「旅」カテゴリーアーカイブ

欲望の国

「ディズニーは本当に楽しいのか?」

僕は長年ずっとこの疑問を抱えていた。

世間では「夢の国」と持て囃され、

SNSではディズニーに行った投稿が溢れ、

多くのいいねを貰っている。

まるで娯楽の頂点にディズニーがあるかのような風潮すら感じる。

僕も以前こうした風潮に流され、

ディズニーに行ったことがある。

確かにある程度楽しさはあったが、

5時間近い待ち時間や僕自信のディズニーへの無知もあり、

楽しみ切れない点も多く、

娯楽の頂点であるかと聞かれれば微妙だと感じた。

そんな苦い経験から5年がたった。



現在もディズニーは

当時と変わらず覇権を握り続けている。

僕はふと思った。

「ディズニーはとても楽しいのではないか?

僕が斜に構えていただけなのではないか?」

こうして僕はこれまでの先入観を捨て、

ディズニーと真剣に向き合うことにした。

僕はまずディズニーを最高に楽しむ条件を見出だすために、

instagramのディズニー投稿を徹底的に研究した。

目眩がするほどに眩しいディズニー投稿を見ていくうちに

僕はディズニー投稿の多くが男女数人のグループであることに気づいた。

つまりディズニーを楽しむうえでの第一条件は

  • 男女数人のグループで行く

この条件を満たすために、

僕はいま一番コミットしてるコミュニティである

大学の中国文学コースのグループで呼び掛けてみることにした。

昨年の4月から始まったコースとしての活動。

様々なテストや課題を乗り越え、

その度に打ち上げをして結束を深めてきたコースのメンバー。

彼らにこの娯楽の頂点に君臨するディズニーの誘いをすれば、

必ず乗ってくれるに違いない。

そんな淡い期待は見るも無惨に打ち砕かれた。

残酷なことに僕以外投票する者は誰もいなかった。

考えてみれば当然である。

ご存じの通り僕は毎日コスプレをしている。

コスプレを始めた当初はコースのメンバーも

一定の反応をしていたが、

最近は、コスプレした僕の姿に飽きて、

明らかに反応が薄くなっていた。

つまり僕は明らかにコース内で浮いていたのだ。

毎日変な格好をしている浮いた奴が

急にディズニーに誘ってきたら、

この反応になるのも無理はない。



しかし幸いなことにこの世には「1人ディズニー」

という言葉もある。

娯楽の頂点に君臨する夢の国ディズニーランドは

1人でも思う存分楽しめるはずなのだ。

僕は迷わず1人ディズニーをすることに決めた。

ディズニーランドといえばまずはアトラクションだ。

人の並びができづらい入園開始直後に

アトラクションを乗り回すのはテーマパークの基本だろう。

僕もこの基本に習って多くのアトラクションに乗った。

さすがは夢の国。

どのアトラクションもレベルが高く、

それなりに楽しかった。

しかし僕はここである違和感を覚えた。

入園直後はこの違和感の正体が、

よくわからなかった。

ディズニー満喫を試みるうちに、

この違和感が現れていくこととなった。



ディズニーといえば写真撮影だ。

ディズニーはアトラクションの待ち時間が長い。

また非日常的な空間であることから、

写真撮影は暇つぶしとSNS映えの両方を可能にする

ディズニーにピッタリの娯楽である。

ディズニーを満喫するうえで、

この写真撮影は欠かせない。

僕は再びディズニー投稿を徹底的に研究し、

シンデレラ城前での写真が最も映えるという結論を導きだした。

もちろん僕の他にも多くの者が写真を取っていた。

ここで僕は最初に感じた違和感の正体に気づいた。

ディズニーに来ている者は

待ち時間はおろかアトラクション中にも写真をとっていた。

これらの写真の多くはSNSに載せられ、

いいねという名の承認欲求を

満たす材料として使われていくのだろう。

もしかするとディズニーは

アトラクションを純粋に楽しむテーマパークではなく

仲間たちと自分が最も映える写真を

撮るためのスタジオなのかもしれない。

僕が感じた違和感の正体はこれだ。

つまり最も重要なのは「ディズニーで楽しむ」ことではなく、

「ディズニーに行ったという事実を残す」ことなのかもしれない。

ディズニーはもはや「夢の国」でもなんでもない。

行った者の承認欲求満たす道具となる「欲望の国」なのだ。



小樽オススメスポットBEST5

沖縄の次は北海道に行こう!」

そんな軽いノリで僕たちは先日北海道に行って来ました😁😁

冬の北海道はかなり寒かった⛄ですが、

美味しいご飯と素敵な宿にありつけてとても幸せな旅行になりました~😃💕

そこで今回は旅行のメインだった小樽を中心に

僕のオススメスポットをランキングにしたいと思いまーす✌️

5位 小樽運河

小樽といえばやっぱりここですよね。

今回は夜に行ったのですが、

運河がライトアップ✨されていてとてもきれいでした(^^)

ちなみに僕の友人はマイナス6度の中、

裸になっていました笑



4位 ポセイ丼

こちらも超有名店です😁😁😁

北海道新聞社の 「これ食べたい大賞」を

2年連続で受賞しているそうです💯💯💯

http://www.otaru-poseidon.jp/

その特徴は何といっても安さ💴✨👛

この海鮮丼がなんと

500円 

他のお店の海鮮丼がほとんど

1000円オーバーだったことを考えると破格です。

僕はあまりの安さにびっくりして

ついついおかわりしてしまいました笑



3位 ゲストハウス Little Barrel

こちらは僕たちが今回止まった宿です🏨🏨🏨https://www.littlebarrel.site/

この広さでなんと1泊

2500円

(写真汚くてごめんなさい🙏🙏)

無料で朝食☕🍞もついて、

コンビニ🏪からも徒歩3分

ゲストハウスとは思えないくらい

最高の宿でした🎵🎵🎵。

皆さんも小樽に来たときはぜひ利用してみてください☺️



2位 浅草橋ビアホール

こちら小樽運河の近くにある食べ放題のお店です🍴。https://s.tabelog.com/hokkaido/A0106/A010601/1003680/top_amp/

昭和を感じさせるレトロな雰囲気がとても良かったです🙆🙆。 

中でもカニ好きの僕にとって🦀

カニ🦀の食べ放題は最高でした💯。

食べ放題🍴🆓✨なのでお腹いっぱい食べたい人にはオススメです(^^)

さてここまで小樽のオススメスポット

5位~2位を紹介しました。

栄えある第一位は…

なんと…




北海道札幌市手稲区星置南 北5条手稲通付近

http://指定した地点 〒006-0050 北海道札幌市手稲区星置南 北5条手稲通付近 https://maps.app.goo.gl/WPUxv

 1年ぶりの運転。

道路は凍り完全にスケートリンク。

そんなことも気にせず、

直線道路をかっ飛ばす。

急にハンドルを取られる。

建て直そうとしても全く車は言うことを聞かない。

そのまま車は左端から中央分離帯に激突。

幸いなことに人も車も無傷

もし隣に車が走っていたら

このブログは二度と更新されていなかったかもしれないという

他を寄せ付けない圧倒的なスリル。

文句なしの一位。

雪道でスピード出すことがどれだけ危険か思い知った。



人妻パラダイス

前回の記事からお気づきの方もいると思うが、

僕は今日の朝まで沖縄に行っていた。

全ての始まりは水曜日だった。



禁酒会としての誓いを破り

しゃおじょんらと昔のように

サイゼリヤ西早稲田店のまずいワインを飲み

詭弁を放ちあっていると、

「東京は寒過ぎる。温かい所に行こう。」

という流れが出来上がった。

しかし今週は大学のテスト期間。

当然みな課題がたまっている。

来週にしようという案も出た。

だが僕らはここである真理を見出だしてしまった。

「単位は再履修できる。沖縄は再履修できない。」

要は大学の講義は何回でも受け直すことができるが、

今日この瞬間に偶然現れた

「寒いから沖縄に行こう」というノリで

沖縄に行けるのは1度だけだ。

もう迷いはない。

善は急げ。

すぐさま僕らは翌日の沖縄行きのチケットを取った。

「今回は沖縄に行くことが目的。行ってからどうでもいい。」

沖縄に行く前はこんな感じで、宿もとらず、

行ってからのことは全く考えていなかったが、

いざ沖縄にたどり着くと欲が出て、

なんだかんだで沖縄を満喫していた。



そして最終日 禁酒会をやめ飲酒に目覚め、

飲めもしない泡盛をちびちび飲んでいると、

しゃおじょんがこんなことを言い出した。

「沖縄といったら風俗だろ。おい お前ら   風俗行くぞ。」

彼は過去に散々風俗で痛い目にあっているにもかかわらず、

全く懲りることなく風俗に行きたがるのだ。

酔った時の彼は本当に恐ろしい。

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/09/19/013854

風俗はとても高い。

いっそのこともう一度ぼったくられて

新しいネタを作るというのも考えたが、

さすがにもうそんな金の余裕はない。

とはいえしゃおじょんの性欲をこのままとどめておくと、

何が起こるか分からない。

それに僕も半年前に股間にカビが生えて以来、

そういった店には行っていなかったので、

久しぶりに行きたいという気持ちもあった。

こうして僕らは途中に見つけた

「スーパーハブアタック」という精力剤をまで飲み万全の体勢で

 那覇の一番安いデリヘル

庶民派デリヘル人妻パラダイスに行くことにした。

指定されたホテルに向かう途中、

僕らはいつものように出勤している嬢を調べた。

そこには戦慄の現実が待ち構えていた。。

何と出勤している嬢はことごとく40歳オーバー。

それも詐欺が当然の宣材写真ですら

全く騙せていなかった。

もちろん僕らは指名なしのフリー。

「いったいどんな方が来るのか?」

僕らはこれまでとは全く別の意味での緊張を感じながら、

指定されたホテルにたどり着いた。

実際そこで待った時間はたったの数分だったかもしれない。

しかしその時だけは

途中で止まったAVがもう一度再生されるのを待つような

永久的な時間の流れを感じた。



やがて店から電話がかかり、

僕はホテル内に入った。

そこには1人の女性が待ち構えていた。

僕は彼女を見た瞬間にこう思った。

「いとこの叔母さん。」

明らかに40歳を越えており、

顔には深いシワが刻まれ、腹はたるみ、

そして何より脱ぐと、

まるでサーターアンダギーのような

巨大な乳房が虚ろげにこちらを覗いていた。

僕はとても不思議な感覚に襲われた。

僕の周りは明らかに現実とはかけ離れた

官能的な空間であったにも関わらず、

僕の隣にいるのはなぜか叔母さんなのだ。

僕はこの不可思議な空間に困惑しつつ、

叔母さんに言われるがままベッドに転がされ、

一通りの施しを受けることとなった。

「この違和感の正体に気づくまでは決して欲に溺れてはいけない。」

僕は施しの間、ずっとこの不思議な空間の正体を考えていた。

そして一つの結論にたどり着いた。

これは「近親相姦的空間だ。」

中世オーストリアのハプスブルク家は

何度も近親相姦を繰り返したとされている。

彼らは命の系譜を繋ぐ際に

毎回このような感覚に襲われていたのだろう。

しかしこの結論にたどり着いた瞬間、

僕はフル回転した脳とは

裏腹にフル勃起した局部に体の支配権を奪われ、

最後には近親相姦であることも忘れ

「かわいい」とささやきながら、

己の欲望のままハブのように叔母さんに絡み付いていた。

僕の性欲が持つ猛毒性に気づいた叔母さんは

僕を退治しようとプラス3000円で

最後の穴へ行けるという

巧妙なトラップを仕掛けてきた。

この時 既に性欲に脳を犯され害獣と化した僕は

考えることもなく

まんまと自らの肉棒をこの穴へはめてしまった。

そして快楽に溺れること数分。

突然部屋中に警報が鳴り響いた。

おそらくあの罠は、

害獣がかかると数分で警報が鳴る仕組みなのだろう。

焦った僕はペースを上げ、

全身を局部に変えるという奥義を発動し、

全身全霊で全身を前進させた。

これほど何かに必死になったのはいつぶりだろうか。



突如 上腕が動かなくなった。

その瞬間 僕は我に返った。

頭の中には様々な可能性が浮かんだ。

肉体的な可能性? 精神的な可能性?

僕はこれまで筋トレで腕をつったことはない。

いくら全身全霊をかけたとはいえ

肉体的な限界が来たとは言えない。

僕はある恐ろしい真理に気づいてしまった。

先ほど浮かんだハプスブルク家は

近親相姦を繰り返した結果

未熟児を何度も生み、

最後には滅びてしまった。

もしかするとこの腕の痛みは

安易に近親相姦に手を出そうとした僕への

ハプスブルク家からの罰。

つまりハプスブルク家の呪い

この真理に気づいた僕はすぐさま切り上げ、

欲望に支配され安直な行動を繰り返したことを叔母さんに謝罪した。

すると叔母さんは

「あなたは罠にはまったが、

自らの欲望を液体に変えることはなかった。」

という趣旨の言葉を残し、3000円を免除してくれた。

やはり最後に頼れるのは家族の愛だ。

家族愛の大切さが身に染みた沖縄旅行だった。

 ※今回登場した叔母さんは、僕の実の叔母とは外見を除いて、全く関係はありません。



ヒッチハイク×クリスマスツリー その2

今回も前回に引き続き

ヒッチハイク旅について書こうと思う。

紆余曲折あって守谷SAにたどり着いた僕たちは

すぐにヒッチハイクを再開した。

数時間前に別の友人たちが守谷SAから

一気にいわきまで乗せて頂いたという

話を聞いて、

「僕たちもすぐに」という気持ちで

ヒッチハイクをしていたが、

なかなか乗せて頂ける車は見つからない。

途中SA内でスケッチブックを持って

「仙台方面に乗せて頂ける方いますか
~?」

と声をかけてみたが全く効果なし。

まあ考えてみれば

今日は連休最後のクリスマスイブ。

ファミリーが多く、

当然むさ苦しい男2人なんて乗せたがらない。

僕たちは一旦 目的地を水戸に変えて

少しでも可能性を上げることにした。

するとすぐに水戸市内に用があるという

男性がこころよく僕たちを乗せてくれた。

彼の話によると高速にくくるよりも、

一度 車通りの多い一般道に降りたほうが良いとのこと。

東北方面の地理などさっぱり分からない僕たちは

大人しく彼の指示に従い、

水戸市内の巨大な駐車場にあるコンビニで降りた。

後にこの判断が大きな誤算を招くことに

この時はまだ気づいてはいなかった。

こうして水戸に降り立った僕たちは、

簡単な腹ごしらえをした後、

ヒッチハイクを再開した。

友人が仙台ナンバーのトラックを

見つけたと言うので、ついていくと

なんとそのドライバーさんは

仙台まで乗せてくれるとのこと。

「勝った」

高速を降りてしまったことに

不安を感じていた僕らは

思わぬ幸運に歓喜した。

ドライバーさんによると、

一般道で行くため5時間ほどかかるとのこと。

朝早くからヒッチハイクを始め、

限界を迎えつつあった僕は

いくつか会話を交わした後、

すぐに眠ってしまった。

「バーン!!」

ものすごい衝撃が僕たちの乗るトラックに走った。

すぐに目覚め、辺りを見渡すと、

目の前の車の後部が完全につぶれ、

車内からは赤ちゃんの泣き声がした。

「ヤバい」

被害者側のドライバーと

僕たちのドライバーの間で口論が始まり、

すぐに警察が駆けつけ、

現場はカオスの渦に飲み込まれた。

僕ももちろん目撃者として事情聴取を受けたが、

僕の格好のせいか

完全に僕が悪事を働いて、

事情聴取を受けているような絵になってしまった。

幸いなことにどちらの側にも

けがはなかったようだが、

僕たちのドライバーさんは

事故の説明責任があるため、

あえなく僕たちのヒッチハイクは

終了した。

時刻は18:00

辺りは真っ暗で、

ヒッチハイクをするにはあまりにも厳しい。

僕たちは電車でくりこま高原を目指そうと路線検索をした。

すると驚くことに一番早く着くのは

現在地から上野駅に戻り、

新幹線に乗るという

これまでのヒッチハイクを

全否定するような恐ろしいルートだった。https://yahoo.jp/KQiUWT

(当初は仙台集合だった。)

現地ではすでに別の友人たちが待っている。

できるだけ早く着かなければならない。

ただ僕たちはこれまでの

ヒッチハイクストーリーを

なかったことのようにしたくはない。

僕たちは迷わず2番目に早いルートを使って

くりこま高原を目指した。

そして23:00 出発から15時間。

やっとのことで僕たちはくりこま高原にたどり着いた。

駅前で待っていた友人を見た瞬間に

今日の苦難が全て報われた気がした。

やはりヒッチハイクは何が起こるか分からない。

だからこそヒッチハイクはやめられないんだ。

ヒッチハイク×クリスマスツリー その1

クリスマスにくりこま高原に行こう」

僕たちの旅はこの親父ギャグ界からですら

戦力外通告を受けそうなくだらない

ジョークから始まった。

くりこま高原は遠い。

東京から新幹線でも2時間30分はかかる。

皆さんも薄々察してはいるかもしれないが、

僕は最近コスプレにお金を使いすぎていて、

東京から新幹線に乗る金などない。

そこで僕は友人とともにヒッチハイクをして、

移動費を浮かせ、

別の友人たちと

どちらが先に目的地につけるか競争することにした。

そして迎えた当日はクリスマスイブ。

僕はコスプレをしてドライバーたちの目をひくため、

クリスマスツリーのコスプレをした。

この格好をして海老名SAでヒッチハイクをしていると、

僕のコスプレを見て笑っていたマダム3人組が

早速「乗せようか?」と声をかけてくれた。

作戦大成功!

前回ヒッチハイクをした時は

最初の1台に乗せて頂くのに

2時間ほどかかっていたので、https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/11/03/082242

今回は早いタイミングで乗せて頂くことに成功し、

改めてコスプレの力を痛感した。

しかもマダム達はとても良い人たちで、

僕たちのことを気づかって、

お茶やパンをくれたり、

車内でさまざまな話をふってくれたので、

和やかなムードで過ごすことができた。

ありがとうございました。

彼女たちは千葉方面に用があったそうなので、

用賀PAで下ろして頂き、ヒッチハイクを再開。

しかし狭い。これは本当にPAと言えるのか?

文句を言っても仕方がないので、

とりあえずヒッチハイクをすることに。

すると数分後友人が乗せて頂ける車を見つけたらしく、

すぐに駆けつけると、

強面のドライバーが急に車から銃を取り出した。

「ヒッチハイクなんて甘えたマネしてんじゃやねぇ!」

と一瞬ぶっ殺されるのかと思ったが、

どうやら趣味のサバゲー道具の様子。

某有名ホテルで宝石店の社長をやっているという彼は、

「用賀PAじゃなかなか車が止まらないから」

と言って彼の職場近くの車通りが

多いところまで乗せてくれた。

優しい配慮ありがとうございます。

そしてさらに驚きだったのは

なんと彼は別れ際、

「旅費の足しにしな」と言って、

僕たちに1万円を渡してくれたのだ

神か。

彼の器の大きさはすさまじい。

僕もいつか1万円をさっと渡せる大人になりたい。

こうして資金を手にした僕たちは、

あっさりと一度ヒッチハイクを諦め、

常磐道の入り口である守谷SAに向かった。

「守谷まで行けばあとは余裕だろう。

お金も頂いたし、後でみんなの食事代でも持ってやろう」

僕たちはこの時そんな甘い展望を抱いていた。

しかし現実はそんなに甘くはなかった。

後半に続く

いきなりCHINA その3

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う。

旅の2日目は

12時間かけて到着した西安駅から始まった。

30分後に到着すると言う友達を待つ間、

北京にはなかったコンビニがあったので、

入ってみた。

するとそこには驚愕の景色が広がっていた。

この棚 全てが乳製品である。

あり得ない。

日本のコンビニにも牛乳は置かれているが、

レモンティーやフルーツジュースなどの

逆賊たちとの

共存を余儀なくされている。

見せかけの多様性など悪でしかない。

僕が見たかったのは

一面白に覆われたこの景色だ。

西安の牛乳人気はすさまじい。

また量もさることながら、

値段もすばらしい

この写真の1パックで48円だ

これならいつでも気軽に強くなることができる。

道行く西安市民は皆屈強な体格をしていたのも

牛乳のおかげなのかもしれない。

こうしているうちに友人が到着した。

「西安に行く」と伝えたのは前日であったにも関わらず

なんとドライバーとしていとこまで連れてきた。

まさに至れり尽くせりである。

僕は西安住みの友達に連れられ、

3時間という短い時間で、

世界遺産の大雁塔や

西安の繁華街を巡り、

昼食をとった。

発展した西安の町と歴史的建造物は

もちろんすごかったが、

それ以上にすごかったのが

友達のいとこの

好客(日本語でおもてなし好き)精神である。

前日に呼び出されたにも関わらず、

嫌な顔ひとつせずに、

縁もゆかりもない日本人のドライバーを

半日務め、

昼食では店で一番高いメニューをおごり、

<

自分は1人先に食事を済ませ、

外にでるという気遣いまでしてくれた。

おいおいかっこよすぎるだろ。

西安の観光地がどこも駅から遠かったことを考慮すると、

彼がいなければ、

まともに観光することはおろか、

高速鉄道の発車時間に間に合わなかったかもしれない。

本当にありがとうございました。

こうしてなんとか高速鉄道に乗り込むことに成功した僕は

友達がお土産にくれた

謎の甘いお餅を食べながら、

幸せに浸っていた。

ん? 何かがおかしい。

確かに日本で仲良くしていた友人と

中国で再会し、

街を案内してもらうというのは初体験で

楽しかった。

しかし僕が求めているのは

何が起こるか分からないことが魅力の旅だ。

現地人に案内を頼むのは

もはやガイドをつけた旅行と変わらないのではないだろうか。

時間はなかったが、

僕はもう一度原点に帰って、

最後に何かこの中国という地で

何が起こるか分からない

ワクワクすることをしようと思った。

中国は寒かった。

北京は最低気温がマイナス10度を下回っていたし、

西安では雪が降っていた。

人は寒いと厚着をする。

これはどの国でも同じだ。

事実北京でも多くの人が

日本では見たことないぐらいの厚着をしていた。

ここで服を脱いだらどうなるのだろうか?

この疑問が浮かんだ後の記憶が僕にはあまりない。

気がつくと僕は北京駅の中心で

上裸になって乾布摩擦をしていた。

当初あまり人が集まってなかったが、

僕が 「一 二 三 四 五 六」と叫んでいると

少しずつ人が集まってきた。

彼らは皆は「冷吗 (寒くないのか) 」

と聞いてきた。

僕は 「太热了!」 (暑すぎる)」と答えた。

その後も何か質問をしてきたが、

よく聞き取れなかったのでとりあえず、

「太热了!」と叫び続けていた。

するとどんどん人が集まってきて

最終的にはこんな感じになった。

彼らは皆、笑って写真を取っていた。

僕が乾布摩擦をしていた場所の正面には

交番があったが、公安が声をかけてくることもなかった。

僕は来年から北京へ留学する。

もちろん北京でもさまざまな事に

挑戦するつもりだ。

しかし僕は自分のやってきたことが、

北京の人々に受け入れられるのか

とても不安だった。

今日この北京市民の反応を見て、

「おもしろい」という感情に

国境はないということを確信した。

だから僕はこれまで通り

どんな場所に行っても

自分が「おもしろい」と思ったことを

実行し続ける。

僕は今後の方向性を確信した。

今回はそんな旅だった。

いきなりCHINA その2

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う

こうして北京空港に着いた僕はまず

空港のフリーwifiを繋ごうとした。

しかし僕の社会不適携帯番号は

何度登録しようとしても

北京空港に適合することはなかった。

僕の旅はノープランを売りにしているので、

現地で携帯が使えないのは致命的だ。

どうしようかと悩んで携帯を見ると

電波が通っていることを

示すマークと

データローミングが

どうたらこうたらという通知

とりあえず データローミングをオンしてみた。

すると あっさりネットに繋がった

人生でこんなに携帯が使えることに

感動する瞬間はこの先ないだろう。

後で調べてところ、

1日に3000円近く

かかる可能性もあるとのことだが、https://www.nttdocomo.co.jp/service/world/roaming/area/

そんなことはどうでもいい。

要は金さえ払えばいいのだ。

こうして携帯を手中に収めた僕は

以前このブログでも紹介した

先日中国に帰国した友人に

「中国に来たら連絡して」

と言われていたのを思いだし、

「北京に着いた」と連絡した。

すると「西安に来て」とのこと、

空港でノーマンに

なってしまったことを

強く後悔していた僕は

友人の「北京と西安は近いよ」

という言葉を信じ迷わず

「西安に行く」と答えた。

イエスと答えたからには行くしかない。

早速北京から西安駅の電車を調べると、

夜行列車で12時間かかるとのこと。

どこが近いのか?

まあ考えてみれば当然だ。

北京から西安までは1000km以上ある。

日本で言えば東京から博多までの距離と同じだ。

2日後の14:00からは

バイトのシフトが入っていたため

その時間までには帰らなくてはならない。

しかし僕は西安に行くと言った。

有言不実行だけは絶対にやってはならない。

冷静に考えれば

三週間前にシフトを提出している

バイトのほうが圧倒的に先約ではあるが、

バイトを放棄し、

しばらく西安に骨を埋めようかとも考えた。

ただでさえお金がないのに、

貴重なバイトの機会を失う訳にはいかないので、

何とかして別の方法を調べていると、

北京から西安まで

たったの4時間で行けるという高速鉄道を発見!

運賃もたったの8000円。

日本だったらその3倍は取られるだろう。

恐るべし中国。

こうして西安までのルートを確保した僕は

電車の時間までしばらく北京で暇を潰すことにした。

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は早稲田大学禁酒会の代表を務めている。

禁酒会としてデモの聖地?

とも言われる天安門広場で

デモを行うと言うのはとても魅力的で、

禁酒会を世界に広めるチャンスだ。

僕は北京駅を降りてから

すぐに天安門広場へと向かった。

その前に一つ重要なことを忘れていた。

禁酒会のデモには牛乳が不可欠だ。

途中でスーパーに立ち寄ろうと、

探していると、

一人の老婆が声をかけてきた。

何を言ってるのかわからなかったので、

取り敢えずスーパーに行きたいと伝えると

彼女はここがスーパーだと自信満々に答えた。

奴の指示に従い、

中に入ると また一人の男が近づいてきて、

僕に何かを握らせた。

カイロだ。

何故だか分からないが、

握るととても熱くなった。

すると奴は

「お前は今このカイロを触ったのだから買え」

と言って無理やり買わせようとしてきた。

僕は今から禁酒会革命を起こそうとしているのに

邪魔をするな。

お前に付き合ってる暇はない。

僕が 「不想买 我想的只是牛奶。」

(いらない。私が欲しいのは牛乳だけだ)」

と答えると彼は困り顔でその場を去っていった。

牛乳の力は偉大だ。

これが酒だったら、

店にあったお土産用の高い酒を

買わされているところだっただろう。

ちなみにその店に牛乳はなかった。

p> 

別の店で牛乳を調達し、

天安門広場に乗り込んだ。

そこで僕は衝撃を受けた。

広場でデモをしてる者はおらず、

代わりにいたのは、

写真を取るために群がった観光客であった。

悲しかった。

長い歴史の中で、

多くの人々が夢と希望を叫び、

散っていった天安門広場が

今ではただの観光地に成り下がっていた。

思いは違えど、僕は禁酒会として

この広場で夢を叫ぼう。

>(日本語で禁酒 牛乳 興奮しすぎて奶の字を間違えた。)

僕はこのスケッチブックと牛乳を持って、

「戒酒 牛奶 ジエジウ ニウナイ」

と叫びながら天安門広場を行進した。

するとすぐに

数人の警官に囲まれた。

そのまま公安の本部に連れて行かれるのかと思ったが、

どうやらスケッチブックをしまえとのこと、

いつの時代も革命家は

公安との対立を避けられない。

僕は大人しくスケッチブックをしまった。

しかしここで諦めてしまえば、

禁酒会の名が廃る。

考えてみれば、

公安はスケッチブックをしまえと言っただけで、

デモを辞めろとは言っていない。

僕は牛乳だけを持って再び叫び始めた。

多くの人々が好奇の目でこちらを見ていたが、

公安が再び声をかけてくることはなかった。

禁酒会が権力を打ち破った瞬間だった。

これから天安門事件とは何だ

という質問には

今日の事件が挙げられるようになるだろう。

今日という日は禁酒会にとって大きな一歩となる

歴史的な1日だった。

こうして有意義なデモを終えた僕は

西安行きの夜行列車に乗り込んだ。

次回へ続く



いきなりCHINA その1

僕は人生で一度も海外旅行をしたことがなかった。

これまでは特に気にしてはいなかったが、

大学生になり、多くが何かしらの理由で海外へ行き、

帰国後、海外旅行経験でマウントを取っていた。

「悔しい」 

たかが数日の旅行で何が変わるというのか。

たった数日で人をここまで傲慢にさせる

海外旅行とはいったい何者なのか。

僕は海外旅行への興味が

急激に湧いているのを感じた。

また僕は来年から中国に留学する。

留学前に一度現地を確かめておきたい。

こうして僕は初海外で中国へ行くことに決めた。

しかし普通に予約をとって旅行するのではどうも味気ない。

人生に一度の初海外なのだから

なにか記憶に残ることがしたい。

そこで僕は「イエスマン」という映画にあった、

予約を取らずに空港に行き

「何でもいいのでチケットをください」と言って

渡されたチケットで旅をするというシーンの

中国バージョンをやってみようと思った。

つまり何も予約を取らずに

「中国に行きたい」とだけ伝えて旅をするのだ。

我ながらとてもワクワクするアイディアで

決行日が近づくにつれて興奮が高まっていた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イエスマン_“YES”は人生のパスワード


そして迎えた当日。

僕はワクワクしすぎて前日バイトだったのにも関わらず、

全く眠気が起きず、家に帰ってから一睡もせずに羽田空港に向かった。

空港についた時間は4:30。

流石にこんな早くから何便も運行している訳ないだろうと

出発予定表を見ると、 台北 香港 北京 と有名どころがずらずら。

しかしここで僕は大きな見落としに気づいた。

各便を運営している会社が違うのだ。

空港職員はもちろん他社のフライト情報には詳しくない。

つまり「イエスマン」で登場した全フライト情報を管理するようなスーパー職員は

存在しないだ。

早速一番の企画が壊れてしまった僕だったが、

とりあえず一番早くに乗れる中国行きの便として香港行きの便にのろうと、

僕は職員に「予約をとっていないが、この飛行機に乗りたい」と話しかけた。

すると職員は「あちらのカウンターでお待ちください」とのこと

これはいけると意気揚々とカウンターに向かった次の瞬間、僕は耳を疑った。

「こちら正規の料金なので22万円でございます。」

は!?

確かに国際線が高いという情報は耳にしていたが、

22万円はおかしい。

22万円は臓器の闇市場で目玉二つを差し出してもまだ足りない程の金額である。

http://karapaia.com/archives/52132790.html

友人から薦められた「イエスマン」を

全く観ようとしなかったレベルのイエスマンな僕は

このレベルのイエスマンキャラを守るために、

二度と本家「イエスマン」を観れなくなってしまう恐怖に怯えあっさり「ノー」

と答えてしまった。

このまま「ノー」を言い続けていては「イエスマン」企画が「ノーマン」企画に変わってしまう。

せめて行先だけは空港の意志に従おう。

僕はとりあえず、一番早く行ける中国行きの便ということで、

香港の次にあった北京便の値段を調べた。

5万円。

安い。というより実際は高いのかもしれないが、

22万円という狂気を目の当たりにした後は全てが安く感じる。

たった5万円で北京に行けるのだ。

僕は迷わず北京行きのチケットを取り、

手荷物検査へと向かった。

僕は以前、国内線で出発前日に使用したハサミを抜き忘れ、


テロリストになりかけた経験から、

荷物に関しては万全を期したつもりだった。

しかしそれでも手荷物検査を僕の荷物はクリアすることはできなかった。

「一度中身を確認してもよろしいでしょうか」

無作為に掻き出される荷物たち。

なかなか検査に引っかかった社会不適合物は見つからない。

リュックの小ポケットに手をかけた、その時

目当てのブツが見つかった。

プロテインだ。

それも今回は旅先で水筒として活用するために、 

いつもの倍の量をいれていた。

「処分するか、こちらで飲んでください。」

せっかく長期的に強くなるためにたくさん持ってきたのに、

ここで飲み干しては強くなりすぎて僕自身が危険物として

処分されてしまうかもしれない。

ただここで処分するのは、あまりにもったいないので、

僕は泣く泣く500mlを飲み干した。

トレーニングをした後ではないので、強くなることは無かったが、

僕はプロテイン以上に危険なものを大量に持ち込んでいた気がする。

パソコンだって思いっきり殴れば人を殺せるし、 

シャーペンだってまとめて首筋に刺せば、致命傷になる。

プロテインにできることは、

せいぜいトレーニング後の人間を強くすることぐらいだ。

目先のプロテインにとらわれて、

その陰に隠れた危険物を見逃してはいけないと僕は思う。

話がそれたが、なんだかんだあって僕は北京行きの飛行機に乗り込んだ。

<

機内では睡眠中に突如現れた朝食を口にしながら、

北京でやりたいことを考えていると、

あっという間に北京に到着。

さて何から手をつけようか。

次回へ続く

足を使わない移動方法にまつわるエトセトラ

人類は歩きすぎだ。

丸1日飯を抜くやつや風呂に入らないやつはいるが、丸1日歩かないやつはほぼいない。

人類は2足歩行動物だと言われれば、それまでだ。

しかしあまりにもこの通説にとらわれすぎなのではないだろうか?

歩行以外にも人類はまだ画期的な移動方法を秘めているのではないか?

僕は歩行歴が19年目に達し、歩くことに強い飽きを感じてきていた。

なので歩行以外の移動方法を開発し、交通革命を起こすことにした。

まず僕が思いついたのは下り坂で、爆発的なスピードを出すことができ、歩行の弱点である遅さを解決することができる転がり
(通称コロコロ)だった。

思い立ったが吉日。

僕は早速キャンパスの坂を利用してコロコロに挑戦することにした。詳細は↓まで

結論からいうと失敗だった。

確かに瞬間的なスピードは歩行を上回ったが、瞬間的な目のコロコロも歩行を上回ってしまったため、終わった瞬間すぐに大学のベンチにゴロゴロしてしまった。

これでコロコロは失敗した。

革命を起こすといった手前、簡単には引き下がれない僕はベッドでコロコロしながら、新しい移動方法を考えた。

しかし頭のコロコロだけは止まってしまい、何も浮かんでこなくなってしまった。

そんななかある衝撃的な映像が僕の目に飛び込んできた。

なんと女子駅伝の選手が膝に血糊を塗りたくりながら、ハイハイをしてゴールを目指していたのである。

その距離約200m。

走ることを専門にしている陸上選手が走りを捨ててまで、取り組むハイハイとはいったい何者なのか?

僕は生後まもなく以来19年ぶりの強烈なハイハイ欲に襲われた。

そして穴八幡宮から戸山公園までの200mハイハイに挑戦することにした。

痛い 開始わずか5mで膝に鈍痛が歩いた。

見ると膝が腫れていた。

ここで僕は大きな見落としに気づいた。

あの駅伝選手の膝についていたのは血糊ではなく本物の血であると。

彼女は血だらけになりながらハイハイしていたのである。

ここで痛みに負けるというのは、彼女の根性への冒涜だ。

僕は必死に手を動かした。

途中何度も「大丈夫か」と声をかけられた。

気づかいはとてもうれしいが、頭のことを聞いてるのか、膝のことを聞いてるのかわからなかった。

とりあえず膝は大丈夫だったので「大丈夫だ」と答えた。

すると頭のことを聞いてるのだとでも言いたげな困り顔で去っていった。

どっちなのかはっきりしてほしい。

そんなこんなで200mハイハイしきった頃には膝は見たことないほど真っ赤に腫れていた。

後から調べてみると彼女はすねの骨を折っていてまともに立つこともできてなかったとのこと。

そんななかで襷をつなぐというただ一つの目標のためにハイハイに手を出したのである。

途中何度も立ち上がって休んだ僕に比べるとあまりにも強すぎる。

歩行を捨てるにはそれだけの強さと覚悟が必要なのである。

僕にはまだ早すぎた。

いつか強くなってもう一度脱歩行に挑戦したい。