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フランクフルトで僕のフランクフルトは暴発した

「I’m com………」

この続きを言い遂げることはなかった。

2021/9/10

ケルンでの思わぬ出合いによって旅の不確実性を改めて痛感した僕は再び確実性を求め、予定通り次なる目的地であるフランクフルトにやって来た。

フランクフルトでフランクフルトを食う。

フランクフルトという地名を知った日本人が誰もは一度は思い浮かんでしまう陳腐なダジャレ。

しかしそんな古く腐ったダジャレだって時には大いに役立つことだってある。

僕が海外への旅に興味を持ったきっかけの一つは中文コースで知ったあるダジャレだった。

カタールで語る

いま思い返してみると全く面白くない言葉の羅列であるが、このダジャレが流行った大学2年時は「カタールで語るって何だよ」とゲラゲラ笑いこけていた。

そして笑っているうちに僕たちは「いつかカタールに行って本気で語ろう」と誓った。

某じょん怒涛の投稿

地名にまつわるダジャレを実現するためだけに海外に飛ぶ。

たった一瞬のダジャレに懸ける想いの強さに僕は強い感銘を受けた。

その時以降、僕の人生の楽しみの一つに海外にまつわるダジャレを実現するというものが加わった。

ついに訪れたフランクフルト。

願い焦がれたカタールではないが、この地もまたダジャレにふさわしい街であるに違いない。

フランクフルトに到着した僕は駅前に並んだ屋台で早速フランクフルトを購入し、フランクフルト中央駅で食した。

3ユーロ(1ユーロは130円)

フランクフルトの中心で食べたフランクフルトはいつにもまして美味な気がした。

こうして僕は長年の夢であったダジャレ再現をあっさりと達成した。

いやまだ達成していない。

フランクフルトは食べるだけじゃない。

健康な大和男児として生まれた僕は立派なフランクフルトを持っている。

このフランクフルトという地でこいつをフルスイングしないでどうする。

今見せろ お前の底力を 突き進め 勝利を掴み取れ

フランクフルトでフランクフルトを振る。

僕のフランクフルト旅が始まりを告げた。

予定では僕はフランクフルトに2日間滞在することになっていた。

とはいえ僕は既にフランクフルトで果たしたい2つの目的のうち1つを終えている。

フルスイングを見せるならやはり最終日の夜がふさわしい。

となれば僕に必要なことは1つ

鍛錬

ミスターフルスイングこと小笠原道大氏は結果を残すうえで必要なことを下記のように語っている

目の前のことをしっかり、一瞬、一瞬のプレーに気を抜かずにやる。そうすれば自ずと光は見えてくる

勝負のかかる場面で全身全霊のフルスイングを見せるためには日頃の鍛錬が欠かせないのだ。

僕はこのガッツ溢れる和製大砲の教えに習い、残りの2日間を自らの鍛錬に当てることに決めた。

ブログの更新やイギリス入国申請フォームの作成といった目の前の課題を確実に消化することによって心理面での充実を図る鍛錬。

8人部屋という劣悪な環境の中でも人がいなくっなった瞬間を逃さずに素振りをするといった技術面の鍛錬。

10時に寝て7時に起きる、3食必ず肉を食べるといった健全な生活による肉体面の充実を図る鍛錬。

以上のような「心技体」全ての強化を狙った鍛錬を僕は果たした。

そして運命の時がやって来た。

9/10 pm 19:00

心身ともに充足した僕は己の中の漢を滾らせつつ、地下鉄に乗り込み、決戦の地 エフ・カー・カーパレスドーム へ向かった。

しかしここで思わぬハプニングが発生してしまう。

パレスドーム最寄りの駅を降りるとまるでまさかの豪雨。

大粒の雨に苛まれた人々は着の身着の儘で駅構内に次々と駆け込む。

最寄りとはいえ駅からパレスドームまでは歩いて20分。

この豪雨で移動すれば、心理面の動揺は避けられないだろう。

僕は充足した思考力をフル回転させ、突然振り始めたという点とにわか雨の可能性ありという天気予報を考慮し、この雨はすぐに止むので駅で待つべしという結論を導き出した。

天気的中 海谷采配 冴えわたる 

僕の見立ての通り、ものの10分ほどで雨は小康状態となり、駅構内へ逃げ込んだ人々もそれぞれの目的地へと旅立っていった。

今日は冴えてるぞ。

心技体の充足に加えて第六感の覚醒。

僕はこの先に待っている素晴らしい未来を予感しないにはいられなかった。

そして旅立つ人々と共に、中断を経た僕も再び決戦の地への歩みを進め始めた。

時節 巨大な水溜りに悪戦苦闘しながらも歩くこと20分。ついにエフ・カー・カーパレスドームが僕の前に現れた。

煌めく鮮やかな桃色光線、次々とドームへ吸い込まれていく熱く燃える漢たち。

どれもこの地が漢たちの戦場であることを強く示していた。

僕も今日はその勇猛な戦士の1人だ。

見せつけてやれパワフルスイング。

僕は覚悟を決め、パレスドームの門をくぐった

受付には今後の楽園を予感させる妙に落ち着いた老人と漢たちの戦いを支える現金自動預け払い機が置かれていた。

僕は昨日取得した陰性証明と75ユーロを提出し、タオルと館内着を受け取り、受付を終えた。

受付を終え、奥に進むと右側に簡易な仕切りを挟んで異常な桃色光線を発する空間が存在しているのか分かった。

あそこか

自らの戦いの地を察した僕は右側とは対照的な白熱電球の灯るロッカールームへ向かった。

妙な心臓の高まりが僕を襲っていた。

着換え、シャワー、歯磨き。

これまで人生で何千回、何万回と繰り返してきた動作のはずなのに今日は何だかスムーズにいかない。

ロッカーに入れるはずの物を入れ忘れたり、2回シャンプーをしてしまうといった初歩的なミスが止まらない。

これが戦場に向かう漢たちにやってくる緊張か。

僕は自らが強いプレッシャーに晒されていることを実感した。

こうして僕は通常よりも長い時間をかけて一連の準備を終えた。

次に待っているのはもうあの空間だけだ。

僕は速まり続ける心臓の鼓動を感じつつも、何も感じていないような素振りでスタスタと桃色空間へ足を踏み入れた。

チンコ!マンコ!

緊張の面持ちを隠しきれない僕のもとに開口一番痛烈な打球が襲った。

思わず打球の方向を見るとそこには下着一枚の金髪美女がバーカウンターに腰掛け、手招きをしていた。

流石はパレスドーム。やってくれるじゃないか。

僕は思わぬ先制パンチに驚きつつも、この場所が自らの期待に合った場所であることを実感した。

桃色空間はバーテンダーを中心に円上にカウンターが並んだ洒落たバーといっても差し支えない場所であった。

ある一点を除けば。

その一点はもちろん女性たちの存在だ。

彼女たちは下着一枚の状態でバーカウンターに陣取り会話に興じていた。

まずは観察から。

ひとまず僕はバーカウンターを1週し、どのような女性が存在しているのか確認した。

カウンターに座る女性はみな白人で、光輝く肌を持った方から深い皺が刻み込まれた方まで幅広い年代の方が存在していた。

彼女らは一見何の気もないようにカウンターに座り、酒を嗜み、お喋りに興じているが、僕が近くを通ると途端に目の色を変え、愛想の良い挨拶をよこした。

漢としての決意を固め、入店したはずの僕であったが、白人美女に愛想を振りまかれ続けるという人生初イベントにすっかり怯みきり、挨拶を返すだけで精一杯になってしまった。

このままではフルスイングどころではない。

僕には精神をととのえる必要があった。

僕はバーカウンターの奥にあったサウナに向かい、再び漢としての準備を行うことにした。

どうしたんだ海谷 何のためのエフカーカーなんだ。

僕はアチスなサウナに入りつつ自らに問いかけた。

僕はこのフランクフルトという地で自らのフランクフルトをフルスイングする。

目標は単純明快だ。

怯んでる場合じゃないんだ。

GO海谷 全力で走れ GO海谷 全力で飛ばせ

僕は漢としての魂を奮い立たせ、再びあのバーカウンターへ全力で帰った。

そして今度は1人の女性の手をとった。

彼女はアレクサと名乗った。

ミラ・ジョボヴィッチ風の長身白人美女であった彼女は僕が日本人であることが分かると、例のごとく「チンコ! マンコ!」と語りかけ、「元彼は日本人だった」という嘘か真か分からない話を披露した。

そして僕の手をとり、「サイエンスムービーを観よう」と言って小さなシアタールームに案内した。

シアタールームには男女が生命を作り出すために行う活動を撮ったサイエンスムービーが流れていた。

彼女と僕は部屋の隅に座り、年齢や職業といった風俗風会話を始めた。

そして会話が終わりに差し掛かると彼女は徐々に僕の下半身に手を伸ばした。

僕のバットは立ち上がった。

僕もやはり漢だったんだ。

彼女は僕の構えが出来たことを確認すると、再び僕の手をとり、今度はバッターボックスがあるだけの個室に案内し、鍵をかけた。

お膳立ては整った。後は役目を果たすだけ。

僕は料金の確認を手短に済ませ、バッターボックスで大の字に構えた。

彼女は自らの手と口でバットの最終調整を行った。

そして僕は彼女の中を捉えた。

彼女の激しい腰の振りから繰り出される直球に僕のバットは開始早々既に粉砕寸前であった。

ヤバい。このままでは

僕は自らのバットの耐久力を考慮し、力まかせにフルスイングした。

やみくもに振ること数回。

あの感覚が僕を襲った。

「im com…! Ahh…」

僕は暴発した。

僕の渾身のフルスイングを見届けた彼女はこれまでの親しげな態度が嘘のように淡々とした様子で後処理を済ませた。

僕は先月某りんと熊本に行った際に彼が風俗店で暴発した話を思い出した。

あの時 僕は「暴発? 情けないなぁ」と彼を笑っていた。

しかし 今はどうだろう。

暴発を馬鹿にしていた僕がいとも簡単に暴発したのだ。

情けない。情けない気持ちでいっぱいだ。

僕はフルスイングを果たした喜びよりも暴発してしまった悲しみにうなだれていた。

僕は早く漏れてしまう人間なんだ。

ここにきて僕は自らの性質を再確認することになった。

そして僕の財布から50ユーロが消えた。


ドイツ・ケルン 完璧な一日など存在しない 〜サウナが教えてくれたこと〜

無用な心配をしたあげく、何事もなくドイツに到着した僕は次なる旅路への計画を練っていた。

普段であれば、目的地に到着する以前にざっくりとした流れを考えておくはずなのだ。

しかし今回の旅路では「何か入国できない気がするから後でいいや」という具合で僕の怠惰主義と悲観主義が完璧な化学反応を見せてしまい、全て先延ばしになってしまっていた。

ドイツ…ビール、サッカー、FKK、ケルン大聖堂。

冷静に考えれば分かることだが、無学、無教養、無風情の3無の象徴である僕にとって計画を立てることはそれほど複雑なことではない。

良いものを観て、良いものを食って、良いベッドで寝る。

#クウヤルネル

大局的に見ればどんな場所に行っても上記のことは大きく変わらないのだ。

自らの単純さに感謝の念を抱きながら、僕はドイツ旅に関してざっくりとした計画を立てた。

1日目 デュッセルドルフ (ライン川見たい)

2日目 ドルトムント(サッカー博物館行きたい)

3日目 ケルン (ケルン大聖堂見たい)

4、5日目 フランクフルト (フランクフルト食べたい&振りたい)

6日目 ケルンからロンドンへ移動

+どっかでサウナも行きたい、ビール&ソーセージも満喫したい。

地図

1日1行の大雑把な計画ではあるが、僕はHIなんとかでもJTなんとかでもないただのはいぐ〜なので現段階ではこの程度の計画で十分だ。

そしてこれらの計画はある瞬間までほぼ完璧に機能していた。

ある瞬間までは

2021/9/8

デュッセルドルフ→ドルトムントと安定した旅路を終えた僕はケルン大聖堂を体感するためにケルンを訪れた。

安定旅路の継続は僕のアイデアにも大きな影響を及ぼす。

ケルンに到着し、ホテルのベッドでゴロゴロしていると、今日という一日を楽しく平和に過ごすためのアイデアがどこからともなく僕の脳裏に浮かび上がってきたのだ。

15:30 現在

16: 00 昼食

16: 30 ケルン大聖堂見る

18: 00  サウナで一汗

19: 30  ビールとソーセージで晩酌

20: 30  夜景鑑賞

やばい 完璧な一日だ。

ざっくり計画主義の僕がこんな完璧な一日を送って良いのか。

予定調和を愛して良いのか

いや

思いつきでばかり行動してきた僕でもたまにはこんな日があっても良いんじゃないか。

自らの計画力向上に複雑な心境を抱きつつも、せっかくの美しい計画を台無しにする必要もない。

今後の美しい未来に心を踊らせながら僕はホテルを出発した。

計画どおりに例のごとくケバブ屋で昼食をとり、ケルン大聖堂に向かった。

ケルン中央駅の正面にそびえ立つケルン大聖堂は今後”大聖堂”と名のつく観光地を見ても全てショボく感じてしまうのでないかと思うほど、巨大で荘厳な作りであった。

自らの姿が写った記念写真撮影が若干難航したものの、予定どおり30分ほどケルン大聖堂の圧巻の景色を満喫した。

この日は日差しが強く夏の兆しが残る一日であった。

3無らしく写真撮影に躍起になっていた僕は自らがすっかり汗ばんでいることに気づいた。

さあ 次はサウナだ。

僕はオランダでの経験からサウナに対して良い印象を抱いていた。

聞くところによるとドイツもオランダと同じ男女混浴着衣無しのサウナ文化を持っているらしい。

サウナで身も心もととのい、ビールを飲めば最高の一日だなあ。

僕はリサーチしていたサウナに向かいながらそんな妄想にふけていた。

当時行こうとしていたサウナ

ケルン大聖堂から歩くこと15分。ついにお目当てのサウナに到着した。

さあととのいだ。

僕は意気揚々とサウナの門をくぐった。

僕 「one person 」

店員 「vaccinated?」

僕 「no」

店員 「sorry」

僕 「pcr test ok?」

店員 「sorry」

どうやらサウナの入場にはワクチンの証明書が必要とのことだった。

ゆるゆるの入国審査にすっかり油断していた僕は思わぬ洗礼を浴び、さっさと追い返されてしまった。

とはいえ今日の完璧な一日はサウナ無しでは完成できない。

まだ夕食には早すぎるし、このサウナ気分を満たさずにはいられない。

全てのサウナがここまで厳しいとは限らないだろう。

ドイツは店によってコロナ対策が厳しい店とゆるゆるな店がはっきりと分かれていることは3日間の滞在で理解していた。

僕はすぐさま別のサウナを探した。 

流石はサウナ地帯ヨーロッパ。ここの他にも多くのサウナがあることが分かった。

僕はその中でも最も近くにあったphoenix saunaへの訪問を決めた。

サウナ! プール! ととのい!

僕のサウナ浴は限界まで高まっていた。

入店拒否サウナからphoenix saunaまでは歩いて15分ほどあったが、士気の高まりにより遠さを感じることもなくあっという間に到着した。

しかしphoenix saunaもまた先ほどのサウナと同じようにワクチン証明書の提示など厳しい対策を施していることが入口の張り紙で分かった

唯一違ったのはpcr検査結果でもOKとしていた点だ。

僕は1週間前に日本で受けたpcr検査の結果を持っている。

サウナに飢えていた僕はダメを承知で1週間前の検査結果を持って店に入った。

店員は先ほどと同様に証明書の有無を問いかけた。

僕は自信満々に1週間前の陰性証明書を掲げ、医者のサインがあるだとか権威性のある要素を適当にアピールした。

すると店員も納得した様子で頷き、僕の入店を許可した。

やっとサウナに入れる。

やはり今日は完璧な一日なんだ。

店員からタオルを受け取った僕は身も心も弾ませて更衣室へ向かった。

そこが地獄の入口であることも知らずに。

更衣室は受付から階段を降りた先にあった。

一見 何の変哲もないロッカーであったが、後で振り返ると妙に薄暗い雰囲気があったと感じる。

だがしかし当時の僕はそんな違和感に気づくこともなく、サウナを楽しめる喜びに浸り続けていた。

足早に着換えを済ませた僕はシャワールームへ入った。

シャワールームは欧米らしく数枚の仕切りがあるだけの開放的な作りをしていた。

僕はここで最初の違和感を覚えることになる。

僕が訪れた際には既に何人かの漢がサウナ内をうろついていた。

それ自体はどのサウナでも当たり前のように見られる光景である。

しかしこのサウナが違っていたのはどの漢たちも妙に張り詰めた雰囲気をまとっていることである。

普通のサウナの漢たちのような開放感溢れる雰囲気ではなく抑圧された何かの行き場を探すような独特な雰囲気を醸し出しているのだ。

サウナってこんな緊張する場所だったけ。

僕はサウナ内の妙な緊迫感に底知れぬ違和感を覚えつつ、ひたすらにシャワーを浴びた。

その違和感はすぐに明確な現実として登場することになる。

シャワールームを出るとサウナには全くもってそぐわない欲望を滾らせるネオンサインが煌めくスチームサウナがあった。

ああ そうだったのか

僕の旅路が安定で終わる訳ないよな。

妙にギラつく漢たち。ピンクサロンでしか見たことのないようなネオン。

僕はこのサウナにまつわる全ての事象を察した。

ただ サウナーたるもの如何なる状況であってもサウナを楽しむべし。

目の前にサウナがあるのに入らない漢をサウナーと呼べるのか?

へっぽこサウナーである僕だがここはサウナーとしての矜持を見せなければならない。

僕はこの先にどんな現実が待っていようとも、いつものように3セットのサウナ浴を完了することを固く誓い、サウナ室の扉を開けた。

サウナ室は灯りの少なさと蒸気で前が見えないほど暗く、迷路のように細長い作りをしていた。

恐怖と好奇心の両方が僕の心臓を大いに震わせていた。

暗闇の中1分ほど歩くと2段ほどのベンチがある小さな小部屋にたどり着いた。

あたり一面に漂う性に飢えた獣の呼吸音。

ここはダメだ。

某道場で鍛えた嗅覚が僕に訴えかけていた。

僕はすぐさま引き返し、部屋へ続く道の途中にあったベンチに座り、サウナを楽しむことに決めた。

それほど熱くはないスチームサウナであったが、普段では考えられないほどの汗が僕の体から噴き出していた。

こんなに緊張感のあるサウナは後にも先にもないだろう。

部屋に続く道の途中にあるベンチに座る僕の前を多くの”サウナー”たちが通過していった。

みな一様にギラギラとした目つきで獲物を見定めるかのように僕を見つめた。

僕は以前某りんに「ギラギラしてる漢のほうがかっこいいよ」と無責任な言葉をかけたことを思い出した。

今なら自信を持ってあの言葉を撤回できる。

見知らぬ人からギラつかれるのはマジで怖いから、ギラつく相手は選べと。

そうして恐怖と緊張に苛まれていると徐々に身も心も限界に達しつつあるように感じた。

僕は水シャワーを浴び、あのネオンライトのない平和そうなジャグジーへ移動した。

ジャグジーで束の間の平和を味わっていると、先ほどギラついていた漢のうちの1人がこちらを見て微笑みながらジャグジーの前を通過していった。

彼はプーチン大統領に似ていたので以後プーチンと呼ぶことにしよう

僕は適当に微笑み返しつつ、僕がサウナに戻るのをプーチンが待っていることを察した。

如何なることがあっても3セットをやりきる。

それが僕の今日の誓いだ。

僕は誓いを思い出し、再び自らを奮い立たせ、サウナ室へ向かった。

そして先ほどと同じベンチに座り、滝のような汗を流した。

僕がサウナに入ってから数分。

入口から人影が見えた。

プーチンだ。

やはり彼はやってきた。

そして予定調和といわんばかりに僕の隣に座った。

ただ僕はまだ2セット目だ。ここで安易に受け渡すと次のセットを楽しむことはできない。

僕はサウナを楽しみにやって来た。そこだけは譲れない。

僕は上下の局所をタオルで頑なに隠し、そうした気はないことを強く主張した。

僕の主張が伝わったのかプーチンも隣に座っただけで、これといった動きを見せることは無かった。

こうして2人隣り合って熱さに耐えること10分ほど

僕の2セット目は終了した。

2セット目の段階で心身ともにかなりの疲労を感じていた僕だったが、ジャグジーで体勢を整え、最後の戦場へ向かった。

これまでと同様に中間地点のベンチに座るとこれまた同様にプーチンが僕の隣に座った。

僕はタオルを開放した。

良かったなプーチン。僕は期待されると断れない性格なんだ。

僕がタオルを開放するとプーチンはベルリンの壁が開放された際の東ドイツ市民のように、即座に僕の体になだれ込んだ。

そしてKGB仕込みのテクニックで僕の体を端から端まで触れていった。

当初は違和感しかなかった僕であったが、元々漢の指は嫌いじゃない。

サウナ中にマッサージをしてもらっているような感覚は決して悪いものではなかった。

これもサウナの楽しみ方なのかもしれない。

しかし彼は次第に僕の大切な商売道具にまで手を伸ばし始めた。

彼が次のステップに進みたいのは明確だった。

ごめんな プーチン 僕はもう昔の過激な遊びばかり追い求める僕じゃないんだ。強引なやり方はやめようぜ

僕はそう心の中でつぶやき、体を起こして彼の頬に唇を当て、その場を後にした。

彼の落胆した様子が遠くに見えた。

ps 夜のケルン大聖堂の景色は感動的な美しさでした。

海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

1匹のアジ

「日本は貧しくなった」

1億総貧困時代と揶揄される現代日本社会でしばしば取り上げられるようになったこの言葉。

1人あたりのGDPが下がったから貧しくなっただとか理由は探せば山ほど出てくる。

生産力低下=貧しくなった

本当にそうなのか

僕はこの「日本は貧しくなった説」は間違っていると思う。

なぜ間違っているのか

百聞は一見に如かず。

まずは都内某所で撮影されたこの写真を見て頂きたい。

アジだ。

道路の真ん中に理路整然と置かれた1匹のアジ。

なぜ?  どこから? 

疑問は次々と沸いてくる。

ただ一つ言えるのは一匹のアジが放置されているという異様な光景が僕の目の前に広がっているということだ。

僕は配達中のウーバー案件も忘れ、しばらくこのアジを観察した。

飲食店の仕入れ中にトラックから落ちたのだろうか。はたまた誰かが猫にでもエサをあげようと設置したのか。

考えに考えても結論は出ない。むしろ新たに生まれた疑問が僕を襲った。

なぜ僕はこのアジを眺めているのか

この世に鑑賞目的でアジを飼っている者は恐らくいない。

アジは間違いなく「食」の対象であり、鑑賞の対象ではないはずだ。

しかし僕を含めた街の人々はこのアジに奇妙な視線を浮かべるばかりだ。

このアジを拾おうとしたり、ましてや食べ始める者など一人もいない。

これがもし今日を生き抜くための食糧を確保するのに苦心する国であったらどうだろうか。 

食に飢え血走った目で落ちたアジに向かって我先にと飛び込んでいるだろう。

アジの写真を撮ろうとした僕は貴重な食糧をみすみす逃した愚人として激しい罵倒を受けるだろう。

しかし現在日本という国ではそのような状況にはならない。

道端に落ちた奇妙なアジに不安を感じられる心と生活の余裕がある。

僕たちは豊かだ。

道端に落ちたアジを食べなくても、居酒屋で紙切れを渡せば美味しいアジフライが食べられる。

本当に日本が貧しくなった時、僕たちに「貧しくなった」と言っている余裕はない。

ただ目の前のアジに全力で飛び込むことしかできないのだ。

ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

釣り 大漁 自捌き 唐揚げ 幸せ

間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


たにくしょくぶつ

          あつまれどうぶつの森

3月20日の発売以降、外出自粛の風にも乗り、あれよあれよと売り上げを伸ばし、もはやゲームの枠を越え、社会現象にもなっている。

数年前、某道ステーションの影響によってユーモアに自信のある学生たちが連呼していた「アツモリ」という言葉も今では「あつまれどうぶつの森」の略という意味に変わりつつある。

そんな「あつまれどうぶつの森」の人気を支える要素の一つにプレーヤー自身が家具や道具を作るDIYというものがある。

「あつまれどうぶつの森」は何もない無人島を一から開拓するという点を重視しているため、家具や道具も主に自分で作ることを推奨しているという訳だ。

「釣竿から丸太まで」という言葉に代表されるようにこのDIYで作れるものは多岐に渡る。

家のローンの支払い、島に建物を作るための費用、はたまた住人の勧誘。

スローライフを謳うゲームとは思えないほど、殺伐とした現実世界さながらに金銭を要求する本ゲームにおいて、必需品を自分で作ることのできる機能はとてもありがたい。

しかしこのDIY 何も有用なものばかり作るための機能ではない。

その利便性と素材活用精神が、時に人知を越えた紛れもない恐怖を生み出してしまうことがある。

          「たにくしょくぶつ」

雑草20本と空き缶1個という質素な素材で作ることのできるこの「たにくしょくぶつ」、ゲーム序盤から作れることもあり、とりあえずというノリで1度は作ったことのあるプレーヤーも多いはず。

宣材写真も意外と綺麗にまとまっており、観葉植物的な雰囲気を醸し出している。

いや おかしい。おかしすぎる。

なぜ空き缶に草を刺しただけでいい感じになるのか。

現実の草どもはこんなに色彩豊かなのか。

そもそも「たにく」ってなんだ。

僕の頭はすぐさま疑問で沸騰した。

ただしかし日本に社会現象を巻き起こしたゲームの中で、堂々とインテリアの一つとして鎮座するこの「たにくしょくぶつ」。

もしかすると想像の世界では表現することのできない魅力が隠されているのかもしれない。

ゲームはリアル リアルはゲーム。

ゲームの疑問はリアルにしなければ理解できないのかもしれない。

僕は実際にこの「たにくしょくぶつ」を作ってみることにした。

「たにくしょくぶつ」を作るにあたって一番重要なのはやはり雑草だ。

材料や工程の少ない「たにくしょくぶつ」作りでは、雑草の質こそが「缶に草を詰めた物体」と「たにくしょくぶつ」との違いを生み出すのだ。

僕は雑草を探すために早速、不草不急の外出を行うことにした。

外出前は雑草の生い茂る場所に今一つ心当たりがなかったが、道端によく目を凝らして歩いていると、街路樹の周りなど至るところに雑草が生えていることが分かった。

この世は雑草天国なのだ。

これだけ僕たちの身の回りに溢れているのに、普段全く日の目を見ることもない。

挙げ句の果てには「雑な草」と呼ばれる始末。

彼らの日々の不遇は察するに余りあるものであった。

「彼らに少しでも光を当てなければならない」

僕は「たにくしょくぶつ」ブームを現実化し、彼らの不遇の日々を終わらせる使命があると感じた。

雑草たちの不遇の日々に思いを馳せる僕

「雑草選びがたにくしょくぶつを支配する」

雑草には様々な種類がある。

その日その日のコンディションに合わせて的確な雑草選びをしなければ、良い「たにくしょくぶつ」を作ることはできない。

さらに並大抵の覚悟では雑草魂を持った彼らを引き抜くことは容易ではない。

吟味と格闘を重ねること数分、僕はついに良質な雑草を手に入れることに成功した。

良質な雑草には良質な空き缶を。

雑草が輝く最高の舞台を提供してくれるのが空き缶だ。

僕は雑草を極立たせるために、質素なデザインの角ハイボールを採用した。

あとに待つのは雑草と空き缶の夢のコラボレーション。

僕は自らの芸術センスを信じて、缶に草を盛りつけていった。

盛りつけること約1分。

ついにリアル「たにくしょくぶつ」が完成の時を迎えた。

僕はそっと草を抜き、ゴミ箱へ捨てた。

この1日はもうなかったことにしよう。

最強の剣士

「ザ カイキャロット」

この名前に聞き覚えのある者はいるだろうか。

「臭い」「もやし」「邪魔」「エイリアン」といった数多くの異名を持ち、先の世界大戦では負傷ゼロという脅威の戦績を誇った最強の剣士である。

これは彼の戦闘態勢を撮影した貴重な写真である。

見た者を1000年以内に必ず死に至らしめるといポーズ。

この写真を撮った者はすぐさま植物状態に陥ることを余儀なくされたという噂もある。

彼の必殺技はその圧倒的な念力を生かした祈祷である。

災害レベル「寿司」に指定されているこの必殺技は1テーブルの雰囲気を完膚無きまでに破壊せしめる威力を持ち、某有名私立高校では特定禁止行為として厳しく取り締まりが行われている。

一見付け入る隙の無いように見える彼だがある重大な弱点を持っている。

罵声だ。

特に冒頭に紹介した異名「もやし」「エイリアン」といった言葉を彼の祈祷中に放り投げると、彼は過去のトラウマを思い出し、頭を抱えたままその場に倒れこむ。

メンタルの強そうな彼だが人一倍単純な罵声に脆い。 

※今回の人参はスーパーにて1本69円で購入しました。

甲子園を観ているといつも幼少期の奇妙な性癖を思い出す

例年熱い戦いが繰り広げられ、日本の夏の風物詩として君臨する高校野球。

甲子園という大舞台のために全てをかける球児たちの姿に心打たれ、毎年現地やテレビの前で観戦するファンも多い。

僕もそうした高校野球ファンの1人である。

元高校球児であった父の影響もあり、僕は7歳の頃から高校野球を観始めた。

当時は新聞にあったトーナメント表を見つけてはハサミで切り抜き、毎日ニュースや新聞で結果を確認して書き込み、

大会が終わると「高校野球神奈川グラフ」や「甲子園の星」といった高校野球雑誌を購入して隅々まで読み込んでいた。

両親が共働きなため、夏休みになると小児収容施設である「学童保育」に収容されていた僕にとって学童をサボって観る高校野球は夏休みの数少ない娯楽であった。

こうした僕の高校野球好きは夏休みだけにとどまらず、高校野球の情報を集めるために、

甲子園が終わった後も「高校野球事件史」「名門野球部の甲子園伝説」などの雑誌を読み込み、高校野球の知識を蓄えていった。

こうした僕の高校野球への愛が別の形に変化してしまっていたのもちょうどこの頃であった。

僕が自慰行為を覚えたのは7歳の時であった。

これはちょうど僕が高校野球を見始めた時期と重なる

そう

当時の僕の自慰行為のネタは「高校野球」たったのだ。

実際に当時読んでいた雑誌を見ると、特定の選手にいくつか下の写真のようなマークがつけてある。

おそらく僕は当時このマークがついていた選手で自慰行為をしていたのだろう。

マークがついている選手たちには共通点がある

それは「大事な場面で結果を残せていない」ということだ。

マークのついた試合ということではないが、マークのついた選手はみな後の試合で勝敗にかかわる場面で打てなかったり、エラーをしたりしている。

当時の僕も子ども心ながらに高校野球の選手たちはとてつもない努力を重ねているということを理解していた。

夏の大会という集大成のために、途方もない練習を重ねたのにも関わらず、結果を残すことができない。

僕はそんな「努力が報われない姿」に興奮し、その感情の高ぶりを性的な興奮と混同してしまっていたのだと思う。

時が経つと共にいつの間にか高校野球にそうした興奮を覚えることは無くなったが、

現在のセックスに関心を持てないという僕の性癖を考えると、いまだにこの「報われない努力」に興奮するという根幹は変わっていないと思う。

僕の脳内はいまだに「報われない努力」に対して覚えた興奮を性的興奮と誤解したままなのだ。

いうなれば 僕はおそらく人生観フェチなのだろう。

この先 僕の性癖はどのように変わっていくのか。

現段階で言えるのは「報われない努力」への過度な崇拝は変わることはないということだけだ。

PS ビリビリ動画(ニコニコ動画の中国版)のチャンネルを作りました。良かったら観て下さいhttps://www.bilibili.com/video/av64564824

私は「山」を決して許さない

本日8月11日は「山の日」である。

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨のもと2016年から新設された祝日だ。

私はこの「山の日」が大嫌いだ。おそらく日本の祝日の中で最も嫌いな祝日とも言えるだろう。

なぜ私が「山の日」が嫌いなのか

それは私の本名を見て頂ければすぐに分かると思う。

「海谷 陸斗 (かいやりくと)」

海、谷、陸は言うまでもないが、斗の由来もまた「北斗七星」いわば「空」からとっている。

つまり私は名前を通じて、これらの海、谷、陸、空といった地球の構成要素をほぼ支配しているのだ。

現在の地球の支配者は海谷陸斗であるといっても過言ではないだろう。

巷では影の支配者としてフリーメイソンの名前が上がることが多いが、

そんなフリーメイソンなど私フリーカイヤンからすれば取るに足りない烏合の衆に過ぎないのだ。

しかしこうした私の支配から逃れのうのうと生き永らえてる奴がいる。

そう「山」だ。

奴はフリーカイヤンの支配を逃れるだけでなく、雪崩や絶壁といった過酷環境イキリで多くの人々を死に至らしめ、

挙げ句の果てには自らの恩恵に感謝するようにと「山の日」まで設立させたのだ。

フリーカイヤンの支配を受けずに暴れ回る「山」の蛮行は本当に目に余る。

私は以前こうした蛮行を止めるために、何度も「山」に対して支配下に入るよう強く働きかけてきた。

しかし奴は私の支配下に入ることを条件に「海谷 陸斗山」への改名を求めてきたのだ。

「特別な事情がある場合に限り名の変更を認める」という戸籍法第百七条二を利用した「山」らしい姑息な対応だ。

どうやら私の「名前に山を入れることにより山を支配下に置きたい」という改名理由が正当と判断される訳かないとたかをくくってるのだろう。

山に関係した災害が発生するのは「山」がフリーカイヤンの支配下に入っていないことに起因するのは一目瞭然なのに、私の改名要求が通らないはずがない。

それになんだこの「海谷 陸斗山」というダサイ改名案は。

改名するなら「海谷 山陸斗」だろう。

バカの一つ覚えのように地名+山でしか名前がつけられない山界隈のセンスの無さを象徴している。

とにもかくにも私の支配から逃れ、恥も知らず暴れ回る「山」を私は決して許すことはできない。

いつか必ず奴を支配下に入れ、「海谷 山陸斗」を実現してみせる

実録 ハッテン場の実態を追え ~テルマー湯に潜む怪~

みなさんはテルマー湯という施設の存在を知っているだろうか?

2015年8月のオープン以来「都会の中心で五感を潤す」をコンセプトに欲望の街、新宿歌舞伎町に訪れた人々の癒しの場として親しまれてきたスパリゾートだ。http://thermae-yu.jp/

終電を逃したサラリーマン、仕事終わりのキャバクラ嬢、はたまた旅行中の外国人。

テルマー湯に訪れる人種は実に豊富である。

そんな誰からも愛される安らぎの場であるテルマー湯だが、例の如くある奇妙な噂が流れている。

そう ハッテン場だ。

このテルマー湯も前回潜入した戸山公園と同じく「テルマー湯 ハッテン場」と検索すると多くの掲示板が乱立している。

しかし最初にも述べたようにテルマー湯はあくまで一般人向けのスパリゾートであり、テルマー湯に訪れる人の全てがゲイという訳ではない。

また多くの人が訪れるスパリゾートのため、戸山公園のような人気の少ない個室もない。

「彼らはどのようにして行為に及ぶのか?」

こうして僕はテルマー湯への潜入を決めた。

そして前回の潜入から一週間がたった7月18日木曜日 僕の潜入は決行された。

僕はまず掲示板で「彼ら」が多く出没すると言われていた午前0時前後に入浴を行うため、午後11時にテルマー湯の前に訪れた。

そしてこのテルマー湯の前で僕の潜入に興味を持ち参加を申し出た篠塚康介氏と落ち合いテルマー湯に入館した。

この日は激しい雨が降っていて、お互いにかなり濡れていたということもあり、僕達はとりあえず風呂に入ろうということになり、大浴場へ向かった。

大浴場の入口 とても「彼ら」の潜む場とは思えない

僕たちは入浴前これからハッテン場に潜入するという緊張から妙にソワソワしてお互いの体を触りあっていた。

大浴場は大きな浴槽が1つに小さな浴槽がいくつも存在するという至って普通の作りをしていた。

にも関わらずそこがハッテン場であると意識しただけで不思議と入浴している人が全て「彼ら」に見えて落ち着くことができなかった。

僕たちは体を洗った後、いくつかの浴槽を回った。途中50代ほどの小太りな白人男性に数秒見つめられることもあったが、特に何も起こらず僕たちは最初の入浴を終えた。

正直かなりガッカリした。

確かに僕たちを見つめてきた白人男性はゲイであったかもしれないが、普通の銭湯にも隠しているだけでおそらくゲイの人はいるだろう。

僕が今回期待していたのはハッテンに及ぶ「彼ら」の姿である。

しょせんはただのスパリゾートか。

僕はテルマー湯に泊まるために払った4000円が惜しく感じるようになっていた。

篠塚氏も僕と同様にガッカリした様子で「喉が痛いから寝る」と言って足早に休憩室へと消えていってしまった。

僕も寝ようかな。

僕は時間を確認した。

時間は午前0時を少し過ぎたころだった。

僕の脳裏に午前0時を過ぎた頃が一番盛り上がるという掲示板の情報が浮かんだ。

「寝るのはまだ早いしまあ行ってみるか」

僕はそんな軽い気持ちで2度目の入浴へ向かった。

僕が脱衣場で着替えていると最初の入浴時に僕のほうを見てきた白人男性に偶然遭遇した。

彼は明らかに服を着て入浴を終えようとしている様子であったが、僕のことを見た瞬間彼は急に服を脱ぎ始め再び大浴場へと消えていった。

「きたか」

1度目の入浴で何も起こらなかったことですっかり油断していた僕もここが改めてハッテン場であるということを意識せざる負えなかった。

僕は大浴場に入るとすぐに湯船が白く濁っていて下が見えないシルク風呂に浸かって彼のことを待った。

しかしどれほど待っても彼は来ない。

そのうちに僕はのぼせてしまい、別の風呂へと移動した。

その後僕は少し浸かってはのぼせという流れで小さな浴槽を移動し続けていた。

彼への期待は僕の度重なる移動が少しずつ打ち消していた。 

こうして移動を重ねるうちに僕はある奇妙な点に気がついた。

その時大浴場には僕のほかに10人ほどの男たちがいた。その多くは僕のように移動することなく、1つの浴槽で大半の時間を過ごしていた。

しかしその中でただ1人だけ僕と同じ移動ルートをとる男がいた。

その男は白人男性ではなかった。

その男はメガネをかけた中肉中背で30代ぐらいの男だった。

彼は僕がシルク風呂に移動するとシルク風呂、ジェット風呂に移動すると隣のジェット風呂という要領で僕と全く同じルートで移動した。

最初僕は偶然だろうと思ってあまり気にしていなかった。しかし僕が数十秒で移動した際にもすぐに彼も僕と同じルートで移動したのを確認し、徐々に自信を深めていった。

僕はこの自信を確信に変えるためにある賭けにでることにした。

テルマー湯には大浴槽の他に6つの小浴槽がある。

先ほど名前のあったシルク湯やジェット風呂は屋内風呂である。

この小浴槽の中で唯一屋外にあるのが寝転び湯だ。

寝転び湯はこの写真で若干わかるように四方を仕切りで囲われており、外から中の様子が見えにくい仕組みとなっている。

僕は屋内風呂を行き来していた流れで、急にこの寝転び湯に移動した時に、彼もまた寝転び湯に移動してきたなら完全に彼はクロなのではないかと考えた。

僕はすぐさま行動に移し、寝転び湯へ寝転びに行った。

僕が寝転ぶこと数分、すでに見慣れてしまった彼の影が現れた。

「ビンゴ」

僕は驚きと困惑の感情を必死に隠しただただ目を仰向けで寝転んでいた。

案の定彼もまた僕の隣で寝転んだ。

この時4つある寝転び台のうち3つが埋まっていた。

彼は明らかにもう1人の入浴客がいなくなるのを待っているようだった。

そしてもう1人の客がいなくなり、寝転び湯に僕たちだけが取り残された次の瞬間、

僕は自分の手に何かが触れたことに気づいた。

それが彼の手であるということに気づくまでにそれほど多くの時間はかからなかった。

彼は僕が嫌がる素振りを見せないとみるとさらに僕の手を強く握りしめた。

それから何分がたったころだろうか。

僕は遠くの屋内風呂の方から施設のスタッフが近づいて来ているのに気づいた。

僕は慌てて彼の手をほどき、少しのぼせ気味であったこともありすぐに寝転び湯を出て近くのベンチに座った。

急に僕に手をほどかれて驚き気味の彼だったがすぐにスタッフたちの姿に気づき、納得した様子で寝転び湯を出て、何も言わず僕の隣に座った。

僕らは互いに言葉を交わすこともなくベンチに座り込んでいた。

やがて気まずさに耐えられなくなった僕は白く濁っていて下が見えないため絡みに向いているシルク風呂に向かった。

そして湯船に着くとすぐに彼の方を見て彼を誘った。

すると彼は満足気な様子でシルク風呂の方へ歩を進めた。

次の瞬間だった。

どこからともなく最初に会ったあの白人男性が僕の目の前に現れた。

この男は僕と目が合うと今度はまっすぐ僕の方へ歩みを進め、シルク風呂に浸かるとすぐさま僕の真横に陣取った。

寝転び湯で手を繋いだ彼はこの白人のあまりに急な行動に呆気にとられシルク風呂を素通りし、隣の風呂で僕たちの様子を伺うほかなかった。

僕との「特等席」を手にいれたこの白人男性はここぞとばかりにシルク風呂の特性を活かして太もも、玉袋、局部の順で僕の下半身を撫で回した。

こうして僕は人生で初めて「痴漢」を経験した。

よく痴漢を経験した人は「声が出ないほど怖い」といったネガティブな感情を口にするが、僕の場合は違った。

僕はこの白人男性に触られている時、純粋に彼に「楽しんで欲しい」と思った。

遠い異国の地からはるばるやって来てやっと見つけた僕の局部がどれだけ撫でてもいっこうに立たなかったら彼はどう思うだろうか。

僕は彼に少しでも日本で良い思い出を作って欲しいと思ってひたすら自分の局部を立たせようと試みた。

シルク風呂のうだるような熱さとスパリゾートという特殊な環境で粘ること数分、僕のちんこは見事に立ち上がった。

彼は見事に立ち上がった僕の局部を見て満足気な様子でこう言った。

「アツイネ」

これが何を意味する言葉なのかは僕には分からない。

ただ僕が分かるのはこの言葉を言った後、彼が僕の元を離れたということだけだ。

役割を終えた僕もまた反り立った局部と共にシルク風呂を後にした。

隣の浴槽から羨望の眼差しを受けているような気がした。