もはや横浜でマウントはとれない

出身地

初対面であれば必ず一度は使われるこの話題。

相手に馴染みのある場所や都会であることで話を有利に進めることができる。(通称マウントをとる)

神奈川出身の僕はこれまで横浜駅付近出身なことを利用してマウントを取り続けてきた。

というのもこれまで出会った人間の多くは神奈川県民。

彼らにとって横浜駅は世界の中心と言っても過言ではない。

遊ぶのも横浜 買い物するのも横浜 乗り換えするのも横浜。

なので僕はこれまで横浜駅付近出身と言う度に、「めっちゃ便利だね」「よく遊びに行く」
などといった好意的な反応をもらっていた。

こうして横浜出身というプライドはますます肥大化し、僕は横浜駅こそが日本の中心と信じて疑わなくなっていった。

                

しかし大学入学後、状況は大きく変わった。

もちろん大学には日本中から学生が集まっている。

その中には僕の想像を遥かに越える都会人も存在した。

まず僕が彼らに横浜駅付近出身であると伝えると、

やや余裕を滲ませた口調で「行ったことある」という反応や

「へー」のような特に興味を示さないといった神奈川ではあり得ない反応が返ってくる。

なんだこいつらは

それほど自分の出身地に自信があるのだろう。

そう確信して僕は彼らに出身地を問いただした。

すると新宿のあたりと答える。

「近くていいね~」
僕はそのくらいの反応しかできなかった。

というのも入学当初、僕の新宿に対する知識は大学までの通過駅というくらいで全く具体的なイメージはなかったからだ。

横浜駅というワードに一切恐れをなさない彼らが住む新宿とはなんなのか?

西口と東口の両方に繁華街を持つ横浜駅に勝てる訳がない。

そんな甘い考えで僕は人生で初めて新宿に乗り込んだ。

衝撃だった。

360度きらめくネオン 数えきれない出口の数

多種多様な人種 どこまでも永遠と続く活気

ここには全てのものがつまっていた。

世界の中心とはこういう場所のことを指すのか

僕は完全に井の中の蛙だった。

日本にはこんなにも栄えている場所があるのだ。

これまで横浜駅付近出身であることを誇ってきた自分が急に情けなくなってきた。

またそれと同時にまさしく世界の中心とも言える’新宿’に住んでいるやつらに対する畏敬の念が沸いてきた。

彼らはいったい何者なんだ?

そりゃ生まれた時から世界の中心をみてきたら横浜になんて反応するはずがない。

彼らにとって横浜の繁華街などただのおままごとに過ぎないのである。

世界の中心で飯を食い、世界の中心で遊び

そして世界の中心で愛を叫ぶ

そんな世界の中心に住める彼らの幸運を羨ましがらずにはいられない

 

他方 当初新鮮さを感じていた長距離通学も年月を重ねていくにつれて、

あまりにも無駄が多いと感じるようになった。

その時ふと浮かんで来たのは新宿住みの存在である。

彼らは僕が1限のために電車に乗っている間、

25駅の各駅停車地獄の終電に乗っている間、

おそらく寝ている。

僕が毎日通学に使っている3時間を丸々自由時間にすることができる。

しかも彼らは独り暮らしとは違って実家であるがゆえに学生の溜まり場になることもない。

ふざけてる。

生まれた場所が違うだけじゃないか。

何でこんなにも不平等なのか。

自転車通学? 早稲田住み? 

ふざけんな。

一度新宿を更地にして、土地を奪い合うバトルロワイアルを開催して欲しい。

お前らの住んでる場所はそれくらい価値のある場所だ。

ただこうして嫉妬をしていても仕方ない。

僕は以上の理由を使って真剣に新宿移住を両親へ提案した。

結果は惨敗だった。

僕がいくらなぜ都内で働いているのに都内に住まないのか問ても

両親はお金がない ローンが残っているの一点張り。

どうせならもういっそ田舎に住んでしまえばいいのに、

中途半端に便利な場所を選んでしまうのがなんとも悲しい。

僕は横浜に住むことによってお金以外のもっと大事なものを失っている気がしてならない。

サイゼリヤ西早稲田店にも頻繁に家族連れが訪れる。

彼らが後々新宿住みとしてマウントを取ってくるのかと思うと虫酸が走る。

しかしこればかりは目先の利益に囚われなかった親たちの先見の明を誉めるしかない。

このように新宿に住むというのは利便性を極めている。

大学や職場は近いし、遠出したいと思えば世界の中心なので、すぐにどこにでも行くことができる。

ああ もう横浜では満足できない。

実家が新宿にあればどれほど幸せなことか

来世の第一希望は新宿住みしかありえない。


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