快楽と開放の街アムステルダムpart1 〜開放を求めて〜

2021年8月 僕は強い閉塞感を抱いていた。

長く険しい就職活動が終わりを告げてからというもの、僕はウメハラらと共に中文というコミュニティを盛り上げるために奔走した。

飲み会、高尾山、流しそうめん 思いついたアイデアは何でも実行に移した。の

奔走の成果もあり、ほんの1年前まで荒廃し閑散しきっていた中文コースには多くのニュー・カマー達が集まり、従来では想像できないほどの活気が戻りつつあった。

しかし楽しい日々はそう長くは続かないのが世の常というものである。

例にもごとく中文コースはコース集まりの弱点でもある夏休み突入による集合口実の減少によって急速に集合率が悪化し、下火となっていった。

中文歴5年の僕にもなればこの流れが起きることは想定の範囲内だった。夏休みに「みんなで」「大勢で」なんて楽しみを期待してはならないのだ。

集まりの減少を見越して、僕は夏休みに関していくつかの予定を立てていた。

予定調和を愛するな。

某編集者がかつて声高に主張していた言葉だ。

その編集者を初めて知った時は僕も彼の世間の常識を打ち破る姿に感銘を受け、バカの一つ覚えのごとく「予定調和を愛するな」と吹聴し続けていた。

実際に今夏の予定調和は見事に崩れた。

夏の一番天気が良いタイミングだろうと見越して予定を立てた無人島サバイバル企画は季節外れの長雨により無念の延期となった。

8月のうちにできるだけ稼ぐという目論見もお盆中の発熱により志し半ばでの中断を余儀なくされた。

いざ予定調和が崩れた時に僕を襲った感情は喜びではなかった。

そこにあったのは閉塞感、端的に言えばシブさそのものだった。

店はやってない、長雨ばかり、自粛ムード

シブい。冷静にシブい。いつから日本はこんなシブい国になってしまったのか。日本に来た留学生が口を揃えて「日本は楽しい」と語っていたあの国はどこへいってしまったのか。

ぶつけようのない怒りとやり切れない閉塞感が僕を襲った。

そんな時にふと目に移ったのはイギリスのサッカーリーグでマスクもつけずに騒ぎ叫ぶ人々の姿だった。

彼らは自粛だとか医療崩壊だとか何も考えずに自分のしたいことを思う存分楽しんでいた。

欲しい。いま僕が欲しいのはこの環境なんだ。

彼らの本能に従って人生を謳歌する姿は僕の欧州旅行への士気を大いに高めた。

この閉塞感を打破するには環境を変えるしかない。

日本がダメならヨーロッパだ。

世界は広いんだ。自粛を愛する日本に留まり続ける必要はないんだ。

僕の閉塞感は少しづつ開放の瞬間を待っていた。

そして9月某日。ついに待ちに待った渡航の日がやってきた。

続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。