―ウメハラが止まらない―
きっかけは彼の歩き旅であった。
数日前 彼は「吉野家の桜が見たい」と言い残し横浜を去った。
つい最近まで「一人旅はさみしい」と語っていた彼が孤独の極致である歩き旅を続けることができるのだろうか。
「もって2日だろう」
僕は旅の継続を全く信じていなかった。
だがしかし
今回の彼は違った。
彼は横浜を離れてからの5日間、べらべらとインスタポエムを止めずに歩き続け、なんと静岡まで達したのだ。
早稲田大学から早稲田駅までの距離を歩くことすら嫌がり、常に自転車に乗っていたあの彼が。
僕は目を疑った。
そしてそれと同時に何か裏があるのではないかという勘が働いた。
彼を歩き中毒に陥らせる強力な動機がきっとある。
僕は彼の歩き動機を考えた。
頭の中にある彼の特徴を浮かべ続けること一瞬。
僕はついに1つの答えにたどり着いた。
承認欲求
彼は日夜インスタグラムで自らの輝く瞬間を投稿し、承認欲求を満たしている。
かく言う僕も彼のインスタポエムのファンの1人である。
しかし今回の歩き旅による不快感はインスタ投稿によって得られる承認快感を上回ったに違いない。
となるのと彼はインスタグラムとは別の手段で承認快感を得なければならない。
歩き続けることで承認を得られるものとは?
WERUNだ。
WERUNとはwechat内にあるアプリの1つで、登録したユーザーの1日の歩行数を携帯の揺れた回数から計数し、毎晩22時30分にこのようにランキング形式で表示してくれるものである。
そしてその日一番歩いた者のプロフィール画像が全てのユーザーの画面に表示される。
北京大学にて多くの友人を作った彼にとって、ランキングの頂点に立ち続けるというのはこの上ない快感に違いない。
事実ここ数日彼は頂点を独占し、「友情、努力、勝利」という歪んだ価値観を強要し快感を覚えていた。
価値観の強要を受けたくなければ歩け。
恐るべき2重ハラスメントである。
流石はハラスメントの権化。
彼はさらなる強要を身につけるために読書をしていたのか。
コロナウイルスの蔓延により外出自粛の風潮が広がる中でのこのダブルウメハラは悪質極まりない。
外出すれば自粛ハラスメントを受け、家に籠ればウメハラを受ける。
そんな彼の友人たちの悲痛な現実は想像に難くない。
これ以上ウメハラを放置するわけにはいかない。
僕が1位を奪い返して彼の横暴を止める。
そう決意した時既に僕の右手は携帯を掴み、上下に降り始めていた。
今回のウメハラ討伐にあたって僕は考えた作戦は2つだ。
・携帯フリフリ
・歩く
ここ数日ウメハラは1日平均45000歩という脅威の強要力を見せていた。
彼の強要を打ち破るには少なくとも50000歩は計上しなければならない。
僕のこれまでの最高記録はマカオに行った時の24000歩だ。
この日僕は朝7時に起きて何度もマカオ半島を往復していた。
間違いなくあの日は去年一番歩いた日であった。
そんな僕の渾身の歩きハラスメントを難なく越えるウメハラの45000歩。
この記録を純粋な歩きのみで越えるのは不可能のように思えた。
そこで僕が採用したのが作戦1「携帯フリフリ」である。
先述のようにWERUNは携帯が揺れた数を元に歩数を数えている。
このWERUNの特徴を考慮すれば携帯フリフリは間違いなく有効である。
まず携帯フリフリで25000歩を稼ぐ。
僕は例のごとく朝7時に起きて携帯フリフリを始めた。
始めて数分。僕はすぐさまこの作戦の欠点に気づいた。
退屈
携帯を振るということは携帯を弄れないということである。
あらゆるコンテンツを携帯の中に閉じ込めている現代っ子にとって、画面を見ることのできない携帯フリフリはただ腕の筋力をいたずらに消費する退屈の極みである。
携帯がないならパソコンを使えばいいじゃない。
マリー・カイヤントワネット
携帯のネットがダメならパソコンだ。
僕はパソコンを起動し、最近はまっているバブル期ドラマ「東京ラブストーリー」を観始めた。
ドラマの1話約50分を1セット、目は画面、手は携帯。
これなら退屈もしのぎつつ歩数も稼げる。
僕はこの妙案への期待からハイペースで携帯を振り続け、手早く2セットを消化した。
「2時間携帯を振ったのだからそこそこ記録は伸びているだろう。」
僕は期待に胸を膨らませ、そっと携帯を開いた。
4022
よしよし。良いペースだ。
僕はウメハラと大差のないペースで歩数を稼いでいることに安堵した。
この小さな安堵は慣れない早起きをした僕に強烈な眠気を与えるのに十分であった。
僕は眠りの世界に堕ちた。
この僕のわずかな隙をウメハラが見逃すはずがなかった。
再び目を覚ました時、僕は目を疑った。
ウメハラの記録が20000歩に伸びていたのだ。
他人が休んでいる時にも決してハラスメントを弛めない。
彼がウメハラとよばれる所以がここに詰まっているような気がした。
僕も慌てて2セットをこなし歩数を稼いだが、差が縮まることはなかった。
「もう歩くしかない」
ウメハラの圧倒的歩きハラスメントには小手先の携帯フリフリなど通用しない。
目には目を、歯には歯を、歩には歩を。
僕は目的地を家から約10km離れた温泉に設定し、歩き旅を始めた。
家から温泉までの道は9年前のちょうどこの時期、中学入学前に小学生最後として友達と自転車旅をした思い出の道だった。
思い出のある道を歩くのは意外に楽しく、僕はしばし戦いを忘れ回顧に没頭した。
歩く僕
歩き始めて1時間。
そろそろ回顧する思い出も無くなってきたので、僕は音楽を聴こうとポケットからイヤフォンを取り出そうとした。
ない
出かける前にポケットに入れたイヤフォンが無いのだ。
バッグの中を探しても無い。
退屈という敵が再び僕の前に立ちはだかろうとしていた。
歌え。
イヤフォンが無いときいつもどうしてたんだ。
イヤフォンなんてもんを知らなかった時、僕たちはどうやって音楽を楽しんでいたんだ。
歌だ。僕たちには歌がある。
コロナ騒ぎで道には人は少ない。
マッチョ マッチョ ビバマッチョ♪
僕の胸の中でフォーリンラブ♪
僕は歌った。
そんなこんなで約2時間。
ついに目的地の温泉にたどり着いた。
既に日は落ち、あたりの人影も一段と減っていた。
計画ではここで一度リフレッシュをして帰りの歩きに備えるつもりであった。
携帯を確認した。
ウメハラ 44000歩 僕 18000歩
ウメハラは僕の2時間を嘲笑うかのごとく、さらに歩数を伸ばしていた。
22:30の結果発表を考慮すれば、ここで温泉など入っている場合ではないのは火を見るより明らかだ。
僕は温泉の写真だけ撮ってすぐさま来た道を戻るように再び歩き始めた。
旅の一番の憂鬱は帰り道なのは当然だが、歩き旅の憂鬱度は他にも増してひどい。
行きにコンテンツを使い果たした僕にとって帰り道は「無」に他ならかった。
退屈を紛らわすために「ウヒョー」と奇声をあげたり、急にダッシュしたりと様々な策をとったが、どれも士気を上げるには至らなかった。
なぜ僕はこんなことをしているのか
ウメハラだ。全てはウメハラが悪い。
奴が歩きハラスメントを通じて世界中の人々を苦しめているからいけないのだ。
奴は既に4日連続で頂点を独占している。
5日連続のかかる今日頂点を獲得すれば、必ず強大なハラスメントを仕掛けてくるに違いない。
何としても止める。止める。止める。
苦しい時に力をくれるのはいつだって憎しみだ。
僕はウメハラへの憎しみをパワーに変え、必死に歩みを進めた。
そしてスタートしてから4時間、ついに僕は温泉-家間の往復を達成した。
流石にウメハラとの歩数差も縮まっているだろう。
なぜだ。
僕は目を疑った。
なぜまだ17000歩もあるのか。
時刻は既に21時に近づいていた。
これらの事実は僕の達成感を大いにへし折った。
しかしどれだけ差がついてもやることはただひとつだ。
「歩く」
僕は自宅付近の1週300mのグラウンドに繰り出し、再び歩き始めた。
慣れない長歩きは日頃運動不足な僕の体に容赦なく影響を与えた。
足の皮は剥がれ、節々が悲鳴を挙げていた。
こういった苦難の時、いったい何が一番の活力になるのか。
憎しみはもちろん力になるが、痛みが合わさった時は苛立ちに繋がる。
僕はもう一度ウメハラによる歩きハラスメントの根底にあるものが何か考えた。
彼の根底にあるのはやはり「承認」だ。
頂点を獲り自らの存在を誇示したいという承認欲求。
それこそが彼の底力の源だ。
僕も彼に習って「承認」をモチベーションにしよう。
「承認」
「承認」
「承認」
僕はこの承認フレーズを呪文のように唱え、有心で歩き続けた。
途中何度も走ったほうが良いのではないかと感じたが、僕の承認欲求はそこまでのパワーはくれなかった。
10週ほど歩いた頃だっただろうか。
結果発表の22時30分がやってきた。
敗北
負けた。
結局最後まで差を縮めることはできなかった。
僕にとってこの日はただ5時間歩いただけの日となった。
WERUNでの頂点をモチベーションに5日連続で30000歩以上歩いたウメハラ。
かたやたった1日すらウメハラを抜くこともできなかった僕。
この間には12000歩以上の差があると僕は感じた。
世間では馬鹿にされがちな「承認欲求」という言葉であるが、「認められたい」という根源的な欲求は時にとてもつもないパワーを発揮することがある。
どこかの秘密結社が時代は貨幣経済社会から人から評価を得る人間が豊かさを感じるという評価経済社会に変わると言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。
事実ウメハラは5日連続チャンピオンを獲ったことをタイムラインに掲げ、多くの称賛を集めていた。
いかにせよ僕の承認欲求ではウメハラを止めることはできなかった。
いつかさらなる承認欲求者がウメハラを止めることを願っている。