「くだらないことを愛せない人生が一番くだらない」カテゴリーアーカイブ

フランクフルトで僕のフランクフルトは暴発した

「I’m com………」

この続きを言い遂げることはなかった。

2021/9/10

ケルンでの思わぬ出合いによって旅の不確実性を改めて痛感した僕は再び確実性を求め、予定通り次なる目的地であるフランクフルトにやって来た。

フランクフルトでフランクフルトを食う。

フランクフルトという地名を知った日本人が誰もは一度は思い浮かんでしまう陳腐なダジャレ。

しかしそんな古く腐ったダジャレだって時には大いに役立つことだってある。

僕が海外への旅に興味を持ったきっかけの一つは中文コースで知ったあるダジャレだった。

カタールで語る

いま思い返してみると全く面白くない言葉の羅列であるが、このダジャレが流行った大学2年時は「カタールで語るって何だよ」とゲラゲラ笑いこけていた。

そして笑っているうちに僕たちは「いつかカタールに行って本気で語ろう」と誓った。

某じょん怒涛の投稿

地名にまつわるダジャレを実現するためだけに海外に飛ぶ。

たった一瞬のダジャレに懸ける想いの強さに僕は強い感銘を受けた。

その時以降、僕の人生の楽しみの一つに海外にまつわるダジャレを実現するというものが加わった。

ついに訪れたフランクフルト。

願い焦がれたカタールではないが、この地もまたダジャレにふさわしい街であるに違いない。

フランクフルトに到着した僕は駅前に並んだ屋台で早速フランクフルトを購入し、フランクフルト中央駅で食した。

3ユーロ(1ユーロは130円)

フランクフルトの中心で食べたフランクフルトはいつにもまして美味な気がした。

こうして僕は長年の夢であったダジャレ再現をあっさりと達成した。

いやまだ達成していない。

フランクフルトは食べるだけじゃない。

健康な大和男児として生まれた僕は立派なフランクフルトを持っている。

このフランクフルトという地でこいつをフルスイングしないでどうする。

今見せろ お前の底力を 突き進め 勝利を掴み取れ

フランクフルトでフランクフルトを振る。

僕のフランクフルト旅が始まりを告げた。

予定では僕はフランクフルトに2日間滞在することになっていた。

とはいえ僕は既にフランクフルトで果たしたい2つの目的のうち1つを終えている。

フルスイングを見せるならやはり最終日の夜がふさわしい。

となれば僕に必要なことは1つ

鍛錬

ミスターフルスイングこと小笠原道大氏は結果を残すうえで必要なことを下記のように語っている

目の前のことをしっかり、一瞬、一瞬のプレーに気を抜かずにやる。そうすれば自ずと光は見えてくる

勝負のかかる場面で全身全霊のフルスイングを見せるためには日頃の鍛錬が欠かせないのだ。

僕はこのガッツ溢れる和製大砲の教えに習い、残りの2日間を自らの鍛錬に当てることに決めた。

ブログの更新やイギリス入国申請フォームの作成といった目の前の課題を確実に消化することによって心理面での充実を図る鍛錬。

8人部屋という劣悪な環境の中でも人がいなくっなった瞬間を逃さずに素振りをするといった技術面の鍛錬。

10時に寝て7時に起きる、3食必ず肉を食べるといった健全な生活による肉体面の充実を図る鍛錬。

以上のような「心技体」全ての強化を狙った鍛錬を僕は果たした。

そして運命の時がやって来た。

9/10 pm 19:00

心身ともに充足した僕は己の中の漢を滾らせつつ、地下鉄に乗り込み、決戦の地 エフ・カー・カーパレスドーム へ向かった。

しかしここで思わぬハプニングが発生してしまう。

パレスドーム最寄りの駅を降りるとまるでまさかの豪雨。

大粒の雨に苛まれた人々は着の身着の儘で駅構内に次々と駆け込む。

最寄りとはいえ駅からパレスドームまでは歩いて20分。

この豪雨で移動すれば、心理面の動揺は避けられないだろう。

僕は充足した思考力をフル回転させ、突然振り始めたという点とにわか雨の可能性ありという天気予報を考慮し、この雨はすぐに止むので駅で待つべしという結論を導き出した。

天気的中 海谷采配 冴えわたる 

僕の見立ての通り、ものの10分ほどで雨は小康状態となり、駅構内へ逃げ込んだ人々もそれぞれの目的地へと旅立っていった。

今日は冴えてるぞ。

心技体の充足に加えて第六感の覚醒。

僕はこの先に待っている素晴らしい未来を予感しないにはいられなかった。

そして旅立つ人々と共に、中断を経た僕も再び決戦の地への歩みを進め始めた。

時節 巨大な水溜りに悪戦苦闘しながらも歩くこと20分。ついにエフ・カー・カーパレスドームが僕の前に現れた。

煌めく鮮やかな桃色光線、次々とドームへ吸い込まれていく熱く燃える漢たち。

どれもこの地が漢たちの戦場であることを強く示していた。

僕も今日はその勇猛な戦士の1人だ。

見せつけてやれパワフルスイング。

僕は覚悟を決め、パレスドームの門をくぐった

受付には今後の楽園を予感させる妙に落ち着いた老人と漢たちの戦いを支える現金自動預け払い機が置かれていた。

僕は昨日取得した陰性証明と75ユーロを提出し、タオルと館内着を受け取り、受付を終えた。

受付を終え、奥に進むと右側に簡易な仕切りを挟んで異常な桃色光線を発する空間が存在しているのか分かった。

あそこか

自らの戦いの地を察した僕は右側とは対照的な白熱電球の灯るロッカールームへ向かった。

妙な心臓の高まりが僕を襲っていた。

着換え、シャワー、歯磨き。

これまで人生で何千回、何万回と繰り返してきた動作のはずなのに今日は何だかスムーズにいかない。

ロッカーに入れるはずの物を入れ忘れたり、2回シャンプーをしてしまうといった初歩的なミスが止まらない。

これが戦場に向かう漢たちにやってくる緊張か。

僕は自らが強いプレッシャーに晒されていることを実感した。

こうして僕は通常よりも長い時間をかけて一連の準備を終えた。

次に待っているのはもうあの空間だけだ。

僕は速まり続ける心臓の鼓動を感じつつも、何も感じていないような素振りでスタスタと桃色空間へ足を踏み入れた。

チンコ!マンコ!

緊張の面持ちを隠しきれない僕のもとに開口一番痛烈な打球が襲った。

思わず打球の方向を見るとそこには下着一枚の金髪美女がバーカウンターに腰掛け、手招きをしていた。

流石はパレスドーム。やってくれるじゃないか。

僕は思わぬ先制パンチに驚きつつも、この場所が自らの期待に合った場所であることを実感した。

桃色空間はバーテンダーを中心に円上にカウンターが並んだ洒落たバーといっても差し支えない場所であった。

ある一点を除けば。

その一点はもちろん女性たちの存在だ。

彼女たちは下着一枚の状態でバーカウンターに陣取り会話に興じていた。

まずは観察から。

ひとまず僕はバーカウンターを1週し、どのような女性が存在しているのか確認した。

カウンターに座る女性はみな白人で、光輝く肌を持った方から深い皺が刻み込まれた方まで幅広い年代の方が存在していた。

彼女らは一見何の気もないようにカウンターに座り、酒を嗜み、お喋りに興じているが、僕が近くを通ると途端に目の色を変え、愛想の良い挨拶をよこした。

漢としての決意を固め、入店したはずの僕であったが、白人美女に愛想を振りまかれ続けるという人生初イベントにすっかり怯みきり、挨拶を返すだけで精一杯になってしまった。

このままではフルスイングどころではない。

僕には精神をととのえる必要があった。

僕はバーカウンターの奥にあったサウナに向かい、再び漢としての準備を行うことにした。

どうしたんだ海谷 何のためのエフカーカーなんだ。

僕はアチスなサウナに入りつつ自らに問いかけた。

僕はこのフランクフルトという地で自らのフランクフルトをフルスイングする。

目標は単純明快だ。

怯んでる場合じゃないんだ。

GO海谷 全力で走れ GO海谷 全力で飛ばせ

僕は漢としての魂を奮い立たせ、再びあのバーカウンターへ全力で帰った。

そして今度は1人の女性の手をとった。

彼女はアレクサと名乗った。

ミラ・ジョボヴィッチ風の長身白人美女であった彼女は僕が日本人であることが分かると、例のごとく「チンコ! マンコ!」と語りかけ、「元彼は日本人だった」という嘘か真か分からない話を披露した。

そして僕の手をとり、「サイエンスムービーを観よう」と言って小さなシアタールームに案内した。

シアタールームには男女が生命を作り出すために行う活動を撮ったサイエンスムービーが流れていた。

彼女と僕は部屋の隅に座り、年齢や職業といった風俗風会話を始めた。

そして会話が終わりに差し掛かると彼女は徐々に僕の下半身に手を伸ばした。

僕のバットは立ち上がった。

僕もやはり漢だったんだ。

彼女は僕の構えが出来たことを確認すると、再び僕の手をとり、今度はバッターボックスがあるだけの個室に案内し、鍵をかけた。

お膳立ては整った。後は役目を果たすだけ。

僕は料金の確認を手短に済ませ、バッターボックスで大の字に構えた。

彼女は自らの手と口でバットの最終調整を行った。

そして僕は彼女の中を捉えた。

彼女の激しい腰の振りから繰り出される直球に僕のバットは開始早々既に粉砕寸前であった。

ヤバい。このままでは

僕は自らのバットの耐久力を考慮し、力まかせにフルスイングした。

やみくもに振ること数回。

あの感覚が僕を襲った。

「im com…! Ahh…」

僕は暴発した。

僕の渾身のフルスイングを見届けた彼女はこれまでの親しげな態度が嘘のように淡々とした様子で後処理を済ませた。

僕は先月某りんと熊本に行った際に彼が風俗店で暴発した話を思い出した。

あの時 僕は「暴発? 情けないなぁ」と彼を笑っていた。

しかし 今はどうだろう。

暴発を馬鹿にしていた僕がいとも簡単に暴発したのだ。

情けない。情けない気持ちでいっぱいだ。

僕はフルスイングを果たした喜びよりも暴発してしまった悲しみにうなだれていた。

僕は早く漏れてしまう人間なんだ。

ここにきて僕は自らの性質を再確認することになった。

そして僕の財布から50ユーロが消えた。


ドイツ・デュッセルドルフ 〜入国審査と巨大ケバブ〜

アムステルダムを離れた僕が次に向かった地はドイツ・デュッセルドルフだった。

ドイツの西側に位置するデュッセルドルフはアムステルダムからバスで4時間ほどと非常にアクセスが良く、ドイツ旅を始めるうえで絶好の都市であると感じた。

一方で僕はドイツへと移動に関して若干の不安を抱いていた。

というのもドイツが9/5から日本を「コロナウィルスハイリスク国」に指定したからだ。

詳細を確認すると、入国前10日以内にハイリスク国に滞在していることが発覚した場合、自己隔離が必要とのことだった。

僕自身も渡航前から再三再四情報を確認し続けていたが、僕が空の世界に隔離されていた間に発表がなされてしまった。

僕の旅はオランダで終了してしまうのか。まだ始まって3日も経ていないのに。

オランダの雲ひとつない青空とは対照的に僕の旅に一群の暗雲の立ち込み始めた。

まあどうなったて良いだろ。突飛なことは全てブログに書いてしまえばいい。

「不安に駆られても何の意味も無い。予約は取ったのでとりあえずバスに乗ろう。」

僕は悪を引き起こそうと奔走する自らの思考を放棄し、足早にバスに乗り込んだ。

バスはロッテルダムやらネイメーヘンやら様々なオランダの都市を寄りながら、様々な不安で揺れ動く僕の思考のように曲線的な線を描いて進んでいった。

そして迫る国境線。

ここで降ろされたら”旅”が始まるな。

僕は不安と一抹のワクワク感を抱え、バスに揺られていた

そんな僕の焦燥をよそにバスは何者にも遮られることなくあっさりと国境線を突破した。

僕に起きた変化といえば、オランダで買ったsimカードが全く繋がらなくなったぐらいであった。

バス停に何かがあるのか。国境線を超え、安心した東洋人を絶望の淵に叩き落とす何かが。

僕の疑心は大いに膨らみを続けていたが、バスもまた決められた道順をひたすらに走り続け、ついにデュッセルドルフに到着した。

停留所が数個置かれただけのバス停に到着すると、バスのドアが一斉に開放された。人々は我先にと荷物を背負い素早くバスを降り、各方向に散っていった。

そこに待っているものは何もなかった。

何かが待っていると勝手に妄信していた僕は呆気にとられた。

人間は得てして予期せぬ自由に弱い。

僕はデュッセルドルフに着いてからのことをほとんど想定していなかった。

人々に押されひとまずバスを出た僕ができることは限られていた。

宿の名前は? 所在地は? 腹減ったな飯は?

僕は適当に街を歩きながら、一旦フリーズした脳を再活動させ、次の行程を考えた。

しかし何か物事を考えるには僕の脳は疲弊し過ぎていたし、どこかへ足を延ばすには僕の腹は減りすぎていた。

幸いなことにバス停は食事処も多い市の中心にあった。

ただ適当に歩くだけで様々な食事処が僕の目に飛び込んでくる

その中で僕の目を最も引いた食べ物があった。

ケバブ

そうかつて僕が漢のロマンを追い求め作り上げた食事

あの時も全く焼けることのないケバブ肉を見て呆気にとられていたものだった。

肉だ。デカい肉は全てを解決する。

例のごとくこのレストランにも巨大なケバブ肉が鎮座していた。

僕は迷わずケバブサンドを注文した。

これまた例のごとくトルコ系の従業員は慣れた手付きで肉を切り、野菜などと共にパンへぶち込んだ。

そして例に外れた無茶苦茶なサイズのケバブサンドが僕の前に現れた。

3.5ユーロ(440円)異常に安い

デカい。異常にデカい。もはやサンドできていない。呆気にとられた思考を取り戻すために食べるケバブを見て僕は再び呆気にとられてしまった。

もう呆気にとられている暇はないんだ。目の前に飯があったらやることは一つ。

食う。

僕は服や顔が汚れるハイリスクを恐れずにひたすらかぶりついた。

旨い 旨い。

僕の脳腹へ急速にエネルギーが溜まっていった。

そうだ僕はドイツに入国したんだ。

もう僕は自由の身なんだ。

エネルギーを取り戻した僕の脳はあらゆる事実を素早く処理した。

瞬く間にケバブを平らげた僕は足早に宿へと向かった。

ドイツ旅はまだ始まったばかりだ。続く

快楽と開放の街アムステルダムpart1 〜開放を求めて〜

2021年8月 僕は強い閉塞感を抱いていた。

長く険しい就職活動が終わりを告げてからというもの、僕はウメハラらと共に中文というコミュニティを盛り上げるために奔走した。

飲み会、高尾山、流しそうめん 思いついたアイデアは何でも実行に移した。の

奔走の成果もあり、ほんの1年前まで荒廃し閑散しきっていた中文コースには多くのニュー・カマー達が集まり、従来では想像できないほどの活気が戻りつつあった。

しかし楽しい日々はそう長くは続かないのが世の常というものである。

例にもごとく中文コースはコース集まりの弱点でもある夏休み突入による集合口実の減少によって急速に集合率が悪化し、下火となっていった。

中文歴5年の僕にもなればこの流れが起きることは想定の範囲内だった。夏休みに「みんなで」「大勢で」なんて楽しみを期待してはならないのだ。

集まりの減少を見越して、僕は夏休みに関していくつかの予定を立てていた。

予定調和を愛するな。

某編集者がかつて声高に主張していた言葉だ。

その編集者を初めて知った時は僕も彼の世間の常識を打ち破る姿に感銘を受け、バカの一つ覚えのごとく「予定調和を愛するな」と吹聴し続けていた。

実際に今夏の予定調和は見事に崩れた。

夏の一番天気が良いタイミングだろうと見越して予定を立てた無人島サバイバル企画は季節外れの長雨により無念の延期となった。

8月のうちにできるだけ稼ぐという目論見もお盆中の発熱により志し半ばでの中断を余儀なくされた。

いざ予定調和が崩れた時に僕を襲った感情は喜びではなかった。

そこにあったのは閉塞感、端的に言えばシブさそのものだった。

店はやってない、長雨ばかり、自粛ムード

シブい。冷静にシブい。いつから日本はこんなシブい国になってしまったのか。日本に来た留学生が口を揃えて「日本は楽しい」と語っていたあの国はどこへいってしまったのか。

ぶつけようのない怒りとやり切れない閉塞感が僕を襲った。

そんな時にふと目に移ったのはイギリスのサッカーリーグでマスクもつけずに騒ぎ叫ぶ人々の姿だった。

彼らは自粛だとか医療崩壊だとか何も考えずに自分のしたいことを思う存分楽しんでいた。

欲しい。いま僕が欲しいのはこの環境なんだ。

彼らの本能に従って人生を謳歌する姿は僕の欧州旅行への士気を大いに高めた。

この閉塞感を打破するには環境を変えるしかない。

日本がダメならヨーロッパだ。

世界は広いんだ。自粛を愛する日本に留まり続ける必要はないんだ。

僕の閉塞感は少しづつ開放の瞬間を待っていた。

そして9月某日。ついに待ちに待った渡航の日がやってきた。

続く

すね毛と共に生きてゆく

すね毛

この世に生を受けて23年、僕はこのたった数センチの黒い物体に苦しみ続けてきた。

話は小学校時代に遡る。

父親の剛毛遺伝子をふんだんに受けついだ僕は学年が上がるにつれてその突出した毛量で他の児童たちを圧倒するようになっていった。

友人たちの足と比べて漆黒に染まった我が足を見て落胆することはあったものも、当時はまだまだ無邪気な小学生。

すね毛いじりもせいぜいたまに毛を抜かれる程度で、露骨な悪意を感じるものは少なく、僕が抱いた苦しみもわずかなものであった。

そんな僕の小さな欠点意識を明確なコンプレックスと変えた場所があった。

そう かの悪名高き横浜市立岡野中学校だ。

中学校ではバスケットボール部に入部した。

バスケでは練習着が短パンになるため、僕の剛毛っぷりがより強調されやすい状態となってしまった。

そんな僕の剛毛を人の粗探しに命をかけるただ歳が1つ上であるだけな奴らが見逃すはずはなかった。

「先輩命令」

彼らはこの文句を馬鹿の1つ覚えのごとく乱用し、僕に対してテーピングやガムテープを足に貼り付けて剥がす「テープすね芸」を強要した。

ことあるごとに激痛と嘲笑に苛まれた僕はすっかり自らのすね毛に対してコンプレックスを抱くようになってしまった。

あれから何年もの月日がたった。

公立中学校という「魔界」を抜けて以降、「テープすね芸」を披露することはなくなった。

しかし僕のすね毛は抜けること無く増え続け、一度植え付けられたコンプレックスも抜けることはなかった。

バスケサークルでの練習やyoutubeのすね毛脱毛広告を見るたびに自らの剛毛が僕の脳裏によぎった。

もちろんこれまですね毛を無くそうとしたことは何度もある。

髭剃りに除毛クリーム、ブラジリアンワックス。

どの方法も僕の剛毛が持つ雑草魂に勝つことはできず、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに僕の肌と心は荒れ果て、除毛断念を余儀なくされた。

いつしか僕は男某場で言われた「毛は男らしさ」という言葉を妄信し、コンプレックスを覆い隠そうとしていた。

そんな僕に転機をもたらしたのは家で唯一の話し相手である妹だった。

例のごとく海谷家の宿命であるすね毛を継承してしまった妹は、これまた例のごとく公立中学校に通い始めてからすね毛を気にするようになり、脱毛を始めた。

脱毛に成功して以来、ことあるごとに妹は僕の足を見て「やばい」「こうはなりたくない」と指摘するようになった。

当初はいつもの「すね毛は男らしさ」というバカの1つ覚えで対処していたが、何度も指摘されるにつれて僕の覆いが少しずつ取れていくような感覚があった。

そしていつものようにgorogoroを満喫していたある日、ふと僕はすね毛に関心を抱き、検索エンジンを開いた。

「すね毛 処理 メンズ」

久しぶりにすね毛処理界隈を覗いてみると、界隈は進化を遂げ、様々な処理方法が発達していることが分かった。

その中でもある画期的な方法が僕の目に止まった。

「脱色」

僕はこれまで毛を無くすことに囚われ、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに肌と心が負けるという流れに苦しんでいた。

男なら誰でもすね毛は生えている。

何もすね毛を無くす必要は無いのだ。

異常な剛毛であることが見透かされなければ良いのである。

新たな可能性の登場に心踊った僕はジャングルに向かい、脱色剤を購入した。

脱は急げ 剛毛から中毛へ スピード! スピード!

長年の苦しみを解放する瞬間がついに訪れる

感情の高ぶりが抑えきれない僕は脱色剤が到着した夜、すぐさま脱色への扉を開いた。

すね毛たちも心なしか脱色を待ち望んでいるようだ。

まずは説明書の通りに付属のカップの容量に合わせて液体を混ぜ合わせ脱色液を錬成した。

こいつが僕を苦しみから解放するのか。ただの白い液体なはずなのに何だかとても頼もしい存在に覚えた。

液を作って安心したのも束の間、すぐさま新たな問題が発生した。

完全な液不足

写真で勘づいた方もいたかもしれないが、あのカップ程度の液量で僕の剛毛を脱色するなど到底不可能だ。

何が説明書だ 剛毛なめんな クソくらえ 

説明書の剛毛想定力の低さに遺憾の意を覚えた僕は残っていた液を全てカップにぶちこみ、剛毛仕様の脱色剤を完成させた。

後は塗るだけ。

僕はあの頃の嘲笑の日々を頭に浮かべつつ、もう一度新たなすね毛との関係性を求め、一心不乱に液を足に塗りたくった。

悪黒に染まったすね毛どもよ 今こそ正義の白を手にするにあらん。

僕は新たな脱色毛を手にし、二度と剛毛呼ばわりの屈辱を受けない はずだった‥

そこに待っていたのはあまりにも微妙な結果であった

脱色後の足がこちらである。

微妙だ 限り無く失敗に近い微妙である

確かによく見ると最初の写真に比べて薄くなっているような気もする。

しかし僕が求めていたのはこんな微妙な結果ではない。

求めていたのはこれまでの悪夢を払拭するような爽やかな白だ。

徒労感、虚しさ、無念さ 様々な感情が代わる代わる僕を襲った。

僕は母と妹に批判を受けながら50分間、風呂場にこもった。

手に入れたのは茶髪のすね毛。

もうやめよう。僕はこれからもすね毛と向き合って生きてゆくしかないんだ。

「トウマくん 毛が大好きなお客さんもいるから絶対剃っちゃダメだよ」

ふと彼の言葉が脳裏をよぎった。

2年の月日で変わったのと変わらないもの

6月某日 都内近郊某大学説明会にて

「困っている学生を助けることができるのが大学職員の一番の魅力です。」

彼は親の敵のごとく忌避していたスーツを羽織り、淀みなく言い切った。

2019年 夏

僕たちは尖りに尖っていた。

「早稲田から1トン増やす会」を作り、ちゃんこ配布企画、ハチミツパン配布企画、そしてプール企画、ありとあらゆる企画を実行した。

新たな企画を生み出し続ける楽しさは何ものにも変えがたい経験であったし、学生生活を振り返った時、真っ先に思い浮かぶ場面の1つであろう。

しかしそんな僕たちのささやかな楽しさに水を差し続けていた存在がいた。

そう 他でもない大学職員だ。

バナナ配布企画では職員室呼び出し、ちゃんこ配布企画では警備員を派遣し撤収強要、極めつけはプール企画での人格否定。 

彼らはことあるごとに僕たちの前に現れ、楽しさを奪っていった。

「大学職員はつまらん奴ら」「あんな風になったら終わりだ」

僕たちはそんな恨み口を言っては大学職員に妨害された憎しみを晴らしていた。 

「あいつらがいなければ」そんな感情を抱いたことも一度や二度ではなかった。

当時の僕たちにとって大学職員は僕たちを困らせる「天敵」であったのだ。

それからいくぶん月日が経った。

どのような心境の変化があったか定かではないが彼は大学職員になった。

そしてこの瞬間 彼は未来の「天敵候補」たちに向けて大学職員の魅力を語っている。

あの時、恨み、憎しみ、蔑んだ「大学職員」に対して。

面白い。最高に意味不明だ。

彼の2年がかりの壮大なギャグは僕の笑いのツボを破壊するに十分なものであった。

いま目の前で「大学職員」の魅力を話す彼の姿と2年前「天敵」に向けて憎悪を向ける彼の姿が交互に現れる。

ダメだ。面白すぎる。

いまこの世界の誰よりも意味不明で面白いのは君だ。

#絶対に笑ってはいけない説明会

僕は彼のあまりの変化に対して心の中で大いに爆笑した。

ただその一方で 

ほんの少しだけ「さみしさ」を感じた。

天敵への憎しみを共有し、「無意味でくだらない」ことへ全力投球したあの時の彼といまの彼は違う。

1人の男として社会で生き抜くために過去の想いには触れず、大学職員の仕事を楽しんでいる。

いや彼だけじゃない。僕もだ。

以前の僕だったら天敵の魅力を雄弁に語る彼の姿に面白さを感じることはないだろう。

「そんなんはつまんねーよ」と一刀両断して、「AV出ろよ」とか面白いことの実現を強要しているだろう。

でもいまの僕は彼の変わり身っぷりに面白さを感じ、ゲラゲラ笑っている。

2年という短い月日の中で僕たちは変わった。

もう互いに社会に一泡吹かせようと結束することは無いかもしれない。

ただ僕たちの関係性は今も続いている。

今後も互いに変わり続けていくだろう。

それでも関係性だけは切れないなら良いんじゃないかと僕は思っている。

スーパーパンプマックスの使い方を考える その2

前回に引き続きスーパーパンプマックスの効能について考えていきたいと思う。

前回の即興パンプ体験では以下のことが分かった。

  • 心臓のパンプスピード向上
  • 行動力向上
  • パワー向上
  • 思考力の低下

この特徴を考慮した時、スーパーパンプマックスが力を発揮する機会とは何か。

思考力低下の副作用ゆえに知能労働は向かない。

知能がダメならパワーだ。

知恵よりパワー。パワーは全てを解決する。

やはりスーパーパンプマックスはパワーを発揮する分野で力を授けてくれるはずだ。

しかし僕はあいにくトレーニーでないので、日常でパワーを求められる機会はない。

いや 違う。僕は自らのパワー不足を言い訳にパワーを伴う活動を避けているだけじゃないのか。

自分のパワー不足からパワー労働に逃げているだけだろ。

パワーがあったらしたいことは必ずあるんだ。

スーパーパンプマックスがある今ならできる。何でもできるんだ。

僕はパワーがあったらやりたいこと。

僕の頭に真っ先に浮かんだものがあった。

瓦割り

僕は幼少期からテレビや映画で登場する瓦割りに対して密かな憧れを抱いていた。

最強にパンプした屈強な人々が己の拳のみで頑丈な瓦板を粉砕する。

その人間は非力であるという常識を根底から覆す爽快な破壊っぷりは僕の心を揺さぶった。

瓦を割りたい。

最強にパンプした僕ならできるはずだ。

パワーがあれば夢は叶う。

こうして僕は瓦割りへの挑戦を決意した。

瓦割りとは言ってもまずどこに瓦を割れる場所があるのか。

調査を進めていくとなんと浅草に瓦割りを体験できる場所があることが分かった。

世の中はやはりパワー優先だ。

パワー系たちを満たすニーズは必ずある。

僕は予約を取ろうとwebサイトを訪問したが、当日申し込みのみで、予約は受け付けていないようだった。

流石パワー系客層を持っているだけある。パワー系にとって瓦は割りたい時に割るもの。予約という概念が通用しないのだろう。

僕は予約を諦め、一路浅草へ向かうことにした。

浅草駅から店までは約10分。

僕はスーパーパンプマックスの効果が現れる時間を考え、新橋駅でパンプを注入した。

新卒駅から浅草駅まで約10分

浅草駅に到着するころには既に僕のパンプは始まっていた。

まんぼうなんてどこ吹く風、浅草周辺は和風かぶれの小日本人がわんさか沸いていた。

「全員ぶっ飛ばす」

パンプが止まらない。

僕は通りかかった小日本人たちの頭を片っ端からカチ割りたい気持ちでいっぱいだった。

暴れるパンプを必死に抑えながら歩くこと10分、ようやく瓦割り店が現れた。

やっと瓦が割れる。やっぱりカチ割るのは頭ではなく瓦だ。

僕の割りベーションは最高潮に達していた。

しかし

そこに待ち受けていたのは厳しい現実だった。

はいぐ~「瓦割りがしたいです。」

店員 「あ~ 今からだと一時間半待ちですね」

一時間半待ち!?

今日ほどストレス社会の現実を思い知った日はないだろう。

世の中には瓦を割らなければ生きてゆけないほど鬱屈としている人々が大勢いるのだ。

僕が単に観光で浅草に来ているのなら、一時間半なんてどうってことない。

しかし今日はパンプを入れているのだ。

パンプの効果時間には限りがある。

そう パンプは待ってくれないんだ。

僕は泣く泣く瓦割りを諦めた。

店を出た僕は失意のまま浅草の街を歩いた。

気持ちは落ち込んでいる。でも体は動きたがっている。

僕の中のパンプが解放してくれと叫んでいる。

#パンプが叫びたがってるんだ。

そんな心体不一致な僕の目の前にある思い入れの深い施設が現れた。

バッティングセンター

僕が以前 反射神経向上を目標に通った思い出の施設だ

当日は140kmの豪速球に手も足も出なかった。

でも最強にパンプした今なら…

パンプの結果を試すにはうってつけの施設だ。

打ってやる 140km 打ってやる

僕の心が再びパンプを始めた。

心と体の一致を果たした僕はギラギラとした雰囲気を纏わせ、バッティングセンターに入った。

しかし

そこで待っていたのはまたしても残酷な現実だった。

混雑 圧倒的混雑。

打撃成績をパンプしたい少年たちが黙々と鍛練を重ねる場であるはずのバッティングセンターは老脈男女が入り乱れる娯楽施設へと姿を変えていた。

これでは僕の打席がいつ回ってくるのか想像もつかない。

何度でも言おう。

パンプは待ってくれないんだ。

僕は再び失意のままバッティングセンターを後にしようとした。

だがその時 僕の視線の先にある娯楽が登場した。

「ザ・握力」

中央にあるレバーを力いっぱい握るだけという思考力を問わない簡素な構造。己の肉体をこれでもかと見せつけるパンプ感あるキャラクター。

僕のパンプ効果を測るにはぴったりの存在だと感じた。

そうだ。力を測るうえで何もバッティングである必要はない。

すっかりこの「ザ・握力」に魅了された僕はコインを入れ、画面の指示通り力いっぱいレバーを握った。

見ろ これが僕のパンプだ!!

47kg

あまりにも微妙な結果に僕はしばし唖然とした。

そうか スーパーパンプマックスは普段から鍛練を重ねる者にパワーを授けてくれるのであって、普段からゴロゴロ生活をしている者を一瞬で強くするサプリメントではないのだ。

ゴロゴロ民が飲んだところでせいぜい強くなった気がするだけだ。

ただその一方でスーパーパンプマックスがなかったとしたら、瓦割りに興味を持つこともなかったし、浅草に行くこともなかった。

そして何よりこの記事を書くこともなかっただろう。

僕はスーパーパンプマックスの真の効能はここにあると考える。

自分が普段しないことに挑戦する勇気をくれる。

これこそがスーパーパンプマックスの真の効能なのだ。

スーパーパンプマックス。ぜひ一度お試しあれ。

スーパーパンプマックスの使い方を考える その1

世の中には 漢としての血が滾る言葉がある。

スーパーパンプマックス

話は3月上旬に遡る。

僕は友人のこんりんと共にサウナの聖地「しきじ」を訪れた。

食事→サウナ→電車内うたた寝という至って平和な旅の終わり、彼は衝撃の告白をした。

「俺 薬物中毒なんだよね」

聞くところによると彼は筋肉増強を目指すがあまり、多くのサプリメント摂取に依存した生活を送るようになったという。

そんな彼が必死に購入欲望を抑えているサプリメントがあった。

スーパーパンプマックス

「スーパー」「パンプ」「マックス」強そうな言葉をこれでもかと並べた「ぼくのかんがえたさいきょうサプリメント」的ネーミング。

「パンプ感」という日常生活ではまず目にしないであろう宣伝文句。

どれも僕をスーパーパンプマックスの虜にするに十分な要素であった。

いったいこいつは僕の体にどんな革命を起こしてくれるのか?

効果を知りたきゃ買え。

僕はスーパーパンプマックスを購入した。

購入から1週間ほどたったある日、スーパーパンプマックスは唐突にやってきた。

レッド&ブルーという食品とは思えない毒々しいコントラスト、中央に堂々と鎮座する「スーパーパンプマックス」の文字。

宣伝写真をも上回る圧倒的な存在感だ。

流石「スーパーパンプマックス」期待を裏切らない。

僕はスーパーパンプマックスの素晴らしい容貌に感動し、撮影を繰り返した。

「さてこいつをどう使おうか」

「スーパーパンプマックス」を使用したトレーニーによると、スーパーパンプマックスには以下のような効果があるようだった。

スーパーパンプマックスの効能は?

・超パンプするぜ!

・集中力があっぷして筋トレしまくれるぜ!

・筋肉痛と疲労もなくなるぜ!

・いやっほぉぉぉ!

彼はトレーニング前に飲むことを推奨していたが、僕はあいにく トレーニーでもなんでもないただのはいぐ~だ。

トレーニング前に使うという概念は存在しない。

それよりもこれだけ素晴らしい効能がある「スーパーパンプマックス」をトレーニングだけにしか使わないというのは脳筋にもほどがある。

トレーニング以外にも何か「スーパーパンプマックス」が役立つ瞬間があるはずだ。

世界中の人々が「スーパーパンプマックス」を愛飲する世の中を作るために、「スーパーパンプマックス」の素晴らしい使い方を考案しよう。

まず僕はスーパーパンプマックスの「集中力向上」という効果に注目した。

「集中力向上」はパワーだけではなくインテリジェンスにも応用できるのではないか。

短い時間で次々と問題が現れる性質ゆえに、多くの集中力を必要とするWEBテスト。

その難しさゆえに悩める就活生も多いはずだ。

「スーパーパンプマックス」によって集中力が高まり、WEBテストで力を発揮できるなら、就活生にとって「スーパーパンプマックス」は欠かせないものになるはずだ。

僕はまずWEBテスト前に「スーパーパンプマックス」を飲むことにした。

聞くところによると「スーパーパンプマックス」はトレーニング30分前に最も力を発揮するらしい。

僕は推奨通りWEBテスト30分前に「スーパーパンプマックス」を飲んだ。

味はグレープフルーツの苦みだけを濃縮したような味で口が裂けても、美味しいとは言えない。

しかし効果さえあれば美味しさなど関係ないことは既にプロテインが証明している。

大事なのは効果だ。

飲んでから10分ほどで僕の体に変化が現れ始めた。

「心臓のパンプが速い」

凄まじい心臓の鼓動。ここまでパンプしているのは「人妻パラダイス」前にマムシドリンクを飲んで以来だ。

心臓のパンプが上がるにつれて、やる気のパンプも上がってきた。

WEBテストやりたい WEBテストやりたい 

人生でこれほどWEBテストを受けたくなったのは初めてだろう。

なんだか今なら凄い点数がとれる気がする。

僕は30分をも待たずに、自室の机に飛び乗り、WEBテストを開始した。

しかしテスト開始直後、重大な欠陥に気づいた。

「思考がまとまらない」

「スーパーパンプマックス」の効果により、心臓とやる気のパンプは大いに高まったが、その代償に思考力のパンプが大いに下がってしまった。

文章の内容が全く頭に入ってこないし、メモをとる量は増えたが、内容は支離滅裂だった。

唯一効果があるとすれば、クリック力が上がり、確実に選択肢をクリックできるようになったぐらいだろう。

「スーパーパンプマックス」が高めた集中力は思考力を犠牲にして成り立っていたのだ。

思考力を問う課題に「スーパーパンプマックス」は向かない。

では「スーパーパンプマックス」に向いている課題とは何か?

続く

海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

はいぐ~の小さな野望 ~手作りケバブを堪能したい~

小学校時代、あるキッチンカーに僕の視線は釘付けとなった。

「ドネルケバブ」

実際に当時僕が感動していたケバブカー(現在は閉店)

見たこともない巨大な肉、ケバブサンドとかいう未知の料理、「オニイサン!ケバブドウ?」と声をかけてくる謎のトルコ人。

閉鎖的な極東の島国日本において、ありとあらゆる要素が異質なこのキッチンカーは、僕の注意を引くには十分すぎるものであった。

僕はなけなしのお小遣いから350円を出し、チキンサンドとやらを注文した。

呼び込みの元気な声からうって変わって、そっけない返事をしたトルコ人がこれまた巨大なナイフで肉を削いでいく。

あれで刺されたら即死だろう…

そんなことを考えていると、あっという間にチキンサンドなるものが出来上がり、僕の手に渡った。

サンドイッチ? ナン?

味の検討はほとんどついていなかった。

とりあえず「サンド」という名前を信じてかぶりつく。

うまい!

チキン、ソース、野菜、パン。全てが最高のバランスだった。

こんなうまいもんをどうして今まで食べていなかったのか。

当時小学生の僕は異国から来たケバブなるものに大いに感動した。

あれから10年。

僕が感動した店はいつの間にか無くなり、僕がケバブを食べることも無くなった。

既に僕の生活からケバブは姿を消していた。

しかしあの頃見た巨大な肉の残像は僕の頭の片隅の片隅に残り続けていた。

デカイ肉にはロマンがある。

過酷な就活戦争、卒論戦争を控え、ロマンを失いつつある僕の生活にロマンを取り戻すために。

僕はケバブ作りを決意した。

ケバブ作りに必要なのはやはり肉だ。

さすがはネット社会「ケバブ 肉 購入」と打ち込むだけですぐさまケバブ肉情報が現れた。

凄まじい再現度。

これは間違いなくあの頃見た巨大肉だ。

僕の心は踊った。

しかし巨大な肉には巨大ならではの問題があった。

ケバブ1人前で使う肉量は約80グラムである。

この巨大肉は最低でも10kgからの購入となり、単純計算で125人前のケバブを用意してしまう。

残念なことに僕にはケバブの感動を分かち合える友人は125人もいないし、125人分の胃袋もない。

ケバブ肉購入計画はあえなく立ち消えとなった。

ケバブ肉を購入することができるのはこのご時世でも125人もの人間を集めることができる巨大な人望もしくは125人分の胃袋を持った者だけなのだ。

ケバブ肉の巨大さは人望に比例する。

身の丈に合わない巨大さは虚栄心の肥大と破滅を招くだけだ。

僕は方針を転換し、身の丈にあった巨大さを持った肉を準備した。

僕の現在の人望と胃袋を考慮すればこのサイズの肉は十分身の丈にあった巨大さであろう。

#身の丈にあった人生を

一難去ってまた一難。肉問題を解決した僕に次なる試練がやって来た。

肉の仕込み。

どうやらこのケバブとやらは適当に塩焼きすれば良いという訳ではないらしい。

「ケバブ肉 仕込み」と検索すると難解なレシピが現れた。

クミン? オレガノ? なんやそれ

僕の家はあいにく香辛料専門店ではない。

家にある香辛料といえばせいぜい胡椒ぐらいである。

パイナップル? なんやそれ

僕の家はあいにくフルーツ専門店ではない。

家にあるフルーツといえばせいぜいみかんぐらいである。

玉ねぎ? なんやそれ

僕の家はあいにく青果店ではない。

家にある野菜もいえばせいぜい長ネギぐらいである。

相次ぐ食材の不足。

いかにしてこの不足を補うか。 僕は冷蔵庫をしらみ潰しに探した。

すると冷蔵庫の奥底にまさしくケバブのためとも言える万能調味料があるのを発見した。

ピエトロドレッシング

主原料 オリーブオイル、酢、玉ねぎ、香辛料

完璧だ。ケバブ肉に必要な要素を網羅している。

これからはケバブ汁に名前を変えるべきであろう。

僕はこの万能ケバブ汁とその他もろもろの調味料を混ぜ合わせ、仕込みタレを精製し、肉塊を放り込んだ。

茶ピンク色という全く食欲をそそらないルックスだが、どうやらケバブとやらはこんなもんで良いらしい。

僕はこの茶ピンクの肉塊を冷蔵庫に放り込んだ後、己の肉塊もベッドに放り込んだ。

明くる日の正午。

僕は眠い眼をこすりながら、冷蔵庫から肉塊を取り出した。

ルックスに特に変化は無い。

ただ「一晩浸けた」という行為がなんとなく美味しくなったのではと感じさせる。

あとは火を入れるだけだ。

いやちょっと待てよ

このままただフライパンで焼くだけで良いのか。

僕はロマンを感じるためにケバブを作り始めたのだ。

はいぐ~の小さな野望はただの焼き肉ではない。

僕は忘れかけていた本企画の趣旨を再び思い出した。

しかしフライパン以外でいったい何を使って焼けば良いのか。

ごくごく平凡家庭のはいぐ~家にはもちろん屋台で使われるケバブ焼き器はない。

いやある。

一つだけケバブ焼き器が。

リビングに堂々と鎮座し、日々はいぐ~家を焼き続ける熱き鉄塊。

その熱量たるもの本場のケバブ焼き機にも決して劣らないはずだ。

僕はこの鉄塊の温度を最熱に設定し、ケバブ肉を近づけ、屋台風に回転させた。

熱い。凄まじい熱さ。このまま近づきっぱなしでは僕のほうが先にケバブと化してしまうだろう。

そんなこと言ってはケバブを焼くことはできない、僕はじっと熱に耐え、肉を回し続けた

回すこと10分、僕は自らの熱耐性に限界を感じ、焼けてきていることを信じ、肉を確認した。

                  生

あれだけの熱に曝されたのにも関わらず、ケバブ肉に日が通った痕跡は無し。

#肉回る、されど焼けず

これまでの僕の10分間はいったい何だったのか。

ただストーブの前で肉の着いた箸を回しただけだ。

僕の徒労を嘲笑うウサギ(画面右下)

僕は凄まじい徒労感を抱いた。

しかしそれと同時にあれだけ巨大な肉をこんがりと焼き上げる屋台のケバブ焼き機の火力に恐怖を覚えた。

あの機械の隣で何事もないかのようにケバブ肉を切り落とすトルコ人。

彼らはきっと血の滲むような努力を重ね、ケバブ焼き機の隣で作業ができるくらいの熱耐性を獲得したのだろう。

ケバブロマンというのは僕のような素人が突然獲得できるものではないのだ。

僕は自らの甘さ、弱さを痛感し、そっとストーブを消し、キッチンへ移動した。

ps 手作り肉塊焼きは美味しかった。

万物は反射神経である 2

真に良いアイデアは、
ほとんどの人にとってひどいものに
見えるだろう。
そうでなければ誰かが既にやっている

ポール・グラハム

TOEICに通じる反射神経を鍛える上で多くの人々が思いつくのはやはり単語暗記であろう。

そんなことは気の緩みきった試験前の僕ですら容易に思いついており、実際に単語帳を作って何度も復習をしていた。

結果はどうだ?

基本に忠実な勉強法では反射神経を高めるには至らず、15問の空白を産み出した。

誰もが思いつくような方法ではダメだ。

「英語への反射神経」に囚われているから英語に関係するアイデアしか浮かばないんだ。

僕は一旦’英語’という概念から離れ、解決策を模索した。

反射神経を高めるためには?

反射神経を必要とするものは?

反射神経とは?

一通り考え抜いた僕の頭にあるアイデアが浮かんだ。

バッティング

そうだバッティングだ。

唐突に飛び込んでくる高速の球体に全身で反応するバッティング

これほど反射神経を鍛えるのに適した方法はないだろう。

英語とバッティング。

一見無関係に覚える二つの事柄がいま繋がった。

バッティングに強い可能性を感じた僕はすぐさま近隣のバッティングセンターを調べ、ある興味深いバッティングセンターを発見した。

「バッティングセンターブンブン」

素晴らしい名前だ。おそらくこの「ブンブン」という名称は「(英)ブン(英)ブン」という意味であり、バッティングを通じて英文読解力が上がるということを示唆しているのだろう。

やはり英語とバッティングには何か関係性がある。自らの仮説に自信を深めた僕はすぐさま「バッティングセンターブンブン」に向かった。

東急東横線菊名駅から徒歩13分。「バッティングセンターブンブン」は閑静な住宅街のど真ん中に堂々と鎮座している。

中に入ると既に英語の成績に困っていそうな野球少年たちが黙々とバットを振っていた。

彼らも英語の成績向上を願ってこのバッティングセンターに通っているのだろう。

彼らの真面目な姿に刺激を受けた僕は早速ゲージに立ち、バッティングを開始した。

当たらない。

100kmそこらの棒玉に僕のバットはことごとく空を切った。

辺りを見渡せば周りの少年たちは次々と快音を鳴らしている。

すごい。彼らはみなTOEICスコア900越え揃いに違いない。

こうして周りに感嘆しつつも簡単に空振りを重ねているとあっという間に1ゲームが終了した。

やばい。これでは反射神経のトレーニングどころではない。

100kmのボールにすら反応できない男が1000文字以上の英語に反応できるはずがない。

僕はどうすればボールに反応できるか考えた。

ふと昔観ていた2chの野球応援スレッドに「坂本勇人選手のフォームが打ちやすい」という書き込みがあったのを思い出した。

つい先日2000本安打を達成した坂本選手のフォームなら、1000文字、いや2000文字の英文にも反応できる反射神経を得られるに違いない。

僕は藁にもすがる想いで坂本選手のフォームを確認し、頭に叩き込んだ。

そして再度ゲージに立ち、彼のフォームの代名詞である高く足を上げてボールを待った。

カキーン!

これまでの不振が嘘のように鋭い打球が左後方へ飛んでいった。

打てる。打てるんだ。

自信を獲得した僕はその後も強い打球を連発した。

一通り打ち終えた僕は100kmゲージの隣に140kmゲージがあるのに気づいた。

僕は迷った。

このまま気持ち良く打つのであれば100kmだろう。

いや違う。

今日はストレス発散のために来ているのではない。反射神経強化のために来ているのだ。

140kmすら反応できないようでは、TOEIC9割など夢のまた夢であろう。

#打てっこないを打たなくちゃ

坂本打法への自信と未知なる140kmへの恐怖。

二つの相反する感情を抱え、僕は打席に入った。


速い 速すぎる。

僕が大きく上げた足が地面に着く間もなく140kmの火の玉ストレートが突き刺さった。

テレビであれだけ遅く見える140kmがこんなにも速いとは。 

この速さの玉をいとも簡単に打ち砕くプロ野球選手の反射神経には感服せざる負えない。

その後も僕はさっきまでの快音が嘘のように空振りを連発した。

僕は自らの反射神経不足から足を大きくあげる坂本打法への限界を感じ、よりタイミングのとりやすいすり足の元阪神マートン打法に切り替えた。

マートン打法に切り替えたことにより、超降り遅れが減り、バットにかするようになった。

しかし素人のすり足打法は実質ただバットを振り下ろしているだけに過ぎない。パワーを失った僕のスイングはことごとく140kmの球威に負け、バックネットに次々とボールが溜まっていった。

ファールチップと空振りを重ねること数十球。

ついにその瞬間はやってきた。

例のごとくマートン打法でボールを待つ僕、これまた例のごとく無慈悲に白球を投じるマシン。

僕は運動不足からなる腰の痛みにも耐え、必死にバットを降った。

ゴツン

鈍い金属音と共に宙に舞った白球は、僕が打球の行方を追う間も与えず、1メートル前に力なく落ちた。

手元を見るとバットの柄の部分に白い跡がついていた。

完敗だった。

僕の反射神経は所詮100kmレベルでしかないのだ。

この程度の反射神経では15問残しも無理はない。

前述した元阪神マートン選手は圧倒的な反射神経でプロ野球安打記録を達成し高額な年俸を得るだけでなく、TOEICスコア900以上を記録可能な高い英語力も獲得していた。

優れた反射神経を獲得することはバッティングだけでなく、英語力向上、収入増加にもつながるのだ。

これらの例からもいかに人生において反射神経が重要であるかよくわかるだろう。

僕の反射神経はまだこうした一流反射神経者に遠く及ばない。

世界の全てを獲得するために。

僕は今日もバットを振り続ける。