓球を求めた瞬間に恐ろしい奴らにつれていかれたらどうしようか。

でも僕にはこの「ピンポンマンション」を変えなければならない指命がある。

僕は意を決してインターフォンを鳴らした。

「ハロー」嬢の明るい声と共に僕は部屋の中へ入った。

中に入るとすぐに嬢が服を脱がせようとしたが、僕はラケットをみせて「私はあなたと卓球がしたい」と伝えた。

すると彼女はこの世で最も「素っ頓狂」という言葉がふさわしいと言えるほど「素っ頓狂」な顔で僕の方を見た。

彼女が精いっぱい振り絞った「なんでピンポンなの」という言葉に対し

僕は「日本ではここをピンポンマンションと呼んでいる。だから私はここでピンポンがしたい」と語った。

この言葉の意味がしっかり伝わるとは思っていなかったが、どうやら嬢はある程度納得したらしく、「本気?」と言いながらケラケラ笑っていた。

しかし僕はここで僕は大きな見落としがあることに気づいた。

「ピンポンマンション」の各個室は中にダブルベッドが置かれているだけの粗末な部屋だ。

僕はこのダブルベッドのベッド部分をとって残る土台をピンポン台にしようと考えていたのだが、

思いの外ここのダブルベッドはベッド部分が多く、また部屋も狭いのでベッド部分をとれそうにない。

参考画像

どうしようか。僕がとっさに思いついたのは

「エアピンポン」だった。

ピンポンを楽しみたいという気持ちさえあれば、台なんて必要ない。己の気持ちだけで勝負しろ。

僕はつたない英語で必死にこの「エアピンポン」のルールを説明した。

嬢も最初は全く分かっていないようだったが、「演技がうまいほうが勝ち」「あなたが勝ったらチップを渡す」と説明すると快く乗ってくれた。

こうして「ピンポンマンション」にて世にも奇妙な「エアピンポン」対決が始まった。

当初、嬢は慣れない「エアピンポン」に恥ずかしがっていたのか、なかなか良い演技をしてくれなかった。

そこで僕は彼女の緊張をほどくためにオーバーな動きと「チョレイ」を交えた激しい演技を披露した。

すると彼女も僕の動きに呼応してスマッシュを決めようとするなど激しい演技を見せ、試合は壮絶なラリーの打ち合いとなった。

長い激闘の末、最後は彼女の強烈なスマッシュが決まり、僕はあえなく敗れた。

彼女の素晴らしい演技に感動した僕は最初に話し通りに100香港ドル(1400円)を手渡した。

すぐに次の試合を始めようとすると、

嬢が「どうせあなたもSEXがしたいだけなんでしょ」と言いたげにベッドに座り込んだ。 

僕は彼女に全てを伝えなければならないと思った。

「The only thing I want to do is ping-pong ! 俺がしたいのは卓球だけだ。」

すると嬢は全てを理解してくれたかのように立ち上がり、「リアルピンポン!」と僕に語りかけた。

最初何を言ってるのかよくわからなかったが、どうやらノーバンで卓球のラリーがしたいとのことだった。

僕は彼女の飽くなき探求心に感銘を受け、この申し出を受け入れた。

最初はほとんどラリーが続かなかった。

無理もない。お互い卓球は素人で、部屋もとても狭い。

それでも僕らはラリーを続けよう試みた。

そして挑戦すること数回、

ラリーはついに10回を超えた。

僕らはその瞬間、自然に笑顔で溢れ、互いにハイタッチをして喜びを分かち合った。

おそらくその日、僕が彼女に触れたのはこのハイタッチだけだっただろう。

「嬢を気持ち良くさせるテクニック」なんてでたらめなことを言う奴がたまにいるが、

少なくとも「ピンポンマンション」のような性客の欲望を一方的に押しつけるSEXで嬢側の気分が良くなることはあり得ない。

ではどうすれば客側と嬢側の両方が気分良く時間を過ごすことができるだろうか?

その答えこそが そう 「ピンポン🏓」だ。

少なくとも僕は今回、新しい体験ができて気分が良いし、嬢は先ほど述べた通り、撮影に応じてくれるほど上機嫌だった。

ピンポン🏓は関わる人全てを笑顔にする。

だから僕はこの「ピンポンマンション」は男女がピンポン🏓をすることのできる場所に変えるべきだと思う。

それこそが「ピンポンマンション」のあるべき姿であると僕は思う。

1000円で手に入れることができる真のサービス

ラインペイがいま登録者同士で1000円を送り合える狂気のキャンペーンを行っている。

ラインペイを使ったことがある人なら分かると思うが、ラインペイといえば、支払いが終わるたびに、「クジに挑戦!」といった無邪気なメッセージを送ってきては、

「1円当選 おめでとうございます!」という僕を有邪気な気分にさせる結果を送りつけてくる忌々しき乞食団体のイメージが根深い。

その乞食組織が今回1000円を配布するというキャンペーンをやったのだから驚きだ。

僕の乞食友達たちも早速このキャンペーンに参加し、僕に1000円を送ってくれた。

僕は久しぶりに1円以外の金額がラインペイに追加されたことを大いに喜んだ。

この1000円を何に使おうか。

「食事代、コスプレ、イソジン…」

世の中 1000円あればいろいろな物が買える。

1000円で救うことのできる命もたくさんある。

僕の邪気に溢れた想像力では、計り知れないほどの力を1000円は持っている。

1000円で何ができるのか考えていると、以前1000円で手に入れたある奇妙な体験が僕の頭の中に浮かんできた。

それは例のごとく冷たい北風が吹き荒れていたある春の日のことだった。

例のごとく性欲に餓えた「流山のバイアグラ」がこんなことを言ってきた。

「激安ピンサロ行こうぜ。」

以前も紹介したが、彼は「風俗ブロガー」として、極上の至福を求め、ありとあらゆる風俗への潜入を試みる性欲の権化だ。

性に関していえば、彼の発言にしたがっていればまず間違いはない。

僕らはすぐに「都内 激安ピンサロ」というワードで検索をかけまくった。

「都内」で良いものがなければ、次は「新宿」、「新宿」でだめなら、次は「池袋」

といった具合に手を変え、品を変え、執念深く調べた。

普段大学のレポートの文献を調べる際には、1度検索して良いものがなければ、すぐに諦めてしまう僕らからすれば、考えられないほどの執念である。

こうして執念深く調べていくと、ある興味深い店が僕らの前に現れた。

http://aitata-o.com/top/

見よこのビジュアル。

「あ、痛たた!」といった強烈なネーミングもさることながら、危険色の代表格でもある黒と黄色を基調としたホームページは訪れる者を恐怖の渦へ引きずり込む。

それにこの店にはなんと「10分1000円」というイカれたコースもあるそうだ。

(ふつうのピンサロは30分4000円~が多い。)

僕らは迷わずこの店に足を運ぶことに決めた。

こういった店に行く楽しみの1つとして、「在籍一覧を見る」が挙げられると思うが、「あ、痛たた!」のような地雷店ではそれは当てはまらない。

出勤一覧を見れば見るほど、恐ろしい気分になってしまうのは、前回の人妻パラダイスで経験済みだ。

しかし恐ろしいと分かっていることほどやってしまいたくなるのが世の常だ。

僕らは店に向かう途中、ついつい「在籍一覧」に目を通してしまった。

期待を裏切らない恐ろしさだ。

僕の息子たちが次々と死んでいく音が聞こえた気がした。

ただ「在籍一覧」を見て震え上がり、店へ向かう足取りが重くなった前回とは違って、

今回は前回の経験から「死ぬことは絶対にない」ということを理解していたので、動揺から足取りが重くなることはなかった。

こうして平常心を保ちながら歩いていると、すぐに奴が目に飛び込んできた。

前回とはうって変わって威風堂々とした態度で中に入ると、いつものようにイカしたボーイに無駄に妖艶な暗闇に包まれた1畳ほどの狭いブースに案内された。

しまった。今回は二人で来たため、ブースが隣同士だ。

これでは「流山のバイアグラ」の想像を絶する媚声が聞こえてしまう。

「大丈夫、媚声ぐらいで人間は死なない」

こんなことを考えていると先に隣のブースに黒い影が現れた。

僕は思わず笑ってしまった。

だいたい風俗のホームページ写真というのは、偽りがあるというのが普通だが、

この女性はホームページと全く同じなふくよか体型をしていた。

「あいつ大丈夫かな。」と隣のブースを心配していると、すぐに僕のほうにも影が近づいてきた。

驚いた。

なんと隣に来た女性よりも2倍近くふくよか体型の女性が僕のもとにやって来たのだ。

彼女は驚き硬直した僕をよそに10分という短い時間を無駄にしないために、すぐにサービスを始めた。

キス、フェラチオといった基本サービスは言うまでもなく、彼女の大柄な体格を生かしたハグは僕がこれまで犯した罪や不道徳を全て包み込んでくれるような感触を与えてくれる素晴らしいものだった。

これはまさしく本物のサービスだ。

1000円でこれだけ素晴らしいサービスを提供してくれるとは、日本のサービス業も捨てたものではない。

「自分たちにしかできないサービスを」という日本のサービス業の真髄が「あ、痛たた!」にはつまっている気がした。

冒頭にも述べたようにいま極悪非道で名高いラインペイが1000円を配布するという名誉挽回をかけたキャンペーンを行っている。

ただで1000円を手にしたラインペイユーザーたちはいま1000円の使い道にさぞかし悩んでいることだろう。

そんな時はぜひこの「あ、痛たた!」に行って真のサービスとは何か体験して来てほしい。

ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した。

僕はコスプレをしているとき、

たまにこんな疑問をぶつけられることがある。

「コスプレのお金どうしてるの?」

確かにコスプレは高い。

1着3000円は平気でするし、

前学期は「1度着たコスプレは2度と着ないというルール」を設けていたので、

月に2~3万円はコスプレに使っていたと思う。

これに旅行風俗代まで重なると、

もう僕の財政は火の車だ。

僕はこの状況を打破するために、

様々なバイトに手と尻を出してきた。

その一方で僕はコスプレを始めて以降、

徹底的な節約をしていた。

例えばバイト先での食事はお金のかかるまかないではなく、

家からパックご飯と納豆を持ち込んだり、

学校にいるときは常に家で作ったおにぎりを持ち歩き、

おやつなどに無駄遣いをしないようにしていた。

こんな感じで食費をバンバン削っていくと、

必然的に食事がショボくなる。

最近まであまり気にしてなかったが、

先月台湾に3週間滞在して、

いろいろな美味しいものを食べた結果、

この世界が美食に溢れていることに感動し、

「なぜ自分はこんなひもじいものばっかり食べているのか。」と思うようになった。

今学期はコスプレ頼みから脱却するために、

コスプレの回数を減らすので、

予算を食事にまわすこともできる。

入学以来 食事に関して、

ずっと僕は一つの夢を持っていた。

「ラーメン二郎に行きたい。」

ラーメン二郎といえば

「豚のエサ」と揶揄されるほどのデカ盛りと

「ヤサイマシマシ」といった呪文のような注文方法で有名な

言わずと知れた超有名ラーメン店だ。

僕は大学1年の時には、

「高田馬場はラーメン激戦区」だという噂を

聞いて毎日のようにラーメン店をはしごしていたほどのラーメン好きだ

しかし高田馬場にはラーメン二郎の支店はなく、

以前ラーメン好きの友達とラーメンの話をしていたときに、

「お前 二郎行ったことないの?」とマウントをとられた苦い経験がある。

それ以来 僕はこの世のラーメン好きたちを見返すために

ラーメン二郎に行く機会を虎視眈々とうかがっていた。

突然 その機会はやってきた。

今日 僕は最近流行りのウーバーイーツのバッグを受けとるために関内方面に出掛けた。

二日酔いでぐらぐらする頭のなかで

必死に説明を聞いて、バッグを受け取り、

外に出たとき、あることに気づいた。

「関内にはラーメン二郎がある!」

すぐさま携帯を開いてラーメン二郎横浜関内店を調べると

ビンゴ! 自転車で数分の距離にあった。

しかもラーメン二郎横浜関内店のオープン時間は18:00から。

ウーバーイーツの説明が終わったのは17:30くらいだったので時間的にもちょうどよかった。

これは間違いなくラーメン二郎に行っていなかったことで

不遇の時期を過ごしていた僕に対する神様からのプレゼントだ。

僕は迷いなくラーメン二郎横浜関内店に向かった。

「やっと二郎が食える。」

僕は期待に胸を膨らませ、ウキウキで自転車をこいだ。

しかし店に近づくにつれ、

僕は店の方から連なる不穏な人影が見えるのに気づいた。

「開店前だしまさか並んでる奴なんていないだろう」

そう僕はたかをくくって、近くに自転車をとめ、ラーメン二郎に向かった。

僕は完全にラーメン二郎の人気をなめていた。

僕が見ていた人影は二日酔いからくる幻ではなく、

ラーメン二郎を食べるために並ぶ人々の行列だったのだ。

僕は悩んだ。

店内の店員はたったの二人。

おそらくこの列ではラーメンを食べるまでに

2時間はかかるだろう。

家にはおそらく夕飯がある。

ここで2時間待てば、夕飯が食べられなくなり、

また母親から小言を言われるのは目に見えている。

僕は路頭に迷って近くの繁華街をうろついていた。

その時、こんな広告が僕の目に飛び込んだ。

「G朗ラーメン」

明らかにラーメン二郎を意識したネーミング。

おそらく「二郎ラーメン」にすると本家から苦情がくることを予測してのネーミングなのだろう。

僕は再び悩んだ。

もう二度とラーメン二郎に行くチャンスはないかもしれないのに、

ここでこんなパチもんを食べていいのか?

食欲とは時に恐ろしいものである。

僕の足は悩みながらも確実に店内へ向かっていた。

幸いこの店は空いていたので、すぐに入ることができた。

そして悩み抜いた末に手に入れたラーメンがこれだ。

うまかった。めちゃくちゃうまかった。

ラーメン二郎なんてくそくらえ。

これから「G朗ラーメン」の時代だ。

だいたい何でラーメン一杯食うために、

2時間も3時間も待たなくちゃいけないんだ。

さっと入ってさっと食えるのがラーメンのいいところだろ。

本家の味なんか知らなくたっていい。

食ったもんがうまかったらそれでいいんだ。

大事なことを教えてくれてありがとうラーメン伊勢佐木家

東亜同文書院大学のここがすごい!

東亜同文書院大学。

みなさんはこの大学を知っているだろうか?

え? 知らない?

日本人としてこいつらのことを知らないのはヤバい。マジでヤバい。

とりあえずwikiはっときます。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6_(%E6%97%A7%E5%88%B6)

まあ簡単に言うと100年前、中国にあった日本人学校だ。

奴らのなにがそんなにヤバいって?

それは奴らが最高学年の時にやってた卒業旅行だ。

卒業旅行だなんて聞くと、

僕たちはいつも海外へのバカンスみたいな

ゆったり旅行をイメージするけど、

東亜同文書院の奴らがやっていたのは

そんな生ぬるいもんじゃない。

奴らは当時ほとんど足を踏み入れる者のいなかった中国奥地に1年間かけて旅行していた。

この事実だけでも十分ヤバいんだけど、

この旅行の過程があまりにもマジキチだったので少し紹介したい。

(当時の調査メンバー)わりとイケメン揃いだね

東亜同文書院のここすごいその1

「移動は基本歩き」

まずこの図を見てほしい。

これは当時の東亜同文書院の学生による調査ルートだ。

北はハルビン、南はフィリピンといった

様々なコースを旅行している。

ここでは東亜同文書院のあった上海から

最も遠いシンガポールまでの距離を例にあげよう。

その距離なんと3817km。飛行機で5時間。

しかしもちろん100年前に飛行機はない。

それどころか鉄道も車もない。

じゃあどうやって移動したのか?

答えは1つ。   歩きだ。

彼らはこんな感じの周りに何もない道を

約1年間かけて歩き続けていた。

(大きな川があるコースをとった学生は船にも乗っていた)

当時の彼らの日誌はほとんど

歩いた話と飯食った話しか載っていない。

この某大学界隈もビックリするほどの

過酷な歩きを強要されたのにも関わらず、

腐らずに調査を続けた東亜同文書院の学生はすごい。マジで東亜魂だ!

100キロ歩いたごときで

「人生変わった」とか言ってるどこぞやの学生とは違うね。

東亜同文書院のここがすごい その2

「当時の中国はマジで治安が悪い。」

今でこそ日本人でも気軽に旅行できるようになった中国だが、

当時は内戦や貧困によってこんな感じの

野蛮な強盗団がうじゃうじゃいた。

中には1000人規模の強盗団もいたらしい。

あー 恐ろしや。

学生たちもこいつらにビビって、

こいつらがいないだろうところを通ったり、

護衛を雇ったりしてたけど、

長い旅のなかで何度か強盗団に会っちゃって、

身ぐるみ剥がされてたとのこと。

あれ? 護衛は?

雇った護衛はなにしてんの?

なんと当時の護衛は人数を増やせば増やすほど雑になって、

5,6人雇おうとすると、

全員が無職の老人や少年の護衛になって、

全く護衛として役に立たなかったらしい。

流石は適当大国の中国だ。

本当に期待を裏切らない。

また当時は今とは比べ物にならないほど、

反日運動がひどかった。

当時のイメージ

こうした反日運動は学生たちにも向けられた。

宿に止まると石を投げられ、

船で移動していると砲撃された。

旅行をしていた学生はみんなハタチそこそこで

従軍経験もないただのガキンチョだ。

これだけ何度もぶっ殺されそうになったら、

メンタルやられて旅行を止めてもおかしくない。

しかし、ここで負けないのが東亜同文書院。

なんと奴らは砲撃を軽~くかわして、

川から見える絶景を楽しんでいたとのこと。

周りの雰囲気にいっさい惑わされず、

あくまで旅行を貫き通すというメンタル。

これこそ東亜魂!

危険な場所があるとすぐに旅行をやめる某湾研修はこの東亜同文書院の姿勢を見習ってほしい。

ここまでの流れだといかにも東亜同文書院が

鋼メンタルの脳筋集団のようにみえるかもしれない。

しかし彼らはただの旅行中毒者ではない。 

東亜同文書院のここがすごい その3

「調査結果がめっちゃ優秀」

当時、東亜同文書院の学生たちは主に

この卒業旅行での調査結果を卒業論文として提出してた。

俺らも卒業論文を書くけど、

せいぜい後輩の参考に使われる程度で、

すぐに社会に出るってことはほとんどない。

けれども東亜同文書院の学生が残した

調査結果はどれも優秀なものばっかで、

すぐに本にまとめられ、この世に解き放たれていた。

こんな例は当時探してもなかなかない。

それだけ東亜同文書院の学生が優秀だったってことの証明だ。

体力ありメンタルも強く学力も優秀。

あれ?

俺たち現代の学生が勝ってるところなくね…

東亜同文書院はゴリゴリの男子校だから

まあいいか… まあいいか… 

参考文献

「東亜同文書院生が記録した近代中国の地域像」藤田佳久著

コスプレ頼みからの脱却

僕はここ最近ある悩みを抱えていた。

「毎日コスプレ登校をすることが

意味不明な奴であることにつながるのか?」

確かに大学でコスプレで来る奴はなかなかいないし、

僕がなぜコスプレをしているのかを知らない人からすれば、

十分意味不明であると言えるかもしれない。

しかしコスプレも毎日続けていると、

「どうせまたあいつはコスプレして来るのだろう」

と周囲から予測され、マンネリ化してしまうようになる。

元々 僕は「圧倒的な意味不明さ」を求め、

周囲の度肝を抜くためにコスプレを始めたのに、

周囲から自分の行動を予測されては

意味有明になってしまい、本末転倒だ。

「意味不明とはいったい何なのか?」

前学期 僕はコスプレを続けきった。

それゆえに「僕=コスプレ」という

イメージを定着させることを成功させていれば、

僕が普通の格好をしているだけで、

ある種の衝撃を与えることができたかもしれない。

しかし僕が最後にコスプレをしてから

3ヶ月がたとうとしている。

その間にも、僕は何度か友人達と普通の服装で会っているため、

彼らは僕の普通の服装に見慣れてしまっていて、

普通の服装で登校したところで

僕は彼らにとって意味有明になってしまい、

彼らの度肝を抜くことはできない。

コスプレもダメ。普通の服装もダメ。

どうすれば彼らの度肝を抜くことができるのか?

僕は悩みに悩み、

何度も熟睡した夜を過ごした。 

もはや登校そのものすら諦めようとしたその時、

その答えはとても身近なところにあることに気づいた。

答えは「髪」だ。

僕はこれまで人生で一度も髪を染めたことがない。

それに僕の顔の第一印象を聞かれた際に、

多くの人が真っ暗の髪と汚いゲジゲジ眉毛を答えるし、

小学生時代のアダ名の一つもゲジマユだった。

一般的にこうした顔の特徴を無くすことは

主に罰ゲームや、他人主導の企画で、

無理矢理やらされることが多い。

これらの特徴を自発的にいきなり無くしてしまえば、

周囲の度肝を抜けるに違いない。

僕は迷わず髪と眉を染めることに決めた。

「どの色に染めるか?」

茶髪では変化が目立たず、中途半端な結果になってしまう。

かといって、赤髪や青髪などの奇抜な髪型に

するとあからさまにネタに走り過ぎていて、

痛々しい。

プロスポーツの珍プレー集がなぜ面白いのかというと、

彼らがみんな真剣にやっているからだ。

ただネタに走っていると思われるだけでは、

限界があるので、

「こいつは真剣に似合ってると思ってやってるんじゃないか」

という疑問を抱かせることも必要だと

僕は思った。

となると、結論は一つ

金髪だ。

金髪なら変化は一目瞭然だし、

全く街では見ないという髪色でもないので、

ある程度のガチ感も与えることができる。

しかし一口に金髪にするといっても、

どうやってするのか?

カラー剤を適当に髪につければ、

金髪になるのか?

僕は染髪についてとことん無知であったため、

グーグルで「金髪 染める方法」と何度も調べた。

度重なる調査の結果、

きれいな金髪にするなら、

金はかかるが美容院にお願いして、

自分のしたい髪色のイメージ画像を

用意すると良いという情報を入手した。

僕は早速ホットペッパービューティーに登録し、

「横浜 メンズ カラー」で検索して

一番最初に出てきた美容院を予約し、

金髪の有名人として唯一思いついた

本田圭佑の画像を用意した。

こうして万全の準備を終えた僕は

意気揚々と美容院に乗り込んだ。

しかし僕とは真逆の世界であるファッション業界の頂点「美容院」は

アウェーの洗練と言わんばかりに

僕に強烈な事実を突きつけた。

「お客様の髪だと、ここまでの金髪にするにはブリーチ2回必要なので

全部で16000円になりますね。」

16000円!? ヤバい。明らかにヤバい。

今まで一番高いコスプレですら、5000円を越えたことはないのに、

この価格は圧倒的だ。

だが僕はもう覚悟を決めている。

周囲の度肝を抜くためには金は惜しまない。

僕は美容師さんの忠告を二つ返事で了解し、

施術が始まった。

結果は驚くべきものだった。

まずブリーチ1回目でかなり色が抜け、

激痛に絶え忍んだ2回目とカラー剤をつけた後には

想像以上にまともな金髪になり、

家に帰って眉毛もブリーチすると、

もはや以前の面影がない完全体になった。

ここまで髪がまともになってしまうと、

もはやいつもの格好ではもったいない。

僕はパンツから革ジャン、

ネックレスに至るまであらゆるファッションを新調した。

これだけやれば、間違いなく奴らの度肝を抜ける。

僕はそう確信して、

この半年前からは考えられないような

服装で授業に乗り込んだ。

反応は期待通りだった。

みんな僕がコスプレをしてくるだろうと

予測していたのか

教室に入った僕を見た瞬間、

みんな すっとんきょうな笑い声をあげた。

一部から「きっつ」といった心ない批判を

受けることもあったが、

僕が身と口座を削ることでこうした反応を

得られたというのは、

今回の企画が

意味不明化に成功していたということになるのだろう。

ただ僕はここで勘違いしてはいけない。

コスプレを完全に捨てることが

意味不明化を果たす方法ではないのだ。

今回は意味不明化を成功させるために、

泣く泣くコスプレを捨てただけだ。

コスプレが意味不明化に必要となれば、

すぐに僕はコスプレを復活させるだろう。

僕は意味不明というのは予測不能という

言葉に置き換えられるのではないかと思っている。

僕はコスプレを続けるがあまり、

予測可能な人間となってしまった。

今後はコスプレだけでなく、

別の何かを常に取り入れながら、

動いていったりすることも必要なのではないかと、

僕は思っている。

コスプレ頼みへの脱却。

今期のテーマはこれで行きたい。

「知らない人についていってはいけない。」

「知らない人についていってはいけない。」

僕たちは小学校時代、

自分の身を守るための授業と称して ことあるごとに

この教訓を刷り込まされた。

しかし年月が経つと共に

この教訓への認識が薄まり、

自らの力を過信して、

知らないサークルの先輩についていったり、

知らない人の車に乗るヒッチハイクといった

小学校時代には考えられなかった

暴挙を繰り返すようになってしまった。

こんなことを言っている僕も

ヒッチハイクをして

自らの行動力をアピールする

大学生たちに感化され

幾度となく危険なヒッチハイクを繰り返した。

そしてこうしたヒッチハイクが成功に終わるたびに、

冒頭に述べた「知らない人についていってはいけない」

という教訓を忘れていくようになった。

しかし先日台湾で

この「知らない人についていってはいけない」

という教訓を痛感させられる事件が起きた。

事件の顛末はこうだ。

「先輩 バスケしませんか?」

前日に僕をクラブに誘ってくれた

例の1年生たち

またも気分が軽くなるようなノリ良い口調で誘ってくれた。

彼の話によると

彼がクラブで仲良くなった台湾人が

僕たちとバスケがしたいらしく、

バスケができる場所に案内してくれるとのことらしい。

僕は学生時代バスケ部に所属していたものも、

半年前に本ブログのリンクをグループラインに貼って

バスケサークルを退会して以降は

すっかりバスケからも離れ、運動不足になっていた。

研修も中盤に入り、

生活がマンネリ化し始めてきていたのもあり、

僕は迷わずこの誘いに乗った。

そして迎えた当日。

指定された駅に1年生たちと共に待っていると、

例の台湾人がやって来た。

彼は僕には目もくれず、

1年生たちにべったりとくっつき、

あまり聞かれたくない内容なのか

僕とは距離をとり、

英語でやり取りをしていた。

とにかくいまは彼についていくしか

方法はないので、

しばらくついていくと

周りの雰囲気が

明らかにバスケットコートなど無さそうな

ジャングル地帯に変わっていった。

(写真をとり忘れたのでグーグルマップから)

もしかしてこの台湾人はバスケができるという口実で

純粋な日本人留学生をジャングルの奥地に連れ出し、

誘拐してどこか別の場所に売り飛ばそうとしてるのではないか。

もはやバスケどころではない。

僕は不安で胸が押し潰されそうになり、

どのタイミングで逃げ出そうか

ずっと考えていた。

僕がこうして強い恐怖を感じていると、

目の前にラブホテルのような建物が見えてきた。

(写真をとり忘れたのでこれまた転載)

遠くから見ると怪しさ満点の建物だが、

近くで見ると上に世新大学の文字。

どうやらここは大学のキャンパスのようだ。

良かった。

少なくとも大学のキャンパス内で

人身売買に直面することはないだろう。

しかし 安心したのも束の間、

今度は別の不安が襲ってきた。

「僕たちはいったい誰とバスケをするのか」

というのもこの日は若干雨が降っていて、

屋根のない場所でバスケをするのは難しい状態だった。

となるとバスケができるのは

学校の体育館のみだ。

僕はバスケサークルに所属していたので、

大学の体育館を使ってバスケをすることができるのが、

全国から選ばれた精鋭が集まる

大学のバスケ部だけであることを知っている。

これは日本の場合だが 

恐らく台湾でもさほど違いはないだろう。

この日台湾人についていったのは

僕を含めて3人。

みんなバスケは素人に毛が生えたレベルだし、

何より体育館用の靴など持っていない。

そんな3人が現役のバスケ部員達と戦ったら…

考えるだけで恐ろしい。

この台湾人は日頃から日本に不満を溜めていて、

バスケが得意な友人を使って、

バスケ素人の日本人をボコボコにして、

日頃のストレスを晴らしているのではないか?

僕の不安をよそに この台湾人は

どんどん体育館へ近づいていった。

「オーッス!!!」

すると体育館から凄まじい円陣の音がとどろいた。

ヤバい。

気合いの入り方が全く違う。

これはもはや楽しくバスケをする時の

モチベーションではない。

明らかに ムカつく日本人を 

バスケと称した暴力でひれ伏させようという

純粋な悪意から来る殺意だ。

台湾は親日国だというのは真っ赤な嘘だ。

僕は恐怖で逃げ出しそうだったが、

いまここで逃げ出せば、

何が起こるか全く分からないので、

必死にこの台湾人についていった。

すると彼は体育館の観覧席に

僕たちを連れていった。

するとすぐに「ビー!」と

遊びのバスケでは決して使われることのない

ブザーが鳴り響き、

どこの大学かも分からないバスケの試合が始まった。

これはいったいどういうことなのか

すぐに1年生がこの台湾人に説明を求めると、

彼は衝撃の回答をした。

「まずはこの試合を全部観ろ。

試合が終わったら試合に出ていた

俺の友達とバスケをさせてやる。あいつが俺の友達だ。」

そう言って彼が指さした方向にいたのは

頭にバンダナをつけた身長190cmぐらいの黒人だった。

僕たちは完全にこの台湾人の異常性を悟り、

彼が試合に夢中になっている隙に、

軽い挨拶をしてすぐに体育館から出た。

あのままもし体育館にいたら、

僕たちはどうなっていただろうか。

今となっては知るよしもない。

この経験から言えることがひとつだけある。

「知らない人についていってはいけない。」