「コスプレ」カテゴリーアーカイブ

強さが全て

力士へのリスペクトは半端ない。

世間では力士のことを敬意をこめて、

お相撲さんと呼ぶ。

冷静に考えるとこれはすごいことだと

僕は思う。

力士と同じアスリートである

プロ野球選手やプロサッカー選手のことを、

敬意をこめて、お野球さん おサッカーさんと呼ぶ奴はいない。

つまり アスリートの中で常に「さん」づけされるほど

リスペクトされているのは力士だけなのだ。

電車内では目の前に座った人から逃げられ、

キャンパス内では常に笑いと軽蔑の的となるなど

全くリスペクトされる気配のない僕は

世間から尊敬を集める力士の格好をして

リスペクトをかき集めようと考え、

虎視眈々と力士になるタイミングを待っていた。

そしてついにその瞬間がやってきた。

12月20日

この日は日本で初めて2mと200kgを同時に越えた

名力士 出羽ヶ嶽文治郎の誕生日である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%BE%BD%E3%83%B6%E5%B6%BD%E6%96%87%E6%B2%BB%E9%83%8E

彼は 「ぶんちゃん」の愛称で世間から、

とても慕われていたという。

保育園時代以来14年ぶりに「りくちゃん」と

呼ばれる可能性にワクワクした僕は

「ぶんちゃん」の人気にあやかることにした。

こうして12月20日 僕は力士への転身を決めた。

しかし待っていたのは過酷な現実だった。

力士の基本であるすり足で移動しても、

キャンパス内でパンチバックを置き、

けいこをしても、

みんな僕に敬意を示すことはなく、

お相撲さんが大好きなはずの小さな子供たちですら

「でぶっちょ」という辛辣な言葉をかけた。

なぜ僕には敬意を示す者がいないのか、

僕はもう一度出羽ヶ嶽文治郎のwikiを見て、

彼の人気の秘訣を探ろうとした。

すると彼も人気があったのは、

強かった時代だけで、

弱くなった晩年は哀れみや嘲笑を受けていたとそうだ。

つまり力士=リスペクトされるのではなく、

強い力士がリスペクトされるのである。

この点でいえば、

僕のような見せかけの力士がリスペクトされるはずがない。

本当にリスペクトされたいのであれば、

過酷な鍛練に耐え、圧倒的な肉体と強さを

兼ね備えた力士にならなければならないのである。

改めてこの世界における「強さ」の重要性を

深く感じた力士転身企画であった。

ラッキーカラーを信じようぜ

ラッキーカラー

僕は確信している。

こいつを信じてる奴は世界に一人もいないと。

理由は簡単だ。

ラッキーカラーは毎日一色なはずなのに、

服装を毎日ラッキーカラーの

一色で固めている奴がいないからだ。

本当にラッキーになりたいなら、

ラッキーカラーに染まらなきゃ

ラッキーになれないだろ。

ラッキーカラーを信じてる者がいないということは

宝くじのキャリーオーバーように

今 ラッキーカラーを信じれば、

これまでラッキーカラーが貯めてきた運を

全て手に入れることができるのではないか?

12月18日のラッキーカラーは青紫色https://luckycolor7.web.fc2.com/12lc/18lc.html

僕は真のラッキーボーイになるために、

全身を青に染めた。

正直怖かった。

ラッキーカラーという概念が登場して以来

たまり続けていた運が解放されるのだ。

僕の🏘️から石油が出たり、

急に全世界の領土が日本のものとなるぐらいの

天変地異級の幸運がやってくるのではないか。

ただ現実は厳しかった。

天変地異級の幸運はおろか、

日常級の幸運も起きず、

むしろ 高田馬場駅のロータリーで

鍋をしていると警察を呼ばれたり、

同じくロータリーでアル中に

胸ぐらを捕まれ乱闘に巻き込まれ

といった不運が次々と訪れた。

しかし 12月18日がつまらなかったかと

言われれば間違いなくNOだ。

鍋はとても盛り上がったし、

アル中との乱闘も楽しかった。

僕はこれまで不運=つまらないと考えていた。

不運は考えようによってはとても楽しいネタになるし、

世間では基本的に

幸運=楽しいという価値観が

広がっていることを考えると、

幸運=楽しい=不運 

不運=幸運という衝撃の図式が成り立つ。

僕がこの図式を見て感じたのは

この世界には元々幸運も不運も存在しないのではないか?

考え方次第で幸運も不運になるし、

不運も幸運になる。

結局 運は個人の考え方次第だし、

考え方次第ではラッキーカラーの

幸運率を100%にもできる。

僕はラッキーカラーの幸運率は100%だとは思わないが、

ラッキーカラーを信じれば、

少なくとも楽しい生活は送れると感じた。

だからみんなもっとラッキーカラーを信じようぜ。 /p>

一発屋はすごい

「一発屋」

どうも世間ではこの言葉が

すごく否定的な意味で使われることが多いと僕は感じる。

確かにずっとずば抜けた結果を残し続ける人はすごい。

しかしこの世界の人間はたいてい

何の結果も残すことなく死んでいくことを考慮すれば、

一回でもずば抜けた結果を出した

「一発屋」もすごいのではないか?

世間に何の爪痕も残していない人間が

一度でもずば抜けた結果を残した人間を

バカにするのは間違っていると思う。

一発屋だってその一発を当てるために、

途方もない努力をしているのだ。

例えば10年前にハードゲイキャラで、

一世を風靡したレイザーラモンHGは、

裸で登場することが多いため、

週に5回の筋トレをして肉体を鍛え上げている。

経験者なら分かると思うが、

週5回の筋トレは想像以上に過酷だ。

それも彼の筋トレメニューは

プロのボディービルダーも舌を巻くほど過酷なのだ。

また 彼はハードゲイキャラを作るために

肉体だけでなく、実際に新宿二丁目のバーで

ボウイを勤め、本物のゲイに近づこうと奮闘していた。

彼が一発を当てた背景には

これほどまでの努力が隠されていたのだ。

そんな彼も12/18に43歳の誕生日を迎えた。

この世界で一発を当て、

今も奮闘を続ける彼を祝うために僕は

彼の原点であるレイザーラモンHGの格好をすることにした。

彼は近年このハードゲイキャラの封印を強いられている。

言い換えれば、彼の名セリフでもある「フォー」を

彼は叫べていないのだ。

常に叫び続けていた人間が

急に叫ぶなと言われた時のストレスは計り知れない。

僕は自分に彼の叫びを代弁する義務があるのではないかと感じたので、

至るところで叫んだ。

キャンパスの門、喫煙所、バイトの休憩室、

西早稲田駅、横浜駅、

そして講義中の教室。

もちろん教授は 「授業の邪魔をするな」

と怒った。

僕はすぐにその場で謝った。

そして授業後にももう一度謝った。

しかし教授が怒っていたのは、

単に授業を邪魔されただけではなかった。

教授はこう語った

「注意されたからってすぐに謝ってはいけない。     どうせなら最後までやりきれ。

HGのネタはセイセイセイで始まって

バッチ来いで終わるんだ。フォーだけじゃないんだ。」

僕ははっとした。

レイザーラモンHGが叫びたかったのはフォーだけではない。

彼が叫びたかったのは

自分の人生をかけたネタ全てだ。

僕は代弁者を気取っていながら、

大きな見落としをしていた。

彼の人生をかけた一発を代弁するからには、

社会の目など気にしている場合ではない。

僕もまた人生をかけなければならないのだ。

レイザーラモンHGの

強い思いを感じた1日だった。

セイセイセイ フォー!! バッチ来い

メロンとスイカとレモン

気づいたときにはもう

街からスイカが消えていた

僕は本日12/13がビタミンの日であることを知った。

ビタミンとくだものは同じ4文字

という安直な発想で僕は

果物の王様ドリアンと同じ

果物というカテゴリーに所属する

スイカのコスプレをすることにした。

そして前日の記事の予告通り

意味不明な奴であり続けるために、

何か果物を配ろうと考えていた。

ここでもまた安直に

スイカの格好をしているのだから、

スイカを配ろうと思って、

果物専門店に向かった。

しかしそこには衝撃の光景が広がっていた。

スイカがない

代わりにあったのはスイカと同じ瓜友達の

メロンだった。

それも奴らは自らの果物界での権力を示すかのように

店の一番上に掲げられていた。

なぜスイカではなくメロンなのか

思えば英語でスイカはウォーターメロンだ。

水っぽいメロン?

同じ瓜友達のはずなのに、

スイカとメロンでは

扱いに差がありすぎるのではないか。

僕は果物屋からも見捨てられたスイカのこと

を思うといたたまれなくなり、

なんとしてもスイカを見つけようと

ありとあらゆるスーパーを訪れた。

しかしスーパーにはスイカはおろかメロンすら

置かれていなかった。

見捨てられていたのはスイカだけでは

なかったのだ。

メロンもまた果物業界から

追放される寸前にあったのだ。

果物屋で高い場所に掲げられていたのは、

権威があるからではなくて、

人気がないから、客の手が届きにくい場所に

追いやられていたからなのだろう。

僕はこの瓜科たちの哀れな境遇を

変えるため

せめて1個3000円のメロンを配ろうと考えた。

しかしメロンの上に不吉な文字があるのを発見した。

「マスク」

以前僕は宇宙人マスクをつけて

登校した際に

キャンパスの守衛から

「マスク」のキャンパス内への持ち込みは

禁止であると伝えられた。

この理論でいくとマスクメロンを持ち込んだ

際にも同じ対応をされることが予想できる。

あの守衛にマスクメロンを

没収されるのはしゃくなので

僕はマスクメロンを諦めた。

しかし前日の予告を裏切らないようにするために、

何とかしてメロンかスイカを調達しなければならない。

有言不実行は人間界を追放される可能性のある大罪だ。

焦った僕はメロンとスイカが無いことを

薄々気づきながらも、

大学付近のマイバスケットに入った。

僕は目を疑った。

なんとそこにはメロンが売っていたのだ。

それも1個100円という破格。

やや小ぶりで黄色いところが少し気になったが、

そういう品種もあるのだろう。

僕は迷わずメロンを購入し、

意気揚々と10分ほど遅刻した授業に乗り込んだ。

まあメロンをあげれば、遅刻なんて

すぐにチャラになるだろう

僕は教授に 「遅れてすいません。お詫びにメロンをどうぞ」と言った。

すると教授は衝撃の一言を言った。

「これはレモンです。」



うんこが汚いわけないだろ

うんこ=汚物

世界はこの風潮で溢れている。

「うんこは臭くて汚い」

「食事中にうんこの話をするな」

などうんこへのヘイトは尽きることがない。

確かに人間は鼻水や汗といった、自分から排出されたものを

汚いと感じることが多い。うんこもその一例だ

しかし汗たちとうんこの間には決定的な扱いの違いが存在する。

「食事中にうんこの話をするな」という意見はあるが、

「食事中に汗の話をするな」という話は聞いたことがないし、

むしろ汗をだらだら流すスポーツ選手を観ながら、食事をする者もいる。

なぜうんこはここまで嫌われているのだろうか。

一度考えてみてほしい。

元々うんこは自分の体の中にあった。

つまり排便前、僕たちはうんこと一体化していたのである。

うんこをイメージした時、多くは排出後の姿を想像するだろう。

排便前のうんこを「臭い」「汚い」と罵倒する者はいない。

自分と一体化するほどの仲であったうんこを

自分の都合で排出したあげく、

汚物の象徴として扱うのは、あまりにも酷すぎるのではないだろうか。

他方 この「うんこ」という単語は、

うんこドリルが小学生の間で爆発的な人気を獲得していることも考慮すると、

小学生の中では屈指の人気ワードである。

自分たちの小学生時代を思い出してほしい。

当時は「うんこ」という単語が飛び交う度に笑いが起きていた。

いま大学で「うんこ」「うんこ」と言っていれば、すぐに狂人扱いを受けるだろう。

大学生と小学生を単に比較することはできないが、

小学生のような単純なことで

単純に笑える世界もアリではないかと僕は思う。

何でもかんでも「くだらない」「幼稚だ」

って言ってたら自分の行動をどんどん狭めてしまう。

話が少しそれたが、

「うんこ」とは人を笑顔にする役割も

持ったハイテクなうんこなのである。

僕はいつか皆が再び「うんこ」の機能性に気づき、

「うんこ」が褒め言葉に使われる世界になることを願う。 /p>

ニンゲン コワイ

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命日のありかたについて考える

命日

存命中の人間にスポットライトが当たることの多いこの世の中で

死亡者が注目される数少ない1日である。

もちろん僕らの社会の中でも一周忌といった死亡者を悼む行事はあるが、

僕はこの行事が親戚たちが酒を飲んで騒ぐだけになっている気がしてならない。

もちろん故人は残った人が楽しんでいる姿がみたいと思っているから

親戚同士で酒を飲んで楽しむという考えは一理あるが、

僕はそれだけではなく故人の生前の業績に目を向け

それに敬意を表するような悼み方があっても良いと思う。

11月30日は水木しげる氏の命日だ。

僕の小学生時代の楽しみは

日曜日の朝にゲゲゲの鬼太郎を観ることだった。

水木氏に何としても敬意を示さなければならない。 

そうだ。

僕にしかできない方法で敬意を示そう。 

目玉おやじの人気は凄まじかった。

道行く人は歩いているだけの僕に

笑顔で写真撮影を求め、   

子供たちは「目玉おやじだ!」と言って笑顔で手を振った。

果たして私服の僕にこのような反応をする者がいるだろうか?  

全ては目玉おやじの圧倒的な知名度と人気あってこそである。

死後なお

皆を笑顔にする

キャラクターを産み出した水木氏の業績は計り知れない。

僕は漫画家ではないので、

こうしたキャラクターを作ることはできないが、

僕が死んだ後に皆が

「アイツは頭おかしかった」なんて言いながら

僕の話で盛り上がって笑顔になるような人生を送っていきたい。

肉が好きなら肉になれ

#肉好き #肉食女子 #肉食系 #肉好きとつながりたい。

以上の#からも分かるようにこの世には多くの肉好きが存在する。

僕も週に1度は必ず肉を食べるぐらい無類の好きである。

しかし僕は肉好きたちに対して疑問を抱いていた。

有名アーティストのライブでは

ファンたちが好きすぎるがあまり

そのアーティストの格好をしていることがよくある。

一方肉の格好をしている肉好きはこれまでみたことがない。

前者の例から真の肉好きは

肉の格好をしていてもおかしくないのである。

本日 11月29日は年に一度のいい肉の日だ。

晴れ舞台という意味で

肉にとっていい肉の日は

アーティストにとってのライブと

同じくらい重要な1日である。

そんな大切な日に肉への愛を伝えないでどうするんだ。

肉への愛を伝えるには肉になるしかない。

こうして僕の歩く肉片生活が始まった

当初 普段食べてる肉が急に歩き出したことによって

民衆の不安を煽り

反肉デモが乱発してしまうのではないかと危惧していたが、

そんな不安は肉の圧倒的な人気の前では杞憂でしかなかった。

普段美味しく頂いている肉への感謝からか

道行く者の多くは手を振ってくれた。

一部怪訝な視線を送ってくる者もいたが、

彼らはベジタリアンなのだろう。

食の多様性を認めることも肉好きには必要だ。

インスタグラムにいい肉の日だから

肉を食べたという投稿がいくつかあったが、

食べて祝うとは恐ろしい発想である。

肉は食べたらなくなってしまう。

まるで肉がその場からいなくなったことを

祝っているかのようではないか。

友達の誕生日で

そいつを食べて祝う文化があったら恐ろし過ぎるだろ。

そういう意味ではいい肉の日を祝いたいなら、

肉になるのが一番だと思う。

これから肉好きを名乗るものは

食べたくなるほど肉が好きなのか、

なりたくなるほど肉が好きなのか

詳しく教えてほしい。

もちろん僕は後者しか認めないが。 /p>

見習うべき体毛のしぶとさ

今日は中文(文学部文学科中国語中国文学コース)の日だった。

なぜなら今日は秋クォーターの演習が終わり、

冬クォーターの演習が始まる日だったからだ。

僕はこの記念すべき日を祝う気持ちを体全体で表現するために

全身中文化に挑戦することにした。

中文マスク 中文Tシャツ 中文ホットパンツと

簡単に全身コスプレができあがった。

/p>

そして僕は日課である撮影を行おうとした。

その時だった。

足中にこびりついた黒いモジャが僕の目に飛び込んできた。

正義を貫く中文が黒く染まってはいけない。

このモジャは明らかに不要だ。

幸いにも僕は除モジャクリームを持っていた。

早速足に除モジャをぶちまけると、

僕の見た目が悪いというなんとも自己中な行動に対して

モジャ達は嫌われてでも生え続けたいという自己中で対抗した。

これだ。僕の求めている世界は。

互いに自己中をぶつけ合う。

しかし今回は負ける訳にはいかない。

僕はありったけの除モジャクリームを塗りたくった。

それでもモジャたちはしぶとく粘り続け

授業が迫った僕は一部のモジャを残し、

撤退を余儀なくされた。

モジャの自己中が僕の自己中を上回ったのだ。!–

どれだけ嫌われようが、

生え続けるモジャ達の精神力は凄まじい。

先日も語ったが、諦めること=大人になることのような風潮が強すぎると僕は思う。

この世に除モジャクリームや様々な除モジャ法があることを

見れば分かるように本気で自己中を通し続ければ、

勝手に社会が合わせてくれるのだ。

強い精神力で自らの自己中を押し通したモジャは本当に賢い。

僕らはただモジャ達を剃るだけでなく、モジャ達から多くのことを学ばないといけないと思う。

今日は何の日?

みなさんは本日11月22日が何の日か知っていますか?

いい夫婦の日と答えたそこのあなた!

そんな常識的な答えでは一生独身確定です。

本日11月22日はボタンの日なのです。

なぜボタンの日なのかって?

日本釦協会・全国ボタン工業連合会等が1987(昭和62)年に制定。

1870(明治3)年のこの日、金地に桜と錨の模様の国産のボタンが海軍の制服に採用された。

http://www.nnh.to/11/22.html

とのこと

ちなみにいい夫婦の日の制定は1988年のため、

ボタンの日のほうが長い歴史があるのだ!

いい夫婦の日を祝うためレンタル彼女を雇って夫婦になりきろうとしていた僕だったが

ボタンの日が持つ歴史に衝撃を受け急遽ボタンになりきることに決めた。

早速この格好で大学に乗り込むと、毎日私服コスプレ勢がこう聞いてきた。

今日は何のコスプレ?

ここですぐに答えを出すのは無粋なので

僕は 今日は何の日か? という最大のヒントを与える。

すると奴らはあろうことか夫婦の日と答えた。

ありえない。

独身のお前らに夫婦なんて関係ないだろ。

それよりも毎日寄り添ってるものがあるだろ。

ボタンのことを忘れるべからず。

僕はいつか11月22日がボタンの日ということが世間に認知され

皆がそれぞれ自分が思うボタンのコスプレをして街を歩きボタンに感謝するという日になったら素敵だと思う。

来年の今ごろは留学先の北京でボタンになりきろう。

いつかボタンの日が革命を起こすことを信じて