「哀愁」カテゴリーアーカイブ

すね毛と共に生きてゆく

すね毛

この世に生を受けて23年、僕はこのたった数センチの黒い物体に苦しみ続けてきた。

話は小学校時代に遡る。

父親の剛毛遺伝子をふんだんに受けついだ僕は学年が上がるにつれてその突出した毛量で他の児童たちを圧倒するようになっていった。

友人たちの足と比べて漆黒に染まった我が足を見て落胆することはあったものも、当時はまだまだ無邪気な小学生。

すね毛いじりもせいぜいたまに毛を抜かれる程度で、露骨な悪意を感じるものは少なく、僕が抱いた苦しみもわずかなものであった。

そんな僕の小さな欠点意識を明確なコンプレックスと変えた場所があった。

そう かの悪名高き横浜市立岡野中学校だ。

中学校ではバスケットボール部に入部した。

バスケでは練習着が短パンになるため、僕の剛毛っぷりがより強調されやすい状態となってしまった。

そんな僕の剛毛を人の粗探しに命をかけるただ歳が1つ上であるだけな奴らが見逃すはずはなかった。

「先輩命令」

彼らはこの文句を馬鹿の1つ覚えのごとく乱用し、僕に対してテーピングやガムテープを足に貼り付けて剥がす「テープすね芸」を強要した。

ことあるごとに激痛と嘲笑に苛まれた僕はすっかり自らのすね毛に対してコンプレックスを抱くようになってしまった。

あれから何年もの月日がたった。

公立中学校という「魔界」を抜けて以降、「テープすね芸」を披露することはなくなった。

しかし僕のすね毛は抜けること無く増え続け、一度植え付けられたコンプレックスも抜けることはなかった。

バスケサークルでの練習やyoutubeのすね毛脱毛広告を見るたびに自らの剛毛が僕の脳裏によぎった。

もちろんこれまですね毛を無くそうとしたことは何度もある。

髭剃りに除毛クリーム、ブラジリアンワックス。

どの方法も僕の剛毛が持つ雑草魂に勝つことはできず、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに僕の肌と心は荒れ果て、除毛断念を余儀なくされた。

いつしか僕は男某場で言われた「毛は男らしさ」という言葉を妄信し、コンプレックスを覆い隠そうとしていた。

そんな僕に転機をもたらしたのは家で唯一の話し相手である妹だった。

例のごとく海谷家の宿命であるすね毛を継承してしまった妹は、これまた例のごとく公立中学校に通い始めてからすね毛を気にするようになり、脱毛を始めた。

脱毛に成功して以来、ことあるごとに妹は僕の足を見て「やばい」「こうはなりたくない」と指摘するようになった。

当初はいつもの「すね毛は男らしさ」というバカの1つ覚えで対処していたが、何度も指摘されるにつれて僕の覆いが少しずつ取れていくような感覚があった。

そしていつものようにgorogoroを満喫していたある日、ふと僕はすね毛に関心を抱き、検索エンジンを開いた。

「すね毛 処理 メンズ」

久しぶりにすね毛処理界隈を覗いてみると、界隈は進化を遂げ、様々な処理方法が発達していることが分かった。

その中でもある画期的な方法が僕の目に止まった。

「脱色」

僕はこれまで毛を無くすことに囚われ、生えては処理、生えては処理を繰り返すうちに肌と心が負けるという流れに苦しんでいた。

男なら誰でもすね毛は生えている。

何もすね毛を無くす必要は無いのだ。

異常な剛毛であることが見透かされなければ良いのである。

新たな可能性の登場に心踊った僕はジャングルに向かい、脱色剤を購入した。

脱は急げ 剛毛から中毛へ スピード! スピード!

長年の苦しみを解放する瞬間がついに訪れる

感情の高ぶりが抑えきれない僕は脱色剤が到着した夜、すぐさま脱色への扉を開いた。

すね毛たちも心なしか脱色を待ち望んでいるようだ。

まずは説明書の通りに付属のカップの容量に合わせて液体を混ぜ合わせ脱色液を錬成した。

こいつが僕を苦しみから解放するのか。ただの白い液体なはずなのに何だかとても頼もしい存在に覚えた。

液を作って安心したのも束の間、すぐさま新たな問題が発生した。

完全な液不足

写真で勘づいた方もいたかもしれないが、あのカップ程度の液量で僕の剛毛を脱色するなど到底不可能だ。

何が説明書だ 剛毛なめんな クソくらえ 

説明書の剛毛想定力の低さに遺憾の意を覚えた僕は残っていた液を全てカップにぶちこみ、剛毛仕様の脱色剤を完成させた。

後は塗るだけ。

僕はあの頃の嘲笑の日々を頭に浮かべつつ、もう一度新たなすね毛との関係性を求め、一心不乱に液を足に塗りたくった。

悪黒に染まったすね毛どもよ 今こそ正義の白を手にするにあらん。

僕は新たな脱色毛を手にし、二度と剛毛呼ばわりの屈辱を受けない はずだった‥

そこに待っていたのはあまりにも微妙な結果であった

脱色後の足がこちらである。

微妙だ 限り無く失敗に近い微妙である

確かによく見ると最初の写真に比べて薄くなっているような気もする。

しかし僕が求めていたのはこんな微妙な結果ではない。

求めていたのはこれまでの悪夢を払拭するような爽やかな白だ。

徒労感、虚しさ、無念さ 様々な感情が代わる代わる僕を襲った。

僕は母と妹に批判を受けながら50分間、風呂場にこもった。

手に入れたのは茶髪のすね毛。

もうやめよう。僕はこれからもすね毛と向き合って生きてゆくしかないんだ。

「トウマくん 毛が大好きなお客さんもいるから絶対剃っちゃダメだよ」

ふと彼の言葉が脳裏をよぎった。

スーパーパンプマックスの使い方を考える その2

前回に引き続きスーパーパンプマックスの効能について考えていきたいと思う。

前回の即興パンプ体験では以下のことが分かった。

  • 心臓のパンプスピード向上
  • 行動力向上
  • パワー向上
  • 思考力の低下

この特徴を考慮した時、スーパーパンプマックスが力を発揮する機会とは何か。

思考力低下の副作用ゆえに知能労働は向かない。

知能がダメならパワーだ。

知恵よりパワー。パワーは全てを解決する。

やはりスーパーパンプマックスはパワーを発揮する分野で力を授けてくれるはずだ。

しかし僕はあいにくトレーニーでないので、日常でパワーを求められる機会はない。

いや 違う。僕は自らのパワー不足を言い訳にパワーを伴う活動を避けているだけじゃないのか。

自分のパワー不足からパワー労働に逃げているだけだろ。

パワーがあったらしたいことは必ずあるんだ。

スーパーパンプマックスがある今ならできる。何でもできるんだ。

僕はパワーがあったらやりたいこと。

僕の頭に真っ先に浮かんだものがあった。

瓦割り

僕は幼少期からテレビや映画で登場する瓦割りに対して密かな憧れを抱いていた。

最強にパンプした屈強な人々が己の拳のみで頑丈な瓦板を粉砕する。

その人間は非力であるという常識を根底から覆す爽快な破壊っぷりは僕の心を揺さぶった。

瓦を割りたい。

最強にパンプした僕ならできるはずだ。

パワーがあれば夢は叶う。

こうして僕は瓦割りへの挑戦を決意した。

瓦割りとは言ってもまずどこに瓦を割れる場所があるのか。

調査を進めていくとなんと浅草に瓦割りを体験できる場所があることが分かった。

世の中はやはりパワー優先だ。

パワー系たちを満たすニーズは必ずある。

僕は予約を取ろうとwebサイトを訪問したが、当日申し込みのみで、予約は受け付けていないようだった。

流石パワー系客層を持っているだけある。パワー系にとって瓦は割りたい時に割るもの。予約という概念が通用しないのだろう。

僕は予約を諦め、一路浅草へ向かうことにした。

浅草駅から店までは約10分。

僕はスーパーパンプマックスの効果が現れる時間を考え、新橋駅でパンプを注入した。

新卒駅から浅草駅まで約10分

浅草駅に到着するころには既に僕のパンプは始まっていた。

まんぼうなんてどこ吹く風、浅草周辺は和風かぶれの小日本人がわんさか沸いていた。

「全員ぶっ飛ばす」

パンプが止まらない。

僕は通りかかった小日本人たちの頭を片っ端からカチ割りたい気持ちでいっぱいだった。

暴れるパンプを必死に抑えながら歩くこと10分、ようやく瓦割り店が現れた。

やっと瓦が割れる。やっぱりカチ割るのは頭ではなく瓦だ。

僕の割りベーションは最高潮に達していた。

しかし

そこに待ち受けていたのは厳しい現実だった。

はいぐ~「瓦割りがしたいです。」

店員 「あ~ 今からだと一時間半待ちですね」

一時間半待ち!?

今日ほどストレス社会の現実を思い知った日はないだろう。

世の中には瓦を割らなければ生きてゆけないほど鬱屈としている人々が大勢いるのだ。

僕が単に観光で浅草に来ているのなら、一時間半なんてどうってことない。

しかし今日はパンプを入れているのだ。

パンプの効果時間には限りがある。

そう パンプは待ってくれないんだ。

僕は泣く泣く瓦割りを諦めた。

店を出た僕は失意のまま浅草の街を歩いた。

気持ちは落ち込んでいる。でも体は動きたがっている。

僕の中のパンプが解放してくれと叫んでいる。

#パンプが叫びたがってるんだ。

そんな心体不一致な僕の目の前にある思い入れの深い施設が現れた。

バッティングセンター

僕が以前 反射神経向上を目標に通った思い出の施設だ

当日は140kmの豪速球に手も足も出なかった。

でも最強にパンプした今なら…

パンプの結果を試すにはうってつけの施設だ。

打ってやる 140km 打ってやる

僕の心が再びパンプを始めた。

心と体の一致を果たした僕はギラギラとした雰囲気を纏わせ、バッティングセンターに入った。

しかし

そこで待っていたのはまたしても残酷な現実だった。

混雑 圧倒的混雑。

打撃成績をパンプしたい少年たちが黙々と鍛練を重ねる場であるはずのバッティングセンターは老脈男女が入り乱れる娯楽施設へと姿を変えていた。

これでは僕の打席がいつ回ってくるのか想像もつかない。

何度でも言おう。

パンプは待ってくれないんだ。

僕は再び失意のままバッティングセンターを後にしようとした。

だがその時 僕の視線の先にある娯楽が登場した。

「ザ・握力」

中央にあるレバーを力いっぱい握るだけという思考力を問わない簡素な構造。己の肉体をこれでもかと見せつけるパンプ感あるキャラクター。

僕のパンプ効果を測るにはぴったりの存在だと感じた。

そうだ。力を測るうえで何もバッティングである必要はない。

すっかりこの「ザ・握力」に魅了された僕はコインを入れ、画面の指示通り力いっぱいレバーを握った。

見ろ これが僕のパンプだ!!

47kg

あまりにも微妙な結果に僕はしばし唖然とした。

そうか スーパーパンプマックスは普段から鍛練を重ねる者にパワーを授けてくれるのであって、普段からゴロゴロ生活をしている者を一瞬で強くするサプリメントではないのだ。

ゴロゴロ民が飲んだところでせいぜい強くなった気がするだけだ。

ただその一方でスーパーパンプマックスがなかったとしたら、瓦割りに興味を持つこともなかったし、浅草に行くこともなかった。

そして何よりこの記事を書くこともなかっただろう。

僕はスーパーパンプマックスの真の効能はここにあると考える。

自分が普段しないことに挑戦する勇気をくれる。

これこそがスーパーパンプマックスの真の効能なのだ。

スーパーパンプマックス。ぜひ一度お試しあれ。

海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

釣り 大漁 自捌き 唐揚げ 幸せ

間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


ただ空を飛びたかったんだ

僕は9月1日~3日まで関西を旅行した。

腐るほど訪れた気のする関西へ大学4年にもなって何故旅行したか。

それはひとえに「空を飛ぶため」に他ならなかった。

8月はウメハラの月だった。

バンジージャンプ 釣り 飲み会 八ヶ岳 インターン

彼は溢れるバイタリティーを放出し、暴虐の限りを尽くしていた。

このご時世、思うように活動できず苦しむ人もいる中、暴虐無慈に人生謳歌ハラスメントを行うウメハラは明らかに全世界の脅威となっていた。

そんな彼が唯一取り残した活動があった。

スカイダイビング。

目には目を 歯には歯を。

僕たちがスカイダイビングを先に決行し、ウメハラに人生謳歌ハラスメントの苦しみを味あわせる。

僕は時同じくウメハラの活動に狂気を覚えたタカオカアラタと共に、ウメハラ討伐スカイダイビング隊を結成した。

僕たちは早速国内のスカイダイビングスポットをしらみ潰しに探し、都内近郊にキャンセル待ちスポットを見つけ、すぐさま予約を試みた。

しかしこれはウメハラの罠であった。

数日後、僕たちが予約を入れようとしたスポットから「予約は出来ない」という旨の連絡があった。

恐るべしウメハラ。

彼は僕たちに先を越されないように、都内近郊の全てのスカイダイビングスポットに対して、海谷という者が来た際に「予約ができない」と伝えるようにと指示を出していたのだろう。

僕たちはウメハラのハラスメントに懸ける思いをまざまざと見せつけられた。

意気消沈するなか、タカオカアラタがこんな提案をした。

「兵庫にできるとこありますよ」

兵庫。かのタカオカアラタが産み落とされた忌々しき地。

なぜいまさら兵庫を訪れなくてはならないのか。

しかし悩む暇はなかった。

この瞬間にもウメハラは次なるハラスメントへの策略を考えている。

関東に海谷スカイダイビング禁止網を張ったウメハラも流石に関西に目を向けてはいないだろう。

こうして僕は兵庫行きを決めた。

兵庫といってもタカオカアラタの推したスカイダイビングスポットは人里離れた山奥にある。

ぬくぬくと実家の愛を享受し尽くすタカオカアラタはまだしも、実家の愛から離れる僕にとって兵庫の山奥はあまりにも遠い。

僕は前日に姫路の宿を取り、万全の準備をしてスカイダイビングに望むことにした。

9月1日 天気 快晴

僕は兵庫へ旅立った。

思えば関東圏から飛び出すのは半年ぶりだ。

18切符名物静岡地獄ですら今回はどこか楽しく感じた。

電車を抜ければ大空が待っている。

見渡す限りの青空。ジェットコースターでは決して味わうことのできない永遠と続く浮遊感。

僕は車内で何度もスカイダイビングのイメージを膨らませた。

「中文 空を飛ぶ」

そんなストーリーが出来た暁にはウメハラは嫉妬と羨望の眼差しを向けるに違いない。

出発から7時間、僕はついに米原に降り立ち新快速に乗り込んだ。

関西へ近づくに連れ、さらに気分が高揚していくのが自分でも分かった。

国内旅行も悪くないな。

そんな時ふと携帯を見るとタカオカアラタからの着用があった。

嫌な予感がした。

僕は恐る恐る用件を聞いた。

体の力が一瞬で抜けた。

これまでの高揚は何だったのか。

自らの人生計画を達成するためなら、天気を変えることをも厭わないウメハラに畏怖の念を抱いた。

恐ろしい。ただただ恐ろしい。

僕たちのスカイダイビング計画は消えた。

その時残されたのは既に予約を取った姫路のホテルだけだった。

お久しぶりです。

僕は今日このブログを開いた。

最後の更新は7月。

3ヶ月もログインしていないのだから、もはや僕のブログではなく、2年もの間、大した説明も受けず、健気にサーバー代を払い続けている母親のブログの称しても良いかもしれない。

ブログ更新を怠っていた3ヶ月間の日々が、あまり記憶に残っていない。

関西を周遊したり、釣りに行ったり、高尾山したりといった思い出はもちろんあった。

twitterを始めた結果、ついつい楽なツイートに逃げてしまい、事象の深掘りができていない。

書けることは必ずある。

少しずつ書いていこうと思う。

僕は治験に落ちた

僕は治験に落ちた。

結果発表は入院予定日の前日だった。

入院者には予定日の1週間前から、いくつかの行動制限があった。

合格ありきの発表だと思っていた。

僕はこの1週間、治験候補者として恥じないような生活を送ってきた。

大好きなビタミン剤もカップ麺ぶっこみ飯もやめた。

酒の誘惑も自慰の誘惑も絶った。

全ては被験者として新薬の発展に寄与し、社会に貢献するためだった。

しかし僕は落ちた。

同じ事前検査を受けたS塚とT岡は合格した。

入院直前にも関わらず、大阪で飲み散らかしていたS塚。

普段から他人を殴り散らかしているT岡。

日本の創薬界を支える重要な治験に参加するべき人材とは到底思えない。

だが 合格したのは彼らだった。

詳しい理由は分からない。

ただ1つ分かることは僕の体には決して創薬界には関わってはならないと評価されるほどの重大な欠陥があるということだけだ。

その欠陥が何であるかを教えてくれる者は誰もいない。

受付おばさんもただ「他の方が合格しました」と伝えるばかりだ。

僕が治験に落ちたのはこれで3回目だ。

僕はこれまで治験に合格できるのは「日本社会に貢献したい」という信念のもと、常に自らの体と向き合い、理想の健康状態を維持する一流健康家だけだと思っていた。

今回の結果はそんな僕の慰めを完膚なきまでに打ち砕いた。

僕の健康状態は「中」ではなく「下」だったのだ。

僕が今回の治験で手にしたものはこの事実だけだ。

事前検査でもらった3500円はその日のうちに交通費と交際費に消えた。

僕にとっての今回の治験はただ東大宮まで行って「お前は不健康だ」と罵倒されるだけのイベントだったのだ。

それも不健康の詳細は伝えられることはなく。

こんなに不毛な出来事に出くわすことはそうそうない。

そんな僕が本ブログで伝えたいことがただ1つある。

「健康を大切にしよう」

たにくしょくぶつ

          あつまれどうぶつの森

3月20日の発売以降、外出自粛の風にも乗り、あれよあれよと売り上げを伸ばし、もはやゲームの枠を越え、社会現象にもなっている。

数年前、某道ステーションの影響によってユーモアに自信のある学生たちが連呼していた「アツモリ」という言葉も今では「あつまれどうぶつの森」の略という意味に変わりつつある。

そんな「あつまれどうぶつの森」の人気を支える要素の一つにプレーヤー自身が家具や道具を作るDIYというものがある。

「あつまれどうぶつの森」は何もない無人島を一から開拓するという点を重視しているため、家具や道具も主に自分で作ることを推奨しているという訳だ。

「釣竿から丸太まで」という言葉に代表されるようにこのDIYで作れるものは多岐に渡る。

家のローンの支払い、島に建物を作るための費用、はたまた住人の勧誘。

スローライフを謳うゲームとは思えないほど、殺伐とした現実世界さながらに金銭を要求する本ゲームにおいて、必需品を自分で作ることのできる機能はとてもありがたい。

しかしこのDIY 何も有用なものばかり作るための機能ではない。

その利便性と素材活用精神が、時に人知を越えた紛れもない恐怖を生み出してしまうことがある。

          「たにくしょくぶつ」

雑草20本と空き缶1個という質素な素材で作ることのできるこの「たにくしょくぶつ」、ゲーム序盤から作れることもあり、とりあえずというノリで1度は作ったことのあるプレーヤーも多いはず。

宣材写真も意外と綺麗にまとまっており、観葉植物的な雰囲気を醸し出している。

いや おかしい。おかしすぎる。

なぜ空き缶に草を刺しただけでいい感じになるのか。

現実の草どもはこんなに色彩豊かなのか。

そもそも「たにく」ってなんだ。

僕の頭はすぐさま疑問で沸騰した。

ただしかし日本に社会現象を巻き起こしたゲームの中で、堂々とインテリアの一つとして鎮座するこの「たにくしょくぶつ」。

もしかすると想像の世界では表現することのできない魅力が隠されているのかもしれない。

ゲームはリアル リアルはゲーム。

ゲームの疑問はリアルにしなければ理解できないのかもしれない。

僕は実際にこの「たにくしょくぶつ」を作ってみることにした。

「たにくしょくぶつ」を作るにあたって一番重要なのはやはり雑草だ。

材料や工程の少ない「たにくしょくぶつ」作りでは、雑草の質こそが「缶に草を詰めた物体」と「たにくしょくぶつ」との違いを生み出すのだ。

僕は雑草を探すために早速、不草不急の外出を行うことにした。

外出前は雑草の生い茂る場所に今一つ心当たりがなかったが、道端によく目を凝らして歩いていると、街路樹の周りなど至るところに雑草が生えていることが分かった。

この世は雑草天国なのだ。

これだけ僕たちの身の回りに溢れているのに、普段全く日の目を見ることもない。

挙げ句の果てには「雑な草」と呼ばれる始末。

彼らの日々の不遇は察するに余りあるものであった。

「彼らに少しでも光を当てなければならない」

僕は「たにくしょくぶつ」ブームを現実化し、彼らの不遇の日々を終わらせる使命があると感じた。

雑草たちの不遇の日々に思いを馳せる僕

「雑草選びがたにくしょくぶつを支配する」

雑草には様々な種類がある。

その日その日のコンディションに合わせて的確な雑草選びをしなければ、良い「たにくしょくぶつ」を作ることはできない。

さらに並大抵の覚悟では雑草魂を持った彼らを引き抜くことは容易ではない。

吟味と格闘を重ねること数分、僕はついに良質な雑草を手に入れることに成功した。

良質な雑草には良質な空き缶を。

雑草が輝く最高の舞台を提供してくれるのが空き缶だ。

僕は雑草を極立たせるために、質素なデザインの角ハイボールを採用した。

あとに待つのは雑草と空き缶の夢のコラボレーション。

僕は自らの芸術センスを信じて、缶に草を盛りつけていった。

盛りつけること約1分。

ついにリアル「たにくしょくぶつ」が完成の時を迎えた。

僕はそっと草を抜き、ゴミ箱へ捨てた。

この1日はもうなかったことにしよう。

ウメハラが止まらない

―ウメハラが止まらない―

きっかけは彼の歩き旅であった。

数日前 彼は「吉野家の桜が見たい」と言い残し横浜を去った。

つい最近まで「一人旅はさみしい」と語っていた彼が孤独の極致である歩き旅を続けることができるのだろうか。

「もって2日だろう」

僕は旅の継続を全く信じていなかった。

だがしかし

今回の彼は違った。

彼は横浜を離れてからの5日間、べらべらとインスタポエムを止めずに歩き続け、なんと静岡まで達したのだ。

早稲田大学から早稲田駅までの距離を歩くことすら嫌がり、常に自転車に乗っていたあの彼が。

僕は目を疑った。

そしてそれと同時に何か裏があるのではないかという勘が働いた。

彼を歩き中毒に陥らせる強力な動機がきっとある。

僕は彼の歩き動機を考えた。

頭の中にある彼の特徴を浮かべ続けること一瞬。

僕はついに1つの答えにたどり着いた。

 承認欲求

彼は日夜インスタグラムで自らの輝く瞬間を投稿し、承認欲求を満たしている。

かく言う僕も彼のインスタポエムのファンの1人である。

しかし今回の歩き旅による不快感はインスタ投稿によって得られる承認快感を上回ったに違いない。

となるのと彼はインスタグラムとは別の手段で承認快感を得なければならない。

歩き続けることで承認を得られるものとは?

WERUNだ。

WERUNとはwechat内にあるアプリの1つで、登録したユーザーの1日の歩行数を携帯の揺れた回数から計数し、毎晩22時30分にこのようにランキング形式で表示してくれるものである。

そしてその日一番歩いた者のプロフィール画像が全てのユーザーの画面に表示される。

北京大学にて多くの友人を作った彼にとって、ランキングの頂点に立ち続けるというのはこの上ない快感に違いない。

事実ここ数日彼は頂点を独占し、「友情、努力、勝利」という歪んだ価値観を強要し快感を覚えていた。

価値観の強要を受けたくなければ歩け。

恐るべき2重ハラスメントである。

流石はハラスメントの権化。

彼はさらなる強要を身につけるために読書をしていたのか。

コロナウイルスの蔓延により外出自粛の風潮が広がる中でのこのダブルウメハラは悪質極まりない。

外出すれば自粛ハラスメントを受け、家に籠ればウメハラを受ける。

そんな彼の友人たちの悲痛な現実は想像に難くない。

これ以上ウメハラを放置するわけにはいかない。

僕が1位を奪い返して彼の横暴を止める。

そう決意した時既に僕の右手は携帯を掴み、上下に降り始めていた。

今回のウメハラ討伐にあたって僕は考えた作戦は2つだ。

・携帯フリフリ

・歩く

ここ数日ウメハラは1日平均45000歩という脅威の強要力を見せていた。

彼の強要を打ち破るには少なくとも50000歩は計上しなければならない。

僕のこれまでの最高記録はマカオに行った時の24000歩だ。

この日僕は朝7時に起きて何度もマカオ半島を往復していた。

間違いなくあの日は去年一番歩いた日であった。

そんな僕の渾身の歩きハラスメントを難なく越えるウメハラの45000歩。

この記録を純粋な歩きのみで越えるのは不可能のように思えた。

そこで僕が採用したのが作戦1「携帯フリフリ」である。

先述のようにWERUNは携帯が揺れた数を元に歩数を数えている。

このWERUNの特徴を考慮すれば携帯フリフリは間違いなく有効である。

まず携帯フリフリで25000歩を稼ぐ。

僕は例のごとく朝7時に起きて携帯フリフリを始めた。

始めて数分。僕はすぐさまこの作戦の欠点に気づいた。

 退屈

携帯を振るということは携帯を弄れないということである。

あらゆるコンテンツを携帯の中に閉じ込めている現代っ子にとって、画面を見ることのできない携帯フリフリはただ腕の筋力をいたずらに消費する退屈の極みである。

携帯がないならパソコンを使えばいいじゃない。

マリー・カイヤントワネット

携帯のネットがダメならパソコンだ。

僕はパソコンを起動し、最近はまっているバブル期ドラマ「東京ラブストーリー」を観始めた。

ドラマの1話約50分を1セット、目は画面、手は携帯。

これなら退屈もしのぎつつ歩数も稼げる。

僕はこの妙案への期待からハイペースで携帯を振り続け、手早く2セットを消化した。

「2時間携帯を振ったのだからそこそこ記録は伸びているだろう。」

僕は期待に胸を膨らませ、そっと携帯を開いた。

4022

よしよし。良いペースだ。

僕はウメハラと大差のないペースで歩数を稼いでいることに安堵した。

この小さな安堵は慣れない早起きをした僕に強烈な眠気を与えるのに十分であった。 

僕は眠りの世界に堕ちた。

この僕のわずかな隙をウメハラが見逃すはずがなかった。

再び目を覚ました時、僕は目を疑った。

ウメハラの記録が20000歩に伸びていたのだ。

他人が休んでいる時にも決してハラスメントを弛めない。

彼がウメハラとよばれる所以がここに詰まっているような気がした。

僕も慌てて2セットをこなし歩数を稼いだが、差が縮まることはなかった。

「もう歩くしかない」

ウメハラの圧倒的歩きハラスメントには小手先の携帯フリフリなど通用しない。

目には目を、歯には歯を、歩には歩を。

僕は目的地を家から約10km離れた温泉に設定し、歩き旅を始めた。

家から温泉までの道は9年前のちょうどこの時期、中学入学前に小学生最後として友達と自転車旅をした思い出の道だった。

思い出のある道を歩くのは意外に楽しく、僕はしばし戦いを忘れ回顧に没頭した。

歩く僕

歩き始めて1時間。

そろそろ回顧する思い出も無くなってきたので、僕は音楽を聴こうとポケットからイヤフォンを取り出そうとした。

ない

出かける前にポケットに入れたイヤフォンが無いのだ。

バッグの中を探しても無い。

退屈という敵が再び僕の前に立ちはだかろうとしていた。

歌え。

イヤフォンが無いときいつもどうしてたんだ。

イヤフォンなんてもんを知らなかった時、僕たちはどうやって音楽を楽しんでいたんだ。

歌だ。僕たちには歌がある。

コロナ騒ぎで道には人は少ない。

マッチョ マッチョ ビバマッチョ♪

僕の胸の中でフォーリンラブ♪

僕は歌った。

そんなこんなで約2時間。

ついに目的地の温泉にたどり着いた。

既に日は落ち、あたりの人影も一段と減っていた。

計画ではここで一度リフレッシュをして帰りの歩きに備えるつもりであった。

携帯を確認した。

ウメハラ  44000歩 僕 18000歩

ウメハラは僕の2時間を嘲笑うかのごとく、さらに歩数を伸ばしていた。

22:30の結果発表を考慮すれば、ここで温泉など入っている場合ではないのは火を見るより明らかだ。

僕は温泉の写真だけ撮ってすぐさま来た道を戻るように再び歩き始めた。

旅の一番の憂鬱は帰り道なのは当然だが、歩き旅の憂鬱度は他にも増してひどい。

行きにコンテンツを使い果たした僕にとって帰り道は「無」に他ならかった。

退屈を紛らわすために「ウヒョー」と奇声をあげたり、急にダッシュしたりと様々な策をとったが、どれも士気を上げるには至らなかった。

なぜ僕はこんなことをしているのか

ウメハラだ。全てはウメハラが悪い。

奴が歩きハラスメントを通じて世界中の人々を苦しめているからいけないのだ。

奴は既に4日連続で頂点を独占している。

5日連続のかかる今日頂点を獲得すれば、必ず強大なハラスメントを仕掛けてくるに違いない。

何としても止める。止める。止める。

苦しい時に力をくれるのはいつだって憎しみだ。

僕はウメハラへの憎しみをパワーに変え、必死に歩みを進めた。

そしてスタートしてから4時間、ついに僕は温泉-家間の往復を達成した。

流石にウメハラとの歩数差も縮まっているだろう。

なぜだ。

僕は目を疑った。

なぜまだ17000歩もあるのか。

時刻は既に21時に近づいていた。

これらの事実は僕の達成感を大いにへし折った。

しかしどれだけ差がついてもやることはただひとつだ。

「歩く」

僕は自宅付近の1週300mのグラウンドに繰り出し、再び歩き始めた。

慣れない長歩きは日頃運動不足な僕の体に容赦なく影響を与えた。

足の皮は剥がれ、節々が悲鳴を挙げていた。

こういった苦難の時、いったい何が一番の活力になるのか。

憎しみはもちろん力になるが、痛みが合わさった時は苛立ちに繋がる。

僕はもう一度ウメハラによる歩きハラスメントの根底にあるものが何か考えた。

彼の根底にあるのはやはり「承認」だ。

頂点を獲り自らの存在を誇示したいという承認欲求。

それこそが彼の底力の源だ。

僕も彼に習って「承認」をモチベーションにしよう。

「承認」

「承認」

「承認」

僕はこの承認フレーズを呪文のように唱え、有心で歩き続けた。

途中何度も走ったほうが良いのではないかと感じたが、僕の承認欲求はそこまでのパワーはくれなかった。

10週ほど歩いた頃だっただろうか。

結果発表の22時30分がやってきた。

敗北

負けた。

結局最後まで差を縮めることはできなかった。

僕にとってこの日はただ5時間歩いただけの日となった。

WERUNでの頂点をモチベーションに5日連続で30000歩以上歩いたウメハラ。

かたやたった1日すらウメハラを抜くこともできなかった僕。

この間には12000歩以上の差があると僕は感じた。

世間では馬鹿にされがちな「承認欲求」という言葉であるが、「認められたい」という根源的な欲求は時にとてもつもないパワーを発揮することがある。

どこかの秘密結社が時代は貨幣経済社会から人から評価を得る人間が豊かさを感じるという評価経済社会に変わると言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。

事実ウメハラは5日連続チャンピオンを獲ったことをタイムラインに掲げ、多くの称賛を集めていた。

いかにせよ僕の承認欲求ではウメハラを止めることはできなかった。

いつかさらなる承認欲求者がウメハラを止めることを願っている。


僕はワセダに失望した

先日 早稲田大学の学部事務所からこんなメールが届いた。

呼び出し。

どうやら先日僕たちが大学内で許可無くプールをしたことが原因のようだった。

僕の呼び出しに先立って一緒にプールを企画を行った教育学部のこんりんの呼び出しが昨日行われた。

彼の語った呼び出し内容は衝撃的だった。

彼の話によると呼び出しは彼と教育学部の教務主任、書記の3人で行われたそうだ。

こんりんはまず教務主任に今回のプール企画が早稲田から1トン増やす会の活動の一環であることを説明し、プール企画に至るまでの活動を説明した。

すると教務主任はこう語ったそうだ。

「くだらない」「お前らの活動は無意味だ」

ちゃんこの炊き出しも武蔵野アブラ學会とのコラボもそして今回のプール企画も

教務主任は僕らの活動を全て「無意味、くだらない」ものとして切り捨てたのだ。

早稲田大学のホームページにはこんな言葉が記載されている。

「多様性重視と個性の尊重は早稲田の伝統」

学生の活動を否定しておいて

なにが多様性重視だ なにが個性の尊重だ。

今回の問題の争点は僕たちが許可をとらずにプールを行ったことであって、企画内容そのものを否定される筋合いはどこにもないはずだ。

もし仮に僕たちがプールの際に道行く人を片っ端からプールに突き飛ばしたりといった他人へ迷惑をかける行為や法に触れる行為を行っていたならまだしも、

僕たちは今回そのような行動はしていない。

確かに今回は大学に許可を取らなかった点は僕たちの落ち度であり、反省すべき点である。

しかし僕たちはこれまで「他人に迷惑をかけない」という理念のもと活動を行ってきた。

実際に今回の一連の企画において僕たちの活動が社会に大きな損害を与えているなどといった主張はない。

にもかかわらず、教務主任は僕たちの活動を「無意味でくだらない」と完全に否定した。

僕は早稲田から1トン増やす会を立ち上げてからの2週間本当に楽しかった。

どんな企画がおもしろいか友達と話し合ったり、実際に企画に集まってくれた人たちが笑っているのを見たりする時間は本当に楽しい瞬間だったし、

自分の好きなことは「人を楽しませること」だということを改めて確認した2週間でもあった。

そんな僕たちが充実した時間を過ごした2週間のどこが「無意味でくだらない」というのか。

さらに教務主任はこんりんにこんな言葉もかけたという

「こんなくだらないことをしてないでもっと大学生らしく行動しなさい」

大学生らしさってなんなんだよ。

僕はいま「人に迷惑をかけない」といった最低限のルールのもと、自分が「楽しい」と思ったことをしている。

大学内で「楽しい」と思ったことをやって学生生活を送っている学生のどこが大学生らしくないというのか。

学生の楽しみを否定して大学生らしさを奪っているのは誰なのか。

自分たちの価値観で勝手に学生の活動を「無意味」と否定するのが早稲田大学が伝統と主張する「個性の尊重」なのか。

大学職員たちの凝り固まった価値観でしか学生の行動を判断できないなら「多様性重視」 だとか「個性の尊重」だなんて言葉を掲げるのはやめろ。

とにかく僕は今回の教育学部の教務主任の対応には深く失望した。

1週間後には文学部の教務主任からの僕への呼び出しが行われる。

今回と同じような対応が文学部で行われないことを心から願っている