だからブログは面白い

僕がブログを始めてから早くも半年がたとうとしている。

もとはしゃおじょんの有無を言わせぬ

激しくブログ開設強要からの解放を目指して

一過性のネタで始めたブログだったのだが、

今や記事数は94個に達し、

すっかり僕の生き甲斐の一つとなってしまった。

彼の強要もたまには正しいこともあるので、

まだまだ捨てたもんじゃない。

なぜ急にブログを閉鎖するかのような感傷に

浸っているのかというと、

先日3週間にわたる長い研修が終わり、

少し暇になったので、自分の記事を時系列で見ていると、

内容だけでなく、言葉遣いや文体が

当時の風潮に合わせて大きく変わっていて、

まるで別の自分が何人もいるような

不思議な感覚に襲われたからだ。

今回はその内のいくつかを紹介したいと思う。

まずはブログを始めた当初の記事から振り返ってみよう。

2018年10月7日 「自給自足にまつわるエトセトラ」

2018年10月27日 「足を使わない移動法にまつわるエトセトラ」

当時はブログ=youtubeの文章版と考えている節が強かったので、

上記のような他人がやらないことをやるという

「企画モノ」の記事が大部分を占めている。

この「企画モノ」自体は今もブログ内容の

中核を担っている。

「意味不明な奴でありたい」というタイトルを掲げておきながら、

実はブログのコンセプトは一貫しているという

恥ずかしい事実が浮かび上がってしまった。

しかしブログ始めて1ヶ月がたつと、

「企画モノ」以外のブログが登場するようになる。

11月18日 「~常識を疑え~ 飲み会に酒は必要か」

11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか 」

「企画モノ」がある程度ネタ切れになってきた時に登場したのが

自らの考えを激しい口調で吐き出した

いわゆる「思想モノ」である。

当日は禁酒会の設立や、

ブログを始めて以降 いくつか不当な扱いを受けたこともあり、

社会全体に対して強い不満が溜まっていた。

そういった背景とブログという

自分の好きなことを好きなだけ書けるという背景が相まって、

今では考えられないほど、

過激な口調で自らの思想をぶつけることが多くあった。

「最近の若者は自己中とか言ってる暇があったらあんたも自己中になればいいでしょ。」(11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか」より)

正直このブログの中で、

後々読んで一番恥ずかしいのはこの辺りの記事だろう。

いったい当時は何にそんなにイライラしてたのだろうか?

これだけははっきり言える。

今 同じような記事を書けと言われたら

絶対無理だ。

今思えば 当時の社会を変えたいとう謎の熱意は

明らかに異常だった。

何かテロでも起こしそうなほどだったと思う。

ただ当時は今よりも更新頻度は速かったので、

この熱意は一概に否定できないのがまた難しい。

このように主に当時は「企画モノ」と「思想モノ」を分けて書いていることが多かったのだが、

徐々にその境界が曖昧になっていく。

理由は一つ コスプレの登場だ。

12月4日 「ニンゲンコワイ」

1月15日 「成人の誓い」

11月の中旬辺りからコスプレ通学を始めて以降、

学校に行っている間はネタに困ることはなくなった。

また「思想モノ」を書き始めてから

自分の考えをブログに書くことにあまり抵抗を持たなくなったので、

「成人の誓い」 のようなコスプレに絡めて

自分の考えを書く流れが定着した。

時に 「今日のコーデ」 のような

手抜き記事を作ることもあったが、

基本的にはコスプレという企画に

思想を混ぜる「企画モノ」×「思想モノ」の記事を多く書いていた。

大学が休みに突入し、

コスプレをあまりしなくなった今でも、

企画内容をコスプレから旅や風俗に変え、

「企画モノ」×「思想モノ」の記事を書き続けている。

1月26日 「人妻パラダイス」

こうして自分のブログを振り返ってみると、

様々な発見がある。

もちろん内容以外にも

初期の文章はほとんど改行をしてないので、

読みにくかったり、誤字も多いといった

文章面の違いもあった。

さてこの先

僕のブログはどのような変化を遂げていくのだろうか?

これまで通り「企画モノ」×「思想モノ」の流れに落ち着くのか

はたまた新しい流れが出来上がるのか。

こればっかりは僕にも全くわからない。

だからブログは面白いんだ。

コスプレが僕を救う。

先日 僕のバイト先に新しい店員が入ってきた。

名前から察するにおそらく留学生だ。

僕のバイト先は留学生が多く

民族のサラダボウル状態なので、

留学生の存在はさほど珍しいことではない。

しかしこの留学生 何かがおかしい。

その日は何人かサボった奴が出て、

めちゃくちゃ忙しかったので、

その何かについて気にする余裕はなかったのだが、

少し忙しさが落ち着いて来た時、

僕はこの留学生に対する違和感に気づいた。

「全く表情が変わらない。」

彼は料理を運ぶときも、仕事を教えてもらうときも、

ましてやイレギュラーがあった時も

いかなる時でも表情が変わらないのだ。

確かに飲食店の店員が感情をむき出しにするのは

良くないことだが、僕らも人間なのだから

嫌な時にはほんの少し顔に出てしまうことがあるものだ。

彼にはそういったものが全くなかった。

僕は怖くなって、

すぐに仲のいい社員さんに相談した。

すると驚くべき答えが返ってきた。

「お前と同じじゃん笑」

え!?

僕があいつと同じ?

あり得ない。

でもよく考えてみると

思い当たる節がいくつかあった。

サークルである程度仲良くなった奴に

「最初 お前はずっと怒ってる感じで 気持ち悪かった」

と言われたり、

最初のバイト先では毎回のように

「もう少し笑ってくれ」と言われたりと

僕はしばしば愛想の無さを指摘されることがある。

ただ僕はここで少し反論したい。

僕が常にニコニコしてたら気持ち悪いだろと。

自慢だが、僕の笑顔は気持ち悪い。

20年間自分の顔と向き合ってきたが、

いまだに笑顔だけは慣れない。

食事中に思い出したら、間違いなく嘔吐するだろう。

そんな気持ち悪い笑顔で常にいたらどうなるだろうか?

今度は間違いなく「ニヤニヤするな。」

「ニヤニヤしてて気持ち悪い」と言われるオチに決まっている。

普通にしてたら無愛想

笑っていたら気持ち悪い。

じゃあいったいどうしろと?

答えは僕の身近なところに転がっていた。

コスプレ

そうだ!

コスプレをすれば顔を出さなくて良いから、

顔について文句を言われることはない!

ああ いつかありとあらゆる場所で

コスプレが許される世の中になって欲しい。

そうすれば 僕のように表情で悩まされる人が

救われるのに。

 

 

コスプレが世界を救う

ここ数ヵ月コスプレに向き合ってきたのは

誰が何と言おうと僕だと思う。

日本では雨の日も風の日も

冬の寒さや同級生の冷たい視線にも負けず、

毎日コスプレで登校し続けた。

日本では自称コスプレ王の座を

自称欲しいままにしてきた僕だが、

1つ成し遂げられていないことがあった。

「海外でのコスプレ」

僕はまだ海外でコスプレをしたことがない。

前回北京に行った時はコスプレ道具を忘れるという

自称コスプレ王にありがちなミスをしてしまったので

コスプレをすることはできなかった。

なので今回は僕の相棒ともいえる

牛マスクと牛パジャマを持っていった。

(日本での参考画像)

台湾はとても酪農が盛んな国で、

牛乳がスーパーやコンビニでたくさん売られている。

この事実にいち早く気づいた僕は

「牛の格好をして牛乳を買う」という

超古典的なギャグをして、

台湾でコスプレがウケるのかどうか試そうと考えた。

当初 僕は久しぶりにコスプレをするということもあって、

かなり高揚していたが、

いざ 牛のマスクを被ろうとすると、

1つの不安が頭をよぎった。

「もし牛のコスプレをしたせいで殺されたら…」

僕は以前全身白荘束のコスプレをしたことがある。

その時にアメリカに住んでいたことがある友達が

「お前 アメリカだったら確実に殺されてるよ」

と指摘した。

冷静に考えれば当時の僕の格好は

白人至上主義団体KKKの格好に酷似していて、

人種主義をタブーとするアメリカでは、

明らかに一線を越えている。

当然 僕に人種差別をするつもりがあったわけではないが、

海外では気づかぬうちに一線を越えてしまうことがある。

もし台湾で牛の格好をすることがタブーだったら…。

僕は一瞬 恐怖でコスプレをせずに

宿舎に引き返そうかと思った。

しかし 僕は「海外でコスプレをする」という

強い覚悟を持って台湾に来た。

もはやコスプレをするためだけに

台湾に来たと言っても過言ではない。

それなのにこの台湾でなにもしないでどうする。

僕は意を決して牛マスクを被った。

結果は僕の不安など軽々と吹き飛ばすほど

爽快なものだった。

レジで並んでいたお客さん、スーパーの店員

道行く歩行者、みんな僕を見て笑顔になっていた。

台湾の交通関係上、

視界がほぼ失われる牛マスクでの活動は危険なため、

牛マスクをしていた時間は非常に短かったが、

それでも人々の反応は日本以上だった。

「面白い」という感情は

その人が育った環境に大きく影響されるので、

世界共通の笑いを生み出すのは難しい。

日本で成功を収めたお笑い芸人が

海外では苦戦するということもざらにある。

ただ僕はこの日 「コスプレ」は

世界共通の笑いを生み出すポテンシャルがあるということを確信した。

コスプレは世界中を笑顔にできるのだ。

「知らない人についていってはいけない。」

「知らない人についていってはいけない。」

僕たちは小学校時代、

自分の身を守るための授業と称して ことあるごとに

この教訓を刷り込まされた。

しかし年月が経つと共に

この教訓への認識が薄まり、

自らの力を過信して、

知らないサークルの先輩についていったり、

知らない人の車に乗るヒッチハイクといった

小学校時代には考えられなかった

暴挙を繰り返すようになってしまった。

こんなことを言っている僕も

ヒッチハイクをして

自らの行動力をアピールする

大学生たちに感化され

幾度となく危険なヒッチハイクを繰り返した。

そしてこうしたヒッチハイクが成功に終わるたびに、

冒頭に述べた「知らない人についていってはいけない」

という教訓を忘れていくようになった。

しかし先日台湾で

この「知らない人についていってはいけない」

という教訓を痛感させられる事件が起きた。

事件の顛末はこうだ。

「先輩 バスケしませんか?」

前日に僕をクラブに誘ってくれた

例の1年生たち

またも気分が軽くなるようなノリ良い口調で誘ってくれた。

彼の話によると

彼がクラブで仲良くなった台湾人が

僕たちとバスケがしたいらしく、

バスケができる場所に案内してくれるとのことらしい。

僕は学生時代バスケ部に所属していたものも、

半年前に本ブログのリンクをグループラインに貼って

バスケサークルを退会して以降は

すっかりバスケからも離れ、運動不足になっていた。

研修も中盤に入り、

生活がマンネリ化し始めてきていたのもあり、

僕は迷わずこの誘いに乗った。

そして迎えた当日。

指定された駅に1年生たちと共に待っていると、

例の台湾人がやって来た。

彼は僕には目もくれず、

1年生たちにべったりとくっつき、

あまり聞かれたくない内容なのか

僕とは距離をとり、

英語でやり取りをしていた。

とにかくいまは彼についていくしか

方法はないので、

しばらくついていくと

周りの雰囲気が

明らかにバスケットコートなど無さそうな

ジャングル地帯に変わっていった。

(写真をとり忘れたのでグーグルマップから)

もしかしてこの台湾人はバスケができるという口実で

純粋な日本人留学生をジャングルの奥地に連れ出し、

誘拐してどこか別の場所に売り飛ばそうとしてるのではないか。

もはやバスケどころではない。

僕は不安で胸が押し潰されそうになり、

どのタイミングで逃げ出そうか

ずっと考えていた。

僕がこうして強い恐怖を感じていると、

目の前にラブホテルのような建物が見えてきた。

(写真をとり忘れたのでこれまた転載)

遠くから見ると怪しさ満点の建物だが、

近くで見ると上に世新大学の文字。

どうやらここは大学のキャンパスのようだ。

良かった。

少なくとも大学のキャンパス内で

人身売買に直面することはないだろう。

しかし 安心したのも束の間、

今度は別の不安が襲ってきた。

「僕たちはいったい誰とバスケをするのか」

というのもこの日は若干雨が降っていて、

屋根のない場所でバスケをするのは難しい状態だった。

となるとバスケができるのは

学校の体育館のみだ。

僕はバスケサークルに所属していたので、

大学の体育館を使ってバスケをすることができるのが、

全国から選ばれた精鋭が集まる

大学のバスケ部だけであることを知っている。

これは日本の場合だが 

恐らく台湾でもさほど違いはないだろう。

この日台湾人についていったのは

僕を含めて3人。

みんなバスケは素人に毛が生えたレベルだし、

何より体育館用の靴など持っていない。

そんな3人が現役のバスケ部員達と戦ったら…

考えるだけで恐ろしい。

この台湾人は日頃から日本に不満を溜めていて、

バスケが得意な友人を使って、

バスケ素人の日本人をボコボコにして、

日頃のストレスを晴らしているのではないか?

僕の不安をよそに この台湾人は

どんどん体育館へ近づいていった。

「オーッス!!!」

すると体育館から凄まじい円陣の音がとどろいた。

ヤバい。

気合いの入り方が全く違う。

これはもはや楽しくバスケをする時の

モチベーションではない。

明らかに ムカつく日本人を 

バスケと称した暴力でひれ伏させようという

純粋な悪意から来る殺意だ。

台湾は親日国だというのは真っ赤な嘘だ。

僕は恐怖で逃げ出しそうだったが、

いまここで逃げ出せば、

何が起こるか全く分からないので、

必死にこの台湾人についていった。

すると彼は体育館の観覧席に

僕たちを連れていった。

するとすぐに「ビー!」と

遊びのバスケでは決して使われることのない

ブザーが鳴り響き、

どこの大学かも分からないバスケの試合が始まった。

これはいったいどういうことなのか

すぐに1年生がこの台湾人に説明を求めると、

彼は衝撃の回答をした。

「まずはこの試合を全部観ろ。

試合が終わったら試合に出ていた

俺の友達とバスケをさせてやる。あいつが俺の友達だ。」

そう言って彼が指さした方向にいたのは

頭にバンダナをつけた身長190cmぐらいの黒人だった。

僕たちは完全にこの台湾人の異常性を悟り、

彼が試合に夢中になっている隙に、

軽い挨拶をしてすぐに体育館から出た。

あのままもし体育館にいたら、

僕たちはどうなっていただろうか。

今となっては知るよしもない。

この経験から言えることがひとつだけある。

「知らない人についていってはいけない。」

本当に意味不明な奴でありたいか?

僕は中学生の時にある決意をしていた。

「20歳になる前に童貞を卒業できなかったら、

10代最後の日に風俗に行こう」と 

当時 僕は「5年もあるんだから、いつかそういう時は必ずそういうときが来るだろう」

と童貞特有の楽観視をしていた。

しかし現実は甘くなかった。

僕は童貞卒業はおろか

彼女すらできないまま、

10代最後の日を迎えた。

僕は迷うことなく中学時代の決意に従って、

日本一の風俗街で童貞とプライドを捨てた。

僕の初めての風俗体験だった。

それ以来僕は様々な風俗へ行った。

ピンサロ デリヘル

ソープ サウナ

どこも非日常的で刺激に満ちた体験をすることができたが、

行った後はいつも 「何かを大切なものを失ってしまったのではないか」

という疑念からくる猛烈な虚無感に襲われていた。

そして僕は徐々に風俗へ行く意味を見出だせなくなってしまい、

台湾研修が始まってからは風俗に行くのをやめ、

健全な夜を過ごしていた。

そんなエピソードに乏しい研修生活も

中盤を迎えたある日、

同じ研修に参加している後輩たちが

「先輩! クラブ行きませんか?」と

若さと活力に満ちた雰囲気で誘ってきた。

彼らとはホモビデオに出た話と

サウナに行った話ですぐに意気投合していた。

彼らは普段からクラブに通い、

自分でイベントを開いているというなかなかの強者だ。

前述の通り僕は台北での人生最悪の

風俗体験以降すっかり意気消沈して、

あらゆる欲を失い「無」への道を突き進んでいたため、

当初は全く乗り気ではなかった。

しかし 彼らの「かわいい子と関わりたい」という

暴力的なまでに純粋で無垢な姿勢が

僕の消沈した気分を奮い立たせた。

僕は彼らと共にクラブに行くことに決めた。

そして迎えた当日。

僕らは門限の23:00に宿舎を出て、

これまで一度使ったことのなかったタクシーに乗り、

風俗恒例の妙な緊張感に包まれながら

目的地に向かった。

目的地の周辺には風俗街特有の

欲望と金にまみれた異様な雰囲気が漂っていた。

僕はこれから待ち構える未知の世界に

強い恐怖を感じながらも

この恐怖心を隠すために

必死になって後輩たちに話しかけていた。

そしてパスポートの提示と

所持金の1/2にあたる1000元(4000円)の支払いという

重々しい儀式を通過した後、

僕はついに異空間に足を踏み入れた。

そこには異空間という名にふさわしい

カオスが広がっていた。

何の曲なのかもわからないほどの大音量の音楽、

その音楽に合わせて手を振り、腰を振り

意味不明なダンスに興じる国籍不詳の男女。

意味不明な奴らが意味不明な音楽に

意味不明な振り付けで踊っていた。

この空間には意味不明を極めし者達が

己の意味不明度を競いあう「意味不明王決定戦」を行っていると

僕は感じた。

僕のブログのタイトルは「意味不明な奴でありたい」だ。

意味不明を極めようとしている者の一人として、

僕は決してこの意味不明者達に負けてはいけない。

僕は意を決して一番盛り上がっていた

DJ前のブースに乗り込んだ。

するとすぐに意味不明で国籍不明な外人が

意味不明なノリで絡んで来た。

この意味不明者達のノリについていけなければ、

意味不明を極めし者になることはできない。

僕はその場の勢いを利用して、

すぐにこの意味不明界隈に加入することにした。

そしてしばらく意味不明な外人達と共に肩を組んで踊っていた。

すると一人の意味不明なほど肥大化した

肉体を持った白人女性が、

僕をダンスに誘ってきた。

「チャンスだ」

この場にいる意味不明者達はみんな

美男美女を求めて踊っている。

ここで僕がこの醜い白人と踊ることで、

この「意味不明王決定戦」の中で一歩リードできるのではないか。

僕は迷わずこの醜い白人の誘いに乗った。

そして互いのお尻をつきあわせるという

意味不明なダンスをした後、

密着系のダンスをして、

そのまま無駄にアチスなキスをした。

出会ってわずか数十秒の出来事だった。

「勝った」

いくら世界中の意味不明者が集まるクラブでさえ、

こんな醜い白人とキスをする

意味不明な男は僕ぐらいしかいないだろう。

僕はキスをした瞬間

この「意味不明王決定戦」の勝利を確信し、

心のなかで高らかとガッツポーズをした。

しかしその高揚感は長くは続かなかった。

キスを終え、白人と離れてすぐ

僕に襲ってきたのは

自らの道徳心に背いたことから来るのであろう

猛烈な虚無感だった。

「なぜくだらないプライドのためにあんな醜い白人とキスしてしまったのだろう。」

僕は大切な何かを失ってしまったように感じた。

僕はこれまで「意味不明な奴でありたい」

というポリシーのもと活動してきた。

しかし意味不明な行動をとった後に

このような虚無感を感じるということは

本当の僕は意味不明な奴ではなく、

ただ普通な意味有明な奴なのかもしれない。

自分の人間性を深く考察させられる。

そんな台湾クラブ体験だった。

旅行者必読! 台北駅から台北101への行き方

2005年に台湾のマンハッタン🇺🇸と言われる

信義区に建設されてから、

台湾🇹🇼の商業、観光の中心地として

繁栄し続けている台北101🗼。

ショッピングモール🏠や飲食店🍴も充実していて、

台湾の中心地になった台北101は 

台湾に来たら1度は行っておきたい

観光地ですよね✨

そんな超人気スポットの台北101ですが、

なんと台北駅から電車を乗り継げば

15分で行けちゃうんです🎉

でも台北駅は出口が20個以上もあって🈶

まるで迷路のよう😇。

方向感覚に自信のある筆者も

最初に台北駅についたときはかなり迷ってしまいました(泣)

そんな僕のような迷える🐏観光客は

少しでも減って欲しいです🙏。

そこで今回は台北🇹🇼駅から台北101🗼までの行き方🚶を

どこよりも詳しく解説していきたいと思います🙆💯

まず台北駅に着いたら

この赤い淡水信義線という表示に従って進んで行きましょう。

台北駅は地下街は表示が途中で消えがちなのですが、

地下鉄の表示は最後まで消えないので安心してください。

表示に通りに進んでいくと改札が見えてきます。

長期旅行で何度も交通機関を利用する方はここで

悠遊カードを買うことをオススメします。

このカードは日本のSuicaのようなもので、

500元(最初に400元チャージされているので実質カード作製にかかるのは100元)で

作ることができ、電車だけでなくバスでも使うことができて、

しかも運賃が2割引きになるという優れもの。

窓口で 「我想买悠遊卡。ウォーシアンマイヨウヨウカー(私は悠遊カードが買いたい)」と言えば、

すぐに買うことができます。

改札を通ったら次に月台と書かれた

プラットホームに向かいます。

2番プラットホームから象山行きの電車に乗りましょう。

電車に乗ったら2駅目の中正記念堂で、

緑色の松山新店線に乗り換えます。

中正記念堂の松山新店線ホームは

淡水線ホームの目の前なので分かりやすいですね。

ここで松山新店線新店駅に乗り換えたら

次の駅の古亭駅で降りましょう。

古亭駅で降りたら 5番出口を目指します。

5番出口を出るとこんな景色が見えると思います。

この道が見えたらそのまま10分ほど直進しましょう。

すると左手に台北101の敷地が見えてくると思います。

このまま敷地内に入れば台北101はもうすぐです!

数分歩くとすぐに左側に台北101が見えます。

やはり実際に行ってると、

とても大きな建物ですね。

東洋一のビルと言われるのも頷けます。

今回の解説はいかがでしたか?

途中少し写真を撮り忘れてしまった点があり、

見にくかったかも知れません。

とにかく台北101は台湾が誇る素晴らしい

観光スポットです。

皆さんも台湾に来たら是非行ってみて下さい。

台湾の風俗に挑戦したら人生最低の夜になった話

僕は先日 台湾の代表的風俗店のひとつ金年華三温暖に行った。

というのも その日の午前中に行った陽明山

ガッカリスポット過ぎて、

テンションが下がってしまい、

埋め合わせをするために

風俗に行こうということになったのだ。

沖縄の時もそうだったが、

僕たちはつまらないことがあると

すぐに風俗に行って埋め合わせそうとする。

#困ったときは風俗へ

僕たちも自らのコンテンツ力を高め、

この風俗依存の風潮を、

いづれ改善したいと思っているが、

風俗のコンテンツ力は高すぎる。

まだまだ風俗の壁は高い。

#風俗に勝ちたい

何はともあれ 僕たちは研修前 最後の夜を

最高の形で終えるため風俗へ向かった。

風俗へ行くまでの過程は

代表作 「池袋西口でAV女優とヤれるという詐欺に引っかかり12万円ぼったくられた話」が

1万PVの大ヒットを記録し、その後も

沖縄最安デリヘルの実態を赤裸々に描写した「人妻パラダイス」や

台湾での男性からの痴漢体験を

事細かに語った「台湾のバスで巨漢の男にチンポをしごかれた話」といった人気作を連発し、

長きに渡り風俗ブログ界の王として君臨する

超一流風俗ブロガーしゃおじょんが魂を込めて語っているので、

是非こちらを見て頂きたい。https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102

僕は日本で何度か風俗店に行ったことがある。

しかし今回は 台湾の風俗店がチェンジ(来た女の子を別の子と交換すること)が

無料なことを知っていたため、 

来た女の子を全員チェンジして

台湾の風俗店の女の子はどのような感じなのか

見てみようと思っていた。

しゃおじょんのブログにあった通り、

入浴→休憩→おばさんから声をかけられる

という順で部屋に案内されると、

そこは「全員チェンジする」

という僕のひねくれた決意を嘲笑うかのように

二つのベッドの間に

おぼろげなライトが一つ置かれ

妖艶な雰囲気を醸し出していた。

ここで僕に一つの考えが生まれた。

「全員チェンジする」と決意したにも関わらず、

あっさりと欲求に負けるという展開はわりと面白いのではないか。

こうしてせっかくの決意が揺らぎ始めていると、

「コン コン」とやけに高いノックの音がして

一人の女性が僕の部屋に入ってきた。

「チェンジ」

僕は彼女の顔が見えた瞬間すぐに、

心の中で絶叫した。

顔は東南アジア系で明らかに台湾人ではなく、

年齢も明らかに40を越えていた。

しかし僕の決死の叫びは

儚くも彼女の元へは届かず、

彼女は黙々と準備を始めようとしていた。

元々僕は様々な問題を抱えながらも、

生活をしていくために強い覚悟を決め、

こうした店で働く彼女たちに「チェンジ」

という冷たい言葉をかける勇気などない。

もう諦めてこの女性に身を委ねようかと思ったその時

大切な情報を思い出した。

「スペシャルマッサージは15000円」

僕の今回の研修予算は50000円だ。

到着後2日間で15000円を使ってしまったので、

もしこのスペシャルマッサージを受けると、

残り20000円で3週間を過ごさなければならない。

このどこの国から来たかも分からないババアが

悲しむ姿を見たくないからといって、

僕の研修を棒に振る訳にはいかない。

僕は準備を終え、「脱いで」と急かしてくるババアに

勇気を振り絞って 「チェンジ」と叫んだ。

「言えた」と安堵したのもつかの間、

ババアは予想通り肩を落とし、

露骨にガッカリした様子で、

僕の部屋からとぼとぼと出ていった。

その後も数回チェンジをしたが、 

何度チェンジしても初回と同じような

東南アジア系のババアが登場し、

「チェンジ」と言う度に

これまた同じく露骨にガッカリした様子で帰っていった。

決意が揺らぐという展開は

全く起きる気配はなかった。

僕はただ楽しい夜を過ごしたかっただけなのに、

なぜこんなにも人がガッカリする様子を

見せられなきゃならないのか。

ババアの悲しむ姿なんか見てもただただ不快でしかない。

僕は結局 店の女性を全員見る前に、

そそくさと退散した。

こうして消化不良のまま休憩所に戻ると

絶世の美女に出会ったというしゃおじょんが

極度に興奮した様子で自らの体験を語っていた。

一通り語り終わると彼は

「お前はどうだった?」と聞いてきた。

先ほどの体験を簡潔に語ると、

舞い上がりに舞い上がりを重ねたしゃおじょんが

「ダッセー 俺だったら全員チェンジしてるから」と驕り高ぶった様子で煽ってきた。

ただでさえババアのガッカリ顔を見続け、

不快を極めているのに、

追い討ちをかけるような

絶好調しゃおじょんの煽り。

間違いなく人生最低の夜だった。

これまでの風俗依存のツケが

回ってきた形だ。

今回良い思いをしたしゃおじょんは

まだまだ風俗依存をやめることはないだろう。

僕にとってついに風俗依存を終える時が

来たのかもしれない。

第一 僕は性行為に全く興味がない。

そんな奴が風俗の話をしても、

性行為に命をかけてる奴の話には勝てない。

今後の方向性を見つめ直す。

そんな台湾風俗体験だった。


路上にいる果物売りが世界を支えている

台湾には陽明山という山がある。

元々は草山という適当過ぎて

草生えるネーミングの山だったのだが、

台湾に中華民国政府が入って以降に

政府の代表であった蒋介石が、

儒教のひとつである陽明学の祖 王陽明が

大好きだったので、陽明山に変えたとのこと。https://www.travel.co.jp/guide/article/29925/

僕にとってそんな

アフィリエイト乞食ブロガーのような情報は

どうでもいい。

それより陽キャラの「陽」に

明るいの「明」

まさに明るさの頂点に君臨するかのような山だ。

ご存知の通り 僕の性格は暗い。

リアルでは声も口数も少ない。

うるさいのはブログだけだ。

暗い性格をしていて得することはない。

性格を変えれば人生が変わる。

僕はこの明るさの頂点に君臨する陽明山の頂点を極め、

暗い性格を吹っ飛ばすことにした。

陽明山はとても遠い。

まず台北駅からバスで1時間。

そして麓のバス停に来てから

気づいたのだが、

標高が1100m(高尾富士の2倍)と意外に高い。

それも登山当日は天候が悪く、

高尾富士の登頂経験が豊富な僕であっても

陽明山の登頂は困難を極めることが予想された。

そんな過酷な状況の中

始まった登山は大方の予想通り、

過酷なものとなった。

開始地点の分からない登山道。

木っ端微塵に破れた同行者 ウメハラの靴。

降りしきる大雨。

前すら見えない劣悪な景色。

僕の登山モチベーションはどんどん下がっていった。

だいたい性格を変えるために

山なんか頼ってんじゃねーよ。

本当に変えなきゃいけねーのは、

山にすがろうとする腐った根性だろ。

こうして僕はあっさり登頂を諦めた。

しかしせっかくの登山

何かゴール地点のようなものが欲しい。

そこで僕は途中の標識にあった竹子湖という、

きれいな湖があるとのことなので、

そこを目指すことにした。

結論から言うと大失敗だった。

湖というよりかは

ただ何か得体のしれない植物が植えられている池で、

このただの池が大雨で視界不良という条件に合わさって

最低の景色を作り出していた。

これだけだとただのガッカリエピソードなのだが、

僕は竹子湖に行く途中ある不思議体験をした。

この標識を見て頂きたい。

この標識では竹子湖まで10分と書かれている。仮にこれを標識Aとする

次にこの標識を見て頂こう。

この標識だと竹子湖まで徒歩3分。

仮にこの標識を標識Bとする。

1枚目の標識から2枚目の標識までの間は

徒歩7分となっている。

しかし実際に歩いてみると、

大雨で道が狭くスピードが極端に遅かったにも関わらず、

明らかに標識から標識まで

徒歩3分以内にたどり着いた。

僕はなぜ標識の表示に矛盾が起きるのか、

強い疑問を抱いた。

台北屈指のガッカリスポット竹子湖を見ている間、

ずっとこの疑問について考えていると、

僕は一つの仮説にたどり着いた。

この写真を見て頂きたい。

標識Aと標識Bの間には

大雨の中 謎の果物売りが存在した。

恐らくこの果物売りは竹子湖で

休憩がてら果物を食べる客を想定しているのだろう。

標識Aから標識Bまでの7分間には、

果物売りで果物を買う時間を

計算に入れているのではないかという仮説が生まれた。

僕はすぐにこの仮説を実証するために

実際に果物売りで果物を買い、

買った時間と歩いた時間を合計した。

ビンゴ。

果物を買うのにかかった時間は見事に3分。

これを最初の歩き時間と合わせると、

当初の標識間 徒歩時間7分に限りなく近づくのだ。

僕は最初この果物売りを見たときに、

「こんな雨の中 誰も果物なんて買う奴はいないだろ 」と

この果物売りを無意味な存在だと思っていた。

しかし実際この果物売りがいなければ、

標識間の徒歩時間に必ず狂いが生じ、

観光客を間違いなく混乱の渦に陥れる。

つまりこの果物売りは標識の間違いを訂正するために

あえてあの場所に出店していたのだ。

一見 無意味に見えるものも

深い意味があるのかもしれない。

PS 買った謎の果物はめっちゃ不味かった。

台湾の遊園地には気をつけろ

僕はいま台湾にいる。

それも以前の中国に行った時のような弾丸旅ではない。

今回は大学主催の3週間に及ぶ語学研修だ。

これまで3泊4日のサークル合宿が

人生で一番家を離れた日数である僕にとって

3週間家を離れ、台湾で過ごすのは完全に狂気の沙汰だ。

とはいえ実際に研修が始まるのは3/1だ。

しかし語学研修という名の通り、

研修が始まってからは、

日中は主に大学で授業を受ける

という生活になることが予想され、

せっかくの台湾であまり自由に行動できないかもしれない。

そこで僕はしゃおじょんと共に3日前から台湾に入り、

研修前の3日間で、台湾を満喫することにした。

先日台湾に到着した僕らは

しゃおじょんの友人で台湾留学中のエドに連れられ、

台北の夜市を思う存分楽しんだ。

そして次の日はエドと別れ、

台北観光の術を失った僕たちは、

台北を諦め台中に向かうことにした。

宿で台中の観光スポットを探していると、

自称高所恐怖症のしゃおじょんが急に

「おい 台中にはグラビティマックスっていう世界で5本の指に入るほど怖いジェットコースターがある。行くぞ」

と言い出した。

僕は一時期2ヶ月に1回は

必ず富士急ハイランドに行っていたほど

ジェットコースターが好きなので、

台湾にとても怖いジェットコースターが

あると聞いて舞い上がり、

ウキウキでそのジェットコースターを調べた。


ショボい

明らかにショボい

最高高度35m (富士急ハイランドのええじゃないかは76m)

もさることながら

グラビティマックス最大の売りである

途中でレールが消えるというイベントも、

紹介サイトにあった動画で

ネタバレされてしまっていたため、

なぜこのサイトではグラビティマックスが

ええじゃないかと同列に語られているのか

全く分からなかった。

そして台中駅からバスで1時間30分という悪立地

このサイトを書いたのは

恐らく台中出身の台湾人に違いない。

歪んだ愛国心もほどほどにしてくれ。

僕はせっかく人生で始めて台中に行くのに

ショボいジェットコースターに

乗って1日を潰すのは最悪なので、

僕は恐る恐るしゃおじょんに

「グラビティマックスはあまりおもしろくはないんじゃないか」

という旨の発言をした。

すると彼は怒りをあらわにして

「行ってみなきゃわかんねーだろ。行く前から決めつけんな」と指摘した。

こうなったらもう誰も彼を止められない。

彼は僕の研修中のルームメイトなので、

3週間共同生活を送ることになる。

まだまだ彼と絶縁するわけにはいかないので、

僕は仕方なく

「とりあえず台中に行ってから考えよう」と話を先延ばしにした。

そして僕は当日予定通り台中に向かった。

僕はいまだにグラビティマックスに乗る気がなかったので、

バスの社内で必死に

しゃおじょんの気をそらせそうな

スポットを探していた。

横浜のコスモワールドで

満足していたしゃおじょんのことだ

台中駅に近い適当な遊園地を提案すれば

すぐにグラビティマックスのことなど忘れるだろう。

血眼になってマップを見続けること数十分。

僕はついに最適な場所を見つけてしまった。

「遊園地 黃金堡親子樂園 」

グーグルマップに光輝く遊園地の三文字。

台中駅から徒歩数分という最高の立地。

これしかない。

この遊園地なら間違いなく

しゃおじょんの欲を満たし、

辺境の地にある遊園地に行かなくてもすむ。

僕は台中駅に着くと、

しゃおじょんをこの遊園地に連れていくことに決めた。

そしてバスに揺られること2時間。

僕たちはついに台中駅に着いた。

広がる一面の繁華街。

「こんなところに本当に遊園地があるのか」

僕は到着後すぐに若干の違和感を覚えた。

「まあコスモワールドも都会のど真ん中にあるし」

当初この程度に考えていた僕も

あまりにも変わらない風景に対して

遊園地に近づくつれに

強い違和感を抱くようになっていった。

そしてついに指定された場所に到着した。

「違う。明らかに違う。」

これはどうみても遊園地ではない。

まず外にアトラクションがないし、

遊んでいる人も見当たらない。

僕はこの時点で全てを察していたが、

しゃおじょんの「行ってみなきゃわかんねーだろ」

という言葉を思い出して、

僕は勇気を振り絞って中に入った。

僕 「我想在这儿游戏 私はここで遊戯がしたい。」

店員 「你是几岁~(よく聞き取れなかった。 )  何歳ですか? 」

僕  「我是二十岁 僕は20歳」

店員  「带小孩子吗 小さい子どもを連れていますか?」

僕 「不带 連れていない。」

この不毛なやり取りの後、

店員はやんわりと指を外に指し、

僕に「ここはお前の居場所ではない」と伝えた。

こうして僕の企みは脆くとも崩れ去った。

PS その後に元々行く予定だった遊園地に行き、

グラビティマックスを楽しみましたとさ。

グラビティマックス ↑

めでたし めでたし