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本当に意味不明な奴でありたいか?

僕は中学生の時にある決意をしていた。

「20歳になる前に童貞を卒業できなかったら、

10代最後の日に風俗に行こう」と 

当時 僕は「5年もあるんだから、いつかそういう時は必ずそういうときが来るだろう」

と童貞特有の楽観視をしていた。

しかし現実は甘くなかった。

僕は童貞卒業はおろか

彼女すらできないまま、

10代最後の日を迎えた。

僕は迷うことなく中学時代の決意に従って、

日本一の風俗街で童貞とプライドを捨てた。

僕の初めての風俗体験だった。

それ以来僕は様々な風俗へ行った。

ピンサロ デリヘル

ソープ サウナ

どこも非日常的で刺激に満ちた体験をすることができたが、

行った後はいつも 「何かを大切なものを失ってしまったのではないか」

という疑念からくる猛烈な虚無感に襲われていた。

そして僕は徐々に風俗へ行く意味を見出だせなくなってしまい、

台湾研修が始まってからは風俗に行くのをやめ、

健全な夜を過ごしていた。

そんなエピソードに乏しい研修生活も

中盤を迎えたある日、

同じ研修に参加している後輩たちが

「先輩! クラブ行きませんか?」と

若さと活力に満ちた雰囲気で誘ってきた。

彼らとはホモビデオに出た話と

サウナに行った話ですぐに意気投合していた。

彼らは普段からクラブに通い、

自分でイベントを開いているというなかなかの強者だ。

前述の通り僕は台北での人生最悪の

風俗体験以降すっかり意気消沈して、

あらゆる欲を失い「無」への道を突き進んでいたため、

当初は全く乗り気ではなかった。

しかし 彼らの「かわいい子と関わりたい」という

暴力的なまでに純粋で無垢な姿勢が

僕の消沈した気分を奮い立たせた。

僕は彼らと共にクラブに行くことに決めた。

そして迎えた当日。

僕らは門限の23:00に宿舎を出て、

これまで一度使ったことのなかったタクシーに乗り、

風俗恒例の妙な緊張感に包まれながら

目的地に向かった。

目的地の周辺には風俗街特有の

欲望と金にまみれた異様な雰囲気が漂っていた。

僕はこれから待ち構える未知の世界に

強い恐怖を感じながらも

この恐怖心を隠すために

必死になって後輩たちに話しかけていた。

そしてパスポートの提示と

所持金の1/2にあたる1000元(4000円)の支払いという

重々しい儀式を通過した後、

僕はついに異空間に足を踏み入れた。

そこには異空間という名にふさわしい

カオスが広がっていた。

何の曲なのかもわからないほどの大音量の音楽、

その音楽に合わせて手を振り、腰を振り

意味不明なダンスに興じる国籍不詳の男女。

意味不明な奴らが意味不明な音楽に

意味不明な振り付けで踊っていた。

この空間には意味不明を極めし者達が

己の意味不明度を競いあう「意味不明王決定戦」を行っていると

僕は感じた。

僕のブログのタイトルは「意味不明な奴でありたい」だ。

意味不明を極めようとしている者の一人として、

僕は決してこの意味不明者達に負けてはいけない。

僕は意を決して一番盛り上がっていた

DJ前のブースに乗り込んだ。

するとすぐに意味不明で国籍不明な外人が

意味不明なノリで絡んで来た。

この意味不明者達のノリについていけなければ、

意味不明を極めし者になることはできない。

僕はその場の勢いを利用して、

すぐにこの意味不明界隈に加入することにした。

そしてしばらく意味不明な外人達と共に肩を組んで踊っていた。

すると一人の意味不明なほど肥大化した

肉体を持った白人女性が、

僕をダンスに誘ってきた。

「チャンスだ」

この場にいる意味不明者達はみんな

美男美女を求めて踊っている。

ここで僕がこの醜い白人と踊ることで、

この「意味不明王決定戦」の中で一歩リードできるのではないか。

僕は迷わずこの醜い白人の誘いに乗った。

そして互いのお尻をつきあわせるという

意味不明なダンスをした後、

密着系のダンスをして、

そのまま無駄にアチスなキスをした。

出会ってわずか数十秒の出来事だった。

「勝った」

いくら世界中の意味不明者が集まるクラブでさえ、

こんな醜い白人とキスをする

意味不明な男は僕ぐらいしかいないだろう。

僕はキスをした瞬間

この「意味不明王決定戦」の勝利を確信し、

心のなかで高らかとガッツポーズをした。

しかしその高揚感は長くは続かなかった。

キスを終え、白人と離れてすぐ

僕に襲ってきたのは

自らの道徳心に背いたことから来るのであろう

猛烈な虚無感だった。

「なぜくだらないプライドのためにあんな醜い白人とキスしてしまったのだろう。」

僕は大切な何かを失ってしまったように感じた。

僕はこれまで「意味不明な奴でありたい」

というポリシーのもと活動してきた。

しかし意味不明な行動をとった後に

このような虚無感を感じるということは

本当の僕は意味不明な奴ではなく、

ただ普通な意味有明な奴なのかもしれない。

自分の人間性を深く考察させられる。

そんな台湾クラブ体験だった。

実録 ホモビデオ撮影の実態 (閲覧注意)

僕は先日再びホモビデオに出演した。

というのも前回出演した際に、

相手役の方から別の方を紹介して頂いたからだ。

前回は撮影内容については口止めをされてしまったため、

詳しい撮影内容を話すことはできなかった。

しかし今回は相手役の方がOKを出して下さったので、

ホモビデオの撮影内容を最初から詳しく解説していきたいと思う。

まず出演までの流れは前回話した通りだ。

今回も相手役の住居であろうワンルームに招待された。

部屋に入るとカメラとベッド、

そして全く隠す気を感じないほど大量のオナホール。

「まあ取りあえず座ってくれ」と言われ、

ベッドに座る。

気づいた時には、

もう相手役は僕の背後に周り、

「嗅いでいい?」という、

普段は決して聞かれることのない質問をぶつけ、

全身を嗅ぎ始める。

こうして全身を嗅がれた後、

締めと言わんばかりにキスをせまり、

ひととおり満足すると

「シャワー浴びてきていいよ。」と僕を解放した。

まだカメラは回っていない。

シャワーを浴び、再び元のベッドに戻ると、

カメラがしっかりとセットされ、

相手役がいまかいまかと僕を待ち構えていた。

ゼンギ→フェラ→ソウニュウ→ナマソウニュウ 

という撮影の流れの説明を受け、

カメラが周り始めるとすぐに、

僕は服を脱がされ、

キス→乳首→局部といった流れで、

徹底的に舐められた。

これがいわゆる「ゼンギ」というやつだ。

途中 経歴や性感帯などの質問を受けたが、

もはや何を答えたのか全く覚えていない。

「ゼンギ」が終わると

次は僕のターンだ。

相手役が心地よく挿入できるようにするために

局部にフェラチオをかまし、

相手役を勃起させなければならない。

前回の相手役は局部をきちんと清潔にしていたからか、

特に何の匂いもなかったが、

今回の相手役は局部から

若干のアンモニア臭がした。

さらに前回の相手役よりも局部のサイズも大きかったので、

奥まで咥えた際には、

窒息するかと思うぐらい呼吸が苦しくなった。

こうして僕のターンが終わると、

いよいよ真打ち「ソウニュウ」の時間が始まる。

まず 「ソウニュウ」はいわゆる「正常位」

から始まった。

僕はベッドに仰向けとなり、

自分の膝を抱え、足と尻を開いていると、

相手役が ローションまみれの

指を

1本、2本、3本と入れて

じわりじわり僕の肛門を広げ、

最後には肥大化した生局部を

ぶっ差した。

ご存知の方もいるかもしれないが、

肛門に局部を入れられるというのは、

感覚としては巨大な便を放出してる時の感覚に近い。

僕も差された当初は「便意をもよおす」感覚が強かったが、

後で考えるとあれは脳が肛門に入った局部を

大便と勘違いしたゆえに起こる錯覚なのだろう。

そんなことを考えているうちに、

「ソウニュウ」は第2段階の「騎乗位」に突入した。

この場合の「騎乗位」では

僕が仰向けになった相手役の上に

足と肛門を開いてまたがり、

一心不乱に腰を振り続けるという行為である。

この「腰を振る」という行為は想像以上に過酷だ。

僕は一時期筋トレにはまっていたこともあったが、

この「腰を振る」という行為で使う筋肉は、

明らかに筋トレでは使うことのない筋肉だ。

というよりむしろこれまでの人生で

一度も使ったことのない筋肉かもしれない。

僕の体にはまだ未知なる部分が本当に多いと

改めて感じさせられた。

そして 「ソウニュウ」は 最終段階の「バック」へと移行した。

この頃になると、

「ソウニュウ」直後には悲鳴をあげていた

僕の肛門も開発が進み、

落ち着きを見せ始めていた。

僕が四つん這いになって

再び足と肛門を開いていると、

相手役は「めっちゃケツ絞まってる」といった媚声をあげ、

容赦なく局部で僕の肛門を突き上げた。

しばらくして彼は

「ああ イキそう、イク イク 」と

急に大声で騒ぎだし、

最後に 「アー!」と魂の咆哮をあげ、

僕の肛門に射精した。

僕は特に何か肛門に出されたという感覚はなかったので、

「終わった」と思ってシャワーを浴びに行こうとしたが、

「ちょっとケツに力入れてみな。ウンコ出す要領で」と相手役に言われ、

言われた通りにすると、

僕の肛門からこれまで見たことのない、

茶色く濁った精液が噴き出した。

その後 猛烈な虚無感に襲われつつ

シャワーを浴び、部屋に戻ると

相手役が 先ほどからは考えられないほど落ち着いた様子で

「はい これが今日のお給料です。」と

予告通り3万円を渡した。

そして動画の公開日や

相手役の人物像といった会話を交わし、

僕は相手役の家を出た。

これがわずか1時間たらずで起きた出来事だった。

以上が今回の撮影の詳しい内容だ。

これを見てやってみたいと

思った方がいれば、

コメントでも何でもいいので

ぜひ僕に声をかけてほしい。

人は検便中 何を考えてるのか

僕のバイト先のサイゼリヤ西早稲田店では

定期的に検便が行われる。

飲食店のバイトは検便があるという話は

時々耳にすることがあったが、

以前のバイト先では検便はなかったので、

僕はこの検便というイベントは、

一部の熱狂的なうんこマニア達によって

流された都市伝説だと思っていた。



しかし現実はそう甘くはなかった。

僕がバイトを始めて数ヶ月、

いきなり社員さんから声をかけられた。

「海谷君。うんこ採ってきて。」

「うんこ採ってきて?」

意味が分からなかった。

もし彼があのとき検便キットのようなものを

持っていなかったら、

僕はその場で自慢のチョコバナナ丸々一本

提供していたかもしれない。

とにもかくにも あのとき僕は検便というものが決して

都市伝説ではないということを知った。



ただここで僕はある疑問を抱いた。

検便をするのは従業員全員だ。

決して僕のうんこが問題視されたわけではない。

従業員の中にはもちろん女性もいる。

もちろん彼女たちもこの検便という

一大イベントをこなしている。

僕は普段からうんこをした時に、

必ず自分のうんこを長時間観賞し、

悦に入る習性があるので、

検便に対しては、

いつもの習性の延長線ぐらいの感覚なので、

これといった感情は抱かない。



しかし女性の多く(一部の男性も)は

流す前のうんこを一瞬確認することはあっても、

検便時のように長時間

自分のうんこと向き合うことは少ないだろう。

そんな彼女達が検便時に抱く感情はいったい何なのか?

「くさい?」「汚い?」「でかい?」

もしくは 「カッコいい?」

残念ながらこればっかりは

直接聞いて見るしか知る方法はないだろう。

しかし僕には女性にいきなり

「検便の時、何考えてるの?」と聞く勇気はない。

「検便 何 考えてる」とグーグルで検索しても

めぼしい答えは見つからない。

あらゆることが情報化された現代においてなお、

この疑問は深い謎に包まれている。

もしかするとこの答えは

僕が軽々しく知ってはいけないほど、

深淵なのかもしれない。

この疑問を抱き、

実際に検証しようとした者は

次々と死を迎える。

僕はもしかすると

恐ろしいパンドラの箱を開けようとしてるのかもしれない。

僕がこのまま好奇心に負け、

死を迎えるまでに、

頼むから誰か 情報を提供してくれ。 

ホモビデオに出演した結果、自分の恐ろしい本質に気づかされた。

本ブログの読者の中にはお気づきの方もいるかもしれないが、

僕はいまお金がない。

毎日のコスプレ費、最近の旅行費、留学準備費用

と支出を挙げれば切りがない。



頼みの収入源サイゼリヤ西早稲田店はというと、

都内では最低レベルの時給1000円なので全く当てにならない。

昨年の6月には過去最高の50万円に達した

僕の口座残高もみるみるうちに減っていき、

今では10万円を下回る勢いだ。

このままでは留学に行く前に破産してしまう。

学生のうちから闇金に手を出す人生はまっぴらごめんだ。

何とかしてお金を稼ぎ出さなければならない。

しかし扶養の関係もあるため、

なかなか新しいバイトに手を出すのは難しい。

どうしようかと考えてたときに

ある考えが浮かんだ。

「ホモビデオに出ればいいんじゃないか」

僕は以前某元プロ野球選手

学生時代にホモビデオに出演し、

大量のお金を稼いでいたという

エピソードを聞いたことがある。

その選手のビデオは未だにネットユーザーから

高い評価を得て人々を笑顔にしている。

お金も貰えるだけでなく、

人々を笑顔にするエピソードも残すことができる。

こんな素晴らしい仕事は他に無いだろう。

僕は迷わずホモビデオに出演することに決めた。(僕はもちろんノンケです。)



ホモビデオ出演を決意した僕は

片っ端からホモビデオ会社にプロフィールを送った。

やる気を見せるために裸の自撮りも一緒に送った。

こうしてプロフィールを送ること数社。

ある会社からついに出演のオファーが届き、

僕の念願のホモビデオデビューが決まった。

出演料はなんと時給で換算すると

サイゼリヤ西早稲田店の10倍を越えていた。

僕は大喜びで友達に出演決定の報告をした。

すると彼らは大爆笑すると同時に、

「俺だったら絶対できない。」

「お前 体大丈夫なのか?」

と心配してきた。



確かに冷静に考えれば、

僕は筋金入りのノンケなので、

これまで男性としたことはない。

せいぜい酔った勢いでキスしたことがあるくらいだ。

もしかすると撮影中

気持ち悪さに襲われてしまうのではないか。

痔になって一生苦しむのではないか。

僕は急に激しい不安に襲われた。

とはいってもせっかく訪れた一攫千金のチャンス。

絶対にフイにするわけにはいかない。

僕は会社の指示通り

毎日お尻の開発をしながら撮影当日を待った。



そして迎えた当日。

僕はこれまで経験したことのないような

緊張感を覚えながら撮影場所へと向かった。

残念ながら動画の公開が

かなり先なので詳しい撮影内容を話すことはできない。

僕はこの撮影で今まで目を背けていた

自分の性に関する事実に気づいてしまった。



今回の撮影では相手役の男性との

さまざまなシチュエーションを撮られた。

中には自分の想像を越えるシーンもあった。

僕は撮影前

「撮影中気持ち悪いと思ってしまうのではないか」と心配していた。

しかし僕は撮影の間、

そういった感情を全く持つことはなかった。

同性との行為が「気持ち悪い」と感じるのは、

「そうした行為は異性と行われるべき」

という考えが頭の中に刷り込まれているから

だと思う。

「セックスは男と女でするもの」

という考えが強ければ強いほど、

男同士でのセックスに強い嫌悪感を覚えるのだろう。



僕はなぜ男同士という状況に

全く嫌悪感を抱かなかったのだろうか?

考えていくうちにある恐ろしい仮説にたどり着いてしまった。

「僕はセックスに興味がないのではないか」

男同士での行為に全く嫌悪感を抱かなかったのも

僕の脳がセックスに関して何の感情も抱いておらず、

体と体が触れあう行為

せいぜいハイタッチぐらいとでしか

捉えていないからではないか。

思えば僕はこれまで

人生で一度もセックスで抜いたことはない。

「じゃあ何で抜いてるの?」と聞きたくなるかもしれないが、

これだけは答えることができない。

決して犯罪に関わるようなことではないが、

僕はこの内容だけは

誰にも言わず墓場まで持っていくと決めている。

恐らく他の人からすると

「何でそれで抜けるの?」という内容だと思う。

僕もなぜ抜けるのか全くわからない。



一時期 他の人と同じようにアダルトビデオで

抜いてみようと思ったこともあったが、

肝心のセックスシーンに全く興奮しない。

好みの顔をした女優のビデオを観ても

結果は同じだった。

どんなに女優が喘いでも、

どんなに激しく動き回っても、

「頑張ってるなぁ」ぐらいで

何の感情もわかない。

女性器に刺さった男性器が前後に揺れているだけなのに、

なぜ興奮するのか僕からすると全く分からない。



本ブログでも何度か取りあげたが、

僕は何度か風俗に行ったことがある。

この事実だけを抜き出せば、

これまでの内容と矛盾するかもしれないが、

僕が風俗に行く理由はネタ作りのためだ。

なんだかんだ風俗の話はネタになる。

僕は話のネタに飢えている。

セックス自体に嫌悪感があるわけではないので、

ネタになると分かればすぐに向かうという訳だ。

実際これまでのソープ体験も、

なかなかイケず、

騎乗で無理やりイカセてもらった感じに近かった。

いずれにしてもセックスは

大きなコンテンツであることに間違いない。

男同士だと性関係の話は一番盛り上がるし、

男は誰しも女性と仲良くしてると

必ず周りからやったかどうかを聞かれるし、

やることを求められ、

できなかった奴はヘタレ扱いされる。

これまで僕もこうした風潮にゲイ合して

無理やり「自分はセックスしたいんだ」

と思い込むようにしていたが、

実際のところ

本当の自分は良くも悪くもセックスには興味はないのだろう。

今まで気づかないふりをしていた

自分の本質に気づかされた。

そんなホモビデオ出演だった。

うんこが汚いわけないだろ

うんこ=汚物

世界はこの風潮で溢れている。

「うんこは臭くて汚い」

「食事中にうんこの話をするな」

などうんこへのヘイトは尽きることがない。

確かに人間は鼻水や汗といった、自分から排出されたものを

汚いと感じることが多い。うんこもその一例だ

しかし汗たちとうんこの間には決定的な扱いの違いが存在する。

「食事中にうんこの話をするな」という意見はあるが、

「食事中に汗の話をするな」という話は聞いたことがないし、

むしろ汗をだらだら流すスポーツ選手を観ながら、食事をする者もいる。

なぜうんこはここまで嫌われているのだろうか。

一度考えてみてほしい。

元々うんこは自分の体の中にあった。

つまり排便前、僕たちはうんこと一体化していたのである。

うんこをイメージした時、多くは排出後の姿を想像するだろう。

排便前のうんこを「臭い」「汚い」と罵倒する者はいない。

自分と一体化するほどの仲であったうんこを

自分の都合で排出したあげく、

汚物の象徴として扱うのは、あまりにも酷すぎるのではないだろうか。

他方 この「うんこ」という単語は、

うんこドリルが小学生の間で爆発的な人気を獲得していることも考慮すると、

小学生の中では屈指の人気ワードである。

自分たちの小学生時代を思い出してほしい。

当時は「うんこ」という単語が飛び交う度に笑いが起きていた。

いま大学で「うんこ」「うんこ」と言っていれば、すぐに狂人扱いを受けるだろう。

大学生と小学生を単に比較することはできないが、

小学生のような単純なことで

単純に笑える世界もアリではないかと僕は思う。

何でもかんでも「くだらない」「幼稚だ」

って言ってたら自分の行動をどんどん狭めてしまう。

話が少しそれたが、

「うんこ」とは人を笑顔にする役割も

持ったハイテクなうんこなのである。

僕はいつか皆が再び「うんこ」の機能性に気づき、

「うんこ」が褒め言葉に使われる世界になることを願う。 /p>

足を使わない移動方法にまつわるエトセトラ

人類は歩きすぎだ。

丸1日飯を抜くやつや風呂に入らないやつはいるが、丸1日歩かないやつはほぼいない。

人類は2足歩行動物だと言われれば、それまでだ。

しかしあまりにもこの通説にとらわれすぎなのではないだろうか?

歩行以外にも人類はまだ画期的な移動方法を秘めているのではないか?

僕は歩行歴が19年目に達し、歩くことに強い飽きを感じてきていた。

なので歩行以外の移動方法を開発し、交通革命を起こすことにした。

まず僕が思いついたのは下り坂で、爆発的なスピードを出すことができ、歩行の弱点である遅さを解決することができる転がり
(通称コロコロ)だった。

思い立ったが吉日。

僕は早速キャンパスの坂を利用してコロコロに挑戦することにした。詳細は↓まで

結論からいうと失敗だった。

確かに瞬間的なスピードは歩行を上回ったが、瞬間的な目のコロコロも歩行を上回ってしまったため、終わった瞬間すぐに大学のベンチにゴロゴロしてしまった。

これでコロコロは失敗した。

革命を起こすといった手前、簡単には引き下がれない僕はベッドでコロコロしながら、新しい移動方法を考えた。

しかし頭のコロコロだけは止まってしまい、何も浮かんでこなくなってしまった。

そんななかある衝撃的な映像が僕の目に飛び込んできた。

なんと女子駅伝の選手が膝に血糊を塗りたくりながら、ハイハイをしてゴールを目指していたのである。

その距離約200m。

走ることを専門にしている陸上選手が走りを捨ててまで、取り組むハイハイとはいったい何者なのか?

僕は生後まもなく以来19年ぶりの強烈なハイハイ欲に襲われた。

そして穴八幡宮から戸山公園までの200mハイハイに挑戦することにした。

痛い 開始わずか5mで膝に鈍痛が歩いた。

見ると膝が腫れていた。

ここで僕は大きな見落としに気づいた。

あの駅伝選手の膝についていたのは血糊ではなく本物の血であると。

彼女は血だらけになりながらハイハイしていたのである。

ここで痛みに負けるというのは、彼女の根性への冒涜だ。

僕は必死に手を動かした。

途中何度も「大丈夫か」と声をかけられた。

気づかいはとてもうれしいが、頭のことを聞いてるのか、膝のことを聞いてるのかわからなかった。

とりあえず膝は大丈夫だったので「大丈夫だ」と答えた。

すると頭のことを聞いてるのだとでも言いたげな困り顔で去っていった。

どっちなのかはっきりしてほしい。

そんなこんなで200mハイハイしきった頃には膝は見たことないほど真っ赤に腫れていた。

後から調べてみると彼女はすねの骨を折っていてまともに立つこともできてなかったとのこと。

そんななかで襷をつなぐというただ一つの目標のためにハイハイに手を出したのである。

途中何度も立ち上がって休んだ僕に比べるとあまりにも強すぎる。

歩行を捨てるにはそれだけの強さと覚悟が必要なのである。

僕にはまだ早すぎた。

いつか強くなってもう一度脱歩行に挑戦したい。



裸にまつわるエトセトラ

                  裸だったら何が悪い

この某草なぎ剛氏によるゲイノウ人生を賭けた問題提起から早10年がたとうとしている。

しかしいまだに私たち人類はこの深淵な議題に対して明確な回答を出せていない。

人間は元々裸だった。

僕が先日紹介した縄文人も裸だった。

なぜ人間は裸を捨てたのか。そしてそこにはどんな理由があったのか。いったい裸でいることにどんな問題があるのか。と疑問は尽きない。

今回は人類のさらなる発展に不可欠なのにも関わらず、数億年にわたって見過ごされてきたこの議題について考察していこうと思う。

まず裸を語るうえで切っても切れない関係にあるのは衣服の存在である。

現在多くの人類が衣服を着用していることから、衣服の誕生を紐解いていくことが、人類が裸を捨てた理由に近づくきっかけになるのは言うまでもない。

人類が衣服を着用するようになったのは約7万年前といわれている。

理由はいたって簡単。寒くなったからである。(wikipediaより)

寒くなったから服を着て暖をとる。あたりまえ。

正直この理論には突っ込む余地もないし、突っ込む気も起きない。

ここでの問題はその逆である。寒いという肉体的な理由で服を着始めたのにも関わらず、なぜ暑くなったときに服を脱がないのか。

しばしば通気性のよい服といった広告を見かけるが一番通気性がいいのは間違いなく全裸である。

そんなこと少し考えれば誰でもわかるはずだ。

暑いと言うなら裸になれ。

なぜ人間は裸になることを恐れるようになってしまったのか。

裸になることが問題視される理由の一つとして、しばしば性器の露出が挙げられる。

多くが他人の性器を気持ち悪く思うということに僕は異論はない。

しかし気持ち悪いという理由だけで性器を排せいきしようというなら、キモイ顔は常にガスマスクをつけなければならなくならず、

すだれ禿は常に帽子をかぶらなければならなくなる。

ブスと露出狂は3日で慣れるという言葉をあるように、人間はどんなに気持ち悪いものでも慣れてしまうのである。

ここで誤解して欲しくないのは、僕は裸になることが好きなだけで、必ずしも服の存在を否定しているわけではない。

寒い時には服を着るし、なんなら暑いときにも着ている。つまりただの服依存者だ。

服の暖をとれるという良さを理解しつつも、 裸になりたいときは裸になれる

そんな自由な世の中になって欲しい

それこそが某氏が伝えたかったメッセージだと僕は思う。