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僕はうんこを漏らした
僕はうんこを漏らした。
漏らすつもりは全く無かった。
ただの放屁のつもりだった。
ほんの少しの油断だったんだ。
牛乳を飲み過ぎた。
牛乳飲み過ぎは漏らしの始まり。
あの忌々しき禁酒会でそう学んだはずだった。
いつものようにベッドに横たわって映画を観る。
ふいに襲いかかる便意。
どうせ放屁だろうという油断。
機能しない肛門筋
ブスーーーブリュリュリュリュリュブ!!!
漏れた。
ウメハラが止まらない
―ウメハラが止まらない―
きっかけは彼の歩き旅であった。
数日前 彼は「吉野家の桜が見たい」と言い残し横浜を去った。
つい最近まで「一人旅はさみしい」と語っていた彼が孤独の極致である歩き旅を続けることができるのだろうか。
「もって2日だろう」
僕は旅の継続を全く信じていなかった。
だがしかし
今回の彼は違った。
彼は横浜を離れてからの5日間、べらべらとインスタポエムを止めずに歩き続け、なんと静岡まで達したのだ。
早稲田大学から早稲田駅までの距離を歩くことすら嫌がり、常に自転車に乗っていたあの彼が。
僕は目を疑った。
そしてそれと同時に何か裏があるのではないかという勘が働いた。
彼を歩き中毒に陥らせる強力な動機がきっとある。
僕は彼の歩き動機を考えた。
頭の中にある彼の特徴を浮かべ続けること一瞬。
僕はついに1つの答えにたどり着いた。
承認欲求
彼は日夜インスタグラムで自らの輝く瞬間を投稿し、承認欲求を満たしている。
かく言う僕も彼のインスタポエムのファンの1人である。
しかし今回の歩き旅による不快感はインスタ投稿によって得られる承認快感を上回ったに違いない。
となるのと彼はインスタグラムとは別の手段で承認快感を得なければならない。
歩き続けることで承認を得られるものとは?
WERUNだ。
WERUNとはwechat内にあるアプリの1つで、登録したユーザーの1日の歩行数を携帯の揺れた回数から計数し、毎晩22時30分にこのようにランキング形式で表示してくれるものである。
そしてその日一番歩いた者のプロフィール画像が全てのユーザーの画面に表示される。
北京大学にて多くの友人を作った彼にとって、ランキングの頂点に立ち続けるというのはこの上ない快感に違いない。
事実ここ数日彼は頂点を独占し、「友情、努力、勝利」という歪んだ価値観を強要し快感を覚えていた。
価値観の強要を受けたくなければ歩け。
恐るべき2重ハラスメントである。
流石はハラスメントの権化。
彼はさらなる強要を身につけるために読書をしていたのか。
コロナウイルスの蔓延により外出自粛の風潮が広がる中でのこのダブルウメハラは悪質極まりない。
外出すれば自粛ハラスメントを受け、家に籠ればウメハラを受ける。
そんな彼の友人たちの悲痛な現実は想像に難くない。
これ以上ウメハラを放置するわけにはいかない。
僕が1位を奪い返して彼の横暴を止める。
そう決意した時既に僕の右手は携帯を掴み、上下に降り始めていた。
今回のウメハラ討伐にあたって僕は考えた作戦は2つだ。
・携帯フリフリ
・歩く
ここ数日ウメハラは1日平均45000歩という脅威の強要力を見せていた。
彼の強要を打ち破るには少なくとも50000歩は計上しなければならない。
僕のこれまでの最高記録はマカオに行った時の24000歩だ。
この日僕は朝7時に起きて何度もマカオ半島を往復していた。
間違いなくあの日は去年一番歩いた日であった。
そんな僕の渾身の歩きハラスメントを難なく越えるウメハラの45000歩。
この記録を純粋な歩きのみで越えるのは不可能のように思えた。
そこで僕が採用したのが作戦1「携帯フリフリ」である。
先述のようにWERUNは携帯が揺れた数を元に歩数を数えている。
このWERUNの特徴を考慮すれば携帯フリフリは間違いなく有効である。
まず携帯フリフリで25000歩を稼ぐ。
僕は例のごとく朝7時に起きて携帯フリフリを始めた。
始めて数分。僕はすぐさまこの作戦の欠点に気づいた。
退屈
携帯を振るということは携帯を弄れないということである。
あらゆるコンテンツを携帯の中に閉じ込めている現代っ子にとって、画面を見ることのできない携帯フリフリはただ腕の筋力をいたずらに消費する退屈の極みである。
携帯がないならパソコンを使えばいいじゃない。
マリー・カイヤントワネット
携帯のネットがダメならパソコンだ。
僕はパソコンを起動し、最近はまっているバブル期ドラマ「東京ラブストーリー」を観始めた。
ドラマの1話約50分を1セット、目は画面、手は携帯。
これなら退屈もしのぎつつ歩数も稼げる。
僕はこの妙案への期待からハイペースで携帯を振り続け、手早く2セットを消化した。
「2時間携帯を振ったのだからそこそこ記録は伸びているだろう。」
僕は期待に胸を膨らませ、そっと携帯を開いた。
4022
よしよし。良いペースだ。
僕はウメハラと大差のないペースで歩数を稼いでいることに安堵した。
この小さな安堵は慣れない早起きをした僕に強烈な眠気を与えるのに十分であった。
僕は眠りの世界に堕ちた。
この僕のわずかな隙をウメハラが見逃すはずがなかった。
再び目を覚ました時、僕は目を疑った。
ウメハラの記録が20000歩に伸びていたのだ。
他人が休んでいる時にも決してハラスメントを弛めない。
彼がウメハラとよばれる所以がここに詰まっているような気がした。
僕も慌てて2セットをこなし歩数を稼いだが、差が縮まることはなかった。
「もう歩くしかない」
ウメハラの圧倒的歩きハラスメントには小手先の携帯フリフリなど通用しない。
目には目を、歯には歯を、歩には歩を。
僕は目的地を家から約10km離れた温泉に設定し、歩き旅を始めた。
家から温泉までの道は9年前のちょうどこの時期、中学入学前に小学生最後として友達と自転車旅をした思い出の道だった。
思い出のある道を歩くのは意外に楽しく、僕はしばし戦いを忘れ回顧に没頭した。
歩き始めて1時間。
そろそろ回顧する思い出も無くなってきたので、僕は音楽を聴こうとポケットからイヤフォンを取り出そうとした。
ない
出かける前にポケットに入れたイヤフォンが無いのだ。
バッグの中を探しても無い。
退屈という敵が再び僕の前に立ちはだかろうとしていた。
歌え。
イヤフォンが無いときいつもどうしてたんだ。
イヤフォンなんてもんを知らなかった時、僕たちはどうやって音楽を楽しんでいたんだ。
歌だ。僕たちには歌がある。
コロナ騒ぎで道には人は少ない。
マッチョ マッチョ ビバマッチョ♪
僕の胸の中でフォーリンラブ♪
僕は歌った。
そんなこんなで約2時間。
ついに目的地の温泉にたどり着いた。
既に日は落ち、あたりの人影も一段と減っていた。
計画ではここで一度リフレッシュをして帰りの歩きに備えるつもりであった。
携帯を確認した。
ウメハラ 44000歩 僕 18000歩
ウメハラは僕の2時間を嘲笑うかのごとく、さらに歩数を伸ばしていた。
22:30の結果発表を考慮すれば、ここで温泉など入っている場合ではないのは火を見るより明らかだ。
僕は温泉の写真だけ撮ってすぐさま来た道を戻るように再び歩き始めた。
旅の一番の憂鬱は帰り道なのは当然だが、歩き旅の憂鬱度は他にも増してひどい。
行きにコンテンツを使い果たした僕にとって帰り道は「無」に他ならかった。
退屈を紛らわすために「ウヒョー」と奇声をあげたり、急にダッシュしたりと様々な策をとったが、どれも士気を上げるには至らなかった。
なぜ僕はこんなことをしているのか
ウメハラだ。全てはウメハラが悪い。
奴が歩きハラスメントを通じて世界中の人々を苦しめているからいけないのだ。
奴は既に4日連続で頂点を独占している。
5日連続のかかる今日頂点を獲得すれば、必ず強大なハラスメントを仕掛けてくるに違いない。
何としても止める。止める。止める。
苦しい時に力をくれるのはいつだって憎しみだ。
僕はウメハラへの憎しみをパワーに変え、必死に歩みを進めた。
そしてスタートしてから4時間、ついに僕は温泉-家間の往復を達成した。
流石にウメハラとの歩数差も縮まっているだろう。
なぜだ。
僕は目を疑った。
なぜまだ17000歩もあるのか。
時刻は既に21時に近づいていた。
これらの事実は僕の達成感を大いにへし折った。
しかしどれだけ差がついてもやることはただひとつだ。
「歩く」
僕は自宅付近の1週300mのグラウンドに繰り出し、再び歩き始めた。
慣れない長歩きは日頃運動不足な僕の体に容赦なく影響を与えた。
足の皮は剥がれ、節々が悲鳴を挙げていた。
こういった苦難の時、いったい何が一番の活力になるのか。
憎しみはもちろん力になるが、痛みが合わさった時は苛立ちに繋がる。
僕はもう一度ウメハラによる歩きハラスメントの根底にあるものが何か考えた。
彼の根底にあるのはやはり「承認」だ。
頂点を獲り自らの存在を誇示したいという承認欲求。
それこそが彼の底力の源だ。
僕も彼に習って「承認」をモチベーションにしよう。
「承認」
「承認」
「承認」
僕はこの承認フレーズを呪文のように唱え、有心で歩き続けた。
途中何度も走ったほうが良いのではないかと感じたが、僕の承認欲求はそこまでのパワーはくれなかった。
10週ほど歩いた頃だっただろうか。
結果発表の22時30分がやってきた。
敗北
負けた。
結局最後まで差を縮めることはできなかった。
僕にとってこの日はただ5時間歩いただけの日となった。
WERUNでの頂点をモチベーションに5日連続で30000歩以上歩いたウメハラ。
かたやたった1日すらウメハラを抜くこともできなかった僕。
この間には12000歩以上の差があると僕は感じた。
世間では馬鹿にされがちな「承認欲求」という言葉であるが、「認められたい」という根源的な欲求は時にとてもつもないパワーを発揮することがある。
どこかの秘密結社が時代は貨幣経済社会から人から評価を得る人間が豊かさを感じるという評価経済社会に変わると言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。
事実ウメハラは5日連続チャンピオンを獲ったことをタイムラインに掲げ、多くの称賛を集めていた。
いかにせよ僕の承認欲求ではウメハラを止めることはできなかった。
いつかさらなる承認欲求者がウメハラを止めることを願っている。
最強の剣士
「ザ カイキャロット」
この名前に聞き覚えのある者はいるだろうか。
「臭い」「もやし」「邪魔」「エイリアン」といった数多くの異名を持ち、先の世界大戦では負傷ゼロという脅威の戦績を誇った最強の剣士である。
これは彼の戦闘態勢を撮影した貴重な写真である。
見た者を1000年以内に必ず死に至らしめるといポーズ。
この写真を撮った者はすぐさま植物状態に陥ることを余儀なくされたという噂もある。
彼の必殺技はその圧倒的な念力を生かした祈祷である。
災害レベル「寿司」に指定されているこの必殺技は1テーブルの雰囲気を完膚無きまでに破壊せしめる威力を持ち、某有名私立高校では特定禁止行為として厳しく取り締まりが行われている。
一見付け入る隙の無いように見える彼だがある重大な弱点を持っている。
罵声だ。
特に冒頭に紹介した異名「もやし」「エイリアン」といった言葉を彼の祈祷中に放り投げると、彼は過去のトラウマを思い出し、頭を抱えたままその場に倒れこむ。
メンタルの強そうな彼だが人一倍単純な罵声に脆い。
※今回の人参はスーパーにて1本69円で購入しました。
世界一週より早稲田一週
お久しぶりでございます。
ブログを辞めてから早くも3ヶ月が経ってしまいました。
「ブ」という字が脳裏に浮かぶだけで嫌になっていたあの頃も今や昔。
今になって急にブログのあったあの頃が恋しくなるのは時の経過が不思議なものと言われる所以でありましょうか。
私はブログを辞めてからの2ヶ月間、次なる目標であった世界一週のため、尻部を開いては閉じ開いては閉じといった具合でフル開閉。
「金のなる尻」とは良く言ったもので、おかげさまで旅行に不自由しない程度の金額がブリブリと貯まったことをここにご報告いたします。
しかしどうしたものか世間はコロナ一色。
世界一の信用を誇るとされてきた菊花紋章がいまや毒花として扱われる始末。
せっせと建ててきた僕の旅行計画もグチョグチョと音を立てて崩れていった次第でございます。
そんな訳で2020年一発目の大きな目標を失ったことになった僕ですが、世界一週の前にするべきことに気づきました。
早稲田一週です。
私が早稲田大学に入学してから早3年。
すっかり早稲田を知った気になっている僕ですが、まだまだこの街には知らないことが隠されていることに違いないでしょう。
#世界を知る前に早稲田を知れ
私は知られざる早稲田の秘密を解き明かすために早稲田一週を達成することを決意したのです。
決意とはまあ聞こえの良い言葉でしょうが、この早稲田一週には疑問が山積。
まずどこからどこまでを「早稲田」と定義しましょうか。
これにはまあ私に1つの案がありまして、言ってしまえば「鶴巻町」や「南町」といった不純物の無い「東京都新宿区早稲田町」のみを真の早稲田と認定するというものでございます。
この地図を見てお気づきの方もいらっしゃるでしょうけど、早稲田大学の校舎の中で、この真の早稲田として鎮座する「早稲田町」に存在するのは40号館のみなのです。
早稲田大学早稲田キャンパスの住所は新宿区戸塚町1丁目104でして、早稲田のわの字も無い場所に存在しておるのです。
いったいどの面を下げて「早稲田キャンパス」と名乗っているのでしょうか。今すぐ「戸塚町キャンパス」に改名するべきでしょう。
こうして早稲田一週をきっかけに早速新たな発見を手にしたところで実際に歩を進めてみましょうか。
今回のスタート地点は「真の早稲田キャンパス」こと早稲田大学40号館グリーン・コンピューティング・システム研究開発センター。
いったい何を行う場なのか検討もつきませんが、とにもかくにもここが早稲田町の西端なのですからスタート地点にしない訳にはいきません。
こちらのグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発してすぐ左手に見えてくるのが、早稲田町民の生活を支える、かの有名な「イトーヨーカドー」でございます。
生鮮食品から酒類までなんでも揃う我らが庶民の味方。
かの無名な早稲田から1トン増やす会もお世話になったとか…ならなかったとか…
イトーヨーカドーにて庶民のパワーを体感した後には約3億マイクロメートルの途方もない直線が続きます。
それもそのはず この早稲田町は異常なほど横に長いのです。
息を吐き息を吸い必死の思いで両足を前に進めること2億4000万マイクロ秒。
ついに早稲田町の東端「新宿区役所 榎町特別出張所」が見えてきました。
この「新宿区役所 榎町特別出張所」どうやら町の治安を守る場所でもあるそうで、特に路上喫煙に関しては町民に究極の災いをもたらす可能性のある重大治安破壊行為とみなし、厳しく取り締まっているとのことです。
「極悪非道」「放火魔」「人間がもっとも恥ずべき行為」「非国民」など様々な悪名を欲しいままにする「路上喫煙」を徹底的に取り締まるという態度。
東端からこの街の安全を守る「新宿区役所榎町特別出張所」は頼もしい限りですね。
西端であるグリーン・コンピューティング・システム研究開発センターを出発して6億マイクロ秒。
ついにこの長い長い旅もクライマックスを迎えます。
旅の終点となるのはやはり早稲田民の憩いの場「鶴巻南公園」の一部地域です。
なぜ一部地域のみなのでしょうか?
この地図を見て頂ければお分かりだと思うのですが、鶴巻南公園のうち早稲田町に属しているのは南端の一部地域のみなのです。
鶴巻南公園最大の売りである「ユニークな歩道」も早稲田町側にはありません。
しかし決して侮ってはいけません。
早稲田町側の鶴巻南公園にも数々の早稲田民を虜にしてきた魅力溢れるアクティビティが数多く存在します。
トイレに
喫煙
そして植物観賞。
これほどまでに魅力的なアクティビティが詰まった公園は世界でもそう多くはないでしょう。
日本各地から多くの人が訪れて歓声をあげるのも頷けますね。
知り尽くしたつもりの街でも改めて探索してみるとまた新たな発見がありますね。
皆さんも自分が知った気になっている街をもう一度別の角度から見てみませんか?
きっとそこには新しい世界があるはずです。
甲子園を観ているといつも幼少期の奇妙な性癖を思い出す
例年熱い戦いが繰り広げられ、日本の夏の風物詩として君臨する高校野球。
甲子園という大舞台のために全てをかける球児たちの姿に心打たれ、毎年現地やテレビの前で観戦するファンも多い。
僕もそうした高校野球ファンの1人である。
元高校球児であった父の影響もあり、僕は7歳の頃から高校野球を観始めた。
当時は新聞にあったトーナメント表を見つけてはハサミで切り抜き、毎日ニュースや新聞で結果を確認して書き込み、
大会が終わると「高校野球神奈川グラフ」や「甲子園の星」といった高校野球雑誌を購入して隅々まで読み込んでいた。
両親が共働きなため、夏休みになると小児収容施設である「学童保育」に収容されていた僕にとって学童をサボって観る高校野球は夏休みの数少ない娯楽であった。
こうした僕の高校野球好きは夏休みだけにとどまらず、高校野球の情報を集めるために、
甲子園が終わった後も「高校野球事件史」や「名門野球部の甲子園伝説」などの雑誌を読み込み、高校野球の知識を蓄えていった。
こうした僕の高校野球への愛が別の形に変化してしまっていたのもちょうどこの頃であった。
僕が自慰行為を覚えたのは7歳の時であった。
これはちょうど僕が高校野球を見始めた時期と重なる
そう
当時の僕の自慰行為のネタは「高校野球」たったのだ。
実際に当時読んでいた雑誌を見ると、特定の選手にいくつか下の写真のようなマークがつけてある。
おそらく僕は当時このマークがついていた選手で自慰行為をしていたのだろう。
マークがついている選手たちには共通点がある
それは「大事な場面で結果を残せていない」ということだ。
マークのついた試合ということではないが、マークのついた選手はみな後の試合で勝敗にかかわる場面で打てなかったり、エラーをしたりしている。
当時の僕も子ども心ながらに高校野球の選手たちはとてつもない努力を重ねているということを理解していた。
夏の大会という集大成のために、途方もない練習を重ねたのにも関わらず、結果を残すことができない。
僕はそんな「努力が報われない姿」に興奮し、その感情の高ぶりを性的な興奮と混同してしまっていたのだと思う。
時が経つと共にいつの間にか高校野球にそうした興奮を覚えることは無くなったが、
現在のセックスに関心を持てないという僕の性癖を考えると、いまだにこの「報われない努力」に興奮するという根幹は変わっていないと思う。
僕の脳内はいまだに「報われない努力」に対して覚えた興奮を性的興奮と誤解したままなのだ。
いうなれば 僕はおそらく人生観フェチなのだろう。
この先 僕の性癖はどのように変わっていくのか。
現段階で言えるのは「報われない努力」への過度な崇拝は変わることはないということだけだ。
PS ビリビリ動画(ニコニコ動画の中国版)のチャンネルを作りました。良かったら観て下さいhttps://www.bilibili.com/video/av64564824
私は「山」を決して許さない
本日8月11日は「山の日」である。
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨のもと2016年から新設された祝日だ。
私はこの「山の日」が大嫌いだ。おそらく日本の祝日の中で最も嫌いな祝日とも言えるだろう。
なぜ私が「山の日」が嫌いなのか
それは私の本名を見て頂ければすぐに分かると思う。
「海谷 陸斗 (かいやりくと)」
海、谷、陸は言うまでもないが、斗の由来もまた「北斗七星」いわば「空」からとっている。
つまり私は名前を通じて、これらの海、谷、陸、空といった地球の構成要素をほぼ支配しているのだ。
現在の地球の支配者は海谷陸斗であるといっても過言ではないだろう。
巷では影の支配者としてフリーメイソンの名前が上がることが多いが、
そんなフリーメイソンなど私フリーカイヤンからすれば取るに足りない烏合の衆に過ぎないのだ。
しかしこうした私の支配から逃れのうのうと生き永らえてる奴がいる。
そう「山」だ。
奴はフリーカイヤンの支配を逃れるだけでなく、雪崩や絶壁といった過酷環境イキリで多くの人々を死に至らしめ、
挙げ句の果てには自らの恩恵に感謝するようにと「山の日」まで設立させたのだ。
フリーカイヤンの支配を受けずに暴れ回る「山」の蛮行は本当に目に余る。
私は以前こうした蛮行を止めるために、何度も「山」に対して支配下に入るよう強く働きかけてきた。
しかし奴は私の支配下に入ることを条件に「海谷 陸斗山」への改名を求めてきたのだ。
「特別な事情がある場合に限り名の変更を認める」という戸籍法第百七条二を利用した「山」らしい姑息な対応だ。
どうやら私の「名前に山を入れることにより山を支配下に置きたい」という改名理由が正当と判断される訳かないとたかをくくってるのだろう。
山に関係した災害が発生するのは「山」がフリーカイヤンの支配下に入っていないことに起因するのは一目瞭然なのに、私の改名要求が通らないはずがない。
それになんだこの「海谷 陸斗山」というダサイ改名案は。
改名するなら「海谷 山陸斗」だろう。
バカの一つ覚えのように地名+山でしか名前がつけられない山界隈のセンスの無さを象徴している。
とにもかくにも私の支配から逃れ、恥も知らず暴れ回る「山」を私は決して許すことはできない。
いつか必ず奴を支配下に入れ、「海谷 山陸斗」を実現してみせる
僕の「売り専」体験記 part1
2019 5/16~6/20
これはとある事情で「新宿男道場」という男性向け風俗店で「売り専」として働いていた期間だ。
なぜ僕は「売り専」として働くことになったのか。
話は4ヶ月前にさかのぼる。
度重なる旅によって深刻な資金不足に陥っていた僕は以前から強い興味を持っていた某ビデオに出演した。
和やかな雰囲気が流れていた撮影後、熱い共演を果たした男優様がこんなアドバイスをくれた。
「お金困ってるなら、ウリセンやってみたら?」
ウ リ セ ン?
僕は当時「ウリセン」というものが何なのか分からなかった
彼はそんな僕の疑問などお構い無しに「ウリセンはうまくいけばめっちゃ稼げるよ」と話を続けていた。
気になった。
僕は早速 帰宅途中の電車内で「ウリセン」という言葉を検索した。
僕は全てを察した。
どうやら「ウリセン」とはゲイ向けの風俗店を指しているようだった。
当時 ビデオ撮影の成功によって男性との性行為に強い興味を持っていた僕はこの「売り専」というワードに惹かれ、ページをスクロールしていった。
すると あるサイトが僕の目に飛び込んできた。
そう 「新宿男道場」だ。
圧倒的な存在感で見る者をたった一文字で魅了する「男」というロゴ。
「新宿」「男」「道場」
この男男しい言葉をつめこんだ まさしく男のトリプルブッキングと呼ぶにふさわしいネーミング。
僕は完全にこの「新宿男道場」の虜となった。
しかし当時はまだいくつか別のビデオ撮影案件を抱えていた。
僕はいったん「新宿男道場」への想いは捨て、別のビデオ撮影に性意を向けることにした。
そしてビデオ撮影案件が落ち着いた2019年5月。
僕の中に沸き上がってきたのは他でもなく「新宿男道場」への未練だった。
「新宿男道場で働いて真の男になりたい。」
僕は「新宿男道場」に自らの性意を伝えた。
するとすぐに彼らからこんなメールが届いた。
相手の性意に対して、すぐに誠意を持って答える。
ケツの締まりを大切にする真の男にふさわしい実に引き締まった対応だ。
そしてその後のやり取りを経て、僕の面接日は5/16に決まった。
もちろん「新宿男道場」には他の風俗店と同じく以下のようなキャスト一覧表がある。
いままで僕はキャスト一覧表はただ見ているだけのいわゆる「ROM専」だった。
それがいまやキャスト一覧に名を連ねる
「売り専」に変わろうとしているのだ。
仮に採用されれば、僕を指名した人間が親友であろうが父親であろうが必ず駆けつけ奉仕せねばならない。
しかし考えようによってはこれまで多くのワクワクをくれた「風俗業界」へ飛び込むことは一種の恩返しにもなるのではないか。
そんなことを考えながら日々を過ごしていると、すぐに運命の5/16がやって来た。
そして面接当日。
僕は指定された都内某所のとあるマンションの1室の扉を叩いた。
すると中から真の男にふさわしい精悍な顔つきをした一人の男が現れた。
彼は僕を見るやいなや開口一番に
「かっこいいね~♂ 写真よりもずっといいよ~♂」
と声を上げた。
僕は「イケメンだ」「男性受けする」だとか最近やたらと男性に容姿を褒められることが多い。
これまで女性から容姿を褒められたことは全く無いことを考えると、やはり僕は男性をターゲットに生きていくしかないのだろうか。
それはさておき、面接用の部屋に入った僕は先ほどの男(マネージャー)から面接シートなるものを渡された。
この面接シートは住所や年齢といった個人情報だけでなく、局部のサイズやセクシャリティ、
さらには男性経験の有無といった「個人情報」の記載も求める大変個性的な面接シートであった。
そしてこの面接シートを書き終え、マネージャーを呼んだ。
彼は僕の面接シートを一瞥するとすぐさま「採用」の旨を伝え、仕事内容の説明を始めた。
彼の説明によると「売り専」業界では主に3つの禁止事項があるとのことだった。
1 お客様との個人的な連絡先交換の禁止
2 お客様の情報を外部に漏らすことの禁止
3 お客様とのコンドームを用いないセックスの禁止
その他にも料金前払いとセックス前のシャワーの徹底といった細かいルールの説明があり最後に給料の確認が行われた。
説明の間、僕はある不安を抱えていた。
「僕はちんこが小さい」
お気づきの方もいるかもしれないが、「新宿男道場」では全ての従業員がPsizeと称して自らの局部のサイズを公開している。
彼らのサイズは最低でも15cm なかには18cmを越える強者も存在している。
しかし僕は185cmという高身長を誇っておきながら、局部のサイズが13cmしかない。
15cm 18cmといった猛者たちの間に入れば確実に恥をかくに違いない。
僕は全ての質問が終わった後、マネージャーにこの不安を伝えた。
すると彼は笑って「2cmくらい平気だよ」といって僕の面接シートの局部サイズ欄に15cmと書き足していた。
なんて度量が大きいのだろうか。
彼こそこの「男道場」の王にふさわしい男だ。
こうして面接を終えると、予告通りサイト用の写真撮影が始まった。
パンツ一丁になり、様々な角度から数十分に渡り撮影が行われた。
そして撮影が終わると、マネージャーは早い段階でのサイト公開を約束と連絡先の交換を行い、面接は完全に終了した。
後日 サイトを確認してみると
いた。
局部のサイズもしっかり15cmとなっていた。
since5/16 こうして僕の売り専体験が始まった。
続く。
右折しようとした、しかし左折した。
いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん。
そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?
「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908
「大食いの称号」という取るに足りない称号。
「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。
僕はこのタイトルが大好きだ。
誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。
これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。
しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。
それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。
僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。
そう「左折」だ。
「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。
また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。
僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。
以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。
令和元年 6月某日
「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。
何故西早稲田駅にいたのか。
理由は一つだ。
僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに
体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。
今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。
いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。
そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。
右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。
恐るべし「新宿二丁目」
血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。
「止まれ 左折しろ❗」
ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。
ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。
それは4ヶ月前のことである。
僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。
「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。
マッサージのことだろうか?
当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。
すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。
僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。
「入らない」
僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。
それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。
「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。
ついにその瞬間はやって来た。
僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。
そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。
「入る! 入る!」
僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。
そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。
僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。
「どうしたの?」
ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。
振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。
彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。
僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。
芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。
安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。
絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。
僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。
左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。
新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。
やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。
僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。
バナナは人を笑顔にする
僕は以前大学でこんな企画に参加したことがある。
「バナナの格好でバナナを配る。」
当時の様子はしゃおじょんがブログにまとめているのでぜひ見てほしい。
このバナナ配布企画は、配布予定のバナナが一瞬で無くなるなど、学生の間で大いに好評を博した。
またバナナを受け取った学生たちが、みんな笑顔になっていたことから、
僕たちはバナナに不思議な力があることを確信するようになり、いつかこのバナナ配布企画の規模を拡大したいと考えていた。
最初の配布企画成功から半年、ついにこの野望は東京から約3000km離れた「香港」の地で実現されたのであった。
前日の「ピンポンマンション」企画成功によって調子に乗っていた僕は朝起きると、朝食を適当に済ませた後、バナナコスプレに着替え、すぐにスーパーへと向かった。
あった!
流石は果物の王様バナナ。
フルーツ大国香港でも、他のフルーツを押し退け、圧倒的な存在感を誇っていた。
僕は迷わずこのバナナたちを手に取り、次々とかごの中へ入れていった。
「カモン バナナ!!」
レジの方から明るい声が聞こえた。
振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた店員の姿があった。
多種多様な人種で溢れる香港でも、バナナの格好をした者が大量のバナナを買い占める光景は珍しいのだろう。
僕は彼女らに呼ばれるがまま会計を済ませ、
宿に程近い香港の大都市「尖沙咀」に向かった。
いざ駅前に陣取り、バナナ配布を始めようとした時、僕はある問題点に気づいた。
「道が狭すぎる」
先ほどの写真からも若干分かると思うが、
駅の出口はとても狭く、また繁華街ということで人がとても多く、道路を陣取るのは明らかな迷惑行為であるように思えた。
そこで僕は歩きながらバナナを配布していく作戦に切り替えることにした。
道行く多くの人々はこのバナナ男に興味を持ち、「Banana!」「香蕉人! (中国語でバナナ男)」と声をかけてくれたが、なかなかバナナを受け取ってくれる人はいない。
無理もない。今回バナナ配布を行ったのは最高気温が35度を超える猛暑日の真っ昼間。
多くの人々は謎のバナナ男が配るバナナなど食べたくないはずだ。
僕はこの状況を何とか打破しようと、
「Does anyone like banana? (バナナが好きな奴はいるか?)」と叫びながら歩いたり、
「Iam bananaman (俺はバナナ男だ)」と言って実際にバナナを食べるパフォーマンスを見せたが、全く効果は無かった。
「バナナは配布は香港ではウケないのか。」
そう落ち込みかけていたその時、
僕は街中にバナナを求めているであろう大衆の姿があるのを見つけた。
「いける」
そう確信した僕はお決まりの「Does anyone likes banana」で声をかけた。
すると驚くことに彼らは我先にと言わんばかりに僕にバナナを求めてきた。
「やはりバナナは世界共通なんだ。」
僕は改めてバナナの凄さに感動し、彼らの要望通りにバナナを配ろうとした、例の奴らが近づいていることも知らずに…
「Get out! 」突然背後から怒りに満ちた声が僕を襲った。
どうやらこの群衆たちはある施設の入場待ちの人々ならしく、この施設の警備員が列の管理を行っていた。
この警備員が列の秩序を乱そうとしているとして、僕に注意してきたのだ。
僕は当初 聞こえないふりをしていたのだが、
彼は僕のことを捕らえようとする勢いで近づいてきたので、僕はとっさに逃げるほかなかった。
海外で一番恐ろしいのは国家権力に捕まることだ。言葉も通じないし、日本の常識も通じない。
さらに僕はこの時パスポートを持っていなかったので、もし捕まってしまえば、何をされるかは全く分からない。
僕は完全にビビって、バナナ配布もそこそこにして、すぐ彼の目が届かないところへ逃げた。
「もうバナナ配布をやめようか」
諦めのムードが僕の中で生まれていた。
しかしここで僕の脳裏の中に、以前 日本でバナナ配布をした時にも国家権力の妨害を受けそうになったことが浮かんできた。http://nowloading424.info/%e4%b8%87%e3%81%8c%e4%b8%80%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a0/
あの時は一度いなくなったふりをして、もう一度戻ってバナナを配っていた。
「あの頃に負けてはいけない。」
僕は当時の気持ちを思い出し、道を一週してすぐに群衆の元へ戻り、警備員がいなくなった隙をついてバナナを配った。
僕が再び姿を現すと、群衆は僕に向かって手を振り声援を送ってくれた。
僕は彼らの気持ちに答えるために、必死でバナナを配った。そして配り終わって辺りを見渡すと、バナナをもらった人々がみんな笑顔になっていることに気づいた。
もはやバナナに不思議な力があるということに疑いの余地はないだろう。
だから僕は最後にこう言いたい。
「バナナは人を笑顔にする」