「ドキュメンタリー」カテゴリーアーカイブ

ハプニングを引き寄せろ

僕はこれまで様々なコスプレに挑戦してきた。

その中にはクオリティが低く、

客観的に見れば面白くないコスプレもたくさんあった。

鋼のメンタルを持ってると思われがちな

僕でも自分が体を張って実行したコスプレが

何度もスベってしまえばなかなか厳しいものがある。

なぜ僕はコスプレを続けることができていたのだろうか?

答えは当たり前過ぎて思いつかないようなところにあった。

先日 僕は友人と共にいつもと同じように

バイト先でお酒を飲んでいた。

その時 友人の一人がふとこんなことを言った。

「俺たちは誰か受け入れてくれる人がいると無茶なことができる。」

僕はこの言葉に衝撃を受けた。

確かに僕がコスプレをやっていた日は

ほとんどの場合しゃおじょんなどの

普段大学で仲良くするメンバーと会っていた。

彼らはとても優しい奴らなので、

コスプレのクオリティに関係なく、

一定の反応をしてくれていた。

当時はたまたま授業のある日は

必ずどこかしらで授業が

かぶっていたというのもあるが、

「彼らの反応がある」という安心感に

甘えていたという部分があったということは

否定できない。

そこで 僕はいままで自分ができていなかったことに挑戦するという意味で、

彼らに一度も会わない日に、

知り合いが一人もいない講義中、

コスプレをすることに決めた。

コスプレの内容はもちろん…

進撃の巨人の超大型巨人だ。

春休みに次のコスプレをアマゾンで探していた時、

僕はこいつの圧倒的な存在感に一目惚れした。

これまではどんなタイミングであれ、

僕が教室に入った瞬間、

僕のサクラしゃおじょんがゲラゲラ笑っていた。

しかし今日 しゃおじょんはいない。

入るタイミングを間違えれば、

盛大にスベることもありうる。

これまで無意識にサクラがいるところでのみ

コスプレを行うことでスベり知らずを

実現してきた僕はスベり倒した時に

どのような感情が沸き上がるのかはわからない。

僕はある戦略を考え出した。

今回 僕が参加する講義は200人ほどが入る中教室で、

ドアが教室の前面のみにあり、

遅刻した者がドアを開けると

それなりの音がしてみんなの注目が集まる。

僕はこの特性を逆手にとって

あえて遅刻してみんなの注目を一気に集めることに決めた。

こうして万全の戦略を定めた僕は、

いままでとは違った緊張感を覚えながら、

教室に入った。

僕が教室に入った瞬間、

狙い通りその場にいた全員の視線が

僕のもとに集中した。

そして彼らはまるで原作に登場する市民たちのように

突如現れた超大型巨人になす術なく、

薄ら笑いを浮かべていた。

僕のモットーはできるだけ他人に迷惑をかけないだ。

もちろん超大型巨人の登場に関係なく講義は続く。

なにかパフォーマンスをして邪魔をすることはあってはならない。

僕はいつも通り 空いてることを信じて後ろの席に向かって歩き始めた。

しかしここで僕のなかで一つ誤算が生じていた。

「前が見えない」

写真を見てお分かりの方もいると思うが、

超大型巨人は目に穴が空いていない。

大きい道であれば、なんとなく前が見えるのだが、

机と机の間みたいな小さな道では、

ほとんど視界がきかない。

僕は視界がきかない不安から、

つい早足で通路を通ろうとした。

足下にある超大型バッグたちに気づくこともなく…。

僕は超大型バッグにつまずき、あえなく床に手をついた。

すると これまでの笑ってはいけないという空気から

解放されたような乾いた笑い声があちこちから聞こえた。

僕はこの時一つの真理にたどり着いた。

人が本当におもしろいと思うのは

「ハプニング」だ。

ただ僕がコスプレをしているだけでは、

僕による計算された笑いであり、

その計算がバレてしまえば、

笑いをこらえることもできるが、

僕を含めて誰も予想できなかった

「ハプニング」はこらえようと思わせる前に

勝手に体を反応させる力がある。

このことはこれまで必ず周りに笑ってくれる人がいるという環境にいたら、

絶対に気づかなかったことだ。

ハプニングは起こそうとして起こせるものではない。

しかし何も行動しなければ、

絶対にハプニングは起こらない。

周りに関係なく行動することの大切さがよくわかった今日のコスプレだった。

だからブログは面白い

僕がブログを始めてから早くも半年がたとうとしている。

もとはしゃおじょんの有無を言わせぬ

激しくブログ開設強要からの解放を目指して

一過性のネタで始めたブログだったのだが、

今や記事数は94個に達し、

すっかり僕の生き甲斐の一つとなってしまった。

彼の強要もたまには正しいこともあるので、

まだまだ捨てたもんじゃない。

なぜ急にブログを閉鎖するかのような感傷に

浸っているのかというと、

先日3週間にわたる長い研修が終わり、

少し暇になったので、自分の記事を時系列で見ていると、

内容だけでなく、言葉遣いや文体が

当時の風潮に合わせて大きく変わっていて、

まるで別の自分が何人もいるような

不思議な感覚に襲われたからだ。

今回はその内のいくつかを紹介したいと思う。

まずはブログを始めた当初の記事から振り返ってみよう。

2018年10月7日 「自給自足にまつわるエトセトラ」

2018年10月27日 「足を使わない移動法にまつわるエトセトラ」

当時はブログ=youtubeの文章版と考えている節が強かったので、

上記のような他人がやらないことをやるという

「企画モノ」の記事が大部分を占めている。

この「企画モノ」自体は今もブログ内容の

中核を担っている。

「意味不明な奴でありたい」というタイトルを掲げておきながら、

実はブログのコンセプトは一貫しているという

恥ずかしい事実が浮かび上がってしまった。

しかしブログ始めて1ヶ月がたつと、

「企画モノ」以外のブログが登場するようになる。

11月18日 「~常識を疑え~ 飲み会に酒は必要か」

11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか 」

「企画モノ」がある程度ネタ切れになってきた時に登場したのが

自らの考えを激しい口調で吐き出した

いわゆる「思想モノ」である。

当日は禁酒会の設立や、

ブログを始めて以降 いくつか不当な扱いを受けたこともあり、

社会全体に対して強い不満が溜まっていた。

そういった背景とブログという

自分の好きなことを好きなだけ書けるという背景が相まって、

今では考えられないほど、

過激な口調で自らの思想をぶつけることが多くあった。

「最近の若者は自己中とか言ってる暇があったらあんたも自己中になればいいでしょ。」(11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか」より)

正直このブログの中で、

後々読んで一番恥ずかしいのはこの辺りの記事だろう。

いったい当時は何にそんなにイライラしてたのだろうか?

これだけははっきり言える。

今 同じような記事を書けと言われたら

絶対無理だ。

今思えば 当時の社会を変えたいとう謎の熱意は

明らかに異常だった。

何かテロでも起こしそうなほどだったと思う。

ただ当時は今よりも更新頻度は速かったので、

この熱意は一概に否定できないのがまた難しい。

このように主に当時は「企画モノ」と「思想モノ」を分けて書いていることが多かったのだが、

徐々にその境界が曖昧になっていく。

理由は一つ コスプレの登場だ。

12月4日 「ニンゲンコワイ」

1月15日 「成人の誓い」

11月の中旬辺りからコスプレ通学を始めて以降、

学校に行っている間はネタに困ることはなくなった。

また「思想モノ」を書き始めてから

自分の考えをブログに書くことにあまり抵抗を持たなくなったので、

「成人の誓い」 のようなコスプレに絡めて

自分の考えを書く流れが定着した。

時に 「今日のコーデ」 のような

手抜き記事を作ることもあったが、

基本的にはコスプレという企画に

思想を混ぜる「企画モノ」×「思想モノ」の記事を多く書いていた。

大学が休みに突入し、

コスプレをあまりしなくなった今でも、

企画内容をコスプレから旅や風俗に変え、

「企画モノ」×「思想モノ」の記事を書き続けている。

1月26日 「人妻パラダイス」

こうして自分のブログを振り返ってみると、

様々な発見がある。

もちろん内容以外にも

初期の文章はほとんど改行をしてないので、

読みにくかったり、誤字も多いといった

文章面の違いもあった。

さてこの先

僕のブログはどのような変化を遂げていくのだろうか?

これまで通り「企画モノ」×「思想モノ」の流れに落ち着くのか

はたまた新しい流れが出来上がるのか。

こればっかりは僕にも全くわからない。

だからブログは面白いんだ。

台湾の風俗に挑戦したら人生最低の夜になった話

僕は先日 台湾の代表的風俗店のひとつ金年華三温暖に行った。

というのも その日の午前中に行った陽明山

ガッカリスポット過ぎて、

テンションが下がってしまい、

埋め合わせをするために

風俗に行こうということになったのだ。

沖縄の時もそうだったが、

僕たちはつまらないことがあると

すぐに風俗に行って埋め合わせそうとする。

#困ったときは風俗へ

僕たちも自らのコンテンツ力を高め、

この風俗依存の風潮を、

いづれ改善したいと思っているが、

風俗のコンテンツ力は高すぎる。

まだまだ風俗の壁は高い。

#風俗に勝ちたい

何はともあれ 僕たちは研修前 最後の夜を

最高の形で終えるため風俗へ向かった。

風俗へ行くまでの過程は

代表作 「池袋西口でAV女優とヤれるという詐欺に引っかかり12万円ぼったくられた話」が

1万PVの大ヒットを記録し、その後も

沖縄最安デリヘルの実態を赤裸々に描写した「人妻パラダイス」や

台湾での男性からの痴漢体験を

事細かに語った「台湾のバスで巨漢の男にチンポをしごかれた話」といった人気作を連発し、

長きに渡り風俗ブログ界の王として君臨する

超一流風俗ブロガーしゃおじょんが魂を込めて語っているので、

是非こちらを見て頂きたい。https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102

僕は日本で何度か風俗店に行ったことがある。

しかし今回は 台湾の風俗店がチェンジ(来た女の子を別の子と交換すること)が

無料なことを知っていたため、 

来た女の子を全員チェンジして

台湾の風俗店の女の子はどのような感じなのか

見てみようと思っていた。

しゃおじょんのブログにあった通り、

入浴→休憩→おばさんから声をかけられる

という順で部屋に案内されると、

そこは「全員チェンジする」

という僕のひねくれた決意を嘲笑うかのように

二つのベッドの間に

おぼろげなライトが一つ置かれ

妖艶な雰囲気を醸し出していた。

ここで僕に一つの考えが生まれた。

「全員チェンジする」と決意したにも関わらず、

あっさりと欲求に負けるという展開はわりと面白いのではないか。

こうしてせっかくの決意が揺らぎ始めていると、

「コン コン」とやけに高いノックの音がして

一人の女性が僕の部屋に入ってきた。

「チェンジ」

僕は彼女の顔が見えた瞬間すぐに、

心の中で絶叫した。

顔は東南アジア系で明らかに台湾人ではなく、

年齢も明らかに40を越えていた。

しかし僕の決死の叫びは

儚くも彼女の元へは届かず、

彼女は黙々と準備を始めようとしていた。

元々僕は様々な問題を抱えながらも、

生活をしていくために強い覚悟を決め、

こうした店で働く彼女たちに「チェンジ」

という冷たい言葉をかける勇気などない。

もう諦めてこの女性に身を委ねようかと思ったその時

大切な情報を思い出した。

「スペシャルマッサージは15000円」

僕の今回の研修予算は50000円だ。

到着後2日間で15000円を使ってしまったので、

もしこのスペシャルマッサージを受けると、

残り20000円で3週間を過ごさなければならない。

このどこの国から来たかも分からないババアが

悲しむ姿を見たくないからといって、

僕の研修を棒に振る訳にはいかない。

僕は準備を終え、「脱いで」と急かしてくるババアに

勇気を振り絞って 「チェンジ」と叫んだ。

「言えた」と安堵したのもつかの間、

ババアは予想通り肩を落とし、

露骨にガッカリした様子で、

僕の部屋からとぼとぼと出ていった。

その後も数回チェンジをしたが、 

何度チェンジしても初回と同じような

東南アジア系のババアが登場し、

「チェンジ」と言う度に

これまた同じく露骨にガッカリした様子で帰っていった。

決意が揺らぐという展開は

全く起きる気配はなかった。

僕はただ楽しい夜を過ごしたかっただけなのに、

なぜこんなにも人がガッカリする様子を

見せられなきゃならないのか。

ババアの悲しむ姿なんか見てもただただ不快でしかない。

僕は結局 店の女性を全員見る前に、

そそくさと退散した。

こうして消化不良のまま休憩所に戻ると

絶世の美女に出会ったというしゃおじょんが

極度に興奮した様子で自らの体験を語っていた。

一通り語り終わると彼は

「お前はどうだった?」と聞いてきた。

先ほどの体験を簡潔に語ると、

舞い上がりに舞い上がりを重ねたしゃおじょんが

「ダッセー 俺だったら全員チェンジしてるから」と驕り高ぶった様子で煽ってきた。

ただでさえババアのガッカリ顔を見続け、

不快を極めているのに、

追い討ちをかけるような

絶好調しゃおじょんの煽り。

間違いなく人生最低の夜だった。

これまでの風俗依存のツケが

回ってきた形だ。

今回良い思いをしたしゃおじょんは

まだまだ風俗依存をやめることはないだろう。

僕にとってついに風俗依存を終える時が

来たのかもしれない。

第一 僕は性行為に全く興味がない。

そんな奴が風俗の話をしても、

性行為に命をかけてる奴の話には勝てない。

今後の方向性を見つめ直す。

そんな台湾風俗体験だった。


路上にいる果物売りが世界を支えている

台湾には陽明山という山がある。

元々は草山という適当過ぎて

草生えるネーミングの山だったのだが、

台湾に中華民国政府が入って以降に

政府の代表であった蒋介石が、

儒教のひとつである陽明学の祖 王陽明が

大好きだったので、陽明山に変えたとのこと。https://www.travel.co.jp/guide/article/29925/

僕にとってそんな

アフィリエイト乞食ブロガーのような情報は

どうでもいい。

それより陽キャラの「陽」に

明るいの「明」

まさに明るさの頂点に君臨するかのような山だ。

ご存知の通り 僕の性格は暗い。

リアルでは声も口数も少ない。

うるさいのはブログだけだ。

暗い性格をしていて得することはない。

性格を変えれば人生が変わる。

僕はこの明るさの頂点に君臨する陽明山の頂点を極め、

暗い性格を吹っ飛ばすことにした。

陽明山はとても遠い。

まず台北駅からバスで1時間。

そして麓のバス停に来てから

気づいたのだが、

標高が1100m(高尾富士の2倍)と意外に高い。

それも登山当日は天候が悪く、

高尾富士の登頂経験が豊富な僕であっても

陽明山の登頂は困難を極めることが予想された。

そんな過酷な状況の中

始まった登山は大方の予想通り、

過酷なものとなった。

開始地点の分からない登山道。

木っ端微塵に破れた同行者 ウメハラの靴。

降りしきる大雨。

前すら見えない劣悪な景色。

僕の登山モチベーションはどんどん下がっていった。

だいたい性格を変えるために

山なんか頼ってんじゃねーよ。

本当に変えなきゃいけねーのは、

山にすがろうとする腐った根性だろ。

こうして僕はあっさり登頂を諦めた。

しかしせっかくの登山

何かゴール地点のようなものが欲しい。

そこで僕は途中の標識にあった竹子湖という、

きれいな湖があるとのことなので、

そこを目指すことにした。

結論から言うと大失敗だった。

湖というよりかは

ただ何か得体のしれない植物が植えられている池で、

このただの池が大雨で視界不良という条件に合わさって

最低の景色を作り出していた。

これだけだとただのガッカリエピソードなのだが、

僕は竹子湖に行く途中ある不思議体験をした。

この標識を見て頂きたい。

この標識では竹子湖まで10分と書かれている。仮にこれを標識Aとする

次にこの標識を見て頂こう。

この標識だと竹子湖まで徒歩3分。

仮にこの標識を標識Bとする。

1枚目の標識から2枚目の標識までの間は

徒歩7分となっている。

しかし実際に歩いてみると、

大雨で道が狭くスピードが極端に遅かったにも関わらず、

明らかに標識から標識まで

徒歩3分以内にたどり着いた。

僕はなぜ標識の表示に矛盾が起きるのか、

強い疑問を抱いた。

台北屈指のガッカリスポット竹子湖を見ている間、

ずっとこの疑問について考えていると、

僕は一つの仮説にたどり着いた。

この写真を見て頂きたい。

標識Aと標識Bの間には

大雨の中 謎の果物売りが存在した。

恐らくこの果物売りは竹子湖で

休憩がてら果物を食べる客を想定しているのだろう。

標識Aから標識Bまでの7分間には、

果物売りで果物を買う時間を

計算に入れているのではないかという仮説が生まれた。

僕はすぐにこの仮説を実証するために

実際に果物売りで果物を買い、

買った時間と歩いた時間を合計した。

ビンゴ。

果物を買うのにかかった時間は見事に3分。

これを最初の歩き時間と合わせると、

当初の標識間 徒歩時間7分に限りなく近づくのだ。

僕は最初この果物売りを見たときに、

「こんな雨の中 誰も果物なんて買う奴はいないだろ 」と

この果物売りを無意味な存在だと思っていた。

しかし実際この果物売りがいなければ、

標識間の徒歩時間に必ず狂いが生じ、

観光客を間違いなく混乱の渦に陥れる。

つまりこの果物売りは標識の間違いを訂正するために

あえてあの場所に出店していたのだ。

一見 無意味に見えるものも

深い意味があるのかもしれない。

PS 買った謎の果物はめっちゃ不味かった。

台湾の遊園地には気をつけろ

僕はいま台湾にいる。

それも以前の中国に行った時のような弾丸旅ではない。

今回は大学主催の3週間に及ぶ語学研修だ。

これまで3泊4日のサークル合宿が

人生で一番家を離れた日数である僕にとって

3週間家を離れ、台湾で過ごすのは完全に狂気の沙汰だ。

とはいえ実際に研修が始まるのは3/1だ。

しかし語学研修という名の通り、

研修が始まってからは、

日中は主に大学で授業を受ける

という生活になることが予想され、

せっかくの台湾であまり自由に行動できないかもしれない。

そこで僕はしゃおじょんと共に3日前から台湾に入り、

研修前の3日間で、台湾を満喫することにした。

先日台湾に到着した僕らは

しゃおじょんの友人で台湾留学中のエドに連れられ、

台北の夜市を思う存分楽しんだ。

そして次の日はエドと別れ、

台北観光の術を失った僕たちは、

台北を諦め台中に向かうことにした。

宿で台中の観光スポットを探していると、

自称高所恐怖症のしゃおじょんが急に

「おい 台中にはグラビティマックスっていう世界で5本の指に入るほど怖いジェットコースターがある。行くぞ」

と言い出した。

僕は一時期2ヶ月に1回は

必ず富士急ハイランドに行っていたほど

ジェットコースターが好きなので、

台湾にとても怖いジェットコースターが

あると聞いて舞い上がり、

ウキウキでそのジェットコースターを調べた。


ショボい

明らかにショボい

最高高度35m (富士急ハイランドのええじゃないかは76m)

もさることながら

グラビティマックス最大の売りである

途中でレールが消えるというイベントも、

紹介サイトにあった動画で

ネタバレされてしまっていたため、

なぜこのサイトではグラビティマックスが

ええじゃないかと同列に語られているのか

全く分からなかった。

そして台中駅からバスで1時間30分という悪立地

このサイトを書いたのは

恐らく台中出身の台湾人に違いない。

歪んだ愛国心もほどほどにしてくれ。

僕はせっかく人生で始めて台中に行くのに

ショボいジェットコースターに

乗って1日を潰すのは最悪なので、

僕は恐る恐るしゃおじょんに

「グラビティマックスはあまりおもしろくはないんじゃないか」

という旨の発言をした。

すると彼は怒りをあらわにして

「行ってみなきゃわかんねーだろ。行く前から決めつけんな」と指摘した。

こうなったらもう誰も彼を止められない。

彼は僕の研修中のルームメイトなので、

3週間共同生活を送ることになる。

まだまだ彼と絶縁するわけにはいかないので、

僕は仕方なく

「とりあえず台中に行ってから考えよう」と話を先延ばしにした。

そして僕は当日予定通り台中に向かった。

僕はいまだにグラビティマックスに乗る気がなかったので、

バスの社内で必死に

しゃおじょんの気をそらせそうな

スポットを探していた。

横浜のコスモワールドで

満足していたしゃおじょんのことだ

台中駅に近い適当な遊園地を提案すれば

すぐにグラビティマックスのことなど忘れるだろう。

血眼になってマップを見続けること数十分。

僕はついに最適な場所を見つけてしまった。

「遊園地 黃金堡親子樂園 」

グーグルマップに光輝く遊園地の三文字。

台中駅から徒歩数分という最高の立地。

これしかない。

この遊園地なら間違いなく

しゃおじょんの欲を満たし、

辺境の地にある遊園地に行かなくてもすむ。

僕は台中駅に着くと、

しゃおじょんをこの遊園地に連れていくことに決めた。

そしてバスに揺られること2時間。

僕たちはついに台中駅に着いた。

広がる一面の繁華街。

「こんなところに本当に遊園地があるのか」

僕は到着後すぐに若干の違和感を覚えた。

「まあコスモワールドも都会のど真ん中にあるし」

当初この程度に考えていた僕も

あまりにも変わらない風景に対して

遊園地に近づくつれに

強い違和感を抱くようになっていった。

そしてついに指定された場所に到着した。

「違う。明らかに違う。」

これはどうみても遊園地ではない。

まず外にアトラクションがないし、

遊んでいる人も見当たらない。

僕はこの時点で全てを察していたが、

しゃおじょんの「行ってみなきゃわかんねーだろ」

という言葉を思い出して、

僕は勇気を振り絞って中に入った。

僕 「我想在这儿游戏 私はここで遊戯がしたい。」

店員 「你是几岁~(よく聞き取れなかった。 )  何歳ですか? 」

僕  「我是二十岁 僕は20歳」

店員  「带小孩子吗 小さい子どもを連れていますか?」

僕 「不带 連れていない。」

この不毛なやり取りの後、

店員はやんわりと指を外に指し、

僕に「ここはお前の居場所ではない」と伝えた。

こうして僕の企みは脆くとも崩れ去った。

PS その後に元々行く予定だった遊園地に行き、

グラビティマックスを楽しみましたとさ。

グラビティマックス ↑

めでたし めでたし

実録 ホモビデオ撮影の実態 (閲覧注意)

僕は先日再びホモビデオに出演した。

というのも前回出演した際に、

相手役の方から別の方を紹介して頂いたからだ。

前回は撮影内容については口止めをされてしまったため、

詳しい撮影内容を話すことはできなかった。

しかし今回は相手役の方がOKを出して下さったので、

ホモビデオの撮影内容を最初から詳しく解説していきたいと思う。

まず出演までの流れは前回話した通りだ。

今回も相手役の住居であろうワンルームに招待された。

部屋に入るとカメラとベッド、

そして全く隠す気を感じないほど大量のオナホール。

「まあ取りあえず座ってくれ」と言われ、

ベッドに座る。

気づいた時には、

もう相手役は僕の背後に周り、

「嗅いでいい?」という、

普段は決して聞かれることのない質問をぶつけ、

全身を嗅ぎ始める。

こうして全身を嗅がれた後、

締めと言わんばかりにキスをせまり、

ひととおり満足すると

「シャワー浴びてきていいよ。」と僕を解放した。

まだカメラは回っていない。

シャワーを浴び、再び元のベッドに戻ると、

カメラがしっかりとセットされ、

相手役がいまかいまかと僕を待ち構えていた。

ゼンギ→フェラ→ソウニュウ→ナマソウニュウ 

という撮影の流れの説明を受け、

カメラが周り始めるとすぐに、

僕は服を脱がされ、

キス→乳首→局部といった流れで、

徹底的に舐められた。

これがいわゆる「ゼンギ」というやつだ。

途中 経歴や性感帯などの質問を受けたが、

もはや何を答えたのか全く覚えていない。

「ゼンギ」が終わると

次は僕のターンだ。

相手役が心地よく挿入できるようにするために

局部にフェラチオをかまし、

相手役を勃起させなければならない。

前回の相手役は局部をきちんと清潔にしていたからか、

特に何の匂いもなかったが、

今回の相手役は局部から

若干のアンモニア臭がした。

さらに前回の相手役よりも局部のサイズも大きかったので、

奥まで咥えた際には、

窒息するかと思うぐらい呼吸が苦しくなった。

こうして僕のターンが終わると、

いよいよ真打ち「ソウニュウ」の時間が始まる。

まず 「ソウニュウ」はいわゆる「正常位」

から始まった。

僕はベッドに仰向けとなり、

自分の膝を抱え、足と尻を開いていると、

相手役が ローションまみれの

指を

1本、2本、3本と入れて

じわりじわり僕の肛門を広げ、

最後には肥大化した生局部を

ぶっ差した。

ご存知の方もいるかもしれないが、

肛門に局部を入れられるというのは、

感覚としては巨大な便を放出してる時の感覚に近い。

僕も差された当初は「便意をもよおす」感覚が強かったが、

後で考えるとあれは脳が肛門に入った局部を

大便と勘違いしたゆえに起こる錯覚なのだろう。

そんなことを考えているうちに、

「ソウニュウ」は第2段階の「騎乗位」に突入した。

この場合の「騎乗位」では

僕が仰向けになった相手役の上に

足と肛門を開いてまたがり、

一心不乱に腰を振り続けるという行為である。

この「腰を振る」という行為は想像以上に過酷だ。

僕は一時期筋トレにはまっていたこともあったが、

この「腰を振る」という行為で使う筋肉は、

明らかに筋トレでは使うことのない筋肉だ。

というよりむしろこれまでの人生で

一度も使ったことのない筋肉かもしれない。

僕の体にはまだ未知なる部分が本当に多いと

改めて感じさせられた。

そして 「ソウニュウ」は 最終段階の「バック」へと移行した。

この頃になると、

「ソウニュウ」直後には悲鳴をあげていた

僕の肛門も開発が進み、

落ち着きを見せ始めていた。

僕が四つん這いになって

再び足と肛門を開いていると、

相手役は「めっちゃケツ絞まってる」といった媚声をあげ、

容赦なく局部で僕の肛門を突き上げた。

しばらくして彼は

「ああ イキそう、イク イク 」と

急に大声で騒ぎだし、

最後に 「アー!」と魂の咆哮をあげ、

僕の肛門に射精した。

僕は特に何か肛門に出されたという感覚はなかったので、

「終わった」と思ってシャワーを浴びに行こうとしたが、

「ちょっとケツに力入れてみな。ウンコ出す要領で」と相手役に言われ、

言われた通りにすると、

僕の肛門からこれまで見たことのない、

茶色く濁った精液が噴き出した。

その後 猛烈な虚無感に襲われつつ

シャワーを浴び、部屋に戻ると

相手役が 先ほどからは考えられないほど落ち着いた様子で

「はい これが今日のお給料です。」と

予告通り3万円を渡した。

そして動画の公開日や

相手役の人物像といった会話を交わし、

僕は相手役の家を出た。

これがわずか1時間たらずで起きた出来事だった。

以上が今回の撮影の詳しい内容だ。

これを見てやってみたいと

思った方がいれば、

コメントでも何でもいいので

ぜひ僕に声をかけてほしい。

人妻パラダイス

前回の記事からお気づきの方もいると思うが、

僕は今日の朝まで沖縄に行っていた。

全ての始まりは水曜日だった。



禁酒会としての誓いを破り

しゃおじょんらと昔のように

サイゼリヤ西早稲田店のまずいワインを飲み

詭弁を放ちあっていると、

「東京は寒過ぎる。温かい所に行こう。」

という流れが出来上がった。

しかし今週は大学のテスト期間。

当然みな課題がたまっている。

来週にしようという案も出た。

だが僕らはここである真理を見出だしてしまった。

「単位は再履修できる。沖縄は再履修できない。」

要は大学の講義は何回でも受け直すことができるが、

今日この瞬間に偶然現れた

「寒いから沖縄に行こう」というノリで

沖縄に行けるのは1度だけだ。

もう迷いはない。

善は急げ。

すぐさま僕らは翌日の沖縄行きのチケットを取った。

「今回は沖縄に行くことが目的。行ってからどうでもいい。」

沖縄に行く前はこんな感じで、宿もとらず、

行ってからのことは全く考えていなかったが、

いざ沖縄にたどり着くと欲が出て、

なんだかんだで沖縄を満喫していた。



そして最終日 禁酒会をやめ飲酒に目覚め、

飲めもしない泡盛をちびちび飲んでいると、

しゃおじょんがこんなことを言い出した。

「沖縄といったら風俗だろ。おい お前ら   風俗行くぞ。」

彼は過去に散々風俗で痛い目にあっているにもかかわらず、

全く懲りることなく風俗に行きたがるのだ。

酔った時の彼は本当に恐ろしい。

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/09/19/013854

風俗はとても高い。

いっそのこともう一度ぼったくられて

新しいネタを作るというのも考えたが、

さすがにもうそんな金の余裕はない。

とはいえしゃおじょんの性欲をこのままとどめておくと、

何が起こるか分からない。

それに僕も半年前に股間にカビが生えて以来、

そういった店には行っていなかったので、

久しぶりに行きたいという気持ちもあった。

こうして僕らは途中に見つけた

「スーパーハブアタック」という精力剤をまで飲み万全の体勢で

 那覇の一番安いデリヘル

庶民派デリヘル人妻パラダイスに行くことにした。

指定されたホテルに向かう途中、

僕らはいつものように出勤している嬢を調べた。

そこには戦慄の現実が待ち構えていた。。

何と出勤している嬢はことごとく40歳オーバー。

それも詐欺が当然の宣材写真ですら

全く騙せていなかった。

もちろん僕らは指名なしのフリー。

「いったいどんな方が来るのか?」

僕らはこれまでとは全く別の意味での緊張を感じながら、

指定されたホテルにたどり着いた。

実際そこで待った時間はたったの数分だったかもしれない。

しかしその時だけは

途中で止まったAVがもう一度再生されるのを待つような

永久的な時間の流れを感じた。



やがて店から電話がかかり、

僕はホテル内に入った。

そこには1人の女性が待ち構えていた。

僕は彼女を見た瞬間にこう思った。

「いとこの叔母さん。」

明らかに40歳を越えており、

顔には深いシワが刻まれ、腹はたるみ、

そして何より脱ぐと、

まるでサーターアンダギーのような

巨大な乳房が虚ろげにこちらを覗いていた。

僕はとても不思議な感覚に襲われた。

僕の周りは明らかに現実とはかけ離れた

官能的な空間であったにも関わらず、

僕の隣にいるのはなぜか叔母さんなのだ。

僕はこの不可思議な空間に困惑しつつ、

叔母さんに言われるがままベッドに転がされ、

一通りの施しを受けることとなった。

「この違和感の正体に気づくまでは決して欲に溺れてはいけない。」

僕は施しの間、ずっとこの不思議な空間の正体を考えていた。

そして一つの結論にたどり着いた。

これは「近親相姦的空間だ。」

中世オーストリアのハプスブルク家は

何度も近親相姦を繰り返したとされている。

彼らは命の系譜を繋ぐ際に

毎回このような感覚に襲われていたのだろう。

しかしこの結論にたどり着いた瞬間、

僕はフル回転した脳とは

裏腹にフル勃起した局部に体の支配権を奪われ、

最後には近親相姦であることも忘れ

「かわいい」とささやきながら、

己の欲望のままハブのように叔母さんに絡み付いていた。

僕の性欲が持つ猛毒性に気づいた叔母さんは

僕を退治しようとプラス3000円で

最後の穴へ行けるという

巧妙なトラップを仕掛けてきた。

この時 既に性欲に脳を犯され害獣と化した僕は

考えることもなく

まんまと自らの肉棒をこの穴へはめてしまった。

そして快楽に溺れること数分。

突然部屋中に警報が鳴り響いた。

おそらくあの罠は、

害獣がかかると数分で警報が鳴る仕組みなのだろう。

焦った僕はペースを上げ、

全身を局部に変えるという奥義を発動し、

全身全霊で全身を前進させた。

これほど何かに必死になったのはいつぶりだろうか。



突如 上腕が動かなくなった。

その瞬間 僕は我に返った。

頭の中には様々な可能性が浮かんだ。

肉体的な可能性? 精神的な可能性?

僕はこれまで筋トレで腕をつったことはない。

いくら全身全霊をかけたとはいえ

肉体的な限界が来たとは言えない。

僕はある恐ろしい真理に気づいてしまった。

先ほど浮かんだハプスブルク家は

近親相姦を繰り返した結果

未熟児を何度も生み、

最後には滅びてしまった。

もしかするとこの腕の痛みは

安易に近親相姦に手を出そうとした僕への

ハプスブルク家からの罰。

つまりハプスブルク家の呪い

この真理に気づいた僕はすぐさま切り上げ、

欲望に支配され安直な行動を繰り返したことを叔母さんに謝罪した。

すると叔母さんは

「あなたは罠にはまったが、

自らの欲望を液体に変えることはなかった。」

という趣旨の言葉を残し、3000円を免除してくれた。

やはり最後に頼れるのは家族の愛だ。

家族愛の大切さが身に染みた沖縄旅行だった。

 ※今回登場した叔母さんは、僕の実の叔母とは外見を除いて、全く関係はありません。



ヒッチハイク×クリスマスツリー その2

今回も前回に引き続き

ヒッチハイク旅について書こうと思う。

紆余曲折あって守谷SAにたどり着いた僕たちは

すぐにヒッチハイクを再開した。

数時間前に別の友人たちが守谷SAから

一気にいわきまで乗せて頂いたという

話を聞いて、

「僕たちもすぐに」という気持ちで

ヒッチハイクをしていたが、

なかなか乗せて頂ける車は見つからない。

途中SA内でスケッチブックを持って

「仙台方面に乗せて頂ける方いますか
~?」

と声をかけてみたが全く効果なし。

まあ考えてみれば

今日は連休最後のクリスマスイブ。

ファミリーが多く、

当然むさ苦しい男2人なんて乗せたがらない。

僕たちは一旦 目的地を水戸に変えて

少しでも可能性を上げることにした。

するとすぐに水戸市内に用があるという

男性がこころよく僕たちを乗せてくれた。

彼の話によると高速にくくるよりも、

一度 車通りの多い一般道に降りたほうが良いとのこと。

東北方面の地理などさっぱり分からない僕たちは

大人しく彼の指示に従い、

水戸市内の巨大な駐車場にあるコンビニで降りた。

後にこの判断が大きな誤算を招くことに

この時はまだ気づいてはいなかった。

こうして水戸に降り立った僕たちは、

簡単な腹ごしらえをした後、

ヒッチハイクを再開した。

友人が仙台ナンバーのトラックを

見つけたと言うので、ついていくと

なんとそのドライバーさんは

仙台まで乗せてくれるとのこと。

「勝った」

高速を降りてしまったことに

不安を感じていた僕らは

思わぬ幸運に歓喜した。

ドライバーさんによると、

一般道で行くため5時間ほどかかるとのこと。

朝早くからヒッチハイクを始め、

限界を迎えつつあった僕は

いくつか会話を交わした後、

すぐに眠ってしまった。

「バーン!!」

ものすごい衝撃が僕たちの乗るトラックに走った。

すぐに目覚め、辺りを見渡すと、

目の前の車の後部が完全につぶれ、

車内からは赤ちゃんの泣き声がした。

「ヤバい」

被害者側のドライバーと

僕たちのドライバーの間で口論が始まり、

すぐに警察が駆けつけ、

現場はカオスの渦に飲み込まれた。

僕ももちろん目撃者として事情聴取を受けたが、

僕の格好のせいか

完全に僕が悪事を働いて、

事情聴取を受けているような絵になってしまった。

幸いなことにどちらの側にも

けがはなかったようだが、

僕たちのドライバーさんは

事故の説明責任があるため、

あえなく僕たちのヒッチハイクは

終了した。

時刻は18:00

辺りは真っ暗で、

ヒッチハイクをするにはあまりにも厳しい。

僕たちは電車でくりこま高原を目指そうと路線検索をした。

すると驚くことに一番早く着くのは

現在地から上野駅に戻り、

新幹線に乗るという

これまでのヒッチハイクを

全否定するような恐ろしいルートだった。https://yahoo.jp/KQiUWT

(当初は仙台集合だった。)

現地ではすでに別の友人たちが待っている。

できるだけ早く着かなければならない。

ただ僕たちはこれまでの

ヒッチハイクストーリーを

なかったことのようにしたくはない。

僕たちは迷わず2番目に早いルートを使って

くりこま高原を目指した。

そして23:00 出発から15時間。

やっとのことで僕たちはくりこま高原にたどり着いた。

駅前で待っていた友人を見た瞬間に

今日の苦難が全て報われた気がした。

やはりヒッチハイクは何が起こるか分からない。

だからこそヒッチハイクはやめられないんだ。

ヒッチハイク×クリスマスツリー その1

クリスマスにくりこま高原に行こう」

僕たちの旅はこの親父ギャグ界からですら

戦力外通告を受けそうなくだらない

ジョークから始まった。

くりこま高原は遠い。

東京から新幹線でも2時間30分はかかる。

皆さんも薄々察してはいるかもしれないが、

僕は最近コスプレにお金を使いすぎていて、

東京から新幹線に乗る金などない。

そこで僕は友人とともにヒッチハイクをして、

移動費を浮かせ、

別の友人たちと

どちらが先に目的地につけるか競争することにした。

そして迎えた当日はクリスマスイブ。

僕はコスプレをしてドライバーたちの目をひくため、

クリスマスツリーのコスプレをした。

この格好をして海老名SAでヒッチハイクをしていると、

僕のコスプレを見て笑っていたマダム3人組が

早速「乗せようか?」と声をかけてくれた。

作戦大成功!

前回ヒッチハイクをした時は

最初の1台に乗せて頂くのに

2時間ほどかかっていたので、https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/11/03/082242

今回は早いタイミングで乗せて頂くことに成功し、

改めてコスプレの力を痛感した。

しかもマダム達はとても良い人たちで、

僕たちのことを気づかって、

お茶やパンをくれたり、

車内でさまざまな話をふってくれたので、

和やかなムードで過ごすことができた。

ありがとうございました。

彼女たちは千葉方面に用があったそうなので、

用賀PAで下ろして頂き、ヒッチハイクを再開。

しかし狭い。これは本当にPAと言えるのか?

文句を言っても仕方がないので、

とりあえずヒッチハイクをすることに。

すると数分後友人が乗せて頂ける車を見つけたらしく、

すぐに駆けつけると、

強面のドライバーが急に車から銃を取り出した。

「ヒッチハイクなんて甘えたマネしてんじゃやねぇ!」

と一瞬ぶっ殺されるのかと思ったが、

どうやら趣味のサバゲー道具の様子。

某有名ホテルで宝石店の社長をやっているという彼は、

「用賀PAじゃなかなか車が止まらないから」

と言って彼の職場近くの車通りが

多いところまで乗せてくれた。

優しい配慮ありがとうございます。

そしてさらに驚きだったのは

なんと彼は別れ際、

「旅費の足しにしな」と言って、

僕たちに1万円を渡してくれたのだ

神か。

彼の器の大きさはすさまじい。

僕もいつか1万円をさっと渡せる大人になりたい。

こうして資金を手にした僕たちは、

あっさりと一度ヒッチハイクを諦め、

常磐道の入り口である守谷SAに向かった。

「守谷まで行けばあとは余裕だろう。

お金も頂いたし、後でみんなの食事代でも持ってやろう」

僕たちはこの時そんな甘い展望を抱いていた。

しかし現実はそんなに甘くはなかった。

後半に続く

ヒッチハイクにまつわるエトセトラ 2

ヒッチハイクのヒッチはひっかけるという意味。
ハイクはハイキングのハイク

この事実はヒッチハイク=車という僕の固定観念を完膚なきまでに轢き殺した。

つまりヒッチハイクは何の乗り物でしても良いのである。

三輪車 車椅子 セグウェイ この世は乗り物で溢れている。

いったい何の乗り物でヒッチハイクをしようか。

そう胸を踊らせながら街の乗り物を眺めていた。

するとある乗り物に広大なヒッチスペースがあることを発見した。

ママバイシクルの後ろだ。

乗れる。そう確信した僕はヒッチバイシクルに挑戦することにした。

「自転車専門のヒッチハイクをしているのですが、よかったら後ろに乗せていただけないでしょうか?」

前回と同じく西早稲田駅前で片っ端からヒッチしてると、早速二人目でヒッチに成功した。

彼は「西早稲田キャンパスまでだけど」と言いながら唖然とした表情で快諾してくれた。

意気揚々と彼の後ろに乗ろうとしたその時、

「防犯登録の確認よろしいですか?」

突然背後から国家権力が表れた。

奴は防犯登録と言って僕たちに近づいてきた。

しかし、防犯登録は自転車の後ろ側にあるため、後ろの人間は必ず降りなければならない。

このことを考慮すれば、奴が防犯登録という名目でヒッチバイシクルを取り締まろうとしたのは言うまでもない。

奴らはこの画期的な移動方法が拡大することによって、自動車の使用者が減り、

奴らの主要産業である自動車産業が衰退することを恐れたのだ。

つまりこの取り締まりは国家権力による陰謀なのである。

僕はこうしてあえなく権力に破れた。

そして 終電の時間も近づいていた。

もう諦めて帰ろうと改札へ向かっていた。

そんな中、頭のなかにはヒッチバイシクルを思いついたときのワクワクが唐突に浮かんできた。

いくら国家権力であっても個人のワクワクまで奪っていいはずがない。

僕はワクワクを生き甲斐にして生きている。

ワクワクを捨てることはすなわち死を意味する。

奪われたならまた作り出せばいい。

ワクワクは永久器官。

もう一度ヒッチバイシクルを再開した。

十人ほど声をかけたあたりだろうか。

一人の中国人男性が止まってくれた。

先ほどの構文を使い、彼に話しかけた。

しかしどうやら意味がわかっていない様子。

そこで僕は思いきって正直に「自転車に乗りたい!」と語った。

すると彼は「足痛いの?」と心配しながら快く乗せてくれた。

流石の国家権力もこの純粋な優しさにはお手上げだっただろう。

p>ワクワクが国家権力に勝ったのである。

僕はこのワクワクという最高権力者を大切にしてこの先も生きていきたい。

あとがき 乗せて頂き本当にありがとうございました。

自転車の2人乗りは,原則的に違法となります。(道交法57条2項)

絶対に真似しないでください。