「いい話」カテゴリーアーカイブ

人生を左右する生物学の素養

114年前の今日 ある生命体が地球上から消えた。

その生命体の名はニホンオオカミ。

太古の昔から猟犬として

日本人と共に生活してきた。

しかし近世に入りニホンオオカミの間で

狂犬病が流行すると駆除が進み、

急激に数を減らしていった。

そんな人間の身勝手なふるまいに

振り回され続けたニホンオオカミの境遇を知り、

僕は深い同情を感じた。



近年になってようやく

絶滅危惧種への保護運動が盛んになってきたが、

こうした風潮が生まれる前にこの世から姿を消した

ニホンオオカミの無念は計り知れない。

彼らだってもっと自由に世界を動き回りたかったはずである。

僕がニホンオオカミたちの無念を晴らそう。

こうして僕はニホンオオカミへの突然変異を決めた。

114年前の彼らの無念を晴らすために、

僕は 学校 電車 ファミレス カラオケ と

ありとあらゆる場所に行き

ニホンオオカミとしてこの世を満喫した。



すると1人の男が僕に声をかけてきた。

「牛込警察署の者です。」

僕はすっかり自分が114年ぶりに現れた

ニホンオオカミであることをすっかり忘れていた。

絶滅したとされる生き物が突然目の前に現れたら

国家権力たちは保護という名目で

監禁しようとするに違いない。

僕は慎重にやつの質問に答えていった。

途中「家からこの格好なの?」という意味不明な質問もあったが、

「当たり前です。」と言ってなんとか尋問を乗り切った。



しかし尋問を乗り越えたことに安堵する反面、

これほど簡単にニホンオオカミを手放してしまって

いいのだろうかという疑問を抱いた。

僕はもう一度鏡で自分の姿をじっと見つめ直した。

気づいてしまった。

僕の容姿はニホンオオカミではない。

ハイイロオオカミだ。

ハイイロオオカミは世界各地に存在している。

つまり今日僕はただハイイロオオカミとして

街で暴れていただけだったのだ。

国家権力も保護目的で近づいてきていたのではなく

僕が殺処分候補に名乗りを挙げていたからなのだろう。

典型的な文系学生である僕の

生物学への知識不足が露呈してしまった

オオカミ生活だった。

まあいいやの精神

昨日1月17日は防災とボランティアの日だった。

僕はボランティア=自衛隊という

安直な思考を持っていたため、

以前からこの日に自衛隊のコスプレをしようと決めていた。

しかし当日になると前日の禁酒祭での疲れから

完全に燃え尽きてしまい家から出る気力を失ってしまった。



思えば1週間ほとんどを

授業が終わるとすぐに直帰か

バイトで過ごしていた1年生の頃に比べて

最近は毎日のように禁酒会で企画をやり、

そうでない日は新しく始めたバイトで

帰りは夜の1時と明らかに飛ばし過ぎていた。

元々僕は予定がなければ

1週間ぐらい平気で家からでない引きこもりなのに

これは少々やりすぎだ。

そこで僕は1日自主全休をして、

次の日に自衛隊コスプレをすることにした。



しかし今日は防災とボランティアの日ではないので、

自衛隊のコスプレは意味をなさず、

僕の服装に疑問を抱く者を

納得させることができない。

このままでは彼らは一生、

今日の僕の服装に疑問を抱きながら死んでいくだろう。

僕のコスプレで不幸になる人を作ってはいけない。

なんとしても僕は

自衛隊のコスプレをした理由を

作らなければならない。



今日は1月18日。

1月18日?

ひらめいた!

まあいいや(118)の日だ!

「本当は昨日が防災とボランティアの日だったんだけど

今日は1月18日だからまあいいやの精神で自衛隊の服着てきた。」

完璧な理屈だ。

これで僕の服装に疑問を抱いたまま

死んでいく人の命を救うことができる。

まあいいやの精神は偉大だ。

こうして理論を固めた僕は意気揚々と

キャンパス内に乗り込んだ。

キャンパスでは禁酒会と同じタイミングで発足し、

早稲田大学内で勢いに乗っている情熱プロジェクト

書き初め大会を行っていた。

僕は禁酒会の代表として禁酒の精神を広げるために、

「禁酒」という二文字を書き上げた。

彼らは僕が毎日コスプレをしているのを知っていたので

お約束のようにまた「今日は何で自衛隊なんですか?」と

コスプレの理由を聞いてきた。

待ってました。

僕は心のなかでガッツポーズをして、

自信満々に先ほどの理屈を述べた。

するとどうだろう。

理屈は全く伝わらず、

彼らはただただ呆気にとられていた。

今回の理屈はこじつけが過ぎていたようだ。

この寒いなか活動している彼らに対して

さらに寒い理屈をぶつけてしまい大変申し訳ないと思っている。

でも僕は最後にこう言いたい。

「まあいいや」



成人の誓い

今日は成人式だった。

僕の住む横浜市では毎年4万人近い新成人が

横浜アリーナに集まり成人式が行われる。

新成人の1人である僕だが

元々この成人式に行くつもりはなかった。

なぜなら成人式は基本スーツか袴を着るからだ。

服装の自由を求めコスプレを続けている僕にとっては致命的だ。

事実地元の同窓会は

ドレスコードがあったため出席することができなかった。



周りではみんなSNSに成人式や同窓会の様子を載せて、

普段は散々「過去にこだわるのはダサいと」

言い張っていたしゃおじょんですら、

「同窓会はめっちゃエモい」と陳腐な御託を並べていた。

そんな中で僕は成人式や同窓会は

僕には無縁の行事であると感じるようになっていた。



しかしふと成人式の招待状を見るとなんとそこには

「服装の規定はありません。」

という衝撃の一文が記されていた。

「行ける」

これで僕の行く手を阻む者はいなくなった。

横浜市は本当に寛容な都市だ。すばらしい。

#この横浜にまさるあらめや

僕は晴れ舞台ということで

最近の中では一番自信のあった

コナンの犯人コスプレで成人式に出席することにした。 

反響は凄まじかった。

すれ違った者はみんな振り返り、

写真をとられ、

挙げ句の果てには

「今日はハロウィンじゃねーよ」

と怒ったヤンキーにマスクをとられそうになった。

ただ冷静に振り返ってみると、

僕は今までの自分だったら

今日のような行動は絶対にできなかったと思う。

今までの自分は人に馬鹿にされることを恐れ、

自分のやりたいことを全くできていなかった。

今日 成人式を迎えたからといって

僕が本当の意味で大人になったのかはわからない。

僕は大人になっていくというのは、

ただ年長者の真似をして酒を飲んで騒ぐことではなくて、

自分がこれまでできなかったことを

できるようにしていくことだと思う。

僕は自分ができなかったことに挑戦し続ける

大人になれるように生きていきたいと思う。



原始人に戻ろうぜ

僕は今日大学で所属する中国語中国文学コースのメンバーで

早稲田駅伝に出場した。

僕は「お前はエースだから」という適当な理由で

最長区間6km 花の2区を走らされることになった。



僕は部活をやっていた頃には10km近く平気で走っていたので、

最近まで6kmなんて余裕だと思っていた。

しかし実際にマシンで6km走ってみると

想像以上にキツイ。

よくマラソンなどでは

「1km3分とスローペースな展開です」

といった実況があるが、

素人からすれば1km3分ペースどころか1km5分ペースも怪しい。

マジで意味不明な世界だ。

本当に意味不明な奴とは

長距離ランナーのことを言うのかもしれない。



迎えた当日、

僕はタスキを受けると

日頃の運動不足から次々と後続ランナーに抜かれ、

みるみる順位を落としていった。

おそらく50人ぐらいに抜かれたのではないだろうか。

今日ここに「50人に抜かれた男」という

意味深な称号が僕の中に刻まれた。

こうしてヘロヘロになりながら、

なんとかタスキを繋いだ僕は

朝からろくに食事をとっていなかったからか、

激しい空腹に襲われ、

駅伝後すぐに僕たちの行きつけの中華料理店

「老北京」でがっつり昼飯をとった。

僕たちの詳しい駅伝事件簿はこちらまで→https://dobunezumidesu.hatenablog.com

空きっ腹と中華の相性は抜群。

この昼飯は恐らく

僕の人生で幸せな食事ランキングの

上位に間違いなく入るだろう。

昼飯をとったあと僕たちは足早に解散し、

僕は神速で家に帰り、

シャワーで汗を流し、

食欲から転換されて生まれた性欲を子孫の殺害で満たし、

最後に現れた睡眠欲を僕が生まれた時の姿で満たした。

こうして僕の三大欲求フルコース生活は幸せに包まれて幕を閉じた。



改めて幸せだった今日という日を振り返ろう。

体を動かす→飯を食う→子孫を残す→眠る

これはまさしく原始人の生活だ。

いくら文明が発達したとはいえ、

人間が幸せを感じる根本的な要因は

変わっていないのではないか?

僕を含めて現代人は幸せとは何なのか考えることが多いが、

もしかするとその答えはとても単純なところにあるのかもしれない。

幸せになるために原始人に戻ろうぜ。



意味不明な奴は果物を配る

ご存知の通り 本ブログのタイトルは

「意味不明な奴でありたい。」だ。

僕はこれまでこのタイトルに

恥じないようにするために

さまざまな企画に挑戦してきた。

こうした企画の中で、

僕はさまざまな人に出会ってきた。

もちろんみんないい人たちばかりであったが、

いい意味で本当に意味不明な奴も中には存在した。

そして僕は彼らの中にある共通点があることを発見した。

奴らは果物を配る 続きを読む 意味不明な奴は果物を配る

裸にまつわるエトセトラ

                  裸だったら何が悪い

この某草なぎ剛氏によるゲイノウ人生を賭けた問題提起から早10年がたとうとしている。

しかしいまだに私たち人類はこの深淵な議題に対して明確な回答を出せていない。

人間は元々裸だった。

僕が先日紹介した縄文人も裸だった。

なぜ人間は裸を捨てたのか。そしてそこにはどんな理由があったのか。いったい裸でいることにどんな問題があるのか。と疑問は尽きない。

今回は人類のさらなる発展に不可欠なのにも関わらず、数億年にわたって見過ごされてきたこの議題について考察していこうと思う。

まず裸を語るうえで切っても切れない関係にあるのは衣服の存在である。

現在多くの人類が衣服を着用していることから、衣服の誕生を紐解いていくことが、人類が裸を捨てた理由に近づくきっかけになるのは言うまでもない。

人類が衣服を着用するようになったのは約7万年前といわれている。

理由はいたって簡単。寒くなったからである。(wikipediaより)

寒くなったから服を着て暖をとる。あたりまえ。

正直この理論には突っ込む余地もないし、突っ込む気も起きない。

ここでの問題はその逆である。寒いという肉体的な理由で服を着始めたのにも関わらず、なぜ暑くなったときに服を脱がないのか。

しばしば通気性のよい服といった広告を見かけるが一番通気性がいいのは間違いなく全裸である。

そんなこと少し考えれば誰でもわかるはずだ。

暑いと言うなら裸になれ。

なぜ人間は裸になることを恐れるようになってしまったのか。

裸になることが問題視される理由の一つとして、しばしば性器の露出が挙げられる。

多くが他人の性器を気持ち悪く思うということに僕は異論はない。

しかし気持ち悪いという理由だけで性器を排せいきしようというなら、キモイ顔は常にガスマスクをつけなければならなくならず、

すだれ禿は常に帽子をかぶらなければならなくなる。

ブスと露出狂は3日で慣れるという言葉をあるように、人間はどんなに気持ち悪いものでも慣れてしまうのである。

ここで誤解して欲しくないのは、僕は裸になることが好きなだけで、必ずしも服の存在を否定しているわけではない。

寒い時には服を着るし、なんなら暑いときにも着ている。つまりただの服依存者だ。

服の暖をとれるという良さを理解しつつも、 裸になりたいときは裸になれる

そんな自由な世の中になって欲しい

それこそが某氏が伝えたかったメッセージだと僕は思う。