命日のありかたについて考える

命日

存命中の人間にスポットライトが当たることの多いこの世の中で

死亡者が注目される数少ない1日である。

もちろん僕らの社会の中でも一周忌といった死亡者を悼む行事はあるが、

僕はこの行事が親戚たちが酒を飲んで騒ぐだけになっている気がしてならない。

もちろん故人は残った人が楽しんでいる姿がみたいと思っているから

親戚同士で酒を飲んで楽しむという考えは一理あるが、

僕はそれだけではなく故人の生前の業績に目を向け

それに敬意を表するような悼み方があっても良いと思う。

11月30日は水木しげる氏の命日だ。

僕の小学生時代の楽しみは

日曜日の朝にゲゲゲの鬼太郎を観ることだった。

水木氏に何としても敬意を示さなければならない。 

そうだ。

僕にしかできない方法で敬意を示そう。 

目玉おやじの人気は凄まじかった。

道行く人は歩いているだけの僕に

笑顔で写真撮影を求め、   

子供たちは「目玉おやじだ!」と言って笑顔で手を振った。

果たして私服の僕にこのような反応をする者がいるだろうか?  

全ては目玉おやじの圧倒的な知名度と人気あってこそである。

死後なお

皆を笑顔にする

キャラクターを産み出した水木氏の業績は計り知れない。

僕は漫画家ではないので、

こうしたキャラクターを作ることはできないが、

僕が死んだ後に皆が

「アイツは頭おかしかった」なんて言いながら

僕の話で盛り上がって笑顔になるような人生を送っていきたい。

肉が好きなら肉になれ

#肉好き #肉食女子 #肉食系 #肉好きとつながりたい。

以上の#からも分かるようにこの世には多くの肉好きが存在する。

僕も週に1度は必ず肉を食べるぐらい無類の好きである。

しかし僕は肉好きたちに対して疑問を抱いていた。

有名アーティストのライブでは

ファンたちが好きすぎるがあまり

そのアーティストの格好をしていることがよくある。

一方肉の格好をしている肉好きはこれまでみたことがない。

前者の例から真の肉好きは

肉の格好をしていてもおかしくないのである。

本日 11月29日は年に一度のいい肉の日だ。

晴れ舞台という意味で

肉にとっていい肉の日は

アーティストにとってのライブと

同じくらい重要な1日である。

そんな大切な日に肉への愛を伝えないでどうするんだ。

肉への愛を伝えるには肉になるしかない。

こうして僕の歩く肉片生活が始まった

当初 普段食べてる肉が急に歩き出したことによって

民衆の不安を煽り

反肉デモが乱発してしまうのではないかと危惧していたが、

そんな不安は肉の圧倒的な人気の前では杞憂でしかなかった。

普段美味しく頂いている肉への感謝からか

道行く者の多くは手を振ってくれた。

一部怪訝な視線を送ってくる者もいたが、

彼らはベジタリアンなのだろう。

食の多様性を認めることも肉好きには必要だ。

インスタグラムにいい肉の日だから

肉を食べたという投稿がいくつかあったが、

食べて祝うとは恐ろしい発想である。

肉は食べたらなくなってしまう。

まるで肉がその場からいなくなったことを

祝っているかのようではないか。

友達の誕生日で

そいつを食べて祝う文化があったら恐ろし過ぎるだろ。

そういう意味ではいい肉の日を祝いたいなら、

肉になるのが一番だと思う。

これから肉好きを名乗るものは

食べたくなるほど肉が好きなのか、

なりたくなるほど肉が好きなのか

詳しく教えてほしい。

もちろん僕は後者しか認めないが。 /p>

デスノートの新しい活用法

デスノート

誰もが知っている人気漫画である。

本作に登場するデスノートは

名前を書かれた者は必ず死亡するというとても物騒な性質を持っている。

そのためデスノートに対して好意的な印象を持っている者は少ない。

家に単行本4巻だけを持っているほど熱烈なデスノートファンである僕は

常日頃からこのネガティブなイメージを変えたいと思っていた。

昨日 僕はいつものようにコスプレのネタを探すために、

11月28日が何の日なのか調べていた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8828%E6%97%A5

しかし11月28日はアルバニア独立記念日といった

コスプレ向きとは言えない記念日ばかりだった。

記念日がないなら作ればいいの精神で

いっそ露出狂のコスプレをして

11月28日を露出狂の日にしようかと思っていた次の瞬間

僕の目に衝撃的な項目が飛び込んできた。

完璧だ。

僕が長年抱き続けていた

デスノートへのイメージを変えたい

という願いを叶えるのはこれしかない。

こうして僕のデスノート作りが始まった。

当初どうやって材料を集めるか疑問が尽きなかったが、

とりあえずそれっぽい材料を集めるとそれっぽいノートができあがった。

材料費はたったの500円。

これで本当に効果があるのか気になってしかたのない僕は

とりあえず必修演習のヒーローになるために、

自己紹介をしていた教授の名前を書いてみた。

(教授が講義開講中に死亡した場合、受講者全員に単位を認定する決まりがある)

「これで僕はヒーローだ。」

そう確信し、帰り支度を始めていた僕だったが、

あろうことか教授は死亡するどころか、ますます元気に話始めたのである。

僕はここで大きな見落としに気づいた。

デスノートを書いてから死ぬまでに決まった時間はないのである。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/DEATH_NOTE

つまりデスノートは作成者次第で大きく効果が変わり、

今回僕が作ったデスノートは

名前を書かれた者は100年以内に死ぬという

果てしなく無意味な代物だったのである。

いま生きている大抵の人間は100年以内に死ぬ。

人にデスノートを使うことができなくなった僕は大きく落胆した。

しかしここで僕は当初の目的が

デスノートの良さを広めることであることを思い出した。

人を殺すことが良い訳がない。

このデスノートは書いたものを

必ず100年以内に死に至らしめる効果がある。

なら僕がこの世に必要のないと思うものを書けばいいのだ。

アルコール アルハラ 居酒屋 ほろよい

酒を飲んで迷惑をかける奴 早稲田=酒という風潮 

僕はありったけ嫌いなものを書いた。

これで僕が死ぬ頃にはこの世から

アルコール関連の問題はなくなっているに違いない。

デスノートにはただ人を殺すだけだはなく、

こうした使い方もあるのだ。

僕はこのノートを独り占めするのではなく

このノートを拾った者が自分の嫌いなものを書いて、

自分の殻を破るきっかけになって欲しいと強く感じた。

だから僕はこのノートを大隈銅像前に置いた。

このノートを拾った者が自分の殻を破ることを信じて。 /p>

見習うべき体毛のしぶとさ

今日は中文(文学部文学科中国語中国文学コース)の日だった。

なぜなら今日は秋クォーターの演習が終わり、

冬クォーターの演習が始まる日だったからだ。

僕はこの記念すべき日を祝う気持ちを体全体で表現するために

全身中文化に挑戦することにした。

中文マスク 中文Tシャツ 中文ホットパンツと

簡単に全身コスプレができあがった。

/p>

そして僕は日課である撮影を行おうとした。

その時だった。

足中にこびりついた黒いモジャが僕の目に飛び込んできた。

正義を貫く中文が黒く染まってはいけない。

このモジャは明らかに不要だ。

幸いにも僕は除モジャクリームを持っていた。

早速足に除モジャをぶちまけると、

僕の見た目が悪いというなんとも自己中な行動に対して

モジャ達は嫌われてでも生え続けたいという自己中で対抗した。

これだ。僕の求めている世界は。

互いに自己中をぶつけ合う。

しかし今回は負ける訳にはいかない。

僕はありったけの除モジャクリームを塗りたくった。

それでもモジャたちはしぶとく粘り続け

授業が迫った僕は一部のモジャを残し、

撤退を余儀なくされた。

モジャの自己中が僕の自己中を上回ったのだ。!–

どれだけ嫌われようが、

生え続けるモジャ達の精神力は凄まじい。

先日も語ったが、諦めること=大人になることのような風潮が強すぎると僕は思う。

この世に除モジャクリームや様々な除モジャ法があることを

見れば分かるように本気で自己中を通し続ければ、

勝手に社会が合わせてくれるのだ。

強い精神力で自らの自己中を押し通したモジャは本当に賢い。

僕らはただモジャ達を剃るだけでなく、モジャ達から多くのことを学ばないといけないと思う。

早稲田大学のキャンパスを関東に例える

僕の大学には主に4つのキャンパスがある。

早稲田キャンパス

戸山キャンパス

西早稲田キャンパス

所沢キャンパス

常日頃から僕はこれらのキャンパスの関係性が関東圏の関係性に似ていると感じていた。

そこで今回は僕の独断と偏見でこれらのキャンパスを分類したいと思う。

① 早稲田キャンパス=東京

言わずと知れた早稲田大学の中心 早稲田キャンパス。

早稲田大学と聞いた時に一番最初に思い付く場所はここだろう。

中心というイメージから関東圏に例えるなら東京一択だろう。

一部 大学の中心とは思えないほど廃れた棟もあるが、

東京にも首都とは思えないほどの過疎地域もあるので、

その点でも一致していると言えるだろう。

② 戸山キャンパス= 千葉 神奈川

文学部 文化構想学部のキャンパス       

通称 文キャン 

早稲田キャンパスから絶妙な距離に配置されており(徒歩5分) 

県の市町村の多くが電車で1時間以内に都心へ向かえる千葉や神奈川と

中心部に近いという点で一致している。

多くの文キャン生は 千葉 神奈川住みの毎日上京勢と同じように

事あるごとに早稲田キャンパスへ上京している。

一方文キャンには学生会館(サークルの収容所)があるため、

早稲田キャンパスの学生もよく文キャンを訪れる。

神奈川や千葉は観光スポットを多く抱えており、

都民がよく訪れることを考慮すると、

この点においても戸山キャンパス=千葉 神奈川の図式が成り立つと言える。

③ 西早稲田キャンパス=北関東

理工学部のキャンパス

通称りこキャン

早稲田キャンパスからは少し距離があり(徒歩22分)、

りこキャンの授業は専門的なものが多いことから

早稲田キャンパスの学生が訪れることは滅多にない。

しかしサークルの活動の多くが早稲田キャンパス周辺で行われることから、

りこキャンの学生はしばしば早稲田キャンパスに徴収されている。

この一方的な関係性は北関東民が無理してでも東京に出たがるのに対し、

都民はさほど北関東に関心がないという関東圏の関係性にとても似ている。

また近年発展を続けている北関東工業地域を抱える北関東と

一部から工場とも呼ばれるりこキャンはイメージ的にも一致してると言えるだろう。

④ 所沢キャンパス=所沢

                でかい森 /p>

常識を疑え ~ 我慢することが大人なのか ~

大人になるとはいったい何なのか?

http://kokoronoiyasi.com/spirit-8-50

このサイトでは自分の感情をコントロールすることだと指摘している。

は?

なんで自分の感情を抑えることが大人につながるの?

確かに感情を抑えられれば、その場で大きなトラブルが起こることはないかもしれない。

ただ感情を抑える=大人という風潮が行きすぎると、

全員が感情を抑えて感情的になった奴に合わせることになる。

つまり感情的な奴 自己中が得をする世界ができあがる。

例えば飲食店で無茶なクレームを入れてきた奴には

店がそいつの要求を限界まで飲まないといけなくなる。

明らかに間違っている。

僕はここで思うのは感情的を抑える=大人という考えを捨てて

自分の考えを互いにぶつけ合えばいいのではないか。

言い換えれば互いがそれぞれの自己中を通し合うのだ。

クレームが入れば店が反論し、怒鳴り散らしている奴がいれば、こっちも怒鳴り散らす。

そのほうが絶対に気持ちいい。

わかりやすくするために

一度感情をぶつけることを迷惑かけることに置き換えて考える。

迷惑をかけてはいけないという感情が行きすぎると

他人が迷惑をかけてきたとき、

俺は迷惑をかけていないのにという感情が先走って不寛容になる。

人間生きていれば絶対何かしら人に迷惑をかける。

道を歩けば道路は壊れていくし、店で食事を取れば店員の仕事を増やす。

要は互いに迷惑をかけるのはお互い様なのである。

感情も同じである。

感情を持たない人間などいない。 

感情を抑えることを美徳とし、感情を抑えあって生活することにストレスを感じるぐらいなら、

いっそ自分の感情を全てぶちまけてぶつかり合ったほうが気持ちいいに決まってる。

もちろん常に自分の感情が通る訳ではないが、

その時は互いが感情をぶつけ合ってどっちが正しいか決めればいい。

僕はみんなが自分のしたいと思ったことをすぐにできる社会になって欲しいと強く思う。

例えるならサル山だ

怒りたいときに怒って、 食べたいときに食べて、寝たいときに寝て、トイレしたいときにトイレする。

サルたちは本当に本能のままに生きている。

時にはケンカもして、どちらが正しいか争い合う。

くだらない社会の固定観念に縛られて

自分のしたいことができないことにストレスを抱える人間が

本能のままに生きてストレスとは無縁のサルから進化したと言えるのか?

感情を抑えるのが大人だとか言って、

その場だけいい顔して、

後であいつは常識がないとか陰口言うのダサすぎませんか?

常識がないっていう主張を通したいなら、

その場で粘ればいいじゃないですか?

(常識がないってよくわからないですが)

こうやって自分の主張を通すのを諦めることが大人だって風潮が強まると

結果的にみんなが一部の自己中たちに合わせていって自己中たちが得をする。

この社会では自己中が得することを心得てあえて無理を通す自己中

そんな自己中を嫌いながらも、

嫌いと言えず自己中に合わせて、ストレスをためる自称大人。

もはやどっちが賢い大人なんですか?

最近の若者は自己中とか言ってる暇があったら

あんたも自己中になればいいでしょ。

僕はこの世界で自己中が得する限り、自己中で生きていきたいと思う。

いつか皆が自己中であることが真の大人であるということに気づくことを信じて。

西早稲田駅赤坂サカス説

僕の大学では多くの学生が最寄り駅として早稲田駅を使っている。

そのため西早稲田駅を使っている僕はしばしば早稲田駅勢から強い迫害を受けることがある。

奴らを見返したい。

僕はその一心で西早稲田駅の良さを徹底的に調べあげることにした。 

すると僕は西早稲田駅がある超人気施設と多くの共通点を持っていることを発見した。

赤坂サカスだ。

詭弁だと思ったそこの早稲田駅勢!

まずは黙って話を聞こう。

共通点 その1 2008年開業

どちらも2008年に開業している。

共通点 その2 周りに坂が多い

赤坂サカスは周囲に坂がとても多い。名前の由来もこのことからきている。

西早稲田駅も早稲田大学に向かうまでに多くの坂がある。

共通点 その3 都内再開発プロジェクトの一環

どちらも都内再開発プロジェクトによって作られた施設である。

共通点 その4 都内の超人気スポット。

赤坂サカスはいうまでもないが、西早稲田駅も1日平均3万人が乗り降りする超人気スポットである。

共通点 その5 北緯35度 東経139度

どちらも緯度が同じである。(小数点切り捨て)

共通点 6 絞首台が無い

どちらも平和な場所なので絞首台は無い。

このように西早稲田駅は赤坂サカスと多くの共通点を抱えており、

もはや西早稲田=赤坂サカスといっても過言ではない。

赤坂サカスから通学してみたいと考えている早稲田駅勢のあなた!

今すぐ西早稲田駅の定期を買って利用者を増やしましょう!

利用者が増えていつか特急が止まるようになることを願って /p>

他人のフリって何なんだ?

僕には嫌いな言葉がある。

他人のフリ。知り合いだと思われたくない。

最近これらの言葉をかけられることがしばしばある。

訳わからん。

何で僕と知り合いだと思われることで、その人の価値が下がるのか。

関係ないだろ。

僕は僕だし その人はその人。

交遊関係だけで人間が語れるか。

面白い奴とたくさんつるんでるからって必ずしもそいつが面白いってことにはならないし、

有名なサークルに入っているからって、その人が偉くなるわけじゃない。

自分の印象を作るのは自分だけだろ。

英語には友を見ればその人が分かるということわざがある。

は?

そんなもんずっと一緒にいたってわかんねーよ。

なんでそいつと会ってねーのにそいつのことが分かるんだよ。

そんなん分かった気になってるだけだろ。

芸能人の交遊関係だけみて、そいつの性格分かるかよ。

見た目とかつるんでる奴みたいな外的な要素でつまんねーレッテル貼ってんじゃねーよ。

もっとそいつと真剣に向き合えよ。

話が少しそれだが、僕が言いたいのはつまり人の印象を形成するうえで、誰とつるんでいるかなんて関係ないということだ。

友をみて人を判断する風潮をなくすため、

せめて僕は交遊関係を自慢したりするのはやめよう !– /wp:paragraph –>

今日は何の日?

みなさんは本日11月22日が何の日か知っていますか?

いい夫婦の日と答えたそこのあなた!

そんな常識的な答えでは一生独身確定です。

本日11月22日はボタンの日なのです。

なぜボタンの日なのかって?

日本釦協会・全国ボタン工業連合会等が1987(昭和62)年に制定。

1870(明治3)年のこの日、金地に桜と錨の模様の国産のボタンが海軍の制服に採用された。

http://www.nnh.to/11/22.html

とのこと

ちなみにいい夫婦の日の制定は1988年のため、

ボタンの日のほうが長い歴史があるのだ!

いい夫婦の日を祝うためレンタル彼女を雇って夫婦になりきろうとしていた僕だったが

ボタンの日が持つ歴史に衝撃を受け急遽ボタンになりきることに決めた。

早速この格好で大学に乗り込むと、毎日私服コスプレ勢がこう聞いてきた。

今日は何のコスプレ?

ここですぐに答えを出すのは無粋なので

僕は 今日は何の日か? という最大のヒントを与える。

すると奴らはあろうことか夫婦の日と答えた。

ありえない。

独身のお前らに夫婦なんて関係ないだろ。

それよりも毎日寄り添ってるものがあるだろ。

ボタンのことを忘れるべからず。

僕はいつか11月22日がボタンの日ということが世間に認知され

皆がそれぞれ自分が思うボタンのコスプレをして街を歩きボタンに感謝するという日になったら素敵だと思う。

来年の今ごろは留学先の北京でボタンになりきろう。

いつかボタンの日が革命を起こすことを信じて

常識を疑え ~ 見た目がヤバい奴は本当にヤバいのか ~

皆さんはこの集団のことを知っているだろうか?

彼らは15年ほど前に世間を席巻したパナウェーブ研究所という新興宗教団体である。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パナウェーブ研究所

彼らはこの世のあらゆる不都合を共産党員が流すスカラー電磁波によるものと位置付け、

スカラー電磁波から身を守るためには白い服を着ることが有効として全身を白装束で固めた集団である。

彼らは外見においてはこの流行を超越したファッション

内面においては多摩川のタマちゃんに餌をやるといった慈悲の精神http://denpa.s31.xrea.com/x/event/pana.html

と見た目と性格の良さを兼ね備えた集団であったため、

彼らとは正反対の性質を持つメディアの嫉妬に合い、奇怪な集団として過剰な報道を受けた。

彼らは白装束で移動したり、タマちゃんに餌をあげただけで、

何の根拠もなく某ム真理教のような危険組織として取り上げられたのである。

もちろん彼らはそうした危険組織とは無縁で、

そのことが判明するとメディアは何事もなかったかのように彼らへの報道をやめた。

しかし何も危険なことをしていないのに、危険組織のような扱いを受けた信者たちの心は傷ついたに違いない。

僕は彼らのエピソードを知って強いショックを受けた。

そこまでして彼らが伝えたかったことを知るためには実際に彼らになりきるしかない。

こうして僕の1日パナウェーブ研究員生活が始まった。

始める前はスカラー電磁波の存在に対して半信半疑だった僕だったが

実際に白装束をしてみると

スカラー電磁波を遮ることに成功したからか

いつもよりも風通しが良くなってとても快適だった。

やはり白装束の力は偉大だ。

研究員たちが白装束に傾倒したのも頷ける。

僕は白装束の効能を実感し、意気揚々と電車に乗り込んだ。

しかしそこにあったのは

異質な見た目をした者に対する社会の厳しい視線だった。

僕はいつものように座席に座っていた。

すると前に座った女性が僕と目があった瞬間、 どこかへ立ち去っていったのだ。

当初 ほかにいい席があったのだろう ぐらいの考えであった僕も

こうした立ち去りが1回だけでなく2回 3回と続くと

白装束が立ち去りの原因であることを確信した。

確かに白装束が某ム真理教のような危険組織を連想させるという考えは一理ある。

しかしここで一度冷静になって考えて欲しいのは

信者たちが地下鉄にサリンを撒いた時、彼らは白装束であったかどうかだ。

答はもちろんNOだ。

彼らは一般人と何ら変わりのない服装をしていたのだ。

この例からもわかるように本当にヤバいことをしている奴は

派手な格好などしない。

常に包丁を持って歩く殺人鬼がいるか?

そんなことをしたらすぐに国家権力に捕まるのがオチだ。

人を見た目で判断するのは愚の極みだ。

本当にヤバい奴というのは何食わぬ顔で普通の服装をして街に紛れこんでいるのだ。

これこそが パナウェーブ研究所が研究所生命をかけてまで伝えたかったことなのではないか。

僕たちはもう一度本当に危険な存在が誰なのか真剣に考える段階にきていると強く感じた1日研究員生活であった。 /p>