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快楽と開放の街アムステルダムpart2 人生を謳歌する人々の姿に感動

前回に引き続きヨーロッパ旅について語っていこうと思う。

日本で感じた閉塞感を打破するために僕は最初にオランダを渡航先に選んだ。

売春や大麻が合法であり快楽主義、開放主義的な雰囲気を持ち合わせるオランダは僕の閉塞感を打破するにはうってつけの場所のように思えた。

オランダまでの総移動時間は約1日。これまでの最長渡航時間がタイに行った際の6時間だった僕にとって途方もない移動時間だ。

開放という真逆の価値観を手にするにはそれだけ長い距離を動かなくてはならないのだ。

僕は若干衰えを感じる23歳の体に鞭を打ち、飛行機に乗り込んだ。

「これからオランダに行くのか」

正直なところ僕は全く実感がなかった。

ほんの2日前までは副反応で1日中寝込んでいたし、今日という一日も飛行機に乗るという行為を除いて特に変わりはなかった。

いつもと変わらず飯を食い、映画を見て、ゴロゴロする。記憶に残らない一日であるはずだった。

ただ僕は空港に向かい飛行鉄塊に乗っただけなんだ

そんな僕の感覚などお構いなしに飛行機はひたすらに目的地へと進み続けた。

実感などなくても飛行鉄塊にさえ乗ってしまえば目的地にたどり着いてしまうのが現代の性のようだ。

家から成田空港まで2時間半、成田空港からドバイ国際空港まで10時間、3時間の接続を挟み、オランダ・アムステルダムまで7時間。

出発から22時間と30分。実感0の僕はアムステルダムに降り立ってしまった。

他の乗客に押し出されるがままに飛行機を降り、暗黙の流れに従い、入国ゲートにたどり着く。

入国ゲート前に長い蛇の如く列をなした人々の姿は僕にほんの少しだけ旅の実感を与えた。

そしてこの入国ゲートは僕に与えたものは旅の実感だけではなかった。

大蛇のような見た目に反して入国ゲートは素早い回転を発揮し、ものの数分で僕の番がやってきた。

僕はパスポートと入国前に大金をはたいて獲得した陰性証明を準備した。

だがしかし、入国管理官が要求したのはパスポートのみだった。彼らは僕の顔とパスポートの顔が一致していることを確認すると、適当にスタンプを押し、入国審査を終了した。

オランダ政府のHPには陰性証明が必要と書いてあったが…

世の中 ネットの情報だけではわからないことがまだまだたくさんあるようだ。

なにはともあれ流石は開放の国オランダ。どんな奴らにもとりあえず国境は開放、面倒な証明作業の仕事から入国管理官も開放。

入国早々開放のワンツーを決められた僕は異国の地に降り立ったという実感を否応なく獲得することになった。

しかしこの程度の開放は開放大国オランダにとってほんの序の口でしかなかった。

あっという間の入国審査を終えた僕は地下鉄塊に乗り文字通りアムステルダムの中心であるアムステルダム中央駅に向かった。

地図を見るとよく分かるがアムステルダムはアムステルダム中央駅を起点として巨大な歓楽街が広がっている。

開放といえば歓楽街という安く直球な考えで僕はアムステルダム中央駅周辺に宿をとっていた。

こうした僕の考えとは真逆な高く曲がりくねった地下鉄塊に乗ること20分。ついに開放の中心アムステルダム中央駅に到着した。

そこにあった光景は僕の期待を遥かに上回るものであった。

雲ひとつない快晴。美しく荘厳な建築物。マスクもつけずに街を楽しむ人々。

これだよ。これが欲しかったんだよ。

僕が日本で感じた閉塞感を木っ端微塵に破壊する環境がアムステルダムにはあった。

その中でも特にこの街の人々の振る舞いには大いに考えさせられるものがあった。

ある者は酒を飲み、ある者は大麻を吸い、ある者は性に溺れる。

街の人々はコロナはただの風邪といわんばかりに、それぞれやりたいことをやって人生を謳歌しているように見えた。

#全国民平塚正幸

日本とオランダにおけるコロナ感染者比率はそう大差はない。

医療を守るために延々と自粛を続ける日本、コロナなど忘れて人生を謳歌するオランダ。

どちらが良い対応なのかを決めるのは難しいが、少なくとも世界には様々な考え方があるということだ。

#あたりまえ

郷に入れば郷に従え。

この自由闊達な雰囲気を求めてオランダに訪れていた僕はそう自分を納得させ、自らの快楽の赴くままに行動することにした。

食いたいもんを食い、

日本のコロッケの元となった料理らしい

いきたい所にいき、

眠い時に寝る。

幸せだ。今までの閉塞感が嘘のように僕はオランダを満喫した。

そして開放・快楽主義に溺れ続けたオランダ旅も最終日をむかえた。この日 僕はオランダの開放・快楽主義の真髄を見せつけられることとなる。

続く

スーパーパンプマックスの使い方を考える その2

前回に引き続きスーパーパンプマックスの効能について考えていきたいと思う。

前回の即興パンプ体験では以下のことが分かった。

  • 心臓のパンプスピード向上
  • 行動力向上
  • パワー向上
  • 思考力の低下

この特徴を考慮した時、スーパーパンプマックスが力を発揮する機会とは何か。

思考力低下の副作用ゆえに知能労働は向かない。

知能がダメならパワーだ。

知恵よりパワー。パワーは全てを解決する。

やはりスーパーパンプマックスはパワーを発揮する分野で力を授けてくれるはずだ。

しかし僕はあいにくトレーニーでないので、日常でパワーを求められる機会はない。

いや 違う。僕は自らのパワー不足を言い訳にパワーを伴う活動を避けているだけじゃないのか。

自分のパワー不足からパワー労働に逃げているだけだろ。

パワーがあったらしたいことは必ずあるんだ。

スーパーパンプマックスがある今ならできる。何でもできるんだ。

僕はパワーがあったらやりたいこと。

僕の頭に真っ先に浮かんだものがあった。

瓦割り

僕は幼少期からテレビや映画で登場する瓦割りに対して密かな憧れを抱いていた。

最強にパンプした屈強な人々が己の拳のみで頑丈な瓦板を粉砕する。

その人間は非力であるという常識を根底から覆す爽快な破壊っぷりは僕の心を揺さぶった。

瓦を割りたい。

最強にパンプした僕ならできるはずだ。

パワーがあれば夢は叶う。

こうして僕は瓦割りへの挑戦を決意した。

瓦割りとは言ってもまずどこに瓦を割れる場所があるのか。

調査を進めていくとなんと浅草に瓦割りを体験できる場所があることが分かった。

世の中はやはりパワー優先だ。

パワー系たちを満たすニーズは必ずある。

僕は予約を取ろうとwebサイトを訪問したが、当日申し込みのみで、予約は受け付けていないようだった。

流石パワー系客層を持っているだけある。パワー系にとって瓦は割りたい時に割るもの。予約という概念が通用しないのだろう。

僕は予約を諦め、一路浅草へ向かうことにした。

浅草駅から店までは約10分。

僕はスーパーパンプマックスの効果が現れる時間を考え、新橋駅でパンプを注入した。

新卒駅から浅草駅まで約10分

浅草駅に到着するころには既に僕のパンプは始まっていた。

まんぼうなんてどこ吹く風、浅草周辺は和風かぶれの小日本人がわんさか沸いていた。

「全員ぶっ飛ばす」

パンプが止まらない。

僕は通りかかった小日本人たちの頭を片っ端からカチ割りたい気持ちでいっぱいだった。

暴れるパンプを必死に抑えながら歩くこと10分、ようやく瓦割り店が現れた。

やっと瓦が割れる。やっぱりカチ割るのは頭ではなく瓦だ。

僕の割りベーションは最高潮に達していた。

しかし

そこに待ち受けていたのは厳しい現実だった。

はいぐ~「瓦割りがしたいです。」

店員 「あ~ 今からだと一時間半待ちですね」

一時間半待ち!?

今日ほどストレス社会の現実を思い知った日はないだろう。

世の中には瓦を割らなければ生きてゆけないほど鬱屈としている人々が大勢いるのだ。

僕が単に観光で浅草に来ているのなら、一時間半なんてどうってことない。

しかし今日はパンプを入れているのだ。

パンプの効果時間には限りがある。

そう パンプは待ってくれないんだ。

僕は泣く泣く瓦割りを諦めた。

店を出た僕は失意のまま浅草の街を歩いた。

気持ちは落ち込んでいる。でも体は動きたがっている。

僕の中のパンプが解放してくれと叫んでいる。

#パンプが叫びたがってるんだ。

そんな心体不一致な僕の目の前にある思い入れの深い施設が現れた。

バッティングセンター

僕が以前 反射神経向上を目標に通った思い出の施設だ

当日は140kmの豪速球に手も足も出なかった。

でも最強にパンプした今なら…

パンプの結果を試すにはうってつけの施設だ。

打ってやる 140km 打ってやる

僕の心が再びパンプを始めた。

心と体の一致を果たした僕はギラギラとした雰囲気を纏わせ、バッティングセンターに入った。

しかし

そこで待っていたのはまたしても残酷な現実だった。

混雑 圧倒的混雑。

打撃成績をパンプしたい少年たちが黙々と鍛練を重ねる場であるはずのバッティングセンターは老脈男女が入り乱れる娯楽施設へと姿を変えていた。

これでは僕の打席がいつ回ってくるのか想像もつかない。

何度でも言おう。

パンプは待ってくれないんだ。

僕は再び失意のままバッティングセンターを後にしようとした。

だがその時 僕の視線の先にある娯楽が登場した。

「ザ・握力」

中央にあるレバーを力いっぱい握るだけという思考力を問わない簡素な構造。己の肉体をこれでもかと見せつけるパンプ感あるキャラクター。

僕のパンプ効果を測るにはぴったりの存在だと感じた。

そうだ。力を測るうえで何もバッティングである必要はない。

すっかりこの「ザ・握力」に魅了された僕はコインを入れ、画面の指示通り力いっぱいレバーを握った。

見ろ これが僕のパンプだ!!

47kg

あまりにも微妙な結果に僕はしばし唖然とした。

そうか スーパーパンプマックスは普段から鍛練を重ねる者にパワーを授けてくれるのであって、普段からゴロゴロ生活をしている者を一瞬で強くするサプリメントではないのだ。

ゴロゴロ民が飲んだところでせいぜい強くなった気がするだけだ。

ただその一方でスーパーパンプマックスがなかったとしたら、瓦割りに興味を持つこともなかったし、浅草に行くこともなかった。

そして何よりこの記事を書くこともなかっただろう。

僕はスーパーパンプマックスの真の効能はここにあると考える。

自分が普段しないことに挑戦する勇気をくれる。

これこそがスーパーパンプマックスの真の効能なのだ。

スーパーパンプマックス。ぜひ一度お試しあれ。

海谷陸斗企画 ~陸斗マンションの謎~

同名。

僕は同じ名前を持つ存在と出会った際に他とは違う親近感を覚える。

全国名字ランキング5583位という珍名中の珍名「海谷」を持ち、普段めったに同名の者と会うことがないからであろう。

「海谷」という名を持つ者を見かけると感心を持ち、読み方が「カイヤ」であれば強い仲間意識、「ウミタニ」であれば、強い失望を抱くということがこれまでに多々あった。

#同名に対する同盟意識

このことは地名においても同様である。

世の中にはごくわずかだが「海谷」を名乗る地名がある。

海谷渓谷 海谷住民ちびっこ広場 etc

しかしどれも「ウミタニ」「ウミダニ」だとかいう「偽海谷」であり、同名への期待を膨らませた僕を幾度となく失意のどん底に叩き込んだ。

そんな偽海谷だらけの世の中で唯一「カイヤ」という読み方を持つ真の「海谷」地名があった。

「海谷公園」

この真の「海谷」の名を持つ「海谷公園」は数々の偽海谷に騙されていた僕を慰めるに十分な存在であった。

海谷公園は真の「海谷」の名を持つ海谷一族にとっての聖地であり、一度は必ず巡らなくてならない場所に違いない。

そこで僕は昨年8月、「海谷陸斗」企画と称し、実際に聖地巡礼を敢行した。

ローカルガイドからは「記憶に残らない場所」と辛辣な評価を受けた「海谷公園」だが、僕にとっては聖地。むしろ一生の思い出に残る聖地巡礼体験であった。

あれから約半年。巡礼を果たした達成感に浸る一方で、どこか足りない思いを常々感じていた。

僕は同名に対する同盟意識を考える際、なぜか「海谷」にばかり焦点を当てている。

確かに僕は普段「海谷」以外の名で呼ばれることはほぼない。最近では両親ですら「あんた」に変わった。そんな環境では「海谷」にばかり意識がいくのも無理はない。

しかし僕の真の名前は海谷海谷ではない。

僕の名前は海谷陸斗である。

「海でも谷でも陸でも空(北斗七星)でも、どんなところでもたくましく生きていけるように」

両親の強欲な願いが込められ、僕は「陸斗」という名を授かった。

「海谷」にのみ注視するのはそんな両親の願いをも無視する冒涜行為だ。

「海谷」の聖地を巡ったのなら「陸斗」の聖地も巡らなければならない。

僕はすぐさま「陸斗」を持つ地名を調査した。

「海谷」に比べて「陸斗」を持つ地名は非常に少なかった。

そんな中でも関東から東海、東海から関西といった具合に粘り強く範囲を広げていくと、一つの地名にたどり着いた。

「陸斗マンション」

生まれてこの方22年、ひたすらマンションに住み続けていた僕にとってマンションは非常に身近な存在である。「陸斗」という名前がついているならなおさらだ。

僕にとって間違いなくこの「陸斗マンション」は聖地だ。

僕にはこの聖地への巡礼を果たす義務がある。

こうして僕の「陸斗マンション」巡礼が始まった。

「陸斗マンション」は大阪府枚方市にある。

僕は例のごとく地獄の暴走巨大四輪車に乗り込んだ。

あらゆる自由を奪われ、老若男女が犇めく四輪車ですし詰め地獄を食らうこと8時間。

四輪車は聖地への入り口である大阪なんば駅に到着した。

8時間に及ぶすし詰め地獄の結果、身も心もすっかり荒みきってしまった。

この状態で「陸斗マンション」に訪れるのは聖地への冒涜にあたる。

聖地巡礼を行うにはこの荒みきった身と心をととのえる必要がある。

僕は聖地巡礼への準備として、地獄で喰らった荒みをととのいに変えるユートピアへ向かった。

すし詰め地獄の四輪車とはうって変わり、湯ートピア内部は数人の髪の長い老人がいる他には、ほぼ貸し切り状態のユートピア。

いつも通りのサウナセットを繰り返すうちに、みるみるうちに荒みがとれていくのを感じる。

湯ートピア。あぁ湯ートピア ユートピア

極上のユートピア体験を果たした僕は足早に仮眠スポットへ向かい、夢の国へと入り込んだ。

夢から覚めると時刻は13:00を廻っていた。

湯ートピアのあまりのユートピアっぷりに僕はしばし本来の目的を忘れてしまっていた。

僕は聖地巡礼のために大阪にやってきたのだ。

いつまでもぬるま湯に浸かっていてはいけない。

夢から覚め、我に返った僕はすぐさま外出の準備を整え、素晴らしき湯ートピアを後にした。

向かう先は1つ 枚方市だ。

枚方市は大阪と京都の中間に存在する地方都市である。 

ひらかたパークといった関西人に馴染み深い場所も存在するようだが、一般的な関東人にとっての印象は薄い。

しかし僕にとっての枚方市は聖地「陸斗マンション」を有する都市である。

チベット教徒が聖地ポタラ宮殿のあるラサに特別な感情を抱くのと同じように僕もまた枚方市に特別な感情を抱いている。

陸斗マンションには何があるのか。

陸斗マンションの由来とは何なのか。

溢れんばかりの好奇心から僕の気持ちは自然と高揚した。

電車に揺られること約30分。

僕は「陸斗マンション」の玄関口 枚方市駅に到着した。

聖地「陸斗マンション」は枚方市駅から約10分の場所にある。

横浜を出発して16時間、過酷な旅を経てついに念願の「陸斗マンション」が近づいている。

気持ちの高鳴りと共に自然と足取りも軽い。

僕は10分と表示された道のりをものの数分で走破した。

「陸斗マンション」と表示されている場所にはアパートが建っていた。

左側の建物

ついにあの「陸斗マンション」が目の前まで迫っている。

僕は興奮を抑え、恐る恐るアパート名を確認した。

「ラ・フォーレ壱番舘」

!?

なんやラ・フォーレって?

ここは「陸斗マンション」じゃないんか。

僕はすぐに地図を確認した。

ある。ここには必ず「陸斗マンション」があるはずなのだ。

おかしい。何かがおかしい。

僕は付近のアパートの名前をしらみ潰しに捜索した。

しかしどこのアパートもラ・フォーレ二番館だか、エストリザイアだとか「陸斗マンション」とは似ても似つかない名前のものばかり。

嫌な予感がよぎる。 

いやまだ始まったばかりだ。知らない土地では地図だけで目的地にたどり着けないこともしばしばある。

枚方市民でもない僕の捜索には限界があるのだ。

枚方市のことは枚方市民が一番良く知っているに違いない。

僕は地図上で陸斗マンションの隣にあるcafeビアンコを尋ね「陸斗マンション」の場所を尋ねた。

左側 ラ・フォーレ壱番舘 右側cafeビアンコ

はいぐ 「(地図を見せて)この陸斗マンションってところに行きたいのですが」

店主 「この店の裏側に何個かアパートがあるからそれのことかもしれない」

裏側は盲点だった。

やはり陸斗マンションは存在するのだ。

僕は営業中にも関わらず、貴重な情報をくださった店主に感謝し、cafeビアンコの裏側に歩みを進めた。

しかし

裏側の光景は僕を絶望のどん底に叩き込んだ。

駐車場。

何個かあるアパートとは何だったのか。

目の前にはアパートとは最も遠い茫漠とした平地が広がっていた。

「陸斗マンション」は存在しない。

偽情報を提示したgoggleマップへの怒り、16時間かけてやって来た先にあったものが駐車場だったことへの徒労感、陸斗マンションがなかったことへの悲しみ。

様々な感情が僕の頭の中を渦巻いた。

そして一通り感情が巡ったのち、陸斗マンションへの疑問が湯水の如く沸き上がった。

  • なぜ枚方市の地図に突然現れたのか 
  • なぜ登録がレストラン扱いなのか
  • なぜ陸斗なのか
  • なぜcafeビアンコの店主は嘘をついたのか

陸斗マンションには謎が多い。聖地巡礼を果たすことはできなかったが、聖地にまつわる謎は必ず解明しなければならない。

陸斗に関する謎を解明することが僕の陸斗としての使命だ。

僕は謎解明のヒントを考えた。

1 いたずら

陸斗愛の強い人物が「陸斗」の名がつく地名が少ないことに憤慨し、陸斗マンションを登録した?

いや それはおかしい。なぜ枚方市なのかという疑問が残るし、適当な名前で地名登録が可能なら今ごろgoggleマップには「直輝マンション」やら「湧馬マンション」、「新マンション」に「康介マンション」が乱立しているはずだ。

あれだけ堂々と地図上に登録されているのなら、何らかの根拠があるに違いない。

2 過去に存在した

以前枚方市に存在した「陸斗マンション」が何らかの理由で取り壊されたが、地図上に反映されていない。

これは非常に有力な説である。実際に存在していたのなら、地図上に登録される根拠になり得たはずだ。

goggleマップの情報は個人の提供に委ねられている。

「陸斗マンション」が失くなったことを枚方市民がgoggleに報告していなかったため、いまだに地図上に残り続けているという仮説は比較的理にかなっている。

「陸斗マンション」の存在を確かめるためには必要なものは1つ。

地図だ。

地図の不確かさを検証するには確かな地図を用いるしかないのだ。

確かな地図が置いてあるのはインターネットではない、図書館だ。

僕の次なる目的地は枚方市中央図書館に決まった。

陸斗マンションから枚方市中央図書館までの道のりは約40分。

聖地巡礼失敗からの落胆にうちひしがれた僕の体にはあまりにも長い道のりだ。

太陽は既に1日の役目を終えようとしていた。

それでも僕は歩いた。ひたすら歩いた。

陸斗マンションの謎を解明したい。その一心で。

図書館には必ず真実があるはずだ。

歩き始めること40分。ついに僕の目の前に図書館が現れた。

ついに真実を知れる。僕は安堵と喜びに震えた。

しかしそこで待っていたのはまたしても残酷な現実であった。

なぜだ なぜ人々は「陸斗マンション」の真実から僕を遠ざけるのか。

陸斗マンションには陸斗が知るべきではない重大な真実が隠されているのだろうか。

cafeビアンコの店主も僕が陸斗であることを察して、僕を気づかうために偽の情報を与えたのかもしれない。

陸斗が知るべきでない真実とは何なのか。

謎はいっそう深まるばかりだ。

美味さが全て~家系ラーメン論争~

「緊急事態宣言延長」

この宣言は長引くコロナ渦において客足の減少に苦しむ飲食店たちに悲しみと絶望を与えた。

「正直うんざり」「もう終わりだ」といった悲鳴が飲食業界各地から聞こえることも多い。

一方で緊急事態宣言なんてどこ吹く風、強い集客力で繁盛を極め続ける飲食店もある。

吉村家だ。

異常な混みを見せる吉村家(2021/2/6 12:00撮影)

某道家など数多くの悪徳飲食店を世に送り続ける家系ラーメン界隈の元祖として熱狂的な支持を集める一流ラーメン店。

世界屈指のラーメン激戦区横浜駅周辺においても、その唯我独尊とも言わんばかりの圧倒的な人気で頂点に君臨し続けている。

いま横浜で一番人口密度が高い場所といっても過言ではないだろう。 

しかし僕は吉村家徒歩圏に住む横浜市民の一人としてこの異常とも言える人気に疑問を抱き続けていた。

何を隠そう僕は大のアンチ吉村家だ。

理由は簡単。吉村家が大量の悪事を働いていることを知っているからだ。

      吉村家の悪事一覧

  • 行列詐欺(10席以上連続で席が空かないと店に客を入れない)
  • 行列詐欺で道を塞ぐ
  • ライスのお代わりを導入しない
  • 時短要請に応じない
  • 道にスープの残り汁をばらまく

これらの悪事は吉村家が犯した罪のほんのわずかに過ぎない。

行列による待ち時間はもちろんのこと、上記のような悪事を知っている僕は吉村家=悪、横浜を知らない田舎っぺがありがたがる食いもんという認識を持ち、頑なに吉村家を避け続けてきた。

吉村家を避け続ける僕が行くラーメン屋といえば一つ。「横浜家」だ。

異常な空き具合を見せる横浜家(2021/2/6 12:00撮影)

この横浜家は吉村家の真向かいという超良立地にあるのにも関わらず、常に異常な空き具合を見せている。

僕はこれまで22年間横浜に住み続けているが横浜家に行列ができていることはいまだかつて見たことがない。

とはいえ横浜家は決して劣ったラーメン店ではない。むしろ多くの点で吉村家を上回っている。

まずは値段。写真からわかるように横浜家のラーメンは500円だ。これは吉村家のラーメンが720円であることを考慮すると明らかに安い。

安いからといって質素な訳ではない。

横浜家の500円ラーメン

写真でわかるように家系の基本トッピングは網羅しているし、味もあっさり系で悪くはない。

そして何より横浜家はスタンプカードを導入し、リピーターを労うという称賛に値するおもてなし精神を持ち合わせている。

「お客様はわが味の師なり」とか言いながら何のサービスもせず殿様商売を続ける吉村家は大きく異なるのだ。

以上の理由から僕は吉村家はにわか、横浜家こそが至高と自らに言い聞かせ、横浜家に足しげく通い続けていた。

そして発表された緊急事態宣言。世間では密を避けろの大合唱。吉村家の集客力も衰え、ついに横浜家の時代がやってくる。

横浜家の可能性を信じ続けた僕は世間が目を覚ますのを信じて疑わなかった。

結果はどうだろうか。

吉村家は大繁盛、横浜家は閑古鳥。

状況は何も変わらなかった。

何が人々を吉村家に向かわせるのか。

僕はこれまで無意識に吉村家=悪と決めつけていた。しかし本当に悪ならばこれだけ多くの人々が集まるだろうか。

僕は悪という先入観に囚われ、吉村家の魅力を見失っているのではないか。

吉村家の良さを知るためには吉村家に行くしかない。

こうして僕は約5年ぶりに吉村家の行列に並び始めた。

並び始めて数分、吉村家お得意の行列詐欺が始まった。奴らは列が3列になり、隣の店の前にまで達しそうになると、店に客をまとめて入れて、行列解消を図る。

行列が減ったらまた、店の前を行列が埋め尽くすまで、客を店に入れず待つ。

こうして奴らは店の前に一定の行列が出来る状態を保っているのだ。やはり悪の権化 吉村家。

開始早々不快な光景を目の当たりにした僕は並びを止めて目の前に立つ横浜家に入ろうか迷った。

しかし今日は何としても吉村家を食わなければならない。

不快な気持ちは文章で発散せよ。

僕は本ブログを開き吉村家の悪事を書き始めた。

悪事を書くこと約1時間、ようやく行列詐欺も終わり、僕は吉村家店内へ足を踏み入れた。

注文はもちろん硬め、濃いめ、多めだ。

硬め、濃いめ、まずめが出ないよう願うこと数分、ついに吉村家自信の一杯がやってきた。

オーソドックスな家系ラーメンだ。ここまででは横浜家と大きな違いはない。

問題は味だ。若き日の貴重な1時間を捧げる価値はそこにあるのか。

僕は恐る恐る麺をすすった。

うまい うますぎる

スープの濃厚さ、麺の固さ、ほうれん草のシュワシュワ度、全てが最高だ。

僕は先ほど横浜家のラーメンをあっさりしていると評したがそれは間違っていた。単に横浜家は味が薄いだけなんだ。

家系ラーメンとは本来こういう味がするもんなんだ。僕は斜に構えるがあまり家系ラーメン本来の味を忘れていた。

なぜ人は吉村家に並ぶのか。

その答えは一つ 味だ

家系ラーメンの美味さを体感する。ただこのためだけに人々は寒空の中、密をも忘れ並び続けるのだ。

飲食店は味が全てだ。

どれだけ吉村家が悪事を働らこうが、ラーメンの味さえ良ければ人々は吉村家に好評価を下すのだ。

横浜家がどれだけ値下げして、サービスを上げても、味という点で劣れば、吉村家に集客で勝つことはできない。

飲食店にとって一番のサービスとは美味しさなのだ。

僕は飲食店の本質をまざまざと見せつけられたような気がした。

いずれにせよ吉村家が美味しかったのは事実だし、人々から人気を集めているのも事実だ。

僕はこれまでアンチ吉村家を掲げ、「吉村家は大したことない」と語り続けてきたが、認識を変えなければならないだろう。

横浜の武道家と

万物は反射神経である 1

万物は反射神経である。

これは2020年11月、僕が出した結論の一つだ。

なぜ反射神経なのか。

これから綴る内容を読めばあなたも理解できるはずだ。

僕は先日TOEICを受けた。

就活に使えそーとか英語力測りたーとかいう安直な理由からだ。

もちろん勉強はしていたが、留学後のワンチャンスに掛けていたHSKに比べて気の緩みは明らかだった。

こうした緩みは試験当日にしっかりと表れた。

僕は試験の必須品とも言える時計を忘れてしまったのだ。

時計の無い試験会場と豪勢な時計をテーブルに誇示する受験者たちの姿を目の当たりにし、一瞬焦りを覚えたが、「10分前になったら試験官が教えてくれるだろう」という安易な想定に身を委ねてしまい、その時はあまり深く考えなかった。

若干の不安を覚えつつ試験は始まった。

人間とは不思議なもので不安があろうが、気が緩もうが、試験が始まった途端に忘れてしまう。

僕もその例外ではなく絶え間なく現れる英語と格闘しているうちに時計のことなどすっかり忘れてしまっていた。

そして試験も残すところあと15問。

「以外といけたんじゃね」

そんな考えがちらほらとよぎる頃だった。

‘試験を終了します。解答を止めてください’

!?

終わり!?

10分前コールは?

初老試験官の無情な宣言により試験は突然終了した。

唖然とする僕を尻目に初老試験官は手際よく試験用紙を回収していった。

僕が最初に覚えた感情は怒りだった。

試験終了10分前を告げない初老試験官への怒り、腕時計を忘れた自分への怒り。時計を置かない試験会場への怒り。

しかし僕はこれらの怒りが全て的外れであることにすぐに気がついた。

何が一番悪い?

全ては僕の英語力不足だ。

全ては僕の読解速度の遅さだ。

試験官、試験会場、腕時計 仮に全部理想であっても15問落とす事実は変わりないのだ。 

ではなぜ長文読解が遅いのか。

長文読解の肝は大量の英文と英単語に対して素早く反応して理解することである。

いわば英語への反射神経力は読解力に直結する。

僕にはこの反射神経が圧倒的に足りていなかった。

反射神経を高めなければ、時間内に全ての問題を解くことはできない。

僕の反射神経強化訓練がここに始まった。

続く

サウナ道~男たちの戦場~

サウナ そこは男の戦場。

数々の修羅場をくぐり抜けてきた

屈強な男たちが己の限界に挑戦する…


僕は生まれて22年間、いまだ理解できずにいた問いがあった。

なぜ人はサウナに魅せられるのか。

近年男たちの間でサウナ活動は「サ道」「整う」といった言葉と共に流行を博している。

僕はこの流行に強い疑念を持っていた。

僕は夏場の売りセンで部屋に入った途端、エアコンを最低温度にまで設定する男たちの姿を通じて、いかに男たちが暑さを嫌っているかを知っている。

もちろんサウナは暑い。

ではなぜ暑さを異常に嫌う男たちが暑いサウナを愛好するのか。

また「整う」という言葉も僕にはいまひとつ理解の及ばない概念であった。

一説によると高温のサウナと低温の水風呂を交互に入ることで「整う」という境地に達することができるらしい。

サウナを訪れるのは脂ぎった男たちが多数を占めている。

自らの脂ぎった身体すら整えられないのになぜサウナと水風呂を往復しただけで「整う」のか。

サウナについて考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。

おっさんを制する者が人生を制する

今後社会の荒波をくぐり抜けていくためには、金と権力を持つ男たちのトレンドに敏感になり、友好な関係を築くことが重要だ。

男たちのトレンドを理解する一環として、サウナの良さを知る必要があるかもしれない。

百聞はサウナに如かず。

僕は実際にサウナへ足を運ぶことにした。

早速サウナの情報を調べてみると、なんと横浜市に関東一冷たい水風呂を自称するサウナがあることを発見した。

その名もヨコヤマ・ユーランド鶴見 

スーパー銭湯元年と呼ばれる平成2年にオープンしたといういかにも脂ぎった男たちが集まりそうなサウナである。

僕は行き先を定め、電車とバスを乗り継ぎサウナへ向かった。

(ちなみにヨコヤマユーランドの水風呂が9度なのに対し、池袋かるまるの水風呂は7.6度なので、関東一冷たい水風呂はデマである)

出発から約30分、目的地に到着したという表示を確認し、顔をあげるとそこには若者を拒絶するかのような昭和の香り漂うスーパー銭湯があった。

ここは間違いなく男たちの巣窟だ。

僕はすぐに受け付けを済ませ、脱衣場へと向かった。

脱衣場に若者の姿は無かった。

恐らく平均年齢は50を越えているだろう。

男たちのトレンド検証にはぴったりだ。

そんなことを考えながらあられもない姿になった僕はサウナとの戦闘の準備を整えるために、スーパー銭湯名物の温泉に浸かることにした。

温泉にはぬる湯と熱湯があったが、丁度良い湯は無かった。

温泉に浸かっている間も、僕の視線は常に数々の湯を押し退け中央に鎮座する水風呂と次々と男たちが消えていくサウナに注がれていた。

サウナには何があるのか。

好奇心から来る高揚感は温泉以上に僕の身と心を温めた。

戦闘準備を整えた僕はサウナの扉に手をかけた。

そこには僕の想像を越える光景が広がっていた。

10畳そこらのサウナに脂ぎった男たちが所狭しと座っていた。

その息を切らし、汗を垂れ流す男苦しい様子は北京ゲイサウナを彷彿とさせた。

形の違いはあれサウナで見られる光景はどこも同じなのかもしれない。

僕は唯一空いていた一番熱い釜戸前に座り、男たちを観察した。

びっしょりと汗を流しじっと俯く男、息を切らして天を見上げる男。ひたすらに時計の針を見つめ、出る時間をいまかいまかと待つ男。

実に多様な男たちの姿がそこにはあった。

彼らみな己と戦っていた。

少しでも長くこの場にとどまろうと。

しかしまだ僕には彼らが戦う理由は分からなかった。

何のために? 何が楽しい?

そんな疑問を浮かべているうちにも釜戸の熱線は容赦なく僕を照りつけた。

僕は己の限界を感じ、一旦外へ飛び出した。

「水風呂無くしてサウナ語るべからず」

サウナ前には冷に餓えた男たちを待ち構えるかの如く、青々とした自称関東一冷たい水風呂が鎮座していた。

今までの水風呂はせいぜい15度そこらだった。

9度の水風呂は明らかに未体験ゾーンだ。

僕は近くのシャワーを浴びて水風呂の前に陣取った。

正直全く入りたくなかった。

しかしどこかのウメハラが言っていた「自分が嫌なことをやらなきゃ意味がない」という言葉が僕を奮い立たせた。

そうだ自分が嫌なことをやれ。じゃなきゃ新しい発見はない。

僕は意を決して水風呂に足を踏み入れた。

ヤバい。エグい。

水風呂に入り肩までつかると、僕は全身の筋肉が一気に引き締まるのを感じた。

氷水にいきなりぶちこまれる魚はこんな気分なんだろう。

僕は実の危険を感じ、15秒を経たないうちにすぐさま飛び出し、熱を求めてサウナへ逃げた。

なんだあれは。

サウナに逃げ込んでしばらく立ってもふくらはぎの張り詰めた感覚が残っていた。

あんなのにここの男たちは入り続けているのか。

僕は彼らに尊敬と畏怖の念を覚えた。

水風呂を経たからであろうか。

僕は最初に入った時よりもあまりサウナを熱く感じず、気づいた時には最初の倍近い時間サウナに滞在していた。

僕はここである新しい感情に出会った。

達成感だ。

以前よりも長い時間サウナにいたことから、自らの耐久力向上を実感し、僕は達成感を覚えていた。

ただ座っていただけなのに、自分が成長した感覚があった。

その感覚は僕がここ最近で得られていないものであった。

なんだこれは。

その後僕は意識的にサウナと水風呂を前回よりも長く入るように心掛けた。

10秒 20秒 30秒

3分 5分 7分

時間を意識することで圧倒的に苦しさは増した。

しかし自らの目標時間をクリアした時、確かに達成感と爽快感を得ている僕がいた。

これだ。

この感覚こそが世の男たちを魅了しているんだ。

サウナに訪れる男たちは圧倒的に中年以上が多い。

彼らは生活の中で、日々自らの衰えを感じ続けている。

人生のピークを終え、自らに迫り来る老いを淡々と待つ生活は残酷極まりない。

そんな中、彼らはサウナで「耐える」という単純な行動を通じて、自らの限界を越え、成長を感じる。

彼らにとってサウナは老いを感じ続ける日々に抗い、成長を目指すことのできる数少ない場所なのである。

ここはスーパー銭湯じゃない。

スーパー戦場なんだ。

無情な老いに抗う男たちが己の限界と戦う汗と涙の戦場なんだ。

そのことに気づいた僕の男たちへの印象は完全に変わっていた。

確かに彼らはみな脂ぎった体をしているかもしれない、しかしその体の中には老いてなお成長を目指すのを止めない屈強な精神力があるのだ。

僕にはこの男たちのような屈強な精神力はまだない。

サウナは人を強くする。

サウナの底知れる可能性を知ったサ道体験だった。




ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

釣り 大漁 自捌き 唐揚げ 幸せ

間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


ただ空を飛びたかったんだ

僕は9月1日~3日まで関西を旅行した。

腐るほど訪れた気のする関西へ大学4年にもなって何故旅行したか。

それはひとえに「空を飛ぶため」に他ならなかった。

8月はウメハラの月だった。

バンジージャンプ 釣り 飲み会 八ヶ岳 インターン

彼は溢れるバイタリティーを放出し、暴虐の限りを尽くしていた。

このご時世、思うように活動できず苦しむ人もいる中、暴虐無慈に人生謳歌ハラスメントを行うウメハラは明らかに全世界の脅威となっていた。

そんな彼が唯一取り残した活動があった。

スカイダイビング。

目には目を 歯には歯を。

僕たちがスカイダイビングを先に決行し、ウメハラに人生謳歌ハラスメントの苦しみを味あわせる。

僕は時同じくウメハラの活動に狂気を覚えたタカオカアラタと共に、ウメハラ討伐スカイダイビング隊を結成した。

僕たちは早速国内のスカイダイビングスポットをしらみ潰しに探し、都内近郊にキャンセル待ちスポットを見つけ、すぐさま予約を試みた。

しかしこれはウメハラの罠であった。

数日後、僕たちが予約を入れようとしたスポットから「予約は出来ない」という旨の連絡があった。

恐るべしウメハラ。

彼は僕たちに先を越されないように、都内近郊の全てのスカイダイビングスポットに対して、海谷という者が来た際に「予約ができない」と伝えるようにと指示を出していたのだろう。

僕たちはウメハラのハラスメントに懸ける思いをまざまざと見せつけられた。

意気消沈するなか、タカオカアラタがこんな提案をした。

「兵庫にできるとこありますよ」

兵庫。かのタカオカアラタが産み落とされた忌々しき地。

なぜいまさら兵庫を訪れなくてはならないのか。

しかし悩む暇はなかった。

この瞬間にもウメハラは次なるハラスメントへの策略を考えている。

関東に海谷スカイダイビング禁止網を張ったウメハラも流石に関西に目を向けてはいないだろう。

こうして僕は兵庫行きを決めた。

兵庫といってもタカオカアラタの推したスカイダイビングスポットは人里離れた山奥にある。

ぬくぬくと実家の愛を享受し尽くすタカオカアラタはまだしも、実家の愛から離れる僕にとって兵庫の山奥はあまりにも遠い。

僕は前日に姫路の宿を取り、万全の準備をしてスカイダイビングに望むことにした。

9月1日 天気 快晴

僕は兵庫へ旅立った。

思えば関東圏から飛び出すのは半年ぶりだ。

18切符名物静岡地獄ですら今回はどこか楽しく感じた。

電車を抜ければ大空が待っている。

見渡す限りの青空。ジェットコースターでは決して味わうことのできない永遠と続く浮遊感。

僕は車内で何度もスカイダイビングのイメージを膨らませた。

「中文 空を飛ぶ」

そんなストーリーが出来た暁にはウメハラは嫉妬と羨望の眼差しを向けるに違いない。

出発から7時間、僕はついに米原に降り立ち新快速に乗り込んだ。

関西へ近づくに連れ、さらに気分が高揚していくのが自分でも分かった。

国内旅行も悪くないな。

そんな時ふと携帯を見るとタカオカアラタからの着用があった。

嫌な予感がした。

僕は恐る恐る用件を聞いた。

体の力が一瞬で抜けた。

これまでの高揚は何だったのか。

自らの人生計画を達成するためなら、天気を変えることをも厭わないウメハラに畏怖の念を抱いた。

恐ろしい。ただただ恐ろしい。

僕たちのスカイダイビング計画は消えた。

その時残されたのは既に予約を取った姫路のホテルだけだった。

ウメハラが止まらない

―ウメハラが止まらない―

きっかけは彼の歩き旅であった。

数日前 彼は「吉野家の桜が見たい」と言い残し横浜を去った。

つい最近まで「一人旅はさみしい」と語っていた彼が孤独の極致である歩き旅を続けることができるのだろうか。

「もって2日だろう」

僕は旅の継続を全く信じていなかった。

だがしかし

今回の彼は違った。

彼は横浜を離れてからの5日間、べらべらとインスタポエムを止めずに歩き続け、なんと静岡まで達したのだ。

早稲田大学から早稲田駅までの距離を歩くことすら嫌がり、常に自転車に乗っていたあの彼が。

僕は目を疑った。

そしてそれと同時に何か裏があるのではないかという勘が働いた。

彼を歩き中毒に陥らせる強力な動機がきっとある。

僕は彼の歩き動機を考えた。

頭の中にある彼の特徴を浮かべ続けること一瞬。

僕はついに1つの答えにたどり着いた。

 承認欲求

彼は日夜インスタグラムで自らの輝く瞬間を投稿し、承認欲求を満たしている。

かく言う僕も彼のインスタポエムのファンの1人である。

しかし今回の歩き旅による不快感はインスタ投稿によって得られる承認快感を上回ったに違いない。

となるのと彼はインスタグラムとは別の手段で承認快感を得なければならない。

歩き続けることで承認を得られるものとは?

WERUNだ。

WERUNとはwechat内にあるアプリの1つで、登録したユーザーの1日の歩行数を携帯の揺れた回数から計数し、毎晩22時30分にこのようにランキング形式で表示してくれるものである。

そしてその日一番歩いた者のプロフィール画像が全てのユーザーの画面に表示される。

北京大学にて多くの友人を作った彼にとって、ランキングの頂点に立ち続けるというのはこの上ない快感に違いない。

事実ここ数日彼は頂点を独占し、「友情、努力、勝利」という歪んだ価値観を強要し快感を覚えていた。

価値観の強要を受けたくなければ歩け。

恐るべき2重ハラスメントである。

流石はハラスメントの権化。

彼はさらなる強要を身につけるために読書をしていたのか。

コロナウイルスの蔓延により外出自粛の風潮が広がる中でのこのダブルウメハラは悪質極まりない。

外出すれば自粛ハラスメントを受け、家に籠ればウメハラを受ける。

そんな彼の友人たちの悲痛な現実は想像に難くない。

これ以上ウメハラを放置するわけにはいかない。

僕が1位を奪い返して彼の横暴を止める。

そう決意した時既に僕の右手は携帯を掴み、上下に降り始めていた。

今回のウメハラ討伐にあたって僕は考えた作戦は2つだ。

・携帯フリフリ

・歩く

ここ数日ウメハラは1日平均45000歩という脅威の強要力を見せていた。

彼の強要を打ち破るには少なくとも50000歩は計上しなければならない。

僕のこれまでの最高記録はマカオに行った時の24000歩だ。

この日僕は朝7時に起きて何度もマカオ半島を往復していた。

間違いなくあの日は去年一番歩いた日であった。

そんな僕の渾身の歩きハラスメントを難なく越えるウメハラの45000歩。

この記録を純粋な歩きのみで越えるのは不可能のように思えた。

そこで僕が採用したのが作戦1「携帯フリフリ」である。

先述のようにWERUNは携帯が揺れた数を元に歩数を数えている。

このWERUNの特徴を考慮すれば携帯フリフリは間違いなく有効である。

まず携帯フリフリで25000歩を稼ぐ。

僕は例のごとく朝7時に起きて携帯フリフリを始めた。

始めて数分。僕はすぐさまこの作戦の欠点に気づいた。

 退屈

携帯を振るということは携帯を弄れないということである。

あらゆるコンテンツを携帯の中に閉じ込めている現代っ子にとって、画面を見ることのできない携帯フリフリはただ腕の筋力をいたずらに消費する退屈の極みである。

携帯がないならパソコンを使えばいいじゃない。

マリー・カイヤントワネット

携帯のネットがダメならパソコンだ。

僕はパソコンを起動し、最近はまっているバブル期ドラマ「東京ラブストーリー」を観始めた。

ドラマの1話約50分を1セット、目は画面、手は携帯。

これなら退屈もしのぎつつ歩数も稼げる。

僕はこの妙案への期待からハイペースで携帯を振り続け、手早く2セットを消化した。

「2時間携帯を振ったのだからそこそこ記録は伸びているだろう。」

僕は期待に胸を膨らませ、そっと携帯を開いた。

4022

よしよし。良いペースだ。

僕はウメハラと大差のないペースで歩数を稼いでいることに安堵した。

この小さな安堵は慣れない早起きをした僕に強烈な眠気を与えるのに十分であった。 

僕は眠りの世界に堕ちた。

この僕のわずかな隙をウメハラが見逃すはずがなかった。

再び目を覚ました時、僕は目を疑った。

ウメハラの記録が20000歩に伸びていたのだ。

他人が休んでいる時にも決してハラスメントを弛めない。

彼がウメハラとよばれる所以がここに詰まっているような気がした。

僕も慌てて2セットをこなし歩数を稼いだが、差が縮まることはなかった。

「もう歩くしかない」

ウメハラの圧倒的歩きハラスメントには小手先の携帯フリフリなど通用しない。

目には目を、歯には歯を、歩には歩を。

僕は目的地を家から約10km離れた温泉に設定し、歩き旅を始めた。

家から温泉までの道は9年前のちょうどこの時期、中学入学前に小学生最後として友達と自転車旅をした思い出の道だった。

思い出のある道を歩くのは意外に楽しく、僕はしばし戦いを忘れ回顧に没頭した。

歩く僕

歩き始めて1時間。

そろそろ回顧する思い出も無くなってきたので、僕は音楽を聴こうとポケットからイヤフォンを取り出そうとした。

ない

出かける前にポケットに入れたイヤフォンが無いのだ。

バッグの中を探しても無い。

退屈という敵が再び僕の前に立ちはだかろうとしていた。

歌え。

イヤフォンが無いときいつもどうしてたんだ。

イヤフォンなんてもんを知らなかった時、僕たちはどうやって音楽を楽しんでいたんだ。

歌だ。僕たちには歌がある。

コロナ騒ぎで道には人は少ない。

マッチョ マッチョ ビバマッチョ♪

僕の胸の中でフォーリンラブ♪

僕は歌った。

そんなこんなで約2時間。

ついに目的地の温泉にたどり着いた。

既に日は落ち、あたりの人影も一段と減っていた。

計画ではここで一度リフレッシュをして帰りの歩きに備えるつもりであった。

携帯を確認した。

ウメハラ  44000歩 僕 18000歩

ウメハラは僕の2時間を嘲笑うかのごとく、さらに歩数を伸ばしていた。

22:30の結果発表を考慮すれば、ここで温泉など入っている場合ではないのは火を見るより明らかだ。

僕は温泉の写真だけ撮ってすぐさま来た道を戻るように再び歩き始めた。

旅の一番の憂鬱は帰り道なのは当然だが、歩き旅の憂鬱度は他にも増してひどい。

行きにコンテンツを使い果たした僕にとって帰り道は「無」に他ならかった。

退屈を紛らわすために「ウヒョー」と奇声をあげたり、急にダッシュしたりと様々な策をとったが、どれも士気を上げるには至らなかった。

なぜ僕はこんなことをしているのか

ウメハラだ。全てはウメハラが悪い。

奴が歩きハラスメントを通じて世界中の人々を苦しめているからいけないのだ。

奴は既に4日連続で頂点を独占している。

5日連続のかかる今日頂点を獲得すれば、必ず強大なハラスメントを仕掛けてくるに違いない。

何としても止める。止める。止める。

苦しい時に力をくれるのはいつだって憎しみだ。

僕はウメハラへの憎しみをパワーに変え、必死に歩みを進めた。

そしてスタートしてから4時間、ついに僕は温泉-家間の往復を達成した。

流石にウメハラとの歩数差も縮まっているだろう。

なぜだ。

僕は目を疑った。

なぜまだ17000歩もあるのか。

時刻は既に21時に近づいていた。

これらの事実は僕の達成感を大いにへし折った。

しかしどれだけ差がついてもやることはただひとつだ。

「歩く」

僕は自宅付近の1週300mのグラウンドに繰り出し、再び歩き始めた。

慣れない長歩きは日頃運動不足な僕の体に容赦なく影響を与えた。

足の皮は剥がれ、節々が悲鳴を挙げていた。

こういった苦難の時、いったい何が一番の活力になるのか。

憎しみはもちろん力になるが、痛みが合わさった時は苛立ちに繋がる。

僕はもう一度ウメハラによる歩きハラスメントの根底にあるものが何か考えた。

彼の根底にあるのはやはり「承認」だ。

頂点を獲り自らの存在を誇示したいという承認欲求。

それこそが彼の底力の源だ。

僕も彼に習って「承認」をモチベーションにしよう。

「承認」

「承認」

「承認」

僕はこの承認フレーズを呪文のように唱え、有心で歩き続けた。

途中何度も走ったほうが良いのではないかと感じたが、僕の承認欲求はそこまでのパワーはくれなかった。

10週ほど歩いた頃だっただろうか。

結果発表の22時30分がやってきた。

敗北

負けた。

結局最後まで差を縮めることはできなかった。

僕にとってこの日はただ5時間歩いただけの日となった。

WERUNでの頂点をモチベーションに5日連続で30000歩以上歩いたウメハラ。

かたやたった1日すらウメハラを抜くこともできなかった僕。

この間には12000歩以上の差があると僕は感じた。

世間では馬鹿にされがちな「承認欲求」という言葉であるが、「認められたい」という根源的な欲求は時にとてもつもないパワーを発揮することがある。

どこかの秘密結社が時代は貨幣経済社会から人から評価を得る人間が豊かさを感じるという評価経済社会に変わると言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。

事実ウメハラは5日連続チャンピオンを獲ったことをタイムラインに掲げ、多くの称賛を集めていた。

いかにせよ僕の承認欲求ではウメハラを止めることはできなかった。

いつかさらなる承認欲求者がウメハラを止めることを願っている。


世界一週より早稲田一週

お久しぶりでございます。

ブログを辞めてから早くも3ヶ月が経ってしまいました。

「ブ」という字が脳裏に浮かぶだけで嫌になっていたあの頃も今や昔。

今になって急にブログのあったあの頃が恋しくなるのは時の経過が不思議なものと言われる所以でありましょうか。

私はブログを辞めてからの2ヶ月間、次なる目標であった世界一週のため、尻部を開いては閉じ開いては閉じといった具合でフル開閉。

「金のなる尻」とは良く言ったもので、おかげさまで旅行に不自由しない程度の金額がブリブリと貯まったことをここにご報告いたします。

しかしどうしたものか世間はコロナ一色。

世界一の信用を誇るとされてきた菊花紋章がいまや毒花として扱われる始末。

せっせと建ててきた僕の旅行計画もグチョグチョと音を立てて崩れていった次第でございます。

そんな訳で2020年一発目の大きな目標を失ったことになった僕ですが、世界一週の前にするべきことに気づきました。

早稲田一週です。

私が早稲田大学に入学してから早3年。

すっかり早稲田を知った気になっている僕ですが、まだまだこの街には知らないことが隠されていることに違いないでしょう。

#世界を知る前に早稲田を知れ

私は知られざる早稲田の秘密を解き明かすために早稲田一週を達成することを決意したのです。

決意とはまあ聞こえの良い言葉でしょうが、この早稲田一週には疑問が山積。

まずどこからどこまでを「早稲田」と定義しましょうか。

これにはまあ私に1つの案がありまして、言ってしまえば「鶴巻町」や「南町」といった不純物の無い「東京都新宿区早稲田町」のみを真の早稲田と認定するというものでございます。

この地図を見てお気づきの方もいらっしゃるでしょうけど、早稲田大学の校舎の中で、この真の早稲田として鎮座する「早稲田町」に存在するのは40号館のみなのです。

早稲田大学早稲田キャンパスの住所は新宿区戸塚町1丁目104でして、早稲田のわの字も無い場所に存在しておるのです。

いったいどの面を下げて「早稲田キャンパス」と名乗っているのでしょうか。今すぐ「戸塚町キャンパス」に改名するべきでしょう。

こうして早稲田一週をきっかけに早速新たな発見を手にしたところで実際に歩を進めてみましょうか。

今回のスタート地点は「真の早稲田キャンパス」こと早稲田大学40号館グリーン・コンピューティング・システム研究開発センター。

いったい何を行う場なのか検討もつきませんが、とにもかくにもここが早稲田町の西端なのですからスタート地点にしない訳にはいきません。

こちらのグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発してすぐ左手に見えてくるのが、早稲田町民の生活を支える、かの有名な「イトーヨーカドー」でございます。

生鮮食品から酒類までなんでも揃う我らが庶民の味方。

かの無名な早稲田から1トン増やす会もお世話になったとか…ならなかったとか…

イトーヨーカドーにて庶民のパワーを体感した後には約3億マイクロメートルの途方もない直線が続きます。

それもそのはず この早稲田町は異常なほど横に長いのです。

息を吐き息を吸い必死の思いで両足を前に進めること2億4000万マイクロ秒。

ついに早稲田町の東端「新宿区役所 榎町特別出張所」が見えてきました。

この「新宿区役所 榎町特別出張所」どうやら町の治安を守る場所でもあるそうで、特に路上喫煙に関しては町民に究極の災いをもたらす可能性のある重大治安破壊行為とみなし、厳しく取り締まっているとのことです。

「極悪非道」「放火魔」「人間がもっとも恥ずべき行為」「非国民」など様々な悪名を欲しいままにする「路上喫煙」を徹底的に取り締まるという態度。

東端からこの街の安全を守る「新宿区役所榎町特別出張所」は頼もしい限りですね。

西端であるグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発して6億マイクロ秒。

ついにこの長い長い旅もクライマックスを迎えます。

旅の終点となるのはやはり早稲田民の憩いの場「鶴巻南公園」の一部地域です。

なぜ一部地域のみなのでしょうか?

この地図を見て頂ければお分かりだと思うのですが、鶴巻南公園のうち早稲田町に属しているのは南端の一部地域のみなのです。

鶴巻南公園最大の売りである「ユニークな歩道」も早稲田町側にはありません。

しかし決して侮ってはいけません。

早稲田町側の鶴巻南公園にも数々の早稲田民を虜にしてきた魅力溢れるアクティビティが数多く存在します。

トイレに

喫煙

そして植物観賞。

これほどまでに魅力的なアクティビティが詰まった公園は世界でもそう多くはないでしょう。

日本各地から多くの人が訪れて歓声をあげるのも頷けますね。

知り尽くしたつもりの街でも改めて探索してみるとまた新たな発見がありますね。

皆さんも自分が知った気になっている街をもう一度別の角度から見てみませんか?

きっとそこには新しい世界があるはずです。