万物は反射神経である 2

真に良いアイデアは、
ほとんどの人にとってひどいものに
見えるだろう。
そうでなければ誰かが既にやっている

ポール・グラハム

TOEICに通じる反射神経を鍛える上で多くの人々が思いつくのはやはり単語暗記であろう。

そんなことは気の緩みきった試験前の僕ですら容易に思いついており、実際に単語帳を作って何度も復習をしていた。

結果はどうだ?

基本に忠実な勉強法では反射神経を高めるには至らず、15問の空白を産み出した。

誰もが思いつくような方法ではダメだ。

「英語への反射神経」に囚われているから英語に関係するアイデアしか浮かばないんだ。

僕は一旦’英語’という概念から離れ、解決策を模索した。

反射神経を高めるためには?

反射神経を必要とするものは?

反射神経とは?

一通り考え抜いた僕の頭にあるアイデアが浮かんだ。

バッティング

そうだバッティングだ。

唐突に飛び込んでくる高速の球体に全身で反応するバッティング

これほど反射神経を鍛えるのに適した方法はないだろう。

英語とバッティング。

一見無関係に覚える二つの事柄がいま繋がった。

バッティングに強い可能性を感じた僕はすぐさま近隣のバッティングセンターを調べ、ある興味深いバッティングセンターを発見した。

「バッティングセンターブンブン」

素晴らしい名前だ。おそらくこの「ブンブン」という名称は「(英)ブン(英)ブン」という意味であり、バッティングを通じて英文読解力が上がるということを示唆しているのだろう。

やはり英語とバッティングには何か関係性がある。自らの仮説に自信を深めた僕はすぐさま「バッティングセンターブンブン」に向かった。

東急東横線菊名駅から徒歩13分。「バッティングセンターブンブン」は閑静な住宅街のど真ん中に堂々と鎮座している。

中に入ると既に英語の成績に困っていそうな野球少年たちが黙々とバットを振っていた。

彼らも英語の成績向上を願ってこのバッティングセンターに通っているのだろう。

彼らの真面目な姿に刺激を受けた僕は早速ゲージに立ち、バッティングを開始した。

当たらない。

100kmそこらの棒玉に僕のバットはことごとく空を切った。

辺りを見渡せば周りの少年たちは次々と快音を鳴らしている。

すごい。彼らはみなTOEICスコア900越え揃いに違いない。

こうして周りに感嘆しつつも簡単に空振りを重ねているとあっという間に1ゲームが終了した。

やばい。これでは反射神経のトレーニングどころではない。

100kmのボールにすら反応できない男が1000文字以上の英語に反応できるはずがない。

僕はどうすればボールに反応できるか考えた。

ふと昔観ていた2chの野球応援スレッドに「坂本勇人選手のフォームが打ちやすい」という書き込みがあったのを思い出した。

つい先日2000本安打を達成した坂本選手のフォームなら、1000文字、いや2000文字の英文にも反応できる反射神経を得られるに違いない。

僕は藁にもすがる想いで坂本選手のフォームを確認し、頭に叩き込んだ。

そして再度ゲージに立ち、彼のフォームの代名詞である高く足を上げてボールを待った。

カキーン!

これまでの不振が嘘のように鋭い打球が左後方へ飛んでいった。

打てる。打てるんだ。

自信を獲得した僕はその後も強い打球を連発した。

一通り打ち終えた僕は100kmゲージの隣に140kmゲージがあるのに気づいた。

僕は迷った。

このまま気持ち良く打つのであれば100kmだろう。

いや違う。

今日はストレス発散のために来ているのではない。反射神経強化のために来ているのだ。

140kmすら反応できないようでは、TOEIC9割など夢のまた夢であろう。

#打てっこないを打たなくちゃ

坂本打法への自信と未知なる140kmへの恐怖。

二つの相反する感情を抱え、僕は打席に入った。


速い 速すぎる。

僕が大きく上げた足が地面に着く間もなく140kmの火の玉ストレートが突き刺さった。

テレビであれだけ遅く見える140kmがこんなにも速いとは。 

この速さの玉をいとも簡単に打ち砕くプロ野球選手の反射神経には感服せざる負えない。

その後も僕はさっきまでの快音が嘘のように空振りを連発した。

僕は自らの反射神経不足から足を大きくあげる坂本打法への限界を感じ、よりタイミングのとりやすいすり足の元阪神マートン打法に切り替えた。

マートン打法に切り替えたことにより、超降り遅れが減り、バットにかするようになった。

しかし素人のすり足打法は実質ただバットを振り下ろしているだけに過ぎない。パワーを失った僕のスイングはことごとく140kmの球威に負け、バックネットに次々とボールが溜まっていった。

ファールチップと空振りを重ねること数十球。

ついにその瞬間はやってきた。

例のごとくマートン打法でボールを待つ僕、これまた例のごとく無慈悲に白球を投じるマシン。

僕は運動不足からなる腰の痛みにも耐え、必死にバットを降った。

ゴツン

鈍い金属音と共に宙に舞った白球は、僕が打球の行方を追う間も与えず、1メートル前に力なく落ちた。

手元を見るとバットの柄の部分に白い跡がついていた。

完敗だった。

僕の反射神経は所詮100kmレベルでしかないのだ。

この程度の反射神経では15問残しも無理はない。

前述した元阪神マートン選手は圧倒的な反射神経でプロ野球安打記録を達成し高額な年俸を得るだけでなく、TOEICスコア900以上を記録可能な高い英語力も獲得していた。

優れた反射神経を獲得することはバッティングだけでなく、英語力向上、収入増加にもつながるのだ。

これらの例からもいかに人生において反射神経が重要であるかよくわかるだろう。

僕の反射神経はまだこうした一流反射神経者に遠く及ばない。

世界の全てを獲得するために。

僕は今日もバットを振り続ける。

万物は反射神経である 1

万物は反射神経である。

これは2020年11月、僕が出した結論の一つだ。

なぜ反射神経なのか。

これから綴る内容を読めばあなたも理解できるはずだ。

僕は先日TOEICを受けた。

就活に使えそーとか英語力測りたーとかいう安直な理由からだ。

もちろん勉強はしていたが、留学後のワンチャンスに掛けていたHSKに比べて気の緩みは明らかだった。

こうした緩みは試験当日にしっかりと表れた。

僕は試験の必須品とも言える時計を忘れてしまったのだ。

時計の無い試験会場と豪勢な時計をテーブルに誇示する受験者たちの姿を目の当たりにし、一瞬焦りを覚えたが、「10分前になったら試験官が教えてくれるだろう」という安易な想定に身を委ねてしまい、その時はあまり深く考えなかった。

若干の不安を覚えつつ試験は始まった。

人間とは不思議なもので不安があろうが、気が緩もうが、試験が始まった途端に忘れてしまう。

僕もその例外ではなく絶え間なく現れる英語と格闘しているうちに時計のことなどすっかり忘れてしまっていた。

そして試験も残すところあと15問。

「以外といけたんじゃね」

そんな考えがちらほらとよぎる頃だった。

‘試験を終了します。解答を止めてください’

!?

終わり!?

10分前コールは?

初老試験官の無情な宣言により試験は突然終了した。

唖然とする僕を尻目に初老試験官は手際よく試験用紙を回収していった。

僕が最初に覚えた感情は怒りだった。

試験終了10分前を告げない初老試験官への怒り、腕時計を忘れた自分への怒り。時計を置かない試験会場への怒り。

しかし僕はこれらの怒りが全て的外れであることにすぐに気がついた。

何が一番悪い?

全ては僕の英語力不足だ。

全ては僕の読解速度の遅さだ。

試験官、試験会場、腕時計 仮に全部理想であっても15問落とす事実は変わりないのだ。 

ではなぜ長文読解が遅いのか。

長文読解の肝は大量の英文と英単語に対して素早く反応して理解することである。

いわば英語への反射神経力は読解力に直結する。

僕にはこの反射神経が圧倒的に足りていなかった。

反射神経を高めなければ、時間内に全ての問題を解くことはできない。

僕の反射神経強化訓練がここに始まった。

続く

サウナ道~男たちの戦場~

サウナ そこは男の戦場。

数々の修羅場をくぐり抜けてきた

屈強な男たちが己の限界に挑戦する…


僕は生まれて22年間、いまだ理解できずにいた問いがあった。

なぜ人はサウナに魅せられるのか。

近年男たちの間でサウナ活動は「サ道」「整う」といった言葉と共に流行を博している。

僕はこの流行に強い疑念を持っていた。

僕は夏場の売りセンで部屋に入った途端、エアコンを最低温度にまで設定する男たちの姿を通じて、いかに男たちが暑さを嫌っているかを知っている。

もちろんサウナは暑い。

ではなぜ暑さを異常に嫌う男たちが暑いサウナを愛好するのか。

また「整う」という言葉も僕にはいまひとつ理解の及ばない概念であった。

一説によると高温のサウナと低温の水風呂を交互に入ることで「整う」という境地に達することができるらしい。

サウナを訪れるのは脂ぎった男たちが多数を占めている。

自らの脂ぎった身体すら整えられないのになぜサウナと水風呂を往復しただけで「整う」のか。

サウナについて考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。

おっさんを制する者が人生を制する

今後社会の荒波をくぐり抜けていくためには、金と権力を持つ男たちのトレンドに敏感になり、友好な関係を築くことが重要だ。

男たちのトレンドを理解する一環として、サウナの良さを知る必要があるかもしれない。

百聞はサウナに如かず。

僕は実際にサウナへ足を運ぶことにした。

早速サウナの情報を調べてみると、なんと横浜市に関東一冷たい水風呂を自称するサウナがあることを発見した。

その名もヨコヤマ・ユーランド鶴見 

スーパー銭湯元年と呼ばれる平成2年にオープンしたといういかにも脂ぎった男たちが集まりそうなサウナである。

僕は行き先を定め、電車とバスを乗り継ぎサウナへ向かった。

(ちなみにヨコヤマユーランドの水風呂が9度なのに対し、池袋かるまるの水風呂は7.6度なので、関東一冷たい水風呂はデマである)

出発から約30分、目的地に到着したという表示を確認し、顔をあげるとそこには若者を拒絶するかのような昭和の香り漂うスーパー銭湯があった。

ここは間違いなく男たちの巣窟だ。

僕はすぐに受け付けを済ませ、脱衣場へと向かった。

脱衣場に若者の姿は無かった。

恐らく平均年齢は50を越えているだろう。

男たちのトレンド検証にはぴったりだ。

そんなことを考えながらあられもない姿になった僕はサウナとの戦闘の準備を整えるために、スーパー銭湯名物の温泉に浸かることにした。

温泉にはぬる湯と熱湯があったが、丁度良い湯は無かった。

温泉に浸かっている間も、僕の視線は常に数々の湯を押し退け中央に鎮座する水風呂と次々と男たちが消えていくサウナに注がれていた。

サウナには何があるのか。

好奇心から来る高揚感は温泉以上に僕の身と心を温めた。

戦闘準備を整えた僕はサウナの扉に手をかけた。

そこには僕の想像を越える光景が広がっていた。

10畳そこらのサウナに脂ぎった男たちが所狭しと座っていた。

その息を切らし、汗を垂れ流す男苦しい様子は北京ゲイサウナを彷彿とさせた。

形の違いはあれサウナで見られる光景はどこも同じなのかもしれない。

僕は唯一空いていた一番熱い釜戸前に座り、男たちを観察した。

びっしょりと汗を流しじっと俯く男、息を切らして天を見上げる男。ひたすらに時計の針を見つめ、出る時間をいまかいまかと待つ男。

実に多様な男たちの姿がそこにはあった。

彼らみな己と戦っていた。

少しでも長くこの場にとどまろうと。

しかしまだ僕には彼らが戦う理由は分からなかった。

何のために? 何が楽しい?

そんな疑問を浮かべているうちにも釜戸の熱線は容赦なく僕を照りつけた。

僕は己の限界を感じ、一旦外へ飛び出した。

「水風呂無くしてサウナ語るべからず」

サウナ前には冷に餓えた男たちを待ち構えるかの如く、青々とした自称関東一冷たい水風呂が鎮座していた。

今までの水風呂はせいぜい15度そこらだった。

9度の水風呂は明らかに未体験ゾーンだ。

僕は近くのシャワーを浴びて水風呂の前に陣取った。

正直全く入りたくなかった。

しかしどこかのウメハラが言っていた「自分が嫌なことをやらなきゃ意味がない」という言葉が僕を奮い立たせた。

そうだ自分が嫌なことをやれ。じゃなきゃ新しい発見はない。

僕は意を決して水風呂に足を踏み入れた。

ヤバい。エグい。

水風呂に入り肩までつかると、僕は全身の筋肉が一気に引き締まるのを感じた。

氷水にいきなりぶちこまれる魚はこんな気分なんだろう。

僕は実の危険を感じ、15秒を経たないうちにすぐさま飛び出し、熱を求めてサウナへ逃げた。

なんだあれは。

サウナに逃げ込んでしばらく立ってもふくらはぎの張り詰めた感覚が残っていた。

あんなのにここの男たちは入り続けているのか。

僕は彼らに尊敬と畏怖の念を覚えた。

水風呂を経たからであろうか。

僕は最初に入った時よりもあまりサウナを熱く感じず、気づいた時には最初の倍近い時間サウナに滞在していた。

僕はここである新しい感情に出会った。

達成感だ。

以前よりも長い時間サウナにいたことから、自らの耐久力向上を実感し、僕は達成感を覚えていた。

ただ座っていただけなのに、自分が成長した感覚があった。

その感覚は僕がここ最近で得られていないものであった。

なんだこれは。

その後僕は意識的にサウナと水風呂を前回よりも長く入るように心掛けた。

10秒 20秒 30秒

3分 5分 7分

時間を意識することで圧倒的に苦しさは増した。

しかし自らの目標時間をクリアした時、確かに達成感と爽快感を得ている僕がいた。

これだ。

この感覚こそが世の男たちを魅了しているんだ。

サウナに訪れる男たちは圧倒的に中年以上が多い。

彼らは生活の中で、日々自らの衰えを感じ続けている。

人生のピークを終え、自らに迫り来る老いを淡々と待つ生活は残酷極まりない。

そんな中、彼らはサウナで「耐える」という単純な行動を通じて、自らの限界を越え、成長を感じる。

彼らにとってサウナは老いを感じ続ける日々に抗い、成長を目指すことのできる数少ない場所なのである。

ここはスーパー銭湯じゃない。

スーパー戦場なんだ。

無情な老いに抗う男たちが己の限界と戦う汗と涙の戦場なんだ。

そのことに気づいた僕の男たちへの印象は完全に変わっていた。

確かに彼らはみな脂ぎった体をしているかもしれない、しかしその体の中には老いてなお成長を目指すのを止めない屈強な精神力があるのだ。

僕にはこの男たちのような屈強な精神力はまだない。

サウナは人を強くする。

サウナの底知れる可能性を知ったサ道体験だった。