海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

美味さが全て~家系ラーメン論争~

「緊急事態宣言延長」

この宣言は長引くコロナ渦において客足の減少に苦しむ飲食店たちに悲しみと絶望を与えた。

「正直うんざり」「もう終わりだ」といった悲鳴が飲食業界各地から聞こえることも多い。

一方で緊急事態宣言なんてどこ吹く風、強い集客力で繁盛を極め続ける飲食店もある。

吉村家だ。

異常な混みを見せる吉村家(2021/2/6 12:00撮影)

某道家など数多くの悪徳飲食店を世に送り続ける家系ラーメン界隈の元祖として熱狂的な支持を集める一流ラーメン店。

世界屈指のラーメン激戦区横浜駅周辺においても、その唯我独尊とも言わんばかりの圧倒的な人気で頂点に君臨し続けている。

いま横浜で一番人口密度が高い場所といっても過言ではないだろう。 

しかし僕は吉村家徒歩圏に住む横浜市民の一人としてこの異常とも言える人気に疑問を抱き続けていた。

何を隠そう僕は大のアンチ吉村家だ。

理由は簡単。吉村家が大量の悪事を働いていることを知っているからだ。

      吉村家の悪事一覧

  • 行列詐欺(10席以上連続で席が空かないと店に客を入れない)
  • 行列詐欺で道を塞ぐ
  • ライスのお代わりを導入しない
  • 時短要請に応じない
  • 道にスープの残り汁をばらまく

これらの悪事は吉村家が犯した罪のほんのわずかに過ぎない。

行列による待ち時間はもちろんのこと、上記のような悪事を知っている僕は吉村家=悪、横浜を知らない田舎っぺがありがたがる食いもんという認識を持ち、頑なに吉村家を避け続けてきた。

吉村家を避け続ける僕が行くラーメン屋といえば一つ。「横浜家」だ。

異常な空き具合を見せる横浜家(2021/2/6 12:00撮影)

この横浜家は吉村家の真向かいという超良立地にあるのにも関わらず、常に異常な空き具合を見せている。

僕はこれまで22年間横浜に住み続けているが横浜家に行列ができていることはいまだかつて見たことがない。

とはいえ横浜家は決して劣ったラーメン店ではない。むしろ多くの点で吉村家を上回っている。

まずは値段。写真からわかるように横浜家のラーメンは500円だ。これは吉村家のラーメンが720円であることを考慮すると明らかに安い。

安いからといって質素な訳ではない。

横浜家の500円ラーメン

写真でわかるように家系の基本トッピングは網羅しているし、味もあっさり系で悪くはない。

そして何より横浜家はスタンプカードを導入し、リピーターを労うという称賛に値するおもてなし精神を持ち合わせている。

「お客様はわが味の師なり」とか言いながら何のサービスもせず殿様商売を続ける吉村家は大きく異なるのだ。

以上の理由から僕は吉村家はにわか、横浜家こそが至高と自らに言い聞かせ、横浜家に足しげく通い続けていた。

そして発表された緊急事態宣言。世間では密を避けろの大合唱。吉村家の集客力も衰え、ついに横浜家の時代がやってくる。

横浜家の可能性を信じ続けた僕は世間が目を覚ますのを信じて疑わなかった。

結果はどうだろうか。

吉村家は大繁盛、横浜家は閑古鳥。

状況は何も変わらなかった。

何が人々を吉村家に向かわせるのか。

僕はこれまで無意識に吉村家=悪と決めつけていた。しかし本当に悪ならばこれだけ多くの人々が集まるだろうか。

僕は悪という先入観に囚われ、吉村家の魅力を見失っているのではないか。

吉村家の良さを知るためには吉村家に行くしかない。

こうして僕は約5年ぶりに吉村家の行列に並び始めた。

並び始めて数分、吉村家お得意の行列詐欺が始まった。奴らは列が3列になり、隣の店の前にまで達しそうになると、店に客をまとめて入れて、行列解消を図る。

行列が減ったらまた、店の前を行列が埋め尽くすまで、客を店に入れず待つ。

こうして奴らは店の前に一定の行列が出来る状態を保っているのだ。やはり悪の権化 吉村家。

開始早々不快な光景を目の当たりにした僕は並びを止めて目の前に立つ横浜家に入ろうか迷った。

しかし今日は何としても吉村家を食わなければならない。

不快な気持ちは文章で発散せよ。

僕は本ブログを開き吉村家の悪事を書き始めた。

悪事を書くこと約1時間、ようやく行列詐欺も終わり、僕は吉村家店内へ足を踏み入れた。

注文はもちろん硬め、濃いめ、多めだ。

硬め、濃いめ、まずめが出ないよう願うこと数分、ついに吉村家自信の一杯がやってきた。

オーソドックスな家系ラーメンだ。ここまででは横浜家と大きな違いはない。

問題は味だ。若き日の貴重な1時間を捧げる価値はそこにあるのか。

僕は恐る恐る麺をすすった。

うまい うますぎる

スープの濃厚さ、麺の固さ、ほうれん草のシュワシュワ度、全てが最高だ。

僕は先ほど横浜家のラーメンをあっさりしていると評したがそれは間違っていた。単に横浜家は味が薄いだけなんだ。

家系ラーメンとは本来こういう味がするもんなんだ。僕は斜に構えるがあまり家系ラーメン本来の味を忘れていた。

なぜ人は吉村家に並ぶのか。

その答えは一つ 味だ

家系ラーメンの美味さを体感する。ただこのためだけに人々は寒空の中、密をも忘れ並び続けるのだ。

飲食店は味が全てだ。

どれだけ吉村家が悪事を働らこうが、ラーメンの味さえ良ければ人々は吉村家に好評価を下すのだ。

横浜家がどれだけ値下げして、サービスを上げても、味という点で劣れば、吉村家に集客で勝つことはできない。

飲食店にとって一番のサービスとは美味しさなのだ。

僕は飲食店の本質をまざまざと見せつけられたような気がした。

いずれにせよ吉村家が美味しかったのは事実だし、人々から人気を集めているのも事実だ。

僕はこれまでアンチ吉村家を掲げ、「吉村家は大したことない」と語り続けてきたが、認識を変えなければならないだろう。

横浜の武道家と