私は「山」を決して許さない

本日8月11日は「山の日」である。

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨のもと2016年から新設された祝日だ。

私はこの「山の日」が大嫌いだ。おそらく日本の祝日の中で最も嫌いな祝日とも言えるだろう。

なぜ私が「山の日」が嫌いなのか

それは私の本名を見て頂ければすぐに分かると思う。

「海谷 陸斗 (かいやりくと)」

海、谷、陸は言うまでもないが、斗の由来もまた「北斗七星」いわば「空」からとっている。

つまり私は名前を通じて、これらの海、谷、陸、空といった地球の構成要素をほぼ支配しているのだ。

現在の地球の支配者は海谷陸斗であるといっても過言ではないだろう。

巷では影の支配者としてフリーメイソンの名前が上がることが多いが、

そんなフリーメイソンなど私フリーカイヤンからすれば取るに足りない烏合の衆に過ぎないのだ。

しかしこうした私の支配から逃れのうのうと生き永らえてる奴がいる。

そう「山」だ。

奴はフリーカイヤンの支配を逃れるだけでなく、雪崩や絶壁といった過酷環境イキリで多くの人々を死に至らしめ、

挙げ句の果てには自らの恩恵に感謝するようにと「山の日」まで設立させたのだ。

フリーカイヤンの支配を受けずに暴れ回る「山」の蛮行は本当に目に余る。

私は以前こうした蛮行を止めるために、何度も「山」に対して支配下に入るよう強く働きかけてきた。

しかし奴は私の支配下に入ることを条件に「海谷 陸斗山」への改名を求めてきたのだ。

「特別な事情がある場合に限り名の変更を認める」という戸籍法第百七条二を利用した「山」らしい姑息な対応だ。

どうやら私の「名前に山を入れることにより山を支配下に置きたい」という改名理由が正当と判断される訳かないとたかをくくってるのだろう。

山に関係した災害が発生するのは「山」がフリーカイヤンの支配下に入っていないことに起因するのは一目瞭然なのに、私の改名要求が通らないはずがない。

それになんだこの「海谷 陸斗山」というダサイ改名案は。

改名するなら「海谷 山陸斗」だろう。

バカの一つ覚えのように地名+山でしか名前がつけられない山界隈のセンスの無さを象徴している。

とにもかくにも私の支配から逃れ、恥も知らず暴れ回る「山」を私は決して許すことはできない。

いつか必ず奴を支配下に入れ、「海谷 山陸斗」を実現してみせる

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