命日のありかたについて考える

命日

存命中の人間にスポットライトが当たることの多いこの世の中で

死亡者が注目される数少ない1日である。

もちろん僕らの社会の中でも一周忌といった死亡者を悼む行事はあるが、

僕はこの行事が親戚たちが酒を飲んで騒ぐだけになっている気がしてならない。

もちろん故人は残った人が楽しんでいる姿がみたいと思っているから

親戚同士で酒を飲んで楽しむという考えは一理あるが、

僕はそれだけではなく故人の生前の業績に目を向け

それに敬意を表するような悼み方があっても良いと思う。

11月30日は水木しげる氏の命日だ。

僕の小学生時代の楽しみは

日曜日の朝にゲゲゲの鬼太郎を観ることだった。

水木氏に何としても敬意を示さなければならない。 

そうだ。

僕にしかできない方法で敬意を示そう。 

目玉おやじの人気は凄まじかった。

道行く人は歩いているだけの僕に

笑顔で写真撮影を求め、   

子供たちは「目玉おやじだ!」と言って笑顔で手を振った。

果たして私服の僕にこのような反応をする者がいるだろうか?  

全ては目玉おやじの圧倒的な知名度と人気あってこそである。

死後なお

皆を笑顔にする

キャラクターを産み出した水木氏の業績は計り知れない。

僕は漫画家ではないので、

こうしたキャラクターを作ることはできないが、

僕が死んだ後に皆が

「アイツは頭おかしかった」なんて言いながら

僕の話で盛り上がって笑顔になるような人生を送っていきたい。

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