僕は人を叩けない

みなさんは僕の大学に最近こんな団体ができたことを知っているだろうか。

「早稲田から1トン減らす会」

「1トン減らす」というキャッチコピーのもと、大学内でダイエットに取り組みたい人たちを集める団体らしい。

僕はこの団体に激しい憤りを覚えた。

体重のせいで空気まで重くなっているとかいう謎理論を振りかざしダイエットを強要するエゴイズム、

「ダイエットに励む人を集める」という名目で興味を持った女性を集めて「そんなに太ってないよ~」とか言ってワンちゃん狙おうとする薄汚い魂胆。

僕は元々やせ形で特に夏は食欲が無くなり、体重が落ちやすい。

世の中僕のような元々やせ形で体重が減りやすい人間もいるのになぜここまで体重を減らす人間を持て囃そうとするのか。

みんながみんなダイエットしたいと思っている訳じゃないのになぜそこまでダイエットを強要するのか。

百歩譲ってダイエットがしたいなら、「早稲田」とかいう多数を巻き込もうとする単語を使わずに自分たちだけでやってれば良いのではないか。

僕は怒りに震え、すぐさま禁酒会のごとく「早稲田から1トン増やす会」を設立して、この減量ハラスメント団体をぶっ叩こうと考えた。

しかし僕にはできなかった

僕の「早稲田から1トン減らす会」への感情は必ずしも怒りだけという訳ではなかった。

もし感情のパーセンテージを表すなら90%は怒りやいらだちといったネガティブな感情だったかもしれない。

しかし残りの10%ほどの中に彼らへの尊敬の感情が確かにあった。

「早稲田を面白くしたい」という思いから団体を立ち上げる勇気。

今までなかった「ダイエット」を団体の目的とする斬新な企画力。

純粋に彼らの事を「すごい」と思っている自分もそこにはいた。

人間誰しも相手の事を完全に否定するタイミングというのは自分が100%正しいと確信している時だ。

僕はこの時自分が彼らを叩くという行為が100%自分の気持ちに従った行動であるかどうか確信が持てなかった。

だから僕は彼らを叩けなかった

僕は最近このような事が多くある。

Twitterのタイムラインには様々な人々の様々な考えが次々と僕を襲ってくる。

「夢追い人」の野心的なツイート。

「ネタツイッタラー」たちの使い古されたネタのネタツイート

「インフルエンサー」たちのポジティブ思考を強要する煽りツイート

相反する内容ばかりが流れてくるタイムラインでいちいち彼らのツイートに影響されてたら自分が何なのか分からなくなる。

そこで僕がとる方法は「否定」だ。

とりあえず流れてきた内容全てを否定的な態度で消化する。

「夢追い人」には「結局就活のネタ作りでしょ」と

「ネタツイッタラー」には「いいね欲しさの底が浅い承認欲求でしょ」と

「インフルエンサー」には「お前がインフルエンサーやれてるのはお前に影響されない奴のおかげだよ」と

はっきり言って支離滅裂だ。全てを否定すれば倫理的に無理が起きるのは当たり前だ。

でも仕方がない。誰かの意見を100%肯定してそれに従って行動してたらもはや僕は誰なのか分からなくなる。

「否定」は僕を守ってくれる唯一の道具なのだ。

けれども僕はここで彼らのツイートを批判しようとは全く思わない。

確かに僕は彼らのツイートを批判的に捉えている。しかし一方で僕はツイートをした彼らに尊敬心を抱いているのもまた事実だ。

「夢追い人」には「自分の夢を具体化してそれを周りに宣言する覚悟」 

「ネタツイッタラー」には「常にアンテナを張ってネタを収集する察知力」

「インフルエンサー」には 「周りに相手にされないことを恐れずに、自分の考えを語る勇気」

どれも僕には無いものだ

僕は彼らを否定する反面、僕に無いものを持つ彼らを尊敬している。

僕は100%彼らに批判的な訳ではない。

だから僕は彼らを叩けない。

否定とはリスクのある行為だ。

初対面の人間からいきなり自分の行動を否定されれば誰しも不快な気分になる。

一方で称賛は相手の気分を害することは少ない。

だから僕を含めて多くの人は相手に対する否定的な側面は無視して、尊敬できる側面に目を向けて無難に褒める。

否定的なことばかり言っている人間は「ネガティブ」「すぐ否定から入る」といって煙たがられる。

ネットの掲示板を見ればレスバトルだらけでも街に出ればケンカをしている人は少ないのはみんな否定的な側面を隠しているからなんだと思う。

「尊敬」「否定」「誇らしさ」「嫉妬」

人が人に対して抱く感情は本当に多種多様だ。

梅雨のジメジメした雰囲気に誘われてふとそんなことを考えてしまった。


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