「いい話」カテゴリーアーカイブ

覗き部屋を通じて見えた風俗ブロガーの覚悟と矜持

僕は最近風俗へ行っていなかった。

というのもここ数ヶ月、

沖縄の最安デリへル庶民派デリヘル某ビデオの出演といった壮絶な性体験を経て、

自分の性に対する考え方について、考え過ぎてしまって、純粋に風俗を楽しむことができなくなってしまった。

以前は毎日自らを慰めなければ、眠れないほどの落ち込み症であった僕は

最近この落ち込み症がさらに酷くなり、

いまや慰める気力すら失ってしまった。

人間本当に落ちんこんだ時は、

慰める気力すら起きないものである。

そんなある時、「流山のバイアグラ」という異名を持つほどの精力を誇るしゃおじょんがこんなことを言ってきた。

「覗き部屋行ってみね?」

流石は「流山のバイアグラ」

風俗で多くのものを失ったのにも関わらず、

先月台湾で至福の体験をしたことですっかり忘れている。(詳しくは彼のブログを参照https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102 )

僕は最初に書いた通り、すっかり精力を失い、身も心も疲れはてていたので、

当初 全く乗り気ではなかった。

その旨を彼に伝えると、どうやら彼もその日の朝に自らを慰めたばかりで、調子は良くないとのこと。

「じゃあ何で行きたがるの?」と僕が聞くと

彼はこんな答えを出した。

「俺は風俗ライターだから行くしかないんだよ。」

圧倒的な精力を武器に世界中の風俗に潜入し、その実態を赤裸々にブログに綴るしゃおじょん。

最近では早稲田大学風俗研究会を設立し、風俗文化の普及に励んでいる。

僕はこの時、彼の風俗ライターとしての熱い想いを目の当たりにした。

彼にとって風俗に行くことはもはや一時の快楽のためだけではなく、立派な仕事のひとつなのだ。

今回は彼が仕事に向き合う姿を捕らえる大変貴重なチャンスだ。

僕はこんな光栄な機会を無にしようとした己を恥じて、しゃおじょん氏の仕事現場に同行させて頂くことにした。

さて今回行った覗き部屋だが、

この写真を見て分かるように、

欲望に支配された街 歌舞伎町の中でも一際異彩を放っている。

中に入ると、すぐに長く薄暗い階段があり、そこを下ると怪しげな男が受付をしていた。

男は僕たちを見つけるとすぐに、

大人2100円、学生1600円という料金説明をした。

500円の割引。とても大きい。

この500円でどれだけ多くの人が救われるだろうか。

僕は自分が大学に進学した意味を再確認した。

料金を払い、安堵したのも束の間、

男は盗撮防止を名目に僕たちに携帯とその他電子機器を預けろと言ってきた。

風俗での盗撮はもちろんご法度だが、

これまでは携帯を預けろと言われたことはない。

もちろん演者を盗撮するつもりなどさらさらないが、

雰囲気を伝えるために何枚か中の写真を取りたかった僕にとっては大きな誤算だった。

しかし受付の周辺には今まで盗撮がバレた客の写真と身分証明書が晒し首のように張られていた。

僕が将来子どもを持って、その子どもがここに来たときに、父親の写真が張られていたらどうだろうか。

僕はこの想像を絶する未来に耐えかねて、しぶしぶ携帯とパソコンを預けた。

こうして受付が全て終了すると、

番号札を渡され、受付の横にある2畳ほどの小さな待合室に案内された。

そして他の風俗と同じく、やたら古いアダルトビデオが流れる待合室で、他の客とともに、しばし気まずい待ちをした後、

ストリップショーの客席に案内された。

客席と言えば聞こえはいいものも、

実際のところ覗き部屋の客席は

人が1人通れるくらいの狭く暗い廊下に、

仕切りがおかれ、5つほどのブースが形成されていて、

ブースの中に入ると小さな椅子と、ティッシュが置いてあり、前面が全てガラス張りになっていて、

ガラス越しに際どい水着を着た演者の姿が見えるという粗末な作りだった。

しばらく座っていると、

この妖艶な雰囲気には場違いな妙にアップテンポな曲がかかりだした。

某サロンもそうだがなぜ風俗店はアップテンポな曲をかけたがるのが?

自分を慰める時にわざわざ湘南乃風をかけるか?

経営者たちは商売がうまくいっていて、

自分を慰める必要がないからわからないのだろう。

それはさておき、話を戻すと

場内ではこのアップテンポな曲に合わせて、演者が際どい水着で体をくねらせるという奇妙な「踊り」を始めていた。

これを「踊り」と表現して良いのかは僕にはわからない。

ただひとつ言えることはこの奇妙な「踊り」は明らかに僕の感情を無に近づけていったということだ。

「踊り」を行っている最中、演者は鏡越しに情に餓えた客がいるという事実に堪えられないのか、ずっと別の方向を向いていた。

そして明らかに視線の合わない状態で、演者は僕のほうに近づき、下着の陰部付近についたヒラヒラを上下に降った。

この不思議な誘惑は、女の裸を見ても全く興奮しない僕の感情を完璧に吸いとった。

僕は完全に虚無になった。

その後はショーが後半になるにつれて、不思議なあえぎ声が場内にかかり、それに合わせて演者も胸→局部の順に下着を脱いでいったが、

僕はもはや何の感情も抱くことなく、

ただただ目の前の奇妙な現実に目を傾けていた。

ふいに僕の虚無感は終わりを告げた。

「抜きやりますか?」

別の演者が僕に向かってこう話しかけていた。

どうやら覗き部屋ではオプションとして

演者がいっしょに慰めてくれるというサービスがあるらしい。

ショーの最中、普段から身長コンプレックスに悩む僕の息子はいつも以上にコンプレックスに悩まされていたため、

そんなサービスを受ける余裕もなく、

僕はすぐに「いらないです。」と返事をした。

すると彼女はあろうことか、僕に聞こえるほどの大きな音で舌打ちをして、その場を去っていった。

後でしゃおじょんに話を聞くと、彼もまた同じように舌打ちをされたとのこと。

そして最後にショーは「イク イク イク アーン」といった大げさなあえぎ声が場内にこだまするとともにあえなく終了し、

僕は言いがたい虚無感を抱えて覗き部屋を後にした。

僕はこの虚無感をすぐに誰かと共有したかったので、

すぐにしゃおじょんにその日の体験を話した。

すると彼も僕と同様にあまり良い思いをしていなかったらしく、

もう二度と行かないと言いたげな感じだった。

僕は歴史上類を見ないほどの精力を持つ彼ですらこのような反応をしたことで少し安心した。

しかし 次の瞬間そんな僕の安心を吹き飛ばす言葉を彼は発した。

「俺 1回抜いたわ」

 は??????

何言ってんだこいつ。

あの環境で抜いた?

覗き部屋のブースの中は人が1人座れるくらいの狭い部屋だ。

それにあの内容。

どう考えても抜ける要素はない。

詳しく話を聞くと、彼も実際かなり覗き部屋を渋く感じていたそうだが、

風俗ライターとして抜かない訳にはいかなかったとのこと。

いくら風俗のサービスが悪くても、

それに文句をつけることなく、

無心で性欲を高め、発散する。

素晴らしい。

これこそ真の風俗ライターだ。

配偶者がいるのにも関わらず、

一時の快楽に溺れ風俗へ足を運ぶような奴が多いこの腐った世の中で

彼ほどの覚悟を持って風俗に行く男がどれほどいるだろうか?

ちょっと風俗のサービスが悪かったぐらいで、こうしてブログに憂さ晴らしをしている僕とは雲泥の差だ。

彼は圧倒的な精力だけでなく、風俗に行く上での並々ならぬ覚悟も兼ね備えた最強の風俗ブロガーだ。

今回はそんな彼の超人的な一面を垣間見ることができた貴重な経験だった。

今後の彼の活躍に目が離せない。

真面目なおじさんが報われる世界になって欲しい。

先日 僕は21歳の誕生日を迎えた。

誕生日は誕生日でなかなか素晴らしい出来事がたくさんあったのだが、

どれもこれも素晴らしすぎて、

ブログ向きではないので、

今回は全て割愛させていただく。

ではなぜ今回 わざわざ誕生日であったことを報告したのかというと、

誕生日を迎えたことによってある恐ろしい事実が浮かびあがっていたことに気づいたからだ。

それは誕生日を迎えたことでまたひとつ

 「おじさん」に近づいてしまったということだ。

世間の「おじさん」への風当たりは常軌を逸するほど冷たい。

最も公正とされるGoogleで「おじさん」や「中年男性」と検索するとこうなる。

ひどい。ひどすぎる。

ちなみにおばさんだとこうだ。

何という違い。

この国では「おじさん」というのは存在しているだけで場の空気を乱す害虫として扱われるのだ。

僕はこれらの記事を全て読んだ。

もちろん 「おじさん」擁護派の僕ですら

気持ち悪いと思う内容もいくつかあったが、

その多くは男子大学生たちがやっていてもおかしくないような内容だった。

確かに近年は下記のような「おじさん」によるデリカシーのない発言が世間を賑わすことが多い。

https://twitter.com/wonna57716011/status/1120340900343734272?s=19

実際 僕もこうした「おじさん」たちの時代遅れな発言や思考はもちろん批判されるべきだと思う。

しかしここで納得いかないのが、

こうした一部の「狂ったおじさん」たちのせいで、

最初の写真のような歪んだ「おじさん」イメージが作られてしまうことだ。

「おじさん」にもいろんな種類がある。

こうした「狂ったおじさん」たちが社会を賑わすということは裏を返せば、

大多数の「おじさん」は家族や自分のために真面目に働いて生きているということだ。

そうした「真面目なおじさん」たちは、

「狂ったおじさん」たちのせいで作られたイメージのせいで、

真面目に生きているのにも関わらず、

常に肩身の狭い思いをしている。

狂った「おじさん」の中には、

真面目に生きていても報われない「おじさん」の宿命にやけになって内なる狂気を解き放った者もいるかもしれない。

もちろん元をたどれば、全て「狂ったおじさん」が悪いし、

こいつらが自分の年をわきまえて行動すればいいだけの話ではある。

ただ、これまでどの年代にも「狂ったおじさん」が一定数いたことを考慮すると、

「狂ったおじさん」そのものがいなくなるということはないだろう。

そういった時に「おじさん」そのものを忌避するのではなくて、

「おじさん」一人一人を正当に評価する世の中になるべきだと思う。

世の中まだまだ「真面目なおじさん」たちを中心に動いている。

いくら男性中心の社会を批判したいからって、そうした「真面目なおじさん」たちまで叩くのは明らかに間違ってると思う。

僕が「おじさん」になるまでに、少しでも「おじさん」の地位が上がってますように。

「おしりを出した子一等賞」にみる人間のあるべき姿

「おしりを出した子一等賞」

この歌詞はまんが日本昔ばなしの主題歌

「にんげんっていいな」に登場する歌詞である。https://youtu.be/dUXeJTzSCjc

日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう名フレーズだ。

しかしここで一度歌詞全体をおさらいしてほしい。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日 まーた明日♪

いいな いいな にんげんっていいな♪

おかしい 明らかにおかしいフレーズが一つ混ざっている。

なぜかくれんぼをしている時に、

おしりを出したら一等賞になるのか?

おしりを出すという行為が誉められるのは基本的に某ビデオの撮影時のみで、

何も知らない公衆の面前でおしりを出せば、

一等賞どころの騒ぎではないのは目に見えている。

それにこの歌詞の文脈上、

かくれんぼが行われている。

かくれんぼというのは基本的に外で行われるため、

むやみにおしりを出せば、鬼に捕まるだけでなく、国家権力にも捕まってしまう。

とにかく子どもたちも見ているであろう公共の電波で、

「かくれんぼ中におしりを出したら一等賞だ。」と伝えるのはあまりにも無責任だ。

この曲の歌詞自体、

特にこれといったメッセージが

ないのではないかという意見もあるだろう。

そういう方には是非2番の歌詞を見て頂きたい。

もぐらが見ていた 運動会♪

びりっこ元気だ 一等賞♪

夕やけこやけで またあした またあした♪

この歌詞を見る限り、

明らかに2番では

「運動会で順位はビリだとしても一所懸命元気に動くことが大切」だというメッセージを残している。

となるとなおさら

「おしりを出したら一等賞」という歌詞に謎が残る。

Youtubeのコメント欄にも多くの僕と同じ疑問を抱えている者がいた。

中には2枚目のような「頭隠して尻隠さず」という成語を持ち出して説得力をつけてる者もいたが、

彼は「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた状態として捉えている。

みなさんは「おしりを出す」と聞いたとき、

どんな行為を想像するだろうか?

答えは「ズボンを脱いでおしりを見せる」という行為に違いない。

そうでなければ、「おしりを出す」という行為が下劣な行為と捉えられるはずがない。

「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた行為として捉えた時点で、

コメント欄の彼は重大な間違いを犯している。

全人類の叡知を集めたYoutubeですら答えを出すことができない。

いったい「おしりを出した子一等賞」という歌詞の意味は何なのか?

僕はこの深淵な疑問について、

「おしりを出した子一等賞」=この世で一番賢くなれる方法は「おしりを出すこと」と解釈し、

おしりを出しながら必死に考えた。

すると僕のおしりからある仮説が産み落とされた。

「おしりを出した子一等賞」の歌詞の前に

何かおしりを出すイベントが行われている。

は? 何言ってるんだこいつ、

ただケツ出したかっただけじゃねぇのと思ったそこのあなた。

まあゆっくり尻でも出しながら話を聞いてくだせぇ。

まず歌詞を軽くおさらいしよう。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日♪ また明日♪

冒頭でも述べた通り、

かくれんぼとおしりを出すことにはどう言いがかりをつけても接点はない。

となると見るべき点は「おしりを出した子一等賞」の次 「夕焼けこやけでまた明日」の部分になるだろう。

「くまのこ見ていたかくれんぼ」   

               ↓

   「夕焼けこやけでまた明日」

という歌詞の流れを整理すると、

かくれんぼをしていたら夕方になったという状況が見えてくる。

ここで考えてみてほしいのは

かくれんぼだけで夕方までもつのかということだ。

確かにかくれんぼは面白い。

子どものころ誰しも一度は遊んだことがあるだろう。

しかしかくれんぼは何度も繰り返し行っていると隠れる場所がなくなってマンネリ化する。

つまりかくれんぼだけで夕方まで遊ぶのは不可能であるということだ。

となると、かくれんぼをしていたころから夕方までの間に何か別のことをしていたということになる。

その別の遊びの種類を当てる上で、最大のヒントになるのが

「おしりを出した子一等賞」だ。

おそらく「にんげんっていいな」という歌詞のモデルとなった子どもたちは

「かくれんぼ」で遊ぶという「子どもらしさ」の強要に嫌気がさし、

大人の考えた「子ども=健全」という歪んだ子ども像から解放され、真の自由を手に入れるために、裸になって歌い踊ったのだろう。

しかしここで「裸になった子一等賞」と言ってしまえば、

すぐに歪んだ大人たちに改悪されてしまう。

あくまで小さい子どもたちなら笑ってすまされるだろう「おしりを出す」という行為に変えることで、

現在に至るまで残る歌詞になったのだ。

さんざん書いたくせにそんなお粗末なケツ論か。

お粗末なのはお前のケツだけにしとけと思ったであろう読者の方々に

最後 とっておきの証拠を見せたいと思う。

これは「にんげんっていいな」が流れるときの子どもたちの映像だ。

ご覧の通りこいつらは尻を出すどころか顔から胸、局部に至るまでの全てを出している。

これはこいつらが裸になって踊っていたという紛れもない証拠だ。

そしてこいつらはこのあられもない姿でこう歌っているのだ。

「にんげんっていいな」

ハプニングを引き寄せろ

僕はこれまで様々なコスプレに挑戦してきた。

その中にはクオリティが低く、

客観的に見れば面白くないコスプレもたくさんあった。

鋼のメンタルを持ってると思われがちな

僕でも自分が体を張って実行したコスプレが

何度もスベってしまえばなかなか厳しいものがある。

なぜ僕はコスプレを続けることができていたのだろうか?

答えは当たり前過ぎて思いつかないようなところにあった。

先日 僕は友人と共にいつもと同じように

バイト先でお酒を飲んでいた。

その時 友人の一人がふとこんなことを言った。

「俺たちは誰か受け入れてくれる人がいると無茶なことができる。」

僕はこの言葉に衝撃を受けた。

確かに僕がコスプレをやっていた日は

ほとんどの場合しゃおじょんなどの

普段大学で仲良くするメンバーと会っていた。

彼らはとても優しい奴らなので、

コスプレのクオリティに関係なく、

一定の反応をしてくれていた。

当時はたまたま授業のある日は

必ずどこかしらで授業が

かぶっていたというのもあるが、

「彼らの反応がある」という安心感に

甘えていたという部分があったということは

否定できない。

そこで 僕はいままで自分ができていなかったことに挑戦するという意味で、

彼らに一度も会わない日に、

知り合いが一人もいない講義中、

コスプレをすることに決めた。

コスプレの内容はもちろん…

進撃の巨人の超大型巨人だ。

春休みに次のコスプレをアマゾンで探していた時、

僕はこいつの圧倒的な存在感に一目惚れした。

これまではどんなタイミングであれ、

僕が教室に入った瞬間、

僕のサクラしゃおじょんがゲラゲラ笑っていた。

しかし今日 しゃおじょんはいない。

入るタイミングを間違えれば、

盛大にスベることもありうる。

これまで無意識にサクラがいるところでのみ

コスプレを行うことでスベり知らずを

実現してきた僕はスベり倒した時に

どのような感情が沸き上がるのかはわからない。

僕はある戦略を考え出した。

今回 僕が参加する講義は200人ほどが入る中教室で、

ドアが教室の前面のみにあり、

遅刻した者がドアを開けると

それなりの音がしてみんなの注目が集まる。

僕はこの特性を逆手にとって

あえて遅刻してみんなの注目を一気に集めることに決めた。

こうして万全の戦略を定めた僕は、

いままでとは違った緊張感を覚えながら、

教室に入った。

僕が教室に入った瞬間、

狙い通りその場にいた全員の視線が

僕のもとに集中した。

そして彼らはまるで原作に登場する市民たちのように

突如現れた超大型巨人になす術なく、

薄ら笑いを浮かべていた。

僕のモットーはできるだけ他人に迷惑をかけないだ。

もちろん超大型巨人の登場に関係なく講義は続く。

なにかパフォーマンスをして邪魔をすることはあってはならない。

僕はいつも通り 空いてることを信じて後ろの席に向かって歩き始めた。

しかしここで僕のなかで一つ誤算が生じていた。

「前が見えない」

写真を見てお分かりの方もいると思うが、

超大型巨人は目に穴が空いていない。

大きい道であれば、なんとなく前が見えるのだが、

机と机の間みたいな小さな道では、

ほとんど視界がきかない。

僕は視界がきかない不安から、

つい早足で通路を通ろうとした。

足下にある超大型バッグたちに気づくこともなく…。

僕は超大型バッグにつまずき、あえなく床に手をついた。

すると これまでの笑ってはいけないという空気から

解放されたような乾いた笑い声があちこちから聞こえた。

僕はこの時一つの真理にたどり着いた。

人が本当におもしろいと思うのは

「ハプニング」だ。

ただ僕がコスプレをしているだけでは、

僕による計算された笑いであり、

その計算がバレてしまえば、

笑いをこらえることもできるが、

僕を含めて誰も予想できなかった

「ハプニング」はこらえようと思わせる前に

勝手に体を反応させる力がある。

このことはこれまで必ず周りに笑ってくれる人がいるという環境にいたら、

絶対に気づかなかったことだ。

ハプニングは起こそうとして起こせるものではない。

しかし何も行動しなければ、

絶対にハプニングは起こらない。

周りに関係なく行動することの大切さがよくわかった今日のコスプレだった。

だからブログは面白い

僕がブログを始めてから早くも半年がたとうとしている。

もとはしゃおじょんの有無を言わせぬ

激しくブログ開設強要からの解放を目指して

一過性のネタで始めたブログだったのだが、

今や記事数は94個に達し、

すっかり僕の生き甲斐の一つとなってしまった。

彼の強要もたまには正しいこともあるので、

まだまだ捨てたもんじゃない。

なぜ急にブログを閉鎖するかのような感傷に

浸っているのかというと、

先日3週間にわたる長い研修が終わり、

少し暇になったので、自分の記事を時系列で見ていると、

内容だけでなく、言葉遣いや文体が

当時の風潮に合わせて大きく変わっていて、

まるで別の自分が何人もいるような

不思議な感覚に襲われたからだ。

今回はその内のいくつかを紹介したいと思う。

まずはブログを始めた当初の記事から振り返ってみよう。

2018年10月7日 「自給自足にまつわるエトセトラ」

2018年10月27日 「足を使わない移動法にまつわるエトセトラ」

当時はブログ=youtubeの文章版と考えている節が強かったので、

上記のような他人がやらないことをやるという

「企画モノ」の記事が大部分を占めている。

この「企画モノ」自体は今もブログ内容の

中核を担っている。

「意味不明な奴でありたい」というタイトルを掲げておきながら、

実はブログのコンセプトは一貫しているという

恥ずかしい事実が浮かび上がってしまった。

しかしブログ始めて1ヶ月がたつと、

「企画モノ」以外のブログが登場するようになる。

11月18日 「~常識を疑え~ 飲み会に酒は必要か」

11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか 」

「企画モノ」がある程度ネタ切れになってきた時に登場したのが

自らの考えを激しい口調で吐き出した

いわゆる「思想モノ」である。

当日は禁酒会の設立や、

ブログを始めて以降 いくつか不当な扱いを受けたこともあり、

社会全体に対して強い不満が溜まっていた。

そういった背景とブログという

自分の好きなことを好きなだけ書けるという背景が相まって、

今では考えられないほど、

過激な口調で自らの思想をぶつけることが多くあった。

「最近の若者は自己中とか言ってる暇があったらあんたも自己中になればいいでしょ。」(11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか」より)

正直このブログの中で、

後々読んで一番恥ずかしいのはこの辺りの記事だろう。

いったい当時は何にそんなにイライラしてたのだろうか?

これだけははっきり言える。

今 同じような記事を書けと言われたら

絶対無理だ。

今思えば 当時の社会を変えたいとう謎の熱意は

明らかに異常だった。

何かテロでも起こしそうなほどだったと思う。

ただ当時は今よりも更新頻度は速かったので、

この熱意は一概に否定できないのがまた難しい。

このように主に当時は「企画モノ」と「思想モノ」を分けて書いていることが多かったのだが、

徐々にその境界が曖昧になっていく。

理由は一つ コスプレの登場だ。

12月4日 「ニンゲンコワイ」

1月15日 「成人の誓い」

11月の中旬辺りからコスプレ通学を始めて以降、

学校に行っている間はネタに困ることはなくなった。

また「思想モノ」を書き始めてから

自分の考えをブログに書くことにあまり抵抗を持たなくなったので、

「成人の誓い」 のようなコスプレに絡めて

自分の考えを書く流れが定着した。

時に 「今日のコーデ」 のような

手抜き記事を作ることもあったが、

基本的にはコスプレという企画に

思想を混ぜる「企画モノ」×「思想モノ」の記事を多く書いていた。

大学が休みに突入し、

コスプレをあまりしなくなった今でも、

企画内容をコスプレから旅や風俗に変え、

「企画モノ」×「思想モノ」の記事を書き続けている。

1月26日 「人妻パラダイス」

こうして自分のブログを振り返ってみると、

様々な発見がある。

もちろん内容以外にも

初期の文章はほとんど改行をしてないので、

読みにくかったり、誤字も多いといった

文章面の違いもあった。

さてこの先

僕のブログはどのような変化を遂げていくのだろうか?

これまで通り「企画モノ」×「思想モノ」の流れに落ち着くのか

はたまた新しい流れが出来上がるのか。

こればっかりは僕にも全くわからない。

だからブログは面白いんだ。

コスプレが世界を救う

ここ数ヵ月コスプレに向き合ってきたのは

誰が何と言おうと僕だと思う。

日本では雨の日も風の日も

冬の寒さや同級生の冷たい視線にも負けず、

毎日コスプレで登校し続けた。

日本では自称コスプレ王の座を

自称欲しいままにしてきた僕だが、

1つ成し遂げられていないことがあった。

「海外でのコスプレ」

僕はまだ海外でコスプレをしたことがない。

前回北京に行った時はコスプレ道具を忘れるという

自称コスプレ王にありがちなミスをしてしまったので

コスプレをすることはできなかった。

なので今回は僕の相棒ともいえる

牛マスクと牛パジャマを持っていった。

(日本での参考画像)

台湾はとても酪農が盛んな国で、

牛乳がスーパーやコンビニでたくさん売られている。

この事実にいち早く気づいた僕は

「牛の格好をして牛乳を買う」という

超古典的なギャグをして、

台湾でコスプレがウケるのかどうか試そうと考えた。

当初 僕は久しぶりにコスプレをするということもあって、

かなり高揚していたが、

いざ 牛のマスクを被ろうとすると、

1つの不安が頭をよぎった。

「もし牛のコスプレをしたせいで殺されたら…」

僕は以前全身白荘束のコスプレをしたことがある。

その時にアメリカに住んでいたことがある友達が

「お前 アメリカだったら確実に殺されてるよ」

と指摘した。

冷静に考えれば当時の僕の格好は

白人至上主義団体KKKの格好に酷似していて、

人種主義をタブーとするアメリカでは、

明らかに一線を越えている。

当然 僕に人種差別をするつもりがあったわけではないが、

海外では気づかぬうちに一線を越えてしまうことがある。

もし台湾で牛の格好をすることがタブーだったら…。

僕は一瞬 恐怖でコスプレをせずに

宿舎に引き返そうかと思った。

しかし 僕は「海外でコスプレをする」という

強い覚悟を持って台湾に来た。

もはやコスプレをするためだけに

台湾に来たと言っても過言ではない。

それなのにこの台湾でなにもしないでどうする。

僕は意を決して牛マスクを被った。

結果は僕の不安など軽々と吹き飛ばすほど

爽快なものだった。

レジで並んでいたお客さん、スーパーの店員

道行く歩行者、みんな僕を見て笑顔になっていた。

台湾の交通関係上、

視界がほぼ失われる牛マスクでの活動は危険なため、

牛マスクをしていた時間は非常に短かったが、

それでも人々の反応は日本以上だった。

「面白い」という感情は

その人が育った環境に大きく影響されるので、

世界共通の笑いを生み出すのは難しい。

日本で成功を収めたお笑い芸人が

海外では苦戦するということもざらにある。

ただ僕はこの日 「コスプレ」は

世界共通の笑いを生み出すポテンシャルがあるということを確信した。

コスプレは世界中を笑顔にできるのだ。

本当に意味不明な奴でありたいか?

僕は中学生の時にある決意をしていた。

「20歳になる前に童貞を卒業できなかったら、

10代最後の日に風俗に行こう」と 

当時 僕は「5年もあるんだから、いつかそういう時は必ずそういうときが来るだろう」

と童貞特有の楽観視をしていた。

しかし現実は甘くなかった。

僕は童貞卒業はおろか

彼女すらできないまま、

10代最後の日を迎えた。

僕は迷うことなく中学時代の決意に従って、

日本一の風俗街で童貞とプライドを捨てた。

僕の初めての風俗体験だった。

それ以来僕は様々な風俗へ行った。

ピンサロ デリヘル

ソープ サウナ

どこも非日常的で刺激に満ちた体験をすることができたが、

行った後はいつも 「何かを大切なものを失ってしまったのではないか」

という疑念からくる猛烈な虚無感に襲われていた。

そして僕は徐々に風俗へ行く意味を見出だせなくなってしまい、

台湾研修が始まってからは風俗に行くのをやめ、

健全な夜を過ごしていた。

そんなエピソードに乏しい研修生活も

中盤を迎えたある日、

同じ研修に参加している後輩たちが

「先輩! クラブ行きませんか?」と

若さと活力に満ちた雰囲気で誘ってきた。

彼らとはホモビデオに出た話と

サウナに行った話ですぐに意気投合していた。

彼らは普段からクラブに通い、

自分でイベントを開いているというなかなかの強者だ。

前述の通り僕は台北での人生最悪の

風俗体験以降すっかり意気消沈して、

あらゆる欲を失い「無」への道を突き進んでいたため、

当初は全く乗り気ではなかった。

しかし 彼らの「かわいい子と関わりたい」という

暴力的なまでに純粋で無垢な姿勢が

僕の消沈した気分を奮い立たせた。

僕は彼らと共にクラブに行くことに決めた。

そして迎えた当日。

僕らは門限の23:00に宿舎を出て、

これまで一度使ったことのなかったタクシーに乗り、

風俗恒例の妙な緊張感に包まれながら

目的地に向かった。

目的地の周辺には風俗街特有の

欲望と金にまみれた異様な雰囲気が漂っていた。

僕はこれから待ち構える未知の世界に

強い恐怖を感じながらも

この恐怖心を隠すために

必死になって後輩たちに話しかけていた。

そしてパスポートの提示と

所持金の1/2にあたる1000元(4000円)の支払いという

重々しい儀式を通過した後、

僕はついに異空間に足を踏み入れた。

そこには異空間という名にふさわしい

カオスが広がっていた。

何の曲なのかもわからないほどの大音量の音楽、

その音楽に合わせて手を振り、腰を振り

意味不明なダンスに興じる国籍不詳の男女。

意味不明な奴らが意味不明な音楽に

意味不明な振り付けで踊っていた。

この空間には意味不明を極めし者達が

己の意味不明度を競いあう「意味不明王決定戦」を行っていると

僕は感じた。

僕のブログのタイトルは「意味不明な奴でありたい」だ。

意味不明を極めようとしている者の一人として、

僕は決してこの意味不明者達に負けてはいけない。

僕は意を決して一番盛り上がっていた

DJ前のブースに乗り込んだ。

するとすぐに意味不明で国籍不明な外人が

意味不明なノリで絡んで来た。

この意味不明者達のノリについていけなければ、

意味不明を極めし者になることはできない。

僕はその場の勢いを利用して、

すぐにこの意味不明界隈に加入することにした。

そしてしばらく意味不明な外人達と共に肩を組んで踊っていた。

すると一人の意味不明なほど肥大化した

肉体を持った白人女性が、

僕をダンスに誘ってきた。

「チャンスだ」

この場にいる意味不明者達はみんな

美男美女を求めて踊っている。

ここで僕がこの醜い白人と踊ることで、

この「意味不明王決定戦」の中で一歩リードできるのではないか。

僕は迷わずこの醜い白人の誘いに乗った。

そして互いのお尻をつきあわせるという

意味不明なダンスをした後、

密着系のダンスをして、

そのまま無駄にアチスなキスをした。

出会ってわずか数十秒の出来事だった。

「勝った」

いくら世界中の意味不明者が集まるクラブでさえ、

こんな醜い白人とキスをする

意味不明な男は僕ぐらいしかいないだろう。

僕はキスをした瞬間

この「意味不明王決定戦」の勝利を確信し、

心のなかで高らかとガッツポーズをした。

しかしその高揚感は長くは続かなかった。

キスを終え、白人と離れてすぐ

僕に襲ってきたのは

自らの道徳心に背いたことから来るのであろう

猛烈な虚無感だった。

「なぜくだらないプライドのためにあんな醜い白人とキスしてしまったのだろう。」

僕は大切な何かを失ってしまったように感じた。

僕はこれまで「意味不明な奴でありたい」

というポリシーのもと活動してきた。

しかし意味不明な行動をとった後に

このような虚無感を感じるということは

本当の僕は意味不明な奴ではなく、

ただ普通な意味有明な奴なのかもしれない。

自分の人間性を深く考察させられる。

そんな台湾クラブ体験だった。

路上にいる果物売りが世界を支えている

台湾には陽明山という山がある。

元々は草山という適当過ぎて

草生えるネーミングの山だったのだが、

台湾に中華民国政府が入って以降に

政府の代表であった蒋介石が、

儒教のひとつである陽明学の祖 王陽明が

大好きだったので、陽明山に変えたとのこと。https://www.travel.co.jp/guide/article/29925/

僕にとってそんな

アフィリエイト乞食ブロガーのような情報は

どうでもいい。

それより陽キャラの「陽」に

明るいの「明」

まさに明るさの頂点に君臨するかのような山だ。

ご存知の通り 僕の性格は暗い。

リアルでは声も口数も少ない。

うるさいのはブログだけだ。

暗い性格をしていて得することはない。

性格を変えれば人生が変わる。

僕はこの明るさの頂点に君臨する陽明山の頂点を極め、

暗い性格を吹っ飛ばすことにした。

陽明山はとても遠い。

まず台北駅からバスで1時間。

そして麓のバス停に来てから

気づいたのだが、

標高が1100m(高尾富士の2倍)と意外に高い。

それも登山当日は天候が悪く、

高尾富士の登頂経験が豊富な僕であっても

陽明山の登頂は困難を極めることが予想された。

そんな過酷な状況の中

始まった登山は大方の予想通り、

過酷なものとなった。

開始地点の分からない登山道。

木っ端微塵に破れた同行者 ウメハラの靴。

降りしきる大雨。

前すら見えない劣悪な景色。

僕の登山モチベーションはどんどん下がっていった。

だいたい性格を変えるために

山なんか頼ってんじゃねーよ。

本当に変えなきゃいけねーのは、

山にすがろうとする腐った根性だろ。

こうして僕はあっさり登頂を諦めた。

しかしせっかくの登山

何かゴール地点のようなものが欲しい。

そこで僕は途中の標識にあった竹子湖という、

きれいな湖があるとのことなので、

そこを目指すことにした。

結論から言うと大失敗だった。

湖というよりかは

ただ何か得体のしれない植物が植えられている池で、

このただの池が大雨で視界不良という条件に合わさって

最低の景色を作り出していた。

これだけだとただのガッカリエピソードなのだが、

僕は竹子湖に行く途中ある不思議体験をした。

この標識を見て頂きたい。

この標識では竹子湖まで10分と書かれている。仮にこれを標識Aとする

次にこの標識を見て頂こう。

この標識だと竹子湖まで徒歩3分。

仮にこの標識を標識Bとする。

1枚目の標識から2枚目の標識までの間は

徒歩7分となっている。

しかし実際に歩いてみると、

大雨で道が狭くスピードが極端に遅かったにも関わらず、

明らかに標識から標識まで

徒歩3分以内にたどり着いた。

僕はなぜ標識の表示に矛盾が起きるのか、

強い疑問を抱いた。

台北屈指のガッカリスポット竹子湖を見ている間、

ずっとこの疑問について考えていると、

僕は一つの仮説にたどり着いた。

この写真を見て頂きたい。

標識Aと標識Bの間には

大雨の中 謎の果物売りが存在した。

恐らくこの果物売りは竹子湖で

休憩がてら果物を食べる客を想定しているのだろう。

標識Aから標識Bまでの7分間には、

果物売りで果物を買う時間を

計算に入れているのではないかという仮説が生まれた。

僕はすぐにこの仮説を実証するために

実際に果物売りで果物を買い、

買った時間と歩いた時間を合計した。

ビンゴ。

果物を買うのにかかった時間は見事に3分。

これを最初の歩き時間と合わせると、

当初の標識間 徒歩時間7分に限りなく近づくのだ。

僕は最初この果物売りを見たときに、

「こんな雨の中 誰も果物なんて買う奴はいないだろ 」と

この果物売りを無意味な存在だと思っていた。

しかし実際この果物売りがいなければ、

標識間の徒歩時間に必ず狂いが生じ、

観光客を間違いなく混乱の渦に陥れる。

つまりこの果物売りは標識の間違いを訂正するために

あえてあの場所に出店していたのだ。

一見 無意味に見えるものも

深い意味があるのかもしれない。

PS 買った謎の果物はめっちゃ不味かった。

リオンドール

「グルメ」

旅行を楽しむ要素の一つとしてグルメはとても重要である。

高額な旅行先の名物に舌鼓を打つことは、

旅行の醍醐味とされ、

旅行雑誌や旅行サイトではご当地グルメと称して、

様々な食べ物を紹介している。



僕もこれまではこの思想に洗脳され、

沖縄に行った時はソーキそば、

北海道に行ったときは海鮮丼といった具合で

その土地の名物をなんとなく平らげていた。

もちろんこれらの名物は美味しかったし、

食べたこと自体は全く後悔していない。

しかし僕は今回の旅行で少し

「旅行ではその土地の名物を食べる」という定石に疑問を抱いた。

というのも今回の旅行先は日光だった。

僕は日光に着いた直後はこれまで通り

日光名物を食べようと思っていた。

どうやら日光名物は「ゆば」という得たいの知れない食べ物らしい。

街中には「ゆば」をアピールする店が多く立ち並んでいた。

僕は正直気が乗らなかったが、

「ゆば」を食べないと日光に行った

と見なされないのではないかという強迫観念に駆られ、

「ゆば」の店に行くことを提案した。

しかしここでしゃおじょんが目の前にスーパー リオンドールがあるのを見つけ、

「たけー店行くならスーパーで食おうぜ。」

と言い出した。

せっかく旅行に来ているのになんて風情の無い奴なんだ。

世が世なら無粋もんとしてすぐに下放されていただろう。

まだ到着直後だし、この先も名物を食べる機会はあるだろうと

この時はしぶしぶリオンドールに向かうことにした。



リオンドールでは適当に焼き鳥やコロッケといった惣菜を買った。

僕の家ではしばしばこうした惣菜が食卓に並ぶ。

そしてその度に僕は心のなかで「また惣菜」かと落胆していた。

今回買った惣菜も見た目は、

普段僕の家の食卓に並ぶものと変わりはなく、

たいして味には期待していなかった。

しかし一口惣菜を口にした瞬間、

衝撃が走った。

「うまい」

なんだこの味は

もはや惣菜ではない。

この焼き鳥がミシュランガイドに載っていると言われても

僕は全く疑わないだろう。

焼き鳥だけでなくコロッケ、から揚げ、

ひいてはカップラーメンまで、

全ての食べ物が最高にうまかった。

こうして惣菜の虜となった僕は

旅行中一度も飲食店に入ることなく、

全てリオンドールとコンビニで食事をとった。

大満足だった。



まさか日光名物を一度も食べずに、

これだけ満足できるとは思わなかった。

そしてここで僕の中で一つの仮説が立った。

「旅行で食べるものは何でも美味しく感じるのではないか」

旅行をするだけで少なからず気分が舞い上がる。

この舞い上がった状態で食事をとると、

いつもの食事が数倍美味しく感じるのだ。

先ほど述べた惣菜だって家で食べたら、

全く美味しいとは思わないだろう。

旅行の雰囲気というのはとても大切なのだ。

つまり旅行中に無理をして高額な名物を食べる必要はない。

時にはカップラーメンや惣菜を食べ続ける旅行があってもいいと僕は思う。

ありがとう。スーパー リオンドール



クスリ ダメ ゼッタイ

野球界。

日本の国民的スポーツとも言える野球はこれまで

数えきれないほどのスターを生んできた。

そんなスター達の中でも、

一際輝かしい実績と人気を誇った真のスーパースターがいる。

清原 和博

歴代5位となるプロ野球通算525本塁打や

甲子園通算最多本塁打記録13本といった

野球の実績も去ることながら、

その強面や外見や豪快な私生活から

「番長」の愛称で親しまれ、

プロ野球人気を牽引した。 



また今のプロ野球選手ではあり得ないような破天荒な言動、

これだけの実績を残していながら、

個人タイトルとは無縁の「無冠の帝王」であった点、

そして引退後には覚醒と

とにかくネタに尽きない唯一無二のスーパースターであり、

まさしく「意味不明な男」でもある。



長らく清原氏は僕にとって雲の上の存在であったが、

先日僕の数少ない友人の1人であるみやもやし

「あれ?はいぐ~ 若い頃の清原に似てね?」と言ってきた。

僕はこれまで誰かに似ていると言われることは、

中学時代に一度だけ嵐の二宮に似ていると言われて以来

ほとんど無かったのでとても嬉しかった。

それも かのスーパースター清原氏に似ていると言われるのは

このうえない光栄だ。

僕も真の「意味不明な奴」になるために、

ぜひ清原氏のスター性にあやかりたい。

こうして僕の清原生活が始まった。

「野球人たるもの常にバットを大切にすべし。」

清原氏は野球道具をとても大切にしていたとされている。

現役時代はバットを抱き抱えて寝ていたというくらい

バットを大切にしていたという

エピソードも耳にした。

野球人にとってのバットの大切さを痛感した僕は

電車、授業、バイト先

ありとあらゆる場所に

ライオンズブルーのバットを持ち込んだ。

当初 清原氏をも葬った国家権力の妨害が危惧されたが、

バットを持った覚醒者に もはや手を出す者はおらず、

バットの強さを改めて実感した。

この強いバットを持ち歩いていれば、

どんな奴がかかってきても、

こいつで仕留めることができる。

僕はなんだか自分がとても強くなった気がして、

自信がみなぎってきた。

この強さを示すならバッティングしかない。

僕は迷わずバッティングセンターに向かった。

しかしそこで待っていたのは残酷な現実だった。

清原氏が現役時代に打っていたであろう150kmの半分の75kmにすら

全くタイミングが合わず空振りを繰り返した。

僕は完全に誤解していた。

清原氏の格好をして、金属バットを持ったことで、

勝手に自分が強くなった思っていた。

これは明らかに幻覚だ。

清原氏も晩年は幻覚に悩まされていたそうだ。

おそらく僕も同じ症状が現れたのだろう。

安易に覚醒者のコスプレをしてはいけない。

そう強く感じた清原生活だった。