いきなりCHINA その2

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う

こうして北京空港に着いた僕はまず

空港のフリーwifiを繋ごうとした。

しかし僕の社会不適携帯番号は

何度登録しようとしても

北京空港に適合することはなかった。

僕の旅はノープランを売りにしているので、

現地で携帯が使えないのは致命的だ。

どうしようかと悩んで携帯を見ると

電波が通っていることを

示すマークと

データローミングが

どうたらこうたらという通知

とりあえず データローミングをオンしてみた。

すると あっさりネットに繋がった

人生でこんなに携帯が使えることに

感動する瞬間はこの先ないだろう。

後で調べてところ、

1日に3000円近く

かかる可能性もあるとのことだが、https://www.nttdocomo.co.jp/service/world/roaming/area/

そんなことはどうでもいい。

要は金さえ払えばいいのだ。

こうして携帯を手中に収めた僕は

以前このブログでも紹介した

先日中国に帰国した友人に

「中国に来たら連絡して」

と言われていたのを思いだし、

「北京に着いた」と連絡した。

すると「西安に来て」とのこと、

空港でノーマンに

なってしまったことを

強く後悔していた僕は

友人の「北京と西安は近いよ」

という言葉を信じ迷わず

「西安に行く」と答えた。

イエスと答えたからには行くしかない。

早速北京から西安駅の電車を調べると、

夜行列車で12時間かかるとのこと。

どこが近いのか?

まあ考えてみれば当然だ。

北京から西安までは1000km以上ある。

日本で言えば東京から博多までの距離と同じだ。

2日後の14:00からは

バイトのシフトが入っていたため

その時間までには帰らなくてはならない。

しかし僕は西安に行くと言った。

有言不実行だけは絶対にやってはならない。

冷静に考えれば

三週間前にシフトを提出している

バイトのほうが圧倒的に先約ではあるが、

バイトを放棄し、

しばらく西安に骨を埋めようかとも考えた。

ただでさえお金がないのに、

貴重なバイトの機会を失う訳にはいかないので、

何とかして別の方法を調べていると、

北京から西安まで

たったの4時間で行けるという高速鉄道を発見!

運賃もたったの8000円。

日本だったらその3倍は取られるだろう。

恐るべし中国。

こうして西安までのルートを確保した僕は

電車の時間までしばらく北京で暇を潰すことにした。

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は早稲田大学禁酒会の代表を務めている。

禁酒会としてデモの聖地?

とも言われる天安門広場で

デモを行うと言うのはとても魅力的で、

禁酒会を世界に広めるチャンスだ。

僕は北京駅を降りてから

すぐに天安門広場へと向かった。

その前に一つ重要なことを忘れていた。

禁酒会のデモには牛乳が不可欠だ。

途中でスーパーに立ち寄ろうと、

探していると、

一人の老婆が声をかけてきた。

何を言ってるのかわからなかったので、

取り敢えずスーパーに行きたいと伝えると

彼女はここがスーパーだと自信満々に答えた。

奴の指示に従い、

中に入ると また一人の男が近づいてきて、

僕に何かを握らせた。

カイロだ。

何故だか分からないが、

握るととても熱くなった。

すると奴は

「お前は今このカイロを触ったのだから買え」

と言って無理やり買わせようとしてきた。

僕は今から禁酒会革命を起こそうとしているのに

邪魔をするな。

お前に付き合ってる暇はない。

僕が 「不想买 我想的只是牛奶。」

(いらない。私が欲しいのは牛乳だけだ)」

と答えると彼は困り顔でその場を去っていった。

牛乳の力は偉大だ。

これが酒だったら、

店にあったお土産用の高い酒を

買わされているところだっただろう。

ちなみにその店に牛乳はなかった。

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別の店で牛乳を調達し、

天安門広場に乗り込んだ。

そこで僕は衝撃を受けた。

広場でデモをしてる者はおらず、

代わりにいたのは、

写真を取るために群がった観光客であった。

悲しかった。

長い歴史の中で、

多くの人々が夢と希望を叫び、

散っていった天安門広場が

今ではただの観光地に成り下がっていた。

思いは違えど、僕は禁酒会として

この広場で夢を叫ぼう。

>(日本語で禁酒 牛乳 興奮しすぎて奶の字を間違えた。)

僕はこのスケッチブックと牛乳を持って、

「戒酒 牛奶 ジエジウ ニウナイ」

と叫びながら天安門広場を行進した。

するとすぐに

数人の警官に囲まれた。

そのまま公安の本部に連れて行かれるのかと思ったが、

どうやらスケッチブックをしまえとのこと、

いつの時代も革命家は

公安との対立を避けられない。

僕は大人しくスケッチブックをしまった。

しかしここで諦めてしまえば、

禁酒会の名が廃る。

考えてみれば、

公安はスケッチブックをしまえと言っただけで、

デモを辞めろとは言っていない。

僕は牛乳だけを持って再び叫び始めた。

多くの人々が好奇の目でこちらを見ていたが、

公安が再び声をかけてくることはなかった。

禁酒会が権力を打ち破った瞬間だった。

これから天安門事件とは何だ

という質問には

今日の事件が挙げられるようになるだろう。

今日という日は禁酒会にとって大きな一歩となる

歴史的な1日だった。

こうして有意義なデモを終えた僕は

西安行きの夜行列車に乗り込んだ。

次回へ続く



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