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1000円で手に入れることができる真のサービス

ラインペイがいま登録者同士で1000円を送り合える狂気のキャンペーンを行っている。

ラインペイを使ったことがある人なら分かると思うが、ラインペイといえば、支払いが終わるたびに、「クジに挑戦!」といった無邪気なメッセージを送ってきては、

「1円当選 おめでとうございます!」という僕を有邪気な気分にさせる結果を送りつけてくる忌々しき乞食団体のイメージが根深い。

その乞食組織が今回1000円を配布するというキャンペーンをやったのだから驚きだ。

僕の乞食友達たちも早速このキャンペーンに参加し、僕に1000円を送ってくれた。

僕は久しぶりに1円以外の金額がラインペイに追加されたことを大いに喜んだ。

この1000円を何に使おうか。

「食事代、コスプレ、イソジン…」

世の中 1000円あればいろいろな物が買える。

1000円で救うことのできる命もたくさんある。

僕の邪気に溢れた想像力では、計り知れないほどの力を1000円は持っている。

1000円で何ができるのか考えていると、以前1000円で手に入れたある奇妙な体験が僕の頭の中に浮かんできた。

それは例のごとく冷たい北風が吹き荒れていたある春の日のことだった。

例のごとく性欲に餓えた「流山のバイアグラ」がこんなことを言ってきた。

「激安ピンサロ行こうぜ。」

以前も紹介したが、彼は「風俗ブロガー」として、極上の至福を求め、ありとあらゆる風俗への潜入を試みる性欲の権化だ。

性に関していえば、彼の発言にしたがっていればまず間違いはない。

僕らはすぐに「都内 激安ピンサロ」というワードで検索をかけまくった。

「都内」で良いものがなければ、次は「新宿」、「新宿」でだめなら、次は「池袋」

といった具合に手を変え、品を変え、執念深く調べた。

普段大学のレポートの文献を調べる際には、1度検索して良いものがなければ、すぐに諦めてしまう僕らからすれば、考えられないほどの執念である。

こうして執念深く調べていくと、ある興味深い店が僕らの前に現れた。

http://aitata-o.com/top/

見よこのビジュアル。

「あ、痛たた!」といった強烈なネーミングもさることながら、危険色の代表格でもある黒と黄色を基調としたホームページは訪れる者を恐怖の渦へ引きずり込む。

それにこの店にはなんと「10分1000円」というイカれたコースもあるそうだ。

(ふつうのピンサロは30分4000円~が多い。)

僕らは迷わずこの店に足を運ぶことに決めた。

こういった店に行く楽しみの1つとして、「在籍一覧を見る」が挙げられると思うが、「あ、痛たた!」のような地雷店ではそれは当てはまらない。

出勤一覧を見れば見るほど、恐ろしい気分になってしまうのは、前回の人妻パラダイスで経験済みだ。

しかし恐ろしいと分かっていることほどやってしまいたくなるのが世の常だ。

僕らは店に向かう途中、ついつい「在籍一覧」に目を通してしまった。

期待を裏切らない恐ろしさだ。

僕の息子たちが次々と死んでいく音が聞こえた気がした。

ただ「在籍一覧」を見て震え上がり、店へ向かう足取りが重くなった前回とは違って、

今回は前回の経験から「死ぬことは絶対にない」ということを理解していたので、動揺から足取りが重くなることはなかった。

こうして平常心を保ちながら歩いていると、すぐに奴が目に飛び込んできた。

前回とはうって変わって威風堂々とした態度で中に入ると、いつものようにイカしたボーイに無駄に妖艶な暗闇に包まれた1畳ほどの狭いブースに案内された。

しまった。今回は二人で来たため、ブースが隣同士だ。

これでは「流山のバイアグラ」の想像を絶する媚声が聞こえてしまう。

「大丈夫、媚声ぐらいで人間は死なない」

こんなことを考えていると先に隣のブースに黒い影が現れた。

僕は思わず笑ってしまった。

だいたい風俗のホームページ写真というのは、偽りがあるというのが普通だが、

この女性はホームページと全く同じなふくよか体型をしていた。

「あいつ大丈夫かな。」と隣のブースを心配していると、すぐに僕のほうにも影が近づいてきた。

驚いた。

なんと隣に来た女性よりも2倍近くふくよか体型の女性が僕のもとにやって来たのだ。

彼女は驚き硬直した僕をよそに10分という短い時間を無駄にしないために、すぐにサービスを始めた。

キス、フェラチオといった基本サービスは言うまでもなく、彼女の大柄な体格を生かしたハグは僕がこれまで犯した罪や不道徳を全て包み込んでくれるような感触を与えてくれる素晴らしいものだった。

これはまさしく本物のサービスだ。

1000円でこれだけ素晴らしいサービスを提供してくれるとは、日本のサービス業も捨てたものではない。

「自分たちにしかできないサービスを」という日本のサービス業の真髄が「あ、痛たた!」にはつまっている気がした。

冒頭にも述べたようにいま極悪非道で名高いラインペイが1000円を配布するという名誉挽回をかけたキャンペーンを行っている。

ただで1000円を手にしたラインペイユーザーたちはいま1000円の使い道にさぞかし悩んでいることだろう。

そんな時はぜひこの「あ、痛たた!」に行って真のサービスとは何か体験して来てほしい。

吹きつけるのはいつも北風

僕は先日あるバイトを通じて恐ろしい社会の闇を垣間見てしまった。

話は先月にさかのぼる。

僕は先月ウーバーイーツに登録した。

ウーバーイーツとは主に新宿などに生息する、家中の紙を紙幣に変えて消費してもなお余るほどの大金を手にした超上級国民たちが、

ただ金を使うだけでは飽きたらず、小金をエサに僕たち下級国民たちをパシりに使い、配達を行わせるという「現代のアンシャンレジーム」を象徴する階級制サービスである。

ウーバーイーツは基本的に配達の際に、自転車を使うことが多いのだが、僕は自転車で坂を登るのが面倒だったので、

「新宿だったら最悪電車を使えば、歩きでも配達できるだろう」とたかをくくり、歩きで配達を行うことにした。

最初のうちは流石は「天下の摩天楼」新宿。

たった500mの距離でも惜しげもなく配達を頼む特権階級たちのお陰で、「歩き」の遅さを気にすることもなく、配達ができていた。

僕は第三身分としてパシられる人生も案外悪くないと階級社会の良い側面に感謝していた。

しかし「歩き」による負の側面は唐突に現れた。

「〒※※※-※※※※ yotsuya~」

四谷!?

僕はその時南新宿にいた。

南新宿から四谷までは「歩き」を使うと1時間ほどかかってしまう。

あいにく僕は四谷方面の定期券は持っていない。

四谷まで往復で電車に乗ったら、電車賃が配達報酬を越えてしまい、本末転倒になってしまう。

歩くしかない。

僕は自らがブルジョワジーたちの奴隷であることを思い出し、無我夢中で歩いた。

そして歩くこと約1時間、ついに目当ての家にたどり着いた。

配達対象のから揚げはとっくに冷たくなっていた。

僕はそんなことも気にせず、1時間かけて配達したという達成感を覚えながら、意気揚々とインターフォンを鳴らした。

「そこに置いて、さっさと帰って!!」

僕はこの時ほど彼らの恐ろしさを見に染みて体感したことはない。

僕は無意識のうちに「金持ちは生活に余裕があるから心も広い」だなんていう安易な空想を描いていた。

アンシャンレジームの時代を思い出して欲しい。

金持ち階級たちは数百年にも渡って自分たちが有利になるような仕組みを作り続け、貧困に喘ぐ下僕たちから搾取し続けていたのだ。

そんな彼らの心が広いはずがない。

たった1パックのから揚げが思った時間に届かなければ怒り狂う。彼らはそんな種族たちだ。

おそらくアンシャンレジームの時代だったらその場で処刑されていただろう。

僕は現代が表向きは非階級社会であるという事実に感謝しつつも、「さっさと帰る」気力はもはやなく、とぼとぼと家路へ向かった。

はよ帰れ

冷たい言葉を

浴びるとき

吹きつけるのは

いつも北風。

伝えたいことも伝えられない世の中を売り飛ばしたい

僕はときおりこんな質問を受けることがある。

「買ったコスプレはどうしてるの?」

僕がこれまで買ってきたコスプレの衣装は全部で20着を越えている。

その全てを僕の4.5畳の部屋に詰め込んでしまえば、僕の部屋は近隣住民からの村八分の対象となってしまうだろう。

じゃあどうしているのか?

答えは簡単。「メルカリへの出品」だ。

「一度着たコスプレなんて売れるの?」といった意見もあるかもしれないが、

何を隠そう世は空前のコスプレブーム。

僕が出品したコスプレのほとんどは一週間もたたない内にばんばん売れていく。

中には買った額よりも高く売れるものもあるほどだ。

とりあえず就職したくないという理由で企業に手を出そうとする大学生はいますぐコスプレ転売を始めるべきである。

しかしこのコスプレブームにすら乗り損ねてしまった憐れなコスプレたちも当然のごとく存在する。

僕は基本的に1度着たコスプレは2度と着ないというポリシーを持っている。

そのためあえなく売れ残ったコスプレたちは二度と日の目を見ることなく朽ちていく。

いかにしてこのコスプレたちにもう一度晴れ舞台を与えるか。

メルカリではコスプレを着た写真を商品説明に加えることができる。

しかし本当のコスプレの素晴らしさというのは実際に見てみなければ分からない。

となると答えは1つ。

「実際に着る」だ。

僕にとって今まで着てきたコスプレたちは

大学生活という人生の夏休みを共に戦った戦友だ。

この戦友たちが押し入れの奥で腐っていく姿を黙って見ている訳にはいかない。

僕はこれまでのポリシーを破り、

実際に多くの学生が参加する講義に売れ残ったコスプレで参戦し戦友の素晴らしさを宣伝することにした。

1着目のコスプレはその名も

「うんちの男体盛り~泣き顔を添えて~」だ

このコスプレは悪名高き禁酒会時代に着たことで無名なコスプレだ。

当時は「酒をこの世から無くす」という危険思想をヒントに「うんこが汚いわけないだろ」という狂気の理論を打ち出していた。

僕はこの理論はうんちのコスプレをしたからこそできたのであると信じている。

普段から真面目な生活を送る大学生もみんなどこか狂気性を必ず持っているはずだ。

その狂気性を手軽に引き出すことのできるうんちコスプレは売れ残っているのが不思議なほどの良品である。

僕はこのうんちコスプレの素晴らしさを広めるために大事な入場服にこいつを選んだ。

そしていつものように20分ほど遅刻して、講義に参加すると、僕の狙い通り、50人ほどの受講者の視線が一気に集まった。

普段ならここで何事もなかったかのようにうんちコスプレのまま講義を受けるのだが、今日は他のコスプレの宣伝もある。

この視線が集まるという一瞬のチャンスを逃してはいけない。

僕は迷わず、うんちコスプレを脱いで2着目の

「意味不明な奴はインナーにスイカを着ている」に着替えた。

このコスプレは僕が本ブログの方向性について1つの手がかりを見つけた時に着ていた大変思い出深いコスプレだ。

もしあの時スイカを着ていなければ、

僕は未だにこのブログの方向性を定めることができていなかったと思う。

スイカコスプレが僕の進路を決めてくれたといっても過言ではない。

これだけ素晴らしさスイカコスプレを僕の手元だけに置いておくのは勿体ない。

僕が今回参加した講義では、就活を控えた3年生がとても多い。

彼らもまた僕のようにスイカコスプレをして自分の進路を明確にして欲しい。

そんな思いを込めて僕は2着目にスイカを選び、講義の大半をスイカコスプレで過ごした。

そして講義も終盤に差し掛かり、いつものようにコメントペーパーを書く時間を迎えた。

僕は遅刻したため、コメントペーパーをもらえなかったことを口実に前へ出て最後のコスプレ宣伝をしようと考えた。

最後の3着目は

「オオカミはあなたにかけがえのない経験を届けます。」だ。

このコスプレは僕が人生で初めて職務質問というかけがえのない貴重な体験を手に入れた時に着ていたとても思い出深いコスプレだ。

オオカミコスプレをしていなければ、そのような経験は間違いなく手に入れることが出来なかっただろう。

このオオカミコスプレはそうした貴重な体験を手繰り寄せる不思議な力を持っている。

いま売れ残っているのは間違いないなく奇跡と言えるだろう。

就活でアピールできるような貴重な体験を求めている大学生たちにピッタリの代物だ。

僕はこのオオカミコスプレの貴重性を伝えるために、オオカミマスクを被って前へ出た。

さっきまでうんちコスプレをしていたやつが急にオオカミに変わっていたら、「こいつ何着持ってるんだ?」といって

いくら他人に興味の無い大学生たちでも気になってメルカリのアカウントを聞いて来るだろう。

しかし現実は残酷だった。

周囲からはクスクスといった冷笑がこだまし、

先生からは

「何やってるんですか?」「(頭)大丈夫ですか?」と聞かれる始末。

僕のコスプレにかけた思いは全く伝わることはなく、ただただ50人の前でコスプレでスベるという醜態を晒しただけであった。

伝えることというのは本当に難しい。

時間制限のないブログと違って、

現実世界で僕に与えられる時間はとても短い。

僕はこれまでこの短い時間で、自分を伝えるのにはコスプレという視覚データを用いるのが一番だと考えていたが、

今回の経験からコスプレだけで何かを伝えるというのはとても難しいと感じた。

コスプレを超越した何かを生み出す。

今後の課題はこれになるのだろう。

近い将来 恐ろしい税金が日本を席巻する

所得税 相続税 酒税 たばこ税 関税

この世にはありとあらゆる税金が存在する。

税金の種類は年々増え続け、

今では日本は世界2位の重税国とも呼ばれている。

これらの税金の中には特定の市町村に住居をかまえることで発生する住民税や、

食品を購入することで発生する消費税といった人間生活に欠かせない衣食住に関わる税金も存在する。

僕はこうした見境のない重税化の進む日本において、いつかある恐ろしい税金が課される日が来るのではないかと危惧している。

うんこ税だ。

その名の通りうんこ税はうんこをした者に課される税金である。

この図でもわかるように、うんこを処理するためには莫大な時間とお金がかかる。

にもかかわらずこの国のうんこ製造機たちは毎日勤勉に製糞をしている。

つまり現在この国では無償でうんこ処理が行われているのだ。

この状況をエリートうんこ製造機集団たちが見逃すはずがない。

彼らはいつか日本が財政的に困難状況に陥ったとき、この圧倒的に損をしているうんこ処理業界への改革に目をつけるだろう。

一般的に日本製のうんこ製造機たちによる1日の生糞量は200gとされている。http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/014_kids/14_infection_013.htm

これを日本の人口1億7000万人でかけると

1日に約25400トンのうんこが製造されていることになる。

1日2540台もの10トンうんこトラックを作り出せるのだ。

冒頭にも述べたように、うんこを処理するためには莫大な金がかかる。

うんこが農業用肥料に製糞されていた時代ならともかく、

一部の愛好者を除き、全く活用されることなく惰性で製糞されるうんこたちは明らかに金食い糞だ。

この巨大な赤字を出しているうんこ処理産業を改革するには、

うんこが有効活用されていたという過去の栄光にすがり、いまなお無意味にうんこを製糞し続けるうんこ製造機たちに税金を課して、

彼らのケツに火をつけるしかないないだろう。

うんこに一定の税金をかければ、

「無理な食生活をしてもうんこすれば解決♪」なんていう甘い考えも減り、結果的に国民の食生活も改善し、医療費の軽減にもつながる。

以下がうんこ税導入のメリットだ。

1 莫大な赤字を出しているうんこ処理業界の財政健全化。

2 うんこ頼みの無謀な食生活減少による医療費軽減。

3 本当に必要な時のみにうんこが製造されることでうんこの大幅な品質向上。

このようにうんこ税の導入によるメリットには枚挙にいとまがない。

一部には「いやいや うんこしないと人間死んじゃうんだからさすがにうんこ税はないでしょ。」という楽観的な意見もあるかもしれない。

しかし僕が最初に紹介した実際に存在する税金たちを見て欲しい。

これらの中の消費税や住民税は直接人命に関わる分野なのにも関わらず税金がかけられている。

自分たちは素晴らしいうんこを製造していると自糞しているエリートうんこ製造機たちはいくら人命に関わる分野であろうが、金になると分かれば容赦なく税金をかける。

今回紹介したうんこ税のメリットを考慮すれば、そう遠くない将来に彼らがうんこ税を作り出す可能性を水に流すことはできない。

いつか現代を税の心配をすることなく、うんこ製造に勤しめる幸せな時代だったと表現する時代がきっと来る。

僕たちはこの当たり前の幸せを噛みしめて

今日も勤勉に踏ん張り続けなければならないのではないか?

覗き部屋を通じて見えた風俗ブロガーの覚悟と矜持

僕は最近風俗へ行っていなかった。

というのもここ数ヶ月、

沖縄の最安デリへル庶民派デリヘル某ビデオの出演といった壮絶な性体験を経て、

自分の性に対する考え方について、考え過ぎてしまって、純粋に風俗を楽しむことができなくなってしまった。

以前は毎日自らを慰めなければ、眠れないほどの落ち込み症であった僕は

最近この落ち込み症がさらに酷くなり、

いまや慰める気力すら失ってしまった。

人間本当に落ちんこんだ時は、

慰める気力すら起きないものである。

そんなある時、「流山のバイアグラ」という異名を持つほどの精力を誇るしゃおじょんがこんなことを言ってきた。

「覗き部屋行ってみね?」

流石は「流山のバイアグラ」

風俗で多くのものを失ったのにも関わらず、

先月台湾で至福の体験をしたことですっかり忘れている。(詳しくは彼のブログを参照https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102 )

僕は最初に書いた通り、すっかり精力を失い、身も心も疲れはてていたので、

当初 全く乗り気ではなかった。

その旨を彼に伝えると、どうやら彼もその日の朝に自らを慰めたばかりで、調子は良くないとのこと。

「じゃあ何で行きたがるの?」と僕が聞くと

彼はこんな答えを出した。

「俺は風俗ライターだから行くしかないんだよ。」

圧倒的な精力を武器に世界中の風俗に潜入し、その実態を赤裸々にブログに綴るしゃおじょん。

最近では早稲田大学風俗研究会を設立し、風俗文化の普及に励んでいる。

僕はこの時、彼の風俗ライターとしての熱い想いを目の当たりにした。

彼にとって風俗に行くことはもはや一時の快楽のためだけではなく、立派な仕事のひとつなのだ。

今回は彼が仕事に向き合う姿を捕らえる大変貴重なチャンスだ。

僕はこんな光栄な機会を無にしようとした己を恥じて、しゃおじょん氏の仕事現場に同行させて頂くことにした。

さて今回行った覗き部屋だが、

この写真を見て分かるように、

欲望に支配された街 歌舞伎町の中でも一際異彩を放っている。

中に入ると、すぐに長く薄暗い階段があり、そこを下ると怪しげな男が受付をしていた。

男は僕たちを見つけるとすぐに、

大人2100円、学生1600円という料金説明をした。

500円の割引。とても大きい。

この500円でどれだけ多くの人が救われるだろうか。

僕は自分が大学に進学した意味を再確認した。

料金を払い、安堵したのも束の間、

男は盗撮防止を名目に僕たちに携帯とその他電子機器を預けろと言ってきた。

風俗での盗撮はもちろんご法度だが、

これまでは携帯を預けろと言われたことはない。

もちろん演者を盗撮するつもりなどさらさらないが、

雰囲気を伝えるために何枚か中の写真を取りたかった僕にとっては大きな誤算だった。

しかし受付の周辺には今まで盗撮がバレた客の写真と身分証明書が晒し首のように張られていた。

僕が将来子どもを持って、その子どもがここに来たときに、父親の写真が張られていたらどうだろうか。

僕はこの想像を絶する未来に耐えかねて、しぶしぶ携帯とパソコンを預けた。

こうして受付が全て終了すると、

番号札を渡され、受付の横にある2畳ほどの小さな待合室に案内された。

そして他の風俗と同じく、やたら古いアダルトビデオが流れる待合室で、他の客とともに、しばし気まずい待ちをした後、

ストリップショーの客席に案内された。

客席と言えば聞こえはいいものも、

実際のところ覗き部屋の客席は

人が1人通れるくらいの狭く暗い廊下に、

仕切りがおかれ、5つほどのブースが形成されていて、

ブースの中に入ると小さな椅子と、ティッシュが置いてあり、前面が全てガラス張りになっていて、

ガラス越しに際どい水着を着た演者の姿が見えるという粗末な作りだった。

しばらく座っていると、

この妖艶な雰囲気には場違いな妙にアップテンポな曲がかかりだした。

某サロンもそうだがなぜ風俗店はアップテンポな曲をかけたがるのが?

自分を慰める時にわざわざ湘南乃風をかけるか?

経営者たちは商売がうまくいっていて、

自分を慰める必要がないからわからないのだろう。

それはさておき、話を戻すと

場内ではこのアップテンポな曲に合わせて、演者が際どい水着で体をくねらせるという奇妙な「踊り」を始めていた。

これを「踊り」と表現して良いのかは僕にはわからない。

ただひとつ言えることはこの奇妙な「踊り」は明らかに僕の感情を無に近づけていったということだ。

「踊り」を行っている最中、演者は鏡越しに情に餓えた客がいるという事実に堪えられないのか、ずっと別の方向を向いていた。

そして明らかに視線の合わない状態で、演者は僕のほうに近づき、下着の陰部付近についたヒラヒラを上下に降った。

この不思議な誘惑は、女の裸を見ても全く興奮しない僕の感情を完璧に吸いとった。

僕は完全に虚無になった。

その後はショーが後半になるにつれて、不思議なあえぎ声が場内にかかり、それに合わせて演者も胸→局部の順に下着を脱いでいったが、

僕はもはや何の感情も抱くことなく、

ただただ目の前の奇妙な現実に目を傾けていた。

ふいに僕の虚無感は終わりを告げた。

「抜きやりますか?」

別の演者が僕に向かってこう話しかけていた。

どうやら覗き部屋ではオプションとして

演者がいっしょに慰めてくれるというサービスがあるらしい。

ショーの最中、普段から身長コンプレックスに悩む僕の息子はいつも以上にコンプレックスに悩まされていたため、

そんなサービスを受ける余裕もなく、

僕はすぐに「いらないです。」と返事をした。

すると彼女はあろうことか、僕に聞こえるほどの大きな音で舌打ちをして、その場を去っていった。

後でしゃおじょんに話を聞くと、彼もまた同じように舌打ちをされたとのこと。

そして最後にショーは「イク イク イク アーン」といった大げさなあえぎ声が場内にこだまするとともにあえなく終了し、

僕は言いがたい虚無感を抱えて覗き部屋を後にした。

僕はこの虚無感をすぐに誰かと共有したかったので、

すぐにしゃおじょんにその日の体験を話した。

すると彼も僕と同様にあまり良い思いをしていなかったらしく、

もう二度と行かないと言いたげな感じだった。

僕は歴史上類を見ないほどの精力を持つ彼ですらこのような反応をしたことで少し安心した。

しかし 次の瞬間そんな僕の安心を吹き飛ばす言葉を彼は発した。

「俺 1回抜いたわ」

 は??????

何言ってんだこいつ。

あの環境で抜いた?

覗き部屋のブースの中は人が1人座れるくらいの狭い部屋だ。

それにあの内容。

どう考えても抜ける要素はない。

詳しく話を聞くと、彼も実際かなり覗き部屋を渋く感じていたそうだが、

風俗ライターとして抜かない訳にはいかなかったとのこと。

いくら風俗のサービスが悪くても、

それに文句をつけることなく、

無心で性欲を高め、発散する。

素晴らしい。

これこそ真の風俗ライターだ。

配偶者がいるのにも関わらず、

一時の快楽に溺れ風俗へ足を運ぶような奴が多いこの腐った世の中で

彼ほどの覚悟を持って風俗に行く男がどれほどいるだろうか?

ちょっと風俗のサービスが悪かったぐらいで、こうしてブログに憂さ晴らしをしている僕とは雲泥の差だ。

彼は圧倒的な精力だけでなく、風俗に行く上での並々ならぬ覚悟も兼ね備えた最強の風俗ブロガーだ。

今回はそんな彼の超人的な一面を垣間見ることができた貴重な経験だった。

今後の彼の活躍に目が離せない。

真面目なおじさんが報われる世界になって欲しい。

先日 僕は21歳の誕生日を迎えた。

誕生日は誕生日でなかなか素晴らしい出来事がたくさんあったのだが、

どれもこれも素晴らしすぎて、

ブログ向きではないので、

今回は全て割愛させていただく。

ではなぜ今回 わざわざ誕生日であったことを報告したのかというと、

誕生日を迎えたことによってある恐ろしい事実が浮かびあがっていたことに気づいたからだ。

それは誕生日を迎えたことでまたひとつ

 「おじさん」に近づいてしまったということだ。

世間の「おじさん」への風当たりは常軌を逸するほど冷たい。

最も公正とされるGoogleで「おじさん」や「中年男性」と検索するとこうなる。

ひどい。ひどすぎる。

ちなみにおばさんだとこうだ。

何という違い。

この国では「おじさん」というのは存在しているだけで場の空気を乱す害虫として扱われるのだ。

僕はこれらの記事を全て読んだ。

もちろん 「おじさん」擁護派の僕ですら

気持ち悪いと思う内容もいくつかあったが、

その多くは男子大学生たちがやっていてもおかしくないような内容だった。

確かに近年は下記のような「おじさん」によるデリカシーのない発言が世間を賑わすことが多い。

https://twitter.com/wonna57716011/status/1120340900343734272?s=19

実際 僕もこうした「おじさん」たちの時代遅れな発言や思考はもちろん批判されるべきだと思う。

しかしここで納得いかないのが、

こうした一部の「狂ったおじさん」たちのせいで、

最初の写真のような歪んだ「おじさん」イメージが作られてしまうことだ。

「おじさん」にもいろんな種類がある。

こうした「狂ったおじさん」たちが社会を賑わすということは裏を返せば、

大多数の「おじさん」は家族や自分のために真面目に働いて生きているということだ。

そうした「真面目なおじさん」たちは、

「狂ったおじさん」たちのせいで作られたイメージのせいで、

真面目に生きているのにも関わらず、

常に肩身の狭い思いをしている。

狂った「おじさん」の中には、

真面目に生きていても報われない「おじさん」の宿命にやけになって内なる狂気を解き放った者もいるかもしれない。

もちろん元をたどれば、全て「狂ったおじさん」が悪いし、

こいつらが自分の年をわきまえて行動すればいいだけの話ではある。

ただ、これまでどの年代にも「狂ったおじさん」が一定数いたことを考慮すると、

「狂ったおじさん」そのものがいなくなるということはないだろう。

そういった時に「おじさん」そのものを忌避するのではなくて、

「おじさん」一人一人を正当に評価する世の中になるべきだと思う。

世の中まだまだ「真面目なおじさん」たちを中心に動いている。

いくら男性中心の社会を批判したいからって、そうした「真面目なおじさん」たちまで叩くのは明らかに間違ってると思う。

僕が「おじさん」になるまでに、少しでも「おじさん」の地位が上がってますように。

「おしりを出した子一等賞」にみる人間のあるべき姿

「おしりを出した子一等賞」

この歌詞はまんが日本昔ばなしの主題歌

「にんげんっていいな」に登場する歌詞である。https://youtu.be/dUXeJTzSCjc

日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう名フレーズだ。

しかしここで一度歌詞全体をおさらいしてほしい。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日 まーた明日♪

いいな いいな にんげんっていいな♪

おかしい 明らかにおかしいフレーズが一つ混ざっている。

なぜかくれんぼをしている時に、

おしりを出したら一等賞になるのか?

おしりを出すという行為が誉められるのは基本的に某ビデオの撮影時のみで、

何も知らない公衆の面前でおしりを出せば、

一等賞どころの騒ぎではないのは目に見えている。

それにこの歌詞の文脈上、

かくれんぼが行われている。

かくれんぼというのは基本的に外で行われるため、

むやみにおしりを出せば、鬼に捕まるだけでなく、国家権力にも捕まってしまう。

とにかく子どもたちも見ているであろう公共の電波で、

「かくれんぼ中におしりを出したら一等賞だ。」と伝えるのはあまりにも無責任だ。

この曲の歌詞自体、

特にこれといったメッセージが

ないのではないかという意見もあるだろう。

そういう方には是非2番の歌詞を見て頂きたい。

もぐらが見ていた 運動会♪

びりっこ元気だ 一等賞♪

夕やけこやけで またあした またあした♪

この歌詞を見る限り、

明らかに2番では

「運動会で順位はビリだとしても一所懸命元気に動くことが大切」だというメッセージを残している。

となるとなおさら

「おしりを出したら一等賞」という歌詞に謎が残る。

Youtubeのコメント欄にも多くの僕と同じ疑問を抱えている者がいた。

中には2枚目のような「頭隠して尻隠さず」という成語を持ち出して説得力をつけてる者もいたが、

彼は「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた状態として捉えている。

みなさんは「おしりを出す」と聞いたとき、

どんな行為を想像するだろうか?

答えは「ズボンを脱いでおしりを見せる」という行為に違いない。

そうでなければ、「おしりを出す」という行為が下劣な行為と捉えられるはずがない。

「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた行為として捉えた時点で、

コメント欄の彼は重大な間違いを犯している。

全人類の叡知を集めたYoutubeですら答えを出すことができない。

いったい「おしりを出した子一等賞」という歌詞の意味は何なのか?

僕はこの深淵な疑問について、

「おしりを出した子一等賞」=この世で一番賢くなれる方法は「おしりを出すこと」と解釈し、

おしりを出しながら必死に考えた。

すると僕のおしりからある仮説が産み落とされた。

「おしりを出した子一等賞」の歌詞の前に

何かおしりを出すイベントが行われている。

は? 何言ってるんだこいつ、

ただケツ出したかっただけじゃねぇのと思ったそこのあなた。

まあゆっくり尻でも出しながら話を聞いてくだせぇ。

まず歌詞を軽くおさらいしよう。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日♪ また明日♪

冒頭でも述べた通り、

かくれんぼとおしりを出すことにはどう言いがかりをつけても接点はない。

となると見るべき点は「おしりを出した子一等賞」の次 「夕焼けこやけでまた明日」の部分になるだろう。

「くまのこ見ていたかくれんぼ」   

               ↓

   「夕焼けこやけでまた明日」

という歌詞の流れを整理すると、

かくれんぼをしていたら夕方になったという状況が見えてくる。

ここで考えてみてほしいのは

かくれんぼだけで夕方までもつのかということだ。

確かにかくれんぼは面白い。

子どものころ誰しも一度は遊んだことがあるだろう。

しかしかくれんぼは何度も繰り返し行っていると隠れる場所がなくなってマンネリ化する。

つまりかくれんぼだけで夕方まで遊ぶのは不可能であるということだ。

となると、かくれんぼをしていたころから夕方までの間に何か別のことをしていたということになる。

その別の遊びの種類を当てる上で、最大のヒントになるのが

「おしりを出した子一等賞」だ。

おそらく「にんげんっていいな」という歌詞のモデルとなった子どもたちは

「かくれんぼ」で遊ぶという「子どもらしさ」の強要に嫌気がさし、

大人の考えた「子ども=健全」という歪んだ子ども像から解放され、真の自由を手に入れるために、裸になって歌い踊ったのだろう。

しかしここで「裸になった子一等賞」と言ってしまえば、

すぐに歪んだ大人たちに改悪されてしまう。

あくまで小さい子どもたちなら笑ってすまされるだろう「おしりを出す」という行為に変えることで、

現在に至るまで残る歌詞になったのだ。

さんざん書いたくせにそんなお粗末なケツ論か。

お粗末なのはお前のケツだけにしとけと思ったであろう読者の方々に

最後 とっておきの証拠を見せたいと思う。

これは「にんげんっていいな」が流れるときの子どもたちの映像だ。

ご覧の通りこいつらは尻を出すどころか顔から胸、局部に至るまでの全てを出している。

これはこいつらが裸になって踊っていたという紛れもない証拠だ。

そしてこいつらはこのあられもない姿でこう歌っているのだ。

「にんげんっていいな」

ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した。

僕はコスプレをしているとき、

たまにこんな疑問をぶつけられることがある。

「コスプレのお金どうしてるの?」

確かにコスプレは高い。

1着3000円は平気でするし、

前学期は「1度着たコスプレは2度と着ないというルール」を設けていたので、

月に2~3万円はコスプレに使っていたと思う。

これに旅行風俗代まで重なると、

もう僕の財政は火の車だ。

僕はこの状況を打破するために、

様々なバイトに手と尻を出してきた。

その一方で僕はコスプレを始めて以降、

徹底的な節約をしていた。

例えばバイト先での食事はお金のかかるまかないではなく、

家からパックご飯と納豆を持ち込んだり、

学校にいるときは常に家で作ったおにぎりを持ち歩き、

おやつなどに無駄遣いをしないようにしていた。

こんな感じで食費をバンバン削っていくと、

必然的に食事がショボくなる。

最近まであまり気にしてなかったが、

先月台湾に3週間滞在して、

いろいろな美味しいものを食べた結果、

この世界が美食に溢れていることに感動し、

「なぜ自分はこんなひもじいものばっかり食べているのか。」と思うようになった。

今学期はコスプレ頼みから脱却するために、

コスプレの回数を減らすので、

予算を食事にまわすこともできる。

入学以来 食事に関して、

ずっと僕は一つの夢を持っていた。

「ラーメン二郎に行きたい。」

ラーメン二郎といえば

「豚のエサ」と揶揄されるほどのデカ盛りと

「ヤサイマシマシ」といった呪文のような注文方法で有名な

言わずと知れた超有名ラーメン店だ。

僕は大学1年の時には、

「高田馬場はラーメン激戦区」だという噂を

聞いて毎日のようにラーメン店をはしごしていたほどのラーメン好きだ

しかし高田馬場にはラーメン二郎の支店はなく、

以前ラーメン好きの友達とラーメンの話をしていたときに、

「お前 二郎行ったことないの?」とマウントをとられた苦い経験がある。

それ以来 僕はこの世のラーメン好きたちを見返すために

ラーメン二郎に行く機会を虎視眈々とうかがっていた。

突然 その機会はやってきた。

今日 僕は最近流行りのウーバーイーツのバッグを受けとるために関内方面に出掛けた。

二日酔いでぐらぐらする頭のなかで

必死に説明を聞いて、バッグを受け取り、

外に出たとき、あることに気づいた。

「関内にはラーメン二郎がある!」

すぐさま携帯を開いてラーメン二郎横浜関内店を調べると

ビンゴ! 自転車で数分の距離にあった。

しかもラーメン二郎横浜関内店のオープン時間は18:00から。

ウーバーイーツの説明が終わったのは17:30くらいだったので時間的にもちょうどよかった。

これは間違いなくラーメン二郎に行っていなかったことで

不遇の時期を過ごしていた僕に対する神様からのプレゼントだ。

僕は迷いなくラーメン二郎横浜関内店に向かった。

「やっと二郎が食える。」

僕は期待に胸を膨らませ、ウキウキで自転車をこいだ。

しかし店に近づくにつれ、

僕は店の方から連なる不穏な人影が見えるのに気づいた。

「開店前だしまさか並んでる奴なんていないだろう」

そう僕はたかをくくって、近くに自転車をとめ、ラーメン二郎に向かった。

僕は完全にラーメン二郎の人気をなめていた。

僕が見ていた人影は二日酔いからくる幻ではなく、

ラーメン二郎を食べるために並ぶ人々の行列だったのだ。

僕は悩んだ。

店内の店員はたったの二人。

おそらくこの列ではラーメンを食べるまでに

2時間はかかるだろう。

家にはおそらく夕飯がある。

ここで2時間待てば、夕飯が食べられなくなり、

また母親から小言を言われるのは目に見えている。

僕は路頭に迷って近くの繁華街をうろついていた。

その時、こんな広告が僕の目に飛び込んだ。

「G朗ラーメン」

明らかにラーメン二郎を意識したネーミング。

おそらく「二郎ラーメン」にすると本家から苦情がくることを予測してのネーミングなのだろう。

僕は再び悩んだ。

もう二度とラーメン二郎に行くチャンスはないかもしれないのに、

ここでこんなパチもんを食べていいのか?

食欲とは時に恐ろしいものである。

僕の足は悩みながらも確実に店内へ向かっていた。

幸いこの店は空いていたので、すぐに入ることができた。

そして悩み抜いた末に手に入れたラーメンがこれだ。

うまかった。めちゃくちゃうまかった。

ラーメン二郎なんてくそくらえ。

これから「G朗ラーメン」の時代だ。

だいたい何でラーメン一杯食うために、

2時間も3時間も待たなくちゃいけないんだ。

さっと入ってさっと食えるのがラーメンのいいところだろ。

本家の味なんか知らなくたっていい。

食ったもんがうまかったらそれでいいんだ。

大事なことを教えてくれてありがとうラーメン伊勢佐木家

東亜同文書院大学のここがすごい!

東亜同文書院大学。

みなさんはこの大学を知っているだろうか?

え? 知らない?

日本人としてこいつらのことを知らないのはヤバい。マジでヤバい。

とりあえずwikiはっときます。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6_(%E6%97%A7%E5%88%B6)

まあ簡単に言うと100年前、中国にあった日本人学校だ。

奴らのなにがそんなにヤバいって?

それは奴らが最高学年の時にやってた卒業旅行だ。

卒業旅行だなんて聞くと、

僕たちはいつも海外へのバカンスみたいな

ゆったり旅行をイメージするけど、

東亜同文書院の奴らがやっていたのは

そんな生ぬるいもんじゃない。

奴らは当時ほとんど足を踏み入れる者のいなかった中国奥地に1年間かけて旅行していた。

この事実だけでも十分ヤバいんだけど、

この旅行の過程があまりにもマジキチだったので少し紹介したい。

(当時の調査メンバー)わりとイケメン揃いだね

東亜同文書院のここすごいその1

「移動は基本歩き」

まずこの図を見てほしい。

これは当時の東亜同文書院の学生による調査ルートだ。

北はハルビン、南はフィリピンといった

様々なコースを旅行している。

ここでは東亜同文書院のあった上海から

最も遠いシンガポールまでの距離を例にあげよう。

その距離なんと3817km。飛行機で5時間。

しかしもちろん100年前に飛行機はない。

それどころか鉄道も車もない。

じゃあどうやって移動したのか?

答えは1つ。   歩きだ。

彼らはこんな感じの周りに何もない道を

約1年間かけて歩き続けていた。

(大きな川があるコースをとった学生は船にも乗っていた)

当時の彼らの日誌はほとんど

歩いた話と飯食った話しか載っていない。

この某大学界隈もビックリするほどの

過酷な歩きを強要されたのにも関わらず、

腐らずに調査を続けた東亜同文書院の学生はすごい。マジで東亜魂だ!

100キロ歩いたごときで

「人生変わった」とか言ってるどこぞやの学生とは違うね。

東亜同文書院のここがすごい その2

「当時の中国はマジで治安が悪い。」

今でこそ日本人でも気軽に旅行できるようになった中国だが、

当時は内戦や貧困によってこんな感じの

野蛮な強盗団がうじゃうじゃいた。

中には1000人規模の強盗団もいたらしい。

あー 恐ろしや。

学生たちもこいつらにビビって、

こいつらがいないだろうところを通ったり、

護衛を雇ったりしてたけど、

長い旅のなかで何度か強盗団に会っちゃって、

身ぐるみ剥がされてたとのこと。

あれ? 護衛は?

雇った護衛はなにしてんの?

なんと当時の護衛は人数を増やせば増やすほど雑になって、

5,6人雇おうとすると、

全員が無職の老人や少年の護衛になって、

全く護衛として役に立たなかったらしい。

流石は適当大国の中国だ。

本当に期待を裏切らない。

また当時は今とは比べ物にならないほど、

反日運動がひどかった。

当時のイメージ

こうした反日運動は学生たちにも向けられた。

宿に止まると石を投げられ、

船で移動していると砲撃された。

旅行をしていた学生はみんなハタチそこそこで

従軍経験もないただのガキンチョだ。

これだけ何度もぶっ殺されそうになったら、

メンタルやられて旅行を止めてもおかしくない。

しかし、ここで負けないのが東亜同文書院。

なんと奴らは砲撃を軽~くかわして、

川から見える絶景を楽しんでいたとのこと。

周りの雰囲気にいっさい惑わされず、

あくまで旅行を貫き通すというメンタル。

これこそ東亜魂!

危険な場所があるとすぐに旅行をやめる某湾研修はこの東亜同文書院の姿勢を見習ってほしい。

ここまでの流れだといかにも東亜同文書院が

鋼メンタルの脳筋集団のようにみえるかもしれない。

しかし彼らはただの旅行中毒者ではない。 

東亜同文書院のここがすごい その3

「調査結果がめっちゃ優秀」

当時、東亜同文書院の学生たちは主に

この卒業旅行での調査結果を卒業論文として提出してた。

俺らも卒業論文を書くけど、

せいぜい後輩の参考に使われる程度で、

すぐに社会に出るってことはほとんどない。

けれども東亜同文書院の学生が残した

調査結果はどれも優秀なものばっかで、

すぐに本にまとめられ、この世に解き放たれていた。

こんな例は当時探してもなかなかない。

それだけ東亜同文書院の学生が優秀だったってことの証明だ。

体力ありメンタルも強く学力も優秀。

あれ?

俺たち現代の学生が勝ってるところなくね…

東亜同文書院はゴリゴリの男子校だから

まあいいか… まあいいか… 

参考文献

「東亜同文書院生が記録した近代中国の地域像」藤田佳久著

コスプレ頼みからの脱却

僕はここ最近ある悩みを抱えていた。

「毎日コスプレ登校をすることが

意味不明な奴であることにつながるのか?」

確かに大学でコスプレで来る奴はなかなかいないし、

僕がなぜコスプレをしているのかを知らない人からすれば、

十分意味不明であると言えるかもしれない。

しかしコスプレも毎日続けていると、

「どうせまたあいつはコスプレして来るのだろう」

と周囲から予測され、マンネリ化してしまうようになる。

元々 僕は「圧倒的な意味不明さ」を求め、

周囲の度肝を抜くためにコスプレを始めたのに、

周囲から自分の行動を予測されては

意味有明になってしまい、本末転倒だ。

「意味不明とはいったい何なのか?」

前学期 僕はコスプレを続けきった。

それゆえに「僕=コスプレ」という

イメージを定着させることを成功させていれば、

僕が普通の格好をしているだけで、

ある種の衝撃を与えることができたかもしれない。

しかし僕が最後にコスプレをしてから

3ヶ月がたとうとしている。

その間にも、僕は何度か友人達と普通の服装で会っているため、

彼らは僕の普通の服装に見慣れてしまっていて、

普通の服装で登校したところで

僕は彼らにとって意味有明になってしまい、

彼らの度肝を抜くことはできない。

コスプレもダメ。普通の服装もダメ。

どうすれば彼らの度肝を抜くことができるのか?

僕は悩みに悩み、

何度も熟睡した夜を過ごした。 

もはや登校そのものすら諦めようとしたその時、

その答えはとても身近なところにあることに気づいた。

答えは「髪」だ。

僕はこれまで人生で一度も髪を染めたことがない。

それに僕の顔の第一印象を聞かれた際に、

多くの人が真っ暗の髪と汚いゲジゲジ眉毛を答えるし、

小学生時代のアダ名の一つもゲジマユだった。

一般的にこうした顔の特徴を無くすことは

主に罰ゲームや、他人主導の企画で、

無理矢理やらされることが多い。

これらの特徴を自発的にいきなり無くしてしまえば、

周囲の度肝を抜けるに違いない。

僕は迷わず髪と眉を染めることに決めた。

「どの色に染めるか?」

茶髪では変化が目立たず、中途半端な結果になってしまう。

かといって、赤髪や青髪などの奇抜な髪型に

するとあからさまにネタに走り過ぎていて、

痛々しい。

プロスポーツの珍プレー集がなぜ面白いのかというと、

彼らがみんな真剣にやっているからだ。

ただネタに走っていると思われるだけでは、

限界があるので、

「こいつは真剣に似合ってると思ってやってるんじゃないか」

という疑問を抱かせることも必要だと

僕は思った。

となると、結論は一つ

金髪だ。

金髪なら変化は一目瞭然だし、

全く街では見ないという髪色でもないので、

ある程度のガチ感も与えることができる。

しかし一口に金髪にするといっても、

どうやってするのか?

カラー剤を適当に髪につければ、

金髪になるのか?

僕は染髪についてとことん無知であったため、

グーグルで「金髪 染める方法」と何度も調べた。

度重なる調査の結果、

きれいな金髪にするなら、

金はかかるが美容院にお願いして、

自分のしたい髪色のイメージ画像を

用意すると良いという情報を入手した。

僕は早速ホットペッパービューティーに登録し、

「横浜 メンズ カラー」で検索して

一番最初に出てきた美容院を予約し、

金髪の有名人として唯一思いついた

本田圭佑の画像を用意した。

こうして万全の準備を終えた僕は

意気揚々と美容院に乗り込んだ。

しかし僕とは真逆の世界であるファッション業界の頂点「美容院」は

アウェーの洗練と言わんばかりに

僕に強烈な事実を突きつけた。

「お客様の髪だと、ここまでの金髪にするにはブリーチ2回必要なので

全部で16000円になりますね。」

16000円!? ヤバい。明らかにヤバい。

今まで一番高いコスプレですら、5000円を越えたことはないのに、

この価格は圧倒的だ。

だが僕はもう覚悟を決めている。

周囲の度肝を抜くためには金は惜しまない。

僕は美容師さんの忠告を二つ返事で了解し、

施術が始まった。

結果は驚くべきものだった。

まずブリーチ1回目でかなり色が抜け、

激痛に絶え忍んだ2回目とカラー剤をつけた後には

想像以上にまともな金髪になり、

家に帰って眉毛もブリーチすると、

もはや以前の面影がない完全体になった。

ここまで髪がまともになってしまうと、

もはやいつもの格好ではもったいない。

僕はパンツから革ジャン、

ネックレスに至るまであらゆるファッションを新調した。

これだけやれば、間違いなく奴らの度肝を抜ける。

僕はそう確信して、

この半年前からは考えられないような

服装で授業に乗り込んだ。

反応は期待通りだった。

みんな僕がコスプレをしてくるだろうと

予測していたのか

教室に入った僕を見た瞬間、

みんな すっとんきょうな笑い声をあげた。

一部から「きっつ」といった心ない批判を

受けることもあったが、

僕が身と口座を削ることでこうした反応を

得られたというのは、

今回の企画が

意味不明化に成功していたということになるのだろう。

ただ僕はここで勘違いしてはいけない。

コスプレを完全に捨てることが

意味不明化を果たす方法ではないのだ。

今回は意味不明化を成功させるために、

泣く泣くコスプレを捨てただけだ。

コスプレが意味不明化に必要となれば、

すぐに僕はコスプレを復活させるだろう。

僕は意味不明というのは予測不能という

言葉に置き換えられるのではないかと思っている。

僕はコスプレを続けるがあまり、

予測可能な人間となってしまった。

今後はコスプレだけでなく、

別の何かを常に取り入れながら、

動いていったりすることも必要なのではないかと、

僕は思っている。

コスプレ頼みへの脱却。

今期のテーマはこれで行きたい。