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実録 ハッテン場の実態を追え ~戸山公園のもうひとつの顔~

戸山公園

大学に近いということもあり、早稲田生であれば一度は必ず訪れたことがあるであろう超有名スポットだ。

昼は無邪気に玉遊びに興じる子供たち、夜はサークルの活動に勤しむ学生たち と市民の憩いの場として大いに親しまれている。

そんな戸山公園にある奇怪な噂が流れていることをみなさんはご存知だろうか。

そうハッテン場」だ

僕は最初にこの噂を聞いたとき、すぐに信じることはできなかった。

昼には授業を休んでお酒を飲み、夜には友達と鍋を囲んだ僕たちの思い出の場所にそんな裏の顔があっただなんて。

でも僕は調べなければならない。戸山公園を愛する者の1人として彼の表の顔だけでなく裏の顔もちゃんと知っておく必要がある。

僕は神妙な面持ちで「戸山公園 ハッテン場」と検索した。

僕は全てを察した。

「どうせ嘘だろ」と虚勢を張って必死に動揺を押さえていた僕の心境などお構い無く、グーグルは無慈悲にも戸山公園がハッテン場であるという事実を示す情報を表示した。

「いったい戸山公園で何が起きているのか」

愛する戸山公園の裏の顔を知った僕は、彼のもとでどんなドラマが生まれているのか詮索したい衝動に駆られた。

僕は戸山公園ハッテン場という名のついた掲示板を片っ端から閲覧した。

「箱根山には露出狂が多い」「トイレ付近は女装子がうろついている。」「水場の奥にある藪林が青姦スポット」

僕は2年以上に渡って戸山公園に通いつめていたが掲示板で語られていた光景を見たことはない。

「本当にこれらの情報は正しいのか?」

僕は調べれば調べるほど疑心暗鬼になっていった。しかし掲示板を見ているだけでは真相にたどり着くことはできない。となれば方法は1つだ。

「自分で確かめる。」

僕は勇気を振り絞り掲示板にこんな書き込みをした。

するとすぐにこんな返信があった。

心のどこかで「どうせ何の反応も無いだろう」と思っていた僕にとってこの素早い反応は驚くべきものだった。

その後はこの男に言われるがままに僕は自分のメールアドレスを掲示板に投稿し連絡先を交換した。

そして3日に渡って繰り広げられた熾烈な日程調整の後、僕らは7月11日の22:00に戸山公園にある箱根山のふもとに集合することになった。

ゲイマッサージ店での初出勤、2作目のホモビデオ出演の打診。

その間 僕にも様々な出来事が起こった。時が経つのはあっという間。すぐに運命の7月11日がやってきた。

当日を迎えた僕は愛する戸山公園の裏の顔を見ることになるかもしれないという興奮から猛烈なソワソワ感に襲われ、集合時間の30分前に到着してしまった。

箱根山のふもとに向かうためには、昼間は子供連れで賑わうグラウンド、やけに大きな公衆トイレ、青姦スポットとして噂されていた藪林と様々な場所を通る。

通学路として見慣れた場所もこれまで「ハッテン場」として男たちの間で熱い物語が紡がれきた場所だと考えると、

そこには同性を愛する者だけが入ることのできる世界が繰り広げられていて、軽い気持ちでその世界に入り込もうとしている僕を拒もうとしているような独特な空気感を感じた。

こうしてソワソワしながら待つこと30分、寸分の遅れもなく時間通りに1人の男が現れた。

彼はとても若かった

明らかに僕よりも年下で儚げな雰囲気があった。

顔を合わせた僕たちは雨が降っていたということもあり、すぐに男子トイレの中に入った。

実際の男子トイレ(後日撮影)

個室に入り鍵をかけバッグを置いた僕たちはどちらからということもなくすぐに互いの唇を合わせていた。

そのまま僕たちは時が止まったかのように静止していた。

そこには確かに僕たちだけの世界があった。

僕が「彼らの世界」に受け入れられた瞬間だった。

それから何分たったころだろうか。

ふいに外から足跡が聞こえた。

僕は一瞬「僕たちの世界」から離れてしまった。

彼に全く動じる様子は無かった。

その後もたびたび外からの足跡が僕の鼓膜にねじ込まれた。

その度に僕は彼との「世界」から離れて、勃起をやめてしまった。

彼はそんな僕を見てうつむき気味にこう声をかけた。

「どうしたら気持ちいいですか?」

情けなかった。

彼は決して「僕たちの世界」から離れることはないのに、僕はたった数秒の足跡で離れてしまう。

外にいる人たちが「僕たちの世界」に入ってくることは決してないのに。

もう外を気にしている場合ではない。

僕はあえて外で誰かが用を足している時に彼にこんな要求をした。

「ちくびなめて」

彼は嫌な顔1つせず僕の乳首に飛び付いた。

僕はひたすら快楽にのみ意識を向けた。

「僕たちの世界」はお互いが100%快楽に集中した時にだけできる世界だ。

もう他の奴は関係ない。

僕の局部は膨張を続けた。

そして快楽が100%を越えた瞬間、

「僕たちの世界」に純白の虹がかかった。

そして束の間の「僕たちの世界」は幕を閉じ、僕たちは無言のまま和式便所の周りに飛び散った精子を拭き取りトイレに流した。

その後互いに「世界」を共有した僕たちは最初に会った時よりも友好的な雰囲気で西早稲田駅まで歩きながら話した。

彼は18歳の大学生。実家暮らしでお金もなく「世界」を作る場所が無いため、戸山公園を利用してるとのこと。

僕はこの背景を聞いてはっとした。

戸山公園が受け入れてくれるのは楽しそうに遊ぶ家族連れや、ばか騒ぎをして青春ぶる大学生たちのような「日なたにいる存在」だけではない。

彼のような複雑な境遇や欲望を抱えた「日陰にいる存在」も受け入れてくれるのだ。

戸山公園の寛大さを改めて感じた。ハッテン場潜入だった

※僕はノンケ(女性好き)です。

僕は人を叩けない

みなさんは僕の大学に最近こんな団体ができたことを知っているだろうか。

「早稲田から1トン減らす会」

「1トン減らす」というキャッチコピーのもと、大学内でダイエットに取り組みたい人たちを集める団体らしい。

僕はこの団体に激しい憤りを覚えた。

体重のせいで空気まで重くなっているとかいう謎理論を振りかざしダイエットを強要するエゴイズム、

「ダイエットに励む人を集める」という名目で興味を持った女性を集めて「そんなに太ってないよ~」とか言ってワンちゃん狙おうとする薄汚い魂胆。

僕は元々やせ形で特に夏は食欲が無くなり、体重が落ちやすい。

世の中僕のような元々やせ形で体重が減りやすい人間もいるのになぜここまで体重を減らす人間を持て囃そうとするのか。

みんながみんなダイエットしたいと思っている訳じゃないのになぜそこまでダイエットを強要するのか。

百歩譲ってダイエットがしたいなら、「早稲田」とかいう多数を巻き込もうとする単語を使わずに自分たちだけでやってれば良いのではないか。

僕は怒りに震え、すぐさま禁酒会のごとく「早稲田から1トン増やす会」を設立して、この減量ハラスメント団体をぶっ叩こうと考えた。

しかし僕にはできなかった

僕の「早稲田から1トン減らす会」への感情は必ずしも怒りだけという訳ではなかった。

もし感情のパーセンテージを表すなら90%は怒りやいらだちといったネガティブな感情だったかもしれない。

しかし残りの10%ほどの中に彼らへの尊敬の感情が確かにあった。

「早稲田を面白くしたい」という思いから団体を立ち上げる勇気。

今までなかった「ダイエット」を団体の目的とする斬新な企画力。

純粋に彼らの事を「すごい」と思っている自分もそこにはいた。

人間誰しも相手の事を完全に否定するタイミングというのは自分が100%正しいと確信している時だ。

僕はこの時自分が彼らを叩くという行為が100%自分の気持ちに従った行動であるかどうか確信が持てなかった。

だから僕は彼らを叩けなかった

僕は最近このような事が多くある。

Twitterのタイムラインには様々な人々の様々な考えが次々と僕を襲ってくる。

「夢追い人」の野心的なツイート。

「ネタツイッタラー」たちの使い古されたネタのネタツイート

「インフルエンサー」たちのポジティブ思考を強要する煽りツイート

相反する内容ばかりが流れてくるタイムラインでいちいち彼らのツイートに影響されてたら自分が何なのか分からなくなる。

そこで僕がとる方法は「否定」だ。

とりあえず流れてきた内容全てを否定的な態度で消化する。

「夢追い人」には「結局就活のネタ作りでしょ」と

「ネタツイッタラー」には「いいね欲しさの底が浅い承認欲求でしょ」と

「インフルエンサー」には「お前がインフルエンサーやれてるのはお前に影響されない奴のおかげだよ」と

はっきり言って支離滅裂だ。全てを否定すれば倫理的に無理が起きるのは当たり前だ。

でも仕方がない。誰かの意見を100%肯定してそれに従って行動してたらもはや僕は誰なのか分からなくなる。

「否定」は僕を守ってくれる唯一の道具なのだ。

けれども僕はここで彼らのツイートを批判しようとは全く思わない。

確かに僕は彼らのツイートを批判的に捉えている。しかし一方で僕はツイートをした彼らに尊敬心を抱いているのもまた事実だ。

「夢追い人」には「自分の夢を具体化してそれを周りに宣言する覚悟」 

「ネタツイッタラー」には「常にアンテナを張ってネタを収集する察知力」

「インフルエンサー」には 「周りに相手にされないことを恐れずに、自分の考えを語る勇気」

どれも僕には無いものだ

僕は彼らを否定する反面、僕に無いものを持つ彼らを尊敬している。

僕は100%彼らに批判的な訳ではない。

だから僕は彼らを叩けない。

否定とはリスクのある行為だ。

初対面の人間からいきなり自分の行動を否定されれば誰しも不快な気分になる。

一方で称賛は相手の気分を害することは少ない。

だから僕を含めて多くの人は相手に対する否定的な側面は無視して、尊敬できる側面に目を向けて無難に褒める。

否定的なことばかり言っている人間は「ネガティブ」「すぐ否定から入る」といって煙たがられる。

ネットの掲示板を見ればレスバトルだらけでも街に出ればケンカをしている人は少ないのはみんな否定的な側面を隠しているからなんだと思う。

「尊敬」「否定」「誇らしさ」「嫉妬」

人が人に対して抱く感情は本当に多種多様だ。

梅雨のジメジメした雰囲気に誘われてふとそんなことを考えてしまった。


僕の「売り専」体験記part3 恐怖体験編

前回に引き続き今回も「売り専」体験について赤裸々に語っていく。

初出勤以降ありがたいことに僕は何本かの指名を頂き、2週間で6万円ほどの収入を得ていた。

「これ結構イケるんじゃね?このままいけば店のトップになっちゃったりして♂」

僕は鳴りやまない指名に手応えをつかみ、すっかり有頂天になっていた。

そう あの「事件」が起こるまでは。

それは季節外れの暑さが続き、夏の訪れを予感させていた6月2日のことだった。

その日は僕の地元である横浜で開港160周年を祝う開港祭が開かれていた。

しかし当時の僕は5月最後の週に行ったタイ旅行での大量の出費によって資金が不足していたため、祭りを楽しむ余裕などなく、新宿男道場にシフトを入れていた。

「他の奴らが祭りで浮かれている間に、僕は男道場で強くなろう」

僕はそう自らを肯定し男道場での鍛練に励もうと意気込んでいた。

けれども待てど待てど連絡は来ない。

こうした時に限って、男道場は鍛練の相手を用意してくれないのだ。

僕はもう諦めて家に籠り、自己鍛練という名の自慰行為でもしようかと考え始めていた。

「このパターン初出勤の時と同じだな」

ふと僕の中にそんな考えがよぎった。

少し整理してみると今日6月2日は日曜日、当日まで連絡なし、晴れと初出勤の日と条件が酷似していた。

「男の性欲は気まぐれだ。もしかしたら当日連絡が入るかもしれない。」

僕はそんな僅かな可能性に備えて新宿へ向かうことにした。

17:30 僕は新宿に到着した。

初出勤時に連絡の入った時間を過ぎていたが、いまだに僕の携帯は鳴っていなかった。

僕は連絡が来なかった時のために用意していたウーバーイーツの装備を身につけ、ひとまず時間を潰すことにした。

19:25 テテテテテテン テテテテテテン

鳴った。 相手はもちろん新宿男道場からだった。

「とうきく~ん お疲れさまで~す♂21:00から笹塚駅のお客様なんだけど大丈夫かな~」

きた! それも笹塚 性欲の気まぐれを信じて新宿に入っておいて良かった!

僕は迷わず「大丈夫です。」と答え、ウーバーイーツを切り上げて笹塚へ向かった。

この時 僕は指名を予測して新宿入りした自らの名采配に自惚れていて、待ち構えている男が欲望を抑えきれず当日に予約を入れた性欲モンスターであることを完全に忘れていた。

21:00 僕は指定されたアパートに着いた。

3階建てほどの小さなアパートで、僕がこれまで訪れた高級マンションたちに比べるとお世辞にも豪華とは言えない建物だった。

家は人を写す鏡だよ。」

これは僕に多額のチップをくれた大豪邸に住むあるお客様からの一言である。

当時なんとなく聞き流していたこの一言が強く身に沁みる展開になるとはこの時まだ思いもしなかった。

話を戻そう。

指定されたアパートに着いた僕はいつものようにインターフォンを鳴らした。

するとH田と名乗る濃い顔をした若い男が表れた。

僕がこれまで共に鍛練してきたお客様はみな50代以降で若い男はいないと思っていたのでとても拍子抜けしてしまった。

そして挨拶もそこそこに大きなベッドの置かれたH田自慢のワンルームへ案内され、

いつものようにシャワー→キス→フェラの順番でお互いにオーガニズムに達し、プレイを終えた。

ここまでは特筆することもないいたって普通のサービスだった。

そうここまでは

「一緒にお酒を飲もう」

プレイを終えたH田がそう声をかけた。

この時点で21:40。H田は21:00から22:00までの一時間コースだったため、まだ時間に余裕があった。

僕はピロートーク中に軽く一杯喉を潤す程度のものだと思っていたので、特に何も考えず誘いに乗った。

この一杯が地獄の始まりだった。

お互いにプレイ後のシャワーを浴び終え、ベッドの前に置かれた小さなソファーに腰掛け、水割りのハイボールで乾杯した。

H田とは年齢が近いということもあり、恋愛やセクシャリティの話でとても盛り上がった。

H田は元々ノンケ(女好き)だったのだが、学生時代に友達とゲイバーに行ったのをきっかけに男に興味を持ち始め、今では完全にゲイになったとのことだった。

こうした話は中学から高校にかけてバイからノンケへ「性転換」した僕にとっても大変興味深い話であった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと時計は22:00の針を指していた。

僕「じゃあ時間なんでそろそろ…」

H田 「えーもうちょっと飲もうよ」

振り返るとさっきまで空だった僕のグラスになみなみとハイボールが注がれていた。

「注がれたお酒を断ってはいけない。」

これは僕が大学生活で学んだ唯一の知識だ。

僕は「あと一杯だけだよ」と伝え、再び酒の席へ戻った。

一杯一杯また一杯。

その後もこの僕が帰る素振りを見せるたび、「あと一杯だけだから」といってH田が止めるという流れが続いた。

22:30、23:00、 刻一刻と時間は流れた。

もう5杯は飲んだだろうか。

当初水割りだったハイボールは杯を増すごとに濃くなり、既にロックに近い状態と化していた。

僕は徐々に自分の意識が朦朧としていくのがわかった。

H田はこのタイミングを待っていたようだった。

H田は僕が酔って抵抗する気力を無くしているのをいいことに、急に僕の胸や局部を触りだすといったスキンシップを繰り返すようになり、最後にはディープキスを求めた。

H田は元々一番安い1時間コースで僕を呼び出し、酒に酔わせ判断力を奪った後、行為に及ぶ魂胆だったのだろう。

もはや一線を越えるのは時間の問題だった。

しばらく絡んだ後、ふいにH田は僕にベッドに横たわるよう指示を出した。

この時点で僕は完全に酔いが回っていたので、家に帰ることよりも横になることを優先したい心境になっていた。

「やっと横になれる。まあゴムはつけるでしょ。」

僕はそう軽く考えて、指示通りに横たわった。

酒と欲望に溺れ完全に獣と化していたH田にもはやそんな倫理観が通じるはずもなかった。

彼は僕のパンツを脱がすと、まともに指を入れることもなく、僕の尻穴に自らの肉棒をぶちこんだ。

僕の尻に激痛が走った。

基本的に尻穴に局部を挿す際には最初にまずローションで尻穴の滑りを良くしてから、指を一本ずつ入れて尻穴を少しずつ広げていくのだ。

そうした過程を一切省いていきなり局部を突き刺せば激痛が走るのは当然だ。

いうなれば、いきなり尻穴に鉄の棒を突き刺されるようなものだろうか。

そんな痛みに悶絶する僕には目もくれずH田は獣のごとくひたすら腰を振り続けていた。

H田が絶頂を迎えた時には、僕の尻から大量の血が流れていた。

何度も尻を貸したことはあったが、血が出るのは初めてだった。

僕は完全に我に帰った。

そんな僕をさらに恐怖のどん底に突き落とす光景が目の前には広がっていた。

ハマダの周りにコンドームをつけた形跡がなかった。

終わり





PS    陰性でした。良かったです。

 

右折しようとした、しかし左折した。

いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん

そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?

「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908

「大食いの称号」という取るに足りない称号。

「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。

僕はこのタイトルが大好きだ。

誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。

「香港の巨大魚を狙おうとした、しかし挫折した」

「ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した」

これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。

しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。

それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。

僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。

そう「左折」だ。

「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。

また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。

僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。

以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。

令和元年 6月某日

「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。

何故西早稲田駅にいたのか。

理由は一つだ。

僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに

体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。

今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。

いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。

そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。

右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。

恐るべし「新宿二丁目」

血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。

「止まれ 左折しろ❗」

ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。

ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。

それは4ヶ月前のことである。

僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。

「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。

マッサージのことだろうか?

当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。

すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。

僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。

「入らない」

僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。

それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。

「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。

ついにその瞬間はやって来た。

僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。

そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。

「入る! 入る!」

僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。

そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。

僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。

「どうしたの?」

ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。

振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。

彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。

僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。

芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。

安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。

絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。

僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。

左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。

新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。

やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。

僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。

100万ドルの夜景を観た次の日に10万円を失った

それはたった2時間あまりの出来事だった。

僕は全財産の半分である10万円を失った。


きっかけはほんの少しの出来心であった

僕は今回6月7日から9日にかけての3日間、香港周辺に滞在していた。

7日 昼 深セン観光 夜 ピンポンマンション

8日 昼 バナナ配布&釣り 夜 夜景

といった具合で8日までの予定は簡単に決まった。

さて9日に何をするか。

流石に香港も3日目となると少し飽きてくる。

深センはもう行ったし…。

そう悩んでいた僕にある危険な選択肢が浮かんできた。

マカオ

「マカオ行ったことないし、せっかくだから行ってみよー♪ カジノでお金増やせたらラッキーだし♪」

僕の行き先はマカオに決まった。

周辺地図

そして運命の6月9日がやって来た。

僕は前日、夜遅くまで100万ドルの夜景を見ていたので、11時ごろに起床した。

100万ドルの夜景として有名な香港ビクトリアピークからの眺め

すぐに荷支度をして、宿舎を出る準備をしていると宿舎のおばさんが、中国語で「近くで政治パレードをやるから見てきたらどう?」と話しかけてきた。

僕はせいぜい地元のお祭りぐらいの規模なのだろうと思って あまり深く考えてはおらず、適当におばさんをあしらって宿舎を出た。

後で調べて驚いたのだが、おばさんが語っていた「政治パレード」はこの日偶然、香港で行われた史上最大級のデモだったのだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326196


このデモにコスプレで参加したらどうなっていたことやら。

僕は貴重なチャンスを逃してしまった。

あの時 素直におばさんの指示に従っていれば…

話を元に戻そう。

宿舎を出た僕は適当に昼飯を済ませ、すぐにマカオ行きのフェリーへ乗った。

適当な昼飯
適当なフェリー (奥)

僕はフェリーに乗っている時、カジノ情報を読み漁った。

ポーカー ブラックジャック ルーレット スロット。マカオには実にたくさんのゲームがある。

これだけ多くのカジノゲームを作り出す人間のギャンブル欲の凄まじさを改めて痛感した。

この多種多様なゲームの中で、僕の興味をひときわそそったものがあった。

「大小」だ

「大小」とは簡単にいうと3つのサイコロを同時にふり、出た目の合計が11以上の「大」か11未満の「小」かを当てるゲームである。

当たると賭け金は倍になり、外すと掛け金は没収される。

詳しいルールはこのサイトに乗っているので気になった人はぜひ見てほしい。

僕は知識など一切関係なく、ただ「大か小かをかける」という「大小」の強いギャンブル性に完全に魅了された。

僕はこの「大小」に関するブログを漁った。

すると、あるカジノで初心者が大小で大勝利を収めたという記事が僕の目に留まった。https://macaupackers.com/casino_episode1/

この記事の執筆者はなんと「大小」で1000香港ドル(15000円)をたった1時間ほどで、6000香港ドル(90000円)まで増やしたと語っている

彼の理論はこうだ。

「カジノ側は客に大きな利益をあげさせたくないから、大勢が同じ所にかけた場合は、その逆が出るように仕組んでいる。よって大小の必勝法は賭け金が大か小のどちらかに偏った時にその逆をかける。 」

僕はこの理論を聞いてとても納得した。

実際に勝っている人間が言うのだから信頼できる。

この理論さえ知っておけば、もう勝ったようなもんだ。

10万手に入れたら、何に使おうか。

あらゆる労働をやめて、これからはカジノで食っていこうか。

「マカオカジノ必勝法」なんてブログでも書こうかな~

僕はすっかり勝った気になって、不純な妄想を膨らませていた。

こうして僕がありもしない空想に更けていると、あっという間にフェリーはマカオに到着した。

マカオに降り立った僕はすぐに例のブロガーが勝利したと伝えらている五ツ星ホテルシェラトンマカオに向かった。

そして着いたシェラトンマカオはカジノからレストラン、さらには巨大なホールまで兼ね備える大変豪華な建物だった。

しかし この時僕の頭の中はカジノに侵食されていたため、写真をとる余裕などなく、ただただ道行く人々に「where is casino?」と聞き続けていた。

そして 心優しいホテルマンたちに助けられ、僕はついにカジノの扉を叩いた。

カジノ内撮影禁止のため 内部の写真はこれだけです。
実際にこの写真を撮ってる時に注意されました。

カジノ内では夕方にも関わらず、多くの人々が血走った目で必死にゲームの行方を追っていた。

彼らの真剣な姿は僕の賭博欲求に火をつけた。

「賭けたい 賭けたい 賭けたい」

僕はすぐに両替所に向かい、会員専用ゴールドカードを作り、手持ちの600香港ドル(9000円)をチップに変えた。

会員カード(帰国後撮影)

「これがチップか」

このころまだチップを日本円計算する余裕があった僕は1枚1500円という破格の100ドルチップの重みを強く感じていた。

そしてこの6枚のチップを握りしめ 僕は「大小」が行われるフロアに向かった。

案の定「大小」には多くの人々が集まり、至るところで悲喜こもごもな歓声が上がっていた。

撮影禁止なのでイメージ

しかし僕はここである重大なミスに気づいた。

ここの「大小」の最低賭け金は300香港ドルだった。僕の手持ちは600ドルしかない。

つまり僕は最低2回しか賭けに参加することができない。

ただ今の僕には最強の「理論」がある。

僕の持ち金が足りないことなんて、何の問題でもない。

僕は先ほど紹介した「大勢が賭けた方の逆側に賭ける」を実践する機会をうかがった。

するとすぐに 「大」の側に 数十枚の1000香港ドルチップ(15000円)が置かれるなど、その場にいた全ての人々が「大」の側にチップを置く瞬間が訪れた。

「チャンス」

僕は彼らの動きに反してすぐさま「小」の方に300香港ドルチップを置いた。

「しめしめ 大勢に流されるなんてバカな奴らだな」

そんなことを考えて結果を待っていた。

しかし待っていたのは驚愕の現実であった。

「負け」

電光掲示板には14の数字が掲示されていた。

自らの勝利に喜ぶ人々を尻目に、ただ一人だけ別の方へ賭けた僕の300香港ドルは虚しく回収された。

「あり得ない 何かの間違いだ」

僕は別の卓でもう一度理論を試したが、結果は変わらかった。

こうして僕のなけなしの600香港ドルは10分足らずで消えてしまった。

現金を失った僕は悩んだ。

ここでカジノを辞めるか、それとも…。

しかしフェリーの時間までまだかなりある。

それに理論が破れた今こそ「真のギャンブル」を味わうチャンスなのではないか。

僕は本能的に検索を避けていた禁断のワードをグーグルに打ち込んだ。

「マカオ カジノ クレジットカード」

検索結果 使える。

知ってしまった。もう戻れない。

僕はすぐさま両替所に行き、2000ドルチップ(30000円)を手に入れた。

そして僕は再び「大小」のフロアに戻った。

僕は理論を捨て、本能と周りの流れを見て300香港ドルチップを賭けた。

すると先ほどまでの苦労が嘘だったかのように勝利をあげ、一時はプラス900香港ドルまで増やすことに成功した。

しかしここで僕に危険な誘惑が襲った。

「1000単位で賭けたらどうなるのか」

僕の周りのギャンブラーたちは1000ドルチップを数十枚所有し、みな1000単位で賭けを行っていた。

そんな中、1人だけ最低賭け金300ドルを賭け続ける自分を見ているのが悲しくなってしまった。

「せっかくマカオに来たんだから派手に行こうぜ!」

僕は手持チップの大半である2000ドルチップを派手に賭けた。

「負け」

僕がこれまでコツコツためたチップたちは見るも無惨に回収されてしまった。

その後も流れは変わらず、僕は再び無一文となった。

「なんかイケる気がする」

コツコツ戦法で一定の手応えを感じた僕は「もうちょいあれば勝てる」と確信し、今度は3000香港ドル(45000円)分のチップを購入した。

「もう2度と全賭けはしない」

僕はこう固く決意した後、再び決戦の地へ足を運んだ。

三回目の挑戦は困難を極めた。

500ドル勝っては500ドル負ける、長い勝ちも負けもなく、戦いは長期化した。

それでも少しずつ借金は減っていき、カジノ開始から1時間がたったころには最高2600ドルまで膨れた借金は400ドルにまで減っていた。

「この一進一退の流れを何とかして変えたい。」

そう考えた僕はどうやったら流れを変えられるか考えた。

しかしもはや1時間以上カジノに入り浸り、すっかりギャンブル脳になっていた僕の頭に浮かんだ考えは

「大きく勝つ」 だった。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。あれほどさっき痛い目を浴びたはずなのに、この時 もう先ほどの全賭け負けが脳裏から消えかかっていた。

「大丈夫 勝てばいい」

僕はこの時の手持ちの大半であった3000ドルを賭けることに決めた。

「絶対勝つ」

僕はこの3000ドルを賭けるにあたって、この「大小」の法則性を導き出そうと考えた。

しばらく賭けるのをやめて観察していると、

このカジノには全部で「大小」の卓が15個ほどあったのだが、いくつかの卓では、連続して同じ数が出やすいことが判明した。

そして これらの卓に絞って観察を続けると、

大と小が交互に出る可能性が極端に低いことが分かった。

つまり長く大が続いた後に小が出た場合は次も連続して小が出る。

僕はこの法則性の正しさを確信した。

そして特定の卓に絞り、その瞬間を刻一刻と待った。 

「大」「大」「大」「小」

来た。

僕は誰よりも早く「小」の部分に3000ドルチップを置いた。

そして僕は祈るような思いで、ただひたすらサイコロの入った箱を見つめていた。

ディーラーが賭け時間の終了を伝えていた。

僕にはもう箱しか見えていない。

何度もうんざりさせられた待ち時間での大げさな演出も今は耳に入らない。

たった数秒の待ち時間が永遠に続くかのように感じた。

「来い!」

箱が開いた。


そこにあったのは4と6が記されたサイコロだった。

もうひとつは覚えていない。

僕は4と6が見えた時点でそっとその場を離れた。

卓上では「大」をコールする演出と、人々の歓声がこだましていた。

また負けた。

一時間かけてマイナス400ドルまで持っていった借金は一瞬で3400ドルまで膨れ上がった。

理論とは何だったのか。

僕は全ての気力を失い、残りのチップも惰性で適当に賭け続け、最後には全て失った。

こうして僕はカジノにてたった2時間で全財産の半分である10万円を失った。

帰り道 僕は自分が10万円を失ったという現実を理解できず、「何か楽しい体験をしたんだ!」と思い込み、ずっと笑っていた。

あはははははは! あははははははは!

香港の巨大魚を狙おうとした、しかし挫折した。

話は数週間前にまでさかのぼる。

僕は今回の旅を実行するにあたって、

いくつかの香港に関する旅ブログを読んでいた。

こうした旅ブログの多くは、グルメや観光地といったありきたりなものが多かったが、

その中で ある個性的なブログが僕の目を引いた。

「香港のドブでアフリカの巨大魚「クラリアス」を釣る」http://www.monstersproshop.com/hongkong-clarias-catfish/

「ドブ」「アフリカ」「釣り」といった香ばしいワード。

そしてアフリカの巨大魚という異名にふさわしい圧倒的なビジュアル。

これらのロマン要素は、半年ほど前の自給自食生活以降、鳴りを潜めていた僕の釣り欲求を完全復活させた。

この記事によると、どうやらこの「アフリカの巨大魚」はルアー(疑似餌)に食い付くとのことだった。

しかしこれまでの僕の釣り経験といえば、せいぜい生きたエサを使った雑魚釣り程度で、

「巨大魚」と呼ばれる魚をルアーで釣ったことはないし、適切な道具も持っていない。

ならどうする?

答えは一つだ。

「買う」

僕は足りない脳ミソと資金を半回転させ、

「ルアー 初心者 オススメ 竿 」などと検索しては、ヒットした商品をなんの疑いもなく次々と購入していった。

竿 リール 糸 ルアー 気づいたときにはもう総額は15000円を超えていた。

この時 僕は「この商品を買った人はこんな商品も買っています。」と言って、竿の後はリール、リールの後は糸といった具合で次々と商品を紹介してくるアマゾン商法に完全に釣られていた。

釣りを始めるにはまず、自分が釣られないといけないということを、僕はこの時痛感した。

なにはともあれ、僕は巨大金をはたいてアマゾンに釣られたことによって、アフリカの巨大魚を釣る準備を完了させたのであった。

こうして準備を完成させ、意気揚々と香港に乗り込んだ僕であったが、いまだに一抹の不安を抱えていた。

「正確な場所が分からない」

先ほど述べた記事では、釣りを行った場所まで「地下鉄」で行ったということが書かれているのだが、実際にどの駅で降りて、何分歩いたかといった詳細な情報が書かれていない。

「自分で見つけた場所を安易に教えたくない」という釣り人特有のプライドなのかも知れないが、情報サイトとしてはあまりにも不親切すぎる。

他のサイトを見ても、詳細な情報が書かれているものは無かった。

仕方がないので、僕は「地下鉄」「ドブ川」といった数少ない情報で、グーグルアースを使って釣り場を探すことにした。

そして探すこと数分、泊まっていたホテルの近くに怪しげなドブ川があるのを発見した。

大量の汚水を吐き出しそうなビル群、汚水を濃縮していそうな狭い川端。「アフリカの巨大魚」が潜む川に違いない。

僕は迷わず行き先をこの川に決めた。

そしてバナナ配布を終えた6月8日の正午、

僕は大きな期待を胸にこの川へ向かった。

今回の釣り場の最寄り駅である大囲駅

最寄り駅に降り立つと、すぐに期待どうりに巨大なビル群たちが僕の姿を出迎えた。

「巨大ビル群の影に潜む巨大魚」

僕はビル群の先に存在するであろう未知なる巨大魚についての妄想を膨らませながら、

釣竿を片手に上機嫌で釣り場への道を突き進んだ。

途中、道行く老婆が僕の釣竿を見て、何か語りかけてきていたが、当時の僕に彼女の声を聞き入れる聴力は無かった。

そして駅から歩くこと十数分、僕はついに釣り場であるドブ川にたどり着いた。

「さてどこから巨大魚を狙おうか」

そう川を見下ろした次の瞬間、僕の目の前に衝撃の光景が広がった。

「水が無い」

川の水は完全に干上がり、とても魚を釣ることのできる状態ではなくなっていた。

さらに川辺には至るところに「釣り禁止」を意味する看板が置かれていた。

「間違えた。」

僕がグーグルアースで見たドブ川はただの干上がった水路だったのだ。

おそらく途中で話しかけてきた老婆は、僕に釣りができないことを伝えにきていたのだろう。

僕はこれだけの巨大金をはたいたのにも関わらず、竿を使うことすらできないという現実にひどく落胆した。

しかしせっかく香港まで釣り道具を持ち込んだのだから、何とか釣糸くらいは垂らしたい。

水路があるということは、水路につながる川があるに違いない。

僕はなけなしの容量を用いてグーグルアースを開き、近くの川を探した。

すると案の定 近くに川端の広い川があることが発覚した。

僕はすぐにこの広めな川に向かうことにした。

このころ もはや僕の目的は完璧に「巨大魚を釣る」から「釣糸を垂らす」に変わっていた。

バスや電車を乗り継ぐこと数十分、ついに広めな川が僕の視界に飛び込んできた。

この川も先ほどの川と同じく、「釣り禁止」の看板が置かれていたし、小魚が跳び跳ねている程度で、全く巨大魚がいる雰囲気は無かった。

もうそんなことはどうでもいい。

僕は「釣り糸を垂らせる」という喜びに溢れ、比較的安全そうなところから川岸に入り、釣りを始めた。

釣りを始めるとすぐに若干のアタリがあった。

「魚が食いついた!?」

正直 釣りを始めることができただけで、感動していた僕はまさかのアタリに驚き、急いでリールを巻いた。

「はたいた巨大金」「最高気温37℃」

「徒歩数十分」「干からびていた水路」

「釣り禁止の看板」

この時 僕の脳裏には今回の釣りを始めるまでの苦労が走馬灯のようによぎっていた。

いま この瞬間 全ての苦労が報われようとしているのだ。

僕は万感の思いで竿を引き上げた。

「ゴミ」 

僕は静かに竿をたたみ、釣り場を後にした。

バナナは人を笑顔にする

僕は以前大学でこんな企画に参加したことがある。

「バナナの格好でバナナを配る。」

当時の様子はしゃおじょんブログにまとめているのでぜひ見てほしい。

このバナナ配布企画は、配布予定のバナナが一瞬で無くなるなど、学生の間で大いに好評を博した。

またバナナを受け取った学生たちが、みんな笑顔になっていたことから、

僕たちはバナナに不思議な力があることを確信するようになり、いつかこのバナナ配布企画の規模を拡大したいと考えていた。

最初の配布企画成功から半年、ついにこの野望は東京から約3000km離れた「香港」の地で実現されたのであった。

前日の「ピンポンマンション」企画成功によって調子に乗っていた僕は朝起きると、朝食を適当に済ませた後、バナナコスプレに着替え、すぐにスーパーへと向かった。

あった!

流石は果物の王様バナナ。

フルーツ大国香港でも、他のフルーツを押し退け、圧倒的な存在感を誇っていた。

僕は迷わずこのバナナたちを手に取り、次々とかごの中へ入れていった。

「カモン バナナ!!」

レジの方から明るい声が聞こえた。

振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた店員の姿があった。

多種多様な人種で溢れる香港でも、バナナの格好をした者が大量のバナナを買い占める光景は珍しいのだろう。

僕は彼女らに呼ばれるがまま会計を済ませ、

宿に程近い香港の大都市「尖沙咀」に向かった。

いざ駅前に陣取り、バナナ配布を始めようとした時、僕はある問題点に気づいた。

「道が狭すぎる」

先ほどの写真からも若干分かると思うが、

駅の出口はとても狭く、また繁華街ということで人がとても多く、道路を陣取るのは明らかな迷惑行為であるように思えた。

そこで僕は歩きながらバナナを配布していく作戦に切り替えることにした。

道行く多くの人々はこのバナナ男に興味を持ち、「Banana!」「香蕉人! (中国語でバナナ男)」と声をかけてくれたが、なかなかバナナを受け取ってくれる人はいない。

無理もない。今回バナナ配布を行ったのは最高気温が35度を超える猛暑日の真っ昼間。

多くの人々は謎のバナナ男が配るバナナなど食べたくないはずだ。

僕はこの状況を何とか打破しようと、

「Does anyone like banana? (バナナが好きな奴はいるか?)」と叫びながら歩いたり、

「Iam bananaman (俺はバナナ男だ)」と言って実際にバナナを食べるパフォーマンスを見せたが、全く効果は無かった。

「バナナは配布は香港ではウケないのか。」

そう落ち込みかけていたその時、

僕は街中にバナナを求めているであろう大衆の姿があるのを見つけた。

「いける」

そう確信した僕はお決まりの「Does anyone likes banana」で声をかけた。

すると驚くことに彼らは我先にと言わんばかりに僕にバナナを求めてきた。

写真は群衆の裏から撮ったものです。表から撮るのを忘れていました。

「やはりバナナは世界共通なんだ。」

僕は改めてバナナの凄さに感動し、彼らの要望通りにバナナを配ろうとした、例の奴らが近づいていることも知らずに…

「Get out! 」突然背後から怒りに満ちた声が僕を襲った。

どうやらこの群衆たちはある施設の入場待ちの人々ならしく、この施設の警備員が列の管理を行っていた。

先ほどの写真の左はじに少し写っている

この警備員が列の秩序を乱そうとしているとして、僕に注意してきたのだ。

僕は当初 聞こえないふりをしていたのだが、

彼は僕のことを捕らえようとする勢いで近づいてきたので、僕はとっさに逃げるほかなかった。

海外で一番恐ろしいのは国家権力に捕まることだ。言葉も通じないし、日本の常識も通じない。

さらに僕はこの時パスポートを持っていなかったので、もし捕まってしまえば、何をされるかは全く分からない。

僕は完全にビビって、バナナ配布もそこそこにして、すぐ彼の目が届かないところへ逃げた。

「もうバナナ配布をやめようか」

諦めのムードが僕の中で生まれていた。

しかしここで僕の脳裏の中に、以前 日本でバナナ配布をした時にも国家権力の妨害を受けそうになったことが浮かんできた。http://nowloading424.info/%e4%b8%87%e3%81%8c%e4%b8%80%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0/

あの時は一度いなくなったふりをして、もう一度戻ってバナナを配っていた。

「あの頃に負けてはいけない。」

僕は当時の気持ちを思い出し、道を一週してすぐに群衆の元へ戻り、警備員がいなくなった隙をついてバナナを配った。

僕が再び姿を現すと、群衆は僕に向かって手を振り声援を送ってくれた。

僕は彼らの気持ちに答えるために、必死でバナナを配った。そして配り終わって辺りを見渡すと、バナナをもらった人々がみんな笑顔になっていることに気づいた。

もはやバナナに不思議な力があるということに疑いの余地はないだろう。

だから僕は最後にこう言いたい。

「バナナは人を笑顔にする」

「ピンポンマンション」のあるべき姿

皆さんは香港に「ピンポンマンション」という風俗店があるのをご存知だろうか。

詳しいことはこのサイトで解説されているため割愛するが、

簡単に言うと、マンションの一室に潜む嬢の部屋をピンポンして気にいった嬢が出てきたらSEXをするという風俗店である。

僕は長年この「ピンポンマンション」という名称に疑問を持ち続けていた。

なぜなら「ピンポン」と検索して出てくる画像は軒並み卓球🏓関係の画像ばかりで、インターフォンの画像がでてくることはまずない。

またピンポンという言葉は英語でも卓球の意味で「ping-pong」として使われ世界的にも親しまれている。

つまり「ピンポン」= 卓球というのが全世界の常識であり、「ピンポンマンション」はSEXではなく卓球が行われるマンションでなければならないのだ。

僕はいつか必ず「ピンポンマンション」で卓球をしてこの「ピンポンマンション」が抱える矛盾を是正しようと心に決めていた

僕は今日中国から香港に降り立った。

僕は香港に降り立った瞬間に、この野望を果たすため、ありとあらゆる観光地を無視し、日本で買った卓球セットを持ち、「ピンポンマンション」へ向かった。

今回向かった「ピンポンマンション」はその名も「發利大廈」

性に餓えた男で溢れていたパタヤの街とは違ってこの「發利大廈」は多くの健全な観光客が集まる街中で唐突に現れた。

中に入るとすぐにエレベーターがある。どうやらこのマンションは9階建てのようだが、

9階のゲストハウスと1階の受付を除いた全てのフロアが「ピンポンマンション」として使われていた。

エレベーターを出るとすぐに怪しい店特有の独特のネオンが僕を迎えた。

奥へ進むといくつかの部屋があり、

それぞれの部屋に「稍后片刻」(お取り込み中)の札か、「欢迎光临」(空いている)の札、どちらが掛けられ、

性客たちは我先にと言わんばかりに次々と「欢迎光临」の札が掛けられた部屋にインターフォンを鳴らしていた。

また興味深いのがこの「ピンポンマンション」区域のすぐとなりのフロアに居住者がいるということだ。

(住宅なので騒がないでくれという意味)

なぜ彼らはこんなところに住んでいるのか?

この「ピンポンマンション」のヘビーユーザーなのか、はたまた「ピンポンマンション」の経営者なのか。想像は尽きない。

この頃になると僕は本来の目的を忘れ、純粋に「ピンポンマンション」を楽しんでいた。

しかし僕はある重要な事実に気づいてしまった。

僕がいった時間は夜も深くなりつつある20時ごろで僕以外の性客たちも多く存在していた。

そしてこの性客どもは「欢迎光临(空いている)」と書かれた札を見つけると、片っ端から、インターフォンを鳴らし、嬢を呼ぶと、あろうことか出てきた嬢を無視して立ち去っていたのだ。

彼らはこの行為を自分の好みの嬢がでてくるまで何度も繰り返していた。

「許せない。」

いくら彼女たちが仕事だからといって、「呼ばれたら無視」を何度も何度も繰り返されれば、傷つくに違いないし、

ただでさえ望まないセックスを強いられ、不満を感じている中での拒絶が彼女たちにどのような感情を与えるのかは想像に難くない。

自らの性的快楽にしか関心を持たないこれらの性客たちに僕は激しい憤りを覚えた。

同じ畑で働く者として、彼らの横暴に一石を投じなければならない。

僕は直前にNOを突きつけられた嬢と卓球をすることに決意した。

正直なところかなり緊張していた。

あたりには監視カメラが張り巡らされ、これらのカメラの映像は常に入り口付近で監視されていた。

卓球のラケットを片手に辺りをうろつく金髪男は明らかに要注意人物だ。嬢に卓球を求めた瞬間に恐ろしい奴らにつれていかれたらどうしようか。

でも僕にはこの「ピンポンマンション」を変えなければならない指命がある。

僕は意を決してインターフォンを鳴らした。

「ハロー」嬢の明るい声と共に僕は部屋の中へ入った。

中に入るとすぐに嬢が服を脱がせようとしたが、僕はラケットをみせて「私はあなたと卓球がしたい」と伝えた。

すると彼女はこの世で最も「素っ頓狂」という言葉がふさわしいと言えるほど「素っ頓狂」な顔で僕の方を見た。

彼女が精いっぱい振り絞った「なんでピンポンなの」という言葉に対し

僕は「日本ではここをピンポンマンションと呼んでいる。だから私はここでピンポンがしたい」と語った。

この言葉の意味がしっかり伝わるとは思っていなかったが、どうやら嬢はある程度納得したらしく、「本気?」と言いながらケラケラ笑っていた。

しかし僕はここで僕は大きな見落としがあることに気づいた。

「ピンポンマンション」の各個室は中にダブルベッドが置かれているだけの粗末な部屋だ。

僕はこのダブルベッドのベッド部分をとって残る土台をピンポン台にしようと考えていたのだが、

思いの外ここのダブルベッドはベッド部分が多く、また部屋も狭いのでベッド部分をとれそうにない。

参考画像

どうしようか。僕がとっさに思いついたのは

「エアピンポン」だった。

ピンポンを楽しみたいという気持ちさえあれば、台なんて必要ない。己の気持ちだけで勝負しろ。

僕はつたない英語で必死にこの「エアピンポン」のルールを説明した。

嬢も最初は全く分かっていないようだったが、「演技がうまいほうが勝ち」「あなたが勝ったらチップを渡す」と説明すると快く乗ってくれた。

こうして「ピンポンマンション」にて世にも奇妙な「エアピンポン」対決が始まった。

当初、嬢は慣れない「エアピンポン」に恥ずかしがっていたのか、なかなか良い演技をしてくれなかった。

そこで僕は彼女の緊張をほどくためにオーバーな動きと「チョレイ」を交えた激しい演技を披露した。

すると彼女も僕の動きに呼応してスマッシュを決めようとするなど激しい演技を見せ、試合は壮絶なラリーの打ち合いとなった。

長い激闘の末、最後は彼女の強烈なスマッシュが決まり、僕はあえなく敗れた。

彼女の素晴らしい演技に感動した僕は最初に話し通りに100香港ドル(1400円)を手渡した。

すぐに次の試合を始めようとすると、

嬢が「どうせあなたもSEXがしたいだけなんでしょ」と言いたげにベッドに座り込んだ。 

僕は彼女に全てを伝えなければならないと思った。

「The only thing I want to do is ping-pong ! 俺がしたいのは卓球だけだ。」

すると嬢は全てを理解してくれたかのように立ち上がり、「リアルピンポン!」と僕に語りかけた。

最初何を言ってるのかよくわからなかったが、どうやらノーバンで卓球のラリーがしたいとのことだった。

僕は彼女の飽くなき探求心に感銘を受け、この申し出を受け入れた。

最初はほとんどラリーが続かなかった。

無理もない。お互い卓球は素人で、部屋もとても狭い。

それでも僕らはラリーを続けよう試みた。

そして挑戦すること数回、

ラリーはついに10回を超えた。

僕らはその瞬間、自然に笑顔で溢れ、互いにハイタッチをして喜びを分かち合った。

おそらくその日、僕が彼女に触れたのはこのハイタッチだけだっただろう。

「嬢を気持ち良くさせるテクニック」なんてでたらめなことを言う奴がたまにいるが、

少なくとも「ピンポンマンション」のような性客の欲望を一方的に押しつけるSEXで嬢側の気分が良くなることはあり得ない。

ではどうすれば客側と嬢側の両方が気分良く時間を過ごすことができるだろうか?

その答えこそが そう 「ピンポン🏓」だ。

少なくとも僕は今回、新しい体験ができて気分が良いし、嬢は先ほど述べた通り、撮影に応じてくれるほど上機嫌だった。

ピンポン🏓は関わる人全てを笑顔にする。

だから僕はこの「ピンポンマンション」は男女がピンポン🏓をすることのできる場所に変えるべきだと思う。

それこそが「ピンポンマンション」のあるべき姿であると僕は思う。

「ゴーゴーバーに行く男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行く男は天へも昇る。」

「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる。」https://lifework-freedom.com/?p=5703

これは僕がタイにタイ在中、偶然見つけた某ブロガーの一言である。

この時まだ僕は彼がこの言葉を通じて伝えたかったことが何なのか知る由もなかった。

「風俗といったらパタヤだろ」

そんな性に飢えた超獣しゃおじょんの猿の一声によって、僕らはタイに到着後、すぐに首都バンコクから南へ160km離れたパタヤへ向かっていた。

僕もタイに来て初めて知ったのだが、

パタヤは多くの風俗店やナイトクラブが乱立し「アジア最大の歓楽街」「男の楽園」といった異名を持つ巨大都市ならしい。

そんな大歓楽街パタヤであるが、昼の街並みは静かな飲食店が数店営業している程度で、人も少なく至って普通だった。

「旅行サイトで騒ぎ立てられていた観光地が実際行ってみると、案外しょぼかった」なんてことはよくあることだし、

僕もこの時はパタヤもこのいわゆる「ガッカリ観光地」みたいなものだと考えていた。

しかし夜になると パタヤは姿を変えた。

街は人で溢れ、昼に閉まっていた店はネオンを照らし、店の前では際どい格好した女が、道行く全ての男たちに声をかけていた。

僕は完全にビビっていた。

僕にとっての歓楽街経験はせいぜい日本の歌舞伎町くらいだ。

歌舞伎町のキャッチは声はかけてくるものも、断ればすぐに諦める。

しかしパタヤのキャッチは違う。彼女たちは僕らが何度断っても、言葉が分からないふりをして食い下がり、しまいには無理やり腕をつかんで強引に店へ引きずり込もうとする。

恐ろしい。流石「アジア最大の歓楽街」と言われるだけはある。

今回は4人で旅行をしていたのだが、本ブログ初登場のずおたんこんりんもおおむね僕と同じような反応をしていた。

しかしそんな僕たちを尻目に1人先頭を切って歓楽街を突き進む男がいた。

しゃおじょんだ。

彼は予め有名なゴーゴーバー(持ち帰り可能なキャバクラ)を調べ、その情報を頭にいれ、普段は決して開くことのないGoogleマップを開き堂々と街を突き進んでいった。

その姿はまるで逃げ惑うヘブライ人奴隷を引き連れて海を渡った聖人モーセの様だった。

戸惑う僕らはこのモーセに引き連れられて、パタヤで一番有名なゴーゴーバーである「BAKARA」へ入った。

入った瞬間、いきなり衝撃の光景が目に飛び込んできた。

なんといきなり上半身を露出した嬢たちが、ステージで踊っていたのだ。

(写真撮影禁止だったので、店内イメージです。)

そしてすぐにボーイが僕たちの元に駆け寄り国籍を聞いてきた。

僕らが日本人であると答えると、奥の席に案内された。

席に座るとすぐに、日本語が話せるらしい嬢たちが僕らのもとにやって来て、飲み物を頼むようそそのかしてきた。

訳もわからず言われるがままに、飲み物を頼むとすぐに飲み物と共に大量の伝票が僕の目の前に置かれた。

この伝票は後に僕の気分を大いに憂鬱にさせた。

そして飲み物を頼むと、嬢との会話が始まった。

会話とはいっても「何歳?」「出身は?」「彼女はいる?」といった初歩的な問答ばかりで全く面白くない。

途中この流れを変えようと、僕は唐突に「自分はホモビデオに出たことがある」と語り、

その写真を見せたが、嬢はドン引きした様子を見せ、ますます会話は失くなり、しまいには「トイレに行く」といって帰ってこなくなってしまった。

ふと隣をみるとさっきあれほど勇敢な姿を見せたしゃおじょんが両脇に嬢を侍らせ、

鼻の穴を全開にして隣にいた ずおたんに何度も「4Pしよ 4Pしよ」と声を荒げていた。

今回のメンバーのうち、僕としゃおじょん以外の2人は彼女持ちだ。

元々 ゴーゴーバーに行くことですら渋がっていた彼らがそんな誘いに乗るはずがない。

しかしそんな彼らの気分などお構い無しに、しゃおじょんは嬢を両脇に抱え、4Pの交渉に励んでいた。

もはや彼はモーセでもなんでもない。

ただの性欲に支配された猿 「さるじょん」だ。https://bicinemas.com/

彼が交渉を行い、嬢と盛り上がるたびに、僕の目の前に伝票が刺されていく。

少し中身を見るとそこには恐ろしい金額が書かれていた。

ただでさえ友達のそういった姿に、気が滅入っているのに、後の精算まで意識させられ、僕の気持ちは完全に「限り無く漆黒に近いブルー」となっていた。

ずおたんこんりんも不貞行為をしてしまいそうになった葛藤からブルーな雰囲気を漂わせていた。

そんな僕たちを尻目にさるじょんは近くにいた別の日本人に声をかけ、「4P」交渉をまとめあげていた。

彼のあくなき「4P」への執念がこの結果を生んだのであろう。

こういう時の彼のコミュ力は凄まじい。 

性欲は本当に人を強くするのかもしれない。

こうして残されてしまった僕ら3人はもはや羽目を外す気分でもなくなってしまったので、法外な額を払い、店を出た。

街はまだ眠る気配もなく、相変わらずネオンとキャッチがきらめいていた。

しかし僕らはもはやそんな誘惑を目に留める余裕すらなく、鬱屈とした気分で帰路についていた。

「このまま終わっていいのか」

ふと僕の中にこんな感情が沸いてきた。

「おそらく一生に一度しか訪れることのないパタヤで嫌な思い出ばかり残して帰っていいのか」

「女でブルーになった気持ちは男でレインボーにしよう」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0_(LGBT)

僕はパタヤにゴーゴーバーの男版「ゴーゴーボーイズ」があるのを思い出した。

僕は2人に「ブルーな気持ちをレインボーにしようぜ」と言って、ゴーゴーボーイズに誘い出した。

こちらもゴーゴーバーと同じく、店に入るとすぐに支配人が寄ってきて、席に案内した後、僕らに男をあてがった。

(撮影NGだったのでイメージです。)

そして中央には写真のようなステージが置かれ、筋肉隆々とした男たちが並んでいた。

僕の元にはカンボジア出身の男がやって来た。彼はとても落ち着いた雰囲気で、僕のブルーだった気持ちを少しずつレインボーに近づけてくれた。

この時、僕は確実に自分がゲイへと傾きつつあるという事実を痛感した。

しばらく彼と話していると、何やら支配人が僕たちの方とステージを交互に指差している。

どうやら僕らにステージへ上がって欲しいとのことだ。

しかしもちろん客は僕たちだけではないし、僕たちは踊りの経験も屈強な筋肉もない。

ただ僕はこの時、漆黒のブルーへ変わった気持ちをレインボーにするためにはこのステージに上がるしかないと思った。

もう迷いはない。

僕たちは意を決して、ステージへ上がろうとした。

すると今度は支配人が「ステージに上がるなら服を脱げ」と言わんばかりに、僕たちの服を指差した。

もうどうにでもなれ。

僕はステージにいる男たちと同じように、パンツ一丁になった。

同じくステージに上がったこんりんも服を脱いでいた。

「何を踊ろうか。」

店には大音量のクラブミュージックがかかっていた。

クラブミュージック…台湾!

僕は台湾でふくよかな白人女性と踊った、「お尻を突き出して振り続ける」という謎のダンスを思い出した。

僕はすぐさまこんりんと共に客席へ向かってお尻を振り始めた。

すると客席は大いに盛り上がり、味をしめた支配人は僕にパンツを脱ぐように指示した。

もはや恥なんてものはない。

僕は指示通りにパンツを半分脱ぎ、自慢のお尻を見せつけた。

会場はその日一番の盛り上がりを見せ、ステージにいた男たちもケラケラ笑っていた。

僕は台湾でこの踊りをした後、とてもブルーな気持ちになっていた。

そんな踊りが2ヶ月後、タイで大いに役立つとは当時 夢にも思わなかった。

明らかに点と点が結ばれた瞬間だった。

僕はこの時、自分の気持ちが完全にレインボーになったのを確信した。

本当は動画があれば良かったのだが、唯一ステージに上がらなかったずおたんが動画を撮ろうとしたところ、注意されてしまったらしい。

締めるべきところは締める。

尻の締まりを重視するゲイらしい対応だ。

同じくゴーゴーボーイズに訪れたこんりんずおたんも僕と同じようにレインボーな気持ちになっているようだった。

しかもこれだけ僕たちをレインボーにさせてくれたのにも関わらず、ゴーゴーボーイズの値段はゴーゴーバーの時の半分以下。

本当に天へも昇れるような気分だった。

僕は今後、パタヤでおすすめのスポットを聞かれたら迷わずこのゴーゴーボーイズを答えるだろう。

聞くところによると、ゴーゴーバーの女を持ち帰ったさるじょんは4Pが出来なかったあげく、法外な額を請求され、さらには謎の病気によって以後2日間、腹を壊したらしい。

やはり冒頭にあった「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる」という言葉は正しかったようだ。

しかし僕は今回この言葉に少し書き加えたい。

「ゴーゴーバーに行くような男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行くような男は天へも昇る。」

オシリアに気をつけろ

知っている人もいるかもしれないが、僕は最近必然の出会いをきっかけにお尻を酷使している。

僕の尻を求め世界中からやってきた猛者たちの要求に応えようと日夜フル開閉した僕のお尻は限界を超え、焼き付くような痒みを発生させるようになった。

僕は悩んだ。

一度踏み外してしまった道からもとの道へもどろうか。

しかしいまここで僕が第二線を退いてしまったら、僕の尻を求め集まってきた豪傑たちはどうなってしまうのか。

もしも彼らが処理しきれなかった自らの欲望を破壊衝動へと変え、店を破壊し、街に火をつけ、男を貪るといった具合でこの街の全てを壊してしまったら…

僕はどう責任をとればいいのか。

いま世界の命運は僕の尻にかかっているといっても過言ではない。

となれば答えはひとつ

「今後も戦い続ける」

僕はこの世界を陰から支えるために戦士の持病ともいえる痒みと向き合い続けるしかないのだ。

どのようにして痒みと向き合えばよいのか。

ひたすら我慢することができれば話は簡単だ。しかし尻に生じる「痒み」というのは虫刺されで発生するようなそんじょそこらの痒みとはわけが違う。

普段は意識していても、就寝中やトイレ後に無意識のうちに手が伸びてしまう。

一度掻いてしまったら最後、この「痒み」たちは永い眠りから覚め、尻という名の楽園を謳歌するかの如く思う存分に暴れ回り、僕の尻を破壊していく。

この「痒み」をどのようにして対処しようか。僕は来る日も来る日も頭を悩ませた。するとある日、興味深いCMが僕の目に飛び込んできた。


「お尻の悩みにオシリア♪」


そのCMは「お尻」という放送コードギリギリの内容をポップなミュージックとキャッチーなイラストでまるで高級な香水でも扱っているのではないかと感じさせるCMを繰り広げていた。

僕はこのたった15秒間のCMに魅了された。

この世には自分と同じようなお尻への悩みを持った人がいる。そしてそうした悩みをもった人々を明るく助けてくれる社会がある。

この世界もまだまだ捨てたものじゃない。僕にはこの素晴らしい社会を支える義務がある。

僕はこのCMを観た次の日に迷わずドラックストアに向かい、世紀の秘薬「オシリア」を購入した。

高揚した。

なにせ幾度となく人々の尻を救って来た秘薬「オシリア」を手に入れたのだから。

もちろんその日もいつものように「痒み」が僕のお尻を襲った。

しかし今日は「オシリア」がある。

今日さえ我慢すれば、「オシリア」が全てを解放してくれる。

僕は頭の中で「オシリア」「オシリア」と何度も唱えて、必死に「痒み」をこらえた。

こうして「痒み」をこらえ帰路についた僕は、家に着くとすぐにお尻を出した。

「ついに解放される」

思えば長い戦いだった。これまでの人生でこんなにお尻について深く考えたことはなかっただろう。

僕は満を持して慎重にバッグから「オシリア」を取り出し、ゆっくりとお尻に塗りたくった。

「痛い!」「痛い!」

なんだこの痛みは!?

「オシリア」を塗った瞬間、

地獄の業火が宿ったかのような強烈な痛みが僕のお尻を襲った。

僕の安易な「オシリア」の使用が「痒み」たちの逆鱗に触れたのだ。

自らのプライドを刺激された「痒み」たちは次々と痛みの業火に姿を変え、僕のお尻を焼き付くした。

「オシリア」は秘薬ではなかった。

皆さんに1つだけ伝えたいのは、

決して安易な気持ちで「痒み」を刺激してはならないということだ。

「痒み」たちは己の痒生をかけて痒みを作り出している。

彼らの気概に答えるためには、僕たちも「オシリア」などという姑息な手に頼ることなく人生をかけて彼らに向かい合わなければならないのだ。

「痒み」と僕の戦いはこの先も終わりを見ることはないだろう。

to be continued…