覗き部屋を通じて見えた風俗ブロガーの覚悟と矜持

僕は最近風俗へ行っていなかった。

というのもここ数ヶ月、

沖縄の最安デリへル庶民派デリヘル某ビデオの出演といった壮絶な性体験を経て、

自分の性に対する考え方について、考え過ぎてしまって、純粋に風俗を楽しむことができなくなってしまった。

以前は毎日自らを慰めなければ、眠れないほどの落ち込み症であった僕は

最近この落ち込み症がさらに酷くなり、

いまや慰める気力すら失ってしまった。

人間本当に落ちんこんだ時は、

慰める気力すら起きないものである。

そんなある時、「流山のバイアグラ」という異名を持つほどの精力を誇るしゃおじょんがこんなことを言ってきた。

「覗き部屋行ってみね?」

流石は「流山のバイアグラ」

風俗で多くのものを失ったのにも関わらず、

先月台湾で至福の体験をしたことですっかり忘れている。(詳しくは彼のブログを参照https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102 )

僕は最初に書いた通り、すっかり精力を失い、身も心も疲れはてていたので、

当初 全く乗り気ではなかった。

その旨を彼に伝えると、どうやら彼もその日の朝に自らを慰めたばかりで、調子は良くないとのこと。

「じゃあ何で行きたがるの?」と僕が聞くと

彼はこんな答えを出した。

「俺は風俗ライターだから行くしかないんだよ。」

圧倒的な精力を武器に世界中の風俗に潜入し、その実態を赤裸々にブログに綴るしゃおじょん。

最近では早稲田大学風俗研究会を設立し、風俗文化の普及に励んでいる。

僕はこの時、彼の風俗ライターとしての熱い想いを目の当たりにした。

彼にとって風俗に行くことはもはや一時の快楽のためだけではなく、立派な仕事のひとつなのだ。

今回は彼が仕事に向き合う姿を捕らえる大変貴重なチャンスだ。

僕はこんな光栄な機会を無にしようとした己を恥じて、しゃおじょん氏の仕事現場に同行させて頂くことにした。

さて今回行った覗き部屋だが、

この写真を見て分かるように、

欲望に支配された街 歌舞伎町の中でも一際異彩を放っている。

中に入ると、すぐに長く薄暗い階段があり、そこを下ると怪しげな男が受付をしていた。

男は僕たちを見つけるとすぐに、

大人2100円、学生1600円という料金説明をした。

500円の割引。とても大きい。

この500円でどれだけ多くの人が救われるだろうか。

僕は自分が大学に進学した意味を再確認した。

料金を払い、安堵したのも束の間、

男は盗撮防止を名目に僕たちに携帯とその他電子機器を預けろと言ってきた。

風俗での盗撮はもちろんご法度だが、

これまでは携帯を預けろと言われたことはない。

もちろん演者を盗撮するつもりなどさらさらないが、

雰囲気を伝えるために何枚か中の写真を取りたかった僕にとっては大きな誤算だった。

しかし受付の周辺には今まで盗撮がバレた客の写真と身分証明書が晒し首のように張られていた。

僕が将来子どもを持って、その子どもがここに来たときに、父親の写真が張られていたらどうだろうか。

僕はこの想像を絶する未来に耐えかねて、しぶしぶ携帯とパソコンを預けた。

こうして受付が全て終了すると、

番号札を渡され、受付の横にある2畳ほどの小さな待合室に案内された。

そして他の風俗と同じく、やたら古いアダルトビデオが流れる待合室で、他の客とともに、しばし気まずい待ちをした後、

ストリップショーの客席に案内された。

客席と言えば聞こえはいいものも、

実際のところ覗き部屋の客席は

人が1人通れるくらいの狭く暗い廊下に、

仕切りがおかれ、5つほどのブースが形成されていて、

ブースの中に入ると小さな椅子と、ティッシュが置いてあり、前面が全てガラス張りになっていて、

ガラス越しに際どい水着を着た演者の姿が見えるという粗末な作りだった。

しばらく座っていると、

この妖艶な雰囲気には場違いな妙にアップテンポな曲がかかりだした。

某サロンもそうだがなぜ風俗店はアップテンポな曲をかけたがるのが?

自分を慰める時にわざわざ湘南乃風をかけるか?

経営者たちは商売がうまくいっていて、

自分を慰める必要がないからわからないのだろう。

それはさておき、話を戻すと

場内ではこのアップテンポな曲に合わせて、演者が際どい水着で体をくねらせるという奇妙な「踊り」を始めていた。

これを「踊り」と表現して良いのかは僕にはわからない。

ただひとつ言えることはこの奇妙な「踊り」は明らかに僕の感情を無に近づけていったということだ。

「踊り」を行っている最中、演者は鏡越しに情に餓えた客がいるという事実に堪えられないのか、ずっと別の方向を向いていた。

そして明らかに視線の合わない状態で、演者は僕のほうに近づき、下着の陰部付近についたヒラヒラを上下に降った。

この不思議な誘惑は、女の裸を見ても全く興奮しない僕の感情を完璧に吸いとった。

僕は完全に虚無になった。

その後はショーが後半になるにつれて、不思議なあえぎ声が場内にかかり、それに合わせて演者も胸→局部の順に下着を脱いでいったが、

僕はもはや何の感情も抱くことなく、

ただただ目の前の奇妙な現実に目を傾けていた。

ふいに僕の虚無感は終わりを告げた。

「抜きやりますか?」

別の演者が僕に向かってこう話しかけていた。

どうやら覗き部屋ではオプションとして

演者がいっしょに慰めてくれるというサービスがあるらしい。

ショーの最中、普段から身長コンプレックスに悩む僕の息子はいつも以上にコンプレックスに悩まされていたため、

そんなサービスを受ける余裕もなく、

僕はすぐに「いらないです。」と返事をした。

すると彼女はあろうことか、僕に聞こえるほどの大きな音で舌打ちをして、その場を去っていった。

後でしゃおじょんに話を聞くと、彼もまた同じように舌打ちをされたとのこと。

そして最後にショーは「イク イク イク アーン」といった大げさなあえぎ声が場内にこだまするとともにあえなく終了し、

僕は言いがたい虚無感を抱えて覗き部屋を後にした。

僕はこの虚無感をすぐに誰かと共有したかったので、

すぐにしゃおじょんにその日の体験を話した。

すると彼も僕と同様にあまり良い思いをしていなかったらしく、

もう二度と行かないと言いたげな感じだった。

僕は歴史上類を見ないほどの精力を持つ彼ですらこのような反応をしたことで少し安心した。

しかし 次の瞬間そんな僕の安心を吹き飛ばす言葉を彼は発した。

「俺 1回抜いたわ」

 は??????

何言ってんだこいつ。

あの環境で抜いた?

覗き部屋のブースの中は人が1人座れるくらいの狭い部屋だ。

それにあの内容。

どう考えても抜ける要素はない。

詳しく話を聞くと、彼も実際かなり覗き部屋を渋く感じていたそうだが、

風俗ライターとして抜かない訳にはいかなかったとのこと。

いくら風俗のサービスが悪くても、

それに文句をつけることなく、

無心で性欲を高め、発散する。

素晴らしい。

これこそ真の風俗ライターだ。

配偶者がいるのにも関わらず、

一時の快楽に溺れ風俗へ足を運ぶような奴が多いこの腐った世の中で

彼ほどの覚悟を持って風俗に行く男がどれほどいるだろうか?

ちょっと風俗のサービスが悪かったぐらいで、こうしてブログに憂さ晴らしをしている僕とは雲泥の差だ。

彼は圧倒的な精力だけでなく、風俗に行く上での並々ならぬ覚悟も兼ね備えた最強の風俗ブロガーだ。

今回はそんな彼の超人的な一面を垣間見ることができた貴重な経験だった。

今後の彼の活躍に目が離せない。

真面目なおじさんが報われる世界になって欲しい。

先日 僕は21歳の誕生日を迎えた。

誕生日は誕生日でなかなか素晴らしい出来事がたくさんあったのだが、

どれもこれも素晴らしすぎて、

ブログ向きではないので、

今回は全て割愛させていただく。

ではなぜ今回 わざわざ誕生日であったことを報告したのかというと、

誕生日を迎えたことによってある恐ろしい事実が浮かびあがっていたことに気づいたからだ。

それは誕生日を迎えたことでまたひとつ

 「おじさん」に近づいてしまったということだ。

世間の「おじさん」への風当たりは常軌を逸するほど冷たい。

最も公正とされるGoogleで「おじさん」や「中年男性」と検索するとこうなる。

ひどい。ひどすぎる。

ちなみにおばさんだとこうだ。

何という違い。

この国では「おじさん」というのは存在しているだけで場の空気を乱す害虫として扱われるのだ。

僕はこれらの記事を全て読んだ。

もちろん 「おじさん」擁護派の僕ですら

気持ち悪いと思う内容もいくつかあったが、

その多くは男子大学生たちがやっていてもおかしくないような内容だった。

確かに近年は下記のような「おじさん」によるデリカシーのない発言が世間を賑わすことが多い。

https://twitter.com/wonna57716011/status/1120340900343734272?s=19

実際 僕もこうした「おじさん」たちの時代遅れな発言や思考はもちろん批判されるべきだと思う。

しかしここで納得いかないのが、

こうした一部の「狂ったおじさん」たちのせいで、

最初の写真のような歪んだ「おじさん」イメージが作られてしまうことだ。

「おじさん」にもいろんな種類がある。

こうした「狂ったおじさん」たちが社会を賑わすということは裏を返せば、

大多数の「おじさん」は家族や自分のために真面目に働いて生きているということだ。

そうした「真面目なおじさん」たちは、

「狂ったおじさん」たちのせいで作られたイメージのせいで、

真面目に生きているのにも関わらず、

常に肩身の狭い思いをしている。

狂った「おじさん」の中には、

真面目に生きていても報われない「おじさん」の宿命にやけになって内なる狂気を解き放った者もいるかもしれない。

もちろん元をたどれば、全て「狂ったおじさん」が悪いし、

こいつらが自分の年をわきまえて行動すればいいだけの話ではある。

ただ、これまでどの年代にも「狂ったおじさん」が一定数いたことを考慮すると、

「狂ったおじさん」そのものがいなくなるということはないだろう。

そういった時に「おじさん」そのものを忌避するのではなくて、

「おじさん」一人一人を正当に評価する世の中になるべきだと思う。

世の中まだまだ「真面目なおじさん」たちを中心に動いている。

いくら男性中心の社会を批判したいからって、そうした「真面目なおじさん」たちまで叩くのは明らかに間違ってると思う。

僕が「おじさん」になるまでに、少しでも「おじさん」の地位が上がってますように。

「おしりを出した子一等賞」にみる人間のあるべき姿

「おしりを出した子一等賞」

この歌詞はまんが日本昔ばなしの主題歌

「にんげんっていいな」に登場する歌詞である。https://youtu.be/dUXeJTzSCjc

日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう名フレーズだ。

しかしここで一度歌詞全体をおさらいしてほしい。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日 まーた明日♪

いいな いいな にんげんっていいな♪

おかしい 明らかにおかしいフレーズが一つ混ざっている。

なぜかくれんぼをしている時に、

おしりを出したら一等賞になるのか?

おしりを出すという行為が誉められるのは基本的に某ビデオの撮影時のみで、

何も知らない公衆の面前でおしりを出せば、

一等賞どころの騒ぎではないのは目に見えている。

それにこの歌詞の文脈上、

かくれんぼが行われている。

かくれんぼというのは基本的に外で行われるため、

むやみにおしりを出せば、鬼に捕まるだけでなく、国家権力にも捕まってしまう。

とにかく子どもたちも見ているであろう公共の電波で、

「かくれんぼ中におしりを出したら一等賞だ。」と伝えるのはあまりにも無責任だ。

この曲の歌詞自体、

特にこれといったメッセージが

ないのではないかという意見もあるだろう。

そういう方には是非2番の歌詞を見て頂きたい。

もぐらが見ていた 運動会♪

びりっこ元気だ 一等賞♪

夕やけこやけで またあした またあした♪

この歌詞を見る限り、

明らかに2番では

「運動会で順位はビリだとしても一所懸命元気に動くことが大切」だというメッセージを残している。

となるとなおさら

「おしりを出したら一等賞」という歌詞に謎が残る。

Youtubeのコメント欄にも多くの僕と同じ疑問を抱えている者がいた。

中には2枚目のような「頭隠して尻隠さず」という成語を持ち出して説得力をつけてる者もいたが、

彼は「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた状態として捉えている。

みなさんは「おしりを出す」と聞いたとき、

どんな行為を想像するだろうか?

答えは「ズボンを脱いでおしりを見せる」という行為に違いない。

そうでなければ、「おしりを出す」という行為が下劣な行為と捉えられるはずがない。

「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた行為として捉えた時点で、

コメント欄の彼は重大な間違いを犯している。

全人類の叡知を集めたYoutubeですら答えを出すことができない。

いったい「おしりを出した子一等賞」という歌詞の意味は何なのか?

僕はこの深淵な疑問について、

「おしりを出した子一等賞」=この世で一番賢くなれる方法は「おしりを出すこと」と解釈し、

おしりを出しながら必死に考えた。

すると僕のおしりからある仮説が産み落とされた。

「おしりを出した子一等賞」の歌詞の前に

何かおしりを出すイベントが行われている。

は? 何言ってるんだこいつ、

ただケツ出したかっただけじゃねぇのと思ったそこのあなた。

まあゆっくり尻でも出しながら話を聞いてくだせぇ。

まず歌詞を軽くおさらいしよう。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日♪ また明日♪

冒頭でも述べた通り、

かくれんぼとおしりを出すことにはどう言いがかりをつけても接点はない。

となると見るべき点は「おしりを出した子一等賞」の次 「夕焼けこやけでまた明日」の部分になるだろう。

「くまのこ見ていたかくれんぼ」   

               ↓

   「夕焼けこやけでまた明日」

という歌詞の流れを整理すると、

かくれんぼをしていたら夕方になったという状況が見えてくる。

ここで考えてみてほしいのは

かくれんぼだけで夕方までもつのかということだ。

確かにかくれんぼは面白い。

子どものころ誰しも一度は遊んだことがあるだろう。

しかしかくれんぼは何度も繰り返し行っていると隠れる場所がなくなってマンネリ化する。

つまりかくれんぼだけで夕方まで遊ぶのは不可能であるということだ。

となると、かくれんぼをしていたころから夕方までの間に何か別のことをしていたということになる。

その別の遊びの種類を当てる上で、最大のヒントになるのが

「おしりを出した子一等賞」だ。

おそらく「にんげんっていいな」という歌詞のモデルとなった子どもたちは

「かくれんぼ」で遊ぶという「子どもらしさ」の強要に嫌気がさし、

大人の考えた「子ども=健全」という歪んだ子ども像から解放され、真の自由を手に入れるために、裸になって歌い踊ったのだろう。

しかしここで「裸になった子一等賞」と言ってしまえば、

すぐに歪んだ大人たちに改悪されてしまう。

あくまで小さい子どもたちなら笑ってすまされるだろう「おしりを出す」という行為に変えることで、

現在に至るまで残る歌詞になったのだ。

さんざん書いたくせにそんなお粗末なケツ論か。

お粗末なのはお前のケツだけにしとけと思ったであろう読者の方々に

最後 とっておきの証拠を見せたいと思う。

これは「にんげんっていいな」が流れるときの子どもたちの映像だ。

ご覧の通りこいつらは尻を出すどころか顔から胸、局部に至るまでの全てを出している。

これはこいつらが裸になって踊っていたという紛れもない証拠だ。

そしてこいつらはこのあられもない姿でこう歌っているのだ。

「にんげんっていいな」

ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した。

僕はコスプレをしているとき、

たまにこんな疑問をぶつけられることがある。

「コスプレのお金どうしてるの?」

確かにコスプレは高い。

1着3000円は平気でするし、

前学期は「1度着たコスプレは2度と着ないというルール」を設けていたので、

月に2~3万円はコスプレに使っていたと思う。

これに旅行風俗代まで重なると、

もう僕の財政は火の車だ。

僕はこの状況を打破するために、

様々なバイトに手と尻を出してきた。

その一方で僕はコスプレを始めて以降、

徹底的な節約をしていた。

例えばバイト先での食事はお金のかかるまかないではなく、

家からパックご飯と納豆を持ち込んだり、

学校にいるときは常に家で作ったおにぎりを持ち歩き、

おやつなどに無駄遣いをしないようにしていた。

こんな感じで食費をバンバン削っていくと、

必然的に食事がショボくなる。

最近まであまり気にしてなかったが、

先月台湾に3週間滞在して、

いろいろな美味しいものを食べた結果、

この世界が美食に溢れていることに感動し、

「なぜ自分はこんなひもじいものばっかり食べているのか。」と思うようになった。

今学期はコスプレ頼みから脱却するために、

コスプレの回数を減らすので、

予算を食事にまわすこともできる。

入学以来 食事に関して、

ずっと僕は一つの夢を持っていた。

「ラーメン二郎に行きたい。」

ラーメン二郎といえば

「豚のエサ」と揶揄されるほどのデカ盛りと

「ヤサイマシマシ」といった呪文のような注文方法で有名な

言わずと知れた超有名ラーメン店だ。

僕は大学1年の時には、

「高田馬場はラーメン激戦区」だという噂を

聞いて毎日のようにラーメン店をはしごしていたほどのラーメン好きだ

しかし高田馬場にはラーメン二郎の支店はなく、

以前ラーメン好きの友達とラーメンの話をしていたときに、

「お前 二郎行ったことないの?」とマウントをとられた苦い経験がある。

それ以来 僕はこの世のラーメン好きたちを見返すために

ラーメン二郎に行く機会を虎視眈々とうかがっていた。

突然 その機会はやってきた。

今日 僕は最近流行りのウーバーイーツのバッグを受けとるために関内方面に出掛けた。

二日酔いでぐらぐらする頭のなかで

必死に説明を聞いて、バッグを受け取り、

外に出たとき、あることに気づいた。

「関内にはラーメン二郎がある!」

すぐさま携帯を開いてラーメン二郎横浜関内店を調べると

ビンゴ! 自転車で数分の距離にあった。

しかもラーメン二郎横浜関内店のオープン時間は18:00から。

ウーバーイーツの説明が終わったのは17:30くらいだったので時間的にもちょうどよかった。

これは間違いなくラーメン二郎に行っていなかったことで

不遇の時期を過ごしていた僕に対する神様からのプレゼントだ。

僕は迷いなくラーメン二郎横浜関内店に向かった。

「やっと二郎が食える。」

僕は期待に胸を膨らませ、ウキウキで自転車をこいだ。

しかし店に近づくにつれ、

僕は店の方から連なる不穏な人影が見えるのに気づいた。

「開店前だしまさか並んでる奴なんていないだろう」

そう僕はたかをくくって、近くに自転車をとめ、ラーメン二郎に向かった。

僕は完全にラーメン二郎の人気をなめていた。

僕が見ていた人影は二日酔いからくる幻ではなく、

ラーメン二郎を食べるために並ぶ人々の行列だったのだ。

僕は悩んだ。

店内の店員はたったの二人。

おそらくこの列ではラーメンを食べるまでに

2時間はかかるだろう。

家にはおそらく夕飯がある。

ここで2時間待てば、夕飯が食べられなくなり、

また母親から小言を言われるのは目に見えている。

僕は路頭に迷って近くの繁華街をうろついていた。

その時、こんな広告が僕の目に飛び込んだ。

「G朗ラーメン」

明らかにラーメン二郎を意識したネーミング。

おそらく「二郎ラーメン」にすると本家から苦情がくることを予測してのネーミングなのだろう。

僕は再び悩んだ。

もう二度とラーメン二郎に行くチャンスはないかもしれないのに、

ここでこんなパチもんを食べていいのか?

食欲とは時に恐ろしいものである。

僕の足は悩みながらも確実に店内へ向かっていた。

幸いこの店は空いていたので、すぐに入ることができた。

そして悩み抜いた末に手に入れたラーメンがこれだ。

うまかった。めちゃくちゃうまかった。

ラーメン二郎なんてくそくらえ。

これから「G朗ラーメン」の時代だ。

だいたい何でラーメン一杯食うために、

2時間も3時間も待たなくちゃいけないんだ。

さっと入ってさっと食えるのがラーメンのいいところだろ。

本家の味なんか知らなくたっていい。

食ったもんがうまかったらそれでいいんだ。

大事なことを教えてくれてありがとうラーメン伊勢佐木家

ハプニングを引き寄せろ

僕はこれまで様々なコスプレに挑戦してきた。

その中にはクオリティが低く、

客観的に見れば面白くないコスプレもたくさんあった。

鋼のメンタルを持ってると思われがちな

僕でも自分が体を張って実行したコスプレが

何度もスベってしまえばなかなか厳しいものがある。

なぜ僕はコスプレを続けることができていたのだろうか?

答えは当たり前過ぎて思いつかないようなところにあった。

先日 僕は友人と共にいつもと同じように

バイト先でお酒を飲んでいた。

その時 友人の一人がふとこんなことを言った。

「俺たちは誰か受け入れてくれる人がいると無茶なことができる。」

僕はこの言葉に衝撃を受けた。

確かに僕がコスプレをやっていた日は

ほとんどの場合しゃおじょんなどの

普段大学で仲良くするメンバーと会っていた。

彼らはとても優しい奴らなので、

コスプレのクオリティに関係なく、

一定の反応をしてくれていた。

当時はたまたま授業のある日は

必ずどこかしらで授業が

かぶっていたというのもあるが、

「彼らの反応がある」という安心感に

甘えていたという部分があったということは

否定できない。

そこで 僕はいままで自分ができていなかったことに挑戦するという意味で、

彼らに一度も会わない日に、

知り合いが一人もいない講義中、

コスプレをすることに決めた。

コスプレの内容はもちろん…

進撃の巨人の超大型巨人だ。

春休みに次のコスプレをアマゾンで探していた時、

僕はこいつの圧倒的な存在感に一目惚れした。

これまではどんなタイミングであれ、

僕が教室に入った瞬間、

僕のサクラしゃおじょんがゲラゲラ笑っていた。

しかし今日 しゃおじょんはいない。

入るタイミングを間違えれば、

盛大にスベることもありうる。

これまで無意識にサクラがいるところでのみ

コスプレを行うことでスベり知らずを

実現してきた僕はスベり倒した時に

どのような感情が沸き上がるのかはわからない。

僕はある戦略を考え出した。

今回 僕が参加する講義は200人ほどが入る中教室で、

ドアが教室の前面のみにあり、

遅刻した者がドアを開けると

それなりの音がしてみんなの注目が集まる。

僕はこの特性を逆手にとって

あえて遅刻してみんなの注目を一気に集めることに決めた。

こうして万全の戦略を定めた僕は、

いままでとは違った緊張感を覚えながら、

教室に入った。

僕が教室に入った瞬間、

狙い通りその場にいた全員の視線が

僕のもとに集中した。

そして彼らはまるで原作に登場する市民たちのように

突如現れた超大型巨人になす術なく、

薄ら笑いを浮かべていた。

僕のモットーはできるだけ他人に迷惑をかけないだ。

もちろん超大型巨人の登場に関係なく講義は続く。

なにかパフォーマンスをして邪魔をすることはあってはならない。

僕はいつも通り 空いてることを信じて後ろの席に向かって歩き始めた。

しかしここで僕のなかで一つ誤算が生じていた。

「前が見えない」

写真を見てお分かりの方もいると思うが、

超大型巨人は目に穴が空いていない。

大きい道であれば、なんとなく前が見えるのだが、

机と机の間みたいな小さな道では、

ほとんど視界がきかない。

僕は視界がきかない不安から、

つい早足で通路を通ろうとした。

足下にある超大型バッグたちに気づくこともなく…。

僕は超大型バッグにつまずき、あえなく床に手をついた。

すると これまでの笑ってはいけないという空気から

解放されたような乾いた笑い声があちこちから聞こえた。

僕はこの時一つの真理にたどり着いた。

人が本当におもしろいと思うのは

「ハプニング」だ。

ただ僕がコスプレをしているだけでは、

僕による計算された笑いであり、

その計算がバレてしまえば、

笑いをこらえることもできるが、

僕を含めて誰も予想できなかった

「ハプニング」はこらえようと思わせる前に

勝手に体を反応させる力がある。

このことはこれまで必ず周りに笑ってくれる人がいるという環境にいたら、

絶対に気づかなかったことだ。

ハプニングは起こそうとして起こせるものではない。

しかし何も行動しなければ、

絶対にハプニングは起こらない。

周りに関係なく行動することの大切さがよくわかった今日のコスプレだった。

東亜同文書院大学のここがすごい!

東亜同文書院大学。

みなさんはこの大学を知っているだろうか?

え? 知らない?

日本人としてこいつらのことを知らないのはヤバい。マジでヤバい。

とりあえずwikiはっときます。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6_(%E6%97%A7%E5%88%B6)

まあ簡単に言うと100年前、中国にあった日本人学校だ。

奴らのなにがそんなにヤバいって?

それは奴らが最高学年の時にやってた卒業旅行だ。

卒業旅行だなんて聞くと、

僕たちはいつも海外へのバカンスみたいな

ゆったり旅行をイメージするけど、

東亜同文書院の奴らがやっていたのは

そんな生ぬるいもんじゃない。

奴らは当時ほとんど足を踏み入れる者のいなかった中国奥地に1年間かけて旅行していた。

この事実だけでも十分ヤバいんだけど、

この旅行の過程があまりにもマジキチだったので少し紹介したい。

(当時の調査メンバー)わりとイケメン揃いだね

東亜同文書院のここすごいその1

「移動は基本歩き」

まずこの図を見てほしい。

これは当時の東亜同文書院の学生による調査ルートだ。

北はハルビン、南はフィリピンといった

様々なコースを旅行している。

ここでは東亜同文書院のあった上海から

最も遠いシンガポールまでの距離を例にあげよう。

その距離なんと3817km。飛行機で5時間。

しかしもちろん100年前に飛行機はない。

それどころか鉄道も車もない。

じゃあどうやって移動したのか?

答えは1つ。   歩きだ。

彼らはこんな感じの周りに何もない道を

約1年間かけて歩き続けていた。

(大きな川があるコースをとった学生は船にも乗っていた)

当時の彼らの日誌はほとんど

歩いた話と飯食った話しか載っていない。

この某大学界隈もビックリするほどの

過酷な歩きを強要されたのにも関わらず、

腐らずに調査を続けた東亜同文書院の学生はすごい。マジで東亜魂だ!

100キロ歩いたごときで

「人生変わった」とか言ってるどこぞやの学生とは違うね。

東亜同文書院のここがすごい その2

「当時の中国はマジで治安が悪い。」

今でこそ日本人でも気軽に旅行できるようになった中国だが、

当時は内戦や貧困によってこんな感じの

野蛮な強盗団がうじゃうじゃいた。

中には1000人規模の強盗団もいたらしい。

あー 恐ろしや。

学生たちもこいつらにビビって、

こいつらがいないだろうところを通ったり、

護衛を雇ったりしてたけど、

長い旅のなかで何度か強盗団に会っちゃって、

身ぐるみ剥がされてたとのこと。

あれ? 護衛は?

雇った護衛はなにしてんの?

なんと当時の護衛は人数を増やせば増やすほど雑になって、

5,6人雇おうとすると、

全員が無職の老人や少年の護衛になって、

全く護衛として役に立たなかったらしい。

流石は適当大国の中国だ。

本当に期待を裏切らない。

また当時は今とは比べ物にならないほど、

反日運動がひどかった。

当時のイメージ

こうした反日運動は学生たちにも向けられた。

宿に止まると石を投げられ、

船で移動していると砲撃された。

旅行をしていた学生はみんなハタチそこそこで

従軍経験もないただのガキンチョだ。

これだけ何度もぶっ殺されそうになったら、

メンタルやられて旅行を止めてもおかしくない。

しかし、ここで負けないのが東亜同文書院。

なんと奴らは砲撃を軽~くかわして、

川から見える絶景を楽しんでいたとのこと。

周りの雰囲気にいっさい惑わされず、

あくまで旅行を貫き通すというメンタル。

これこそ東亜魂!

危険な場所があるとすぐに旅行をやめる某湾研修はこの東亜同文書院の姿勢を見習ってほしい。

ここまでの流れだといかにも東亜同文書院が

鋼メンタルの脳筋集団のようにみえるかもしれない。

しかし彼らはただの旅行中毒者ではない。 

東亜同文書院のここがすごい その3

「調査結果がめっちゃ優秀」

当時、東亜同文書院の学生たちは主に

この卒業旅行での調査結果を卒業論文として提出してた。

俺らも卒業論文を書くけど、

せいぜい後輩の参考に使われる程度で、

すぐに社会に出るってことはほとんどない。

けれども東亜同文書院の学生が残した

調査結果はどれも優秀なものばっかで、

すぐに本にまとめられ、この世に解き放たれていた。

こんな例は当時探してもなかなかない。

それだけ東亜同文書院の学生が優秀だったってことの証明だ。

体力ありメンタルも強く学力も優秀。

あれ?

俺たち現代の学生が勝ってるところなくね…

東亜同文書院はゴリゴリの男子校だから

まあいいか… まあいいか… 

参考文献

「東亜同文書院生が記録した近代中国の地域像」藤田佳久著

「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

「それぐらいは朝飯前だ。」

この「朝飯前」という言葉は

しばしば上記のような例文で

「朝飯をとる前に済むくらい簡単なこと」

という意味で使われている。

この意味に沿って考えると

「朝飯前」という言葉は朝飯をとることは簡単で、

「朝飯前」の対象となる語句は

それ以上に簡単であるという意味になる。

つまり「朝飯前」という言葉は

朝飯をとることが簡単だということ

を前提として成り立っているのだ。

しかしここで謎なのは

朝飯をとることは本当に簡単なのか?

ということだ。

朝という言葉を日常的に使う気象庁によると

朝とは主に午前6時から午前9時までを指すそうだ。https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D-423925

このルールに従って朝飯を定義すると

「午前6時から午前9時」までにとる食事を指すことになる。

     は? どこが簡単なん?

まず第一に 朝飯をとるためには少なくとも

午前9時までには起きなければならない。

大事な予定があるのにも関わらず

眠り続けてしまうという重度の睡眠中毒を患い、

早い時間の講義には

ことごとく絶望的な起床をかましてしまう

大学生たちにとって、

午前6時から午前9時までに朝飯をとるというのは

明らかに無理難題だ。

3限(13:00開始)以降にのみ授業を固めた、

僕のような起床拒否民の中には、

1週間のうち一度も午前9:00より前に

起きる日がないという者もいるのではないだろうか?

午前中に起きることすらできない人にとっては、

もはや朝飯なんていうのは空想上の存在とも言えるかもしれない。

一方、ここまで大学生のみの実態を聞いて

「大学生がだらけ過ぎているだけなのではないか」と思う人もいるだろう。

確かに学生という身分と共に

起床拒否と睡眠中毒から脱した社会人の多くは

午前6時~9時の間に起床していることが多く、

概して規則正しい生活をしている。

しかし彼らには一つの致命的な欠点がある。

それは「忙し過ぎて朝飯を抜いてしまう」ということだ。https://doors.nikkei.com/atcl/wol/trend/15/105974/031100088/

このデータからも分かるように、

社会人のうち40%が時に朝飯が大事とわかっていながらも、

朝飯を抜いてしまう。

もちろん彼らは大学生よりは朝飯をとる傾向は強いかもしれない。

朝飯をとることが本当に簡単だというならば、

社会人全員が毎日朝食を取れてなければおかしいはずだ。

40%の人間が常にできないことを

簡単だと言うのは多数派の横暴に他ならない。

以上の例から分かるように、

朝飯をとることは非常に難しい。

現実に合わせた場合、

「朝飯前」という言葉は

難しさを強調するために使う言葉で

なければならないはずである。

僕はこれ以上「朝飯前」という言葉の

誤った使われ方を見たくない。

だから 僕がここで一つ正しい「朝飯前」の使い方を提唱しよう。

「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

コスプレ頼みからの脱却

僕はここ最近ある悩みを抱えていた。

「毎日コスプレ登校をすることが

意味不明な奴であることにつながるのか?」

確かに大学でコスプレで来る奴はなかなかいないし、

僕がなぜコスプレをしているのかを知らない人からすれば、

十分意味不明であると言えるかもしれない。

しかしコスプレも毎日続けていると、

「どうせまたあいつはコスプレして来るのだろう」

と周囲から予測され、マンネリ化してしまうようになる。

元々 僕は「圧倒的な意味不明さ」を求め、

周囲の度肝を抜くためにコスプレを始めたのに、

周囲から自分の行動を予測されては

意味有明になってしまい、本末転倒だ。

「意味不明とはいったい何なのか?」

前学期 僕はコスプレを続けきった。

それゆえに「僕=コスプレ」という

イメージを定着させることを成功させていれば、

僕が普通の格好をしているだけで、

ある種の衝撃を与えることができたかもしれない。

しかし僕が最後にコスプレをしてから

3ヶ月がたとうとしている。

その間にも、僕は何度か友人達と普通の服装で会っているため、

彼らは僕の普通の服装に見慣れてしまっていて、

普通の服装で登校したところで

僕は彼らにとって意味有明になってしまい、

彼らの度肝を抜くことはできない。

コスプレもダメ。普通の服装もダメ。

どうすれば彼らの度肝を抜くことができるのか?

僕は悩みに悩み、

何度も熟睡した夜を過ごした。 

もはや登校そのものすら諦めようとしたその時、

その答えはとても身近なところにあることに気づいた。

答えは「髪」だ。

僕はこれまで人生で一度も髪を染めたことがない。

それに僕の顔の第一印象を聞かれた際に、

多くの人が真っ暗の髪と汚いゲジゲジ眉毛を答えるし、

小学生時代のアダ名の一つもゲジマユだった。

一般的にこうした顔の特徴を無くすことは

主に罰ゲームや、他人主導の企画で、

無理矢理やらされることが多い。

これらの特徴を自発的にいきなり無くしてしまえば、

周囲の度肝を抜けるに違いない。

僕は迷わず髪と眉を染めることに決めた。

「どの色に染めるか?」

茶髪では変化が目立たず、中途半端な結果になってしまう。

かといって、赤髪や青髪などの奇抜な髪型に

するとあからさまにネタに走り過ぎていて、

痛々しい。

プロスポーツの珍プレー集がなぜ面白いのかというと、

彼らがみんな真剣にやっているからだ。

ただネタに走っていると思われるだけでは、

限界があるので、

「こいつは真剣に似合ってると思ってやってるんじゃないか」

という疑問を抱かせることも必要だと

僕は思った。

となると、結論は一つ

金髪だ。

金髪なら変化は一目瞭然だし、

全く街では見ないという髪色でもないので、

ある程度のガチ感も与えることができる。

しかし一口に金髪にするといっても、

どうやってするのか?

カラー剤を適当に髪につければ、

金髪になるのか?

僕は染髪についてとことん無知であったため、

グーグルで「金髪 染める方法」と何度も調べた。

度重なる調査の結果、

きれいな金髪にするなら、

金はかかるが美容院にお願いして、

自分のしたい髪色のイメージ画像を

用意すると良いという情報を入手した。

僕は早速ホットペッパービューティーに登録し、

「横浜 メンズ カラー」で検索して

一番最初に出てきた美容院を予約し、

金髪の有名人として唯一思いついた

本田圭佑の画像を用意した。

こうして万全の準備を終えた僕は

意気揚々と美容院に乗り込んだ。

しかし僕とは真逆の世界であるファッション業界の頂点「美容院」は

アウェーの洗練と言わんばかりに

僕に強烈な事実を突きつけた。

「お客様の髪だと、ここまでの金髪にするにはブリーチ2回必要なので

全部で16000円になりますね。」

16000円!? ヤバい。明らかにヤバい。

今まで一番高いコスプレですら、5000円を越えたことはないのに、

この価格は圧倒的だ。

だが僕はもう覚悟を決めている。

周囲の度肝を抜くためには金は惜しまない。

僕は美容師さんの忠告を二つ返事で了解し、

施術が始まった。

結果は驚くべきものだった。

まずブリーチ1回目でかなり色が抜け、

激痛に絶え忍んだ2回目とカラー剤をつけた後には

想像以上にまともな金髪になり、

家に帰って眉毛もブリーチすると、

もはや以前の面影がない完全体になった。

ここまで髪がまともになってしまうと、

もはやいつもの格好ではもったいない。

僕はパンツから革ジャン、

ネックレスに至るまであらゆるファッションを新調した。

これだけやれば、間違いなく奴らの度肝を抜ける。

僕はそう確信して、

この半年前からは考えられないような

服装で授業に乗り込んだ。

反応は期待通りだった。

みんな僕がコスプレをしてくるだろうと

予測していたのか

教室に入った僕を見た瞬間、

みんな すっとんきょうな笑い声をあげた。

一部から「きっつ」といった心ない批判を

受けることもあったが、

僕が身と口座を削ることでこうした反応を

得られたというのは、

今回の企画が

意味不明化に成功していたということになるのだろう。

ただ僕はここで勘違いしてはいけない。

コスプレを完全に捨てることが

意味不明化を果たす方法ではないのだ。

今回は意味不明化を成功させるために、

泣く泣くコスプレを捨てただけだ。

コスプレが意味不明化に必要となれば、

すぐに僕はコスプレを復活させるだろう。

僕は意味不明というのは予測不能という

言葉に置き換えられるのではないかと思っている。

僕はコスプレを続けるがあまり、

予測可能な人間となってしまった。

今後はコスプレだけでなく、

別の何かを常に取り入れながら、

動いていったりすることも必要なのではないかと、

僕は思っている。

コスプレ頼みへの脱却。

今期のテーマはこれで行きたい。

だからブログは難しい

僕は以前ブログで自分の思想を

強気な表現で書いていた。

「~常識を疑え~我慢することが大人なのか。」

赤ちゃん最強論」

当時はただ自由にものを言えない世の中に対して

自分のモヤモヤを

好きなように語っただけだったのだが、

こういった記事を書いて以降、

自分が記事の内容に反することをした時に

妙な罪悪感に襲われるようになった。

「あの時 あんなにブログで強気に語ったのに結局何も変わってないじゃないか。」

「互いの自己中を通し合う」なんて聞こえはいいが、

実際、一瞬手が出てしまえば、

一生を棒にふるう可能性があるこの世の中で、

わざわざ争いの種を作るような思想は

あまりにもハイリスクだし、

そもそも僕は人と争うことが嫌いだ。

しかしブログで「真正面から争い合う世の中」のことを

肯定してしまったせいで、

自分が悪くないのにも関わらず

争いを避けるために丸く収めようとした時に、

これまでではなかった

「結局 自分は口だけなのか」という自己嫌悪が僕を襲うようになった。

この例の他にも自分が怠惰な行動をとる度に、

「あの時 ブログであんなに前向きなことを言ったのに何をしているのだろう」

という今までにない感情を覚えることが多々あった。

ある意味ではブログを前向きな内容にすることで、

現実の自分がブログに追い付こうと前向きに

行動するという自己啓発的な意味合いも

持っているとも言えるのだが、

僕も1人の人間なので、

常に前向き 前向きだと持たないし、

たまには後ろ向きになりたいときだってある。

しかしブログの「僕」は常に強気で前向きな態度を貫いているので

後ろ向きな態度を許してくれない。

言うなれば、自由にものを言うために始めたブログが

現実世界の僕の自由を奪っていたのだ。

前の記事でブログの面白さを書いた後なのに

何とも二枚舌な発言ではあるが、

ブログの良くない側面の一つとして、

強気なことを語りすぎると、

ブログの中の「僕」が大きくなりすぎて、

現実の僕がついていけなくなってしまうことが挙げられると思う。

とにもかくにもブログの中で強気なことを

言うのは一時の憂さ晴らしにしかならない。

好きで始めたブログを嫌な気分で止めるのは

もちろん悲しい。

だから僕のブログはあくまでも毒にも薬にもならないような

下らないネタが中心になるのがベストなのではないかと思う。