「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

「それぐらいは朝飯前だ。」

この「朝飯前」という言葉は

しばしば上記のような例文で

「朝飯をとる前に済むくらい簡単なこと」

という意味で使われている。

この意味に沿って考えると

「朝飯前」という言葉は朝飯をとることは簡単で、

「朝飯前」の対象となる語句は

それ以上に簡単であるという意味になる。

つまり「朝飯前」という言葉は

朝飯をとることが簡単だということ

を前提として成り立っているのだ。

しかしここで謎なのは

朝飯をとることは本当に簡単なのか?

ということだ。

朝という言葉を日常的に使う気象庁によると

朝とは主に午前6時から午前9時までを指すそうだ。https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D-423925

このルールに従って朝飯を定義すると

「午前6時から午前9時」までにとる食事を指すことになる。

     は? どこが簡単なん?

まず第一に 朝飯をとるためには少なくとも

午前9時までには起きなければならない。

大事な予定があるのにも関わらず

眠り続けてしまうという重度の睡眠中毒を患い、

早い時間の講義には

ことごとく絶望的な起床をかましてしまう

大学生たちにとって、

午前6時から午前9時までに朝飯をとるというのは

明らかに無理難題だ。

3限(13:00開始)以降にのみ授業を固めた、

僕のような起床拒否民の中には、

1週間のうち一度も午前9:00より前に

起きる日がないという者もいるのではないだろうか?

午前中に起きることすらできない人にとっては、

もはや朝飯なんていうのは空想上の存在とも言えるかもしれない。

一方、ここまで大学生のみの実態を聞いて

「大学生がだらけ過ぎているだけなのではないか」と思う人もいるだろう。

確かに学生という身分と共に

起床拒否と睡眠中毒から脱した社会人の多くは

午前6時~9時の間に起床していることが多く、

概して規則正しい生活をしている。

しかし彼らには一つの致命的な欠点がある。

それは「忙し過ぎて朝飯を抜いてしまう」ということだ。https://doors.nikkei.com/atcl/wol/trend/15/105974/031100088/

このデータからも分かるように、

社会人のうち40%が時に朝飯が大事とわかっていながらも、

朝飯を抜いてしまう。

もちろん彼らは大学生よりは朝飯をとる傾向は強いかもしれない。

朝飯をとることが本当に簡単だというならば、

社会人全員が毎日朝食を取れてなければおかしいはずだ。

40%の人間が常にできないことを

簡単だと言うのは多数派の横暴に他ならない。

以上の例から分かるように、

朝飯をとることは非常に難しい。

現実に合わせた場合、

「朝飯前」という言葉は

難しさを強調するために使う言葉で

なければならないはずである。

僕はこれ以上「朝飯前」という言葉の

誤った使われ方を見たくない。

だから 僕がここで一つ正しい「朝飯前」の使い方を提唱しよう。

「ブログを更新するぐらい朝飯前だ」

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