「くだらないことを愛せない人生が一番くだらない」カテゴリーアーカイブ

万物は反射神経である 1

万物は反射神経である。

これは2020年11月、僕が出した結論の一つだ。

なぜ反射神経なのか。

これから綴る内容を読めばあなたも理解できるはずだ。

僕は先日TOEICを受けた。

就活に使えそーとか英語力測りたーとかいう安直な理由からだ。

もちろん勉強はしていたが、留学後のワンチャンスに掛けていたHSKに比べて気の緩みは明らかだった。

こうした緩みは試験当日にしっかりと表れた。

僕は試験の必須品とも言える時計を忘れてしまったのだ。

時計の無い試験会場と豪勢な時計をテーブルに誇示する受験者たちの姿を目の当たりにし、一瞬焦りを覚えたが、「10分前になったら試験官が教えてくれるだろう」という安易な想定に身を委ねてしまい、その時はあまり深く考えなかった。

若干の不安を覚えつつ試験は始まった。

人間とは不思議なもので不安があろうが、気が緩もうが、試験が始まった途端に忘れてしまう。

僕もその例外ではなく絶え間なく現れる英語と格闘しているうちに時計のことなどすっかり忘れてしまっていた。

そして試験も残すところあと15問。

「以外といけたんじゃね」

そんな考えがちらほらとよぎる頃だった。

‘試験を終了します。解答を止めてください’

!?

終わり!?

10分前コールは?

初老試験官の無情な宣言により試験は突然終了した。

唖然とする僕を尻目に初老試験官は手際よく試験用紙を回収していった。

僕が最初に覚えた感情は怒りだった。

試験終了10分前を告げない初老試験官への怒り、腕時計を忘れた自分への怒り。時計を置かない試験会場への怒り。

しかし僕はこれらの怒りが全て的外れであることにすぐに気がついた。

何が一番悪い?

全ては僕の英語力不足だ。

全ては僕の読解速度の遅さだ。

試験官、試験会場、腕時計 仮に全部理想であっても15問落とす事実は変わりないのだ。 

ではなぜ長文読解が遅いのか。

長文読解の肝は大量の英文と英単語に対して素早く反応して理解することである。

いわば英語への反射神経力は読解力に直結する。

僕にはこの反射神経が圧倒的に足りていなかった。

反射神経を高めなければ、時間内に全ての問題を解くことはできない。

僕の反射神経強化訓練がここに始まった。

続く

ただ空を飛びたかったんだ

僕は9月1日~3日まで関西を旅行した。

腐るほど訪れた気のする関西へ大学4年にもなって何故旅行したか。

それはひとえに「空を飛ぶため」に他ならなかった。

8月はウメハラの月だった。

バンジージャンプ 釣り 飲み会 八ヶ岳 インターン

彼は溢れるバイタリティーを放出し、暴虐の限りを尽くしていた。

このご時世、思うように活動できず苦しむ人もいる中、暴虐無慈に人生謳歌ハラスメントを行うウメハラは明らかに全世界の脅威となっていた。

そんな彼が唯一取り残した活動があった。

スカイダイビング。

目には目を 歯には歯を。

僕たちがスカイダイビングを先に決行し、ウメハラに人生謳歌ハラスメントの苦しみを味あわせる。

僕は時同じくウメハラの活動に狂気を覚えたタカオカアラタと共に、ウメハラ討伐スカイダイビング隊を結成した。

僕たちは早速国内のスカイダイビングスポットをしらみ潰しに探し、都内近郊にキャンセル待ちスポットを見つけ、すぐさま予約を試みた。

しかしこれはウメハラの罠であった。

数日後、僕たちが予約を入れようとしたスポットから「予約は出来ない」という旨の連絡があった。

恐るべしウメハラ。

彼は僕たちに先を越されないように、都内近郊の全てのスカイダイビングスポットに対して、海谷という者が来た際に「予約ができない」と伝えるようにと指示を出していたのだろう。

僕たちはウメハラのハラスメントに懸ける思いをまざまざと見せつけられた。

意気消沈するなか、タカオカアラタがこんな提案をした。

「兵庫にできるとこありますよ」

兵庫。かのタカオカアラタが産み落とされた忌々しき地。

なぜいまさら兵庫を訪れなくてはならないのか。

しかし悩む暇はなかった。

この瞬間にもウメハラは次なるハラスメントへの策略を考えている。

関東に海谷スカイダイビング禁止網を張ったウメハラも流石に関西に目を向けてはいないだろう。

こうして僕は兵庫行きを決めた。

兵庫といってもタカオカアラタの推したスカイダイビングスポットは人里離れた山奥にある。

ぬくぬくと実家の愛を享受し尽くすタカオカアラタはまだしも、実家の愛から離れる僕にとって兵庫の山奥はあまりにも遠い。

僕は前日に姫路の宿を取り、万全の準備をしてスカイダイビングに望むことにした。

9月1日 天気 快晴

僕は兵庫へ旅立った。

思えば関東圏から飛び出すのは半年ぶりだ。

18切符名物静岡地獄ですら今回はどこか楽しく感じた。

電車を抜ければ大空が待っている。

見渡す限りの青空。ジェットコースターでは決して味わうことのできない永遠と続く浮遊感。

僕は車内で何度もスカイダイビングのイメージを膨らませた。

「中文 空を飛ぶ」

そんなストーリーが出来た暁にはウメハラは嫉妬と羨望の眼差しを向けるに違いない。

出発から7時間、僕はついに米原に降り立ち新快速に乗り込んだ。

関西へ近づくに連れ、さらに気分が高揚していくのが自分でも分かった。

国内旅行も悪くないな。

そんな時ふと携帯を見るとタカオカアラタからの着用があった。

嫌な予感がした。

僕は恐る恐る用件を聞いた。

体の力が一瞬で抜けた。

これまでの高揚は何だったのか。

自らの人生計画を達成するためなら、天気を変えることをも厭わないウメハラに畏怖の念を抱いた。

恐ろしい。ただただ恐ろしい。

僕たちのスカイダイビング計画は消えた。

その時残されたのは既に予約を取った姫路のホテルだけだった。

たにくしょくぶつ

          あつまれどうぶつの森

3月20日の発売以降、外出自粛の風にも乗り、あれよあれよと売り上げを伸ばし、もはやゲームの枠を越え、社会現象にもなっている。

数年前、某道ステーションの影響によってユーモアに自信のある学生たちが連呼していた「アツモリ」という言葉も今では「あつまれどうぶつの森」の略という意味に変わりつつある。

そんな「あつまれどうぶつの森」の人気を支える要素の一つにプレーヤー自身が家具や道具を作るDIYというものがある。

「あつまれどうぶつの森」は何もない無人島を一から開拓するという点を重視しているため、家具や道具も主に自分で作ることを推奨しているという訳だ。

「釣竿から丸太まで」という言葉に代表されるようにこのDIYで作れるものは多岐に渡る。

家のローンの支払い、島に建物を作るための費用、はたまた住人の勧誘。

スローライフを謳うゲームとは思えないほど、殺伐とした現実世界さながらに金銭を要求する本ゲームにおいて、必需品を自分で作ることのできる機能はとてもありがたい。

しかしこのDIY 何も有用なものばかり作るための機能ではない。

その利便性と素材活用精神が、時に人知を越えた紛れもない恐怖を生み出してしまうことがある。

          「たにくしょくぶつ」

雑草20本と空き缶1個という質素な素材で作ることのできるこの「たにくしょくぶつ」、ゲーム序盤から作れることもあり、とりあえずというノリで1度は作ったことのあるプレーヤーも多いはず。

宣材写真も意外と綺麗にまとまっており、観葉植物的な雰囲気を醸し出している。

いや おかしい。おかしすぎる。

なぜ空き缶に草を刺しただけでいい感じになるのか。

現実の草どもはこんなに色彩豊かなのか。

そもそも「たにく」ってなんだ。

僕の頭はすぐさま疑問で沸騰した。

ただしかし日本に社会現象を巻き起こしたゲームの中で、堂々とインテリアの一つとして鎮座するこの「たにくしょくぶつ」。

もしかすると想像の世界では表現することのできない魅力が隠されているのかもしれない。

ゲームはリアル リアルはゲーム。

ゲームの疑問はリアルにしなければ理解できないのかもしれない。

僕は実際にこの「たにくしょくぶつ」を作ってみることにした。

「たにくしょくぶつ」を作るにあたって一番重要なのはやはり雑草だ。

材料や工程の少ない「たにくしょくぶつ」作りでは、雑草の質こそが「缶に草を詰めた物体」と「たにくしょくぶつ」との違いを生み出すのだ。

僕は雑草を探すために早速、不草不急の外出を行うことにした。

外出前は雑草の生い茂る場所に今一つ心当たりがなかったが、道端によく目を凝らして歩いていると、街路樹の周りなど至るところに雑草が生えていることが分かった。

この世は雑草天国なのだ。

これだけ僕たちの身の回りに溢れているのに、普段全く日の目を見ることもない。

挙げ句の果てには「雑な草」と呼ばれる始末。

彼らの日々の不遇は察するに余りあるものであった。

「彼らに少しでも光を当てなければならない」

僕は「たにくしょくぶつ」ブームを現実化し、彼らの不遇の日々を終わらせる使命があると感じた。

雑草たちの不遇の日々に思いを馳せる僕

「雑草選びがたにくしょくぶつを支配する」

雑草には様々な種類がある。

その日その日のコンディションに合わせて的確な雑草選びをしなければ、良い「たにくしょくぶつ」を作ることはできない。

さらに並大抵の覚悟では雑草魂を持った彼らを引き抜くことは容易ではない。

吟味と格闘を重ねること数分、僕はついに良質な雑草を手に入れることに成功した。

良質な雑草には良質な空き缶を。

雑草が輝く最高の舞台を提供してくれるのが空き缶だ。

僕は雑草を極立たせるために、質素なデザインの角ハイボールを採用した。

あとに待つのは雑草と空き缶の夢のコラボレーション。

僕は自らの芸術センスを信じて、缶に草を盛りつけていった。

盛りつけること約1分。

ついにリアル「たにくしょくぶつ」が完成の時を迎えた。

僕はそっと草を抜き、ゴミ箱へ捨てた。

この1日はもうなかったことにしよう。

答え合わせ

#ペスト医師#中世ヨーロッパ#ペスト#先輩#パンデミック#致死率60%#死者数2億人#北里柴三郎#発見#過去の病気ではない#死神#歴史#ロマン#歴史秘話ヒストリア#マスクがないならペストマスク#マスク男子#恐怖#怖さと面白さは紙一重#ペストに負けるな#おうち時間#うちですごそう

ウメハラが止まらない

―ウメハラが止まらない―

きっかけは彼の歩き旅であった。

数日前 彼は「吉野家の桜が見たい」と言い残し横浜を去った。

つい最近まで「一人旅はさみしい」と語っていた彼が孤独の極致である歩き旅を続けることができるのだろうか。

「もって2日だろう」

僕は旅の継続を全く信じていなかった。

だがしかし

今回の彼は違った。

彼は横浜を離れてからの5日間、べらべらとインスタポエムを止めずに歩き続け、なんと静岡まで達したのだ。

早稲田大学から早稲田駅までの距離を歩くことすら嫌がり、常に自転車に乗っていたあの彼が。

僕は目を疑った。

そしてそれと同時に何か裏があるのではないかという勘が働いた。

彼を歩き中毒に陥らせる強力な動機がきっとある。

僕は彼の歩き動機を考えた。

頭の中にある彼の特徴を浮かべ続けること一瞬。

僕はついに1つの答えにたどり着いた。

 承認欲求

彼は日夜インスタグラムで自らの輝く瞬間を投稿し、承認欲求を満たしている。

かく言う僕も彼のインスタポエムのファンの1人である。

しかし今回の歩き旅による不快感はインスタ投稿によって得られる承認快感を上回ったに違いない。

となるのと彼はインスタグラムとは別の手段で承認快感を得なければならない。

歩き続けることで承認を得られるものとは?

WERUNだ。

WERUNとはwechat内にあるアプリの1つで、登録したユーザーの1日の歩行数を携帯の揺れた回数から計数し、毎晩22時30分にこのようにランキング形式で表示してくれるものである。

そしてその日一番歩いた者のプロフィール画像が全てのユーザーの画面に表示される。

北京大学にて多くの友人を作った彼にとって、ランキングの頂点に立ち続けるというのはこの上ない快感に違いない。

事実ここ数日彼は頂点を独占し、「友情、努力、勝利」という歪んだ価値観を強要し快感を覚えていた。

価値観の強要を受けたくなければ歩け。

恐るべき2重ハラスメントである。

流石はハラスメントの権化。

彼はさらなる強要を身につけるために読書をしていたのか。

コロナウイルスの蔓延により外出自粛の風潮が広がる中でのこのダブルウメハラは悪質極まりない。

外出すれば自粛ハラスメントを受け、家に籠ればウメハラを受ける。

そんな彼の友人たちの悲痛な現実は想像に難くない。

これ以上ウメハラを放置するわけにはいかない。

僕が1位を奪い返して彼の横暴を止める。

そう決意した時既に僕の右手は携帯を掴み、上下に降り始めていた。

今回のウメハラ討伐にあたって僕は考えた作戦は2つだ。

・携帯フリフリ

・歩く

ここ数日ウメハラは1日平均45000歩という脅威の強要力を見せていた。

彼の強要を打ち破るには少なくとも50000歩は計上しなければならない。

僕のこれまでの最高記録はマカオに行った時の24000歩だ。

この日僕は朝7時に起きて何度もマカオ半島を往復していた。

間違いなくあの日は去年一番歩いた日であった。

そんな僕の渾身の歩きハラスメントを難なく越えるウメハラの45000歩。

この記録を純粋な歩きのみで越えるのは不可能のように思えた。

そこで僕が採用したのが作戦1「携帯フリフリ」である。

先述のようにWERUNは携帯が揺れた数を元に歩数を数えている。

このWERUNの特徴を考慮すれば携帯フリフリは間違いなく有効である。

まず携帯フリフリで25000歩を稼ぐ。

僕は例のごとく朝7時に起きて携帯フリフリを始めた。

始めて数分。僕はすぐさまこの作戦の欠点に気づいた。

 退屈

携帯を振るということは携帯を弄れないということである。

あらゆるコンテンツを携帯の中に閉じ込めている現代っ子にとって、画面を見ることのできない携帯フリフリはただ腕の筋力をいたずらに消費する退屈の極みである。

携帯がないならパソコンを使えばいいじゃない。

マリー・カイヤントワネット

携帯のネットがダメならパソコンだ。

僕はパソコンを起動し、最近はまっているバブル期ドラマ「東京ラブストーリー」を観始めた。

ドラマの1話約50分を1セット、目は画面、手は携帯。

これなら退屈もしのぎつつ歩数も稼げる。

僕はこの妙案への期待からハイペースで携帯を振り続け、手早く2セットを消化した。

「2時間携帯を振ったのだからそこそこ記録は伸びているだろう。」

僕は期待に胸を膨らませ、そっと携帯を開いた。

4022

よしよし。良いペースだ。

僕はウメハラと大差のないペースで歩数を稼いでいることに安堵した。

この小さな安堵は慣れない早起きをした僕に強烈な眠気を与えるのに十分であった。 

僕は眠りの世界に堕ちた。

この僕のわずかな隙をウメハラが見逃すはずがなかった。

再び目を覚ました時、僕は目を疑った。

ウメハラの記録が20000歩に伸びていたのだ。

他人が休んでいる時にも決してハラスメントを弛めない。

彼がウメハラとよばれる所以がここに詰まっているような気がした。

僕も慌てて2セットをこなし歩数を稼いだが、差が縮まることはなかった。

「もう歩くしかない」

ウメハラの圧倒的歩きハラスメントには小手先の携帯フリフリなど通用しない。

目には目を、歯には歯を、歩には歩を。

僕は目的地を家から約10km離れた温泉に設定し、歩き旅を始めた。

家から温泉までの道は9年前のちょうどこの時期、中学入学前に小学生最後として友達と自転車旅をした思い出の道だった。

思い出のある道を歩くのは意外に楽しく、僕はしばし戦いを忘れ回顧に没頭した。

歩く僕

歩き始めて1時間。

そろそろ回顧する思い出も無くなってきたので、僕は音楽を聴こうとポケットからイヤフォンを取り出そうとした。

ない

出かける前にポケットに入れたイヤフォンが無いのだ。

バッグの中を探しても無い。

退屈という敵が再び僕の前に立ちはだかろうとしていた。

歌え。

イヤフォンが無いときいつもどうしてたんだ。

イヤフォンなんてもんを知らなかった時、僕たちはどうやって音楽を楽しんでいたんだ。

歌だ。僕たちには歌がある。

コロナ騒ぎで道には人は少ない。

マッチョ マッチョ ビバマッチョ♪

僕の胸の中でフォーリンラブ♪

僕は歌った。

そんなこんなで約2時間。

ついに目的地の温泉にたどり着いた。

既に日は落ち、あたりの人影も一段と減っていた。

計画ではここで一度リフレッシュをして帰りの歩きに備えるつもりであった。

携帯を確認した。

ウメハラ  44000歩 僕 18000歩

ウメハラは僕の2時間を嘲笑うかのごとく、さらに歩数を伸ばしていた。

22:30の結果発表を考慮すれば、ここで温泉など入っている場合ではないのは火を見るより明らかだ。

僕は温泉の写真だけ撮ってすぐさま来た道を戻るように再び歩き始めた。

旅の一番の憂鬱は帰り道なのは当然だが、歩き旅の憂鬱度は他にも増してひどい。

行きにコンテンツを使い果たした僕にとって帰り道は「無」に他ならかった。

退屈を紛らわすために「ウヒョー」と奇声をあげたり、急にダッシュしたりと様々な策をとったが、どれも士気を上げるには至らなかった。

なぜ僕はこんなことをしているのか

ウメハラだ。全てはウメハラが悪い。

奴が歩きハラスメントを通じて世界中の人々を苦しめているからいけないのだ。

奴は既に4日連続で頂点を独占している。

5日連続のかかる今日頂点を獲得すれば、必ず強大なハラスメントを仕掛けてくるに違いない。

何としても止める。止める。止める。

苦しい時に力をくれるのはいつだって憎しみだ。

僕はウメハラへの憎しみをパワーに変え、必死に歩みを進めた。

そしてスタートしてから4時間、ついに僕は温泉-家間の往復を達成した。

流石にウメハラとの歩数差も縮まっているだろう。

なぜだ。

僕は目を疑った。

なぜまだ17000歩もあるのか。

時刻は既に21時に近づいていた。

これらの事実は僕の達成感を大いにへし折った。

しかしどれだけ差がついてもやることはただひとつだ。

「歩く」

僕は自宅付近の1週300mのグラウンドに繰り出し、再び歩き始めた。

慣れない長歩きは日頃運動不足な僕の体に容赦なく影響を与えた。

足の皮は剥がれ、節々が悲鳴を挙げていた。

こういった苦難の時、いったい何が一番の活力になるのか。

憎しみはもちろん力になるが、痛みが合わさった時は苛立ちに繋がる。

僕はもう一度ウメハラによる歩きハラスメントの根底にあるものが何か考えた。

彼の根底にあるのはやはり「承認」だ。

頂点を獲り自らの存在を誇示したいという承認欲求。

それこそが彼の底力の源だ。

僕も彼に習って「承認」をモチベーションにしよう。

「承認」

「承認」

「承認」

僕はこの承認フレーズを呪文のように唱え、有心で歩き続けた。

途中何度も走ったほうが良いのではないかと感じたが、僕の承認欲求はそこまでのパワーはくれなかった。

10週ほど歩いた頃だっただろうか。

結果発表の22時30分がやってきた。

敗北

負けた。

結局最後まで差を縮めることはできなかった。

僕にとってこの日はただ5時間歩いただけの日となった。

WERUNでの頂点をモチベーションに5日連続で30000歩以上歩いたウメハラ。

かたやたった1日すらウメハラを抜くこともできなかった僕。

この間には12000歩以上の差があると僕は感じた。

世間では馬鹿にされがちな「承認欲求」という言葉であるが、「認められたい」という根源的な欲求は時にとてもつもないパワーを発揮することがある。

どこかの秘密結社が時代は貨幣経済社会から人から評価を得る人間が豊かさを感じるという評価経済社会に変わると言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。

事実ウメハラは5日連続チャンピオンを獲ったことをタイムラインに掲げ、多くの称賛を集めていた。

いかにせよ僕の承認欲求ではウメハラを止めることはできなかった。

いつかさらなる承認欲求者がウメハラを止めることを願っている。


最強の剣士

「ザ カイキャロット」

この名前に聞き覚えのある者はいるだろうか。

「臭い」「もやし」「邪魔」「エイリアン」といった数多くの異名を持ち、先の世界大戦では負傷ゼロという脅威の戦績を誇った最強の剣士である。

これは彼の戦闘態勢を撮影した貴重な写真である。

見た者を1000年以内に必ず死に至らしめるといポーズ。

この写真を撮った者はすぐさま植物状態に陥ることを余儀なくされたという噂もある。

彼の必殺技はその圧倒的な念力を生かした祈祷である。

災害レベル「寿司」に指定されているこの必殺技は1テーブルの雰囲気を完膚無きまでに破壊せしめる威力を持ち、某有名私立高校では特定禁止行為として厳しく取り締まりが行われている。

一見付け入る隙の無いように見える彼だがある重大な弱点を持っている。

罵声だ。

特に冒頭に紹介した異名「もやし」「エイリアン」といった言葉を彼の祈祷中に放り投げると、彼は過去のトラウマを思い出し、頭を抱えたままその場に倒れこむ。

メンタルの強そうな彼だが人一倍単純な罵声に脆い。 

※今回の人参はスーパーにて1本69円で購入しました。

世界一週より早稲田一週

お久しぶりでございます。

ブログを辞めてから早くも3ヶ月が経ってしまいました。

「ブ」という字が脳裏に浮かぶだけで嫌になっていたあの頃も今や昔。

今になって急にブログのあったあの頃が恋しくなるのは時の経過が不思議なものと言われる所以でありましょうか。

私はブログを辞めてからの2ヶ月間、次なる目標であった世界一週のため、尻部を開いては閉じ開いては閉じといった具合でフル開閉。

「金のなる尻」とは良く言ったもので、おかげさまで旅行に不自由しない程度の金額がブリブリと貯まったことをここにご報告いたします。

しかしどうしたものか世間はコロナ一色。

世界一の信用を誇るとされてきた菊花紋章がいまや毒花として扱われる始末。

せっせと建ててきた僕の旅行計画もグチョグチョと音を立てて崩れていった次第でございます。

そんな訳で2020年一発目の大きな目標を失ったことになった僕ですが、世界一週の前にするべきことに気づきました。

早稲田一週です。

私が早稲田大学に入学してから早3年。

すっかり早稲田を知った気になっている僕ですが、まだまだこの街には知らないことが隠されていることに違いないでしょう。

#世界を知る前に早稲田を知れ

私は知られざる早稲田の秘密を解き明かすために早稲田一週を達成することを決意したのです。

決意とはまあ聞こえの良い言葉でしょうが、この早稲田一週には疑問が山積。

まずどこからどこまでを「早稲田」と定義しましょうか。

これにはまあ私に1つの案がありまして、言ってしまえば「鶴巻町」や「南町」といった不純物の無い「東京都新宿区早稲田町」のみを真の早稲田と認定するというものでございます。

この地図を見てお気づきの方もいらっしゃるでしょうけど、早稲田大学の校舎の中で、この真の早稲田として鎮座する「早稲田町」に存在するのは40号館のみなのです。

早稲田大学早稲田キャンパスの住所は新宿区戸塚町1丁目104でして、早稲田のわの字も無い場所に存在しておるのです。

いったいどの面を下げて「早稲田キャンパス」と名乗っているのでしょうか。今すぐ「戸塚町キャンパス」に改名するべきでしょう。

こうして早稲田一週をきっかけに早速新たな発見を手にしたところで実際に歩を進めてみましょうか。

今回のスタート地点は「真の早稲田キャンパス」こと早稲田大学40号館グリーン・コンピューティング・システム研究開発センター。

いったい何を行う場なのか検討もつきませんが、とにもかくにもここが早稲田町の西端なのですからスタート地点にしない訳にはいきません。

こちらのグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発してすぐ左手に見えてくるのが、早稲田町民の生活を支える、かの有名な「イトーヨーカドー」でございます。

生鮮食品から酒類までなんでも揃う我らが庶民の味方。

かの無名な早稲田から1トン増やす会もお世話になったとか…ならなかったとか…

イトーヨーカドーにて庶民のパワーを体感した後には約3億マイクロメートルの途方もない直線が続きます。

それもそのはず この早稲田町は異常なほど横に長いのです。

息を吐き息を吸い必死の思いで両足を前に進めること2億4000万マイクロ秒。

ついに早稲田町の東端「新宿区役所 榎町特別出張所」が見えてきました。

この「新宿区役所 榎町特別出張所」どうやら町の治安を守る場所でもあるそうで、特に路上喫煙に関しては町民に究極の災いをもたらす可能性のある重大治安破壊行為とみなし、厳しく取り締まっているとのことです。

「極悪非道」「放火魔」「人間がもっとも恥ずべき行為」「非国民」など様々な悪名を欲しいままにする「路上喫煙」を徹底的に取り締まるという態度。

東端からこの街の安全を守る「新宿区役所榎町特別出張所」は頼もしい限りですね。

西端であるグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発して6億マイクロ秒。

ついにこの長い長い旅もクライマックスを迎えます。

旅の終点となるのはやはり早稲田民の憩いの場「鶴巻南公園」の一部地域です。

なぜ一部地域のみなのでしょうか?

この地図を見て頂ければお分かりだと思うのですが、鶴巻南公園のうち早稲田町に属しているのは南端の一部地域のみなのです。

鶴巻南公園最大の売りである「ユニークな歩道」も早稲田町側にはありません。

しかし決して侮ってはいけません。

早稲田町側の鶴巻南公園にも数々の早稲田民を虜にしてきた魅力溢れるアクティビティが数多く存在します。

トイレに

喫煙

そして植物観賞。

これほどまでに魅力的なアクティビティが詰まった公園は世界でもそう多くはないでしょう。

日本各地から多くの人が訪れて歓声をあげるのも頷けますね。

知り尽くしたつもりの街でも改めて探索してみるとまた新たな発見がありますね。

皆さんも自分が知った気になっている街をもう一度別の角度から見てみませんか?

きっとそこには新しい世界があるはずです。

私は「山」を決して許さない

本日8月11日は「山の日」である。

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨のもと2016年から新設された祝日だ。

私はこの「山の日」が大嫌いだ。おそらく日本の祝日の中で最も嫌いな祝日とも言えるだろう。

なぜ私が「山の日」が嫌いなのか

それは私の本名を見て頂ければすぐに分かると思う。

「海谷 陸斗 (かいやりくと)」

海、谷、陸は言うまでもないが、斗の由来もまた「北斗七星」いわば「空」からとっている。

つまり私は名前を通じて、これらの海、谷、陸、空といった地球の構成要素をほぼ支配しているのだ。

現在の地球の支配者は海谷陸斗であるといっても過言ではないだろう。

巷では影の支配者としてフリーメイソンの名前が上がることが多いが、

そんなフリーメイソンなど私フリーカイヤンからすれば取るに足りない烏合の衆に過ぎないのだ。

しかしこうした私の支配から逃れのうのうと生き永らえてる奴がいる。

そう「山」だ。

奴はフリーカイヤンの支配を逃れるだけでなく、雪崩や絶壁といった過酷環境イキリで多くの人々を死に至らしめ、

挙げ句の果てには自らの恩恵に感謝するようにと「山の日」まで設立させたのだ。

フリーカイヤンの支配を受けずに暴れ回る「山」の蛮行は本当に目に余る。

私は以前こうした蛮行を止めるために、何度も「山」に対して支配下に入るよう強く働きかけてきた。

しかし奴は私の支配下に入ることを条件に「海谷 陸斗山」への改名を求めてきたのだ。

「特別な事情がある場合に限り名の変更を認める」という戸籍法第百七条二を利用した「山」らしい姑息な対応だ。

どうやら私の「名前に山を入れることにより山を支配下に置きたい」という改名理由が正当と判断される訳かないとたかをくくってるのだろう。

山に関係した災害が発生するのは「山」がフリーカイヤンの支配下に入っていないことに起因するのは一目瞭然なのに、私の改名要求が通らないはずがない。

それになんだこの「海谷 陸斗山」というダサイ改名案は。

改名するなら「海谷 山陸斗」だろう。

バカの一つ覚えのように地名+山でしか名前がつけられない山界隈のセンスの無さを象徴している。

とにもかくにも私の支配から逃れ、恥も知らず暴れ回る「山」を私は決して許すことはできない。

いつか必ず奴を支配下に入れ、「海谷 山陸斗」を実現してみせる