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「おしりを出した子一等賞」にみる人間のあるべき姿

「おしりを出した子一等賞」

この歌詞はまんが日本昔ばなしの主題歌

「にんげんっていいな」に登場する歌詞である。https://youtu.be/dUXeJTzSCjc

日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう名フレーズだ。

しかしここで一度歌詞全体をおさらいしてほしい。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日 まーた明日♪

いいな いいな にんげんっていいな♪

おかしい 明らかにおかしいフレーズが一つ混ざっている。

なぜかくれんぼをしている時に、

おしりを出したら一等賞になるのか?

おしりを出すという行為が誉められるのは基本的に某ビデオの撮影時のみで、

何も知らない公衆の面前でおしりを出せば、

一等賞どころの騒ぎではないのは目に見えている。

それにこの歌詞の文脈上、

かくれんぼが行われている。

かくれんぼというのは基本的に外で行われるため、

むやみにおしりを出せば、鬼に捕まるだけでなく、国家権力にも捕まってしまう。

とにかく子どもたちも見ているであろう公共の電波で、

「かくれんぼ中におしりを出したら一等賞だ。」と伝えるのはあまりにも無責任だ。

この曲の歌詞自体、

特にこれといったメッセージが

ないのではないかという意見もあるだろう。

そういう方には是非2番の歌詞を見て頂きたい。

もぐらが見ていた 運動会♪

びりっこ元気だ 一等賞♪

夕やけこやけで またあした またあした♪

この歌詞を見る限り、

明らかに2番では

「運動会で順位はビリだとしても一所懸命元気に動くことが大切」だというメッセージを残している。

となるとなおさら

「おしりを出したら一等賞」という歌詞に謎が残る。

Youtubeのコメント欄にも多くの僕と同じ疑問を抱えている者がいた。

中には2枚目のような「頭隠して尻隠さず」という成語を持ち出して説得力をつけてる者もいたが、

彼は「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた状態として捉えている。

みなさんは「おしりを出す」と聞いたとき、

どんな行為を想像するだろうか?

答えは「ズボンを脱いでおしりを見せる」という行為に違いない。

そうでなければ、「おしりを出す」という行為が下劣な行為と捉えられるはずがない。

「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた行為として捉えた時点で、

コメント欄の彼は重大な間違いを犯している。

全人類の叡知を集めたYoutubeですら答えを出すことができない。

いったい「おしりを出した子一等賞」という歌詞の意味は何なのか?

僕はこの深淵な疑問について、

「おしりを出した子一等賞」=この世で一番賢くなれる方法は「おしりを出すこと」と解釈し、

おしりを出しながら必死に考えた。

すると僕のおしりからある仮説が産み落とされた。

「おしりを出した子一等賞」の歌詞の前に

何かおしりを出すイベントが行われている。

は? 何言ってるんだこいつ、

ただケツ出したかっただけじゃねぇのと思ったそこのあなた。

まあゆっくり尻でも出しながら話を聞いてくだせぇ。

まず歌詞を軽くおさらいしよう。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日♪ また明日♪

冒頭でも述べた通り、

かくれんぼとおしりを出すことにはどう言いがかりをつけても接点はない。

となると見るべき点は「おしりを出した子一等賞」の次 「夕焼けこやけでまた明日」の部分になるだろう。

「くまのこ見ていたかくれんぼ」   

               ↓

   「夕焼けこやけでまた明日」

という歌詞の流れを整理すると、

かくれんぼをしていたら夕方になったという状況が見えてくる。

ここで考えてみてほしいのは

かくれんぼだけで夕方までもつのかということだ。

確かにかくれんぼは面白い。

子どものころ誰しも一度は遊んだことがあるだろう。

しかしかくれんぼは何度も繰り返し行っていると隠れる場所がなくなってマンネリ化する。

つまりかくれんぼだけで夕方まで遊ぶのは不可能であるということだ。

となると、かくれんぼをしていたころから夕方までの間に何か別のことをしていたということになる。

その別の遊びの種類を当てる上で、最大のヒントになるのが

「おしりを出した子一等賞」だ。

おそらく「にんげんっていいな」という歌詞のモデルとなった子どもたちは

「かくれんぼ」で遊ぶという「子どもらしさ」の強要に嫌気がさし、

大人の考えた「子ども=健全」という歪んだ子ども像から解放され、真の自由を手に入れるために、裸になって歌い踊ったのだろう。

しかしここで「裸になった子一等賞」と言ってしまえば、

すぐに歪んだ大人たちに改悪されてしまう。

あくまで小さい子どもたちなら笑ってすまされるだろう「おしりを出す」という行為に変えることで、

現在に至るまで残る歌詞になったのだ。

さんざん書いたくせにそんなお粗末なケツ論か。

お粗末なのはお前のケツだけにしとけと思ったであろう読者の方々に

最後 とっておきの証拠を見せたいと思う。

これは「にんげんっていいな」が流れるときの子どもたちの映像だ。

ご覧の通りこいつらは尻を出すどころか顔から胸、局部に至るまでの全てを出している。

これはこいつらが裸になって踊っていたという紛れもない証拠だ。

そしてこいつらはこのあられもない姿でこう歌っているのだ。

「にんげんっていいな」

「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

「それぐらいは朝飯前だ。」

この「朝飯前」という言葉は

しばしば上記のような例文で

「朝飯をとる前に済むくらい簡単なこと」

という意味で使われている。

この意味に沿って考えると

「朝飯前」という言葉は朝飯をとることは簡単で、

「朝飯前」の対象となる語句は

それ以上に簡単であるという意味になる。

つまり「朝飯前」という言葉は

朝飯をとることが簡単だということ

を前提として成り立っているのだ。

しかしここで謎なのは

朝飯をとることは本当に簡単なのか?

ということだ。

朝という言葉を日常的に使う気象庁によると

朝とは主に午前6時から午前9時までを指すそうだ。https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D-423925

このルールに従って朝飯を定義すると

「午前6時から午前9時」までにとる食事を指すことになる。

     は? どこが簡単なん?

まず第一に 朝飯をとるためには少なくとも

午前9時までには起きなければならない。

大事な予定があるのにも関わらず

眠り続けてしまうという重度の睡眠中毒を患い、

早い時間の講義には

ことごとく絶望的な起床をかましてしまう

大学生たちにとって、

午前6時から午前9時までに朝飯をとるというのは

明らかに無理難題だ。

3限(13:00開始)以降にのみ授業を固めた、

僕のような起床拒否民の中には、

1週間のうち一度も午前9:00より前に

起きる日がないという者もいるのではないだろうか?

午前中に起きることすらできない人にとっては、

もはや朝飯なんていうのは空想上の存在とも言えるかもしれない。

一方、ここまで大学生のみの実態を聞いて

「大学生がだらけ過ぎているだけなのではないか」と思う人もいるだろう。

確かに学生という身分と共に

起床拒否と睡眠中毒から脱した社会人の多くは

午前6時~9時の間に起床していることが多く、

概して規則正しい生活をしている。

しかし彼らには一つの致命的な欠点がある。

それは「忙し過ぎて朝飯を抜いてしまう」ということだ。https://doors.nikkei.com/atcl/wol/trend/15/105974/031100088/

このデータからも分かるように、

社会人のうち40%が時に朝飯が大事とわかっていながらも、

朝飯を抜いてしまう。

もちろん彼らは大学生よりは朝飯をとる傾向は強いかもしれない。

朝飯をとることが本当に簡単だというならば、

社会人全員が毎日朝食を取れてなければおかしいはずだ。

40%の人間が常にできないことを

簡単だと言うのは多数派の横暴に他ならない。

以上の例から分かるように、

朝飯をとることは非常に難しい。

現実に合わせた場合、

「朝飯前」という言葉は

難しさを強調するために使う言葉で

なければならないはずである。

僕はこれ以上「朝飯前」という言葉の

誤った使われ方を見たくない。

だから 僕がここで一つ正しい「朝飯前」の使い方を提唱しよう。

「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

だからブログは難しい

僕は以前ブログで自分の思想を

強気な表現で書いていた。

「~常識を疑え~我慢することが大人なのか。」

赤ちゃん最強論」

当時はただ自由にものを言えない世の中に対して

自分のモヤモヤを

好きなように語っただけだったのだが、

こういった記事を書いて以降、

自分が記事の内容に反することをした時に

妙な罪悪感に襲われるようになった。

「あの時 あんなにブログで強気に語ったのに結局何も変わってないじゃないか。」

「互いの自己中を通し合う」なんて聞こえはいいが、

実際、一瞬手が出てしまえば、

一生を棒にふるう可能性があるこの世の中で、

わざわざ争いの種を作るような思想は

あまりにもハイリスクだし、

そもそも僕は人と争うことが嫌いだ。

しかしブログで「真正面から争い合う世の中」のことを

肯定してしまったせいで、

自分が悪くないのにも関わらず

争いを避けるために丸く収めようとした時に、

これまでではなかった

「結局 自分は口だけなのか」という自己嫌悪が僕を襲うようになった。

この例の他にも自分が怠惰な行動をとる度に、

「あの時 ブログであんなに前向きなことを言ったのに何をしているのだろう」

という今までにない感情を覚えることが多々あった。

ある意味ではブログを前向きな内容にすることで、

現実の自分がブログに追い付こうと前向きに

行動するという自己啓発的な意味合いも

持っているとも言えるのだが、

僕も1人の人間なので、

常に前向き 前向きだと持たないし、

たまには後ろ向きになりたいときだってある。

しかしブログの「僕」は常に強気で前向きな態度を貫いているので

後ろ向きな態度を許してくれない。

言うなれば、自由にものを言うために始めたブログが

現実世界の僕の自由を奪っていたのだ。

前の記事でブログの面白さを書いた後なのに

何とも二枚舌な発言ではあるが、

ブログの良くない側面の一つとして、

強気なことを語りすぎると、

ブログの中の「僕」が大きくなりすぎて、

現実の僕がついていけなくなってしまうことが挙げられると思う。

とにもかくにもブログの中で強気なことを

言うのは一時の憂さ晴らしにしかならない。

好きで始めたブログを嫌な気分で止めるのは

もちろん悲しい。

だから僕のブログはあくまでも毒にも薬にもならないような

下らないネタが中心になるのがベストなのではないかと思う。

コスプレが僕を救う。

先日 僕のバイト先に新しい店員が入ってきた。

名前から察するにおそらく留学生だ。

僕のバイト先は留学生が多く

民族のサラダボウル状態なので、

留学生の存在はさほど珍しいことではない。

しかしこの留学生 何かがおかしい。

その日は何人かサボった奴が出て、

めちゃくちゃ忙しかったので、

その何かについて気にする余裕はなかったのだが、

少し忙しさが落ち着いて来た時、

僕はこの留学生に対する違和感に気づいた。

「全く表情が変わらない。」

彼は料理を運ぶときも、仕事を教えてもらうときも、

ましてやイレギュラーがあった時も

いかなる時でも表情が変わらないのだ。

確かに飲食店の店員が感情をむき出しにするのは

良くないことだが、僕らも人間なのだから

嫌な時にはほんの少し顔に出てしまうことがあるものだ。

彼にはそういったものが全くなかった。

僕は怖くなって、

すぐに仲のいい社員さんに相談した。

すると驚くべき答えが返ってきた。

「お前と同じじゃん笑」

え!?

僕があいつと同じ?

あり得ない。

でもよく考えてみると

思い当たる節がいくつかあった。

サークルである程度仲良くなった奴に

「最初 お前はずっと怒ってる感じで 気持ち悪かった」

と言われたり、

最初のバイト先では毎回のように

「もう少し笑ってくれ」と言われたりと

僕はしばしば愛想の無さを指摘されることがある。

ただ僕はここで少し反論したい。

僕が常にニコニコしてたら気持ち悪いだろと。

自慢だが、僕の笑顔は気持ち悪い。

20年間自分の顔と向き合ってきたが、

いまだに笑顔だけは慣れない。

食事中に思い出したら、間違いなく嘔吐するだろう。

そんな気持ち悪い笑顔で常にいたらどうなるだろうか?

今度は間違いなく「ニヤニヤするな。」

「ニヤニヤしてて気持ち悪い」と言われるオチに決まっている。

普通にしてたら無愛想

笑っていたら気持ち悪い。

じゃあいったいどうしろと?

答えは僕の身近なところに転がっていた。

コスプレ

そうだ!

コスプレをすれば顔を出さなくて良いから、

顔について文句を言われることはない!

ああ いつかありとあらゆる場所で

コスプレが許される世の中になって欲しい。

そうすれば 僕のように表情で悩まされる人が

救われるのに。

 

 

台湾の風俗に挑戦したら人生最低の夜になった話

僕は先日 台湾の代表的風俗店のひとつ金年華三温暖に行った。

というのも その日の午前中に行った陽明山

ガッカリスポット過ぎて、

テンションが下がってしまい、

埋め合わせをするために

風俗に行こうということになったのだ。

沖縄の時もそうだったが、

僕たちはつまらないことがあると

すぐに風俗に行って埋め合わせそうとする。

#困ったときは風俗へ

僕たちも自らのコンテンツ力を高め、

この風俗依存の風潮を、

いづれ改善したいと思っているが、

風俗のコンテンツ力は高すぎる。

まだまだ風俗の壁は高い。

#風俗に勝ちたい

何はともあれ 僕たちは研修前 最後の夜を

最高の形で終えるため風俗へ向かった。

風俗へ行くまでの過程は

代表作 「池袋西口でAV女優とヤれるという詐欺に引っかかり12万円ぼったくられた話」が

1万PVの大ヒットを記録し、その後も

沖縄最安デリヘルの実態を赤裸々に描写した「人妻パラダイス」や

台湾での男性からの痴漢体験を

事細かに語った「台湾のバスで巨漢の男にチンポをしごかれた話」といった人気作を連発し、

長きに渡り風俗ブログ界の王として君臨する

超一流風俗ブロガーしゃおじょんが魂を込めて語っているので、

是非こちらを見て頂きたい。https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102

僕は日本で何度か風俗店に行ったことがある。

しかし今回は 台湾の風俗店がチェンジ(来た女の子を別の子と交換すること)が

無料なことを知っていたため、 

来た女の子を全員チェンジして

台湾の風俗店の女の子はどのような感じなのか

見てみようと思っていた。

しゃおじょんのブログにあった通り、

入浴→休憩→おばさんから声をかけられる

という順で部屋に案内されると、

そこは「全員チェンジする」

という僕のひねくれた決意を嘲笑うかのように

二つのベッドの間に

おぼろげなライトが一つ置かれ

妖艶な雰囲気を醸し出していた。

ここで僕に一つの考えが生まれた。

「全員チェンジする」と決意したにも関わらず、

あっさりと欲求に負けるという展開はわりと面白いのではないか。

こうしてせっかくの決意が揺らぎ始めていると、

「コン コン」とやけに高いノックの音がして

一人の女性が僕の部屋に入ってきた。

「チェンジ」

僕は彼女の顔が見えた瞬間すぐに、

心の中で絶叫した。

顔は東南アジア系で明らかに台湾人ではなく、

年齢も明らかに40を越えていた。

しかし僕の決死の叫びは

儚くも彼女の元へは届かず、

彼女は黙々と準備を始めようとしていた。

元々僕は様々な問題を抱えながらも、

生活をしていくために強い覚悟を決め、

こうした店で働く彼女たちに「チェンジ」

という冷たい言葉をかける勇気などない。

もう諦めてこの女性に身を委ねようかと思ったその時

大切な情報を思い出した。

「スペシャルマッサージは15000円」

僕の今回の研修予算は50000円だ。

到着後2日間で15000円を使ってしまったので、

もしこのスペシャルマッサージを受けると、

残り20000円で3週間を過ごさなければならない。

このどこの国から来たかも分からないババアが

悲しむ姿を見たくないからといって、

僕の研修を棒に振る訳にはいかない。

僕は準備を終え、「脱いで」と急かしてくるババアに

勇気を振り絞って 「チェンジ」と叫んだ。

「言えた」と安堵したのもつかの間、

ババアは予想通り肩を落とし、

露骨にガッカリした様子で、

僕の部屋からとぼとぼと出ていった。

その後も数回チェンジをしたが、 

何度チェンジしても初回と同じような

東南アジア系のババアが登場し、

「チェンジ」と言う度に

これまた同じく露骨にガッカリした様子で帰っていった。

決意が揺らぐという展開は

全く起きる気配はなかった。

僕はただ楽しい夜を過ごしたかっただけなのに、

なぜこんなにも人がガッカリする様子を

見せられなきゃならないのか。

ババアの悲しむ姿なんか見てもただただ不快でしかない。

僕は結局 店の女性を全員見る前に、

そそくさと退散した。

こうして消化不良のまま休憩所に戻ると

絶世の美女に出会ったというしゃおじょんが

極度に興奮した様子で自らの体験を語っていた。

一通り語り終わると彼は

「お前はどうだった?」と聞いてきた。

先ほどの体験を簡潔に語ると、

舞い上がりに舞い上がりを重ねたしゃおじょんが

「ダッセー 俺だったら全員チェンジしてるから」と驕り高ぶった様子で煽ってきた。

ただでさえババアのガッカリ顔を見続け、

不快を極めているのに、

追い討ちをかけるような

絶好調しゃおじょんの煽り。

間違いなく人生最低の夜だった。

これまでの風俗依存のツケが

回ってきた形だ。

今回良い思いをしたしゃおじょんは

まだまだ風俗依存をやめることはないだろう。

僕にとってついに風俗依存を終える時が

来たのかもしれない。

第一 僕は性行為に全く興味がない。

そんな奴が風俗の話をしても、

性行為に命をかけてる奴の話には勝てない。

今後の方向性を見つめ直す。

そんな台湾風俗体験だった。


人は検便中 何を考えてるのか

僕のバイト先のサイゼリヤ西早稲田店では

定期的に検便が行われる。

飲食店のバイトは検便があるという話は

時々耳にすることがあったが、

以前のバイト先では検便はなかったので、

僕はこの検便というイベントは、

一部の熱狂的なうんこマニア達によって

流された都市伝説だと思っていた。



しかし現実はそう甘くはなかった。

僕がバイトを始めて数ヶ月、

いきなり社員さんから声をかけられた。

「海谷君。うんこ採ってきて。」

「うんこ採ってきて?」

意味が分からなかった。

もし彼があのとき検便キットのようなものを

持っていなかったら、

僕はその場で自慢のチョコバナナ丸々一本

提供していたかもしれない。

とにもかくにも あのとき僕は検便というものが決して

都市伝説ではないということを知った。



ただここで僕はある疑問を抱いた。

検便をするのは従業員全員だ。

決して僕のうんこが問題視されたわけではない。

従業員の中にはもちろん女性もいる。

もちろん彼女たちもこの検便という

一大イベントをこなしている。

僕は普段からうんこをした時に、

必ず自分のうんこを長時間観賞し、

悦に入る習性があるので、

検便に対しては、

いつもの習性の延長線ぐらいの感覚なので、

これといった感情は抱かない。



しかし女性の多く(一部の男性も)は

流す前のうんこを一瞬確認することはあっても、

検便時のように長時間

自分のうんこと向き合うことは少ないだろう。

そんな彼女達が検便時に抱く感情はいったい何なのか?

「くさい?」「汚い?」「でかい?」

もしくは 「カッコいい?」

残念ながらこればっかりは

直接聞いて見るしか知る方法はないだろう。

しかし僕には女性にいきなり

「検便の時、何考えてるの?」と聞く勇気はない。

「検便 何 考えてる」とグーグルで検索しても

めぼしい答えは見つからない。

あらゆることが情報化された現代においてなお、

この疑問は深い謎に包まれている。

もしかするとこの答えは

僕が軽々しく知ってはいけないほど、

深淵なのかもしれない。

この疑問を抱き、

実際に検証しようとした者は

次々と死を迎える。

僕はもしかすると

恐ろしいパンドラの箱を開けようとしてるのかもしれない。

僕がこのまま好奇心に負け、

死を迎えるまでに、

頼むから誰か 情報を提供してくれ。 

My hobby is gorogoro

自分の趣味とは何だろうか?

僕は長年この疑問に対する正確な答えが見出だせないでいた。

某出会い系サイトのプロフィールでは

世間の女性受けの良い趣味とやらにゲイ合して、

こんな風にスポーツ観戦や旅行、映画鑑賞が趣味と書いてしまった。

確かにスポーツや映画を観るのはそこそこ好きだ。

しかし 実際ひまな時にこれらの趣味もどきたちに

最も多くの時間を割いているかと言われると微妙だ。

僕はひまな時 何をしているのか?

答えは意外と簡単なものだった。

「何もしていない。」



もちろん正確に言えば、

呼吸も生存活動はしている。

ただ後で振り返った時に、

「あのとき何もしていなかったなぁ」と感じる時間のことだ。

具体的に言えば、

ただベッドの上で転がって布団に抱きついて、

ぼーと色んなことを考えながら、

気になることがあったら携帯をいじったりする時間だ。

僕が家での過ごし方の大半は

間違いなくこの時間だ。



後で振り返ると、

この時間はネタにもならないし、

携帯で見た情報なんてすぐに忘れてしまうので、

何の知識も残らないから、

明らかに無駄でしかない時間ではあるが、

僕はこの時間が大好きだ。



僕の周りではたまに

1日中ずっと映画やアニメを見ていただとか、

1日中ずっと勉強や作業をしていたという話を聞くが、

素直にすごいと思う。

僕だったら絶対に出来ない。

作業は絶対に休み休みだし、

映画を1本見たら、1本ぶんベッドで休む。

ただあまりにもベッドでゴロゴロし過ぎると、

1日を無駄にした背徳感で押し潰されそうになって、

こうしてブログを書いたり、

映画をみたりして「なにかやった感」を残す。

つまり僕にとって、趣味もどきたちは

ベッドで転がるための口実でしかない。

僕の本当の趣味はただ一つ。

「布団に抱きつきながら、ベッドを転がること」だ。

横浜はいいところよ

 僕は横浜に住んでいる。

それもよくある青🌿区とか🌄区といった

緑豊かな地域ではない。

僕の家は神奈川の中心横浜駅と近未来都市みなとみらいを兼ね備えた

覇権地帯 横浜市西区にある。



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僕は大学入学前までは

自らが横浜市西区出身であることに強いプライドを持っていた。

しかし大学入学以降

横浜市西区を遥かに越える大都会「新宿」に

住む「新宿住み」に遭遇し、

僕のプライドは見るも無惨に崩れ散った。

詳しくはこちらを参照↓

もはや横浜でマウントはとれない。

以後 僕の横浜市西区に対する考えは大きく変わった。

いくら「新宿住み」たちが

「横浜? 中華街とかみなとみらいとかあって良いよね。」と言ってきても

僕は「横浜なんて遠いだけでろくな場所じゃないよ」

と強く謙遜するようになった。

結局 人が集まるのは新宿だ。

しょせん横浜なんてのは新宿に

少し近いこと以外取り柄のない地方都市だ。

僕の横浜を卑下する考えはますます膨らみ、

以前は買い物などで、

度々訪れていたみなとみらいにも全く行かなくなってしまった。



先日 そんな僕の考えを大きく変える出来事があった。

日光に行ったメンバーで

今度は横浜で遊ぼうということになったのだ。

当初 僕はかなり不安だった。

「横浜なんて結局はただのデートスポット。

中華街で飯食う以外特にやることがないんじゃないか」

僕らはとりあえず中華街に集まり、

適当な中華料理店で昼食をとった。

ここで僕の不安が現実のものとなった。

僕らは次にどこに行こうか悩みだした。

お腹はいっぱい。風俗金ない。

ぼく家は狭い。

当然のことながら僕は他のメンバーから

横浜に何があるか聞かれた。

横浜に対して全く自信のない僕は

つい「横浜から離れて高尾山に行ったほうが良い」という

意味不明なアドバイスをしてしまった。

「高尾山まで行くのはだるいから」と引き下がる友人に

僕はしぶしぶ

「みなとみらいにはコスモワールドという遊園地がある」と教えた。

横浜住みの人には分かる方もいるかもしれないが、

コスモワールドはいわゆる「残念スポット」だ。

確かに大観覧車は全国的にも有名だが、

他のアトラクションは全体的にショボい。

それに近郊には東京ディズニーリゾート、

富士急ハイランド、八景島シーパラダイスといった

メジャーなテーマパークがある。

地元民にコスモワールドに行こうだなんて言ったら

失笑間違いなしである。




しかしそんな先入観とは無縁な僕の友人たちは

遊園地が近くにあると聞いて、

おおはしゃぎでコスモワールドに向かって歩きだした。

僕は彼らがコスモワールドのショボさに落胆して、

アンチ横浜民に生まれ変わり

横浜市民を迫害し始めたらどうしようかと

心配していた。

コスモワールドに着くと

彼らはすぐに観覧車のサイズに驚いていた。

ここまでは想定通りだ。

心配なのはここからだ。

コスモワールドにはフリーパスがない。

そのため、アトラクションに乗るたびに

チケットを買わないといけないのだ。

このテーマパークにあるまじきクソ仕様は

地元民の間で度々嘲笑の的となっていた。

しかし僕の友人たちはそんなこともお構い無しに

金の有らん限りチケットを買っていた。

そして決してクオリティが高いとは言えない

アトラクションにとても楽しそうに乗っていた。



他のお客さんたちもみんな楽しそうにしていた。

僕はそんな彼らの姿を見て、

コスモワールドは来た人を笑顔にする

素晴らしいテーマパークだと思った。

本当に残念なのは

ろくに行ったこともないのに

こんな素晴らしいスポットを

残念スポット扱いした僕の心だ。

この中には人生で初めて横浜に来た人や、

この先の人生でもう二度と

横浜に来ることのない人もいるかもしれない。

そんな人たちを楽しませ、

彼らの記憶に残るコスモワールドは

本当に僕たち横浜市民の誇りだ。

僕の住む町にはこんなにも素晴らしいスポットがあるのだ。

無理に自分の住む町を卑下してはいけない。

自分にとっては普段から見ている

何気ない景色でも

他の人からしたら感動的な風景になることもあるのかもしれない。

横浜はいいところよ

ホモビデオに出演した結果、自分の恐ろしい本質に気づかされた。

本ブログの読者の中にはお気づきの方もいるかもしれないが、

僕はいまお金がない。

毎日のコスプレ費、最近の旅行費、留学準備費用

と支出を挙げれば切りがない。



頼みの収入源サイゼリヤ西早稲田店はというと、

都内では最低レベルの時給1000円なので全く当てにならない。

昨年の6月には過去最高の50万円に達した

僕の口座残高もみるみるうちに減っていき、

今では10万円を下回る勢いだ。

このままでは留学に行く前に破産してしまう。

学生のうちから闇金に手を出す人生はまっぴらごめんだ。

何とかしてお金を稼ぎ出さなければならない。

しかし扶養の関係もあるため、

なかなか新しいバイトに手を出すのは難しい。

どうしようかと考えてたときに

ある考えが浮かんだ。

「ホモビデオに出ればいいんじゃないか」

僕は以前某元プロ野球選手

学生時代にホモビデオに出演し、

大量のお金を稼いでいたという

エピソードを聞いたことがある。

その選手のビデオは未だにネットユーザーから

高い評価を得て人々を笑顔にしている。

お金も貰えるだけでなく、

人々を笑顔にするエピソードも残すことができる。

こんな素晴らしい仕事は他に無いだろう。

僕は迷わずホモビデオに出演することに決めた。(僕はもちろんノンケです。)



ホモビデオ出演を決意した僕は

片っ端からホモビデオ会社にプロフィールを送った。

やる気を見せるために裸の自撮りも一緒に送った。

こうしてプロフィールを送ること数社。

ある会社からついに出演のオファーが届き、

僕の念願のホモビデオデビューが決まった。

出演料はなんと時給で換算すると

サイゼリヤ西早稲田店の10倍を越えていた。

僕は大喜びで友達に出演決定の報告をした。

すると彼らは大爆笑すると同時に、

「俺だったら絶対できない。」

「お前 体大丈夫なのか?」

と心配してきた。



確かに冷静に考えれば、

僕は筋金入りのノンケなので、

これまで男性としたことはない。

せいぜい酔った勢いでキスしたことがあるくらいだ。

もしかすると撮影中

気持ち悪さに襲われてしまうのではないか。

痔になって一生苦しむのではないか。

僕は急に激しい不安に襲われた。

とはいってもせっかく訪れた一攫千金のチャンス。

絶対にフイにするわけにはいかない。

僕は会社の指示通り

毎日お尻の開発をしながら撮影当日を待った。



そして迎えた当日。

僕はこれまで経験したことのないような

緊張感を覚えながら撮影場所へと向かった。

残念ながら動画の公開が

かなり先なので詳しい撮影内容を話すことはできない。

僕はこの撮影で今まで目を背けていた

自分の性に関する事実に気づいてしまった。



今回の撮影では相手役の男性との

さまざまなシチュエーションを撮られた。

中には自分の想像を越えるシーンもあった。

僕は撮影前

「撮影中気持ち悪いと思ってしまうのではないか」と心配していた。

しかし僕は撮影の間、

そういった感情を全く持つことはなかった。

同性との行為が「気持ち悪い」と感じるのは、

「そうした行為は異性と行われるべき」

という考えが頭の中に刷り込まれているから

だと思う。

「セックスは男と女でするもの」

という考えが強ければ強いほど、

男同士でのセックスに強い嫌悪感を覚えるのだろう。



僕はなぜ男同士という状況に

全く嫌悪感を抱かなかったのだろうか?

考えていくうちにある恐ろしい仮説にたどり着いてしまった。

「僕はセックスに興味がないのではないか」

男同士での行為に全く嫌悪感を抱かなかったのも

僕の脳がセックスに関して何の感情も抱いておらず、

体と体が触れあう行為

せいぜいハイタッチぐらいとでしか

捉えていないからではないか。

思えば僕はこれまで

人生で一度もセックスで抜いたことはない。

「じゃあ何で抜いてるの?」と聞きたくなるかもしれないが、

これだけは答えることができない。

決して犯罪に関わるようなことではないが、

僕はこの内容だけは

誰にも言わず墓場まで持っていくと決めている。

恐らく他の人からすると

「何でそれで抜けるの?」という内容だと思う。

僕もなぜ抜けるのか全くわからない。



一時期 他の人と同じようにアダルトビデオで

抜いてみようと思ったこともあったが、

肝心のセックスシーンに全く興奮しない。

好みの顔をした女優のビデオを観ても

結果は同じだった。

どんなに女優が喘いでも、

どんなに激しく動き回っても、

「頑張ってるなぁ」ぐらいで

何の感情もわかない。

女性器に刺さった男性器が前後に揺れているだけなのに、

なぜ興奮するのか僕からすると全く分からない。



本ブログでも何度か取りあげたが、

僕は何度か風俗に行ったことがある。

この事実だけを抜き出せば、

これまでの内容と矛盾するかもしれないが、

僕が風俗に行く理由はネタ作りのためだ。

なんだかんだ風俗の話はネタになる。

僕は話のネタに飢えている。

セックス自体に嫌悪感があるわけではないので、

ネタになると分かればすぐに向かうという訳だ。

実際これまでのソープ体験も、

なかなかイケず、

騎乗で無理やりイカセてもらった感じに近かった。

いずれにしてもセックスは

大きなコンテンツであることに間違いない。

男同士だと性関係の話は一番盛り上がるし、

男は誰しも女性と仲良くしてると

必ず周りからやったかどうかを聞かれるし、

やることを求められ、

できなかった奴はヘタレ扱いされる。

これまで僕もこうした風潮にゲイ合して

無理やり「自分はセックスしたいんだ」

と思い込むようにしていたが、

実際のところ

本当の自分は良くも悪くもセックスには興味はないのだろう。

今まで気づかないふりをしていた

自分の本質に気づかされた。

そんなホモビデオ出演だった。

ファッションよりパッション

「女性は男性のファッションを意識している。」

僕はこの通説だけは間違っていると自信を持って言える。

なぜなら僕がコスプレをしてても、

ほとんどの人が無反応だからである。

考えてみれば当然だ。

女性からすれば見ず知らずの男性など、

性欲にまみれた汚いゴキブリのようなものだ。

僕たちはいちいち目の前に現れたゴキブリが

どんな格好をしているか気にすることはない。

ゴキブリにオシャレは必要ない。

ゴキブリは自分のことだけを考えて、

適当な服を着とけばいい。

ゴキブリに大切なのはオシャレより

何をしても批判され、嫌われる苦しい世界を

生き抜こうとするパッションだ。