「思想」カテゴリーアーカイブ

「課題」の暴虐を打ち破れ

現在 僕の大学はテスト期間の真っ只中だ。

いつもはガラガラの大学の図書館は

テスト勉強に励む者で溢れ、

twitterは何年も酷使されたテスト関係のネタが

今年もタイムラインを賑わせている。

僕の周りでもテスト勉強ムードが高まり、

「課題」に追われているという話題が増えてきた。



僕はここでふと一つの疑問を抱いた。

「大学生が課題に追われている」ということは、

言い換えれば「課題が大学生を追っている」

「課題が大学生をつきまとっている」

と言えるのではないか。

ある時期になると全ての大学生の背後に突然現れ、

嫌がる大学生に強引につきまとう

「課題」とはいったい何者なのか。

幸いにも僕は実用主義の「課題」が

最も嫌うタイプである文学部に在籍しているため

「課題」のストーキングを受けることは少ない。

しかし「課題」のストーキング被害に悩まされている友人たちを救うために

今回は「課題」の悪行をまとめ、

「課題」がいかに恐ろしい存在であるかを伝えようと思う。



「課題」の恐ろしい所は

なんといってもその行動力である。

基本 1人だけをつきまとうストーカーとは違い

「課題」はある時期になると

全ての大学生を不眠不休で

無差別につきまとう。

「課題」から逃れるには自ら「課題」に立ち向かうほかなく、

逃げようものなら

「課題」は地の果てまで大学生を追い詰める。

以前「課題」から不当な手段で逃れようとしたある大学生が

大学から存在を抹消されてしまったという噂もある。



さらに恐ろしいのは

現在これだけ理不尽なストーキングを続ける「課題」を

大学当局は取り締まるどころか、

「課題」を利用して

大学生の人生を左右する成績をつけているのだ。

学生生活の安全を保証するはずの大学当局が

学生を脅かすストーカーを用いて、

成績をつけているという恐るべき事実が

ここに浮かび上がってくる。



以上のように この世界では

いっさい悪びれることなく数十年にわたり

悪質なストーキングを繰り返す「課題」と

それを容認し利用する大学当局という

恐ろしい権力構造が存在する。

これ以上 「課題」たちの横暴を許してはならない。

万国の大学生たちよ。

決起の時は来た。

今こそ「課題」の暴虐を打ち破れ。

もう一つのセンター試験

本日 1月19日はセンター試験である。

世間では主にこの毎年1月の中旬に行われる

全国共通試験を取り上げることが多い。

しかし毎年このセンター試験と同じ時期に

全受験生の合否をも左右すると言われる

もう一つの「センター試験」が

存在していることをご存知だろうか?



このテストは受験生のみが受けることができ、

内容は極秘。

過去に内容を漏らしたある学生は、

試験の数ヶ月後にサイゼリヤ西早稲田店

戦友たちと共に

見るも無惨な姿で発見された。



僕は今日その学生たちが残した大量のワインを手がかりに、

極秘試験の潜入に成功した。

途中「センター試験」経験者であるローニンの

twitterでの経験者イキリによる

激しい妨害も受けたが、

何とかいくつかの問題を手にいれることに成功した。



今日はこの命がけで手にいれた問題のいくつかを紹介し、

依然として謎に包まれている

「センター試験」の実態を暴いていこうと思う。

 第1問 日本史

2008年草なぎ剛氏が提起した

いまだに結論が下されていない深淵な議題は何か

1 魚になって何が悪い

2 裸になって何が悪い

3 田中になって何が悪い

4 何も悪くない

2008年という日本史にしては比較的

最近の出来事からの出題ではあるが、

彼の発言や行動によるインパクトから、

この問題の知名度は高く、

受験生の得点率も高かった。



第1問 詭弁

論に矛盾が生じ、

議論に負けそうになったときに使う詭弁は次のうちどれか。

1 お前が論理

2 論理は論理

3 俺が論理

4 俺も論理

「センター試験」にのみ登場する科目

「詭弁」

その名の通り論理が危うい文章も多く、

国語力と柔軟な思考力が求められる。

さすがは「詭弁」第1問にしてはなかなかの難問だ。

正解は3だが、受験生の間でも

「意味不明」「これは詭弁ではなく妄言」

といった批判が殺到した。

確かにこれまで社会の論理で議論していたにも関わらず

負けそうになったからといって

急に「俺が論理」と言われても、

誰も理解できないのは当然である。

出題者は受験生の未来を背負っているという自覚を持つべきである。



その他にも興味深い問題がいくつかあったが、

僕の身に危険が及ぶ可能性があるので、

割愛させて頂く。

「センター試験」に臨む受験生に良い結果が出ることを祈る。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

未読無視より既読無視

既読機能

ラインのサービスが始まってから

8年がたとうとしているが、

いまだに論争の絶えない機能である。



元々は災害時などの

メッセージを返すことができない時に

既読表示をすることで

安否確認をするために生まれた機能であったが、

現在は既読をつけることで

相手にメッセージを返す気がないと思われるのを恐れて、

既読をつけないまま放置する

通称 未読無視をしてメッセージをためている者も多い。 例 しゃおじょんhttps://dobunezumidesu.hatenablog.com

僕はこの未読無視という行動に大きな疑問を感じている。



既読無視は相手を傷つけるといって、

未読無視しても結局無視してることは変わらないし、

未読無視されたメッセージは

通知という機能を通じて

「読んでくれ!」という魂の叫びを伝えており、

未読無視は相手だけでなく

このメッセージ達による魂の叫びまで

無視してるのである。

中には未読のままメッセージを削除する者もいるが、

「読んでくれ」と助けを求めるメッセージを

無慈悲に殺す姿は冷酷極まりない。

恐ろしい まさに鬼畜米英だ



 一方「既読をしたら返事を返さなければならない」

という謎風潮も未読無視を優勢にしている

原因だと僕は思う。

冒頭にも述べたが、

既読機能は元々返信したいけど、

できない人の安否確認のために生まれたのであって、

「既読=返信できる」 にはならないはずである。

既読はできても返信はできない

というタイミングは誰にでもある。

いちいち既読がついたことにカリカリしないで、

「あ こいつ 既読ついたから一応生きてるんだな」

ぐらいの気持ちでいたほうが、

メッセージを送った側も送られた側も

幸せではないだろうか?

送られた側の謎配慮も

送った側が傲慢な可能性があるから

生まれることを考慮すると、

送った側の寛容さが未読無視をなくすうえで、

とても重要なのではないかと思う。



ぴーえす

僕は断然既読無視派ですぐに

何でも既読をつけるけど、

元々来るメッセージ数が少ないから、

既読つけも簡単なのかも。

一度既読つけが追い付かないくらい

メッセージが来るのを体験してみたい。

赤ちゃん最強論

僕は大学で中国語を専攻している。

大学入学直後から勉強を始めたので、

学習歴はそろそろ2年になる。



そんな僕だが先日中国へ行った際に

とても悲しい場面に遭遇した。

中国の赤ちゃんが流暢に中国語を話していた。

僕がテキストを買って、必死に勉強しても

全く現地人の会話を聞き取れないのに、

赤ちゃんたちは何の勉強もせずに

たった数年で会話できるようになるのだ。

恐るべし赤ちゃんの学習能力。



!– wp:paragraph –>

世間では赤ちゃんはか弱い存在と見られがちだが、

冷静に考えれば赤ちゃんは

僕らができないことを意図も簡単にやってのけている。

例えば赤ちゃんは泣きたい時には泣き、

食べたいときには食べる。

トイレしたいときはその場で用を済ませ、

眠りたいときにすぐ眠る。

この一見単純そうに見える赤ちゃんの行動だが、

僕らの中でこれを完璧に真似できる者はいない。

僕らは一般的に

赤ちゃんから成長していくと考えられている。

しかし僕らは世間の目もあって、

なかなかやりたいことができていないことも多い。

やりたいことを周りを一切気にせず

すぐに実行する赤ちゃんから学ぶことはとても多い。



p>なぜ赤ちゃんは圧倒的な学習能力と行動力を持っているのか?

答えは無知だ

無知であるゆえに全てのことをどんどん吸収していくし、

無知であるゆえに怖いもの知らずで、どんどん行動していく。

僕らは成長として

ただ知識をつけていくだけではなく、

赤ちゃんのように何でも

すぐに行動していくことも必要なのかもしれない。

行動していくことによって学ぶことも多いのではないかと僕は思う。

飲尿界のスター達

飲尿



この行為は一般的に不潔とされ、

飲尿を行った者はしばしば尿人として、

厳しい扱いを受ける。

僕は以前もう1人の僕からの激しい飲尿の

強要 通称尿ハラを受け尿人化してしまったことがある。https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/10/03/195845

僕はこの尿人化以降

尿人であることに複雑な心境を抱いていたが、

あるとき ふと飲尿について調べていると、

飲尿界にはとてつもない伝説を持つ

尿人の中の尿人がいることが発覚した。

今回はその飲尿界のスター達を紹介したいと思う。

NO 1 飲尿界のアリストテレス

中尾良一

飲尿界を語る上でまず外せないのはこの男だ。

飲尿がこれだけ世間で広まったのは、

彼の存在他ならない。

彼の業績をざっとご覧頂きたい。

・1943年(31歳) 招集され、ビルマでインパール作戦に従軍軍  
  医少尉で参加。尿療法を兵士に指導し、多大の効果を上げる。 

・1990年 (78歳)「奇跡が起こる尿療法」を出版し世間に尿療法をしらしめる。

・日本の医学界からは異端視されても

ひるむことなく実践を基に研究を続け、

尿が体に及ぼすメカニズムを説いて、

難病で苦しむ多くの人々を救った。

日本よりも海外での評価は高く、

世界大会を通じて、

世界各国の難病患者に勇気と希望を 与えているhttp://www.geocities.jp/agosu22000/page060.html

世間に認められなくても、

研究を重ね飲尿療法を確立した彼は

まさしく飲尿界においては始祖アリストテレスである



!– wp:heading –>

NO 2 飲尿界のニューヒロイン

阿倍乃 みく

彼女はこのビデオ内で悪質な犯罪者達を

尿ハラによって見事に更正させている。http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=36dmow00079/

僕も尋問に飲尿を取り入れるという

飲尿に対するマイナスイメージを

逆手に取った手法に強い感銘を受けた。

健康法だけではない飲尿の新たな可能性を示した

彼女の活躍に今後も目が離せない。

NO 3 飲尿界のマイケルジャクソン

むつごろう


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!– wp:paragraph –>

 世間では動物好きのイメージが強く、

一見飲尿とは無縁のように見える彼だが、

飲尿界のマイケルジャクソンと呼ばれるほど

飲尿界では名の知れた存在だ。

なぜマイケルジャクソンなのか?

彼にはこんなエピソードがある。

  • ムツゴロウこと畑正憲は牛の尿を「美味しそうですねー!」と言いながら飲んだことがある。

このエピソードは

飲尿=人間と考えられていた飲尿界に激震を与えた。

牛も人間も同じ尿をする仲間

まさしく 「we are the world (僕たちは仲間)」だ。

むつごろう氏は飲尿を通じて

僕たちはみな放尿仲間だということを伝えたのだ。

このように飲尿界には

強さと賢さを兼ね備えたすぐりし精鋭たちが集まっている。

彼らの業績をみていると

今まで飲尿界に入ってたしまったことを

複雑に感じていた自分が情けなくなった。

飲尿界にはこれほど素晴らしい人材で溢れている。

これからは飲尿界に所属していることに誇りを持って生きていこう。

アチスで寒さをぶっ飛ばせ

最近 寒過ぎる。

天気予報では寒波が襲来したと

伝えていたが、

そんなこと誰にでもわかる。

寒波が襲来しなきゃ寒くならないだろ。

それはさておき、

夏になるとよく

気持ち的に涼しくなることを

目的とした心霊番組が

放送されている。

こうした心霊番組は夏の風物詩として

世間から一定の評価を得ている。

しかし冬はどうだろうか?

たまに鍋特集のようなグルメ番組は

放送されているが、

グルメ番組自体は夏にも放送されているし、

夏にだけ放送される心霊番組のような

冬にだけ放送される

気持ちをアツくするような番組はないのではないかと僕は思う。

そこで今回は

冬の寒さをぶっ飛ばすような

最高にアチスな

コンテンツを考えていきたい。

まず第一に人選だ。

最高のアチスコンテンツのためには

最高にアチスな人間が必要だ。

その点において、

「アチス」という後世に語り継がれるであろう名言を残した

渡辺某太氏の採用は決定的だ。

しかし彼には大きな欠点がある。

彼はヒョロガリなのだ。

人間はすきまが無く、

びっしり詰まっているものに

アチスを感じる。例 夏の満員電車

いくら人としてアチスでも

ヒョロガリだと

画面に大量のすきまができてしまい、

結果的にアチスではなく、

アイスなコンテンツになってしまう。

最高にアチスなコンテンツには

人間としてのアチスだけでなく、

物理的なアチスも必要である。

つまり最高にアチスなコンテンツには

圧倒的な体格を持ち、

画面を覆いつくす力士が必要だ。

人間的なアチスを某太氏が担い、

物理的なアチスを力士たちが担う

最強の布陣が出来上がる。

次に内容だ。

これは簡単。

某太氏がアチスになるのは

性行為をする時、https://brandnew-s.com/2018/10/17/watanabeyouyta2/

言い換えれば、体と体が触れあう瞬間だ。

このことから某太氏は画面を覆いつくすほど大量の力士に

押し潰された瞬間、

アチスのエクスタシーに達し、

最高のアチスパワーを発揮することができる。



以上から最高にアチスなコンテンツは

渡辺某太氏が画面を覆いつくすほどの

力士たちに押し潰され

魂のアチスを叫ぶ瞬間だと僕は思う。

いつかこの

「最高のアチスで寒さをぶっ飛ばせ 某太×力士100人   」が

冬の風物詩になることを僕は願っている。



「とりあえず生で」

現在 日本では酒の場で、

「とりあえず生で」と注文すると、

基本的に生ビールが出てくる。

以前にも紹介したが、

僕は大学で禁酒会という学会の代表を務めている。http://nowloading424.info/%e3%81%84%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%82%8achina-%e3%81%9d%e3%81%ae2/

当会では「とりあえず生で」と注文した時に

生乳が出てくる世界を目指している。

しかし僕はここからもう一歩踏み込んで、

「とりあえず生で」と注文した際に、

ありとあらゆる「生」がついたものが

ランダムに出てくる世界が見たい。

シチュエーション 1

「とりあえず生で!」

「かしこまりました。」

「お待たせしました。ナマコでございます。」



シチュエーション 2

「とりあえず生で!」

「かしこまりました。」

「お待たせしました。ナマケモノでございます。」



シチュエーション 3

「とりあえずナマで!」

「かしこまりました。」

https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300179729000/

「お待たせしました。那間簡易郵便局でございます。」

こんな具合で「とりあえず生で!」と

注文した時にさまざまなナマが出てきたら、

みんな「とりあえず生で」というあいまいな言葉は使わなくなるだろう。

僕は「生」という言葉をもっと本気で捉えるべきだと思う。

今日の常識が明日も常識であるかどうかは分からない。

だからこそ僕はこう注文したい。

「とりあえず生乳で。」

睡眠中毒にワンダーコア

「倒れるだけで腹筋ワンダーコア♪」

数年前に一世を風靡したこの運動器具。

流行りもの買いの銭失いである両親のおかげで、

現在 僕の家にも使い道のない置物として飾られている。

僕も数回試してみたことがあるが、

負荷が軽すぎて全くトレーニングにならず、

「倒れるだけで腹筋ワンダーコア♪」ではなく、

「倒れるだけで倒れるワンダーコア♪」だった。

以上の例からも分かるように、

ワンダーコアは全く使い道のない代物だった。 /p>

最近ではワンダーコアのことなど

すっかり頭から消えていた僕であったが、

今日急にワンダーコアの有用な使い道を思いついた。 /p>

皆さんご存知の通り、

僕は重度の睡眠中毒である。

毎日7時間以上は睡眠をとらないと

気がすまないし、

寝坊によって何度も予定が狂ってしまったこともある。

様々な寝坊のパターンがあると思うが、

僕の場合、目は覚めているのだが、

起き上がることができず、 

二度寝してしまう場合が多い。

そこで僕はワンダーコアの倒れた瞬間に

起き上がる機能が

二度寝防止に有用なのではないかと感じた。

つまり起床予定時間になると

あらかじめアラームの要領でセットされた

ベッドが自動的に起き上がる。

二度寝しようとベッドに体重をかけると、

ベッドが倒れた後、再び起き上がる。

こうして何度も倒れる→起き上がるを繰り返していくうちに、

目が覚めるというわけだ。

このベッドがあれば、

寝坊で予定を狂わすことなく、

余裕を持って行動できる。

このベッドは寝具業界に革命を起こすであろう。

いつかこのベッドが世間を席巻した際には、

本記事を見せ、起源を主張し、特許を勝ち取ろう。

ゴミ箱は宝箱

ゴミ箱をあさる。

この行為は一般的に卑しいとされ、

ゴミ箱をあさっている者には

激しい軽蔑の視線が与えられる。

中でもカラスのゴミ箱を荒らし散らす行為は

都市部のなかで問題となっている。

僕はここに大きな疑問を抱いた。

ゴミ箱に入っているものは、

誰かにとってはゴミであるかもしれないが、

また別の誰かにとっては宝物なのではないか?

例えば 人間にとってはただの生ゴミでも、

カラスにとっては生ゴミは貴重なエサである。

単にゴミ箱入っている物をゴミ(不要物)と

決めつけるのは視野が狭いのではないか?

少し視点を変えれば

必ずゴミ箱にも宝物がある。

そう確信した僕は

ゴミ箱から宝物を見つける天才であるカラスになった。11/23

「これでゴミ箱は宝箱だ。」

早速キャンパス内のゴミ箱を片っ端から

探ってみた。

しかし一向に宝物は見当たらない。

というよりもまずカラスマスクの視界が狭すぎて、

何があるのかも分からない。

カラスになることで、

ゴミ箱の中身を宝物として捉える視野の広さを手に入れたが、

物理的な視界の広さを失ってしまい、

宝物を手に入れることに失敗した。

ゴミ箱から宝物を手に入れるのは難しい。

江戸時代にはゴミ箱という概念はなく、

ある時に不要になった物は、また別の時に再利用していたという。

彼らは人間としての広視界を保ったまま、

カラスのゴミ箱から宝物を見つける広い視野も持っていたのである。

もはやカラス人間と言っても過言ではないだろう。

大量生産・大量消費の風潮の中で、近年 大量のゴミが大きな問題となっている。

今こそ江戸時代のカラス人間たちが持っていた

ゴミを宝物として捉える広い視野が必要だと僕は思う。

google adsenceはブログ界の癌

google adsenseはブログ界の癌だ。

(google adsenseとは何ぞやという方はこちらをご確認下さい。↓)

https://dekiru-net.cdn.ampproject.org/v/s/dekiru.net/article/5445/amp/?amp_js_v=a2&amp_gsa=1&usqp=mq331AQECAFYAQ%3D%3D#referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&ampshare=https%3A%2F%2Fdekiru.net%2Farticle%2F5445%2F

まず第一にプログラムポリシーが多すぎる。

説明するのもだるいので簡単に言うと、

下ネタ禁止

批判禁止

過激ネタ禁止

といったところだ。

google adsenseは自分の好きなことで、

お金を稼ぐことを応援するとほざいているが、

結局はgoogle adsenseの指定した内容でしか

ブログを書くことができないのだ。

自分の書きたいことを書くために

ブログを始めたのに、

結局 他人に指定された内容でしか、

ブログを書けないのは

本末転倒ではないか。

僕は当初 ブログを収益化するために

さまざまなサイトを調べていた。

すると

どのサイトも google adsenseを絶賛していた。

「google adsenseは収益率が高い。」

「審査は厳しいけど、絶対に通るようになる。

通らないのはあなたのサイトが悪い。」

当時はなぜここまでgoogle adsenseが

絶賛されているのが謎だったが、

今になってやっと謎が解けた。

そういうサイトは

みんなgoogle adsenseの利用者だからだ。

冒頭にも述べたように

google adsenseは利用者が

ブログで特定の個人や団体を批判することを禁止している。

つまり google adsenseを批判するような記事を書けば、

すぐに利用停止になってしまうから、

批判することができないのだ。

これはまさしく言論封殺ではないか。

google adsenseは

言論の自由をできる限り尊重すると言いながら

言論封殺を推し進める極悪非道な団体なのだ。

このようにgoogle adsenseは本来

ブログが持つべき多様性を著しく

阻害している。

google adsenseの指示通りに

文章を書かなければならないなら、

個人ブログでなくてもいいし、

自由であるからこそ

それぞれの個性が出ておもしろくなるのが

個人ブログの良さだと僕は思う。