僕がブログを始めてから早くも半年がたとうとしている。
もとはしゃおじょんの有無を言わせぬ
激しくブログ開設強要からの解放を目指して
一過性のネタで始めたブログだったのだが、
今や記事数は94個に達し、
すっかり僕の生き甲斐の一つとなってしまった。
彼の強要もたまには正しいこともあるので、
まだまだ捨てたもんじゃない。
なぜ急にブログを閉鎖するかのような感傷に
浸っているのかというと、
先日3週間にわたる長い研修が終わり、
少し暇になったので、自分の記事を時系列で見ていると、
内容だけでなく、言葉遣いや文体が
当時の風潮に合わせて大きく変わっていて、
まるで別の自分が何人もいるような
不思議な感覚に襲われたからだ。
今回はその内のいくつかを紹介したいと思う。
まずはブログを始めた当初の記事から振り返ってみよう。
2018年10月7日 「自給自足にまつわるエトセトラ」
2018年10月27日 「足を使わない移動法にまつわるエトセトラ」
当時はブログ=youtubeの文章版と考えている節が強かったので、
上記のような他人がやらないことをやるという
「企画モノ」の記事が大部分を占めている。
この「企画モノ」自体は今もブログ内容の
中核を担っている。
「意味不明な奴でありたい」というタイトルを掲げておきながら、
実はブログのコンセプトは一貫しているという
恥ずかしい事実が浮かび上がってしまった。
しかしブログ始めて1ヶ月がたつと、
「企画モノ」以外のブログが登場するようになる。
11月18日 「~常識を疑え~ 飲み会に酒は必要か」
11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか 」
「企画モノ」がある程度ネタ切れになってきた時に登場したのが
自らの考えを激しい口調で吐き出した
いわゆる「思想モノ」である。
当日は禁酒会の設立や、
ブログを始めて以降 いくつか不当な扱いを受けたこともあり、
社会全体に対して強い不満が溜まっていた。
そういった背景とブログという
自分の好きなことを好きなだけ書けるという背景が相まって、
今では考えられないほど、
過激な口調で自らの思想をぶつけることが多くあった。
「最近の若者は自己中とか言ってる暇があったらあんたも自己中になればいいでしょ。」(11月25日 「~常識を疑え~ 我慢することが大人なのか」より)
正直このブログの中で、
後々読んで一番恥ずかしいのはこの辺りの記事だろう。
いったい当時は何にそんなにイライラしてたのだろうか?
これだけははっきり言える。
今 同じような記事を書けと言われたら
絶対無理だ。
今思えば 当時の社会を変えたいとう謎の熱意は
明らかに異常だった。
何かテロでも起こしそうなほどだったと思う。
ただ当時は今よりも更新頻度は速かったので、
この熱意は一概に否定できないのがまた難しい。
このように主に当時は「企画モノ」と「思想モノ」を分けて書いていることが多かったのだが、
徐々にその境界が曖昧になっていく。
理由は一つ コスプレの登場だ。
12月4日 「ニンゲンコワイ」
1月15日 「成人の誓い」
11月の中旬辺りからコスプレ通学を始めて以降、
学校に行っている間はネタに困ることはなくなった。
また「思想モノ」を書き始めてから
自分の考えをブログに書くことにあまり抵抗を持たなくなったので、
「成人の誓い」 のようなコスプレに絡めて
自分の考えを書く流れが定着した。
時に 「今日のコーデ」 のような
手抜き記事を作ることもあったが、
基本的にはコスプレという企画に
思想を混ぜる「企画モノ」×「思想モノ」の記事を多く書いていた。
大学が休みに突入し、
コスプレをあまりしなくなった今でも、
企画内容をコスプレから旅や風俗に変え、
「企画モノ」×「思想モノ」の記事を書き続けている。
1月26日 「人妻パラダイス」
こうして自分のブログを振り返ってみると、
様々な発見がある。
もちろん内容以外にも
初期の文章はほとんど改行をしてないので、
読みにくかったり、誤字も多いといった
文章面の違いもあった。
さてこの先
僕のブログはどのような変化を遂げていくのだろうか?
これまで通り「企画モノ」×「思想モノ」の流れに落ち着くのか
はたまた新しい流れが出来上がるのか。
こればっかりは僕にも全くわからない。
だからブログは面白いんだ。