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ドイツ・ケルン 完璧な一日など存在しない 〜サウナが教えてくれたこと〜

無用な心配をしたあげく、何事もなくドイツに到着した僕は次なる旅路への計画を練っていた。

普段であれば、目的地に到着する以前にざっくりとした流れを考えておくはずなのだ。

しかし今回の旅路では「何か入国できない気がするから後でいいや」という具合で僕の怠惰主義と悲観主義が完璧な化学反応を見せてしまい、全て先延ばしになってしまっていた。

ドイツ…ビール、サッカー、FKK、ケルン大聖堂。

冷静に考えれば分かることだが、無学、無教養、無風情の3無の象徴である僕にとって計画を立てることはそれほど複雑なことではない。

良いものを観て、良いものを食って、良いベッドで寝る。

#クウヤルネル

大局的に見ればどんな場所に行っても上記のことは大きく変わらないのだ。

自らの単純さに感謝の念を抱きながら、僕はドイツ旅に関してざっくりとした計画を立てた。

1日目 デュッセルドルフ (ライン川見たい)

2日目 ドルトムント(サッカー博物館行きたい)

3日目 ケルン (ケルン大聖堂見たい)

4、5日目 フランクフルト (フランクフルト食べたい&振りたい)

6日目 ケルンからロンドンへ移動

+どっかでサウナも行きたい、ビール&ソーセージも満喫したい。

地図

1日1行の大雑把な計画ではあるが、僕はHIなんとかでもJTなんとかでもないただのはいぐ〜なので現段階ではこの程度の計画で十分だ。

そしてこれらの計画はある瞬間までほぼ完璧に機能していた。

ある瞬間までは

2021/9/8

デュッセルドルフ→ドルトムントと安定した旅路を終えた僕はケルン大聖堂を体感するためにケルンを訪れた。

安定旅路の継続は僕のアイデアにも大きな影響を及ぼす。

ケルンに到着し、ホテルのベッドでゴロゴロしていると、今日という一日を楽しく平和に過ごすためのアイデアがどこからともなく僕の脳裏に浮かび上がってきたのだ。

15:30 現在

16: 00 昼食

16: 30 ケルン大聖堂見る

18: 00  サウナで一汗

19: 30  ビールとソーセージで晩酌

20: 30  夜景鑑賞

やばい 完璧な一日だ。

ざっくり計画主義の僕がこんな完璧な一日を送って良いのか。

予定調和を愛して良いのか

いや

思いつきでばかり行動してきた僕でもたまにはこんな日があっても良いんじゃないか。

自らの計画力向上に複雑な心境を抱きつつも、せっかくの美しい計画を台無しにする必要もない。

今後の美しい未来に心を踊らせながら僕はホテルを出発した。

計画どおりに例のごとくケバブ屋で昼食をとり、ケルン大聖堂に向かった。

ケルン中央駅の正面にそびえ立つケルン大聖堂は今後”大聖堂”と名のつく観光地を見ても全てショボく感じてしまうのでないかと思うほど、巨大で荘厳な作りであった。

自らの姿が写った記念写真撮影が若干難航したものの、予定どおり30分ほどケルン大聖堂の圧巻の景色を満喫した。

この日は日差しが強く夏の兆しが残る一日であった。

3無らしく写真撮影に躍起になっていた僕は自らがすっかり汗ばんでいることに気づいた。

さあ 次はサウナだ。

僕はオランダでの経験からサウナに対して良い印象を抱いていた。

聞くところによるとドイツもオランダと同じ男女混浴着衣無しのサウナ文化を持っているらしい。

サウナで身も心もととのい、ビールを飲めば最高の一日だなあ。

僕はリサーチしていたサウナに向かいながらそんな妄想にふけていた。

当時行こうとしていたサウナ

ケルン大聖堂から歩くこと15分。ついにお目当てのサウナに到着した。

さあととのいだ。

僕は意気揚々とサウナの門をくぐった。

僕 「one person 」

店員 「vaccinated?」

僕 「no」

店員 「sorry」

僕 「pcr test ok?」

店員 「sorry」

どうやらサウナの入場にはワクチンの証明書が必要とのことだった。

ゆるゆるの入国審査にすっかり油断していた僕は思わぬ洗礼を浴び、さっさと追い返されてしまった。

とはいえ今日の完璧な一日はサウナ無しでは完成できない。

まだ夕食には早すぎるし、このサウナ気分を満たさずにはいられない。

全てのサウナがここまで厳しいとは限らないだろう。

ドイツは店によってコロナ対策が厳しい店とゆるゆるな店がはっきりと分かれていることは3日間の滞在で理解していた。

僕はすぐさま別のサウナを探した。 

流石はサウナ地帯ヨーロッパ。ここの他にも多くのサウナがあることが分かった。

僕はその中でも最も近くにあったphoenix saunaへの訪問を決めた。

サウナ! プール! ととのい!

僕のサウナ浴は限界まで高まっていた。

入店拒否サウナからphoenix saunaまでは歩いて15分ほどあったが、士気の高まりにより遠さを感じることもなくあっという間に到着した。

しかしphoenix saunaもまた先ほどのサウナと同じようにワクチン証明書の提示など厳しい対策を施していることが入口の張り紙で分かった

唯一違ったのはpcr検査結果でもOKとしていた点だ。

僕は1週間前に日本で受けたpcr検査の結果を持っている。

サウナに飢えていた僕はダメを承知で1週間前の検査結果を持って店に入った。

店員は先ほどと同様に証明書の有無を問いかけた。

僕は自信満々に1週間前の陰性証明書を掲げ、医者のサインがあるだとか権威性のある要素を適当にアピールした。

すると店員も納得した様子で頷き、僕の入店を許可した。

やっとサウナに入れる。

やはり今日は完璧な一日なんだ。

店員からタオルを受け取った僕は身も心も弾ませて更衣室へ向かった。

そこが地獄の入口であることも知らずに。

更衣室は受付から階段を降りた先にあった。

一見 何の変哲もないロッカーであったが、後で振り返ると妙に薄暗い雰囲気があったと感じる。

だがしかし当時の僕はそんな違和感に気づくこともなく、サウナを楽しめる喜びに浸り続けていた。

足早に着換えを済ませた僕はシャワールームへ入った。

シャワールームは欧米らしく数枚の仕切りがあるだけの開放的な作りをしていた。

僕はここで最初の違和感を覚えることになる。

僕が訪れた際には既に何人かの漢がサウナ内をうろついていた。

それ自体はどのサウナでも当たり前のように見られる光景である。

しかしこのサウナが違っていたのはどの漢たちも妙に張り詰めた雰囲気をまとっていることである。

普通のサウナの漢たちのような開放感溢れる雰囲気ではなく抑圧された何かの行き場を探すような独特な雰囲気を醸し出しているのだ。

サウナってこんな緊張する場所だったけ。

僕はサウナ内の妙な緊迫感に底知れぬ違和感を覚えつつ、ひたすらにシャワーを浴びた。

その違和感はすぐに明確な現実として登場することになる。

シャワールームを出るとサウナには全くもってそぐわない欲望を滾らせるネオンサインが煌めくスチームサウナがあった。

ああ そうだったのか

僕の旅路が安定で終わる訳ないよな。

妙にギラつく漢たち。ピンクサロンでしか見たことのないようなネオン。

僕はこのサウナにまつわる全ての事象を察した。

ただ サウナーたるもの如何なる状況であってもサウナを楽しむべし。

目の前にサウナがあるのに入らない漢をサウナーと呼べるのか?

へっぽこサウナーである僕だがここはサウナーとしての矜持を見せなければならない。

僕はこの先にどんな現実が待っていようとも、いつものように3セットのサウナ浴を完了することを固く誓い、サウナ室の扉を開けた。

サウナ室は灯りの少なさと蒸気で前が見えないほど暗く、迷路のように細長い作りをしていた。

恐怖と好奇心の両方が僕の心臓を大いに震わせていた。

暗闇の中1分ほど歩くと2段ほどのベンチがある小さな小部屋にたどり着いた。

あたり一面に漂う性に飢えた獣の呼吸音。

ここはダメだ。

某道場で鍛えた嗅覚が僕に訴えかけていた。

僕はすぐさま引き返し、部屋へ続く道の途中にあったベンチに座り、サウナを楽しむことに決めた。

それほど熱くはないスチームサウナであったが、普段では考えられないほどの汗が僕の体から噴き出していた。

こんなに緊張感のあるサウナは後にも先にもないだろう。

部屋に続く道の途中にあるベンチに座る僕の前を多くの”サウナー”たちが通過していった。

みな一様にギラギラとした目つきで獲物を見定めるかのように僕を見つめた。

僕は以前某りんに「ギラギラしてる漢のほうがかっこいいよ」と無責任な言葉をかけたことを思い出した。

今なら自信を持ってあの言葉を撤回できる。

見知らぬ人からギラつかれるのはマジで怖いから、ギラつく相手は選べと。

そうして恐怖と緊張に苛まれていると徐々に身も心も限界に達しつつあるように感じた。

僕は水シャワーを浴び、あのネオンライトのない平和そうなジャグジーへ移動した。

ジャグジーで束の間の平和を味わっていると、先ほどギラついていた漢のうちの1人がこちらを見て微笑みながらジャグジーの前を通過していった。

彼はプーチン大統領に似ていたので以後プーチンと呼ぶことにしよう

僕は適当に微笑み返しつつ、僕がサウナに戻るのをプーチンが待っていることを察した。

如何なることがあっても3セットをやりきる。

それが僕の今日の誓いだ。

僕は誓いを思い出し、再び自らを奮い立たせ、サウナ室へ向かった。

そして先ほどと同じベンチに座り、滝のような汗を流した。

僕がサウナに入ってから数分。

入口から人影が見えた。

プーチンだ。

やはり彼はやってきた。

そして予定調和といわんばかりに僕の隣に座った。

ただ僕はまだ2セット目だ。ここで安易に受け渡すと次のセットを楽しむことはできない。

僕はサウナを楽しみにやって来た。そこだけは譲れない。

僕は上下の局所をタオルで頑なに隠し、そうした気はないことを強く主張した。

僕の主張が伝わったのかプーチンも隣に座っただけで、これといった動きを見せることは無かった。

こうして2人隣り合って熱さに耐えること10分ほど

僕の2セット目は終了した。

2セット目の段階で心身ともにかなりの疲労を感じていた僕だったが、ジャグジーで体勢を整え、最後の戦場へ向かった。

これまでと同様に中間地点のベンチに座るとこれまた同様にプーチンが僕の隣に座った。

僕はタオルを開放した。

良かったなプーチン。僕は期待されると断れない性格なんだ。

僕がタオルを開放するとプーチンはベルリンの壁が開放された際の東ドイツ市民のように、即座に僕の体になだれ込んだ。

そしてKGB仕込みのテクニックで僕の体を端から端まで触れていった。

当初は違和感しかなかった僕であったが、元々漢の指は嫌いじゃない。

サウナ中にマッサージをしてもらっているような感覚は決して悪いものではなかった。

これもサウナの楽しみ方なのかもしれない。

しかし彼は次第に僕の大切な商売道具にまで手を伸ばし始めた。

彼が次のステップに進みたいのは明確だった。

ごめんな プーチン 僕はもう昔の過激な遊びばかり追い求める僕じゃないんだ。強引なやり方はやめようぜ

僕はそう心の中でつぶやき、体を起こして彼の頬に唇を当て、その場を後にした。

彼の落胆した様子が遠くに見えた。

ps 夜のケルン大聖堂の景色は感動的な美しさでした。

僕はうんこを漏らした

僕はうんこを漏らした。

漏らすつもりは全く無かった。

ただの放屁のつもりだった。

ほんの少しの油断だったんだ。

牛乳を飲み過ぎた。

牛乳飲み過ぎは漏らしの始まり。

あの忌々しき禁酒会でそう学んだはずだった。

いつものようにベッドに横たわって映画を観る。

ふいに襲いかかる便意。

どうせ放屁だろうという油断。

機能しない肛門筋

       ブスーーーブリュリュリュリュリュブ!!!

漏れた。

僕の「売り専」体験記part3 恐怖体験編

前回に引き続き今回も「売り専」体験について赤裸々に語っていく。

初出勤以降ありがたいことに僕は何本かの指名を頂き、2週間で6万円ほどの収入を得ていた。

「これ結構イケるんじゃね?このままいけば店のトップになっちゃったりして♂」

僕は鳴りやまない指名に手応えをつかみ、すっかり有頂天になっていた。

そう あの「事件」が起こるまでは。

それは季節外れの暑さが続き、夏の訪れを予感させていた6月2日のことだった。

その日は僕の地元である横浜で開港160周年を祝う開港祭が開かれていた。

しかし当時の僕は5月最後の週に行ったタイ旅行での大量の出費によって資金が不足していたため、祭りを楽しむ余裕などなく、新宿男道場にシフトを入れていた。

「他の奴らが祭りで浮かれている間に、僕は男道場で強くなろう」

僕はそう自らを肯定し男道場での鍛練に励もうと意気込んでいた。

けれども待てど待てど連絡は来ない。

こうした時に限って、男道場は鍛練の相手を用意してくれないのだ。

僕はもう諦めて家に籠り、自己鍛練という名の自慰行為でもしようかと考え始めていた。

「このパターン初出勤の時と同じだな」

ふと僕の中にそんな考えがよぎった。

少し整理してみると今日6月2日は日曜日、当日まで連絡なし、晴れと初出勤の日と条件が酷似していた。

「男の性欲は気まぐれだ。もしかしたら当日連絡が入るかもしれない。」

僕はそんな僅かな可能性に備えて新宿へ向かうことにした。

17:30 僕は新宿に到着した。

初出勤時に連絡の入った時間を過ぎていたが、いまだに僕の携帯は鳴っていなかった。

僕は連絡が来なかった時のために用意していたウーバーイーツの装備を身につけ、ひとまず時間を潰すことにした。

19:25 テテテテテテン テテテテテテン

鳴った。 相手はもちろん新宿男道場からだった。

「とうきく~ん お疲れさまで~す♂21:00から笹塚駅のお客様なんだけど大丈夫かな~」

きた! それも笹塚 性欲の気まぐれを信じて新宿に入っておいて良かった!

僕は迷わず「大丈夫です。」と答え、ウーバーイーツを切り上げて笹塚へ向かった。

この時 僕は指名を予測して新宿入りした自らの名采配に自惚れていて、待ち構えている男が欲望を抑えきれず当日に予約を入れた性欲モンスターであることを完全に忘れていた。

21:00 僕は指定されたアパートに着いた。

3階建てほどの小さなアパートで、僕がこれまで訪れた高級マンションたちに比べるとお世辞にも豪華とは言えない建物だった。

家は人を写す鏡だよ。」

これは僕に多額のチップをくれた大豪邸に住むあるお客様からの一言である。

当時なんとなく聞き流していたこの一言が強く身に沁みる展開になるとはこの時まだ思いもしなかった。

話を戻そう。

指定されたアパートに着いた僕はいつものようにインターフォンを鳴らした。

するとH田と名乗る濃い顔をした若い男が表れた。

僕がこれまで共に鍛練してきたお客様はみな50代以降で若い男はいないと思っていたのでとても拍子抜けしてしまった。

そして挨拶もそこそこに大きなベッドの置かれたH田自慢のワンルームへ案内され、

いつものようにシャワー→キス→フェラの順番でお互いにオーガニズムに達し、プレイを終えた。

ここまでは特筆することもないいたって普通のサービスだった。

そうここまでは

「一緒にお酒を飲もう」

プレイを終えたH田がそう声をかけた。

この時点で21:40。H田は21:00から22:00までの一時間コースだったため、まだ時間に余裕があった。

僕はピロートーク中に軽く一杯喉を潤す程度のものだと思っていたので、特に何も考えず誘いに乗った。

この一杯が地獄の始まりだった。

お互いにプレイ後のシャワーを浴び終え、ベッドの前に置かれた小さなソファーに腰掛け、水割りのハイボールで乾杯した。

H田とは年齢が近いということもあり、恋愛やセクシャリティの話でとても盛り上がった。

H田は元々ノンケ(女好き)だったのだが、学生時代に友達とゲイバーに行ったのをきっかけに男に興味を持ち始め、今では完全にゲイになったとのことだった。

こうした話は中学から高校にかけてバイからノンケへ「性転換」した僕にとっても大変興味深い話であった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと時計は22:00の針を指していた。

僕「じゃあ時間なんでそろそろ…」

H田 「えーもうちょっと飲もうよ」

振り返るとさっきまで空だった僕のグラスになみなみとハイボールが注がれていた。

「注がれたお酒を断ってはいけない。」

これは僕が大学生活で学んだ唯一の知識だ。

僕は「あと一杯だけだよ」と伝え、再び酒の席へ戻った。

一杯一杯また一杯。

その後もこの僕が帰る素振りを見せるたび、「あと一杯だけだから」といってH田が止めるという流れが続いた。

22:30、23:00、 刻一刻と時間は流れた。

もう5杯は飲んだだろうか。

当初水割りだったハイボールは杯を増すごとに濃くなり、既にロックに近い状態と化していた。

僕は徐々に自分の意識が朦朧としていくのがわかった。

H田はこのタイミングを待っていたようだった。

H田は僕が酔って抵抗する気力を無くしているのをいいことに、急に僕の胸や局部を触りだすといったスキンシップを繰り返すようになり、最後にはディープキスを求めた。

H田は元々一番安い1時間コースで僕を呼び出し、酒に酔わせ判断力を奪った後、行為に及ぶ魂胆だったのだろう。

もはや一線を越えるのは時間の問題だった。

しばらく絡んだ後、ふいにH田は僕にベッドに横たわるよう指示を出した。

この時点で僕は完全に酔いが回っていたので、家に帰ることよりも横になることを優先したい心境になっていた。

「やっと横になれる。まあゴムはつけるでしょ。」

僕はそう軽く考えて、指示通りに横たわった。

酒と欲望に溺れ完全に獣と化していたH田にもはやそんな倫理観が通じるはずもなかった。

彼は僕のパンツを脱がすと、まともに指を入れることもなく、僕の尻穴に自らの肉棒をぶちこんだ。

僕の尻に激痛が走った。

基本的に尻穴に局部を挿す際には最初にまずローションで尻穴の滑りを良くしてから、指を一本ずつ入れて尻穴を少しずつ広げていくのだ。

そうした過程を一切省いていきなり局部を突き刺せば激痛が走るのは当然だ。

いうなれば、いきなり尻穴に鉄の棒を突き刺されるようなものだろうか。

そんな痛みに悶絶する僕には目もくれずH田は獣のごとくひたすら腰を振り続けていた。

H田が絶頂を迎えた時には、僕の尻から大量の血が流れていた。

何度も尻を貸したことはあったが、血が出るのは初めてだった。

僕は完全に我に帰った。

そんな僕をさらに恐怖のどん底に突き落とす光景が目の前には広がっていた。

ハマダの周りにコンドームをつけた形跡がなかった。

終わり





PS    陰性でした。良かったです。

 

僕の「売り専」体験記part2 初出勤編

前回の記事に引き続き今回も僕の売り専体験談を赤裸々に語っていきたいと思う。

5/16に面接を終え、晴れて「新宿男道場」の男となった僕は早速その週の日曜日である5/19にシフトを入れた。

男道場ではシフトを入れた時間に指名が入るとすぐにマネージャーから場所や料金を含んだ連絡が入る仕組みとなっていた。

こんな感じの連絡

しかし5/17、5/18と僕の元に連絡が来ることはなかった。

そして運命の5/19。

いつものように昼過ぎに起きた僕は男道場から連絡が入っていないのを確認し、昼食をとった後、ウーバーイーツをする準備をしていた。

「いきなり新人を指名する人はいないか」

そう半ば諦めに近い状態で準備していると

テテテテテテテテン  テテテテテテテテン

不意に僕のライン通話が鳴り響いた。

男道場だ。

すぐさま電話をとると

マネージャー「もしもし~とうきくんかな~♂? いまどこにいる?」

僕 「いまは家です」

マネージャー 「今から○○駅行けるかな~?」

何を行ってるんだこいつは。

この○○駅は僕の家から1時間近くかかる僻地だ。

しかし僕に残された選択肢は一つしかない。

「行きます。」

こうして僕の初出勤が決まった。

「行きます」と言ったはいいものも、当時の僕は連絡が来ないと思い込んで、昼飯を食べた後にすぐ自慰をしてしまっていたため、完全に精力を失っていた。

この業界では いくらお客様と交わる時間が数十分とはいっても、いつ訪れるか分からない彼らの欲望に対応するために、常に精力を高めケツを貸せる準備を怠ってはいけないのだ。  

もし8時間、木を切る時間を与えられたら、

そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう。

リンカーン

https://yume-hakobune.com/lincoln-2/

準備の大切さを僕は改めて痛感した。

しかしもう失った精力はすぐには元に戻らない。

いまはとりあえず気持ちを切り替えて全力を尽くすしかない。

僕はそう気合いを入れ直し、指定された住所に向かった。

そこには平民育ちの僕には縁のない巨大なタワーマンションがそびえ立っていた。

僕には大金をバックに自らの欲望で低級国民たちを振り回す上級国民たちの姿が浮かんだ。

「何をされるのだろうか」

僕は急に不安になりエントランスの前で立ち止まってしまった。

ただ今はもう行くしかない。

出てくるのは人間の男だ。ゴリラや猿が出てくるわけではない。

僕は再び意を決しインターフォンを鳴らして部屋へ入った。

出てきたのは優しい雰囲気をした50歳後半ぐらいの男性だった。

「良かった」

彼は軽く挨拶を済ませると、すぐさま料金を払い、僕にシャワーを浴びるように促した。

その様子はとても落ち着いていて、突然僕を呼び出した男には思えなかった。

ただ彼の部屋に隠すことなく散乱したアダルトビデオやオナホールだけが彼の溢れんばかりの性欲を表していた。

そしてシャワーを浴びた後、再び彼の部屋に戻った。

もう先ほどの落ち着いた様子の男はいなかった。

そこにいたのは僕と交わるのをいまかいまかと待つ血走った目をした漢の姿だった。

「…始まったか」

僕は全てを察し思いっきり彼の胸に飛び込んだ。

そして撮影の時と同じ流れで、キス→乳首→フェラ。

そして最後は僕のケツで彼との行為は完ケツした。

「無事イケました。」

最後にそう報告した彼の顔は最初に会ったときの優しい表情に戻っていた。

行為が終わると僕は彼からいくつか質問を受けた。

「今日で何回目?」「いくつ?」「出身は?」

どの質問も他愛のないものだったので、僕らは互いに質問をしながら穏やかな時間を過ごしていた。

不意に彼がこんな質問をした。

お客様「君ノンケなのにバック受けできるなんて珍しいね。どっかでやってたの?」

僕 「実は以前ビデオに出たことがあって」

お客様 「そうなんだ。どうりで見たことある顔だと思ったらそういうことか」

その後も話をしていくと、どうやら彼は僕が出演したビデオ会社のサイトを登録しているとのことだった。

この業界は本当に狭い。

ネット社会の隅の隅で細々と公開された僕の動画に関心を持っている人がいるのだ。

ふと僕はこの「新宿男道場」に新たに入店した「とうき」に関心を持っている人がいるのかどうか気になった。

有名な風俗店には必ずその店のキャストのことを語る2chのスレッドがある。

「新宿男道場 2ch」で検索すると、他の店と同じようにスレッドが立ち並び、キャストたちのことをあれこれと語られていた。

僕は緊張した面持ちで慎重にスレッドを辿っていった。

あった。

それも先ほどの彼が聞いてきた内容と全く同じだった。

まさか同一人物ということはないと思うが、自分が2chに書かれる立場になるとは、数年前には考えられないことであった。

僕はもう見られる立場なのだ。

何か悪いサービスをすれば激しく批判されるだろう。

改めて身とケツを引き締めて行動しなければならないと感じた初出勤だった。

続く

僕の「売り専」体験記 part1

2019 5/16~6/20

これはとある事情で「新宿男道場」という男性向け風俗店で「売り専」として働いていた期間だ。

なぜ僕は「売り専」として働くことになったのか。

話は4ヶ月前にさかのぼる。

度重なる旅によって深刻な資金不足に陥っていた僕は以前から強い興味を持っていた某ビデオに出演した。

和やかな雰囲気が流れていた撮影後、熱い共演を果たした男優様がこんなアドバイスをくれた。

「お金困ってるなら、ウリセンやってみたら?」

ウ リ セ ン? 

僕は当時「ウリセン」というものが何なのか分からなかった

彼はそんな僕の疑問などお構い無しに「ウリセンはうまくいけばめっちゃ稼げるよ」と話を続けていた。

気になった。

僕は早速 帰宅途中の電車内で「ウリセン」という言葉を検索した。

僕は全てを察した。

どうやら「ウリセン」とはゲイ向けの風俗店を指しているようだった。

当時 ビデオ撮影の成功によって男性との性行為に強い興味を持っていた僕はこの「売り専」というワードに惹かれ、ページをスクロールしていった。

すると あるサイトが僕の目に飛び込んできた。

そう 「新宿男道場」だ。

圧倒的な存在感で見る者をたった一文字で魅了する「男」というロゴ。

「新宿」「男」「道場」

この男男しい言葉をつめこんだ まさしく男のトリプルブッキングと呼ぶにふさわしいネーミング。

僕は完全にこの「新宿男道場」の虜となった。

しかし当時はまだいくつか別のビデオ撮影案件を抱えていた。

僕はいったん「新宿男道場」への想いは捨て、別のビデオ撮影に性意を向けることにした。

そしてビデオ撮影案件が落ち着いた2019年5月。

僕の中に沸き上がってきたのは他でもなく「新宿男道場」への未練だった。

「新宿男道場で働いて真の男になりたい。」

僕は「新宿男道場」に自らの性意を伝えた。

するとすぐに彼らからこんなメールが届いた。

相手の性意に対して、すぐに誠意を持って答える。

ケツの締まりを大切にする真の男にふさわしい実に引き締まった対応だ。

そしてその後のやり取りを経て、僕の面接日は5/16に決まった。

もちろん「新宿男道場」には他の風俗店と同じく以下のようなキャスト一覧表がある。

いままで僕はキャスト一覧表はただ見ているだけのいわゆる「ROM専」だった。

それがいまやキャスト一覧に名を連ねる

「売り専」に変わろうとしているのだ。

仮に採用されれば、僕を指名した人間が親友であろうが父親であろうが必ず駆けつけ奉仕せねばならない。

しかし考えようによってはこれまで多くのワクワクをくれた「風俗業界」へ飛び込むことは一種の恩返しにもなるのではないか。

そんなことを考えながら日々を過ごしていると、すぐに運命の5/16がやって来た。

そして面接当日。

僕は指定された都内某所のとあるマンションの1室の扉を叩いた。

すると中から真の男にふさわしい精悍な顔つきをした一人の男が現れた。

彼は僕を見るやいなや開口一番に

「かっこいいね~♂ 写真よりもずっといいよ~♂」

と声を上げた。

僕は「イケメンだ」「男性受けする」だとか最近やたらと男性に容姿を褒められることが多い。

これまで女性から容姿を褒められたことは全く無いことを考えると、やはり僕は男性をターゲットに生きていくしかないのだろうか。

それはさておき、面接用の部屋に入った僕は先ほどの男(マネージャー)から面接シートなるものを渡された。

この面接シートは住所や年齢といった個人情報だけでなく、局部のサイズやセクシャリティ、

さらには男性経験の有無といった「個人情報」の記載も求める大変個性的な面接シートであった。

そしてこの面接シートを書き終え、マネージャーを呼んだ。

彼は僕の面接シートを一瞥するとすぐさま「採用」の旨を伝え、仕事内容の説明を始めた。

彼の説明によると「売り専」業界では主に3つの禁止事項があるとのことだった。

1 お客様との個人的な連絡先交換の禁止

2 お客様の情報を外部に漏らすことの禁止

3 お客様とのコンドームを用いないセックスの禁止 

その他にも料金前払いとセックス前のシャワーの徹底といった細かいルールの説明があり最後に給料の確認が行われた。

説明の間、僕はある不安を抱えていた。

「僕はちんこが小さい」

お気づきの方もいるかもしれないが、「新宿男道場」では全ての従業員がPsizeと称して自らの局部のサイズを公開している。

彼らのサイズは最低でも15cm なかには18cmを越える強者も存在している。

しかし僕は185cmという高身長を誇っておきながら、局部のサイズが13cmしかない。

15cm 18cmといった猛者たちの間に入れば確実に恥をかくに違いない。

僕は全ての質問が終わった後、マネージャーにこの不安を伝えた。

すると彼は笑って「2cmくらい平気だよ」といって僕の面接シートの局部サイズ欄に15cmと書き足していた。

なんて度量が大きいのだろうか。

彼こそこの「男道場」の王にふさわしい男だ。

こうして面接を終えると、予告通りサイト用の写真撮影が始まった。

パンツ一丁になり、様々な角度から数十分に渡り撮影が行われた。

そして撮影が終わると、マネージャーは早い段階でのサイト公開を約束と連絡先の交換を行い、面接は完全に終了した。

後日 サイトを確認してみると

いた。

局部のサイズもしっかり15cmとなっていた。

since5/16 こうして僕の売り専体験が始まった。

続く。

右折しようとした、しかし左折した。

いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん

そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?

「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908

「大食いの称号」という取るに足りない称号。

「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。

僕はこのタイトルが大好きだ。

誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。

「香港の巨大魚を狙おうとした、しかし挫折した」

「ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した」

これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。

しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。

それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。

僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。

そう「左折」だ。

「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。

また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。

僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。

以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。

令和元年 6月某日

「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。

何故西早稲田駅にいたのか。

理由は一つだ。

僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに

体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。

今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。

いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。

そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。

右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。

恐るべし「新宿二丁目」

血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。

「止まれ 左折しろ❗」

ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。

ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。

それは4ヶ月前のことである。

僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。

「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。

マッサージのことだろうか?

当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。

すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。

僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。

「入らない」

僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。

それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。

「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。

ついにその瞬間はやって来た。

僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。

そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。

「入る! 入る!」

僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。

そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。

僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。

「どうしたの?」

ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。

振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。

彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。

僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。

芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。

安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。

絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。

僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。

左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。

新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。

やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。

僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。

「ゴーゴーバーに行く男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行く男は天へも昇る。」

「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる。」https://lifework-freedom.com/?p=5703

これは僕がタイにタイ在中、偶然見つけた某ブロガーの一言である。

この時まだ僕は彼がこの言葉を通じて伝えたかったことが何なのか知る由もなかった。

「風俗といったらパタヤだろ」

そんな性に飢えた超獣しゃおじょんの猿の一声によって、僕らはタイに到着後、すぐに首都バンコクから南へ160km離れたパタヤへ向かっていた。

僕もタイに来て初めて知ったのだが、

パタヤは多くの風俗店やナイトクラブが乱立し「アジア最大の歓楽街」「男の楽園」といった異名を持つ巨大都市ならしい。

そんな大歓楽街パタヤであるが、昼の街並みは静かな飲食店が数店営業している程度で、人も少なく至って普通だった。

「旅行サイトで騒ぎ立てられていた観光地が実際行ってみると、案外しょぼかった」なんてことはよくあることだし、

僕もこの時はパタヤもこのいわゆる「ガッカリ観光地」みたいなものだと考えていた。

しかし夜になると パタヤは姿を変えた。

街は人で溢れ、昼に閉まっていた店はネオンを照らし、店の前では際どい格好した女が、道行く全ての男たちに声をかけていた。

僕は完全にビビっていた。

僕にとっての歓楽街経験はせいぜい日本の歌舞伎町くらいだ。

歌舞伎町のキャッチは声はかけてくるものも、断ればすぐに諦める。

しかしパタヤのキャッチは違う。彼女たちは僕らが何度断っても、言葉が分からないふりをして食い下がり、しまいには無理やり腕をつかんで強引に店へ引きずり込もうとする。

恐ろしい。流石「アジア最大の歓楽街」と言われるだけはある。

今回は4人で旅行をしていたのだが、本ブログ初登場のずおたんこんりんもおおむね僕と同じような反応をしていた。

しかしそんな僕たちを尻目に1人先頭を切って歓楽街を突き進む男がいた。

しゃおじょんだ。

彼は予め有名なゴーゴーバー(持ち帰り可能なキャバクラ)を調べ、その情報を頭にいれ、普段は決して開くことのないGoogleマップを開き堂々と街を突き進んでいった。

その姿はまるで逃げ惑うヘブライ人奴隷を引き連れて海を渡った聖人モーセの様だった。

戸惑う僕らはこのモーセに引き連れられて、パタヤで一番有名なゴーゴーバーである「BAKARA」へ入った。

入った瞬間、いきなり衝撃の光景が目に飛び込んできた。

なんといきなり上半身を露出した嬢たちが、ステージで踊っていたのだ。

(写真撮影禁止だったので、店内イメージです。)

そしてすぐにボーイが僕たちの元に駆け寄り国籍を聞いてきた。

僕らが日本人であると答えると、奥の席に案内された。

席に座るとすぐに、日本語が話せるらしい嬢たちが僕らのもとにやって来て、飲み物を頼むようそそのかしてきた。

訳もわからず言われるがままに、飲み物を頼むとすぐに飲み物と共に大量の伝票が僕の目の前に置かれた。

この伝票は後に僕の気分を大いに憂鬱にさせた。

そして飲み物を頼むと、嬢との会話が始まった。

会話とはいっても「何歳?」「出身は?」「彼女はいる?」といった初歩的な問答ばかりで全く面白くない。

途中この流れを変えようと、僕は唐突に「自分はホモビデオに出たことがある」と語り、

その写真を見せたが、嬢はドン引きした様子を見せ、ますます会話は失くなり、しまいには「トイレに行く」といって帰ってこなくなってしまった。

ふと隣をみるとさっきあれほど勇敢な姿を見せたしゃおじょんが両脇に嬢を侍らせ、

鼻の穴を全開にして隣にいた ずおたんに何度も「4Pしよ 4Pしよ」と声を荒げていた。

今回のメンバーのうち、僕としゃおじょん以外の2人は彼女持ちだ。

元々 ゴーゴーバーに行くことですら渋がっていた彼らがそんな誘いに乗るはずがない。

しかしそんな彼らの気分などお構い無しに、しゃおじょんは嬢を両脇に抱え、4Pの交渉に励んでいた。

もはや彼はモーセでもなんでもない。

ただの性欲に支配された猿 「さるじょん」だ。https://bicinemas.com/

彼が交渉を行い、嬢と盛り上がるたびに、僕の目の前に伝票が刺されていく。

少し中身を見るとそこには恐ろしい金額が書かれていた。

ただでさえ友達のそういった姿に、気が滅入っているのに、後の精算まで意識させられ、僕の気持ちは完全に「限り無く漆黒に近いブルー」となっていた。

ずおたんこんりんも不貞行為をしてしまいそうになった葛藤からブルーな雰囲気を漂わせていた。

そんな僕たちを尻目にさるじょんは近くにいた別の日本人に声をかけ、「4P」交渉をまとめあげていた。

彼のあくなき「4P」への執念がこの結果を生んだのであろう。

こういう時の彼のコミュ力は凄まじい。 

性欲は本当に人を強くするのかもしれない。

こうして残されてしまった僕ら3人はもはや羽目を外す気分でもなくなってしまったので、法外な額を払い、店を出た。

街はまだ眠る気配もなく、相変わらずネオンとキャッチがきらめいていた。

しかし僕らはもはやそんな誘惑を目に留める余裕すらなく、鬱屈とした気分で帰路についていた。

「このまま終わっていいのか」

ふと僕の中にこんな感情が沸いてきた。

「おそらく一生に一度しか訪れることのないパタヤで嫌な思い出ばかり残して帰っていいのか」

「女でブルーになった気持ちは男でレインボーにしよう」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0_(LGBT)

僕はパタヤにゴーゴーバーの男版「ゴーゴーボーイズ」があるのを思い出した。

僕は2人に「ブルーな気持ちをレインボーにしようぜ」と言って、ゴーゴーボーイズに誘い出した。

こちらもゴーゴーバーと同じく、店に入るとすぐに支配人が寄ってきて、席に案内した後、僕らに男をあてがった。

(撮影NGだったのでイメージです。)

そして中央には写真のようなステージが置かれ、筋肉隆々とした男たちが並んでいた。

僕の元にはカンボジア出身の男がやって来た。彼はとても落ち着いた雰囲気で、僕のブルーだった気持ちを少しずつレインボーに近づけてくれた。

この時、僕は確実に自分がゲイへと傾きつつあるという事実を痛感した。

しばらく彼と話していると、何やら支配人が僕たちの方とステージを交互に指差している。

どうやら僕らにステージへ上がって欲しいとのことだ。

しかしもちろん客は僕たちだけではないし、僕たちは踊りの経験も屈強な筋肉もない。

ただ僕はこの時、漆黒のブルーへ変わった気持ちをレインボーにするためにはこのステージに上がるしかないと思った。

もう迷いはない。

僕たちは意を決して、ステージへ上がろうとした。

すると今度は支配人が「ステージに上がるなら服を脱げ」と言わんばかりに、僕たちの服を指差した。

もうどうにでもなれ。

僕はステージにいる男たちと同じように、パンツ一丁になった。

同じくステージに上がったこんりんも服を脱いでいた。

「何を踊ろうか。」

店には大音量のクラブミュージックがかかっていた。

クラブミュージック…台湾!

僕は台湾でふくよかな白人女性と踊った、「お尻を突き出して振り続ける」という謎のダンスを思い出した。

僕はすぐさまこんりんと共に客席へ向かってお尻を振り始めた。

すると客席は大いに盛り上がり、味をしめた支配人は僕にパンツを脱ぐように指示した。

もはや恥なんてものはない。

僕は指示通りにパンツを半分脱ぎ、自慢のお尻を見せつけた。

会場はその日一番の盛り上がりを見せ、ステージにいた男たちもケラケラ笑っていた。

僕は台湾でこの踊りをした後、とてもブルーな気持ちになっていた。

そんな踊りが2ヶ月後、タイで大いに役立つとは当時 夢にも思わなかった。

明らかに点と点が結ばれた瞬間だった。

僕はこの時、自分の気持ちが完全にレインボーになったのを確信した。

本当は動画があれば良かったのだが、唯一ステージに上がらなかったずおたんが動画を撮ろうとしたところ、注意されてしまったらしい。

締めるべきところは締める。

尻の締まりを重視するゲイらしい対応だ。

同じくゴーゴーボーイズに訪れたこんりんずおたんも僕と同じようにレインボーな気持ちになっているようだった。

しかもこれだけ僕たちをレインボーにさせてくれたのにも関わらず、ゴーゴーボーイズの値段はゴーゴーバーの時の半分以下。

本当に天へも昇れるような気分だった。

僕は今後、パタヤでおすすめのスポットを聞かれたら迷わずこのゴーゴーボーイズを答えるだろう。

聞くところによると、ゴーゴーバーの女を持ち帰ったさるじょんは4Pが出来なかったあげく、法外な額を請求され、さらには謎の病気によって以後2日間、腹を壊したらしい。

やはり冒頭にあった「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる」という言葉は正しかったようだ。

しかし僕は今回この言葉に少し書き加えたい。

「ゴーゴーバーに行くような男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行くような男は天へも昇る。」