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すね毛と共に生きてゆく

すね毛

この世に生を受けて23年、僕はこのたった数センチの黒い物体に苦しみ続けてきた。

話は小学校時代に遡る。

父親の剛毛遺伝子をふんだんに受けついだ僕は学年が上がるにつれてその突出した毛量で他の児童たちを圧倒するようになっていった。

友人たちの足と比べて漆黒に染まった我が足を見て落胆することはあったものも、当時はまだまだ無邪気な小学生。

すね毛いじりもせいぜいたまに毛を抜かれる程度で、露骨な悪意を感じるものは少なく、僕が抱いた苦しみもわずかなものであった。

そんな僕の小さな欠点意識を明確なコンプレックスと変えた場所があった。

そう かの悪名高き横浜市立岡野中学校だ。

中学校ではバスケットボール部に入部した。

バスケでは練習着が短パンになるため、僕の剛毛っぷりがより強調されやすい状態となってしまった。

そんな僕の剛毛を人の粗探しに命をかけるただ歳が1つ上であるだけな奴らが見逃すはずはなかった。

「先輩命令」

彼らはこの文句を馬鹿の1つ覚えのごとく乱用し、僕に対してテーピングやガムテープを足に貼り付けて剥がす「テープすね芸」を強要した。

ことあるごとに激痛と嘲笑に苛まれた僕はすっかり自らのすね毛に対してコンプレックスを抱くようになってしまった。

あれから何年もの月日がたった。

公立中学校という「魔界」を抜けて以降、「テープすね芸」を披露することはなくなった。

しかし僕のすね毛は抜けること無く増え続け、一度植え付けられたコンプレックスも抜けることはなかった。

バスケサークルでの練習やyoutubeのすね毛脱毛広告を見るたびに自らの剛毛が僕の脳裏によぎった。

もちろんこれまですね毛を無くそうとしたことは何度もある。

髭剃りに除毛クリーム、ブラジリアンワックス。

どの方法も僕の剛毛が持つ雑草魂に勝つことはできず、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに僕の肌と心は荒れ果て、除毛断念を余儀なくされた。

いつしか僕は男某場で言われた「毛は男らしさ」という言葉を妄信し、コンプレックスを覆い隠そうとしていた。

そんな僕に転機をもたらしたのは家で唯一の話し相手である妹だった。

例のごとく海谷家の宿命であるすね毛を継承してしまった妹は、これまた例のごとく公立中学校に通い始めてからすね毛を気にするようになり、脱毛を始めた。

脱毛に成功して以来、ことあるごとに妹は僕の足を見て「やばい」「こうはなりたくない」と指摘するようになった。

当初はいつもの「すね毛は男らしさ」というバカの1つ覚えで対処していたが、何度も指摘されるにつれて僕の覆いが少しずつ取れていくような感覚があった。

そしていつものようにgorogoroを満喫していたある日、ふと僕はすね毛に関心を抱き、検索エンジンを開いた。

「すね毛 処理 メンズ」

久しぶりにすね毛処理界隈を覗いてみると、界隈は進化を遂げ、様々な処理方法が発達していることが分かった。

その中でもある画期的な方法が僕の目に止まった。

「脱色」

僕はこれまで毛を無くすことに囚われ、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに肌と心が負けるという流れに苦しんでいた。

男なら誰でもすね毛は生えている。

何もすね毛を無くす必要は無いのだ。

異常な剛毛であることが見透かされなければ良いのである。

新たな可能性の登場に心踊った僕はジャングルに向かい、脱色剤を購入した。

脱は急げ 剛毛から中毛へ スピード! スピード!

長年の苦しみを解放する瞬間がついに訪れる

感情の高ぶりが抑えきれない僕は脱色剤が到着した夜、すぐさま脱色への扉を開いた。

すね毛たちも心なしか脱色を待ち望んでいるようだ。

まずは説明書の通りに付属のカップの容量に合わせて液体を混ぜ合わせ脱色液を錬成した。

こいつが僕を苦しみから解放するのか。ただの白い液体なはずなのに何だかとても頼もしい存在に覚えた。

液を作って安心したのも束の間、すぐさま新たな問題が発生した。

完全な液不足

写真で勘づいた方もいたかもしれないが、あのカップ程度の液量で僕の剛毛を脱色するなど到底不可能だ。

何が説明書だ 剛毛なめんな クソくらえ 

説明書の剛毛想定力の低さに遺憾の意を覚えた僕は残っていた液を全てカップにぶちこみ、剛毛仕様の脱色剤を完成させた。

後は塗るだけ。

僕はあの頃の嘲笑の日々を頭に浮かべつつ、もう一度新たなすね毛との関係性を求め、一心不乱に液を足に塗りたくった。

悪黒に染まったすね毛どもよ 今こそ正義の白を手にするにあらん。

僕は新たな脱色毛を手にし、二度と剛毛呼ばわりの屈辱を受けない はずだった‥

そこに待っていたのはあまりにも微妙な結果であった

脱色後の足がこちらである。

微妙だ 限り無く失敗に近い微妙である

確かによく見ると最初の写真に比べて薄くなっているような気もする。

しかし僕が求めていたのはこんな微妙な結果ではない。

求めていたのはこれまでの悪夢を払拭するような爽やかな白だ。

徒労感、虚しさ、無念さ 様々な感情が代わる代わる僕を襲った。

僕は母と妹に批判を受けながら50分間、風呂場にこもった。

手に入れたのは茶髪のすね毛。

もうやめよう。僕はこれからもすね毛と向き合って生きてゆくしかないんだ。

「トウマくん 毛が大好きなお客さんもいるから絶対剃っちゃダメだよ」

ふと彼の言葉が脳裏をよぎった。

はいぐ~の小さな野望 ~手作りケバブを堪能したい~

小学校時代、あるキッチンカーに僕の視線は釘付けとなった。

「ドネルケバブ」

実際に当時僕が感動していたケバブカー(現在は閉店)

見たこともない巨大な肉、ケバブサンドとかいう未知の料理、「オニイサン!ケバブドウ?」と声をかけてくる謎のトルコ人。

閉鎖的な極東の島国日本において、ありとあらゆる要素が異質なこのキッチンカーは、僕の注意を引くには十分すぎるものであった。

僕はなけなしのお小遣いから350円を出し、チキンサンドとやらを注文した。

呼び込みの元気な声からうって変わって、そっけない返事をしたトルコ人がこれまた巨大なナイフで肉を削いでいく。

あれで刺されたら即死だろう…

そんなことを考えていると、あっという間にチキンサンドなるものが出来上がり、僕の手に渡った。

サンドイッチ? ナン?

味の検討はほとんどついていなかった。

とりあえず「サンド」という名前を信じてかぶりつく。

うまい!

チキン、ソース、野菜、パン。全てが最高のバランスだった。

こんなうまいもんをどうして今まで食べていなかったのか。

当時小学生の僕は異国から来たケバブなるものに大いに感動した。

あれから10年。

僕が感動した店はいつの間にか無くなり、僕がケバブを食べることも無くなった。

既に僕の生活からケバブは姿を消していた。

しかしあの頃見た巨大な肉の残像は僕の頭の片隅の片隅に残り続けていた。

デカイ肉にはロマンがある。

過酷な就活戦争、卒論戦争を控え、ロマンを失いつつある僕の生活にロマンを取り戻すために。

僕はケバブ作りを決意した。

ケバブ作りに必要なのはやはり肉だ。

さすがはネット社会「ケバブ 肉 購入」と打ち込むだけですぐさまケバブ肉情報が現れた。

凄まじい再現度。

これは間違いなくあの頃見た巨大肉だ。

僕の心は踊った。

しかし巨大な肉には巨大ならではの問題があった。

ケバブ1人前で使う肉量は約80グラムである。

この巨大肉は最低でも10kgからの購入となり、単純計算で125人前のケバブを用意してしまう。

残念なことに僕にはケバブの感動を分かち合える友人は125人もいないし、125人分の胃袋もない。

ケバブ肉購入計画はあえなく立ち消えとなった。

ケバブ肉を購入することができるのはこのご時世でも125人もの人間を集めることができる巨大な人望もしくは125人分の胃袋を持った者だけなのだ。

ケバブ肉の巨大さは人望に比例する。

身の丈に合わない巨大さは虚栄心の肥大と破滅を招くだけだ。

僕は方針を転換し、身の丈にあった巨大さを持った肉を準備した。

僕の現在の人望と胃袋を考慮すればこのサイズの肉は十分身の丈にあった巨大さであろう。

#身の丈にあった人生を

一難去ってまた一難。肉問題を解決した僕に次なる試練がやって来た。

肉の仕込み。

どうやらこのケバブとやらは適当に塩焼きすれば良いという訳ではないらしい。

「ケバブ肉 仕込み」と検索すると難解なレシピが現れた。

クミン? オレガノ? なんやそれ

僕の家はあいにく香辛料専門店ではない。

家にある香辛料といえばせいぜい胡椒ぐらいである。

パイナップル? なんやそれ

僕の家はあいにくフルーツ専門店ではない。

家にあるフルーツといえばせいぜいみかんぐらいである。

玉ねぎ? なんやそれ

僕の家はあいにく青果店ではない。

家にある野菜もいえばせいぜい長ネギぐらいである。

相次ぐ食材の不足。

いかにしてこの不足を補うか。 僕は冷蔵庫をしらみ潰しに探した。

すると冷蔵庫の奥底にまさしくケバブのためとも言える万能調味料があるのを発見した。

ピエトロドレッシング

主原料 オリーブオイル、酢、玉ねぎ、香辛料

完璧だ。ケバブ肉に必要な要素を網羅している。

これからはケバブ汁に名前を変えるべきであろう。

僕はこの万能ケバブ汁とその他もろもろの調味料を混ぜ合わせ、仕込みタレを精製し、肉塊を放り込んだ。

茶ピンク色という全く食欲をそそらないルックスだが、どうやらケバブとやらはこんなもんで良いらしい。

僕はこの茶ピンクの肉塊を冷蔵庫に放り込んだ後、己の肉塊もベッドに放り込んだ。

明くる日の正午。

僕は眠い眼をこすりながら、冷蔵庫から肉塊を取り出した。

ルックスに特に変化は無い。

ただ「一晩浸けた」という行為がなんとなく美味しくなったのではと感じさせる。

あとは火を入れるだけだ。

いやちょっと待てよ

このままただフライパンで焼くだけで良いのか。

僕はロマンを感じるためにケバブを作り始めたのだ。

はいぐ~の小さな野望はただの焼き肉ではない。

僕は忘れかけていた本企画の趣旨を再び思い出した。

しかしフライパン以外でいったい何を使って焼けば良いのか。

ごくごく平凡家庭のはいぐ~家にはもちろん屋台で使われるケバブ焼き器はない。

いやある。

一つだけケバブ焼き器が。

リビングに堂々と鎮座し、日々はいぐ~家を焼き続ける熱き鉄塊。

その熱量たるもの本場のケバブ焼き機にも決して劣らないはずだ。

僕はこの鉄塊の温度を最熱に設定し、ケバブ肉を近づけ、屋台風に回転させた。

熱い。凄まじい熱さ。このまま近づきっぱなしでは僕のほうが先にケバブと化してしまうだろう。

そんなこと言ってはケバブを焼くことはできない、僕はじっと熱に耐え、肉を回し続けた

回すこと10分、僕は自らの熱耐性に限界を感じ、焼けてきていることを信じ、肉を確認した。

                  生

あれだけの熱に曝されたのにも関わらず、ケバブ肉に日が通った痕跡は無し。

#肉回る、されど焼けず

これまでの僕の10分間はいったい何だったのか。

ただストーブの前で肉の着いた箸を回しただけだ。

僕の徒労を嘲笑うウサギ(画面右下)

僕は凄まじい徒労感を抱いた。

しかしそれと同時にあれだけ巨大な肉をこんがりと焼き上げる屋台のケバブ焼き機の火力に恐怖を覚えた。

あの機械の隣で何事もないかのようにケバブ肉を切り落とすトルコ人。

彼らはきっと血の滲むような努力を重ね、ケバブ焼き機の隣で作業ができるくらいの熱耐性を獲得したのだろう。

ケバブロマンというのは僕のような素人が突然獲得できるものではないのだ。

僕は自らの甘さ、弱さを痛感し、そっとストーブを消し、キッチンへ移動した。

ps 手作り肉塊焼きは美味しかった。

ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

釣り 大漁 自捌き 唐揚げ 幸せ

間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


「無」の生活への受容

帰国したから半年が経った。

一時期なシノギ削りのためのはずだった帰国も某ロナの影響によってずるずると半年まで延びてしまった。

この半年間を一言で例えるなら間違いなく「無」である。

勉強、労働、ゴロゴロ。

僕は半年間これらのルーチンワークをただただ淡々と続けてきた。

「マイホビーイズゴロゴロ」を自称し、元々予定が無ければ、ほとんど家を出ることのない僕にとってこの生活は決して苦ではない。

しかし中国各地を転々とするホームレス旅を続けていた半年前との生活落差は凄まじい。

マイホームにどっぷりと浸っている今の姿を半年前のホームレスだった僕はすぐに信じることができないだろう。

何かが起きることが当たり前だった旅生活から何も起きないことが当たり前な家生活。

僕の生活はこの半年間で完全に「有」から「無」へと変わった。

無の生活へ変わったいま、ドキッとする質問がある。

「最近何してるの?」

友達から何気なくされるこの質問。

有の生活時であれば、特に考えることなくすぐに「旅してる」とでも言えるのだが、無の生活の今では若干の思考が必要になる。

「そういえば最近自分て何してるんだろう」

とりあえず最近やっていることを思い返して説明するけれど、どこか自信無さげになってしまう。

自分がやっていることを自信満々に説明できないというのは、自分の生活に100%満たされている訳ではないということの証拠なのだろう。

すっかり削りがいの無くなったシノギに関してもそうだ。

お金が増えているというのは、裏を返せばそれだけお金を使ってでもやりたいと思うことが減っているということだ。

世の中 楽しいことをするにはどうしてもお金が必要になる場合が多い。

今までの人生を振り返ってみても、本当に充実していたと感じる時期は必ずお金が減っている。

貯蓄の増加はワクワク度の低下なのである。

だがしかし前述した通り、僕はいまの生活が嫌いという訳ではない。

冷静に考えればこれまでの人生「無」であった時間のほうが圧倒的に多い。

いわば人生は「無」であるのが当たり前なのだ。

人生が「無」であることに絶望する必要は全くない。

「無」の時があるからこそ、「有」の時と現れる。

永遠に「有」の生活というのはある意味永遠に「無」であるのに変わらない。

当たり前の「無」を受け入れて、「有」の時を待つ。

そのくらいのモチベーションで日々を生きてゆきたいと常に思う。


せんりゅう

コロナなら

何をやめても

許される。

労働が

嫌なのではなく

人が嫌。

オスグット

どこにあるのか

わからない。

インドア人

常に生活

変わらない。

ゴロゴロゴロ

ゴロゴロゴロゴ

ゴロゴロゴロ。

世の中の

最たる恐怖は

正義の味方。

我が部屋に

湧き満つ謎虫

梅雨は近きか。

朝起きて

やることなくて

即二度寝。

おしり出す

意味は無いけど

おしり出す。

たにくしょくぶつ

          あつまれどうぶつの森

3月20日の発売以降、外出自粛の風にも乗り、あれよあれよと売り上げを伸ばし、もはやゲームの枠を越え、社会現象にもなっている。

数年前、某道ステーションの影響によってユーモアに自信のある学生たちが連呼していた「アツモリ」という言葉も今では「あつまれどうぶつの森」の略という意味に変わりつつある。

そんな「あつまれどうぶつの森」の人気を支える要素の一つにプレーヤー自身が家具や道具を作るDIYというものがある。

「あつまれどうぶつの森」は何もない無人島を一から開拓するという点を重視しているため、家具や道具も主に自分で作ることを推奨しているという訳だ。

「釣竿から丸太まで」という言葉に代表されるようにこのDIYで作れるものは多岐に渡る。

家のローンの支払い、島に建物を作るための費用、はたまた住人の勧誘。

スローライフを謳うゲームとは思えないほど、殺伐とした現実世界さながらに金銭を要求する本ゲームにおいて、必需品を自分で作ることのできる機能はとてもありがたい。

しかしこのDIY 何も有用なものばかり作るための機能ではない。

その利便性と素材活用精神が、時に人知を越えた紛れもない恐怖を生み出してしまうことがある。

          「たにくしょくぶつ」

雑草20本と空き缶1個という質素な素材で作ることのできるこの「たにくしょくぶつ」、ゲーム序盤から作れることもあり、とりあえずというノリで1度は作ったことのあるプレーヤーも多いはず。

宣材写真も意外と綺麗にまとまっており、観葉植物的な雰囲気を醸し出している。

いや おかしい。おかしすぎる。

なぜ空き缶に草を刺しただけでいい感じになるのか。

現実の草どもはこんなに色彩豊かなのか。

そもそも「たにく」ってなんだ。

僕の頭はすぐさま疑問で沸騰した。

ただしかし日本に社会現象を巻き起こしたゲームの中で、堂々とインテリアの一つとして鎮座するこの「たにくしょくぶつ」。

もしかすると想像の世界では表現することのできない魅力が隠されているのかもしれない。

ゲームはリアル リアルはゲーム。

ゲームの疑問はリアルにしなければ理解できないのかもしれない。

僕は実際にこの「たにくしょくぶつ」を作ってみることにした。

「たにくしょくぶつ」を作るにあたって一番重要なのはやはり雑草だ。

材料や工程の少ない「たにくしょくぶつ」作りでは、雑草の質こそが「缶に草を詰めた物体」と「たにくしょくぶつ」との違いを生み出すのだ。

僕は雑草を探すために早速、不草不急の外出を行うことにした。

外出前は雑草の生い茂る場所に今一つ心当たりがなかったが、道端によく目を凝らして歩いていると、街路樹の周りなど至るところに雑草が生えていることが分かった。

この世は雑草天国なのだ。

これだけ僕たちの身の回りに溢れているのに、普段全く日の目を見ることもない。

挙げ句の果てには「雑な草」と呼ばれる始末。

彼らの日々の不遇は察するに余りあるものであった。

「彼らに少しでも光を当てなければならない」

僕は「たにくしょくぶつ」ブームを現実化し、彼らの不遇の日々を終わらせる使命があると感じた。

雑草たちの不遇の日々に思いを馳せる僕

「雑草選びがたにくしょくぶつを支配する」

雑草には様々な種類がある。

その日その日のコンディションに合わせて的確な雑草選びをしなければ、良い「たにくしょくぶつ」を作ることはできない。

さらに並大抵の覚悟では雑草魂を持った彼らを引き抜くことは容易ではない。

吟味と格闘を重ねること数分、僕はついに良質な雑草を手に入れることに成功した。

良質な雑草には良質な空き缶を。

雑草が輝く最高の舞台を提供してくれるのが空き缶だ。

僕は雑草を極立たせるために、質素なデザインの角ハイボールを採用した。

あとに待つのは雑草と空き缶の夢のコラボレーション。

僕は自らの芸術センスを信じて、缶に草を盛りつけていった。

盛りつけること約1分。

ついにリアル「たにくしょくぶつ」が完成の時を迎えた。

僕はそっと草を抜き、ゴミ箱へ捨てた。

この1日はもうなかったことにしよう。

正論への怒りと受容

「民度」

ここ数日この言葉は僕を大いに悩ませた。

きっかけは某フリマサイトでのこんなコメントだった。

民度? 様無し? 字の汚さ?

は?

何を言ってるんだこいつは。

まず宛先の件。

僕はこれまでフリマサイトでの発送で宛先の「様」を書き忘れたことは無い。

ただしかし、1日の発送数が多いため、書き忘れていないとも言いきれない。

たった300円の商品が入った手に取って10秒で破り捨てる封筒に「様」が書いていなかったため、憤慨し評価を下げるほど気分を害したのならもちろん謝罪する。

ただそれなら「様が書いていなかったです。気をつけて下さい」と一言メッセージを送ってくれれば済む話じゃないのか。

なぜ「字の汚さ」と「民度」という言葉が出てくるのか。

字が汚いと言えど少なくとも送った商品はお前様の所にたどり着いた。

宛先というのは郵便局員様が分かるように書くものである。

宛先の字がどうだろうと郵便局員様さえ理解できれば何の問題もないはずだ。

つまり宛先というのは郵便局員様に向かって書いているものであり、お前様に向かって書いているのではない。

よってお前様が僕様の字の良し悪しについて語る資格は元々無いはずなのだ。

にもかかわらずこいつ様は僕様の字を批判するに留まらず、「民度」という概念まで持ち出してきたのだ。

お前様はなぜ一度も会ったことのない人様の民度が文字を見ただけで分かるのか。

人様の民度にそこまで敏感なのになぜ最も民度の低いといわれる無料フリマサイト様に重鎮しているのか。

だいたい最低価格の300円の商品で不特定多数の見る評価欄に適当な根拠で人様の民度について語るお前様の民度はいかほどなのか。

僕は怒りに震えた。

なぜこんな評価を受けなければならないのか。

毎回わざわざ手書きで一生懸命宛先を書いているのに。

怒りを消す一番の方法は忘却だ。

僕は可能な限り評価欄を見るのを止め、この理不尽を忘れることに努めた。

「字の汚さも相間って民度の低さが伺えます。」

別の購入者に宛名を書く時、いきなり「半額にしろ」と詰め寄る訳のわからない値下げ要求をされた時、はたまたニュースで飲食店に次々と自粛要求の紙を貼る自粛警察の様子を見た時。

そんな何気ない瞬間にあの言葉は餌が来た時にだけ水面に現れる気味が悪い鯉の群れの如く僕の脳裏に浮かんできた。

忘れたいのに忘れられない。

なぜ僕はたった一人のフリマサイトのユーザーが発した言葉に悩まされているのか。

夜はぐっすり眠り、朝昼夜しっかり食事をとって考え続けた後、僕はあることに気づいた。

あの言葉は正しい

人が一番怒りを覚える瞬間とは何か。

それは相手の指摘が図星の時である。

冷静に考えれば僕の字はとてつもなく汚い。

僕の平均字

少なくとも僕は自分への宛名がこの字だったら汚いと感じる。

これまで一切の苦言を呈することなく僕に良い評価を与えた人々たちも僕の字に関してきれいか汚いかと問われていたら、汚いと答えるだろう。

そして正しい指摘をした人に対して、その人のコメントを個人ブログに晒し、反論しようとする僕の民度は間違いなく低い。

もしこのブログがあの人の目に留まれば、間違いなく「字は人を語る」という価値観の更なる根拠となるに違いない。

こうしてあの言葉の正しさに気づくと、これまでの苦悩が嘘のように僕の怒りはスーと消えていった。

あまりにも正論過ぎる指摘を受けた時、人は現実を受け入れることができず、論点を反らし、やみくもに怒りをぶつける。

怒りを覚えた時こそが自分を見つめ直す良い機会なのかもしれない。



甲子園を観ているといつも幼少期の奇妙な性癖を思い出す

例年熱い戦いが繰り広げられ、日本の夏の風物詩として君臨する高校野球。

甲子園という大舞台のために全てをかける球児たちの姿に心打たれ、毎年現地やテレビの前で観戦するファンも多い。

僕もそうした高校野球ファンの1人である。

元高校球児であった父の影響もあり、僕は7歳の頃から高校野球を観始めた。

当時は新聞にあったトーナメント表を見つけてはハサミで切り抜き、毎日ニュースや新聞で結果を確認して書き込み、

大会が終わると「高校野球神奈川グラフ」や「甲子園の星」といった高校野球雑誌を購入して隅々まで読み込んでいた。

両親が共働きなため、夏休みになると小児収容施設である「学童保育」に収容されていた僕にとって学童をサボって観る高校野球は夏休みの数少ない娯楽であった。

こうした僕の高校野球好きは夏休みだけにとどまらず、高校野球の情報を集めるために、

甲子園が終わった後も「高校野球事件史」「名門野球部の甲子園伝説」などの雑誌を読み込み、高校野球の知識を蓄えていった。

こうした僕の高校野球への愛が別の形に変化してしまっていたのもちょうどこの頃であった。

僕が自慰行為を覚えたのは7歳の時であった。

これはちょうど僕が高校野球を見始めた時期と重なる

そう

当時の僕の自慰行為のネタは「高校野球」たったのだ。

実際に当時読んでいた雑誌を見ると、特定の選手にいくつか下の写真のようなマークがつけてある。

おそらく僕は当時このマークがついていた選手で自慰行為をしていたのだろう。

マークがついている選手たちには共通点がある

それは「大事な場面で結果を残せていない」ということだ。

マークのついた試合ということではないが、マークのついた選手はみな後の試合で勝敗にかかわる場面で打てなかったり、エラーをしたりしている。

当時の僕も子ども心ながらに高校野球の選手たちはとてつもない努力を重ねているということを理解していた。

夏の大会という集大成のために、途方もない練習を重ねたのにも関わらず、結果を残すことができない。

僕はそんな「努力が報われない姿」に興奮し、その感情の高ぶりを性的な興奮と混同してしまっていたのだと思う。

時が経つと共にいつの間にか高校野球にそうした興奮を覚えることは無くなったが、

現在のセックスに関心を持てないという僕の性癖を考えると、いまだにこの「報われない努力」に興奮するという根幹は変わっていないと思う。

僕の脳内はいまだに「報われない努力」に対して覚えた興奮を性的興奮と誤解したままなのだ。

いうなれば 僕はおそらく人生観フェチなのだろう。

この先 僕の性癖はどのように変わっていくのか。

現段階で言えるのは「報われない努力」への過度な崇拝は変わることはないということだけだ。

PS ビリビリ動画(ニコニコ動画の中国版)のチャンネルを作りました。良かったら観て下さいhttps://www.bilibili.com/video/av64564824

僕はワセダに失望した

先日 早稲田大学の学部事務所からこんなメールが届いた。

呼び出し。

どうやら先日僕たちが大学内で許可無くプールをしたことが原因のようだった。

僕の呼び出しに先立って一緒にプールを企画を行った教育学部のこんりんの呼び出しが昨日行われた。

彼の語った呼び出し内容は衝撃的だった。

彼の話によると呼び出しは彼と教育学部の教務主任、書記の3人で行われたそうだ。

こんりんはまず教務主任に今回のプール企画が早稲田から1トン増やす会の活動の一環であることを説明し、プール企画に至るまでの活動を説明した。

すると教務主任はこう語ったそうだ。

「くだらない」「お前らの活動は無意味だ」

ちゃんこの炊き出しも武蔵野アブラ學会とのコラボもそして今回のプール企画も

教務主任は僕らの活動を全て「無意味、くだらない」ものとして切り捨てたのだ。

早稲田大学のホームページにはこんな言葉が記載されている。

「多様性重視と個性の尊重は早稲田の伝統」

学生の活動を否定しておいて

なにが多様性重視だ なにが個性の尊重だ。

今回の問題の争点は僕たちが許可をとらずにプールを行ったことであって、企画内容そのものを否定される筋合いはどこにもないはずだ。

もし仮に僕たちがプールの際に道行く人を片っ端からプールに突き飛ばしたりといった他人へ迷惑をかける行為や法に触れる行為を行っていたならまだしも、

僕たちは今回そのような行動はしていない。

確かに今回は大学に許可を取らなかった点は僕たちの落ち度であり、反省すべき点である。

しかし僕たちはこれまで「他人に迷惑をかけない」という理念のもと活動を行ってきた。

実際に今回の一連の企画において僕たちの活動が社会に大きな損害を与えているなどといった主張はない。

にもかかわらず、教務主任は僕たちの活動を「無意味でくだらない」と完全に否定した。

僕は早稲田から1トン増やす会を立ち上げてからの2週間本当に楽しかった。

どんな企画がおもしろいか友達と話し合ったり、実際に企画に集まってくれた人たちが笑っているのを見たりする時間は本当に楽しい瞬間だったし、

自分の好きなことは「人を楽しませること」だということを改めて確認した2週間でもあった。

そんな僕たちが充実した時間を過ごした2週間のどこが「無意味でくだらない」というのか。

さらに教務主任はこんりんにこんな言葉もかけたという

「こんなくだらないことをしてないでもっと大学生らしく行動しなさい」

大学生らしさってなんなんだよ。

僕はいま「人に迷惑をかけない」といった最低限のルールのもと、自分が「楽しい」と思ったことをしている。

大学内で「楽しい」と思ったことをやって学生生活を送っている学生のどこが大学生らしくないというのか。

学生の楽しみを否定して大学生らしさを奪っているのは誰なのか。

自分たちの価値観で勝手に学生の活動を「無意味」と否定するのが早稲田大学が伝統と主張する「個性の尊重」なのか。

大学職員たちの凝り固まった価値観でしか学生の行動を判断できないなら「多様性重視」 だとか「個性の尊重」だなんて言葉を掲げるのはやめろ。

とにかく僕は今回の教育学部の教務主任の対応には深く失望した。

1週間後には文学部の教務主任からの僕への呼び出しが行われる。

今回と同じような対応が文学部で行われないことを心から願っている

退屈な大人になりたくないんだ

僕は最近ある団体を立ち上げた。

何を隠そう「早稲田から1トン増やす会」だ。

お気づきの方もいるかもしれないが、この団体は以前「僕は人を叩けない」で僕には作ることができないと語り設立を諦めた団体だ。

確かに僕はあの時設立を諦めた。しかし僕のなかでどこかこの諦めが残り続けていた。

「自分はただやらない理由を作っているだけなんじゃないか」

僕は明らかに「早稲田から1トン減らす会」の行動に怒りを感じていた。

1トン減らすと意気込んで約70人の会員を集めたにも関わらず何の企画も実行しない消極性

1ミリのセンスも感じないネタツイート

僕はこうした「団体を立ち上げた」という事実だけに満足して何も行動を起こさない団体が大嫌いだ

こんなのはうんこをすることに満足して水を流さない連中と同じだ

僕はあいつらをぶっ叩きたかった。

でも僕がそうしてなかったのは叩くことによって彼らと対立することを恐れていたからだ

「退屈な大人になってしまったわ トラブりそうな相手を避けながら… 」

これは僕の大好きなYUIの「Lock on」という曲の一節だhttps://youtu.be/3d3lt2JxYXs

決断に迷ったときいつも僕の頭によぎるのはこの曲だ。

いつだかこんな記事も書いていた。

「常識を疑え 我慢することが大人なのか 」

退屈な大人になるな

もう1人の僕は確かにそう叫んでいた

こうして僕は「早稲田から1トン増やす会」の設立を決意した。

団体というのは動いているからこそ存在価値がある。動いていない団体は「死んだ」も同然だ。

僕はいまこの価値観のもと「早稲田から1トン増やす会」で動き回っている。

設立当初は「早稲田から1トン減らす会」を叩きまくり

増量に成功した人の素晴らしさを伝えるためにデブ専門風俗に行ったり

「学生の増量を助ける」という名目でキャンパスで力士に扮しちゃんこを配ったり、

大学付近で絶大な人気を誇る「武蔵野アブラ學会」とコラボしたり

発足以降一度も行動を起こさない「早稲田から1トン減らす会」のアンチテーゼとなるためにひたすら面白いと思ってことを実行し続けている。

いま僕は本当に楽しい。

僕は最近少しブログの閲覧数が増えたからってゲイネタに頼りきっていた。

でも僕のしたいことは「面白いこと」であってそれは必ずしもゲイネタだけという訳ではない。

僕は「退屈な大人」になりたくないんだ

そんな自分の原点に気づかされてしまった。

明日は何の企画をしようかな

https://twitter.com/debugaseigi/status/1154355104134262784?s=19