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ドイツ・デュッセルドルフ 〜入国審査と巨大ケバブ〜

アムステルダムを離れた僕が次に向かった地はドイツ・デュッセルドルフだった。

ドイツの西側に位置するデュッセルドルフはアムステルダムからバスで4時間ほどと非常にアクセスが良く、ドイツ旅を始めるうえで絶好の都市であると感じた。

一方で僕はドイツへと移動に関して若干の不安を抱いていた。

というのもドイツが9/5から日本を「コロナウィルスハイリスク国」に指定したからだ。

詳細を確認すると、入国前10日以内にハイリスク国に滞在していることが発覚した場合、自己隔離が必要とのことだった。

僕自身も渡航前から再三再四情報を確認し続けていたが、僕が空の世界に隔離されていた間に発表がなされてしまった。

僕の旅はオランダで終了してしまうのか。まだ始まって3日も経ていないのに。

オランダの雲ひとつない青空とは対照的に僕の旅に一群の暗雲の立ち込み始めた。

まあどうなったて良いだろ。突飛なことは全てブログに書いてしまえばいい。

「不安に駆られても何の意味も無い。予約は取ったのでとりあえずバスに乗ろう。」

僕は悪を引き起こそうと奔走する自らの思考を放棄し、足早にバスに乗り込んだ。

バスはロッテルダムやらネイメーヘンやら様々なオランダの都市を寄りながら、様々な不安で揺れ動く僕の思考のように曲線的な線を描いて進んでいった。

そして迫る国境線。

ここで降ろされたら”旅”が始まるな。

僕は不安と一抹のワクワク感を抱え、バスに揺られていた

そんな僕の焦燥をよそにバスは何者にも遮られることなくあっさりと国境線を突破した。

僕に起きた変化といえば、オランダで買ったsimカードが全く繋がらなくなったぐらいであった。

バス停に何かがあるのか。国境線を超え、安心した東洋人を絶望の淵に叩き落とす何かが。

僕の疑心は大いに膨らみを続けていたが、バスもまた決められた道順をひたすらに走り続け、ついにデュッセルドルフに到着した。

停留所が数個置かれただけのバス停に到着すると、バスのドアが一斉に開放された。人々は我先にと荷物を背負い素早くバスを降り、各方向に散っていった。

そこに待っているものは何もなかった。

何かが待っていると勝手に妄信していた僕は呆気にとられた。

人間は得てして予期せぬ自由に弱い。

僕はデュッセルドルフに着いてからのことをほとんど想定していなかった。

人々に押されひとまずバスを出た僕ができることは限られていた。

宿の名前は? 所在地は? 腹減ったな飯は?

僕は適当に街を歩きながら、一旦フリーズした脳を再活動させ、次の行程を考えた。

しかし何か物事を考えるには僕の脳は疲弊し過ぎていたし、どこかへ足を延ばすには僕の腹は減りすぎていた。

幸いなことにバス停は食事処も多い市の中心にあった。

ただ適当に歩くだけで様々な食事処が僕の目に飛び込んでくる

その中で僕の目を最も引いた食べ物があった。

ケバブ

そうかつて僕が漢のロマンを追い求め作り上げた食事

あの時も全く焼けることのないケバブ肉を見て呆気にとられていたものだった。

肉だ。デカい肉は全てを解決する。

例のごとくこのレストランにも巨大なケバブ肉が鎮座していた。

僕は迷わずケバブサンドを注文した。

これまた例のごとくトルコ系の従業員は慣れた手付きで肉を切り、野菜などと共にパンへぶち込んだ。

そして例に外れた無茶苦茶なサイズのケバブサンドが僕の前に現れた。

3.5ユーロ(440円)異常に安い

デカい。異常にデカい。もはやサンドできていない。呆気にとられた思考を取り戻すために食べるケバブを見て僕は再び呆気にとられてしまった。

もう呆気にとられている暇はないんだ。目の前に飯があったらやることは一つ。

食う。

僕は服や顔が汚れるハイリスクを恐れずにひたすらかぶりついた。

旨い 旨い。

僕の脳腹へ急速にエネルギーが溜まっていった。

そうだ僕はドイツに入国したんだ。

もう僕は自由の身なんだ。

エネルギーを取り戻した僕の脳はあらゆる事実を素早く処理した。

瞬く間にケバブを平らげた僕は足早に宿へと向かった。

ドイツ旅はまだ始まったばかりだ。続く

快楽と開放の街アムステルダムpart2 人生を謳歌する人々の姿に感動

前回に引き続きヨーロッパ旅について語っていこうと思う。

日本で感じた閉塞感を打破するために僕は最初にオランダを渡航先に選んだ。

売春や大麻が合法であり快楽主義、開放主義的な雰囲気を持ち合わせるオランダは僕の閉塞感を打破するにはうってつけの場所のように思えた。

オランダまでの総移動時間は約1日。これまでの最長渡航時間がタイに行った際の6時間だった僕にとって途方もない移動時間だ。

開放という真逆の価値観を手にするにはそれだけ長い距離を動かなくてはならないのだ。

僕は若干衰えを感じる23歳の体に鞭を打ち、飛行機に乗り込んだ。

「これからオランダに行くのか」

正直なところ僕は全く実感がなかった。

ほんの2日前までは副反応で1日中寝込んでいたし、今日という一日も飛行機に乗るという行為を除いて特に変わりはなかった。

いつもと変わらず飯を食い、映画を見て、ゴロゴロする。記憶に残らない一日であるはずだった。

ただ僕は空港に向かい飛行鉄塊に乗っただけなんだ

そんな僕の感覚などお構いなしに飛行機はひたすらに目的地へと進み続けた。

実感などなくても飛行鉄塊にさえ乗ってしまえば目的地にたどり着いてしまうのが現代の性のようだ。

家から成田空港まで2時間半、成田空港からドバイ国際空港まで10時間、3時間の接続を挟み、オランダ・アムステルダムまで7時間。

出発から22時間と30分。実感0の僕はアムステルダムに降り立ってしまった。

他の乗客に押し出されるがままに飛行機を降り、暗黙の流れに従い、入国ゲートにたどり着く。

入国ゲート前に長い蛇の如く列をなした人々の姿は僕にほんの少しだけ旅の実感を与えた。

そしてこの入国ゲートは僕に与えたものは旅の実感だけではなかった。

大蛇のような見た目に反して入国ゲートは素早い回転を発揮し、ものの数分で僕の番がやってきた。

僕はパスポートと入国前に大金をはたいて獲得した陰性証明を準備した。

だがしかし、入国管理官が要求したのはパスポートのみだった。彼らは僕の顔とパスポートの顔が一致していることを確認すると、適当にスタンプを押し、入国審査を終了した。

オランダ政府のHPには陰性証明が必要と書いてあったが…

世の中 ネットの情報だけではわからないことがまだまだたくさんあるようだ。

なにはともあれ流石は開放の国オランダ。どんな奴らにもとりあえず国境は開放、面倒な証明作業の仕事から入国管理官も開放。

入国早々開放のワンツーを決められた僕は異国の地に降り立ったという実感を否応なく獲得することになった。

しかしこの程度の開放は開放大国オランダにとってほんの序の口でしかなかった。

あっという間の入国審査を終えた僕は地下鉄塊に乗り文字通りアムステルダムの中心であるアムステルダム中央駅に向かった。

地図を見るとよく分かるがアムステルダムはアムステルダム中央駅を起点として巨大な歓楽街が広がっている。

開放といえば歓楽街という安く直球な考えで僕はアムステルダム中央駅周辺に宿をとっていた。

こうした僕の考えとは真逆な高く曲がりくねった地下鉄塊に乗ること20分。ついに開放の中心アムステルダム中央駅に到着した。

そこにあった光景は僕の期待を遥かに上回るものであった。

雲ひとつない快晴。美しく荘厳な建築物。マスクもつけずに街を楽しむ人々。

これだよ。これが欲しかったんだよ。

僕が日本で感じた閉塞感を木っ端微塵に破壊する環境がアムステルダムにはあった。

その中でも特にこの街の人々の振る舞いには大いに考えさせられるものがあった。

ある者は酒を飲み、ある者は大麻を吸い、ある者は性に溺れる。

街の人々はコロナはただの風邪といわんばかりに、それぞれやりたいことをやって人生を謳歌しているように見えた。

#全国民平塚正幸

日本とオランダにおけるコロナ感染者比率はそう大差はない。

医療を守るために延々と自粛を続ける日本、コロナなど忘れて人生を謳歌するオランダ。

どちらが良い対応なのかを決めるのは難しいが、少なくとも世界には様々な考え方があるということだ。

#あたりまえ

郷に入れば郷に従え。

この自由闊達な雰囲気を求めてオランダに訪れていた僕はそう自分を納得させ、自らの快楽の赴くままに行動することにした。

食いたいもんを食い、

日本のコロッケの元となった料理らしい

いきたい所にいき、

眠い時に寝る。

幸せだ。今までの閉塞感が嘘のように僕はオランダを満喫した。

そして開放・快楽主義に溺れ続けたオランダ旅も最終日をむかえた。この日 僕はオランダの開放・快楽主義の真髄を見せつけられることとなる。

続く

快楽と開放の街アムステルダムpart1 〜開放を求めて〜

2021年8月 僕は強い閉塞感を抱いていた。

長く険しい就職活動が終わりを告げてからというもの、僕はウメハラらと共に中文というコミュニティを盛り上げるために奔走した。

飲み会、高尾山、流しそうめん 思いついたアイデアは何でも実行に移した。の

奔走の成果もあり、ほんの1年前まで荒廃し閑散しきっていた中文コースには多くのニュー・カマー達が集まり、従来では想像できないほどの活気が戻りつつあった。

しかし楽しい日々はそう長くは続かないのが世の常というものである。

例にもごとく中文コースはコース集まりの弱点でもある夏休み突入による集合口実の減少によって急速に集合率が悪化し、下火となっていった。

中文歴5年の僕にもなればこの流れが起きることは想定の範囲内だった。夏休みに「みんなで」「大勢で」なんて楽しみを期待してはならないのだ。

集まりの減少を見越して、僕は夏休みに関していくつかの予定を立てていた。

予定調和を愛するな。

某編集者がかつて声高に主張していた言葉だ。

その編集者を初めて知った時は僕も彼の世間の常識を打ち破る姿に感銘を受け、バカの一つ覚えのごとく「予定調和を愛するな」と吹聴し続けていた。

実際に今夏の予定調和は見事に崩れた。

夏の一番天気が良いタイミングだろうと見越して予定を立てた無人島サバイバル企画は季節外れの長雨により無念の延期となった。

8月のうちにできるだけ稼ぐという目論見もお盆中の発熱により志し半ばでの中断を余儀なくされた。

いざ予定調和が崩れた時に僕を襲った感情は喜びではなかった。

そこにあったのは閉塞感、端的に言えばシブさそのものだった。

店はやってない、長雨ばかり、自粛ムード

シブい。冷静にシブい。いつから日本はこんなシブい国になってしまったのか。日本に来た留学生が口を揃えて「日本は楽しい」と語っていたあの国はどこへいってしまったのか。

ぶつけようのない怒りとやり切れない閉塞感が僕を襲った。

そんな時にふと目に移ったのはイギリスのサッカーリーグでマスクもつけずに騒ぎ叫ぶ人々の姿だった。

彼らは自粛だとか医療崩壊だとか何も考えずに自分のしたいことを思う存分楽しんでいた。

欲しい。いま僕が欲しいのはこの環境なんだ。

彼らの本能に従って人生を謳歌する姿は僕の欧州旅行への士気を大いに高めた。

この閉塞感を打破するには環境を変えるしかない。

日本がダメならヨーロッパだ。

世界は広いんだ。自粛を愛する日本に留まり続ける必要はないんだ。

僕の閉塞感は少しづつ開放の瞬間を待っていた。

そして9月某日。ついに待ちに待った渡航の日がやってきた。

続く

海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

美味さが全て~家系ラーメン論争~

「緊急事態宣言延長」

この宣言は長引くコロナ渦において客足の減少に苦しむ飲食店たちに悲しみと絶望を与えた。

「正直うんざり」「もう終わりだ」といった悲鳴が飲食業界各地から聞こえることも多い。

一方で緊急事態宣言なんてどこ吹く風、強い集客力で繁盛を極め続ける飲食店もある。

吉村家だ。

異常な混みを見せる吉村家(2021/2/6 12:00撮影)

某道家など数多くの悪徳飲食店を世に送り続ける家系ラーメン界隈の元祖として熱狂的な支持を集める一流ラーメン店。

世界屈指のラーメン激戦区横浜駅周辺においても、その唯我独尊とも言わんばかりの圧倒的な人気で頂点に君臨し続けている。

いま横浜で一番人口密度が高い場所といっても過言ではないだろう。 

しかし僕は吉村家徒歩圏に住む横浜市民の一人としてこの異常とも言える人気に疑問を抱き続けていた。

何を隠そう僕は大のアンチ吉村家だ。

理由は簡単。吉村家が大量の悪事を働いていることを知っているからだ。

      吉村家の悪事一覧

  • 行列詐欺(10席以上連続で席が空かないと店に客を入れない)
  • 行列詐欺で道を塞ぐ
  • ライスのお代わりを導入しない
  • 時短要請に応じない
  • 道にスープの残り汁をばらまく

これらの悪事は吉村家が犯した罪のほんのわずかに過ぎない。

行列による待ち時間はもちろんのこと、上記のような悪事を知っている僕は吉村家=悪、横浜を知らない田舎っぺがありがたがる食いもんという認識を持ち、頑なに吉村家を避け続けてきた。

吉村家を避け続ける僕が行くラーメン屋といえば一つ。「横浜家」だ。

異常な空き具合を見せる横浜家(2021/2/6 12:00撮影)

この横浜家は吉村家の真向かいという超良立地にあるのにも関わらず、常に異常な空き具合を見せている。

僕はこれまで22年間横浜に住み続けているが横浜家に行列ができていることはいまだかつて見たことがない。

とはいえ横浜家は決して劣ったラーメン店ではない。むしろ多くの点で吉村家を上回っている。

まずは値段。写真からわかるように横浜家のラーメンは500円だ。これは吉村家のラーメンが720円であることを考慮すると明らかに安い。

安いからといって質素な訳ではない。

横浜家の500円ラーメン

写真でわかるように家系の基本トッピングは網羅しているし、味もあっさり系で悪くはない。

そして何より横浜家はスタンプカードを導入し、リピーターを労うという称賛に値するおもてなし精神を持ち合わせている。

「お客様はわが味の師なり」とか言いながら何のサービスもせず殿様商売を続ける吉村家は大きく異なるのだ。

以上の理由から僕は吉村家はにわか、横浜家こそが至高と自らに言い聞かせ、横浜家に足しげく通い続けていた。

そして発表された緊急事態宣言。世間では密を避けろの大合唱。吉村家の集客力も衰え、ついに横浜家の時代がやってくる。

横浜家の可能性を信じ続けた僕は世間が目を覚ますのを信じて疑わなかった。

結果はどうだろうか。

吉村家は大繁盛、横浜家は閑古鳥。

状況は何も変わらなかった。

何が人々を吉村家に向かわせるのか。

僕はこれまで無意識に吉村家=悪と決めつけていた。しかし本当に悪ならばこれだけ多くの人々が集まるだろうか。

僕は悪という先入観に囚われ、吉村家の魅力を見失っているのではないか。

吉村家の良さを知るためには吉村家に行くしかない。

こうして僕は約5年ぶりに吉村家の行列に並び始めた。

並び始めて数分、吉村家お得意の行列詐欺が始まった。奴らは列が3列になり、隣の店の前にまで達しそうになると、店に客をまとめて入れて、行列解消を図る。

行列が減ったらまた、店の前を行列が埋め尽くすまで、客を店に入れず待つ。

こうして奴らは店の前に一定の行列が出来る状態を保っているのだ。やはり悪の権化 吉村家。

開始早々不快な光景を目の当たりにした僕は並びを止めて目の前に立つ横浜家に入ろうか迷った。

しかし今日は何としても吉村家を食わなければならない。

不快な気持ちは文章で発散せよ。

僕は本ブログを開き吉村家の悪事を書き始めた。

悪事を書くこと約1時間、ようやく行列詐欺も終わり、僕は吉村家店内へ足を踏み入れた。

注文はもちろん硬め、濃いめ、多めだ。

硬め、濃いめ、まずめが出ないよう願うこと数分、ついに吉村家自信の一杯がやってきた。

オーソドックスな家系ラーメンだ。ここまででは横浜家と大きな違いはない。

問題は味だ。若き日の貴重な1時間を捧げる価値はそこにあるのか。

僕は恐る恐る麺をすすった。

うまい うますぎる

スープの濃厚さ、麺の固さ、ほうれん草のシュワシュワ度、全てが最高だ。

僕は先ほど横浜家のラーメンをあっさりしていると評したがそれは間違っていた。単に横浜家は味が薄いだけなんだ。

家系ラーメンとは本来こういう味がするもんなんだ。僕は斜に構えるがあまり家系ラーメン本来の味を忘れていた。

なぜ人は吉村家に並ぶのか。

その答えは一つ 味だ

家系ラーメンの美味さを体感する。ただこのためだけに人々は寒空の中、密をも忘れ並び続けるのだ。

飲食店は味が全てだ。

どれだけ吉村家が悪事を働らこうが、ラーメンの味さえ良ければ人々は吉村家に好評価を下すのだ。

横浜家がどれだけ値下げして、サービスを上げても、味という点で劣れば、吉村家に集客で勝つことはできない。

飲食店にとって一番のサービスとは美味しさなのだ。

僕は飲食店の本質をまざまざと見せつけられたような気がした。

いずれにせよ吉村家が美味しかったのは事実だし、人々から人気を集めているのも事実だ。

僕はこれまでアンチ吉村家を掲げ、「吉村家は大したことない」と語り続けてきたが、認識を変えなければならないだろう。

横浜の武道家と

~はいぐ~の小さな野望~ 日本一冷たい水風呂に入りたい

――サウナはいつだって人生の大切なことを僕たちに教えてくれる――

僕は以前本ブログにてサウナ素人の意地とプライドをかけ、サウナの魅力を熱く語った

この記事以降も冷めることなく、世界湯サウナほどの温度を維持した僕のサウナ熱は、僕を地元サウナ開拓へ走らせた。

街銭湯中の街銭湯「松の湯」から最新の設備がととのった「かるまる」まで

この世には開拓がいのあるサウナが至るところに溢れている。

#アナル開拓よりサウナ開拓

そんな大サウナ時代真っ只中の我が国日本に恍惚と輝き続けるサウナがある。

「ウェルビー栄」

日本のみならず、世界各地のサウナファンが愛してやまない「サウナの聖地」。

特に「日本一冷たい」と称される水風呂は関東一冷たい「かるまる」の水風呂をも下回る3℃。

サウナ開拓を志す者として必ず開拓せねばならないサウナに違いない。

このサウナに行かずしてサウナ開拓趣味を名乗るのは、指一本しか入らないのにアナル開拓趣味を名乗るようなものだ。

僕は「ウェルビー栄」開拓を決めた。

大寒波吹き荒れる12月某日

僕はあえて睡眠の取れないであろう夜行バスに乗り込み「ウェルビー栄」のある名古屋へ向かった。

移動自粛要請なんてどこ吹く風。社内は満員御礼。老若男女で溢れかえっていた。

さしたる観光地もない名古屋になぜこれほどまでの人々が苦しい思いをして夜行バスに乗り込むのか。

夜行バスの到着予定は朝6:00。この時間では名古屋自慢のグルメショップたちも目覚めていない。

そうなると答えは一つ 「ウェルビー栄」だ。

ここの乗客たちはみな早朝から空いている「ウェルビー栄」を堪能し、夜行バスでの不眠を補う快眠を果たすのだろう。

恐るべしサウナ熱。

やはり大サウナ時代到来は間違いではなかった。

夜行バスに揺られること約6時間。

僕たちを載せたバスは予定通り、名古屋駅近郊に到着した。

極寒の早朝名古屋に降ろされた乗客たちは熱を求め、ものの数分で「ウェルビー栄」方面へと消えていった。

サウナを求める人々のあまりのスピードについていけず、一人バス停に取り残されてしまった僕も一流サウナ通のアラタと何とか合流し、「ウェルビー栄」への歩みを踏み始めた。

三流名古屋メシ「なか卯」での休憩も挟んで歩くこと30分、聖地「ウェルビー栄」が姿を表した。

外の写真を撮るのを忘れたのでTシャツでご容赦下さい。

ビジネスホテル風の3階建てビル。

外観だけでいえば「聖地」には程遠い。

しかしサウナは見た目だけで決まらないことは小綺麗な外観にも関わらず、ハッテン場に成り下がった某マー湯が教えてくれた。

きっとこの「ウェルビー栄」には僕たちを驚かせてくれる「聖地」があるのだろう。

僕たちは期待に胸を膨らませて、「ウェルビー栄」に入店した。

受付を済ませ、すぐさま脱衣場へ。

男性専用にも関わらず、頻繁に脱衣場を往復する若女性店員にイチモツを見られつつ、足早に着替えを終え、浴場へ向かった。

浴場の広さは松の湯約3個ぶんほどとそれほど広くはなかったが、内湯1つにサウナ2つ、水風呂3つというこだわりのインテリア。

流石は「聖地」。ここはあくまでサウナを楽しむための場所だという主張がビンビンに伝わってくる。

そしてお目当ての「日本一冷たい水風呂」。

浴場奥に佇む2重扉の先に厳重に閉ざされ、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。

「これからここに入るのか」

僕は先ほどまでの期待が不安に変わるのを感じつつ、穢れた身体をシャワーで流した。

落ち着け。どんなサウナであってもやることは変わらない。

水風呂に入る前にはまず体を限界まで火照らせる。

「ウェルビー栄」には高温サウナと森のサウナという二種類のサウナがあった。

一流サウナ通アラタの「森はぬるい」というビックマウスもあり、僕たちは95℃のサウナに火照ることになった。

熱い!

冷静に考えればサウナ開拓にはまっていたのは主に11月。最後にサウナに入ったのも11月末、準備不足は自明の理であった。

僕はものの6分ほどで限界に達し、まだ火照りたげなアラタと共にサウナから出た。

”どんなサウナであってもやることは変わらない”

サウナで火照った後に待っているイベントはただ1つだ。

僕たちは高揚と不安に苛まれながらゆっくりと歩みを進めた。

待ち構える異質な2重扉。

サウナでの実力を証明し、自信ありげに先頭に立ったアラタが扉を開けていく。

寒い! 

アラタが2枚目の扉を開けた瞬間、凄まじい冷気が僕たちを襲った。

一説にはマグロ冷凍庫と同じ冷凍設備を使用しているらしいというこの水風呂。

流石は「日本一」期待を裏切らない。

あまりの冷気に畏れをなしたアラタは先ほどまでの自信が嘘のように、後ろへと下がった。

消去方的に先頭に躍り出た僕はこのまま戻る訳にもいかず、水風呂に足を踏み入れた。

その瞬間待っていたのは寒さでも、冷たさでもない。

痛みだ。

体の悲鳴がこもった痛み。

ルーティンを果たすために、痛みをこらえ肩まで水に浸かるとその痛みは全身に広がった。

身の危険を感じた僕たちは時間を数える間もなく、凍った手すりをつかみ、我先にと水風呂から飛び出した。

なんだあの水風呂は

サウナでじっくり限界まで火照らせた僕の体はたった数秒の水風呂で「冷」へと変わった。

恐るべし「ウェルビー栄」

僕たちの高い期待を大きく上回った。

しかし本当に恐ろしいのは水風呂だけではなかった。

どんなサウナであってもやることは変わらない。それがたとえ日本一の水風呂を前にしていても。

僕たちは先ほどあれだけ恐ろしい体験をしたのにも関わらず、すぐさま2セット目のサウナへと向かった。

水風呂がどれだけ冷たかろうが、1セットで終わることはできない。

真に恐ろしきサウナ開拓者の性だ。

その後も僕たちはサウナ→水風呂のルーティンを繰り返した。

次第にサウナの熱さには僕も慣れ、8分~10分の間耐久できるようになった。

一方で水風呂の痛みには最後まで慣れることができず、せいぜい10秒浸かるのが限界点であった。

この10分じっくり火照り、10秒一瞬で冷えるというルーティン。

どこかで経験したことがあるのではないか。

その「どこか」が何なのか。サウナ耐久中の回らない僕の脳ミソは常々この疑問に振り回されていた。

今ならはっきり言える。

このルーティンは人生そのものだ。

「積み上げるのは難しい、崩れるのは一瞬」

温かい関係を作るのには時間がかかるが、温かい関係は些細なことで一瞬にして冷え込む。

しかし「ウェルビー栄」が真にサウナと水風呂を通じて伝えたいことはこれだけではない。

冷え込んだ関係も時間をかけて温めれば最後に必ずととのう。

サウナはいつだって僕たちに人生で大切なことを教えてくれる。

「ウェルビー栄」はまさに「聖地」にふさわしいサウナであった。


1匹のアジ

「日本は貧しくなった」

1億総貧困時代と揶揄される現代日本社会でしばしば取り上げられるようになったこの言葉。

1人あたりのGDPが下がったから貧しくなっただとか理由は探せば山ほど出てくる。

生産力低下=貧しくなった

本当にそうなのか

僕はこの「日本は貧しくなった説」は間違っていると思う。

なぜ間違っているのか

百聞は一見に如かず。

まずは都内某所で撮影されたこの写真を見て頂きたい。

アジだ。

道路の真ん中に理路整然と置かれた1匹のアジ。

なぜ?  どこから? 

疑問は次々と沸いてくる。

ただ一つ言えるのは一匹のアジが放置されているという異様な光景が僕の目の前に広がっているということだ。

僕は配達中のウーバー案件も忘れ、しばらくこのアジを観察した。

飲食店の仕入れ中にトラックから落ちたのだろうか。はたまた誰かが猫にでもエサをあげようと設置したのか。

考えに考えても結論は出ない。むしろ新たに生まれた疑問が僕を襲った。

なぜ僕はこのアジを眺めているのか

この世に鑑賞目的でアジを飼っている者は恐らくいない。

アジは間違いなく「食」の対象であり、鑑賞の対象ではないはずだ。

しかし僕を含めた街の人々はこのアジに奇妙な視線を浮かべるばかりだ。

このアジを拾おうとしたり、ましてや食べ始める者など一人もいない。

これがもし今日を生き抜くための食糧を確保するのに苦心する国であったらどうだろうか。 

食に飢え血走った目で落ちたアジに向かって我先にと飛び込んでいるだろう。

アジの写真を撮ろうとした僕は貴重な食糧をみすみす逃した愚人として激しい罵倒を受けるだろう。

しかし現在日本という国ではそのような状況にはならない。

道端に落ちた奇妙なアジに不安を感じられる心と生活の余裕がある。

僕たちは豊かだ。

道端に落ちたアジを食べなくても、居酒屋で紙切れを渡せば美味しいアジフライが食べられる。

本当に日本が貧しくなった時、僕たちに「貧しくなった」と言っている余裕はない。

ただ目の前のアジに全力で飛び込むことしかできないのだ。

ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

釣り 大漁 自捌き 唐揚げ 幸せ

間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


ただ空を飛びたかったんだ

僕は9月1日~3日まで関西を旅行した。

腐るほど訪れた気のする関西へ大学4年にもなって何故旅行したか。

それはひとえに「空を飛ぶため」に他ならなかった。

8月はウメハラの月だった。

バンジージャンプ 釣り 飲み会 八ヶ岳 インターン

彼は溢れるバイタリティーを放出し、暴虐の限りを尽くしていた。

このご時世、思うように活動できず苦しむ人もいる中、暴虐無慈に人生謳歌ハラスメントを行うウメハラは明らかに全世界の脅威となっていた。

そんな彼が唯一取り残した活動があった。

スカイダイビング。

目には目を 歯には歯を。

僕たちがスカイダイビングを先に決行し、ウメハラに人生謳歌ハラスメントの苦しみを味あわせる。

僕は時同じくウメハラの活動に狂気を覚えたタカオカアラタと共に、ウメハラ討伐スカイダイビング隊を結成した。

僕たちは早速国内のスカイダイビングスポットをしらみ潰しに探し、都内近郊にキャンセル待ちスポットを見つけ、すぐさま予約を試みた。

しかしこれはウメハラの罠であった。

数日後、僕たちが予約を入れようとしたスポットから「予約は出来ない」という旨の連絡があった。

恐るべしウメハラ。

彼は僕たちに先を越されないように、都内近郊の全てのスカイダイビングスポットに対して、海谷という者が来た際に「予約ができない」と伝えるようにと指示を出していたのだろう。

僕たちはウメハラのハラスメントに懸ける思いをまざまざと見せつけられた。

意気消沈するなか、タカオカアラタがこんな提案をした。

「兵庫にできるとこありますよ」

兵庫。かのタカオカアラタが産み落とされた忌々しき地。

なぜいまさら兵庫を訪れなくてはならないのか。

しかし悩む暇はなかった。

この瞬間にもウメハラは次なるハラスメントへの策略を考えている。

関東に海谷スカイダイビング禁止網を張ったウメハラも流石に関西に目を向けてはいないだろう。

こうして僕は兵庫行きを決めた。

兵庫といってもタカオカアラタの推したスカイダイビングスポットは人里離れた山奥にある。

ぬくぬくと実家の愛を享受し尽くすタカオカアラタはまだしも、実家の愛から離れる僕にとって兵庫の山奥はあまりにも遠い。

僕は前日に姫路の宿を取り、万全の準備をしてスカイダイビングに望むことにした。

9月1日 天気 快晴

僕は兵庫へ旅立った。

思えば関東圏から飛び出すのは半年ぶりだ。

18切符名物静岡地獄ですら今回はどこか楽しく感じた。

電車を抜ければ大空が待っている。

見渡す限りの青空。ジェットコースターでは決して味わうことのできない永遠と続く浮遊感。

僕は車内で何度もスカイダイビングのイメージを膨らませた。

「中文 空を飛ぶ」

そんなストーリーが出来た暁にはウメハラは嫉妬と羨望の眼差しを向けるに違いない。

出発から7時間、僕はついに米原に降り立ち新快速に乗り込んだ。

関西へ近づくに連れ、さらに気分が高揚していくのが自分でも分かった。

国内旅行も悪くないな。

そんな時ふと携帯を見るとタカオカアラタからの着用があった。

嫌な予感がした。

僕は恐る恐る用件を聞いた。

体の力が一瞬で抜けた。

これまでの高揚は何だったのか。

自らの人生計画を達成するためなら、天気を変えることをも厭わないウメハラに畏怖の念を抱いた。

恐ろしい。ただただ恐ろしい。

僕たちのスカイダイビング計画は消えた。

その時残されたのは既に予約を取った姫路のホテルだけだった。

僕は治験に落ちた

僕は治験に落ちた。

結果発表は入院予定日の前日だった。

入院者には予定日の1週間前から、いくつかの行動制限があった。

合格ありきの発表だと思っていた。

僕はこの1週間、治験候補者として恥じないような生活を送ってきた。

大好きなビタミン剤もカップ麺ぶっこみ飯もやめた。

酒の誘惑も自慰の誘惑も絶った。

全ては被験者として新薬の発展に寄与し、社会に貢献するためだった。

しかし僕は落ちた。

同じ事前検査を受けたS塚とT岡は合格した。

入院直前にも関わらず、大阪で飲み散らかしていたS塚。

普段から他人を殴り散らかしているT岡。

日本の創薬界を支える重要な治験に参加するべき人材とは到底思えない。

だが 合格したのは彼らだった。

詳しい理由は分からない。

ただ1つ分かることは僕の体には決して創薬界には関わってはならないと評価されるほどの重大な欠陥があるということだけだ。

その欠陥が何であるかを教えてくれる者は誰もいない。

受付おばさんもただ「他の方が合格しました」と伝えるばかりだ。

僕が治験に落ちたのはこれで3回目だ。

僕はこれまで治験に合格できるのは「日本社会に貢献したい」という信念のもと、常に自らの体と向き合い、理想の健康状態を維持する一流健康家だけだと思っていた。

今回の結果はそんな僕の慰めを完膚なきまでに打ち砕いた。

僕の健康状態は「中」ではなく「下」だったのだ。

僕が今回の治験で手にしたものはこの事実だけだ。

事前検査でもらった3500円はその日のうちに交通費と交際費に消えた。

僕にとっての今回の治験はただ東大宮まで行って「お前は不健康だ」と罵倒されるだけのイベントだったのだ。

それも不健康の詳細は伝えられることはなく。

こんなに不毛な出来事に出くわすことはそうそうない。

そんな僕が本ブログで伝えたいことがただ1つある。

「健康を大切にしよう」