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実録 ハッテン場の実態を追え ~戸山公園のもうひとつの顔~

戸山公園

大学に近いということもあり、早稲田生であれば一度は必ず訪れたことがあるであろう超有名スポットだ。

昼は無邪気に玉遊びに興じる子供たち、夜はサークルの活動に勤しむ学生たち と市民の憩いの場として大いに親しまれている。

そんな戸山公園にある奇怪な噂が流れていることをみなさんはご存知だろうか。

そうハッテン場」だ

僕は最初にこの噂を聞いたとき、すぐに信じることはできなかった。

昼には授業を休んでお酒を飲み、夜には友達と鍋を囲んだ僕たちの思い出の場所にそんな裏の顔があっただなんて。

でも僕は調べなければならない。戸山公園を愛する者の1人として彼の表の顔だけでなく裏の顔もちゃんと知っておく必要がある。

僕は神妙な面持ちで「戸山公園 ハッテン場」と検索した。

僕は全てを察した。

「どうせ嘘だろ」と虚勢を張って必死に動揺を押さえていた僕の心境などお構い無く、グーグルは無慈悲にも戸山公園がハッテン場であるという事実を示す情報を表示した。

「いったい戸山公園で何が起きているのか」

愛する戸山公園の裏の顔を知った僕は、彼のもとでどんなドラマが生まれているのか詮索したい衝動に駆られた。

僕は戸山公園ハッテン場という名のついた掲示板を片っ端から閲覧した。

「箱根山には露出狂が多い」「トイレ付近は女装子がうろついている。」「水場の奥にある藪林が青姦スポット」

僕は2年以上に渡って戸山公園に通いつめていたが掲示板で語られていた光景を見たことはない。

「本当にこれらの情報は正しいのか?」

僕は調べれば調べるほど疑心暗鬼になっていった。しかし掲示板を見ているだけでは真相にたどり着くことはできない。となれば方法は1つだ。

「自分で確かめる。」

僕は勇気を振り絞り掲示板にこんな書き込みをした。

するとすぐにこんな返信があった。

心のどこかで「どうせ何の反応も無いだろう」と思っていた僕にとってこの素早い反応は驚くべきものだった。

その後はこの男に言われるがままに僕は自分のメールアドレスを掲示板に投稿し連絡先を交換した。

そして3日に渡って繰り広げられた熾烈な日程調整の後、僕らは7月11日の22:00に戸山公園にある箱根山のふもとに集合することになった。

ゲイマッサージ店での初出勤、2作目のホモビデオ出演の打診。

その間 僕にも様々な出来事が起こった。時が経つのはあっという間。すぐに運命の7月11日がやってきた。

当日を迎えた僕は愛する戸山公園の裏の顔を見ることになるかもしれないという興奮から猛烈なソワソワ感に襲われ、集合時間の30分前に到着してしまった。

箱根山のふもとに向かうためには、昼間は子供連れで賑わうグラウンド、やけに大きな公衆トイレ、青姦スポットとして噂されていた藪林と様々な場所を通る。

通学路として見慣れた場所もこれまで「ハッテン場」として男たちの間で熱い物語が紡がれきた場所だと考えると、

そこには同性を愛する者だけが入ることのできる世界が繰り広げられていて、軽い気持ちでその世界に入り込もうとしている僕を拒もうとしているような独特な空気感を感じた。

こうしてソワソワしながら待つこと30分、寸分の遅れもなく時間通りに1人の男が現れた。

彼はとても若かった

明らかに僕よりも年下で儚げな雰囲気があった。

顔を合わせた僕たちは雨が降っていたということもあり、すぐに男子トイレの中に入った。

実際の男子トイレ(後日撮影)

個室に入り鍵をかけバッグを置いた僕たちはどちらからということもなくすぐに互いの唇を合わせていた。

そのまま僕たちは時が止まったかのように静止していた。

そこには確かに僕たちだけの世界があった。

僕が「彼らの世界」に受け入れられた瞬間だった。

それから何分たったころだろうか。

ふいに外から足跡が聞こえた。

僕は一瞬「僕たちの世界」から離れてしまった。

彼に全く動じる様子は無かった。

その後もたびたび外からの足跡が僕の鼓膜にねじ込まれた。

その度に僕は彼との「世界」から離れて、勃起をやめてしまった。

彼はそんな僕を見てうつむき気味にこう声をかけた。

「どうしたら気持ちいいですか?」

情けなかった。

彼は決して「僕たちの世界」から離れることはないのに、僕はたった数秒の足跡で離れてしまう。

外にいる人たちが「僕たちの世界」に入ってくることは決してないのに。

もう外を気にしている場合ではない。

僕はあえて外で誰かが用を足している時に彼にこんな要求をした。

「ちくびなめて」

彼は嫌な顔1つせず僕の乳首に飛び付いた。

僕はひたすら快楽にのみ意識を向けた。

「僕たちの世界」はお互いが100%快楽に集中した時にだけできる世界だ。

もう他の奴は関係ない。

僕の局部は膨張を続けた。

そして快楽が100%を越えた瞬間、

「僕たちの世界」に純白の虹がかかった。

そして束の間の「僕たちの世界」は幕を閉じ、僕たちは無言のまま和式便所の周りに飛び散った精子を拭き取りトイレに流した。

その後互いに「世界」を共有した僕たちは最初に会った時よりも友好的な雰囲気で西早稲田駅まで歩きながら話した。

彼は18歳の大学生。実家暮らしでお金もなく「世界」を作る場所が無いため、戸山公園を利用してるとのこと。

僕はこの背景を聞いてはっとした。

戸山公園が受け入れてくれるのは楽しそうに遊ぶ家族連れや、ばか騒ぎをして青春ぶる大学生たちのような「日なたにいる存在」だけではない。

彼のような複雑な境遇や欲望を抱えた「日陰にいる存在」も受け入れてくれるのだ。

戸山公園の寛大さを改めて感じた。ハッテン場潜入だった

※僕はノンケ(女性好き)です。

僕は人を叩けない

みなさんは僕の大学に最近こんな団体ができたことを知っているだろうか。

「早稲田から1トン減らす会」

「1トン減らす」というキャッチコピーのもと、大学内でダイエットに取り組みたい人たちを集める団体らしい。

僕はこの団体に激しい憤りを覚えた。

体重のせいで空気まで重くなっているとかいう謎理論を振りかざしダイエットを強要するエゴイズム、

「ダイエットに励む人を集める」という名目で興味を持った女性を集めて「そんなに太ってないよ~」とか言ってワンちゃん狙おうとする薄汚い魂胆。

僕は元々やせ形で特に夏は食欲が無くなり、体重が落ちやすい。

世の中僕のような元々やせ形で体重が減りやすい人間もいるのになぜここまで体重を減らす人間を持て囃そうとするのか。

みんながみんなダイエットしたいと思っている訳じゃないのになぜそこまでダイエットを強要するのか。

百歩譲ってダイエットがしたいなら、「早稲田」とかいう多数を巻き込もうとする単語を使わずに自分たちだけでやってれば良いのではないか。

僕は怒りに震え、すぐさま禁酒会のごとく「早稲田から1トン増やす会」を設立して、この減量ハラスメント団体をぶっ叩こうと考えた。

しかし僕にはできなかった

僕の「早稲田から1トン減らす会」への感情は必ずしも怒りだけという訳ではなかった。

もし感情のパーセンテージを表すなら90%は怒りやいらだちといったネガティブな感情だったかもしれない。

しかし残りの10%ほどの中に彼らへの尊敬の感情が確かにあった。

「早稲田を面白くしたい」という思いから団体を立ち上げる勇気。

今までなかった「ダイエット」を団体の目的とする斬新な企画力。

純粋に彼らの事を「すごい」と思っている自分もそこにはいた。

人間誰しも相手の事を完全に否定するタイミングというのは自分が100%正しいと確信している時だ。

僕はこの時自分が彼らを叩くという行為が100%自分の気持ちに従った行動であるかどうか確信が持てなかった。

だから僕は彼らを叩けなかった

僕は最近このような事が多くある。

Twitterのタイムラインには様々な人々の様々な考えが次々と僕を襲ってくる。

「夢追い人」の野心的なツイート。

「ネタツイッタラー」たちの使い古されたネタのネタツイート

「インフルエンサー」たちのポジティブ思考を強要する煽りツイート

相反する内容ばかりが流れてくるタイムラインでいちいち彼らのツイートに影響されてたら自分が何なのか分からなくなる。

そこで僕がとる方法は「否定」だ。

とりあえず流れてきた内容全てを否定的な態度で消化する。

「夢追い人」には「結局就活のネタ作りでしょ」と

「ネタツイッタラー」には「いいね欲しさの底が浅い承認欲求でしょ」と

「インフルエンサー」には「お前がインフルエンサーやれてるのはお前に影響されない奴のおかげだよ」と

はっきり言って支離滅裂だ。全てを否定すれば倫理的に無理が起きるのは当たり前だ。

でも仕方がない。誰かの意見を100%肯定してそれに従って行動してたらもはや僕は誰なのか分からなくなる。

「否定」は僕を守ってくれる唯一の道具なのだ。

けれども僕はここで彼らのツイートを批判しようとは全く思わない。

確かに僕は彼らのツイートを批判的に捉えている。しかし一方で僕はツイートをした彼らに尊敬心を抱いているのもまた事実だ。

「夢追い人」には「自分の夢を具体化してそれを周りに宣言する覚悟」 

「ネタツイッタラー」には「常にアンテナを張ってネタを収集する察知力」

「インフルエンサー」には 「周りに相手にされないことを恐れずに、自分の考えを語る勇気」

どれも僕には無いものだ

僕は彼らを否定する反面、僕に無いものを持つ彼らを尊敬している。

僕は100%彼らに批判的な訳ではない。

だから僕は彼らを叩けない。

否定とはリスクのある行為だ。

初対面の人間からいきなり自分の行動を否定されれば誰しも不快な気分になる。

一方で称賛は相手の気分を害することは少ない。

だから僕を含めて多くの人は相手に対する否定的な側面は無視して、尊敬できる側面に目を向けて無難に褒める。

否定的なことばかり言っている人間は「ネガティブ」「すぐ否定から入る」といって煙たがられる。

ネットの掲示板を見ればレスバトルだらけでも街に出ればケンカをしている人は少ないのはみんな否定的な側面を隠しているからなんだと思う。

「尊敬」「否定」「誇らしさ」「嫉妬」

人が人に対して抱く感情は本当に多種多様だ。

梅雨のジメジメした雰囲気に誘われてふとそんなことを考えてしまった。


僕の「売り専」体験記part3 恐怖体験編

前回に引き続き今回も「売り専」体験について赤裸々に語っていく。

初出勤以降ありがたいことに僕は何本かの指名を頂き、2週間で6万円ほどの収入を得ていた。

「これ結構イケるんじゃね?このままいけば店のトップになっちゃったりして♂」

僕は鳴りやまない指名に手応えをつかみ、すっかり有頂天になっていた。

そう あの「事件」が起こるまでは。

それは季節外れの暑さが続き、夏の訪れを予感させていた6月2日のことだった。

その日は僕の地元である横浜で開港160周年を祝う開港祭が開かれていた。

しかし当時の僕は5月最後の週に行ったタイ旅行での大量の出費によって資金が不足していたため、祭りを楽しむ余裕などなく、新宿男道場にシフトを入れていた。

「他の奴らが祭りで浮かれている間に、僕は男道場で強くなろう」

僕はそう自らを肯定し男道場での鍛練に励もうと意気込んでいた。

けれども待てど待てど連絡は来ない。

こうした時に限って、男道場は鍛練の相手を用意してくれないのだ。

僕はもう諦めて家に籠り、自己鍛練という名の自慰行為でもしようかと考え始めていた。

「このパターン初出勤の時と同じだな」

ふと僕の中にそんな考えがよぎった。

少し整理してみると今日6月2日は日曜日、当日まで連絡なし、晴れと初出勤の日と条件が酷似していた。

「男の性欲は気まぐれだ。もしかしたら当日連絡が入るかもしれない。」

僕はそんな僅かな可能性に備えて新宿へ向かうことにした。

17:30 僕は新宿に到着した。

初出勤時に連絡の入った時間を過ぎていたが、いまだに僕の携帯は鳴っていなかった。

僕は連絡が来なかった時のために用意していたウーバーイーツの装備を身につけ、ひとまず時間を潰すことにした。

19:25 テテテテテテン テテテテテテン

鳴った。 相手はもちろん新宿男道場からだった。

「とうきく~ん お疲れさまで~す♂21:00から笹塚駅のお客様なんだけど大丈夫かな~」

きた! それも笹塚 性欲の気まぐれを信じて新宿に入っておいて良かった!

僕は迷わず「大丈夫です。」と答え、ウーバーイーツを切り上げて笹塚へ向かった。

この時 僕は指名を予測して新宿入りした自らの名采配に自惚れていて、待ち構えている男が欲望を抑えきれず当日に予約を入れた性欲モンスターであることを完全に忘れていた。

21:00 僕は指定されたアパートに着いた。

3階建てほどの小さなアパートで、僕がこれまで訪れた高級マンションたちに比べるとお世辞にも豪華とは言えない建物だった。

家は人を写す鏡だよ。」

これは僕に多額のチップをくれた大豪邸に住むあるお客様からの一言である。

当時なんとなく聞き流していたこの一言が強く身に沁みる展開になるとはこの時まだ思いもしなかった。

話を戻そう。

指定されたアパートに着いた僕はいつものようにインターフォンを鳴らした。

するとH田と名乗る濃い顔をした若い男が表れた。

僕がこれまで共に鍛練してきたお客様はみな50代以降で若い男はいないと思っていたのでとても拍子抜けしてしまった。

そして挨拶もそこそこに大きなベッドの置かれたH田自慢のワンルームへ案内され、

いつものようにシャワー→キス→フェラの順番でお互いにオーガニズムに達し、プレイを終えた。

ここまでは特筆することもないいたって普通のサービスだった。

そうここまでは

「一緒にお酒を飲もう」

プレイを終えたH田がそう声をかけた。

この時点で21:40。H田は21:00から22:00までの一時間コースだったため、まだ時間に余裕があった。

僕はピロートーク中に軽く一杯喉を潤す程度のものだと思っていたので、特に何も考えず誘いに乗った。

この一杯が地獄の始まりだった。

お互いにプレイ後のシャワーを浴び終え、ベッドの前に置かれた小さなソファーに腰掛け、水割りのハイボールで乾杯した。

H田とは年齢が近いということもあり、恋愛やセクシャリティの話でとても盛り上がった。

H田は元々ノンケ(女好き)だったのだが、学生時代に友達とゲイバーに行ったのをきっかけに男に興味を持ち始め、今では完全にゲイになったとのことだった。

こうした話は中学から高校にかけてバイからノンケへ「性転換」した僕にとっても大変興味深い話であった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと時計は22:00の針を指していた。

僕「じゃあ時間なんでそろそろ…」

H田 「えーもうちょっと飲もうよ」

振り返るとさっきまで空だった僕のグラスになみなみとハイボールが注がれていた。

「注がれたお酒を断ってはいけない。」

これは僕が大学生活で学んだ唯一の知識だ。

僕は「あと一杯だけだよ」と伝え、再び酒の席へ戻った。

一杯一杯また一杯。

その後もこの僕が帰る素振りを見せるたび、「あと一杯だけだから」といってH田が止めるという流れが続いた。

22:30、23:00、 刻一刻と時間は流れた。

もう5杯は飲んだだろうか。

当初水割りだったハイボールは杯を増すごとに濃くなり、既にロックに近い状態と化していた。

僕は徐々に自分の意識が朦朧としていくのがわかった。

H田はこのタイミングを待っていたようだった。

H田は僕が酔って抵抗する気力を無くしているのをいいことに、急に僕の胸や局部を触りだすといったスキンシップを繰り返すようになり、最後にはディープキスを求めた。

H田は元々一番安い1時間コースで僕を呼び出し、酒に酔わせ判断力を奪った後、行為に及ぶ魂胆だったのだろう。

もはや一線を越えるのは時間の問題だった。

しばらく絡んだ後、ふいにH田は僕にベッドに横たわるよう指示を出した。

この時点で僕は完全に酔いが回っていたので、家に帰ることよりも横になることを優先したい心境になっていた。

「やっと横になれる。まあゴムはつけるでしょ。」

僕はそう軽く考えて、指示通りに横たわった。

酒と欲望に溺れ完全に獣と化していたH田にもはやそんな倫理観が通じるはずもなかった。

彼は僕のパンツを脱がすと、まともに指を入れることもなく、僕の尻穴に自らの肉棒をぶちこんだ。

僕の尻に激痛が走った。

基本的に尻穴に局部を挿す際には最初にまずローションで尻穴の滑りを良くしてから、指を一本ずつ入れて尻穴を少しずつ広げていくのだ。

そうした過程を一切省いていきなり局部を突き刺せば激痛が走るのは当然だ。

いうなれば、いきなり尻穴に鉄の棒を突き刺されるようなものだろうか。

そんな痛みに悶絶する僕には目もくれずH田は獣のごとくひたすら腰を振り続けていた。

H田が絶頂を迎えた時には、僕の尻から大量の血が流れていた。

何度も尻を貸したことはあったが、血が出るのは初めてだった。

僕は完全に我に帰った。

そんな僕をさらに恐怖のどん底に突き落とす光景が目の前には広がっていた。

ハマダの周りにコンドームをつけた形跡がなかった。

終わり





PS    陰性でした。良かったです。

 

右折しようとした、しかし左折した。

いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん

そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?

「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908

「大食いの称号」という取るに足りない称号。

「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。

僕はこのタイトルが大好きだ。

誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。

「香港の巨大魚を狙おうとした、しかし挫折した」

「ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した」

これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。

しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。

それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。

僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。

そう「左折」だ。

「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。

また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。

僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。

以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。

令和元年 6月某日

「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。

何故西早稲田駅にいたのか。

理由は一つだ。

僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに

体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。

今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。

いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。

そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。

右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。

恐るべし「新宿二丁目」

血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。

「止まれ 左折しろ❗」

ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。

ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。

それは4ヶ月前のことである。

僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。

「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。

マッサージのことだろうか?

当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。

すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。

僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。

「入らない」

僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。

それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。

「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。

ついにその瞬間はやって来た。

僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。

そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。

「入る! 入る!」

僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。

そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。

僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。

「どうしたの?」

ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。

振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。

彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。

僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。

芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。

安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。

絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。

僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。

左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。

新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。

やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。

僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。

100万ドルの夜景を観た次の日に10万円を失った

それはたった2時間あまりの出来事だった。

僕は全財産の半分である10万円を失った。


きっかけはほんの少しの出来心であった

僕は今回6月7日から9日にかけての3日間、香港周辺に滞在していた。

7日 昼 深セン観光 夜 ピンポンマンション

8日 昼 バナナ配布&釣り 夜 夜景

といった具合で8日までの予定は簡単に決まった。

さて9日に何をするか。

流石に香港も3日目となると少し飽きてくる。

深センはもう行ったし…。

そう悩んでいた僕にある危険な選択肢が浮かんできた。

マカオ

「マカオ行ったことないし、せっかくだから行ってみよー♪ カジノでお金増やせたらラッキーだし♪」

僕の行き先はマカオに決まった。

周辺地図

そして運命の6月9日がやって来た。

僕は前日、夜遅くまで100万ドルの夜景を見ていたので、11時ごろに起床した。

100万ドルの夜景として有名な香港ビクトリアピークからの眺め

すぐに荷支度をして、宿舎を出る準備をしていると宿舎のおばさんが、中国語で「近くで政治パレードをやるから見てきたらどう?」と話しかけてきた。

僕はせいぜい地元のお祭りぐらいの規模なのだろうと思って あまり深く考えてはおらず、適当におばさんをあしらって宿舎を出た。

後で調べて驚いたのだが、おばさんが語っていた「政治パレード」はこの日偶然、香港で行われた史上最大級のデモだったのだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326196


このデモにコスプレで参加したらどうなっていたことやら。

僕は貴重なチャンスを逃してしまった。

あの時 素直におばさんの指示に従っていれば…

話を元に戻そう。

宿舎を出た僕は適当に昼飯を済ませ、すぐにマカオ行きのフェリーへ乗った。

適当な昼飯
適当なフェリー (奥)

僕はフェリーに乗っている時、カジノ情報を読み漁った。

ポーカー ブラックジャック ルーレット スロット。マカオには実にたくさんのゲームがある。

これだけ多くのカジノゲームを作り出す人間のギャンブル欲の凄まじさを改めて痛感した。

この多種多様なゲームの中で、僕の興味をひときわそそったものがあった。

「大小」だ

「大小」とは簡単にいうと3つのサイコロを同時にふり、出た目の合計が11以上の「大」か11未満の「小」かを当てるゲームである。

当たると賭け金は倍になり、外すと掛け金は没収される。

詳しいルールはこのサイトに乗っているので気になった人はぜひ見てほしい。

僕は知識など一切関係なく、ただ「大か小かをかける」という「大小」の強いギャンブル性に完全に魅了された。

僕はこの「大小」に関するブログを漁った。

すると、あるカジノで初心者が大小で大勝利を収めたという記事が僕の目に留まった。https://macaupackers.com/casino_episode1/

この記事の執筆者はなんと「大小」で1000香港ドル(15000円)をたった1時間ほどで、6000香港ドル(90000円)まで増やしたと語っている

彼の理論はこうだ。

「カジノ側は客に大きな利益をあげさせたくないから、大勢が同じ所にかけた場合は、その逆が出るように仕組んでいる。よって大小の必勝法は賭け金が大か小のどちらかに偏った時にその逆をかける。 」

僕はこの理論を聞いてとても納得した。

実際に勝っている人間が言うのだから信頼できる。

この理論さえ知っておけば、もう勝ったようなもんだ。

10万手に入れたら、何に使おうか。

あらゆる労働をやめて、これからはカジノで食っていこうか。

「マカオカジノ必勝法」なんてブログでも書こうかな~

僕はすっかり勝った気になって、不純な妄想を膨らませていた。

こうして僕がありもしない空想に更けていると、あっという間にフェリーはマカオに到着した。

マカオに降り立った僕はすぐに例のブロガーが勝利したと伝えらている五ツ星ホテルシェラトンマカオに向かった。

そして着いたシェラトンマカオはカジノからレストラン、さらには巨大なホールまで兼ね備える大変豪華な建物だった。

しかし この時僕の頭の中はカジノに侵食されていたため、写真をとる余裕などなく、ただただ道行く人々に「where is casino?」と聞き続けていた。

そして 心優しいホテルマンたちに助けられ、僕はついにカジノの扉を叩いた。

カジノ内撮影禁止のため 内部の写真はこれだけです。
実際にこの写真を撮ってる時に注意されました。

カジノ内では夕方にも関わらず、多くの人々が血走った目で必死にゲームの行方を追っていた。

彼らの真剣な姿は僕の賭博欲求に火をつけた。

「賭けたい 賭けたい 賭けたい」

僕はすぐに両替所に向かい、会員専用ゴールドカードを作り、手持ちの600香港ドル(9000円)をチップに変えた。

会員カード(帰国後撮影)

「これがチップか」

このころまだチップを日本円計算する余裕があった僕は1枚1500円という破格の100ドルチップの重みを強く感じていた。

そしてこの6枚のチップを握りしめ 僕は「大小」が行われるフロアに向かった。

案の定「大小」には多くの人々が集まり、至るところで悲喜こもごもな歓声が上がっていた。

撮影禁止なのでイメージ

しかし僕はここである重大なミスに気づいた。

ここの「大小」の最低賭け金は300香港ドルだった。僕の手持ちは600ドルしかない。

つまり僕は最低2回しか賭けに参加することができない。

ただ今の僕には最強の「理論」がある。

僕の持ち金が足りないことなんて、何の問題でもない。

僕は先ほど紹介した「大勢が賭けた方の逆側に賭ける」を実践する機会をうかがった。

するとすぐに 「大」の側に 数十枚の1000香港ドルチップ(15000円)が置かれるなど、その場にいた全ての人々が「大」の側にチップを置く瞬間が訪れた。

「チャンス」

僕は彼らの動きに反してすぐさま「小」の方に300香港ドルチップを置いた。

「しめしめ 大勢に流されるなんてバカな奴らだな」

そんなことを考えて結果を待っていた。

しかし待っていたのは驚愕の現実であった。

「負け」

電光掲示板には14の数字が掲示されていた。

自らの勝利に喜ぶ人々を尻目に、ただ一人だけ別の方へ賭けた僕の300香港ドルは虚しく回収された。

「あり得ない 何かの間違いだ」

僕は別の卓でもう一度理論を試したが、結果は変わらかった。

こうして僕のなけなしの600香港ドルは10分足らずで消えてしまった。

現金を失った僕は悩んだ。

ここでカジノを辞めるか、それとも…。

しかしフェリーの時間までまだかなりある。

それに理論が破れた今こそ「真のギャンブル」を味わうチャンスなのではないか。

僕は本能的に検索を避けていた禁断のワードをグーグルに打ち込んだ。

「マカオ カジノ クレジットカード」

検索結果 使える。

知ってしまった。もう戻れない。

僕はすぐさま両替所に行き、2000ドルチップ(30000円)を手に入れた。

そして僕は再び「大小」のフロアに戻った。

僕は理論を捨て、本能と周りの流れを見て300香港ドルチップを賭けた。

すると先ほどまでの苦労が嘘だったかのように勝利をあげ、一時はプラス900香港ドルまで増やすことに成功した。

しかしここで僕に危険な誘惑が襲った。

「1000単位で賭けたらどうなるのか」

僕の周りのギャンブラーたちは1000ドルチップを数十枚所有し、みな1000単位で賭けを行っていた。

そんな中、1人だけ最低賭け金300ドルを賭け続ける自分を見ているのが悲しくなってしまった。

「せっかくマカオに来たんだから派手に行こうぜ!」

僕は手持チップの大半である2000ドルチップを派手に賭けた。

「負け」

僕がこれまでコツコツためたチップたちは見るも無惨に回収されてしまった。

その後も流れは変わらず、僕は再び無一文となった。

「なんかイケる気がする」

コツコツ戦法で一定の手応えを感じた僕は「もうちょいあれば勝てる」と確信し、今度は3000香港ドル(45000円)分のチップを購入した。

「もう2度と全賭けはしない」

僕はこう固く決意した後、再び決戦の地へ足を運んだ。

三回目の挑戦は困難を極めた。

500ドル勝っては500ドル負ける、長い勝ちも負けもなく、戦いは長期化した。

それでも少しずつ借金は減っていき、カジノ開始から1時間がたったころには最高2600ドルまで膨れた借金は400ドルにまで減っていた。

「この一進一退の流れを何とかして変えたい。」

そう考えた僕はどうやったら流れを変えられるか考えた。

しかしもはや1時間以上カジノに入り浸り、すっかりギャンブル脳になっていた僕の頭に浮かんだ考えは

「大きく勝つ」 だった。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。あれほどさっき痛い目を浴びたはずなのに、この時 もう先ほどの全賭け負けが脳裏から消えかかっていた。

「大丈夫 勝てばいい」

僕はこの時の手持ちの大半であった3000ドルを賭けることに決めた。

「絶対勝つ」

僕はこの3000ドルを賭けるにあたって、この「大小」の法則性を導き出そうと考えた。

しばらく賭けるのをやめて観察していると、

このカジノには全部で「大小」の卓が15個ほどあったのだが、いくつかの卓では、連続して同じ数が出やすいことが判明した。

そして これらの卓に絞って観察を続けると、

大と小が交互に出る可能性が極端に低いことが分かった。

つまり長く大が続いた後に小が出た場合は次も連続して小が出る。

僕はこの法則性の正しさを確信した。

そして特定の卓に絞り、その瞬間を刻一刻と待った。 

「大」「大」「大」「小」

来た。

僕は誰よりも早く「小」の部分に3000ドルチップを置いた。

そして僕は祈るような思いで、ただひたすらサイコロの入った箱を見つめていた。

ディーラーが賭け時間の終了を伝えていた。

僕にはもう箱しか見えていない。

何度もうんざりさせられた待ち時間での大げさな演出も今は耳に入らない。

たった数秒の待ち時間が永遠に続くかのように感じた。

「来い!」

箱が開いた。


そこにあったのは4と6が記されたサイコロだった。

もうひとつは覚えていない。

僕は4と6が見えた時点でそっとその場を離れた。

卓上では「大」をコールする演出と、人々の歓声がこだましていた。

また負けた。

一時間かけてマイナス400ドルまで持っていった借金は一瞬で3400ドルまで膨れ上がった。

理論とは何だったのか。

僕は全ての気力を失い、残りのチップも惰性で適当に賭け続け、最後には全て失った。

こうして僕はカジノにてたった2時間で全財産の半分である10万円を失った。

帰り道 僕は自分が10万円を失ったという現実を理解できず、「何か楽しい体験をしたんだ!」と思い込み、ずっと笑っていた。

あはははははは! あははははははは!