「コスプレ」カテゴリーアーカイブ

おれ アルパカです。

ヤギ。

アルパカ。

写真で見ればこの2匹の違いは一目瞭然だ。

しかし僕は今日衝撃の現実を目の当たりにした。



話は先週にさかのぼる。

僕はいつものようにコスプレを探すために

アマゾンを徘徊していた。

最近は日付に合わせてコスプレをすることが多く、

コスプレの自由な格好をするという

本来の目的が失われかけていたので、

僕はもう一度初心に帰り、

パッと見で笑えるコスプレを探していた。

探し始めること数分。

出会ってしまった。

この面白さのあまり恐怖すら感じそうになるコスプレに。

僕はこいつを見つけた瞬間、

しばらく笑いが止まらなかった。

これを着けて登校すれば、爆笑間違いなしだ。

そして今日ついにこのアルパカマスクを

かぶる日がやってきた。



以前使った白装束を見にまとい、

みんなの爆笑する絵を想像しながら、

いつものようにマスクをかぶり外に出た。

「前が見えない。」

以前牛のマスクを被ったこともあったが、

今回はそれ以上に見えない。

僕が視界不良で車に轢き殺され、

「アルパカ注意」なんて看板ができるのは

来世で本家アルパカになにをされるか分からないので、

僕はさかなくんの要領で頭にアルパカを載せた。

しかし今度はアルパカの顔が上を向きすぎて、

何を載せているのか分からず、

せっかくの面白さが伝わらない。

視界をとるか、面白さをとるか、

僕の答えはもちろん一つ。



面白さだ。

目の前からアルパカが歩いてきたら、

無意識に道を譲るに違いない。

こうして僕はいつものようにマスクを被り、

所属する中国文学コースの演習へ向かった。

待っていたのは想像を絶する冷遇だった。

「怖い」「面白くはない」 

そしてあげくの果てには

「その格好はヤギ?」

なぜお前たちは日本人と韓国人を見分けることができるのに、

こんなにも分かりやすいヤギとアルパカを

見分けることができないのか?

そんな見る目のないお前らに言いたい。

「おれ、アルパカです。」



人生を左右する生物学の素養

114年前の今日 ある生命体が地球上から消えた。

その生命体の名はニホンオオカミ。

太古の昔から猟犬として

日本人と共に生活してきた。

しかし近世に入りニホンオオカミの間で

狂犬病が流行すると駆除が進み、

急激に数を減らしていった。

そんな人間の身勝手なふるまいに

振り回され続けたニホンオオカミの境遇を知り、

僕は深い同情を感じた。



近年になってようやく

絶滅危惧種への保護運動が盛んになってきたが、

こうした風潮が生まれる前にこの世から姿を消した

ニホンオオカミの無念は計り知れない。

彼らだってもっと自由に世界を動き回りたかったはずである。

僕がニホンオオカミたちの無念を晴らそう。

こうして僕はニホンオオカミへの突然変異を決めた。

114年前の彼らの無念を晴らすために、

僕は 学校 電車 ファミレス カラオケ と

ありとあらゆる場所に行き

ニホンオオカミとしてこの世を満喫した。



すると1人の男が僕に声をかけてきた。

「牛込警察署の者です。」

僕はすっかり自分が114年ぶりに現れた

ニホンオオカミであることをすっかり忘れていた。

絶滅したとされる生き物が突然目の前に現れたら

国家権力たちは保護という名目で

監禁しようとするに違いない。

僕は慎重にやつの質問に答えていった。

途中「家からこの格好なの?」という意味不明な質問もあったが、

「当たり前です。」と言ってなんとか尋問を乗り切った。



しかし尋問を乗り越えたことに安堵する反面、

これほど簡単にニホンオオカミを手放してしまって

いいのだろうかという疑問を抱いた。

僕はもう一度鏡で自分の姿をじっと見つめ直した。

気づいてしまった。

僕の容姿はニホンオオカミではない。

ハイイロオオカミだ。

ハイイロオオカミは世界各地に存在している。

つまり今日僕はただハイイロオオカミとして

街で暴れていただけだったのだ。

国家権力も保護目的で近づいてきていたのではなく

僕が殺処分候補に名乗りを挙げていたからなのだろう。

典型的な文系学生である僕の

生物学への知識不足が露呈してしまった

オオカミ生活だった。

まあいいやの精神

昨日1月17日は防災とボランティアの日だった。

僕はボランティア=自衛隊という

安直な思考を持っていたため、

以前からこの日に自衛隊のコスプレをしようと決めていた。

しかし当日になると前日の禁酒祭での疲れから

完全に燃え尽きてしまい家から出る気力を失ってしまった。



思えば1週間ほとんどを

授業が終わるとすぐに直帰か

バイトで過ごしていた1年生の頃に比べて

最近は毎日のように禁酒会で企画をやり、

そうでない日は新しく始めたバイトで

帰りは夜の1時と明らかに飛ばし過ぎていた。

元々僕は予定がなければ

1週間ぐらい平気で家からでない引きこもりなのに

これは少々やりすぎだ。

そこで僕は1日自主全休をして、

次の日に自衛隊コスプレをすることにした。



しかし今日は防災とボランティアの日ではないので、

自衛隊のコスプレは意味をなさず、

僕の服装に疑問を抱く者を

納得させることができない。

このままでは彼らは一生、

今日の僕の服装に疑問を抱きながら死んでいくだろう。

僕のコスプレで不幸になる人を作ってはいけない。

なんとしても僕は

自衛隊のコスプレをした理由を

作らなければならない。



今日は1月18日。

1月18日?

ひらめいた!

まあいいや(118)の日だ!

「本当は昨日が防災とボランティアの日だったんだけど

今日は1月18日だからまあいいやの精神で自衛隊の服着てきた。」

完璧な理屈だ。

これで僕の服装に疑問を抱いたまま

死んでいく人の命を救うことができる。

まあいいやの精神は偉大だ。

こうして理論を固めた僕は意気揚々と

キャンパス内に乗り込んだ。

キャンパスでは禁酒会と同じタイミングで発足し、

早稲田大学内で勢いに乗っている情熱プロジェクト

書き初め大会を行っていた。

僕は禁酒会の代表として禁酒の精神を広げるために、

「禁酒」という二文字を書き上げた。

彼らは僕が毎日コスプレをしているのを知っていたので

お約束のようにまた「今日は何で自衛隊なんですか?」と

コスプレの理由を聞いてきた。

待ってました。

僕は心のなかでガッツポーズをして、

自信満々に先ほどの理屈を述べた。

するとどうだろう。

理屈は全く伝わらず、

彼らはただただ呆気にとられていた。

今回の理屈はこじつけが過ぎていたようだ。

この寒いなか活動している彼らに対して

さらに寒い理屈をぶつけてしまい大変申し訳ないと思っている。

でも僕は最後にこう言いたい。

「まあいいや」



コスプレコレクション 2018

僕がコスプレを始めてから昨日で2ヶ月がたった。

僕は毎日コスプレをすると決意してから、

さまざまコスプレに挑戦してきた。

ブログでは紹介できていないコスプレもいくつかあるので

今日はまとめて紹介しよう。



コスプレコレクション スタート!

① 石油王 11月14日 「~常識を疑え~ハロウィンだけがコスプレなのか」

② カオナシ 11月15日 「今日のコーデ」

③ バナナ 11月17日 「ばなな」

④ パナウェーブ研究所 11月21日 「~常識を疑え~見た目がヤバい奴は本当にヤバいのか」

⑤ ボタン 11月22日 「今日は何の日」



⑥ カラス 11月23日 「ゴミ箱は宝箱」

⑦ 中文 11月27日 「見習うべき体毛のしぶとさ」

⑧ 肉 11月29日  「肉が好きなら肉になれ

⑨ 目玉おやじ 11月30日 「命日のありかたについて考える」


⑩ おまけ 2019年 1月15日 いちごの日

黒崎一護



カオスを愛そうぜ

人は全く理解できないカオスに遭遇すると

言葉を失う。

今日 僕はこのことを人生で一番強く実感した。



というのも今日の僕のコスプレが

あまりにもめちゃくちゃでカオスだったからだ。

カオスの中から必死に抜け出した者から

「今日は何のコスプレ?」と聞かれたが

僕自身もあまりはっきりとした答えは出せず、

「カオスのコスプレだ」と言うほかなかった。

この意味不明な回答は

その場のカオスをさらに増長させ、

結果的に相手はノーカオス空間に戻すために

コスプレから話を反らすことを強いられた。



このように世間ではあまり受け入れられない

カオス。

しかし僕はこのカオスこそが世界を

おもしろくしていくのではないかと思っている。

なぜならノーカオスな空間はいわば日常的空間。

日常的な空間は安定してはいるが、

何度も繰り返された空間なので、

面白みはなく、他人との話題にも上らない。

一方カオス空間は

文字通り混沌とした空間なので、

不安定だが、日常的な空間から見れば

おかしな空間であり、

発生回数も少ないので

面白さが生まれたり、他人との話題に使える可能性がある。



おかしいという言葉には、

奇妙だという意味と面白いという意味の二つがある。

つまり奇妙と面白いは紙一重で、

この二つを生み出すことができるカオスには

この世界をおもしろくする可能性を強く秘めているのだ。

だからもっとみんなカオスを愛そうぜ。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

ご存知の通り僕は毎日コスプレで登校している。

コスプレしているとよくこんな質問をされることがある。

「家からこの格好なの?」

答えはもちろんYESだ。

僕はコスプレも私服の一つとして捉えている。

言うなれば「家から私服なの?」

と聞かれているようなものである。



しかし家からコスプレすることによって、

少々困ったことも起きている。

それは両親との遭遇だ。

父親はさほど関心を示してないものも、

母親は毎回「恥ずかしいからやめてくれ。」

「警察に捕まったらどうするんだ。」と

何かしら苦言を呈してくる。

そこで僕は警察に捕まることも、

恥ずかしいと思われることもないコスプレを考えた。



出た結論は「捕まえる側になれば良い」だった。

服装の問題で警察に捕まるのが怖いなら、

警察と同じ服装をすれば、

捕まることはないのではないか。

それに日本の平和を守る警察官の格好は

カッコよくて、恥ずかしさなど全く無い。

そして今日1月10日は110番の日。

この画期的なコスプレを試すには絶好の機会だ。

こうして僕の1日警察官生活が始まった。

警察官になった僕はこの世の悪事を

次々と摘発するために東京と神奈川を往復し、

目を光らせていたが、

ここは治安世界一の日本。

そう簡単に悪事は見当たらない。

むしろ警察官のコスプレをして、

あたりをキョロキョロと見渡し挙動不審な僕が

一番怪しい存在だった。



この時僕はニーチェの

「   深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ 」

という言葉を思い出した。

怪しい存在にならないようにするために

警察官のコスプレをした結果、

街で一番怪しい存在になってしまったのだ。

結局のところどんなコスプレをしても、

怪しい存在になってしまうのは避けられない。

母親もそのうち呆れて何も言わなくなってくるに違いない。

だから僕は割りきって

今まで通り奇怪なコスプレを続けていくだけだ。

更正への道

半年ほど前、僕は酒に溺れていた。

昼から友人と授業を休んでは

戸山公園やサイゼリヤで酒盛りをしていた。

当時は酒に酔っていれば何でも許されると思って、

酒の勢いに頼り大学の植え込みを蹴散らしたり、

もらったビラを目の前で捨てたりといった

悪事を働いていた。



これらの迷惑行為は

僕の脳内裁判所で有罪判決がなされ、

判決内容の決定が待たれていた。

そして先日ついに判決が確定した。

判決は執行猶予100年以内の死刑

信じられなかった。

酒に溺れることがどれだけ重罪であるか

改めて実感した。

執行猶予は100年以内。

これは今後の行い次第で変動するそうだ。

僕は2度と酒に溺れないことを誓うとともに、

少しでもこの猶予を伸ばし、

2度と僕のような人間が現れないようにするために、

酒を根絶する運動を行うことになった。



幸いなことに僕は現在禁酒会の代表を務め

酒の虚構性を広める活動をしている。

そしてちょうどここ一週間の間は、

禁酒会でアルハラ防止ステッカーを配布している。https://twitter.com/sakenitayoruna/status/1082116121833009152?s=19

僕は半年前の罪を償うために、

このステッカー配布を

更正の一歩とすることにした。

酒に溺れた過去を忘れてはいけない。

犯罪者は犯罪者らしい格好をしなければならない。

この格好でステッカーを配っても

誰ももらわないのではないかと恐れていたが、

みな気にせずステッカーを受け取り、

中には 「犯罪者だ」と言って喜んでステッカーを受け取る者もいた。

一度罪をおかした者に対して

暖かい反応をくれる。

この世界もまだまだ捨てたもんじゃない。

この反応を無にしてはいけない。

僕は2度と酒に溺れない。



グールになって分かったこと

僕は今日グールになった。

新年の誓いとして

新しい自分になりたいと願ったからかもしれない。

こんな形で願いが叶うとは驚いた。

しかし今日グールになったことで

見えてきたことがあった。



東京喰種

東京を舞台にし、

人の姿をして人を食べるグールと人間との戦いを描いた

人気漫画である。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%96%B0%E7%A8%AE%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB

この種の漫画はしばしば人間VS怪物の構図が

出来上がり、

読者も人間側に肩入れすることになる場合が多いが、

東京グールはグール側にも焦点を当て、

全てのグールが人間に危害を加える存在ではなく、

中には人間界に利益を与えるグールもいるということを見せて

読者が一概にグール=悪

と決めつけることができないようになっている。

東京グールではそういったグールの多様性に気づかず、

人間側は一方的にグール=悪というレッテルを貼り

強引な捜査を行い、

グールの人間に対する憎悪をさらに深めていく。



僕はこのグールと人間の関係性が

実生活にもあてはまると感じた。

一度も会ったことない人に対して、

他人からの話だけで

その人に対して根拠のないレッテルを貼る。

そんなもん会ってみなきゃわかんねーだろ。

会う前から勝手にイメージを作り上げて、

違ったら失望するってわがまま過ぎませんか?



僕もこんな偉そうなことを言っているが、

しばしば見た目やエピソードを

人の判断材料に入れてしまうことがある。

でもそれは本当に良くないことだと思う。

人が人に抱く印象なんて

違ってていいと思うし、

実際関わった経験だけで

印象ができれば人それぞれ違う印象が出来上がるはずである。

人から聞いたエピソードを頼りにして印象を作り上げてしまうと、

みんなが同じ印象を抱いてしまい、

その人にとって大きなプレッシャーになる。

例 AさんにみんながAさんは良い人という同じ印象を持つと、

Aさんは常に良い人として振る舞わなければならなくなる。

このように他人に安易にレッテルを貼ることは

人を苦しめる良くない行為である。

僕もこれから気をつけていかないといけない。

以上グールになって分かったことでした。

ゴミ箱は宝箱

ゴミ箱をあさる。

この行為は一般的に卑しいとされ、

ゴミ箱をあさっている者には

激しい軽蔑の視線が与えられる。

中でもカラスのゴミ箱を荒らし散らす行為は

都市部のなかで問題となっている。

僕はここに大きな疑問を抱いた。

ゴミ箱に入っているものは、

誰かにとってはゴミであるかもしれないが、

また別の誰かにとっては宝物なのではないか?

例えば 人間にとってはただの生ゴミでも、

カラスにとっては生ゴミは貴重なエサである。

単にゴミ箱入っている物をゴミ(不要物)と

決めつけるのは視野が狭いのではないか?

少し視点を変えれば

必ずゴミ箱にも宝物がある。

そう確信した僕は

ゴミ箱から宝物を見つける天才であるカラスになった。11/23

「これでゴミ箱は宝箱だ。」

早速キャンパス内のゴミ箱を片っ端から

探ってみた。

しかし一向に宝物は見当たらない。

というよりもまずカラスマスクの視界が狭すぎて、

何があるのかも分からない。

カラスになることで、

ゴミ箱の中身を宝物として捉える視野の広さを手に入れたが、

物理的な視界の広さを失ってしまい、

宝物を手に入れることに失敗した。

ゴミ箱から宝物を手に入れるのは難しい。

江戸時代にはゴミ箱という概念はなく、

ある時に不要になった物は、また別の時に再利用していたという。

彼らは人間としての広視界を保ったまま、

カラスのゴミ箱から宝物を見つける広い視野も持っていたのである。

もはやカラス人間と言っても過言ではないだろう。

大量生産・大量消費の風潮の中で、近年 大量のゴミが大きな問題となっている。

今こそ江戸時代のカラス人間たちが持っていた

ゴミを宝物として捉える広い視野が必要だと僕は思う。