「企画」カテゴリーアーカイブ

ヒッチハイク×クリスマスツリー その2

今回も前回に引き続き

ヒッチハイク旅について書こうと思う。

紆余曲折あって守谷SAにたどり着いた僕たちは

すぐにヒッチハイクを再開した。

数時間前に別の友人たちが守谷SAから

一気にいわきまで乗せて頂いたという

話を聞いて、

「僕たちもすぐに」という気持ちで

ヒッチハイクをしていたが、

なかなか乗せて頂ける車は見つからない。

途中SA内でスケッチブックを持って

「仙台方面に乗せて頂ける方いますか
~?」

と声をかけてみたが全く効果なし。

まあ考えてみれば

今日は連休最後のクリスマスイブ。

ファミリーが多く、

当然むさ苦しい男2人なんて乗せたがらない。

僕たちは一旦 目的地を水戸に変えて

少しでも可能性を上げることにした。

するとすぐに水戸市内に用があるという

男性がこころよく僕たちを乗せてくれた。

彼の話によると高速にくくるよりも、

一度 車通りの多い一般道に降りたほうが良いとのこと。

東北方面の地理などさっぱり分からない僕たちは

大人しく彼の指示に従い、

水戸市内の巨大な駐車場にあるコンビニで降りた。

後にこの判断が大きな誤算を招くことに

この時はまだ気づいてはいなかった。

こうして水戸に降り立った僕たちは、

簡単な腹ごしらえをした後、

ヒッチハイクを再開した。

友人が仙台ナンバーのトラックを

見つけたと言うので、ついていくと

なんとそのドライバーさんは

仙台まで乗せてくれるとのこと。

「勝った」

高速を降りてしまったことに

不安を感じていた僕らは

思わぬ幸運に歓喜した。

ドライバーさんによると、

一般道で行くため5時間ほどかかるとのこと。

朝早くからヒッチハイクを始め、

限界を迎えつつあった僕は

いくつか会話を交わした後、

すぐに眠ってしまった。

「バーン!!」

ものすごい衝撃が僕たちの乗るトラックに走った。

すぐに目覚め、辺りを見渡すと、

目の前の車の後部が完全につぶれ、

車内からは赤ちゃんの泣き声がした。

「ヤバい」

被害者側のドライバーと

僕たちのドライバーの間で口論が始まり、

すぐに警察が駆けつけ、

現場はカオスの渦に飲み込まれた。

僕ももちろん目撃者として事情聴取を受けたが、

僕の格好のせいか

完全に僕が悪事を働いて、

事情聴取を受けているような絵になってしまった。

幸いなことにどちらの側にも

けがはなかったようだが、

僕たちのドライバーさんは

事故の説明責任があるため、

あえなく僕たちのヒッチハイクは

終了した。

時刻は18:00

辺りは真っ暗で、

ヒッチハイクをするにはあまりにも厳しい。

僕たちは電車でくりこま高原を目指そうと路線検索をした。

すると驚くことに一番早く着くのは

現在地から上野駅に戻り、

新幹線に乗るという

これまでのヒッチハイクを

全否定するような恐ろしいルートだった。https://yahoo.jp/KQiUWT

(当初は仙台集合だった。)

現地ではすでに別の友人たちが待っている。

できるだけ早く着かなければならない。

ただ僕たちはこれまでの

ヒッチハイクストーリーを

なかったことのようにしたくはない。

僕たちは迷わず2番目に早いルートを使って

くりこま高原を目指した。

そして23:00 出発から15時間。

やっとのことで僕たちはくりこま高原にたどり着いた。

駅前で待っていた友人を見た瞬間に

今日の苦難が全て報われた気がした。

やはりヒッチハイクは何が起こるか分からない。

だからこそヒッチハイクはやめられないんだ。

ヒッチハイク×クリスマスツリー その1

クリスマスにくりこま高原に行こう」

僕たちの旅はこの親父ギャグ界からですら

戦力外通告を受けそうなくだらない

ジョークから始まった。

くりこま高原は遠い。

東京から新幹線でも2時間30分はかかる。

皆さんも薄々察してはいるかもしれないが、

僕は最近コスプレにお金を使いすぎていて、

東京から新幹線に乗る金などない。

そこで僕は友人とともにヒッチハイクをして、

移動費を浮かせ、

別の友人たちと

どちらが先に目的地につけるか競争することにした。

そして迎えた当日はクリスマスイブ。

僕はコスプレをしてドライバーたちの目をひくため、

クリスマスツリーのコスプレをした。

この格好をして海老名SAでヒッチハイクをしていると、

僕のコスプレを見て笑っていたマダム3人組が

早速「乗せようか?」と声をかけてくれた。

作戦大成功!

前回ヒッチハイクをした時は

最初の1台に乗せて頂くのに

2時間ほどかかっていたので、https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/11/03/082242

今回は早いタイミングで乗せて頂くことに成功し、

改めてコスプレの力を痛感した。

しかもマダム達はとても良い人たちで、

僕たちのことを気づかって、

お茶やパンをくれたり、

車内でさまざまな話をふってくれたので、

和やかなムードで過ごすことができた。

ありがとうございました。

彼女たちは千葉方面に用があったそうなので、

用賀PAで下ろして頂き、ヒッチハイクを再開。

しかし狭い。これは本当にPAと言えるのか?

文句を言っても仕方がないので、

とりあえずヒッチハイクをすることに。

すると数分後友人が乗せて頂ける車を見つけたらしく、

すぐに駆けつけると、

強面のドライバーが急に車から銃を取り出した。

「ヒッチハイクなんて甘えたマネしてんじゃやねぇ!」

と一瞬ぶっ殺されるのかと思ったが、

どうやら趣味のサバゲー道具の様子。

某有名ホテルで宝石店の社長をやっているという彼は、

「用賀PAじゃなかなか車が止まらないから」

と言って彼の職場近くの車通りが

多いところまで乗せてくれた。

優しい配慮ありがとうございます。

そしてさらに驚きだったのは

なんと彼は別れ際、

「旅費の足しにしな」と言って、

僕たちに1万円を渡してくれたのだ

神か。

彼の器の大きさはすさまじい。

僕もいつか1万円をさっと渡せる大人になりたい。

こうして資金を手にした僕たちは、

あっさりと一度ヒッチハイクを諦め、

常磐道の入り口である守谷SAに向かった。

「守谷まで行けばあとは余裕だろう。

お金も頂いたし、後でみんなの食事代でも持ってやろう」

僕たちはこの時そんな甘い展望を抱いていた。

しかし現実はそんなに甘くはなかった。

後半に続く

いきなりCHINA その3

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う。

旅の2日目は

12時間かけて到着した西安駅から始まった。

30分後に到着すると言う友達を待つ間、

北京にはなかったコンビニがあったので、

入ってみた。

するとそこには驚愕の景色が広がっていた。

この棚 全てが乳製品である。

あり得ない。

日本のコンビニにも牛乳は置かれているが、

レモンティーやフルーツジュースなどの

逆賊たちとの

共存を余儀なくされている。

見せかけの多様性など悪でしかない。

僕が見たかったのは

一面白に覆われたこの景色だ。

西安の牛乳人気はすさまじい。

また量もさることながら、

値段もすばらしい

この写真の1パックで48円だ

これならいつでも気軽に強くなることができる。

道行く西安市民は皆屈強な体格をしていたのも

牛乳のおかげなのかもしれない。

こうしているうちに友人が到着した。

「西安に行く」と伝えたのは前日であったにも関わらず

なんとドライバーとしていとこまで連れてきた。

まさに至れり尽くせりである。

僕は西安住みの友達に連れられ、

3時間という短い時間で、

世界遺産の大雁塔や

西安の繁華街を巡り、

昼食をとった。

発展した西安の町と歴史的建造物は

もちろんすごかったが、

それ以上にすごかったのが

友達のいとこの

好客(日本語でおもてなし好き)精神である。

前日に呼び出されたにも関わらず、

嫌な顔ひとつせずに、

縁もゆかりもない日本人のドライバーを

半日務め、

昼食では店で一番高いメニューをおごり、

<

自分は1人先に食事を済ませ、

外にでるという気遣いまでしてくれた。

おいおいかっこよすぎるだろ。

西安の観光地がどこも駅から遠かったことを考慮すると、

彼がいなければ、

まともに観光することはおろか、

高速鉄道の発車時間に間に合わなかったかもしれない。

本当にありがとうございました。

こうしてなんとか高速鉄道に乗り込むことに成功した僕は

友達がお土産にくれた

謎の甘いお餅を食べながら、

幸せに浸っていた。

ん? 何かがおかしい。

確かに日本で仲良くしていた友人と

中国で再会し、

街を案内してもらうというのは初体験で

楽しかった。

しかし僕が求めているのは

何が起こるか分からないことが魅力の旅だ。

現地人に案内を頼むのは

もはやガイドをつけた旅行と変わらないのではないだろうか。

時間はなかったが、

僕はもう一度原点に帰って、

最後に何かこの中国という地で

何が起こるか分からない

ワクワクすることをしようと思った。

中国は寒かった。

北京は最低気温がマイナス10度を下回っていたし、

西安では雪が降っていた。

人は寒いと厚着をする。

これはどの国でも同じだ。

事実北京でも多くの人が

日本では見たことないぐらいの厚着をしていた。

ここで服を脱いだらどうなるのだろうか?

この疑問が浮かんだ後の記憶が僕にはあまりない。

気がつくと僕は北京駅の中心で

上裸になって乾布摩擦をしていた。

当初あまり人が集まってなかったが、

僕が 「一 二 三 四 五 六」と叫んでいると

少しずつ人が集まってきた。

彼らは皆は「冷吗 (寒くないのか) 」

と聞いてきた。

僕は 「太热了!」 (暑すぎる)」と答えた。

その後も何か質問をしてきたが、

よく聞き取れなかったのでとりあえず、

「太热了!」と叫び続けていた。

するとどんどん人が集まってきて

最終的にはこんな感じになった。

彼らは皆、笑って写真を取っていた。

僕が乾布摩擦をしていた場所の正面には

交番があったが、公安が声をかけてくることもなかった。

僕は来年から北京へ留学する。

もちろん北京でもさまざまな事に

挑戦するつもりだ。

しかし僕は自分のやってきたことが、

北京の人々に受け入れられるのか

とても不安だった。

今日この北京市民の反応を見て、

「おもしろい」という感情に

国境はないということを確信した。

だから僕はこれまで通り

どんな場所に行っても

自分が「おもしろい」と思ったことを

実行し続ける。

僕は今後の方向性を確信した。

今回はそんな旅だった。

いきなりCHINA その2

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う

こうして北京空港に着いた僕はまず

空港のフリーwifiを繋ごうとした。

しかし僕の社会不適携帯番号は

何度登録しようとしても

北京空港に適合することはなかった。

僕の旅はノープランを売りにしているので、

現地で携帯が使えないのは致命的だ。

どうしようかと悩んで携帯を見ると

電波が通っていることを

示すマークと

データローミングが

どうたらこうたらという通知

とりあえず データローミングをオンしてみた。

すると あっさりネットに繋がった

人生でこんなに携帯が使えることに

感動する瞬間はこの先ないだろう。

後で調べてところ、

1日に3000円近く

かかる可能性もあるとのことだが、https://www.nttdocomo.co.jp/service/world/roaming/area/

そんなことはどうでもいい。

要は金さえ払えばいいのだ。

こうして携帯を手中に収めた僕は

以前このブログでも紹介した

先日中国に帰国した友人に

「中国に来たら連絡して」

と言われていたのを思いだし、

「北京に着いた」と連絡した。

すると「西安に来て」とのこと、

空港でノーマンに

なってしまったことを

強く後悔していた僕は

友人の「北京と西安は近いよ」

という言葉を信じ迷わず

「西安に行く」と答えた。

イエスと答えたからには行くしかない。

早速北京から西安駅の電車を調べると、

夜行列車で12時間かかるとのこと。

どこが近いのか?

まあ考えてみれば当然だ。

北京から西安までは1000km以上ある。

日本で言えば東京から博多までの距離と同じだ。

2日後の14:00からは

バイトのシフトが入っていたため

その時間までには帰らなくてはならない。

しかし僕は西安に行くと言った。

有言不実行だけは絶対にやってはならない。

冷静に考えれば

三週間前にシフトを提出している

バイトのほうが圧倒的に先約ではあるが、

バイトを放棄し、

しばらく西安に骨を埋めようかとも考えた。

ただでさえお金がないのに、

貴重なバイトの機会を失う訳にはいかないので、

何とかして別の方法を調べていると、

北京から西安まで

たったの4時間で行けるという高速鉄道を発見!

運賃もたったの8000円。

日本だったらその3倍は取られるだろう。

恐るべし中国。

こうして西安までのルートを確保した僕は

電車の時間までしばらく北京で暇を潰すことにした。

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は早稲田大学禁酒会の代表を務めている。

禁酒会としてデモの聖地?

とも言われる天安門広場で

デモを行うと言うのはとても魅力的で、

禁酒会を世界に広めるチャンスだ。

僕は北京駅を降りてから

すぐに天安門広場へと向かった。

その前に一つ重要なことを忘れていた。

禁酒会のデモには牛乳が不可欠だ。

途中でスーパーに立ち寄ろうと、

探していると、

一人の老婆が声をかけてきた。

何を言ってるのかわからなかったので、

取り敢えずスーパーに行きたいと伝えると

彼女はここがスーパーだと自信満々に答えた。

奴の指示に従い、

中に入ると また一人の男が近づいてきて、

僕に何かを握らせた。

カイロだ。

何故だか分からないが、

握るととても熱くなった。

すると奴は

「お前は今このカイロを触ったのだから買え」

と言って無理やり買わせようとしてきた。

僕は今から禁酒会革命を起こそうとしているのに

邪魔をするな。

お前に付き合ってる暇はない。

僕が 「不想买 我想的只是牛奶。」

(いらない。私が欲しいのは牛乳だけだ)」

と答えると彼は困り顔でその場を去っていった。

牛乳の力は偉大だ。

これが酒だったら、

店にあったお土産用の高い酒を

買わされているところだっただろう。

ちなみにその店に牛乳はなかった。

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別の店で牛乳を調達し、

天安門広場に乗り込んだ。

そこで僕は衝撃を受けた。

広場でデモをしてる者はおらず、

代わりにいたのは、

写真を取るために群がった観光客であった。

悲しかった。

長い歴史の中で、

多くの人々が夢と希望を叫び、

散っていった天安門広場が

今ではただの観光地に成り下がっていた。

思いは違えど、僕は禁酒会として

この広場で夢を叫ぼう。

>(日本語で禁酒 牛乳 興奮しすぎて奶の字を間違えた。)

僕はこのスケッチブックと牛乳を持って、

「戒酒 牛奶 ジエジウ ニウナイ」

と叫びながら天安門広場を行進した。

するとすぐに

数人の警官に囲まれた。

そのまま公安の本部に連れて行かれるのかと思ったが、

どうやらスケッチブックをしまえとのこと、

いつの時代も革命家は

公安との対立を避けられない。

僕は大人しくスケッチブックをしまった。

しかしここで諦めてしまえば、

禁酒会の名が廃る。

考えてみれば、

公安はスケッチブックをしまえと言っただけで、

デモを辞めろとは言っていない。

僕は牛乳だけを持って再び叫び始めた。

多くの人々が好奇の目でこちらを見ていたが、

公安が再び声をかけてくることはなかった。

禁酒会が権力を打ち破った瞬間だった。

これから天安門事件とは何だ

という質問には

今日の事件が挙げられるようになるだろう。

今日という日は禁酒会にとって大きな一歩となる

歴史的な1日だった。

こうして有意義なデモを終えた僕は

西安行きの夜行列車に乗り込んだ。

次回へ続く



いきなりCHINA その1

僕は人生で一度も海外旅行をしたことがなかった。

これまでは特に気にしてはいなかったが、

大学生になり、多くが何かしらの理由で海外へ行き、

帰国後、海外旅行経験でマウントを取っていた。

「悔しい」 

たかが数日の旅行で何が変わるというのか。

たった数日で人をここまで傲慢にさせる

海外旅行とはいったい何者なのか。

僕は海外旅行への興味が

急激に湧いているのを感じた。

また僕は来年から中国に留学する。

留学前に一度現地を確かめておきたい。

こうして僕は初海外で中国へ行くことに決めた。

しかし普通に予約をとって旅行するのではどうも味気ない。

人生に一度の初海外なのだから

なにか記憶に残ることがしたい。

そこで僕は「イエスマン」という映画にあった、

予約を取らずに空港に行き

「何でもいいのでチケットをください」と言って

渡されたチケットで旅をするというシーンの

中国バージョンをやってみようと思った。

つまり何も予約を取らずに

「中国に行きたい」とだけ伝えて旅をするのだ。

我ながらとてもワクワクするアイディアで

決行日が近づくにつれて興奮が高まっていた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イエスマン_“YES”は人生のパスワード


そして迎えた当日。

僕はワクワクしすぎて前日バイトだったのにも関わらず、

全く眠気が起きず、家に帰ってから一睡もせずに羽田空港に向かった。

空港についた時間は4:30。

流石にこんな早くから何便も運行している訳ないだろうと

出発予定表を見ると、 台北 香港 北京 と有名どころがずらずら。

しかしここで僕は大きな見落としに気づいた。

各便を運営している会社が違うのだ。

空港職員はもちろん他社のフライト情報には詳しくない。

つまり「イエスマン」で登場した全フライト情報を管理するようなスーパー職員は

存在しないだ。

早速一番の企画が壊れてしまった僕だったが、

とりあえず一番早くに乗れる中国行きの便として香港行きの便にのろうと、

僕は職員に「予約をとっていないが、この飛行機に乗りたい」と話しかけた。

すると職員は「あちらのカウンターでお待ちください」とのこと

これはいけると意気揚々とカウンターに向かった次の瞬間、僕は耳を疑った。

「こちら正規の料金なので22万円でございます。」

は!?

確かに国際線が高いという情報は耳にしていたが、

22万円はおかしい。

22万円は臓器の闇市場で目玉二つを差し出してもまだ足りない程の金額である。

http://karapaia.com/archives/52132790.html

友人から薦められた「イエスマン」を

全く観ようとしなかったレベルのイエスマンな僕は

このレベルのイエスマンキャラを守るために、

二度と本家「イエスマン」を観れなくなってしまう恐怖に怯えあっさり「ノー」

と答えてしまった。

このまま「ノー」を言い続けていては「イエスマン」企画が「ノーマン」企画に変わってしまう。

せめて行先だけは空港の意志に従おう。

僕はとりあえず、一番早く行ける中国行きの便ということで、

香港の次にあった北京便の値段を調べた。

5万円。

安い。というより実際は高いのかもしれないが、

22万円という狂気を目の当たりにした後は全てが安く感じる。

たった5万円で北京に行けるのだ。

僕は迷わず北京行きのチケットを取り、

手荷物検査へと向かった。

僕は以前、国内線で出発前日に使用したハサミを抜き忘れ、


テロリストになりかけた経験から、

荷物に関しては万全を期したつもりだった。

しかしそれでも手荷物検査を僕の荷物はクリアすることはできなかった。

「一度中身を確認してもよろしいでしょうか」

無作為に掻き出される荷物たち。

なかなか検査に引っかかった社会不適合物は見つからない。

リュックの小ポケットに手をかけた、その時

目当てのブツが見つかった。

プロテインだ。

それも今回は旅先で水筒として活用するために、 

いつもの倍の量をいれていた。

「処分するか、こちらで飲んでください。」

せっかく長期的に強くなるためにたくさん持ってきたのに、

ここで飲み干しては強くなりすぎて僕自身が危険物として

処分されてしまうかもしれない。

ただここで処分するのは、あまりにもったいないので、

僕は泣く泣く500mlを飲み干した。

トレーニングをした後ではないので、強くなることは無かったが、

僕はプロテイン以上に危険なものを大量に持ち込んでいた気がする。

パソコンだって思いっきり殴れば人を殺せるし、 

シャーペンだってまとめて首筋に刺せば、致命傷になる。

プロテインにできることは、

せいぜいトレーニング後の人間を強くすることぐらいだ。

目先のプロテインにとらわれて、

その陰に隠れた危険物を見逃してはいけないと僕は思う。

話がそれたが、なんだかんだあって僕は北京行きの飛行機に乗り込んだ。

<

機内では睡眠中に突如現れた朝食を口にしながら、

北京でやりたいことを考えていると、

あっという間に北京に到着。

さて何から手をつけようか。

次回へ続く

日本語能力試験が意外に難しい

今日僕は中国に帰る友人を空港まで見送った際に、

その友人の荷物が重量オーバーになったため、

不要な書類を引き取ることになった。

書類の中には、帰国後にも日本語を勉強したかったからか、

日本語能力試験の問題用紙が混ざっていた。

帰りの暇潰しがてら、何となく読んでいると

意外と難しい問題が存在した。

早速紹介しよう

問題 1

彼が自分の意見を()に主張したせいで、話し合いがちっとも進まなかった。

(1) 強硬に (2) 果敢に (3) 無謀に (4) 堅実に

僕は最初この問題の答えを(2)だと思ったのだが、

実際の答え(1)だそうだ。

強硬なんて聞いたことない。

強くて硬いという響きは大好きだけど、

日本人すら知らない言葉を知っている外国人の語彙の豊富さに驚いた。

他方 日本人では思い付かないようなセンスをした問題も存在した。

問題 2
次の言葉の使い方として最も良いものを選べ

潔い

1 間違ったことをしたと思うなら、潔く謝ったほうがいいよ。

2 裁判で被告は 「自分は無実だ。潔い」と主張した。

3 資料は配らずに、潔く説明だけで済ませた。

4 家に帰ったら、潔くなるまでしっかり手を洗いましょう。

答えはもちろん1だが、それよりも誤解答に目がいってしまう。

「自分は無実だ。潔い」なんて言ってる奴がいたら無実にしてしまうだろうし、

潔くなるまで手を洗うとはいったいどれだけ洗えばいいのか?

この選択肢を間違える外国人もいることを考慮すると、

日本語を覚えたて外国人の日本語会話は、

常識に囚われた日本人同士の会話よりも、

めちゃくちゃ面白い可能性がある。

しばしば日本人の中でコンビニで働く外国人を、

バカにするような会話が見受けられるが、

彼らは少なくとも母国語だけでなく英語、

そして日本語までも操る本物のエリートなのである。

同じ日本人じゃないと信頼できないとかいう

くだらない常識に囚われ、

自らは日本語しかまともに話せない日本人とは違うのだ。

しかも外国人は日本語の常識に縛られないので、
柔軟な発想力とユーモアで日本語の常識をぶっ壊す。

サイゼリヤ西早稲田店もバイトの半分以上が留学生だ。

彼らがいなくなったらと思うとゾッとする。

もはや彼ら外国人がいないと日本は回らないといっても過言ではない。

どうしてそんなありがたい存在の彼らを煙たがるのか

僕には全く理解ができない。



デスノートの新しい活用法

デスノート

誰もが知っている人気漫画である。

本作に登場するデスノートは

名前を書かれた者は必ず死亡するというとても物騒な性質を持っている。

そのためデスノートに対して好意的な印象を持っている者は少ない。

家に単行本4巻だけを持っているほど熱烈なデスノートファンである僕は

常日頃からこのネガティブなイメージを変えたいと思っていた。

昨日 僕はいつものようにコスプレのネタを探すために、

11月28日が何の日なのか調べていた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8828%E6%97%A5

しかし11月28日はアルバニア独立記念日といった

コスプレ向きとは言えない記念日ばかりだった。

記念日がないなら作ればいいの精神で

いっそ露出狂のコスプレをして

11月28日を露出狂の日にしようかと思っていた次の瞬間

僕の目に衝撃的な項目が飛び込んできた。

完璧だ。

僕が長年抱き続けていた

デスノートへのイメージを変えたい

という願いを叶えるのはこれしかない。

こうして僕のデスノート作りが始まった。

当初どうやって材料を集めるか疑問が尽きなかったが、

とりあえずそれっぽい材料を集めるとそれっぽいノートができあがった。

材料費はたったの500円。

これで本当に効果があるのか気になってしかたのない僕は

とりあえず必修演習のヒーローになるために、

自己紹介をしていた教授の名前を書いてみた。

(教授が講義開講中に死亡した場合、受講者全員に単位を認定する決まりがある)

「これで僕はヒーローだ。」

そう確信し、帰り支度を始めていた僕だったが、

あろうことか教授は死亡するどころか、ますます元気に話始めたのである。

僕はここで大きな見落としに気づいた。

デスノートを書いてから死ぬまでに決まった時間はないのである。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/DEATH_NOTE

つまりデスノートは作成者次第で大きく効果が変わり、

今回僕が作ったデスノートは

名前を書かれた者は100年以内に死ぬという

果てしなく無意味な代物だったのである。

いま生きている大抵の人間は100年以内に死ぬ。

人にデスノートを使うことができなくなった僕は大きく落胆した。

しかしここで僕は当初の目的が

デスノートの良さを広めることであることを思い出した。

人を殺すことが良い訳がない。

このデスノートは書いたものを

必ず100年以内に死に至らしめる効果がある。

なら僕がこの世に必要のないと思うものを書けばいいのだ。

アルコール アルハラ 居酒屋 ほろよい

酒を飲んで迷惑をかける奴 早稲田=酒という風潮 

僕はありったけ嫌いなものを書いた。

これで僕が死ぬ頃にはこの世から

アルコール関連の問題はなくなっているに違いない。

デスノートにはただ人を殺すだけだはなく、

こうした使い方もあるのだ。

僕はこのノートを独り占めするのではなく

このノートを拾った者が自分の嫌いなものを書いて、

自分の殻を破るきっかけになって欲しいと強く感じた。

だから僕はこのノートを大隈銅像前に置いた。

このノートを拾った者が自分の殻を破ることを信じて。 /p>

常識を疑え ~ 見た目がヤバい奴は本当にヤバいのか ~

皆さんはこの集団のことを知っているだろうか?

彼らは15年ほど前に世間を席巻したパナウェーブ研究所という新興宗教団体である。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パナウェーブ研究所

彼らはこの世のあらゆる不都合を共産党員が流すスカラー電磁波によるものと位置付け、

スカラー電磁波から身を守るためには白い服を着ることが有効として全身を白装束で固めた集団である。

彼らは外見においてはこの流行を超越したファッション

内面においては多摩川のタマちゃんに餌をやるといった慈悲の精神http://denpa.s31.xrea.com/x/event/pana.html

と見た目と性格の良さを兼ね備えた集団であったため、

彼らとは正反対の性質を持つメディアの嫉妬に合い、奇怪な集団として過剰な報道を受けた。

彼らは白装束で移動したり、タマちゃんに餌をあげただけで、

何の根拠もなく某ム真理教のような危険組織として取り上げられたのである。

もちろん彼らはそうした危険組織とは無縁で、

そのことが判明するとメディアは何事もなかったかのように彼らへの報道をやめた。

しかし何も危険なことをしていないのに、危険組織のような扱いを受けた信者たちの心は傷ついたに違いない。

僕は彼らのエピソードを知って強いショックを受けた。

そこまでして彼らが伝えたかったことを知るためには実際に彼らになりきるしかない。

こうして僕の1日パナウェーブ研究員生活が始まった。

始める前はスカラー電磁波の存在に対して半信半疑だった僕だったが

実際に白装束をしてみると

スカラー電磁波を遮ることに成功したからか

いつもよりも風通しが良くなってとても快適だった。

やはり白装束の力は偉大だ。

研究員たちが白装束に傾倒したのも頷ける。

僕は白装束の効能を実感し、意気揚々と電車に乗り込んだ。

しかしそこにあったのは

異質な見た目をした者に対する社会の厳しい視線だった。

僕はいつものように座席に座っていた。

すると前に座った女性が僕と目があった瞬間、 どこかへ立ち去っていったのだ。

当初 ほかにいい席があったのだろう ぐらいの考えであった僕も

こうした立ち去りが1回だけでなく2回 3回と続くと

白装束が立ち去りの原因であることを確信した。

確かに白装束が某ム真理教のような危険組織を連想させるという考えは一理ある。

しかしここで一度冷静になって考えて欲しいのは

信者たちが地下鉄にサリンを撒いた時、彼らは白装束であったかどうかだ。

答はもちろんNOだ。

彼らは一般人と何ら変わりのない服装をしていたのだ。

この例からもわかるように本当にヤバいことをしている奴は

派手な格好などしない。

常に包丁を持って歩く殺人鬼がいるか?

そんなことをしたらすぐに国家権力に捕まるのがオチだ。

人を見た目で判断するのは愚の極みだ。

本当にヤバい奴というのは何食わぬ顔で普通の服装をして街に紛れこんでいるのだ。

これこそが パナウェーブ研究所が研究所生命をかけてまで伝えたかったことなのではないか。

僕たちはもう一度本当に危険な存在が誰なのか真剣に考える段階にきていると強く感じた1日研究員生活であった。 /p>

常識を疑え ~飲み会に酒は必要か~

                 

                       飲み会

この単語を聞いたものの多くはアルコールをイメージする。

確かに現在多くの飲み会ではアルコールがつきものである。

僕はそこに大きな疑問を抱いた。

なぜアルコールが存在しているのか。

もともと飲み会の最終的な目的は楽しむことである。

つまり楽しければアルコールなど全く必要ないはずなのである。

またアルコールは体に悪い。

少しだけなら問題ないと言っている輩もいるが、脳ミソまでアルコール漬けにされたアル中の虚言である。https://nazology.net/archives/21781?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

さらにこのアンケート結果からも多くの人間がアルコールのなかった10代を人生のピークとしてとらえている。http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10763185/

以上の例からも楽しさにアルコールは関係がないといえる。

理論はそろった。

あとは実践あるのみ。

こうして僕たちは本当にアルコールが飲み会に必要なのかどうか検証するために

アルコールの欠点である健康面を考慮し、牛乳で飲み会を行うことにした。

これだけ買っても1人400円

破格だ。アルコール飲み会では考えられない。

飲み会といえば乾杯。

元々乾杯とは慶事や健康を祝い、あるいは祈り、さかずきをあげて飲みほすことである。

ただの飲み会を始める合図ではないのだ。

僕たちはバナナ配布の成功と牛乳による筋力増強を祝って乾杯した。

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/11/17/125718


アルコールのイッキ飲みはしばしば危険行為という扱いを受けているが

どんな液体でもいきなり1リットル流し込めばそれなりにキツい。

イッキ飲み防止連絡協議会はアルコールだけでなく全ての液体に協議対象を広げるべきである。

数分後だった。

突如強烈な母性本能が僕の体を襲い、気づくと口から大量の牛乳を絞り出していた。

ワインを大量摂取した際も醸造家の魂が乗り移り、口がワインサーバーになったことがあった。

しかし今回は軽い気持ちでワインサーバーになってしまったことによる虚無感に襲われることもなく、

むしろ牛乳を絞り出すことによって、母になったという強い喜びが僕の中から牛乳とともに吹き出しきた。

やはり牛乳は偉大だ。

話を戻そう

乾杯を終え、母になった喜びに高揚が止まらない僕たちは飲み会の定番であるゲームを始めた。

楽しい。

当たり前だ。

楽しさが全てのゲーム界で何十年にも渡って受け継がれてきたゲーム。

アルコールなくなったくらいでつまらなくなるはずがない。

途中何度も母性本能に目覚めたものもいたが

飲み終えた後に現れたのは酔いつぶれた惨めな姿ではなく、達成感に満ちた誇らしげな姿だった。

この時僕は飲み会にアルコールは必要ないと確信した。

いつか皆がアルコールに頼った楽しさが見せかけでしかないことに気づくことを願って。

参考文献

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/10/19/171040

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