「思想」カテゴリーアーカイブ

僕がコスプレをする理由

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は1ヶ月ほど前から大学に行く際、

毎日何かしらのコスプレをしている。

最近は私服を着ていることのほうが少ないので、

もはやコスプレが私服なのではないかと、

感じてきている僕だが、

ここまでコスプレを続けているのには、

3つの大きな理由がある。

まず一つ目は

楽しさだ。

街でコスプレをしていると、

驚く人 怖がる人 笑う人 無反応な人

といったさまざまな反応がある。

これらの反応は普段私服で歩いている時には

絶対に見られない。

コスプレをしていると、

人のさまざまな反応を楽しむことができる。

言い換えれば、コスプレしていると、

歩いてるだけで楽しくなるのだ。

また最近は僕のコスプレを楽しみにしている人も増えてきた。

僕が何のコスプレをしてくるか

予想している人たちの度肝を抜くのも

コスプレの楽しさの一つだ。

二つ目は

大学生=おしゃれをすべき  という風潮を壊したい。

僕はこの風潮が大嫌いだ。

以前僕の友人が高校時代のジャージで登校した時に

みんなから「何でジャージなの?」と質問責めにあっていた。

これはおかしい。

どんな服を着ててもいいだろ。

大学に入って、制服がなくなって以降

私服を重要視し過ぎていると僕は思う。

周りがおしゃれにしているから、

それに合わせないといけないという風潮は

害悪極まりない。  

おしゃれするのにも金がかかる。

周り合わせるために

したくもないおしゃれに

金を使わなければならないのは間違っている。

もちろんおしゃれしたい人は

そのままおしゃれすればいいと思うが、

もし周りに合わせるために

おしゃれをさせられている人がいるのであれば、

好き勝手コスプレしている僕の姿を見て、

「無理におしゃれしないで、自分のしたい格好をしていいんだ。」

と思ってくれたらうれしい。

3つ目は

本当にヤバい奴が誰なのかを考えて欲しい。

もちろんコスプレをしていれば、

常に良い反応がもらえるという訳ではない。

時には電車で僕の目の前に座った人が逃げてしまったり、

「ヤバい。気持ち悪い。」といったネガティブな反応を受けることもある。

確かに時に僕のコスプレはおもしろいを越えて

「怖い。ヤバい」といった恐怖に到達してしまうことがある。

しかし本当に自分がヤバいことをする意思を持つある奴が、

わざわざ人を怖がらせる外見をするだろうか?

例えるならこれから通り魔をしようとしている奴が、

家を出てからずっと包丁持って歩くだろうか?

みなさんの中にも自覚がある方もいるかもしれないが、

本当にヤバい奴というのは

最初からヤバい格好をしない。

むしろ普段は普通の良い人を装っている。

言い換えれば、本当にヤバい奴というのは、

普通の格好をして日常生活に紛れ込んでいるのだ。

そういう奴を見抜く努力もしないで、

単に見た目がヤバいからといって、

ヤバい奴認定するのは、

本当にヤバい奴にとっては

願ったり叶ったりだ。

だから僕はコスプレをしている時は、

見た目がヤバくても、  

特に危害を与えることはないということを伝えるために、

あえて できるだけ普段と同じ生活をすることを心がけている。

僕がコスプレを続ける大きな理由は以上だ。

これからもコスプレを続けて、

楽しみながら、

少しでも僕の考えを広げていけたら良いと思う。

ストーリーが聞きたいんだ

僕は先日某講義で5度目の欠席をしてしまった。

この欠席には深い理由がある。

まず僕はその日

スイカになるために購入した

スイカのコスチュームが

届くのを待っていた。

お届け予定時間は8:00~12:00

しかし待てど待てどスイカはトドカナイ。

その日の講義は3限だったため、

家から大学まで1時間30分かかる僕は

11:30には家を出なければならない。

やきもきしながら待っていると、

あっという間に時刻は11:30

僕は大きな選択に迫られた。

単位のために

毎日違うコスプレをするという

ポリシーを捨てるか、

そのポリシーを守るために

単位を捨てるか。

僕は一瞬悩んだ。

しかし答えは簡単だ。

授業は再履できても

コスプレは再履できない。

一年の中でビタミンの日は

今日しかない。

言い換えればスイカを着れるのは今日しかないのだ。

僕は待つことにした。

それから待つこと1時間30分

やっとスイカが家にやって来た。

「やっと大学に行ける!」

喜びと安堵感に包まれた僕は

急いでいたことも忘れて、

途中に果物屋に寄ったりして、

のんびり学校へ向かった。

学校についた頃には3限はおろか、

4限が既に始まっていた。

以上が僕の5度目の欠席に至るまでのストーリーである。

この話がおもしろいかどうかはさておき、

最近単に授業を切ったことや

単位を落としたこと、

あるいは留年したことを

ネタにし過ぎてるのではないだろうか?

授業を切っている奴や、

単位を落としている奴

ましてや留年する奴

大学探せばいくらでもいる。

「今期何単位落としたー」

「留年決まったー」

みたいなただのクズアピールは

もう聞き飽きた。

僕が聞きたいのは

ストーリーだ。

自称クズ行為をするように至った

ストーリーはみんな違うはずだ。

せっかく自分の大学生活をかけたネタを

するならそのストーリーに

情熱をそそぐべきなのではないか。

1日限定のstoryなんかあげてる暇があったら

自分のストーリーを聞かせてくれ。

意味不明な奴は果物を配る

ご存知の通り 本ブログのタイトルは

「意味不明な奴でありたい。」だ。

僕はこれまでこのタイトルに

恥じないようにするために

さまざまな企画に挑戦してきた。

こうした企画の中で、

僕はさまざまな人に出会ってきた。

もちろんみんないい人たちばかりであったが、

いい意味で本当に意味不明な奴も中には存在した。

そして僕は彼らの中にある共通点があることを発見した。

奴らは果物を配る 続きを読む 意味不明な奴は果物を配る

万が一ってなんなんだ

「万が一あなたたちが配ったバナナで食中毒が起きたらどうするんだ。」

さんざん僕を笑い物にしたあげく

S務課は語った。

話は先月に遡る。

僕は友人と共にバナナの格好をして

キャンパス内でバナナを配るという企画を行った。

バナナ配布企画は早稲田生のノリの良さもあって、

1時間足らずで250本を配りきるという成功を収めた。

この成功に感動した僕たちは、

さらに人数を増やし、

今度は全キャンパスで同時にバナナを配ろうと意気込んでいた。

(通称同時多発バナナテロ)

こうして集ったバナナテロリストたちは

テロリストたちだけの極秘サロンで

日程調整を進め、

本日12/10を決行日に定めた。

そして迎えた当日。

決行日情報が諜報機関に漏れてしまったせいか、

当局による 「睡眠欲」妨害を受け、

テロリストたちは集合時間から大幅に

遅刻することを余儀なくされた。

これでは武器となるバナナを購入する時間がないかもしれない。

しかし安価なバナナを大量に供給する

密輸業者100ローの協力もあり、

なんとか500本のバナナを確保することに成功した。

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そしてテロリストたちは大量のバナナを持って、

各自現場へ向かっていった。

僕は理工学部の学生と同じ最寄り駅を使っていて、

彼らの生体を知ったかぶっているという

理由で西早稲田キャンパスに派遣された。

こうしてキャンパス内にたどり着いた僕は、

バナナの手入れをしながら、

刻一刻と迫り来る決行時間を待っていた。

その時はすぐにやってきた。

僕は決行時間になったのを確認し、

すぐさま常識と書いたバナナを

学生たちに突きつけた。

すると彼らはバナナを恐れることもなく、

笑顔で受け取ってくれた。

キャンパスは違えどバナナを愛する気持ちは

変わらない。

僕は今回もテロの成功を確信した。

そう安心した次の瞬間だった。

奴らは背後から突然現れた。

青服「今 なにをされているのですか?」

僕 「バナナを配っています。」

青服 「ものを配る場合にはS務課の許可を取って下さい。」

要は許可を取ればいいんだろ。

「バナナを配って

みんなを笑顔にするテロをしています。」

と語れば、務課も人間だ。

すぐに許可を出すだろう。

僕は確信して、大人しく一度S務課へ向かった。

しかしそんな僕の淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。

S務課は僕を見るとすぐに、

気持ち悪い薄ら笑いを浮かべ、

一通り質問した後、本稿冒頭にもあったように

「万が一あなたが配ったバナナで

食中毒を起こした学生があなたを訴えたら

責任を取れるのか」

「これはあなたのために言っている」

などというふざけた説教を始めた。

万が一ってなんなんだ。

万が一 万が一 って言ってたらなんにも出来ないだろ。

お前は 万が一 通り魔が現れたら危険だからと言って、

外にでないのか。

万が一というのは文字通り

1万回に1回起こるか起こらないかの出来事だ。

1万回に1回起こるか起こらないことを気にして、

1万回のうち9999回以上起こることを疎かにしてどうすんだよ。

そんな事いってたら人に食べ物あげられねーよ

お土産を配ることが良くて、

何でバナナを配るのがダメなんだよ。

お土産配る時にいちいち

これ食べた人が食中毒になって、

自分を訴えられたらどうしようなんて

考えが起こる世の中なんて

僕はまっぴらゴメンだね。

こうしてあえなく許可取得に失敗しS務課から釈放された僕は

細々とキャンパス外でバナナ配りを行っていた。

もちろんキャンパス外は人も少なく、

決して配りに向いているとはいえなかった。

しかしそんな中でも、

バナナを受け取った学生は

みんないい笑顔になっていた。

僕にはみんなを喜ばせる

テロリストととしての使命がある。

S務課なんて関係ない。

奴らに学生の笑顔を奪う権利はないはずだ。

僕はもう一度キャンパス内へ足を踏み入れた。

一度キャンパスを捨てて、

逃げ帰ろうとした僕なのに

学生たちはとても優しかった。

彼らは笑顔でバナナを受け取り、

写真をとったり、

バナナに書かれたメッセージを読んだりして

各自 楽しんでいた。

S務課に大人しく従っていたら

この幸せな景色は決してなかっただろう。

僕は今回の件では間違いなく

自分が正しいと思う。

長いものに巻かれることが

常に正しいとは限らない。

自分の行動を最後に決めるのは

自分自身なのだ。



続きを読む 万が一ってなんなんだ

136円ができること

以前 別の記事でも紹介したが、http://nowloading.xsrv.jp/西早稲田駅赤坂サカス説/

僕は早稲田駅が嫌いだ。

大学の最寄り駅でありながら東西線しか通っていないという不便さ。

学校に登ると書いて登校と書くはずなのに、

駅から大学まで平坦という矛盾。

そしてマイノリティという自負から生まれる

早稲田駅ユーザーの自尊心。

書いていくとキリがないが、

とにかく早稲田駅ユーザーはとても多い。

僕は当初 早稲田大学には元から東西線ユーザーが多いから、

早稲田駅ユーザーが多いのではないかと感じていた。

しかし大学生活を送る中で多くの学生の出身地を聞いていくと、

千葉から東西線一本で通学している者もいるが、

それ以上に高田馬場駅から早稲田駅というたった1駅 徒歩20分に定期券を使っている者が多いという事実が浮かび上がってきた。

電車賃を削るためだけに、

大学から遠い西早稲田駅を使っている僕にとってこの事実は衝撃的だった。

早稲田駅ユーザーは

わざわざ早稲田駅ユーザーとしての地位を獲得するためだけに

往復136円をかけているのである。

(高田馬場駅から早稲田駅までの定期券は1ヶ月3000円。この定期券を月22日間使用した場合。)

現代の日本では136円はとるに足りない金のように見えるかもしれない。

しかしこの世界には136円で、できることが山ほどある。

今回はその一例を紹介し、

早稲田駅ユーザーにたった

1駅のために早稲田駅を使うことがどれだけ罪深いか知って頂きたい。

136円ができること。

  • ポリオワクチン 8回分
  • げりで体から水分がなくなることを防ぐ薬
  • (経口補水液)   20袋
  • ビタミンAの錠剤 136粒

136円が集まってできること

  • 子どもを寒さから守る大きめのフリース製毛布1枚          560円
  • マラリアの原因となる蚊から家族を守る、
  • 殺虫剤処理をした長期間使える蚊帳3張 702円
  • 熱に弱いワクチンを運ぶのに必要な保冷箱1箱 1792円
  • 僕を大学まで運ぶのに必要な定期代 1ヶ月  8010円
  • 僕を研修先の台湾まで運ぶのに必要な研修費用 110000円  
  • 僕を大学まで運ぶ必要がなくなる新宿区早稲田鶴巻町の一軒家 80000000円

以上の例をみれば分かるように早稲田駅ユーザーが、

早稲田駅ユーザーというくだらないプライドを捨てるだけで

こんなにも多くの人の生活が豊かになるのである。

早稲田駅ユーザーは今すぐ定期を返上して、

その分の金を僕に渡すべきである。

君たちがほんのちょっと徒歩通学に我慢するだけで、

僕は快適な通学ライフを送ることができる。

早稲田駅ユーザーは徒歩通学で健康になり、

僕は大学付近に家が建って幸せ。

これぞまさにwin-winの関係性だ。

正直早稲田駅ユーザー全員から金を徴収したら

家を建ててもなお余ると思うので、

余ったぶんはポリオワクチンでも買ってやろう。

そうすれば病気で苦しむ子供たちも大喜び。

こんな素晴らしい取引は今後ないだろう。

ああー 早く人の金で建った家に住みてー。

全人類企画サークル説

僕はずっと企画サークルが嫌いだった。

あの自分たちは世界で一番おもろいことをしているというアピール。

まるで企画サークルに入っていない奴は

つまらないとでも言いたいのかと思うほどの

自身に満ちた態度。

彼らが何か企画を行って、

それをアピールする度に、

さっさとやらかして炎上すればいいのにと思っていた。

実際某サークルが某教授の事件を再現し、

炎上した際には「ざまあみろ。」と心の底から

喜んだものである。

しかし最近学会やコースの活動で、

僕自身が企画を考えることが増えてきた。

良い企画の第一条件は参加者が楽しむということである。

楽しい企画を行うためには、

少なくとも企画者自身がその企画を

心の底から楽しいと思ってなくてはならない。

企画サークルの方たちが、

なぜあれだけ自信に満ちているのかがいまとなってはよく分かる。

自分の企画に対する自信は企画の成功に不可欠なのである。

彼らの自信は企画を成功させるうえで正しいのである。

他方 人間は皆 この世界が

今よりも少しでもおもしろい世界になることを望んでいる。

よって休日には自分が楽しいと思うことを

各自実行する。

企画サークルもまた

自らが楽しいと思ったことを実行する。

この自分たちが楽しいと思ったことを実行するという点において

僕は全人類=企画サークルという図式ができあがると感じた。

以上の図式を考慮すると

これまで企画サークルを否定していた僕は

全人類を否定するという

反出生主義者も驚きの暴挙に出ていたのである。

誰しも自分の人生を楽しくするために生活している。

企画サークルの行動もその一例に過ぎないのである。


早稲田大学のキャンパスを関東に例える

僕の大学には主に4つのキャンパスがある。

早稲田キャンパス

戸山キャンパス

西早稲田キャンパス

所沢キャンパス

常日頃から僕はこれらのキャンパスの関係性が関東圏の関係性に似ていると感じていた。

そこで今回は僕の独断と偏見でこれらのキャンパスを分類したいと思う。

① 早稲田キャンパス=東京

言わずと知れた早稲田大学の中心 早稲田キャンパス。

早稲田大学と聞いた時に一番最初に思い付く場所はここだろう。

中心というイメージから関東圏に例えるなら東京一択だろう。

一部 大学の中心とは思えないほど廃れた棟もあるが、

東京にも首都とは思えないほどの過疎地域もあるので、

その点でも一致していると言えるだろう。

② 戸山キャンパス= 千葉 神奈川

文学部 文化構想学部のキャンパス       

通称 文キャン 

早稲田キャンパスから絶妙な距離に配置されており(徒歩5分) 

県の市町村の多くが電車で1時間以内に都心へ向かえる千葉や神奈川と

中心部に近いという点で一致している。

多くの文キャン生は 千葉 神奈川住みの毎日上京勢と同じように

事あるごとに早稲田キャンパスへ上京している。

一方文キャンには学生会館(サークルの収容所)があるため、

早稲田キャンパスの学生もよく文キャンを訪れる。

神奈川や千葉は観光スポットを多く抱えており、

都民がよく訪れることを考慮すると、

この点においても戸山キャンパス=千葉 神奈川の図式が成り立つと言える。

③ 西早稲田キャンパス=北関東

理工学部のキャンパス

通称りこキャン

早稲田キャンパスからは少し距離があり(徒歩22分)、

りこキャンの授業は専門的なものが多いことから

早稲田キャンパスの学生が訪れることは滅多にない。

しかしサークルの活動の多くが早稲田キャンパス周辺で行われることから、

りこキャンの学生はしばしば早稲田キャンパスに徴収されている。

この一方的な関係性は北関東民が無理してでも東京に出たがるのに対し、

都民はさほど北関東に関心がないという関東圏の関係性にとても似ている。

また近年発展を続けている北関東工業地域を抱える北関東と

一部から工場とも呼ばれるりこキャンはイメージ的にも一致してると言えるだろう。

④ 所沢キャンパス=所沢

                でかい森 /p>

常識を疑え ~ 我慢することが大人なのか ~

大人になるとはいったい何なのか?

http://kokoronoiyasi.com/spirit-8-50

このサイトでは自分の感情をコントロールすることだと指摘している。

は?

なんで自分の感情を抑えることが大人につながるの?

確かに感情を抑えられれば、その場で大きなトラブルが起こることはないかもしれない。

ただ感情を抑える=大人という風潮が行きすぎると、

全員が感情を抑えて感情的になった奴に合わせることになる。

つまり感情的な奴 自己中が得をする世界ができあがる。

例えば飲食店で無茶なクレームを入れてきた奴には

店がそいつの要求を限界まで飲まないといけなくなる。

明らかに間違っている。

僕はここで思うのは感情的を抑える=大人という考えを捨てて

自分の考えを互いにぶつけ合えばいいのではないか。

言い換えれば互いがそれぞれの自己中を通し合うのだ。

クレームが入れば店が反論し、怒鳴り散らしている奴がいれば、こっちも怒鳴り散らす。

そのほうが絶対に気持ちいい。

わかりやすくするために

一度感情をぶつけることを迷惑かけることに置き換えて考える。

迷惑をかけてはいけないという感情が行きすぎると

他人が迷惑をかけてきたとき、

俺は迷惑をかけていないのにという感情が先走って不寛容になる。

人間生きていれば絶対何かしら人に迷惑をかける。

道を歩けば道路は壊れていくし、店で食事を取れば店員の仕事を増やす。

要は互いに迷惑をかけるのはお互い様なのである。

感情も同じである。

感情を持たない人間などいない。 

感情を抑えることを美徳とし、感情を抑えあって生活することにストレスを感じるぐらいなら、

いっそ自分の感情を全てぶちまけてぶつかり合ったほうが気持ちいいに決まってる。

もちろん常に自分の感情が通る訳ではないが、

その時は互いが感情をぶつけ合ってどっちが正しいか決めればいい。

僕はみんなが自分のしたいと思ったことをすぐにできる社会になって欲しいと強く思う。

例えるならサル山だ

怒りたいときに怒って、 食べたいときに食べて、寝たいときに寝て、トイレしたいときにトイレする。

サルたちは本当に本能のままに生きている。

時にはケンカもして、どちらが正しいか争い合う。

くだらない社会の固定観念に縛られて

自分のしたいことができないことにストレスを抱える人間が

本能のままに生きてストレスとは無縁のサルから進化したと言えるのか?

感情を抑えるのが大人だとか言って、

その場だけいい顔して、

後であいつは常識がないとか陰口言うのダサすぎませんか?

常識がないっていう主張を通したいなら、

その場で粘ればいいじゃないですか?

(常識がないってよくわからないですが)

こうやって自分の主張を通すのを諦めることが大人だって風潮が強まると

結果的にみんなが一部の自己中たちに合わせていって自己中たちが得をする。

この社会では自己中が得することを心得てあえて無理を通す自己中

そんな自己中を嫌いながらも、

嫌いと言えず自己中に合わせて、ストレスをためる自称大人。

もはやどっちが賢い大人なんですか?

最近の若者は自己中とか言ってる暇があったら

あんたも自己中になればいいでしょ。

僕はこの世界で自己中が得する限り、自己中で生きていきたいと思う。

いつか皆が自己中であることが真の大人であるということに気づくことを信じて。

西早稲田駅赤坂サカス説

僕の大学では多くの学生が最寄り駅として早稲田駅を使っている。

そのため西早稲田駅を使っている僕はしばしば早稲田駅勢から強い迫害を受けることがある。

奴らを見返したい。

僕はその一心で西早稲田駅の良さを徹底的に調べあげることにした。 

すると僕は西早稲田駅がある超人気施設と多くの共通点を持っていることを発見した。

赤坂サカスだ。

詭弁だと思ったそこの早稲田駅勢!

まずは黙って話を聞こう。

共通点 その1 2008年開業

どちらも2008年に開業している。

共通点 その2 周りに坂が多い

赤坂サカスは周囲に坂がとても多い。名前の由来もこのことからきている。

西早稲田駅も早稲田大学に向かうまでに多くの坂がある。

共通点 その3 都内再開発プロジェクトの一環

どちらも都内再開発プロジェクトによって作られた施設である。

共通点 その4 都内の超人気スポット。

赤坂サカスはいうまでもないが、西早稲田駅も1日平均3万人が乗り降りする超人気スポットである。

共通点 その5 北緯35度 東経139度

どちらも緯度が同じである。(小数点切り捨て)

共通点 6 絞首台が無い

どちらも平和な場所なので絞首台は無い。

このように西早稲田駅は赤坂サカスと多くの共通点を抱えており、

もはや西早稲田=赤坂サカスといっても過言ではない。

赤坂サカスから通学してみたいと考えている早稲田駅勢のあなた!

今すぐ西早稲田駅の定期を買って利用者を増やしましょう!

利用者が増えていつか特急が止まるようになることを願って /p>

他人のフリって何なんだ?

僕には嫌いな言葉がある。

他人のフリ。知り合いだと思われたくない。

最近これらの言葉をかけられることがしばしばある。

訳わからん。

何で僕と知り合いだと思われることで、その人の価値が下がるのか。

関係ないだろ。

僕は僕だし その人はその人。

交遊関係だけで人間が語れるか。

面白い奴とたくさんつるんでるからって必ずしもそいつが面白いってことにはならないし、

有名なサークルに入っているからって、その人が偉くなるわけじゃない。

自分の印象を作るのは自分だけだろ。

英語には友を見ればその人が分かるということわざがある。

は?

そんなもんずっと一緒にいたってわかんねーよ。

なんでそいつと会ってねーのにそいつのことが分かるんだよ。

そんなん分かった気になってるだけだろ。

芸能人の交遊関係だけみて、そいつの性格分かるかよ。

見た目とかつるんでる奴みたいな外的な要素でつまんねーレッテル貼ってんじゃねーよ。

もっとそいつと真剣に向き合えよ。

話が少しそれだが、僕が言いたいのはつまり人の印象を形成するうえで、誰とつるんでいるかなんて関係ないということだ。

友をみて人を判断する風潮をなくすため、

せめて僕は交遊関係を自慢したりするのはやめよう !– /wp:paragraph –>