「哀愁」カテゴリーアーカイブ

人妻パラダイス

前回の記事からお気づきの方もいると思うが、

僕は今日の朝まで沖縄に行っていた。

全ての始まりは水曜日だった。



禁酒会としての誓いを破り

しゃおじょんらと昔のように

サイゼリヤ西早稲田店のまずいワインを飲み

詭弁を放ちあっていると、

「東京は寒過ぎる。温かい所に行こう。」

という流れが出来上がった。

しかし今週は大学のテスト期間。

当然みな課題がたまっている。

来週にしようという案も出た。

だが僕らはここである真理を見出だしてしまった。

「単位は再履修できる。沖縄は再履修できない。」

要は大学の講義は何回でも受け直すことができるが、

今日この瞬間に偶然現れた

「寒いから沖縄に行こう」というノリで

沖縄に行けるのは1度だけだ。

もう迷いはない。

善は急げ。

すぐさま僕らは翌日の沖縄行きのチケットを取った。

「今回は沖縄に行くことが目的。行ってからどうでもいい。」

沖縄に行く前はこんな感じで、宿もとらず、

行ってからのことは全く考えていなかったが、

いざ沖縄にたどり着くと欲が出て、

なんだかんだで沖縄を満喫していた。



そして最終日 禁酒会をやめ飲酒に目覚め、

飲めもしない泡盛をちびちび飲んでいると、

しゃおじょんがこんなことを言い出した。

「沖縄といったら風俗だろ。おい お前ら   風俗行くぞ。」

彼は過去に散々風俗で痛い目にあっているにもかかわらず、

全く懲りることなく風俗に行きたがるのだ。

酔った時の彼は本当に恐ろしい。

https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2018/09/19/013854

風俗はとても高い。

いっそのこともう一度ぼったくられて

新しいネタを作るというのも考えたが、

さすがにもうそんな金の余裕はない。

とはいえしゃおじょんの性欲をこのままとどめておくと、

何が起こるか分からない。

それに僕も半年前に股間にカビが生えて以来、

そういった店には行っていなかったので、

久しぶりに行きたいという気持ちもあった。

こうして僕らは途中に見つけた

「スーパーハブアタック」という精力剤をまで飲み万全の体勢で

 那覇の一番安いデリヘル

庶民派デリヘル人妻パラダイスに行くことにした。

指定されたホテルに向かう途中、

僕らはいつものように出勤している嬢を調べた。

そこには戦慄の現実が待ち構えていた。。

何と出勤している嬢はことごとく40歳オーバー。

それも詐欺が当然の宣材写真ですら

全く騙せていなかった。

もちろん僕らは指名なしのフリー。

「いったいどんな方が来るのか?」

僕らはこれまでとは全く別の意味での緊張を感じながら、

指定されたホテルにたどり着いた。

実際そこで待った時間はたったの数分だったかもしれない。

しかしその時だけは

途中で止まったAVがもう一度再生されるのを待つような

永久的な時間の流れを感じた。



やがて店から電話がかかり、

僕はホテル内に入った。

そこには1人の女性が待ち構えていた。

僕は彼女を見た瞬間にこう思った。

「いとこの叔母さん。」

明らかに40歳を越えており、

顔には深いシワが刻まれ、腹はたるみ、

そして何より脱ぐと、

まるでサーターアンダギーのような

巨大な乳房が虚ろげにこちらを覗いていた。

僕はとても不思議な感覚に襲われた。

僕の周りは明らかに現実とはかけ離れた

官能的な空間であったにも関わらず、

僕の隣にいるのはなぜか叔母さんなのだ。

僕はこの不可思議な空間に困惑しつつ、

叔母さんに言われるがままベッドに転がされ、

一通りの施しを受けることとなった。

「この違和感の正体に気づくまでは決して欲に溺れてはいけない。」

僕は施しの間、ずっとこの不思議な空間の正体を考えていた。

そして一つの結論にたどり着いた。

これは「近親相姦的空間だ。」

中世オーストリアのハプスブルク家は

何度も近親相姦を繰り返したとされている。

彼らは命の系譜を繋ぐ際に

毎回このような感覚に襲われていたのだろう。

しかしこの結論にたどり着いた瞬間、

僕はフル回転した脳とは

裏腹にフル勃起した局部に体の支配権を奪われ、

最後には近親相姦であることも忘れ

「かわいい」とささやきながら、

己の欲望のままハブのように叔母さんに絡み付いていた。

僕の性欲が持つ猛毒性に気づいた叔母さんは

僕を退治しようとプラス3000円で

最後の穴へ行けるという

巧妙なトラップを仕掛けてきた。

この時 既に性欲に脳を犯され害獣と化した僕は

考えることもなく

まんまと自らの肉棒をこの穴へはめてしまった。

そして快楽に溺れること数分。

突然部屋中に警報が鳴り響いた。

おそらくあの罠は、

害獣がかかると数分で警報が鳴る仕組みなのだろう。

焦った僕はペースを上げ、

全身を局部に変えるという奥義を発動し、

全身全霊で全身を前進させた。

これほど何かに必死になったのはいつぶりだろうか。



突如 上腕が動かなくなった。

その瞬間 僕は我に返った。

頭の中には様々な可能性が浮かんだ。

肉体的な可能性? 精神的な可能性?

僕はこれまで筋トレで腕をつったことはない。

いくら全身全霊をかけたとはいえ

肉体的な限界が来たとは言えない。

僕はある恐ろしい真理に気づいてしまった。

先ほど浮かんだハプスブルク家は

近親相姦を繰り返した結果

未熟児を何度も生み、

最後には滅びてしまった。

もしかするとこの腕の痛みは

安易に近親相姦に手を出そうとした僕への

ハプスブルク家からの罰。

つまりハプスブルク家の呪い

この真理に気づいた僕はすぐさま切り上げ、

欲望に支配され安直な行動を繰り返したことを叔母さんに謝罪した。

すると叔母さんは

「あなたは罠にはまったが、

自らの欲望を液体に変えることはなかった。」

という趣旨の言葉を残し、3000円を免除してくれた。

やはり最後に頼れるのは家族の愛だ。

家族愛の大切さが身に染みた沖縄旅行だった。

 ※今回登場した叔母さんは、僕の実の叔母とは外見を除いて、全く関係はありません。



常識を疑え ~ 見た目がヤバい奴は本当にヤバいのか ~

皆さんはこの集団のことを知っているだろうか?

彼らは15年ほど前に世間を席巻したパナウェーブ研究所という新興宗教団体である。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パナウェーブ研究所

彼らはこの世のあらゆる不都合を共産党員が流すスカラー電磁波によるものと位置付け、

スカラー電磁波から身を守るためには白い服を着ることが有効として全身を白装束で固めた集団である。

彼らは外見においてはこの流行を超越したファッション

内面においては多摩川のタマちゃんに餌をやるといった慈悲の精神http://denpa.s31.xrea.com/x/event/pana.html

と見た目と性格の良さを兼ね備えた集団であったため、

彼らとは正反対の性質を持つメディアの嫉妬に合い、奇怪な集団として過剰な報道を受けた。

彼らは白装束で移動したり、タマちゃんに餌をあげただけで、

何の根拠もなく某ム真理教のような危険組織として取り上げられたのである。

もちろん彼らはそうした危険組織とは無縁で、

そのことが判明するとメディアは何事もなかったかのように彼らへの報道をやめた。

しかし何も危険なことをしていないのに、危険組織のような扱いを受けた信者たちの心は傷ついたに違いない。

僕は彼らのエピソードを知って強いショックを受けた。

そこまでして彼らが伝えたかったことを知るためには実際に彼らになりきるしかない。

こうして僕の1日パナウェーブ研究員生活が始まった。

始める前はスカラー電磁波の存在に対して半信半疑だった僕だったが

実際に白装束をしてみると

スカラー電磁波を遮ることに成功したからか

いつもよりも風通しが良くなってとても快適だった。

やはり白装束の力は偉大だ。

研究員たちが白装束に傾倒したのも頷ける。

僕は白装束の効能を実感し、意気揚々と電車に乗り込んだ。

しかしそこにあったのは

異質な見た目をした者に対する社会の厳しい視線だった。

僕はいつものように座席に座っていた。

すると前に座った女性が僕と目があった瞬間、 どこかへ立ち去っていったのだ。

当初 ほかにいい席があったのだろう ぐらいの考えであった僕も

こうした立ち去りが1回だけでなく2回 3回と続くと

白装束が立ち去りの原因であることを確信した。

確かに白装束が某ム真理教のような危険組織を連想させるという考えは一理ある。

しかしここで一度冷静になって考えて欲しいのは

信者たちが地下鉄にサリンを撒いた時、彼らは白装束であったかどうかだ。

答はもちろんNOだ。

彼らは一般人と何ら変わりのない服装をしていたのだ。

この例からもわかるように本当にヤバいことをしている奴は

派手な格好などしない。

常に包丁を持って歩く殺人鬼がいるか?

そんなことをしたらすぐに国家権力に捕まるのがオチだ。

人を見た目で判断するのは愚の極みだ。

本当にヤバい奴というのは何食わぬ顔で普通の服装をして街に紛れこんでいるのだ。

これこそが パナウェーブ研究所が研究所生命をかけてまで伝えたかったことなのではないか。

僕たちはもう一度本当に危険な存在が誰なのか真剣に考える段階にきていると強く感じた1日研究員生活であった。 /p>

足臭にまつわるエトセトラ

なぜ人の足は臭くなるのか。

生後20年間足臭に悩まされている僕にとってこの問題は笑い話ではすまない。

うっかり自分の足臭を嗅いで死亡する人生にはなりたくない。

足臭を持った者の人生は悲惨である。

学校では自分の使った靴をたらい回しにされ、家では足を洗うまでは家に入るなと罵られる。

足の臭いと人権は反比例していくのである。

足臭をなんとか打破したい。

はやく人間になりたい。

こうして僕の足臭との戦いがはじまった。

まず僕は足臭の原因を突き止めることにした。

しかし開始早々大きな見落としがあることに気づいた。

足臭は足が存在するために起こるのであって、足を切ってしまえば足臭は起きないのである。

なんだ 簡単なことじゃないか。

 足を切るために包丁を足に向けたが、

ここで足を使わない移動方法の苦しみがフラッシュバックした。

一生コロコロでしか移動できないなら、足臭の汚名を受けたほうがましである。

もう一度足臭解決法を真剣に考えた。

そして出た答えは放置であった。

足臭=悪という固定観念を捨てればいいのだ。

第一 臭いというのがどうして悪になるのか。

この世の美味しい食べ物はたいてい臭い。

チーズ 納豆 肉 魚 どの臭いもとてもいい臭いとは言えない。

つまり臭い=美味しい 美味しい=善 

臭い=善なのである。

となると臭いという言葉は全て褒め言葉だったのである。

僕はこれまで足臭を悪だと勝手に思い込んでいた。

汚名と感じていたのも全ては思い込みで、実際は褒め言葉だったのだ。

他人の善意を勝手に悪と決めつける。

思い込みというのは本当に怖い。

勝手に悪いことと思い込んでしまうのは良くない。

これからは足臭に誇りを持って生きていこう。