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サウナ道~男たちの戦場~

サウナ そこは男の戦場。

数々の修羅場をくぐり抜けてきた

屈強な男たちが己の限界に挑戦する…


僕は生まれて22年間、いまだ理解できずにいた問いがあった。

なぜ人はサウナに魅せられるのか。

近年男たちの間でサウナ活動は「サ道」「整う」といった言葉と共に流行を博している。

僕はこの流行に強い疑念を持っていた。

僕は夏場の売りセンで部屋に入った途端、エアコンを最低温度にまで設定する男たちの姿を通じて、いかに男たちが暑さを嫌っているかを知っている。

もちろんサウナは暑い。

ではなぜ暑さを異常に嫌う男たちが暑いサウナを愛好するのか。

また「整う」という言葉も僕にはいまひとつ理解の及ばない概念であった。

一説によると高温のサウナと低温の水風呂を交互に入ることで「整う」という境地に達することができるらしい。

サウナを訪れるのは脂ぎった男たちが多数を占めている。

自らの脂ぎった身体すら整えられないのになぜサウナと水風呂を往復しただけで「整う」のか。

サウナについて考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。

おっさんを制する者が人生を制する

今後社会の荒波をくぐり抜けていくためには、金と権力を持つ男たちのトレンドに敏感になり、友好な関係を築くことが重要だ。

男たちのトレンドを理解する一環として、サウナの良さを知る必要があるかもしれない。

百聞はサウナに如かず。

僕は実際にサウナへ足を運ぶことにした。

早速サウナの情報を調べてみると、なんと横浜市に関東一冷たい水風呂を自称するサウナがあることを発見した。

その名もヨコヤマ・ユーランド鶴見 

スーパー銭湯元年と呼ばれる平成2年にオープンしたといういかにも脂ぎった男たちが集まりそうなサウナである。

僕は行き先を定め、電車とバスを乗り継ぎサウナへ向かった。

(ちなみにヨコヤマユーランドの水風呂が9度なのに対し、池袋かるまるの水風呂は7.6度なので、関東一冷たい水風呂はデマである)

出発から約30分、目的地に到着したという表示を確認し、顔をあげるとそこには若者を拒絶するかのような昭和の香り漂うスーパー銭湯があった。

ここは間違いなく男たちの巣窟だ。

僕はすぐに受け付けを済ませ、脱衣場へと向かった。

脱衣場に若者の姿は無かった。

恐らく平均年齢は50を越えているだろう。

男たちのトレンド検証にはぴったりだ。

そんなことを考えながらあられもない姿になった僕はサウナとの戦闘の準備を整えるために、スーパー銭湯名物の温泉に浸かることにした。

温泉にはぬる湯と熱湯があったが、丁度良い湯は無かった。

温泉に浸かっている間も、僕の視線は常に数々の湯を押し退け中央に鎮座する水風呂と次々と男たちが消えていくサウナに注がれていた。

サウナには何があるのか。

好奇心から来る高揚感は温泉以上に僕の身と心を温めた。

戦闘準備を整えた僕はサウナの扉に手をかけた。

そこには僕の想像を越える光景が広がっていた。

10畳そこらのサウナに脂ぎった男たちが所狭しと座っていた。

その息を切らし、汗を垂れ流す男苦しい様子は北京ゲイサウナを彷彿とさせた。

形の違いはあれサウナで見られる光景はどこも同じなのかもしれない。

僕は唯一空いていた一番熱い釜戸前に座り、男たちを観察した。

びっしょりと汗を流しじっと俯く男、息を切らして天を見上げる男。ひたすらに時計の針を見つめ、出る時間をいまかいまかと待つ男。

実に多様な男たちの姿がそこにはあった。

彼らみな己と戦っていた。

少しでも長くこの場にとどまろうと。

しかしまだ僕には彼らが戦う理由は分からなかった。

何のために? 何が楽しい?

そんな疑問を浮かべているうちにも釜戸の熱線は容赦なく僕を照りつけた。

僕は己の限界を感じ、一旦外へ飛び出した。

「水風呂無くしてサウナ語るべからず」

サウナ前には冷に餓えた男たちを待ち構えるかの如く、青々とした自称関東一冷たい水風呂が鎮座していた。

今までの水風呂はせいぜい15度そこらだった。

9度の水風呂は明らかに未体験ゾーンだ。

僕は近くのシャワーを浴びて水風呂の前に陣取った。

正直全く入りたくなかった。

しかしどこかのウメハラが言っていた「自分が嫌なことをやらなきゃ意味がない」という言葉が僕を奮い立たせた。

そうだ自分が嫌なことをやれ。じゃなきゃ新しい発見はない。

僕は意を決して水風呂に足を踏み入れた。

ヤバい。エグい。

水風呂に入り肩までつかると、僕は全身の筋肉が一気に引き締まるのを感じた。

氷水にいきなりぶちこまれる魚はこんな気分なんだろう。

僕は実の危険を感じ、15秒を経たないうちにすぐさま飛び出し、熱を求めてサウナへ逃げた。

なんだあれは。

サウナに逃げ込んでしばらく立ってもふくらはぎの張り詰めた感覚が残っていた。

あんなのにここの男たちは入り続けているのか。

僕は彼らに尊敬と畏怖の念を覚えた。

水風呂を経たからであろうか。

僕は最初に入った時よりもあまりサウナを熱く感じず、気づいた時には最初の倍近い時間サウナに滞在していた。

僕はここである新しい感情に出会った。

達成感だ。

以前よりも長い時間サウナにいたことから、自らの耐久力向上を実感し、僕は達成感を覚えていた。

ただ座っていただけなのに、自分が成長した感覚があった。

その感覚は僕がここ最近で得られていないものであった。

なんだこれは。

その後僕は意識的にサウナと水風呂を前回よりも長く入るように心掛けた。

10秒 20秒 30秒

3分 5分 7分

時間を意識することで圧倒的に苦しさは増した。

しかし自らの目標時間をクリアした時、確かに達成感と爽快感を得ている僕がいた。

これだ。

この感覚こそが世の男たちを魅了しているんだ。

サウナに訪れる男たちは圧倒的に中年以上が多い。

彼らは生活の中で、日々自らの衰えを感じ続けている。

人生のピークを終え、自らに迫り来る老いを淡々と待つ生活は残酷極まりない。

そんな中、彼らはサウナで「耐える」という単純な行動を通じて、自らの限界を越え、成長を感じる。

彼らにとってサウナは老いを感じ続ける日々に抗い、成長を目指すことのできる数少ない場所なのである。

ここはスーパー銭湯じゃない。

スーパー戦場なんだ。

無情な老いに抗う男たちが己の限界と戦う汗と涙の戦場なんだ。

そのことに気づいた僕の男たちへの印象は完全に変わっていた。

確かに彼らはみな脂ぎった体をしているかもしれない、しかしその体の中には老いてなお成長を目指すのを止めない屈強な精神力があるのだ。

僕にはこの男たちのような屈強な精神力はまだない。

サウナは人を強くする。

サウナの底知れる可能性を知ったサ道体験だった。




「無」の生活への受容

帰国したから半年が経った。

一時期なシノギ削りのためのはずだった帰国も某ロナの影響によってずるずると半年まで延びてしまった。

この半年間を一言で例えるなら間違いなく「無」である。

勉強、労働、ゴロゴロ。

僕は半年間これらのルーチンワークをただただ淡々と続けてきた。

「マイホビーイズゴロゴロ」を自称し、元々予定が無ければ、ほとんど家を出ることのない僕にとってこの生活は決して苦ではない。

しかし中国各地を転々とするホームレス旅を続けていた半年前との生活落差は凄まじい。

マイホームにどっぷりと浸っている今の姿を半年前のホームレスだった僕はすぐに信じることができないだろう。

何かが起きることが当たり前だった旅生活から何も起きないことが当たり前な家生活。

僕の生活はこの半年間で完全に「有」から「無」へと変わった。

無の生活へ変わったいま、ドキッとする質問がある。

「最近何してるの?」

友達から何気なくされるこの質問。

有の生活時であれば、特に考えることなくすぐに「旅してる」とでも言えるのだが、無の生活の今では若干の思考が必要になる。

「そういえば最近自分て何してるんだろう」

とりあえず最近やっていることを思い返して説明するけれど、どこか自信無さげになってしまう。

自分がやっていることを自信満々に説明できないというのは、自分の生活に100%満たされている訳ではないということの証拠なのだろう。

すっかり削りがいの無くなったシノギに関してもそうだ。

お金が増えているというのは、裏を返せばそれだけお金を使ってでもやりたいと思うことが減っているということだ。

世の中 楽しいことをするにはどうしてもお金が必要になる場合が多い。

今までの人生を振り返ってみても、本当に充実していたと感じる時期は必ずお金が減っている。

貯蓄の増加はワクワク度の低下なのである。

だがしかし前述した通り、僕はいまの生活が嫌いという訳ではない。

冷静に考えればこれまでの人生「無」であった時間のほうが圧倒的に多い。

いわば人生は「無」であるのが当たり前なのだ。

人生が「無」であることに絶望する必要は全くない。

「無」の時があるからこそ、「有」の時と現れる。

永遠に「有」の生活というのはある意味永遠に「無」であるのに変わらない。

当たり前の「無」を受け入れて、「有」の時を待つ。

そのくらいのモチベーションで日々を生きてゆきたいと常に思う。


僕は治験に落ちた

僕は治験に落ちた。

結果発表は入院予定日の前日だった。

入院者には予定日の1週間前から、いくつかの行動制限があった。

合格ありきの発表だと思っていた。

僕はこの1週間、治験候補者として恥じないような生活を送ってきた。

大好きなビタミン剤もカップ麺ぶっこみ飯もやめた。

酒の誘惑も自慰の誘惑も絶った。

全ては被験者として新薬の発展に寄与し、社会に貢献するためだった。

しかし僕は落ちた。

同じ事前検査を受けたS塚とT岡は合格した。

入院直前にも関わらず、大阪で飲み散らかしていたS塚。

普段から他人を殴り散らかしているT岡。

日本の創薬界を支える重要な治験に参加するべき人材とは到底思えない。

だが 合格したのは彼らだった。

詳しい理由は分からない。

ただ1つ分かることは僕の体には決して創薬界には関わってはならないと評価されるほどの重大な欠陥があるということだけだ。

その欠陥が何であるかを教えてくれる者は誰もいない。

受付おばさんもただ「他の方が合格しました」と伝えるばかりだ。

僕が治験に落ちたのはこれで3回目だ。

僕はこれまで治験に合格できるのは「日本社会に貢献したい」という信念のもと、常に自らの体と向き合い、理想の健康状態を維持する一流健康家だけだと思っていた。

今回の結果はそんな僕の慰めを完膚なきまでに打ち砕いた。

僕の健康状態は「中」ではなく「下」だったのだ。

僕が今回の治験で手にしたものはこの事実だけだ。

事前検査でもらった3500円はその日のうちに交通費と交際費に消えた。

僕にとっての今回の治験はただ東大宮まで行って「お前は不健康だ」と罵倒されるだけのイベントだったのだ。

それも不健康の詳細は伝えられることはなく。

こんなに不毛な出来事に出くわすことはそうそうない。

そんな僕が本ブログで伝えたいことがただ1つある。

「健康を大切にしよう」

たにくしょくぶつ

          あつまれどうぶつの森

3月20日の発売以降、外出自粛の風にも乗り、あれよあれよと売り上げを伸ばし、もはやゲームの枠を越え、社会現象にもなっている。

数年前、某道ステーションの影響によってユーモアに自信のある学生たちが連呼していた「アツモリ」という言葉も今では「あつまれどうぶつの森」の略という意味に変わりつつある。

そんな「あつまれどうぶつの森」の人気を支える要素の一つにプレーヤー自身が家具や道具を作るDIYというものがある。

「あつまれどうぶつの森」は何もない無人島を一から開拓するという点を重視しているため、家具や道具も主に自分で作ることを推奨しているという訳だ。

「釣竿から丸太まで」という言葉に代表されるようにこのDIYで作れるものは多岐に渡る。

家のローンの支払い、島に建物を作るための費用、はたまた住人の勧誘。

スローライフを謳うゲームとは思えないほど、殺伐とした現実世界さながらに金銭を要求する本ゲームにおいて、必需品を自分で作ることのできる機能はとてもありがたい。

しかしこのDIY 何も有用なものばかり作るための機能ではない。

その利便性と素材活用精神が、時に人知を越えた紛れもない恐怖を生み出してしまうことがある。

          「たにくしょくぶつ」

雑草20本と空き缶1個という質素な素材で作ることのできるこの「たにくしょくぶつ」、ゲーム序盤から作れることもあり、とりあえずというノリで1度は作ったことのあるプレーヤーも多いはず。

宣材写真も意外と綺麗にまとまっており、観葉植物的な雰囲気を醸し出している。

いや おかしい。おかしすぎる。

なぜ空き缶に草を刺しただけでいい感じになるのか。

現実の草どもはこんなに色彩豊かなのか。

そもそも「たにく」ってなんだ。

僕の頭はすぐさま疑問で沸騰した。

ただしかし日本に社会現象を巻き起こしたゲームの中で、堂々とインテリアの一つとして鎮座するこの「たにくしょくぶつ」。

もしかすると想像の世界では表現することのできない魅力が隠されているのかもしれない。

ゲームはリアル リアルはゲーム。

ゲームの疑問はリアルにしなければ理解できないのかもしれない。

僕は実際にこの「たにくしょくぶつ」を作ってみることにした。

「たにくしょくぶつ」を作るにあたって一番重要なのはやはり雑草だ。

材料や工程の少ない「たにくしょくぶつ」作りでは、雑草の質こそが「缶に草を詰めた物体」と「たにくしょくぶつ」との違いを生み出すのだ。

僕は雑草を探すために早速、不草不急の外出を行うことにした。

外出前は雑草の生い茂る場所に今一つ心当たりがなかったが、道端によく目を凝らして歩いていると、街路樹の周りなど至るところに雑草が生えていることが分かった。

この世は雑草天国なのだ。

これだけ僕たちの身の回りに溢れているのに、普段全く日の目を見ることもない。

挙げ句の果てには「雑な草」と呼ばれる始末。

彼らの日々の不遇は察するに余りあるものであった。

「彼らに少しでも光を当てなければならない」

僕は「たにくしょくぶつ」ブームを現実化し、彼らの不遇の日々を終わらせる使命があると感じた。

雑草たちの不遇の日々に思いを馳せる僕

「雑草選びがたにくしょくぶつを支配する」

雑草には様々な種類がある。

その日その日のコンディションに合わせて的確な雑草選びをしなければ、良い「たにくしょくぶつ」を作ることはできない。

さらに並大抵の覚悟では雑草魂を持った彼らを引き抜くことは容易ではない。

吟味と格闘を重ねること数分、僕はついに良質な雑草を手に入れることに成功した。

良質な雑草には良質な空き缶を。

雑草が輝く最高の舞台を提供してくれるのが空き缶だ。

僕は雑草を極立たせるために、質素なデザインの角ハイボールを採用した。

あとに待つのは雑草と空き缶の夢のコラボレーション。

僕は自らの芸術センスを信じて、缶に草を盛りつけていった。

盛りつけること約1分。

ついにリアル「たにくしょくぶつ」が完成の時を迎えた。

僕はそっと草を抜き、ゴミ箱へ捨てた。

この1日はもうなかったことにしよう。

甲子園を観ているといつも幼少期の奇妙な性癖を思い出す

例年熱い戦いが繰り広げられ、日本の夏の風物詩として君臨する高校野球。

甲子園という大舞台のために全てをかける球児たちの姿に心打たれ、毎年現地やテレビの前で観戦するファンも多い。

僕もそうした高校野球ファンの1人である。

元高校球児であった父の影響もあり、僕は7歳の頃から高校野球を観始めた。

当時は新聞にあったトーナメント表を見つけてはハサミで切り抜き、毎日ニュースや新聞で結果を確認して書き込み、

大会が終わると「高校野球神奈川グラフ」や「甲子園の星」といった高校野球雑誌を購入して隅々まで読み込んでいた。

両親が共働きなため、夏休みになると小児収容施設である「学童保育」に収容されていた僕にとって学童をサボって観る高校野球は夏休みの数少ない娯楽であった。

こうした僕の高校野球好きは夏休みだけにとどまらず、高校野球の情報を集めるために、

甲子園が終わった後も「高校野球事件史」「名門野球部の甲子園伝説」などの雑誌を読み込み、高校野球の知識を蓄えていった。

こうした僕の高校野球への愛が別の形に変化してしまっていたのもちょうどこの頃であった。

僕が自慰行為を覚えたのは7歳の時であった。

これはちょうど僕が高校野球を見始めた時期と重なる

そう

当時の僕の自慰行為のネタは「高校野球」たったのだ。

実際に当時読んでいた雑誌を見ると、特定の選手にいくつか下の写真のようなマークがつけてある。

おそらく僕は当時このマークがついていた選手で自慰行為をしていたのだろう。

マークがついている選手たちには共通点がある

それは「大事な場面で結果を残せていない」ということだ。

マークのついた試合ということではないが、マークのついた選手はみな後の試合で勝敗にかかわる場面で打てなかったり、エラーをしたりしている。

当時の僕も子ども心ながらに高校野球の選手たちはとてつもない努力を重ねているということを理解していた。

夏の大会という集大成のために、途方もない練習を重ねたのにも関わらず、結果を残すことができない。

僕はそんな「努力が報われない姿」に興奮し、その感情の高ぶりを性的な興奮と混同してしまっていたのだと思う。

時が経つと共にいつの間にか高校野球にそうした興奮を覚えることは無くなったが、

現在のセックスに関心を持てないという僕の性癖を考えると、いまだにこの「報われない努力」に興奮するという根幹は変わっていないと思う。

僕の脳内はいまだに「報われない努力」に対して覚えた興奮を性的興奮と誤解したままなのだ。

いうなれば 僕はおそらく人生観フェチなのだろう。

この先 僕の性癖はどのように変わっていくのか。

現段階で言えるのは「報われない努力」への過度な崇拝は変わることはないということだけだ。

PS ビリビリ動画(ニコニコ動画の中国版)のチャンネルを作りました。良かったら観て下さいhttps://www.bilibili.com/video/av64564824

実録 ハッテン場の実態を追え ~テルマー湯に潜む怪~

みなさんはテルマー湯という施設の存在を知っているだろうか?

2015年8月のオープン以来「都会の中心で五感を潤す」をコンセプトに欲望の街、新宿歌舞伎町に訪れた人々の癒しの場として親しまれてきたスパリゾートだ。http://thermae-yu.jp/

終電を逃したサラリーマン、仕事終わりのキャバクラ嬢、はたまた旅行中の外国人。

テルマー湯に訪れる人種は実に豊富である。

そんな誰からも愛される安らぎの場であるテルマー湯だが、例の如くある奇妙な噂が流れている。

そう ハッテン場だ。

このテルマー湯も前回潜入した戸山公園と同じく「テルマー湯 ハッテン場」と検索すると多くの掲示板が乱立している。

しかし最初にも述べたようにテルマー湯はあくまで一般人向けのスパリゾートであり、テルマー湯に訪れる人の全てがゲイという訳ではない。

また多くの人が訪れるスパリゾートのため、戸山公園のような人気の少ない個室もない。

「彼らはどのようにして行為に及ぶのか?」

こうして僕はテルマー湯への潜入を決めた。

そして前回の潜入から一週間がたった7月18日木曜日 僕の潜入は決行された。

僕はまず掲示板で「彼ら」が多く出没すると言われていた午前0時前後に入浴を行うため、午後11時にテルマー湯の前に訪れた。

そしてこのテルマー湯の前で僕の潜入に興味を持ち参加を申し出た篠塚康介氏と落ち合いテルマー湯に入館した。

この日は激しい雨が降っていて、お互いにかなり濡れていたということもあり、僕達はとりあえず風呂に入ろうということになり、大浴場へ向かった。

大浴場の入口 とても「彼ら」の潜む場とは思えない

僕たちは入浴前これからハッテン場に潜入するという緊張から妙にソワソワしてお互いの体を触りあっていた。

大浴場は大きな浴槽が1つに小さな浴槽がいくつも存在するという至って普通の作りをしていた。

にも関わらずそこがハッテン場であると意識しただけで不思議と入浴している人が全て「彼ら」に見えて落ち着くことができなかった。

僕たちは体を洗った後、いくつかの浴槽を回った。途中50代ほどの小太りな白人男性に数秒見つめられることもあったが、特に何も起こらず僕たちは最初の入浴を終えた。

正直かなりガッカリした。

確かに僕たちを見つめてきた白人男性はゲイであったかもしれないが、普通の銭湯にも隠しているだけでおそらくゲイの人はいるだろう。

僕が今回期待していたのはハッテンに及ぶ「彼ら」の姿である。

しょせんはただのスパリゾートか。

僕はテルマー湯に泊まるために払った4000円が惜しく感じるようになっていた。

篠塚氏も僕と同様にガッカリした様子で「喉が痛いから寝る」と言って足早に休憩室へと消えていってしまった。

僕も寝ようかな。

僕は時間を確認した。

時間は午前0時を少し過ぎたころだった。

僕の脳裏に午前0時を過ぎた頃が一番盛り上がるという掲示板の情報が浮かんだ。

「寝るのはまだ早いしまあ行ってみるか」

僕はそんな軽い気持ちで2度目の入浴へ向かった。

僕が脱衣場で着替えていると最初の入浴時に僕のほうを見てきた白人男性に偶然遭遇した。

彼は明らかに服を着て入浴を終えようとしている様子であったが、僕のことを見た瞬間彼は急に服を脱ぎ始め再び大浴場へと消えていった。

「きたか」

1度目の入浴で何も起こらなかったことですっかり油断していた僕もここが改めてハッテン場であるということを意識せざる負えなかった。

僕は大浴場に入るとすぐに湯船が白く濁っていて下が見えないシルク風呂に浸かって彼のことを待った。

しかしどれほど待っても彼は来ない。

そのうちに僕はのぼせてしまい、別の風呂へと移動した。

その後僕は少し浸かってはのぼせという流れで小さな浴槽を移動し続けていた。

彼への期待は僕の度重なる移動が少しずつ打ち消していた。 

こうして移動を重ねるうちに僕はある奇妙な点に気がついた。

その時大浴場には僕のほかに10人ほどの男たちがいた。その多くは僕のように移動することなく、1つの浴槽で大半の時間を過ごしていた。

しかしその中でただ1人だけ僕と同じ移動ルートをとる男がいた。

その男は白人男性ではなかった。

その男はメガネをかけた中肉中背で30代ぐらいの男だった。

彼は僕がシルク風呂に移動するとシルク風呂、ジェット風呂に移動すると隣のジェット風呂という要領で僕と全く同じルートで移動した。

最初僕は偶然だろうと思ってあまり気にしていなかった。しかし僕が数十秒で移動した際にもすぐに彼も僕と同じルートで移動したのを確認し、徐々に自信を深めていった。

僕はこの自信を確信に変えるためにある賭けにでることにした。

テルマー湯には大浴槽の他に6つの小浴槽がある。

先ほど名前のあったシルク湯やジェット風呂は屋内風呂である。

この小浴槽の中で唯一屋外にあるのが寝転び湯だ。

寝転び湯はこの写真で若干わかるように四方を仕切りで囲われており、外から中の様子が見えにくい仕組みとなっている。

僕は屋内風呂を行き来していた流れで、急にこの寝転び湯に移動した時に、彼もまた寝転び湯に移動してきたなら完全に彼はクロなのではないかと考えた。

僕はすぐさま行動に移し、寝転び湯へ寝転びに行った。

僕が寝転ぶこと数分、すでに見慣れてしまった彼の影が現れた。

「ビンゴ」

僕は驚きと困惑の感情を必死に隠しただただ目を仰向けで寝転んでいた。

案の定彼もまた僕の隣で寝転んだ。

この時4つある寝転び台のうち3つが埋まっていた。

彼は明らかにもう1人の入浴客がいなくなるのを待っているようだった。

そしてもう1人の客がいなくなり、寝転び湯に僕たちだけが取り残された次の瞬間、

僕は自分の手に何かが触れたことに気づいた。

それが彼の手であるということに気づくまでにそれほど多くの時間はかからなかった。

彼は僕が嫌がる素振りを見せないとみるとさらに僕の手を強く握りしめた。

それから何分がたったころだろうか。

僕は遠くの屋内風呂の方から施設のスタッフが近づいて来ているのに気づいた。

僕は慌てて彼の手をほどき、少しのぼせ気味であったこともありすぐに寝転び湯を出て近くのベンチに座った。

急に僕に手をほどかれて驚き気味の彼だったがすぐにスタッフたちの姿に気づき、納得した様子で寝転び湯を出て、何も言わず僕の隣に座った。

僕らは互いに言葉を交わすこともなくベンチに座り込んでいた。

やがて気まずさに耐えられなくなった僕は白く濁っていて下が見えないため絡みに向いているシルク風呂に向かった。

そして湯船に着くとすぐに彼の方を見て彼を誘った。

すると彼は満足気な様子でシルク風呂の方へ歩を進めた。

次の瞬間だった。

どこからともなく最初に会ったあの白人男性が僕の目の前に現れた。

この男は僕と目が合うと今度はまっすぐ僕の方へ歩みを進め、シルク風呂に浸かるとすぐさま僕の真横に陣取った。

寝転び湯で手を繋いだ彼はこの白人のあまりに急な行動に呆気にとられシルク風呂を素通りし、隣の風呂で僕たちの様子を伺うほかなかった。

僕との「特等席」を手にいれたこの白人男性はここぞとばかりにシルク風呂の特性を活かして太もも、玉袋、局部の順で僕の下半身を撫で回した。

こうして僕は人生で初めて「痴漢」を経験した。

よく痴漢を経験した人は「声が出ないほど怖い」といったネガティブな感情を口にするが、僕の場合は違った。

僕はこの白人男性に触られている時、純粋に彼に「楽しんで欲しい」と思った。

遠い異国の地からはるばるやって来てやっと見つけた僕の局部がどれだけ撫でてもいっこうに立たなかったら彼はどう思うだろうか。

僕は彼に少しでも日本で良い思い出を作って欲しいと思ってひたすら自分の局部を立たせようと試みた。

シルク風呂のうだるような熱さとスパリゾートという特殊な環境で粘ること数分、僕のちんこは見事に立ち上がった。

彼は見事に立ち上がった僕の局部を見て満足気な様子でこう言った。

「アツイネ」

これが何を意味する言葉なのかは僕には分からない。

ただ僕が分かるのはこの言葉を言った後、彼が僕の元を離れたということだけだ。

役割を終えた僕もまた反り立った局部と共にシルク風呂を後にした。

隣の浴槽から羨望の眼差しを受けているような気がした。

実録 ハッテン場の実態を追え ~戸山公園のもうひとつの顔~

戸山公園

大学に近いということもあり、早稲田生であれば一度は必ず訪れたことがあるであろう超有名スポットだ。

昼は無邪気に玉遊びに興じる子供たち、夜はサークルの活動に勤しむ学生たち と市民の憩いの場として大いに親しまれている。

そんな戸山公園にある奇怪な噂が流れていることをみなさんはご存知だろうか。

そうハッテン場」だ

僕は最初にこの噂を聞いたとき、すぐに信じることはできなかった。

昼には授業を休んでお酒を飲み、夜には友達と鍋を囲んだ僕たちの思い出の場所にそんな裏の顔があっただなんて。

でも僕は調べなければならない。戸山公園を愛する者の1人として彼の表の顔だけでなく裏の顔もちゃんと知っておく必要がある。

僕は神妙な面持ちで「戸山公園 ハッテン場」と検索した。

僕は全てを察した。

「どうせ嘘だろ」と虚勢を張って必死に動揺を押さえていた僕の心境などお構い無く、グーグルは無慈悲にも戸山公園がハッテン場であるという事実を示す情報を表示した。

「いったい戸山公園で何が起きているのか」

愛する戸山公園の裏の顔を知った僕は、彼のもとでどんなドラマが生まれているのか詮索したい衝動に駆られた。

僕は戸山公園ハッテン場という名のついた掲示板を片っ端から閲覧した。

「箱根山には露出狂が多い」「トイレ付近は女装子がうろついている。」「水場の奥にある藪林が青姦スポット」

僕は2年以上に渡って戸山公園に通いつめていたが掲示板で語られていた光景を見たことはない。

「本当にこれらの情報は正しいのか?」

僕は調べれば調べるほど疑心暗鬼になっていった。しかし掲示板を見ているだけでは真相にたどり着くことはできない。となれば方法は1つだ。

「自分で確かめる。」

僕は勇気を振り絞り掲示板にこんな書き込みをした。

するとすぐにこんな返信があった。

心のどこかで「どうせ何の反応も無いだろう」と思っていた僕にとってこの素早い反応は驚くべきものだった。

その後はこの男に言われるがままに僕は自分のメールアドレスを掲示板に投稿し連絡先を交換した。

そして3日に渡って繰り広げられた熾烈な日程調整の後、僕らは7月11日の22:00に戸山公園にある箱根山のふもとに集合することになった。

ゲイマッサージ店での初出勤、2作目のホモビデオ出演の打診。

その間 僕にも様々な出来事が起こった。時が経つのはあっという間。すぐに運命の7月11日がやってきた。

当日を迎えた僕は愛する戸山公園の裏の顔を見ることになるかもしれないという興奮から猛烈なソワソワ感に襲われ、集合時間の30分前に到着してしまった。

箱根山のふもとに向かうためには、昼間は子供連れで賑わうグラウンド、やけに大きな公衆トイレ、青姦スポットとして噂されていた藪林と様々な場所を通る。

通学路として見慣れた場所もこれまで「ハッテン場」として男たちの間で熱い物語が紡がれきた場所だと考えると、

そこには同性を愛する者だけが入ることのできる世界が繰り広げられていて、軽い気持ちでその世界に入り込もうとしている僕を拒もうとしているような独特な空気感を感じた。

こうしてソワソワしながら待つこと30分、寸分の遅れもなく時間通りに1人の男が現れた。

彼はとても若かった

明らかに僕よりも年下で儚げな雰囲気があった。

顔を合わせた僕たちは雨が降っていたということもあり、すぐに男子トイレの中に入った。

実際の男子トイレ(後日撮影)

個室に入り鍵をかけバッグを置いた僕たちはどちらからということもなくすぐに互いの唇を合わせていた。

そのまま僕たちは時が止まったかのように静止していた。

そこには確かに僕たちだけの世界があった。

僕が「彼らの世界」に受け入れられた瞬間だった。

それから何分たったころだろうか。

ふいに外から足跡が聞こえた。

僕は一瞬「僕たちの世界」から離れてしまった。

彼に全く動じる様子は無かった。

その後もたびたび外からの足跡が僕の鼓膜にねじ込まれた。

その度に僕は彼との「世界」から離れて、勃起をやめてしまった。

彼はそんな僕を見てうつむき気味にこう声をかけた。

「どうしたら気持ちいいですか?」

情けなかった。

彼は決して「僕たちの世界」から離れることはないのに、僕はたった数秒の足跡で離れてしまう。

外にいる人たちが「僕たちの世界」に入ってくることは決してないのに。

もう外を気にしている場合ではない。

僕はあえて外で誰かが用を足している時に彼にこんな要求をした。

「ちくびなめて」

彼は嫌な顔1つせず僕の乳首に飛び付いた。

僕はひたすら快楽にのみ意識を向けた。

「僕たちの世界」はお互いが100%快楽に集中した時にだけできる世界だ。

もう他の奴は関係ない。

僕の局部は膨張を続けた。

そして快楽が100%を越えた瞬間、

「僕たちの世界」に純白の虹がかかった。

そして束の間の「僕たちの世界」は幕を閉じ、僕たちは無言のまま和式便所の周りに飛び散った精子を拭き取りトイレに流した。

その後互いに「世界」を共有した僕たちは最初に会った時よりも友好的な雰囲気で西早稲田駅まで歩きながら話した。

彼は18歳の大学生。実家暮らしでお金もなく「世界」を作る場所が無いため、戸山公園を利用してるとのこと。

僕はこの背景を聞いてはっとした。

戸山公園が受け入れてくれるのは楽しそうに遊ぶ家族連れや、ばか騒ぎをして青春ぶる大学生たちのような「日なたにいる存在」だけではない。

彼のような複雑な境遇や欲望を抱えた「日陰にいる存在」も受け入れてくれるのだ。

戸山公園の寛大さを改めて感じた。ハッテン場潜入だった

※僕はノンケ(女性好き)です。

僕の「売り専」体験記part3 恐怖体験編

前回に引き続き今回も「売り専」体験について赤裸々に語っていく。

初出勤以降ありがたいことに僕は何本かの指名を頂き、2週間で6万円ほどの収入を得ていた。

「これ結構イケるんじゃね?このままいけば店のトップになっちゃったりして♂」

僕は鳴りやまない指名に手応えをつかみ、すっかり有頂天になっていた。

そう あの「事件」が起こるまでは。

それは季節外れの暑さが続き、夏の訪れを予感させていた6月2日のことだった。

その日は僕の地元である横浜で開港160周年を祝う開港祭が開かれていた。

しかし当時の僕は5月最後の週に行ったタイ旅行での大量の出費によって資金が不足していたため、祭りを楽しむ余裕などなく、新宿男道場にシフトを入れていた。

「他の奴らが祭りで浮かれている間に、僕は男道場で強くなろう」

僕はそう自らを肯定し男道場での鍛練に励もうと意気込んでいた。

けれども待てど待てど連絡は来ない。

こうした時に限って、男道場は鍛練の相手を用意してくれないのだ。

僕はもう諦めて家に籠り、自己鍛練という名の自慰行為でもしようかと考え始めていた。

「このパターン初出勤の時と同じだな」

ふと僕の中にそんな考えがよぎった。

少し整理してみると今日6月2日は日曜日、当日まで連絡なし、晴れと初出勤の日と条件が酷似していた。

「男の性欲は気まぐれだ。もしかしたら当日連絡が入るかもしれない。」

僕はそんな僅かな可能性に備えて新宿へ向かうことにした。

17:30 僕は新宿に到着した。

初出勤時に連絡の入った時間を過ぎていたが、いまだに僕の携帯は鳴っていなかった。

僕は連絡が来なかった時のために用意していたウーバーイーツの装備を身につけ、ひとまず時間を潰すことにした。

19:25 テテテテテテン テテテテテテン

鳴った。 相手はもちろん新宿男道場からだった。

「とうきく~ん お疲れさまで~す♂21:00から笹塚駅のお客様なんだけど大丈夫かな~」

きた! それも笹塚 性欲の気まぐれを信じて新宿に入っておいて良かった!

僕は迷わず「大丈夫です。」と答え、ウーバーイーツを切り上げて笹塚へ向かった。

この時 僕は指名を予測して新宿入りした自らの名采配に自惚れていて、待ち構えている男が欲望を抑えきれず当日に予約を入れた性欲モンスターであることを完全に忘れていた。

21:00 僕は指定されたアパートに着いた。

3階建てほどの小さなアパートで、僕がこれまで訪れた高級マンションたちに比べるとお世辞にも豪華とは言えない建物だった。

家は人を写す鏡だよ。」

これは僕に多額のチップをくれた大豪邸に住むあるお客様からの一言である。

当時なんとなく聞き流していたこの一言が強く身に沁みる展開になるとはこの時まだ思いもしなかった。

話を戻そう。

指定されたアパートに着いた僕はいつものようにインターフォンを鳴らした。

するとH田と名乗る濃い顔をした若い男が表れた。

僕がこれまで共に鍛練してきたお客様はみな50代以降で若い男はいないと思っていたのでとても拍子抜けしてしまった。

そして挨拶もそこそこに大きなベッドの置かれたH田自慢のワンルームへ案内され、

いつものようにシャワー→キス→フェラの順番でお互いにオーガニズムに達し、プレイを終えた。

ここまでは特筆することもないいたって普通のサービスだった。

そうここまでは

「一緒にお酒を飲もう」

プレイを終えたH田がそう声をかけた。

この時点で21:40。H田は21:00から22:00までの一時間コースだったため、まだ時間に余裕があった。

僕はピロートーク中に軽く一杯喉を潤す程度のものだと思っていたので、特に何も考えず誘いに乗った。

この一杯が地獄の始まりだった。

お互いにプレイ後のシャワーを浴び終え、ベッドの前に置かれた小さなソファーに腰掛け、水割りのハイボールで乾杯した。

H田とは年齢が近いということもあり、恋愛やセクシャリティの話でとても盛り上がった。

H田は元々ノンケ(女好き)だったのだが、学生時代に友達とゲイバーに行ったのをきっかけに男に興味を持ち始め、今では完全にゲイになったとのことだった。

こうした話は中学から高校にかけてバイからノンケへ「性転換」した僕にとっても大変興味深い話であった。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと時計は22:00の針を指していた。

僕「じゃあ時間なんでそろそろ…」

H田 「えーもうちょっと飲もうよ」

振り返るとさっきまで空だった僕のグラスになみなみとハイボールが注がれていた。

「注がれたお酒を断ってはいけない。」

これは僕が大学生活で学んだ唯一の知識だ。

僕は「あと一杯だけだよ」と伝え、再び酒の席へ戻った。

一杯一杯また一杯。

その後もこの僕が帰る素振りを見せるたび、「あと一杯だけだから」といってH田が止めるという流れが続いた。

22:30、23:00、 刻一刻と時間は流れた。

もう5杯は飲んだだろうか。

当初水割りだったハイボールは杯を増すごとに濃くなり、既にロックに近い状態と化していた。

僕は徐々に自分の意識が朦朧としていくのがわかった。

H田はこのタイミングを待っていたようだった。

H田は僕が酔って抵抗する気力を無くしているのをいいことに、急に僕の胸や局部を触りだすといったスキンシップを繰り返すようになり、最後にはディープキスを求めた。

H田は元々一番安い1時間コースで僕を呼び出し、酒に酔わせ判断力を奪った後、行為に及ぶ魂胆だったのだろう。

もはや一線を越えるのは時間の問題だった。

しばらく絡んだ後、ふいにH田は僕にベッドに横たわるよう指示を出した。

この時点で僕は完全に酔いが回っていたので、家に帰ることよりも横になることを優先したい心境になっていた。

「やっと横になれる。まあゴムはつけるでしょ。」

僕はそう軽く考えて、指示通りに横たわった。

酒と欲望に溺れ完全に獣と化していたH田にもはやそんな倫理観が通じるはずもなかった。

彼は僕のパンツを脱がすと、まともに指を入れることもなく、僕の尻穴に自らの肉棒をぶちこんだ。

僕の尻に激痛が走った。

基本的に尻穴に局部を挿す際には最初にまずローションで尻穴の滑りを良くしてから、指を一本ずつ入れて尻穴を少しずつ広げていくのだ。

そうした過程を一切省いていきなり局部を突き刺せば激痛が走るのは当然だ。

いうなれば、いきなり尻穴に鉄の棒を突き刺されるようなものだろうか。

そんな痛みに悶絶する僕には目もくれずH田は獣のごとくひたすら腰を振り続けていた。

H田が絶頂を迎えた時には、僕の尻から大量の血が流れていた。

何度も尻を貸したことはあったが、血が出るのは初めてだった。

僕は完全に我に帰った。

そんな僕をさらに恐怖のどん底に突き落とす光景が目の前には広がっていた。

ハマダの周りにコンドームをつけた形跡がなかった。

終わり





PS    陰性でした。良かったです。

 

僕の「売り専」体験記part2 初出勤編

前回の記事に引き続き今回も僕の売り専体験談を赤裸々に語っていきたいと思う。

5/16に面接を終え、晴れて「新宿男道場」の男となった僕は早速その週の日曜日である5/19にシフトを入れた。

男道場ではシフトを入れた時間に指名が入るとすぐにマネージャーから場所や料金を含んだ連絡が入る仕組みとなっていた。

こんな感じの連絡

しかし5/17、5/18と僕の元に連絡が来ることはなかった。

そして運命の5/19。

いつものように昼過ぎに起きた僕は男道場から連絡が入っていないのを確認し、昼食をとった後、ウーバーイーツをする準備をしていた。

「いきなり新人を指名する人はいないか」

そう半ば諦めに近い状態で準備していると

テテテテテテテテン  テテテテテテテテン

不意に僕のライン通話が鳴り響いた。

男道場だ。

すぐさま電話をとると

マネージャー「もしもし~とうきくんかな~♂? いまどこにいる?」

僕 「いまは家です」

マネージャー 「今から○○駅行けるかな~?」

何を行ってるんだこいつは。

この○○駅は僕の家から1時間近くかかる僻地だ。

しかし僕に残された選択肢は一つしかない。

「行きます。」

こうして僕の初出勤が決まった。

「行きます」と言ったはいいものも、当時の僕は連絡が来ないと思い込んで、昼飯を食べた後にすぐ自慰をしてしまっていたため、完全に精力を失っていた。

この業界では いくらお客様と交わる時間が数十分とはいっても、いつ訪れるか分からない彼らの欲望に対応するために、常に精力を高めケツを貸せる準備を怠ってはいけないのだ。  

もし8時間、木を切る時間を与えられたら、

そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう。

リンカーン

https://yume-hakobune.com/lincoln-2/

準備の大切さを僕は改めて痛感した。

しかしもう失った精力はすぐには元に戻らない。

いまはとりあえず気持ちを切り替えて全力を尽くすしかない。

僕はそう気合いを入れ直し、指定された住所に向かった。

そこには平民育ちの僕には縁のない巨大なタワーマンションがそびえ立っていた。

僕には大金をバックに自らの欲望で低級国民たちを振り回す上級国民たちの姿が浮かんだ。

「何をされるのだろうか」

僕は急に不安になりエントランスの前で立ち止まってしまった。

ただ今はもう行くしかない。

出てくるのは人間の男だ。ゴリラや猿が出てくるわけではない。

僕は再び意を決しインターフォンを鳴らして部屋へ入った。

出てきたのは優しい雰囲気をした50歳後半ぐらいの男性だった。

「良かった」

彼は軽く挨拶を済ませると、すぐさま料金を払い、僕にシャワーを浴びるように促した。

その様子はとても落ち着いていて、突然僕を呼び出した男には思えなかった。

ただ彼の部屋に隠すことなく散乱したアダルトビデオやオナホールだけが彼の溢れんばかりの性欲を表していた。

そしてシャワーを浴びた後、再び彼の部屋に戻った。

もう先ほどの落ち着いた様子の男はいなかった。

そこにいたのは僕と交わるのをいまかいまかと待つ血走った目をした漢の姿だった。

「…始まったか」

僕は全てを察し思いっきり彼の胸に飛び込んだ。

そして撮影の時と同じ流れで、キス→乳首→フェラ。

そして最後は僕のケツで彼との行為は完ケツした。

「無事イケました。」

最後にそう報告した彼の顔は最初に会ったときの優しい表情に戻っていた。

行為が終わると僕は彼からいくつか質問を受けた。

「今日で何回目?」「いくつ?」「出身は?」

どの質問も他愛のないものだったので、僕らは互いに質問をしながら穏やかな時間を過ごしていた。

不意に彼がこんな質問をした。

お客様「君ノンケなのにバック受けできるなんて珍しいね。どっかでやってたの?」

僕 「実は以前ビデオに出たことがあって」

お客様 「そうなんだ。どうりで見たことある顔だと思ったらそういうことか」

その後も話をしていくと、どうやら彼は僕が出演したビデオ会社のサイトを登録しているとのことだった。

この業界は本当に狭い。

ネット社会の隅の隅で細々と公開された僕の動画に関心を持っている人がいるのだ。

ふと僕はこの「新宿男道場」に新たに入店した「とうき」に関心を持っている人がいるのかどうか気になった。

有名な風俗店には必ずその店のキャストのことを語る2chのスレッドがある。

「新宿男道場 2ch」で検索すると、他の店と同じようにスレッドが立ち並び、キャストたちのことをあれこれと語られていた。

僕は緊張した面持ちで慎重にスレッドを辿っていった。

あった。

それも先ほどの彼が聞いてきた内容と全く同じだった。

まさか同一人物ということはないと思うが、自分が2chに書かれる立場になるとは、数年前には考えられないことであった。

僕はもう見られる立場なのだ。

何か悪いサービスをすれば激しく批判されるだろう。

改めて身とケツを引き締めて行動しなければならないと感じた初出勤だった。

続く

僕の「売り専」体験記 part1

2019 5/16~6/20

これはとある事情で「新宿男道場」という男性向け風俗店で「売り専」として働いていた期間だ。

なぜ僕は「売り専」として働くことになったのか。

話は4ヶ月前にさかのぼる。

度重なる旅によって深刻な資金不足に陥っていた僕は以前から強い興味を持っていた某ビデオに出演した。

和やかな雰囲気が流れていた撮影後、熱い共演を果たした男優様がこんなアドバイスをくれた。

「お金困ってるなら、ウリセンやってみたら?」

ウ リ セ ン? 

僕は当時「ウリセン」というものが何なのか分からなかった

彼はそんな僕の疑問などお構い無しに「ウリセンはうまくいけばめっちゃ稼げるよ」と話を続けていた。

気になった。

僕は早速 帰宅途中の電車内で「ウリセン」という言葉を検索した。

僕は全てを察した。

どうやら「ウリセン」とはゲイ向けの風俗店を指しているようだった。

当時 ビデオ撮影の成功によって男性との性行為に強い興味を持っていた僕はこの「売り専」というワードに惹かれ、ページをスクロールしていった。

すると あるサイトが僕の目に飛び込んできた。

そう 「新宿男道場」だ。

圧倒的な存在感で見る者をたった一文字で魅了する「男」というロゴ。

「新宿」「男」「道場」

この男男しい言葉をつめこんだ まさしく男のトリプルブッキングと呼ぶにふさわしいネーミング。

僕は完全にこの「新宿男道場」の虜となった。

しかし当時はまだいくつか別のビデオ撮影案件を抱えていた。

僕はいったん「新宿男道場」への想いは捨て、別のビデオ撮影に性意を向けることにした。

そしてビデオ撮影案件が落ち着いた2019年5月。

僕の中に沸き上がってきたのは他でもなく「新宿男道場」への未練だった。

「新宿男道場で働いて真の男になりたい。」

僕は「新宿男道場」に自らの性意を伝えた。

するとすぐに彼らからこんなメールが届いた。

相手の性意に対して、すぐに誠意を持って答える。

ケツの締まりを大切にする真の男にふさわしい実に引き締まった対応だ。

そしてその後のやり取りを経て、僕の面接日は5/16に決まった。

もちろん「新宿男道場」には他の風俗店と同じく以下のようなキャスト一覧表がある。

いままで僕はキャスト一覧表はただ見ているだけのいわゆる「ROM専」だった。

それがいまやキャスト一覧に名を連ねる

「売り専」に変わろうとしているのだ。

仮に採用されれば、僕を指名した人間が親友であろうが父親であろうが必ず駆けつけ奉仕せねばならない。

しかし考えようによってはこれまで多くのワクワクをくれた「風俗業界」へ飛び込むことは一種の恩返しにもなるのではないか。

そんなことを考えながら日々を過ごしていると、すぐに運命の5/16がやって来た。

そして面接当日。

僕は指定された都内某所のとあるマンションの1室の扉を叩いた。

すると中から真の男にふさわしい精悍な顔つきをした一人の男が現れた。

彼は僕を見るやいなや開口一番に

「かっこいいね~♂ 写真よりもずっといいよ~♂」

と声を上げた。

僕は「イケメンだ」「男性受けする」だとか最近やたらと男性に容姿を褒められることが多い。

これまで女性から容姿を褒められたことは全く無いことを考えると、やはり僕は男性をターゲットに生きていくしかないのだろうか。

それはさておき、面接用の部屋に入った僕は先ほどの男(マネージャー)から面接シートなるものを渡された。

この面接シートは住所や年齢といった個人情報だけでなく、局部のサイズやセクシャリティ、

さらには男性経験の有無といった「個人情報」の記載も求める大変個性的な面接シートであった。

そしてこの面接シートを書き終え、マネージャーを呼んだ。

彼は僕の面接シートを一瞥するとすぐさま「採用」の旨を伝え、仕事内容の説明を始めた。

彼の説明によると「売り専」業界では主に3つの禁止事項があるとのことだった。

1 お客様との個人的な連絡先交換の禁止

2 お客様の情報を外部に漏らすことの禁止

3 お客様とのコンドームを用いないセックスの禁止 

その他にも料金前払いとセックス前のシャワーの徹底といった細かいルールの説明があり最後に給料の確認が行われた。

説明の間、僕はある不安を抱えていた。

「僕はちんこが小さい」

お気づきの方もいるかもしれないが、「新宿男道場」では全ての従業員がPsizeと称して自らの局部のサイズを公開している。

彼らのサイズは最低でも15cm なかには18cmを越える強者も存在している。

しかし僕は185cmという高身長を誇っておきながら、局部のサイズが13cmしかない。

15cm 18cmといった猛者たちの間に入れば確実に恥をかくに違いない。

僕は全ての質問が終わった後、マネージャーにこの不安を伝えた。

すると彼は笑って「2cmくらい平気だよ」といって僕の面接シートの局部サイズ欄に15cmと書き足していた。

なんて度量が大きいのだろうか。

彼こそこの「男道場」の王にふさわしい男だ。

こうして面接を終えると、予告通りサイト用の写真撮影が始まった。

パンツ一丁になり、様々な角度から数十分に渡り撮影が行われた。

そして撮影が終わると、マネージャーは早い段階でのサイト公開を約束と連絡先の交換を行い、面接は完全に終了した。

後日 サイトを確認してみると

いた。

局部のサイズもしっかり15cmとなっていた。

since5/16 こうして僕の売り専体験が始まった。

続く。