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実録 ホモビデオ撮影の実態 (閲覧注意)

僕は先日再びホモビデオに出演した。

というのも前回出演した際に、

相手役の方から別の方を紹介して頂いたからだ。

前回は撮影内容については口止めをされてしまったため、

詳しい撮影内容を話すことはできなかった。

しかし今回は相手役の方がOKを出して下さったので、

ホモビデオの撮影内容を最初から詳しく解説していきたいと思う。

まず出演までの流れは前回話した通りだ。

今回も相手役の住居であろうワンルームに招待された。

部屋に入るとカメラとベッド、

そして全く隠す気を感じないほど大量のオナホール。

「まあ取りあえず座ってくれ」と言われ、

ベッドに座る。

気づいた時には、

もう相手役は僕の背後に周り、

「嗅いでいい?」という、

普段は決して聞かれることのない質問をぶつけ、

全身を嗅ぎ始める。

こうして全身を嗅がれた後、

締めと言わんばかりにキスをせまり、

ひととおり満足すると

「シャワー浴びてきていいよ。」と僕を解放した。

まだカメラは回っていない。

シャワーを浴び、再び元のベッドに戻ると、

カメラがしっかりとセットされ、

相手役がいまかいまかと僕を待ち構えていた。

ゼンギ→フェラ→ソウニュウ→ナマソウニュウ 

という撮影の流れの説明を受け、

カメラが周り始めるとすぐに、

僕は服を脱がされ、

キス→乳首→局部といった流れで、

徹底的に舐められた。

これがいわゆる「ゼンギ」というやつだ。

途中 経歴や性感帯などの質問を受けたが、

もはや何を答えたのか全く覚えていない。

「ゼンギ」が終わると

次は僕のターンだ。

相手役が心地よく挿入できるようにするために

局部にフェラチオをかまし、

相手役を勃起させなければならない。

前回の相手役は局部をきちんと清潔にしていたからか、

特に何の匂いもなかったが、

今回の相手役は局部から

若干のアンモニア臭がした。

さらに前回の相手役よりも局部のサイズも大きかったので、

奥まで咥えた際には、

窒息するかと思うぐらい呼吸が苦しくなった。

こうして僕のターンが終わると、

いよいよ真打ち「ソウニュウ」の時間が始まる。

まず 「ソウニュウ」はいわゆる「正常位」

から始まった。

僕はベッドに仰向けとなり、

自分の膝を抱え、足と尻を開いていると、

相手役が ローションまみれの

指を

1本、2本、3本と入れて

じわりじわり僕の肛門を広げ、

最後には肥大化した生局部を

ぶっ差した。

ご存知の方もいるかもしれないが、

肛門に局部を入れられるというのは、

感覚としては巨大な便を放出してる時の感覚に近い。

僕も差された当初は「便意をもよおす」感覚が強かったが、

後で考えるとあれは脳が肛門に入った局部を

大便と勘違いしたゆえに起こる錯覚なのだろう。

そんなことを考えているうちに、

「ソウニュウ」は第2段階の「騎乗位」に突入した。

この場合の「騎乗位」では

僕が仰向けになった相手役の上に

足と肛門を開いてまたがり、

一心不乱に腰を振り続けるという行為である。

この「腰を振る」という行為は想像以上に過酷だ。

僕は一時期筋トレにはまっていたこともあったが、

この「腰を振る」という行為で使う筋肉は、

明らかに筋トレでは使うことのない筋肉だ。

というよりむしろこれまでの人生で

一度も使ったことのない筋肉かもしれない。

僕の体にはまだ未知なる部分が本当に多いと

改めて感じさせられた。

そして 「ソウニュウ」は 最終段階の「バック」へと移行した。

この頃になると、

「ソウニュウ」直後には悲鳴をあげていた

僕の肛門も開発が進み、

落ち着きを見せ始めていた。

僕が四つん這いになって

再び足と肛門を開いていると、

相手役は「めっちゃケツ絞まってる」といった媚声をあげ、

容赦なく局部で僕の肛門を突き上げた。

しばらくして彼は

「ああ イキそう、イク イク 」と

急に大声で騒ぎだし、

最後に 「アー!」と魂の咆哮をあげ、

僕の肛門に射精した。

僕は特に何か肛門に出されたという感覚はなかったので、

「終わった」と思ってシャワーを浴びに行こうとしたが、

「ちょっとケツに力入れてみな。ウンコ出す要領で」と相手役に言われ、

言われた通りにすると、

僕の肛門からこれまで見たことのない、

茶色く濁った精液が噴き出した。

その後 猛烈な虚無感に襲われつつ

シャワーを浴び、部屋に戻ると

相手役が 先ほどからは考えられないほど落ち着いた様子で

「はい これが今日のお給料です。」と

予告通り3万円を渡した。

そして動画の公開日や

相手役の人物像といった会話を交わし、

僕は相手役の家を出た。

これがわずか1時間たらずで起きた出来事だった。

以上が今回の撮影の詳しい内容だ。

これを見てやってみたいと

思った方がいれば、

コメントでも何でもいいので

ぜひ僕に声をかけてほしい。

ホモビデオに出演した結果、自分の恐ろしい本質に気づかされた。

本ブログの読者の中にはお気づきの方もいるかもしれないが、

僕はいまお金がない。

毎日のコスプレ費、最近の旅行費、留学準備費用

と支出を挙げれば切りがない。



頼みの収入源サイゼリヤ西早稲田店はというと、

都内では最低レベルの時給1000円なので全く当てにならない。

昨年の6月には過去最高の50万円に達した

僕の口座残高もみるみるうちに減っていき、

今では10万円を下回る勢いだ。

このままでは留学に行く前に破産してしまう。

学生のうちから闇金に手を出す人生はまっぴらごめんだ。

何とかしてお金を稼ぎ出さなければならない。

しかし扶養の関係もあるため、

なかなか新しいバイトに手を出すのは難しい。

どうしようかと考えてたときに

ある考えが浮かんだ。

「ホモビデオに出ればいいんじゃないか」

僕は以前某元プロ野球選手

学生時代にホモビデオに出演し、

大量のお金を稼いでいたという

エピソードを聞いたことがある。

その選手のビデオは未だにネットユーザーから

高い評価を得て人々を笑顔にしている。

お金も貰えるだけでなく、

人々を笑顔にするエピソードも残すことができる。

こんな素晴らしい仕事は他に無いだろう。

僕は迷わずホモビデオに出演することに決めた。(僕はもちろんノンケです。)



ホモビデオ出演を決意した僕は

片っ端からホモビデオ会社にプロフィールを送った。

やる気を見せるために裸の自撮りも一緒に送った。

こうしてプロフィールを送ること数社。

ある会社からついに出演のオファーが届き、

僕の念願のホモビデオデビューが決まった。

出演料はなんと時給で換算すると

サイゼリヤ西早稲田店の10倍を越えていた。

僕は大喜びで友達に出演決定の報告をした。

すると彼らは大爆笑すると同時に、

「俺だったら絶対できない。」

「お前 体大丈夫なのか?」

と心配してきた。



確かに冷静に考えれば、

僕は筋金入りのノンケなので、

これまで男性としたことはない。

せいぜい酔った勢いでキスしたことがあるくらいだ。

もしかすると撮影中

気持ち悪さに襲われてしまうのではないか。

痔になって一生苦しむのではないか。

僕は急に激しい不安に襲われた。

とはいってもせっかく訪れた一攫千金のチャンス。

絶対にフイにするわけにはいかない。

僕は会社の指示通り

毎日お尻の開発をしながら撮影当日を待った。



そして迎えた当日。

僕はこれまで経験したことのないような

緊張感を覚えながら撮影場所へと向かった。

残念ながら動画の公開が

かなり先なので詳しい撮影内容を話すことはできない。

僕はこの撮影で今まで目を背けていた

自分の性に関する事実に気づいてしまった。



今回の撮影では相手役の男性との

さまざまなシチュエーションを撮られた。

中には自分の想像を越えるシーンもあった。

僕は撮影前

「撮影中気持ち悪いと思ってしまうのではないか」と心配していた。

しかし僕は撮影の間、

そういった感情を全く持つことはなかった。

同性との行為が「気持ち悪い」と感じるのは、

「そうした行為は異性と行われるべき」

という考えが頭の中に刷り込まれているから

だと思う。

「セックスは男と女でするもの」

という考えが強ければ強いほど、

男同士でのセックスに強い嫌悪感を覚えるのだろう。



僕はなぜ男同士という状況に

全く嫌悪感を抱かなかったのだろうか?

考えていくうちにある恐ろしい仮説にたどり着いてしまった。

「僕はセックスに興味がないのではないか」

男同士での行為に全く嫌悪感を抱かなかったのも

僕の脳がセックスに関して何の感情も抱いておらず、

体と体が触れあう行為

せいぜいハイタッチぐらいとでしか

捉えていないからではないか。

思えば僕はこれまで

人生で一度もセックスで抜いたことはない。

「じゃあ何で抜いてるの?」と聞きたくなるかもしれないが、

これだけは答えることができない。

決して犯罪に関わるようなことではないが、

僕はこの内容だけは

誰にも言わず墓場まで持っていくと決めている。

恐らく他の人からすると

「何でそれで抜けるの?」という内容だと思う。

僕もなぜ抜けるのか全くわからない。



一時期 他の人と同じようにアダルトビデオで

抜いてみようと思ったこともあったが、

肝心のセックスシーンに全く興奮しない。

好みの顔をした女優のビデオを観ても

結果は同じだった。

どんなに女優が喘いでも、

どんなに激しく動き回っても、

「頑張ってるなぁ」ぐらいで

何の感情もわかない。

女性器に刺さった男性器が前後に揺れているだけなのに、

なぜ興奮するのか僕からすると全く分からない。



本ブログでも何度か取りあげたが、

僕は何度か風俗に行ったことがある。

この事実だけを抜き出せば、

これまでの内容と矛盾するかもしれないが、

僕が風俗に行く理由はネタ作りのためだ。

なんだかんだ風俗の話はネタになる。

僕は話のネタに飢えている。

セックス自体に嫌悪感があるわけではないので、

ネタになると分かればすぐに向かうという訳だ。

実際これまでのソープ体験も、

なかなかイケず、

騎乗で無理やりイカセてもらった感じに近かった。

いずれにしてもセックスは

大きなコンテンツであることに間違いない。

男同士だと性関係の話は一番盛り上がるし、

男は誰しも女性と仲良くしてると

必ず周りからやったかどうかを聞かれるし、

やることを求められ、

できなかった奴はヘタレ扱いされる。

これまで僕もこうした風潮にゲイ合して

無理やり「自分はセックスしたいんだ」

と思い込むようにしていたが、

実際のところ

本当の自分は良くも悪くもセックスには興味はないのだろう。

今まで気づかないふりをしていた

自分の本質に気づかされた。

そんなホモビデオ出演だった。

人妻パラダイス

前回の記事からお気づきの方もいると思うが、

僕は今日の朝まで沖縄に行っていた。

全ての始まりは水曜日だった。



禁酒会としての誓いを破り

しゃおじょんらと昔のように

サイゼリヤ西早稲田店のまずいワインを飲み

詭弁を放ちあっていると、

「東京は寒過ぎる。温かい所に行こう。」

という流れが出来上がった。

しかし今週は大学のテスト期間。

当然みな課題がたまっている。

来週にしようという案も出た。

だが僕らはここである真理を見出だしてしまった。

「単位は再履修できる。沖縄は再履修できない。」

要は大学の講義は何回でも受け直すことができるが、

今日この瞬間に偶然現れた

「寒いから沖縄に行こう」というノリで

沖縄に行けるのは1度だけだ。

もう迷いはない。

善は急げ。

すぐさま僕らは翌日の沖縄行きのチケットを取った。

「今回は沖縄に行くことが目的。行ってからどうでもいい。」

沖縄に行く前はこんな感じで、宿もとらず、

行ってからのことは全く考えていなかったが、

いざ沖縄にたどり着くと欲が出て、

なんだかんだで沖縄を満喫していた。



そして最終日 禁酒会をやめ飲酒に目覚め、

飲めもしない泡盛をちびちび飲んでいると、

しゃおじょんがこんなことを言い出した。

「沖縄といったら風俗だろ。おい お前ら   風俗行くぞ。」

彼は過去に散々風俗で痛い目にあっているにもかかわらず、

全く懲りることなく風俗に行きたがるのだ。

酔った時の彼は本当に恐ろしい。

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/09/19/013854

風俗はとても高い。

いっそのこともう一度ぼったくられて

新しいネタを作るというのも考えたが、

さすがにもうそんな金の余裕はない。

とはいえしゃおじょんの性欲をこのままとどめておくと、

何が起こるか分からない。

それに僕も半年前に股間にカビが生えて以来、

そういった店には行っていなかったので、

久しぶりに行きたいという気持ちもあった。

こうして僕らは途中に見つけた

「スーパーハブアタック」という精力剤をまで飲み万全の体勢で

 那覇の一番安いデリヘル

庶民派デリヘル人妻パラダイスに行くことにした。

指定されたホテルに向かう途中、

僕らはいつものように出勤している嬢を調べた。

そこには戦慄の現実が待ち構えていた。。

何と出勤している嬢はことごとく40歳オーバー。

それも詐欺が当然の宣材写真ですら

全く騙せていなかった。

もちろん僕らは指名なしのフリー。

「いったいどんな方が来るのか?」

僕らはこれまでとは全く別の意味での緊張を感じながら、

指定されたホテルにたどり着いた。

実際そこで待った時間はたったの数分だったかもしれない。

しかしその時だけは

途中で止まったAVがもう一度再生されるのを待つような

永久的な時間の流れを感じた。



やがて店から電話がかかり、

僕はホテル内に入った。

そこには1人の女性が待ち構えていた。

僕は彼女を見た瞬間にこう思った。

「いとこの叔母さん。」

明らかに40歳を越えており、

顔には深いシワが刻まれ、腹はたるみ、

そして何より脱ぐと、

まるでサーターアンダギーのような

巨大な乳房が虚ろげにこちらを覗いていた。

僕はとても不思議な感覚に襲われた。

僕の周りは明らかに現実とはかけ離れた

官能的な空間であったにも関わらず、

僕の隣にいるのはなぜか叔母さんなのだ。

僕はこの不可思議な空間に困惑しつつ、

叔母さんに言われるがままベッドに転がされ、

一通りの施しを受けることとなった。

「この違和感の正体に気づくまでは決して欲に溺れてはいけない。」

僕は施しの間、ずっとこの不思議な空間の正体を考えていた。

そして一つの結論にたどり着いた。

これは「近親相姦的空間だ。」

中世オーストリアのハプスブルク家は

何度も近親相姦を繰り返したとされている。

彼らは命の系譜を繋ぐ際に

毎回このような感覚に襲われていたのだろう。

しかしこの結論にたどり着いた瞬間、

僕はフル回転した脳とは

裏腹にフル勃起した局部に体の支配権を奪われ、

最後には近親相姦であることも忘れ

「かわいい」とささやきながら、

己の欲望のままハブのように叔母さんに絡み付いていた。

僕の性欲が持つ猛毒性に気づいた叔母さんは

僕を退治しようとプラス3000円で

最後の穴へ行けるという

巧妙なトラップを仕掛けてきた。

この時 既に性欲に脳を犯され害獣と化した僕は

考えることもなく

まんまと自らの肉棒をこの穴へはめてしまった。

そして快楽に溺れること数分。

突然部屋中に警報が鳴り響いた。

おそらくあの罠は、

害獣がかかると数分で警報が鳴る仕組みなのだろう。

焦った僕はペースを上げ、

全身を局部に変えるという奥義を発動し、

全身全霊で全身を前進させた。

これほど何かに必死になったのはいつぶりだろうか。



突如 上腕が動かなくなった。

その瞬間 僕は我に返った。

頭の中には様々な可能性が浮かんだ。

肉体的な可能性? 精神的な可能性?

僕はこれまで筋トレで腕をつったことはない。

いくら全身全霊をかけたとはいえ

肉体的な限界が来たとは言えない。

僕はある恐ろしい真理に気づいてしまった。

先ほど浮かんだハプスブルク家は

近親相姦を繰り返した結果

未熟児を何度も生み、

最後には滅びてしまった。

もしかするとこの腕の痛みは

安易に近親相姦に手を出そうとした僕への

ハプスブルク家からの罰。

つまりハプスブルク家の呪い

この真理に気づいた僕はすぐさま切り上げ、

欲望に支配され安直な行動を繰り返したことを叔母さんに謝罪した。

すると叔母さんは

「あなたは罠にはまったが、

自らの欲望を液体に変えることはなかった。」

という趣旨の言葉を残し、3000円を免除してくれた。

やはり最後に頼れるのは家族の愛だ。

家族愛の大切さが身に染みた沖縄旅行だった。

 ※今回登場した叔母さんは、僕の実の叔母とは外見を除いて、全く関係はありません。



人生を左右する生物学の素養

114年前の今日 ある生命体が地球上から消えた。

その生命体の名はニホンオオカミ。

太古の昔から猟犬として

日本人と共に生活してきた。

しかし近世に入りニホンオオカミの間で

狂犬病が流行すると駆除が進み、

急激に数を減らしていった。

そんな人間の身勝手なふるまいに

振り回され続けたニホンオオカミの境遇を知り、

僕は深い同情を感じた。



近年になってようやく

絶滅危惧種への保護運動が盛んになってきたが、

こうした風潮が生まれる前にこの世から姿を消した

ニホンオオカミの無念は計り知れない。

彼らだってもっと自由に世界を動き回りたかったはずである。

僕がニホンオオカミたちの無念を晴らそう。

こうして僕はニホンオオカミへの突然変異を決めた。

114年前の彼らの無念を晴らすために、

僕は 学校 電車 ファミレス カラオケ と

ありとあらゆる場所に行き

ニホンオオカミとしてこの世を満喫した。



すると1人の男が僕に声をかけてきた。

「牛込警察署の者です。」

僕はすっかり自分が114年ぶりに現れた

ニホンオオカミであることをすっかり忘れていた。

絶滅したとされる生き物が突然目の前に現れたら

国家権力たちは保護という名目で

監禁しようとするに違いない。

僕は慎重にやつの質問に答えていった。

途中「家からこの格好なの?」という意味不明な質問もあったが、

「当たり前です。」と言ってなんとか尋問を乗り切った。



しかし尋問を乗り越えたことに安堵する反面、

これほど簡単にニホンオオカミを手放してしまって

いいのだろうかという疑問を抱いた。

僕はもう一度鏡で自分の姿をじっと見つめ直した。

気づいてしまった。

僕の容姿はニホンオオカミではない。

ハイイロオオカミだ。

ハイイロオオカミは世界各地に存在している。

つまり今日僕はただハイイロオオカミとして

街で暴れていただけだったのだ。

国家権力も保護目的で近づいてきていたのではなく

僕が殺処分候補に名乗りを挙げていたからなのだろう。

典型的な文系学生である僕の

生物学への知識不足が露呈してしまった

オオカミ生活だった。

成人の誓い

今日は成人式だった。

僕の住む横浜市では毎年4万人近い新成人が

横浜アリーナに集まり成人式が行われる。

新成人の1人である僕だが

元々この成人式に行くつもりはなかった。

なぜなら成人式は基本スーツか袴を着るからだ。

服装の自由を求めコスプレを続けている僕にとっては致命的だ。

事実地元の同窓会は

ドレスコードがあったため出席することができなかった。



周りではみんなSNSに成人式や同窓会の様子を載せて、

普段は散々「過去にこだわるのはダサいと」

言い張っていたしゃおじょんですら、

「同窓会はめっちゃエモい」と陳腐な御託を並べていた。

そんな中で僕は成人式や同窓会は

僕には無縁の行事であると感じるようになっていた。



しかしふと成人式の招待状を見るとなんとそこには

「服装の規定はありません。」

という衝撃の一文が記されていた。

「行ける」

これで僕の行く手を阻む者はいなくなった。

横浜市は本当に寛容な都市だ。すばらしい。

#この横浜にまさるあらめや

僕は晴れ舞台ということで

最近の中では一番自信のあった

コナンの犯人コスプレで成人式に出席することにした。 

反響は凄まじかった。

すれ違った者はみんな振り返り、

写真をとられ、

挙げ句の果てには

「今日はハロウィンじゃねーよ」

と怒ったヤンキーにマスクをとられそうになった。

ただ冷静に振り返ってみると、

僕は今までの自分だったら

今日のような行動は絶対にできなかったと思う。

今までの自分は人に馬鹿にされることを恐れ、

自分のやりたいことを全くできていなかった。

今日 成人式を迎えたからといって

僕が本当の意味で大人になったのかはわからない。

僕は大人になっていくというのは、

ただ年長者の真似をして酒を飲んで騒ぐことではなくて、

自分がこれまでできなかったことを

できるようにしていくことだと思う。

僕は自分ができなかったことに挑戦し続ける

大人になれるように生きていきたいと思う。



原始人に戻ろうぜ

僕は今日大学で所属する中国語中国文学コースのメンバーで

早稲田駅伝に出場した。

僕は「お前はエースだから」という適当な理由で

最長区間6km 花の2区を走らされることになった。



僕は部活をやっていた頃には10km近く平気で走っていたので、

最近まで6kmなんて余裕だと思っていた。

しかし実際にマシンで6km走ってみると

想像以上にキツイ。

よくマラソンなどでは

「1km3分とスローペースな展開です」

といった実況があるが、

素人からすれば1km3分ペースどころか1km5分ペースも怪しい。

マジで意味不明な世界だ。

本当に意味不明な奴とは

長距離ランナーのことを言うのかもしれない。



迎えた当日、

僕はタスキを受けると

日頃の運動不足から次々と後続ランナーに抜かれ、

みるみる順位を落としていった。

おそらく50人ぐらいに抜かれたのではないだろうか。

今日ここに「50人に抜かれた男」という

意味深な称号が僕の中に刻まれた。

こうしてヘロヘロになりながら、

なんとかタスキを繋いだ僕は

朝からろくに食事をとっていなかったからか、

激しい空腹に襲われ、

駅伝後すぐに僕たちの行きつけの中華料理店

「老北京」でがっつり昼飯をとった。

僕たちの詳しい駅伝事件簿はこちらまで→https://dobunezumidesu.hatenablog.com

空きっ腹と中華の相性は抜群。

この昼飯は恐らく

僕の人生で幸せな食事ランキングの

上位に間違いなく入るだろう。

昼飯をとったあと僕たちは足早に解散し、

僕は神速で家に帰り、

シャワーで汗を流し、

食欲から転換されて生まれた性欲を子孫の殺害で満たし、

最後に現れた睡眠欲を僕が生まれた時の姿で満たした。

こうして僕の三大欲求フルコース生活は幸せに包まれて幕を閉じた。



改めて幸せだった今日という日を振り返ろう。

体を動かす→飯を食う→子孫を残す→眠る

これはまさしく原始人の生活だ。

いくら文明が発達したとはいえ、

人間が幸せを感じる根本的な要因は

変わっていないのではないか?

僕を含めて現代人は幸せとは何なのか考えることが多いが、

もしかするとその答えはとても単純なところにあるのかもしれない。

幸せになるために原始人に戻ろうぜ。



うんこが汚いわけないだろ

うんこ=汚物

世界はこの風潮で溢れている。

「うんこは臭くて汚い」

「食事中にうんこの話をするな」

などうんこへのヘイトは尽きることがない。

確かに人間は鼻水や汗といった、自分から排出されたものを

汚いと感じることが多い。うんこもその一例だ

しかし汗たちとうんこの間には決定的な扱いの違いが存在する。

「食事中にうんこの話をするな」という意見はあるが、

「食事中に汗の話をするな」という話は聞いたことがないし、

むしろ汗をだらだら流すスポーツ選手を観ながら、食事をする者もいる。

なぜうんこはここまで嫌われているのだろうか。

一度考えてみてほしい。

元々うんこは自分の体の中にあった。

つまり排便前、僕たちはうんこと一体化していたのである。

うんこをイメージした時、多くは排出後の姿を想像するだろう。

排便前のうんこを「臭い」「汚い」と罵倒する者はいない。

自分と一体化するほどの仲であったうんこを

自分の都合で排出したあげく、

汚物の象徴として扱うのは、あまりにも酷すぎるのではないだろうか。

他方 この「うんこ」という単語は、

うんこドリルが小学生の間で爆発的な人気を獲得していることも考慮すると、

小学生の中では屈指の人気ワードである。

自分たちの小学生時代を思い出してほしい。

当時は「うんこ」という単語が飛び交う度に笑いが起きていた。

いま大学で「うんこ」「うんこ」と言っていれば、すぐに狂人扱いを受けるだろう。

大学生と小学生を単に比較することはできないが、

小学生のような単純なことで

単純に笑える世界もアリではないかと僕は思う。

何でもかんでも「くだらない」「幼稚だ」

って言ってたら自分の行動をどんどん狭めてしまう。

話が少しそれたが、

「うんこ」とは人を笑顔にする役割も

持ったハイテクなうんこなのである。

僕はいつか皆が再び「うんこ」の機能性に気づき、

「うんこ」が褒め言葉に使われる世界になることを願う。 /p>

常識を疑え ~ 見た目がヤバい奴は本当にヤバいのか ~

皆さんはこの集団のことを知っているだろうか?

彼らは15年ほど前に世間を席巻したパナウェーブ研究所という新興宗教団体である。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パナウェーブ研究所

彼らはこの世のあらゆる不都合を共産党員が流すスカラー電磁波によるものと位置付け、

スカラー電磁波から身を守るためには白い服を着ることが有効として全身を白装束で固めた集団である。

彼らは外見においてはこの流行を超越したファッション

内面においては多摩川のタマちゃんに餌をやるといった慈悲の精神http://denpa.s31.xrea.com/x/event/pana.html

と見た目と性格の良さを兼ね備えた集団であったため、

彼らとは正反対の性質を持つメディアの嫉妬に合い、奇怪な集団として過剰な報道を受けた。

彼らは白装束で移動したり、タマちゃんに餌をあげただけで、

何の根拠もなく某ム真理教のような危険組織として取り上げられたのである。

もちろん彼らはそうした危険組織とは無縁で、

そのことが判明するとメディアは何事もなかったかのように彼らへの報道をやめた。

しかし何も危険なことをしていないのに、危険組織のような扱いを受けた信者たちの心は傷ついたに違いない。

僕は彼らのエピソードを知って強いショックを受けた。

そこまでして彼らが伝えたかったことを知るためには実際に彼らになりきるしかない。

こうして僕の1日パナウェーブ研究員生活が始まった。

始める前はスカラー電磁波の存在に対して半信半疑だった僕だったが

実際に白装束をしてみると

スカラー電磁波を遮ることに成功したからか

いつもよりも風通しが良くなってとても快適だった。

やはり白装束の力は偉大だ。

研究員たちが白装束に傾倒したのも頷ける。

僕は白装束の効能を実感し、意気揚々と電車に乗り込んだ。

しかしそこにあったのは

異質な見た目をした者に対する社会の厳しい視線だった。

僕はいつものように座席に座っていた。

すると前に座った女性が僕と目があった瞬間、 どこかへ立ち去っていったのだ。

当初 ほかにいい席があったのだろう ぐらいの考えであった僕も

こうした立ち去りが1回だけでなく2回 3回と続くと

白装束が立ち去りの原因であることを確信した。

確かに白装束が某ム真理教のような危険組織を連想させるという考えは一理ある。

しかしここで一度冷静になって考えて欲しいのは

信者たちが地下鉄にサリンを撒いた時、彼らは白装束であったかどうかだ。

答はもちろんNOだ。

彼らは一般人と何ら変わりのない服装をしていたのだ。

この例からもわかるように本当にヤバいことをしている奴は

派手な格好などしない。

常に包丁を持って歩く殺人鬼がいるか?

そんなことをしたらすぐに国家権力に捕まるのがオチだ。

人を見た目で判断するのは愚の極みだ。

本当にヤバい奴というのは何食わぬ顔で普通の服装をして街に紛れこんでいるのだ。

これこそが パナウェーブ研究所が研究所生命をかけてまで伝えたかったことなのではないか。

僕たちはもう一度本当に危険な存在が誰なのか真剣に考える段階にきていると強く感じた1日研究員生活であった。 /p>

常識を疑え ~ハロウィンだけが仮装なのか~

ハロウィン。

いまや日本の恒例行儀ともなりつつあるイベント。

今年も多くの熱狂と問題を引き起こした。

しかしハロウィン時にはあれだけ多くの仮装者が街に溢れていたにも関わらず

いまや街で仮装している者は一人も見当たらない。

仮装することがそんなに楽しいのなら毎日仮装しても良いはずである。

ハロウィンは仮装をして楽しむ風習があるだけで

仮装をしても良い日=ハロウィンだけという訳ではないはずだ。

そのことに気づいた瞬間だった。

これまで抱いたあらゆる煩悩が仮装欲に変換され、油田の如く溢れてきた。

この油田の如く現れた仮装欲を満たすは油田の管理者になるしかない。

こうして僕は1日石油王として生活することになった。

石油王になって一番最初に感じたこと

                 寒い

とてもアラブとは思えない。

「寒さは気から。暑い時のことを考えれば寒さなど感じない」というのはとんでもない暴論だ。

アラブの仮装をしても全く暖かく感じない。

やはり寒さには厚着が一番だ。

石油王への尊敬からか通学中に好奇の目を浴びることはほぼなかった。

しかしキャンパス内に入ると状況は一変。

前からきた石油王が知り合いかどうか知りたいのか 道行く学生の多くが僕に乱雑な視線を投げかけてきた。

石油王を金でしか判断しようとしないのは不徳の極みである。

僕の家からとれた石油に頼りっぱなしの国民がとる態度とは思えない。

石油の価格など僕の機嫌しだいでいくらでも変わるのに。

あー むかつく 禁輸しよっかな~

自分の機嫌次第で世界が変わるなんて石油王はとてもやりがいのある仕事だ。

僕はこの仕事に魅了され、一生続けていきたいと契約更新を申し出ようとした。

しかし冷静になって考えてみると油田の如く湧いたのは仮装欲だけで、石油など最初から1mlも沸いてなかったのである。

つまり僕は石油王ではなくただ石油王の仮装をしただけだったのである。

石油がなければ石油王は目指せないが、仮装道具があれば仮装王にはなれる。 

この時僕は仮装王を目指すことを決意した。

仮装王になるためにはまずは仮装量だ。

これからは毎日仮装して大学に向かおう。 /p>

裸にまつわるエトセトラ

                  裸だったら何が悪い

この某草なぎ剛氏によるゲイノウ人生を賭けた問題提起から早10年がたとうとしている。

しかしいまだに私たち人類はこの深淵な議題に対して明確な回答を出せていない。

人間は元々裸だった。

僕が先日紹介した縄文人も裸だった。

なぜ人間は裸を捨てたのか。そしてそこにはどんな理由があったのか。いったい裸でいることにどんな問題があるのか。と疑問は尽きない。

今回は人類のさらなる発展に不可欠なのにも関わらず、数億年にわたって見過ごされてきたこの議題について考察していこうと思う。

まず裸を語るうえで切っても切れない関係にあるのは衣服の存在である。

現在多くの人類が衣服を着用していることから、衣服の誕生を紐解いていくことが、人類が裸を捨てた理由に近づくきっかけになるのは言うまでもない。

人類が衣服を着用するようになったのは約7万年前といわれている。

理由はいたって簡単。寒くなったからである。(wikipediaより)

寒くなったから服を着て暖をとる。あたりまえ。

正直この理論には突っ込む余地もないし、突っ込む気も起きない。

ここでの問題はその逆である。寒いという肉体的な理由で服を着始めたのにも関わらず、なぜ暑くなったときに服を脱がないのか。

しばしば通気性のよい服といった広告を見かけるが一番通気性がいいのは間違いなく全裸である。

そんなこと少し考えれば誰でもわかるはずだ。

暑いと言うなら裸になれ。

なぜ人間は裸になることを恐れるようになってしまったのか。

裸になることが問題視される理由の一つとして、しばしば性器の露出が挙げられる。

多くが他人の性器を気持ち悪く思うということに僕は異論はない。

しかし気持ち悪いという理由だけで性器を排せいきしようというなら、キモイ顔は常にガスマスクをつけなければならなくならず、

すだれ禿は常に帽子をかぶらなければならなくなる。

ブスと露出狂は3日で慣れるという言葉をあるように、人間はどんなに気持ち悪いものでも慣れてしまうのである。

ここで誤解して欲しくないのは、僕は裸になることが好きなだけで、必ずしも服の存在を否定しているわけではない。

寒い時には服を着るし、なんなら暑いときにも着ている。つまりただの服依存者だ。

服の暖をとれるという良さを理解しつつも、 裸になりたいときは裸になれる

そんな自由な世の中になって欲しい

それこそが某氏が伝えたかったメッセージだと僕は思う。