「おしり」カテゴリーアーカイブ

右折しようとした、しかし左折した。

いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん

そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?

「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908

「大食いの称号」という取るに足りない称号。

「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。

僕はこのタイトルが大好きだ。

誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。

「香港の巨大魚を狙おうとした、しかし挫折した」

「ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した」

これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。

しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。

それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。

僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。

そう「左折」だ。

「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。

また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。

僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。

以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。

令和元年 6月某日

「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。

何故西早稲田駅にいたのか。

理由は一つだ。

僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに

体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。

今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。

いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。

そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。

右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。

恐るべし「新宿二丁目」

血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。

「止まれ 左折しろ❗」

ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。

ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。

それは4ヶ月前のことである。

僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。

「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。

マッサージのことだろうか?

当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。

すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。

僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。

「入らない」

僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。

それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。

「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。

ついにその瞬間はやって来た。

僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。

そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。

「入る! 入る!」

僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。

そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。

僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。

「どうしたの?」

ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。

振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。

彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。

僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。

芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。

安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。

絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。

僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。

左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。

新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。

やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。

僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。

「ゴーゴーバーに行く男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行く男は天へも昇る。」

「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる。」https://lifework-freedom.com/?p=5703

これは僕がタイにタイ在中、偶然見つけた某ブロガーの一言である。

この時まだ僕は彼がこの言葉を通じて伝えたかったことが何なのか知る由もなかった。

「風俗といったらパタヤだろ」

そんな性に飢えた超獣しゃおじょんの猿の一声によって、僕らはタイに到着後、すぐに首都バンコクから南へ160km離れたパタヤへ向かっていた。

僕もタイに来て初めて知ったのだが、

パタヤは多くの風俗店やナイトクラブが乱立し「アジア最大の歓楽街」「男の楽園」といった異名を持つ巨大都市ならしい。

そんな大歓楽街パタヤであるが、昼の街並みは静かな飲食店が数店営業している程度で、人も少なく至って普通だった。

「旅行サイトで騒ぎ立てられていた観光地が実際行ってみると、案外しょぼかった」なんてことはよくあることだし、

僕もこの時はパタヤもこのいわゆる「ガッカリ観光地」みたいなものだと考えていた。

しかし夜になると パタヤは姿を変えた。

街は人で溢れ、昼に閉まっていた店はネオンを照らし、店の前では際どい格好した女が、道行く全ての男たちに声をかけていた。

僕は完全にビビっていた。

僕にとっての歓楽街経験はせいぜい日本の歌舞伎町くらいだ。

歌舞伎町のキャッチは声はかけてくるものも、断ればすぐに諦める。

しかしパタヤのキャッチは違う。彼女たちは僕らが何度断っても、言葉が分からないふりをして食い下がり、しまいには無理やり腕をつかんで強引に店へ引きずり込もうとする。

恐ろしい。流石「アジア最大の歓楽街」と言われるだけはある。

今回は4人で旅行をしていたのだが、本ブログ初登場のずおたんこんりんもおおむね僕と同じような反応をしていた。

しかしそんな僕たちを尻目に1人先頭を切って歓楽街を突き進む男がいた。

しゃおじょんだ。

彼は予め有名なゴーゴーバー(持ち帰り可能なキャバクラ)を調べ、その情報を頭にいれ、普段は決して開くことのないGoogleマップを開き堂々と街を突き進んでいった。

その姿はまるで逃げ惑うヘブライ人奴隷を引き連れて海を渡った聖人モーセの様だった。

戸惑う僕らはこのモーセに引き連れられて、パタヤで一番有名なゴーゴーバーである「BAKARA」へ入った。

入った瞬間、いきなり衝撃の光景が目に飛び込んできた。

なんといきなり上半身を露出した嬢たちが、ステージで踊っていたのだ。

(写真撮影禁止だったので、店内イメージです。)

そしてすぐにボーイが僕たちの元に駆け寄り国籍を聞いてきた。

僕らが日本人であると答えると、奥の席に案内された。

席に座るとすぐに、日本語が話せるらしい嬢たちが僕らのもとにやって来て、飲み物を頼むようそそのかしてきた。

訳もわからず言われるがままに、飲み物を頼むとすぐに飲み物と共に大量の伝票が僕の目の前に置かれた。

この伝票は後に僕の気分を大いに憂鬱にさせた。

そして飲み物を頼むと、嬢との会話が始まった。

会話とはいっても「何歳?」「出身は?」「彼女はいる?」といった初歩的な問答ばかりで全く面白くない。

途中この流れを変えようと、僕は唐突に「自分はホモビデオに出たことがある」と語り、

その写真を見せたが、嬢はドン引きした様子を見せ、ますます会話は失くなり、しまいには「トイレに行く」といって帰ってこなくなってしまった。

ふと隣をみるとさっきあれほど勇敢な姿を見せたしゃおじょんが両脇に嬢を侍らせ、

鼻の穴を全開にして隣にいた ずおたんに何度も「4Pしよ 4Pしよ」と声を荒げていた。

今回のメンバーのうち、僕としゃおじょん以外の2人は彼女持ちだ。

元々 ゴーゴーバーに行くことですら渋がっていた彼らがそんな誘いに乗るはずがない。

しかしそんな彼らの気分などお構い無しに、しゃおじょんは嬢を両脇に抱え、4Pの交渉に励んでいた。

もはや彼はモーセでもなんでもない。

ただの性欲に支配された猿 「さるじょん」だ。https://bicinemas.com/

彼が交渉を行い、嬢と盛り上がるたびに、僕の目の前に伝票が刺されていく。

少し中身を見るとそこには恐ろしい金額が書かれていた。

ただでさえ友達のそういった姿に、気が滅入っているのに、後の精算まで意識させられ、僕の気持ちは完全に「限り無く漆黒に近いブルー」となっていた。

ずおたんこんりんも不貞行為をしてしまいそうになった葛藤からブルーな雰囲気を漂わせていた。

そんな僕たちを尻目にさるじょんは近くにいた別の日本人に声をかけ、「4P」交渉をまとめあげていた。

彼のあくなき「4P」への執念がこの結果を生んだのであろう。

こういう時の彼のコミュ力は凄まじい。 

性欲は本当に人を強くするのかもしれない。

こうして残されてしまった僕ら3人はもはや羽目を外す気分でもなくなってしまったので、法外な額を払い、店を出た。

街はまだ眠る気配もなく、相変わらずネオンとキャッチがきらめいていた。

しかし僕らはもはやそんな誘惑を目に留める余裕すらなく、鬱屈とした気分で帰路についていた。

「このまま終わっていいのか」

ふと僕の中にこんな感情が沸いてきた。

「おそらく一生に一度しか訪れることのないパタヤで嫌な思い出ばかり残して帰っていいのか」

「女でブルーになった気持ちは男でレインボーにしよう」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0_(LGBT)

僕はパタヤにゴーゴーバーの男版「ゴーゴーボーイズ」があるのを思い出した。

僕は2人に「ブルーな気持ちをレインボーにしようぜ」と言って、ゴーゴーボーイズに誘い出した。

こちらもゴーゴーバーと同じく、店に入るとすぐに支配人が寄ってきて、席に案内した後、僕らに男をあてがった。

(撮影NGだったのでイメージです。)

そして中央には写真のようなステージが置かれ、筋肉隆々とした男たちが並んでいた。

僕の元にはカンボジア出身の男がやって来た。彼はとても落ち着いた雰囲気で、僕のブルーだった気持ちを少しずつレインボーに近づけてくれた。

この時、僕は確実に自分がゲイへと傾きつつあるという事実を痛感した。

しばらく彼と話していると、何やら支配人が僕たちの方とステージを交互に指差している。

どうやら僕らにステージへ上がって欲しいとのことだ。

しかしもちろん客は僕たちだけではないし、僕たちは踊りの経験も屈強な筋肉もない。

ただ僕はこの時、漆黒のブルーへ変わった気持ちをレインボーにするためにはこのステージに上がるしかないと思った。

もう迷いはない。

僕たちは意を決して、ステージへ上がろうとした。

すると今度は支配人が「ステージに上がるなら服を脱げ」と言わんばかりに、僕たちの服を指差した。

もうどうにでもなれ。

僕はステージにいる男たちと同じように、パンツ一丁になった。

同じくステージに上がったこんりんも服を脱いでいた。

「何を踊ろうか。」

店には大音量のクラブミュージックがかかっていた。

クラブミュージック…台湾!

僕は台湾でふくよかな白人女性と踊った、「お尻を突き出して振り続ける」という謎のダンスを思い出した。

僕はすぐさまこんりんと共に客席へ向かってお尻を振り始めた。

すると客席は大いに盛り上がり、味をしめた支配人は僕にパンツを脱ぐように指示した。

もはや恥なんてものはない。

僕は指示通りにパンツを半分脱ぎ、自慢のお尻を見せつけた。

会場はその日一番の盛り上がりを見せ、ステージにいた男たちもケラケラ笑っていた。

僕は台湾でこの踊りをした後、とてもブルーな気持ちになっていた。

そんな踊りが2ヶ月後、タイで大いに役立つとは当時 夢にも思わなかった。

明らかに点と点が結ばれた瞬間だった。

僕はこの時、自分の気持ちが完全にレインボーになったのを確信した。

本当は動画があれば良かったのだが、唯一ステージに上がらなかったずおたんが動画を撮ろうとしたところ、注意されてしまったらしい。

締めるべきところは締める。

尻の締まりを重視するゲイらしい対応だ。

同じくゴーゴーボーイズに訪れたこんりんずおたんも僕と同じようにレインボーな気持ちになっているようだった。

しかもこれだけ僕たちをレインボーにさせてくれたのにも関わらず、ゴーゴーボーイズの値段はゴーゴーバーの時の半分以下。

本当に天へも昇れるような気分だった。

僕は今後、パタヤでおすすめのスポットを聞かれたら迷わずこのゴーゴーボーイズを答えるだろう。

聞くところによると、ゴーゴーバーの女を持ち帰ったさるじょんは4Pが出来なかったあげく、法外な額を請求され、さらには謎の病気によって以後2日間、腹を壊したらしい。

やはり冒頭にあった「ゴーゴーバーに行くような男はいつか地獄に落ちる」という言葉は正しかったようだ。

しかし僕は今回この言葉に少し書き加えたい。

「ゴーゴーバーに行くような男は地獄に落ちる。ゴーゴーボーイズに行くような男は天へも昇る。」

オシリアに気をつけろ

知っている人もいるかもしれないが、僕は最近必然の出会いをきっかけにお尻を酷使している。

僕の尻を求め世界中からやってきた猛者たちの要求に応えようと日夜フル開閉した僕のお尻は限界を超え、焼き付くような痒みを発生させるようになった。

僕は悩んだ。

一度踏み外してしまった道からもとの道へもどろうか。

しかしいまここで僕が第二線を退いてしまったら、僕の尻を求め集まってきた豪傑たちはどうなってしまうのか。

もしも彼らが処理しきれなかった自らの欲望を破壊衝動へと変え、店を破壊し、街に火をつけ、男を貪るといった具合でこの街の全てを壊してしまったら…

僕はどう責任をとればいいのか。

いま世界の命運は僕の尻にかかっているといっても過言ではない。

となれば答えはひとつ

「今後も戦い続ける」

僕はこの世界を陰から支えるために戦士の持病ともいえる痒みと向き合い続けるしかないのだ。

どのようにして痒みと向き合えばよいのか。

ひたすら我慢することができれば話は簡単だ。しかし尻に生じる「痒み」というのは虫刺されで発生するようなそんじょそこらの痒みとはわけが違う。

普段は意識していても、就寝中やトイレ後に無意識のうちに手が伸びてしまう。

一度掻いてしまったら最後、この「痒み」たちは永い眠りから覚め、尻という名の楽園を謳歌するかの如く思う存分に暴れ回り、僕の尻を破壊していく。

この「痒み」をどのようにして対処しようか。僕は来る日も来る日も頭を悩ませた。するとある日、興味深いCMが僕の目に飛び込んできた。


「お尻の悩みにオシリア♪」


そのCMは「お尻」という放送コードギリギリの内容をポップなミュージックとキャッチーなイラストでまるで高級な香水でも扱っているのではないかと感じさせるCMを繰り広げていた。

僕はこのたった15秒間のCMに魅了された。

この世には自分と同じようなお尻への悩みを持った人がいる。そしてそうした悩みをもった人々を明るく助けてくれる社会がある。

この世界もまだまだ捨てたものじゃない。僕にはこの素晴らしい社会を支える義務がある。

僕はこのCMを観た次の日に迷わずドラックストアに向かい、世紀の秘薬「オシリア」を購入した。

高揚した。

なにせ幾度となく人々の尻を救って来た秘薬「オシリア」を手に入れたのだから。

もちろんその日もいつものように「痒み」が僕のお尻を襲った。

しかし今日は「オシリア」がある。

今日さえ我慢すれば、「オシリア」が全てを解放してくれる。

僕は頭の中で「オシリア」「オシリア」と何度も唱えて、必死に「痒み」をこらえた。

こうして「痒み」をこらえ帰路についた僕は、家に着くとすぐにお尻を出した。

「ついに解放される」

思えば長い戦いだった。これまでの人生でこんなにお尻について深く考えたことはなかっただろう。

僕は満を持して慎重にバッグから「オシリア」を取り出し、ゆっくりとお尻に塗りたくった。

「痛い!」「痛い!」

なんだこの痛みは!?

「オシリア」を塗った瞬間、

地獄の業火が宿ったかのような強烈な痛みが僕のお尻を襲った。

僕の安易な「オシリア」の使用が「痒み」たちの逆鱗に触れたのだ。

自らのプライドを刺激された「痒み」たちは次々と痛みの業火に姿を変え、僕のお尻を焼き付くした。

「オシリア」は秘薬ではなかった。

皆さんに1つだけ伝えたいのは、

決して安易な気持ちで「痒み」を刺激してはならないということだ。

「痒み」たちは己の痒生をかけて痒みを作り出している。

彼らの気概に答えるためには、僕たちも「オシリア」などという姑息な手に頼ることなく人生をかけて彼らに向かい合わなければならないのだ。

「痒み」と僕の戦いはこの先も終わりを見ることはないだろう。

to be continued…

1000円で手に入れることができる真のサービス

ラインペイがいま登録者同士で1000円を送り合える狂気のキャンペーンを行っている。

ラインペイを使ったことがある人なら分かると思うが、ラインペイといえば、支払いが終わるたびに、「クジに挑戦!」といった無邪気なメッセージを送ってきては、

「1円当選 おめでとうございます!」という僕を有邪気な気分にさせる結果を送りつけてくる忌々しき乞食団体のイメージが根深い。

その乞食組織が今回1000円を配布するというキャンペーンをやったのだから驚きだ。

僕の乞食友達たちも早速このキャンペーンに参加し、僕に1000円を送ってくれた。

僕は久しぶりに1円以外の金額がラインペイに追加されたことを大いに喜んだ。

この1000円を何に使おうか。

「食事代、コスプレ、イソジン…」

世の中 1000円あればいろいろな物が買える。

1000円で救うことのできる命もたくさんある。

僕の邪気に溢れた想像力では、計り知れないほどの力を1000円は持っている。

1000円で何ができるのか考えていると、以前1000円で手に入れたある奇妙な体験が僕の頭の中に浮かんできた。

それは例のごとく冷たい北風が吹き荒れていたある春の日のことだった。

例のごとく性欲に餓えた「流山のバイアグラ」がこんなことを言ってきた。

「激安ピンサロ行こうぜ。」

以前も紹介したが、彼は「風俗ブロガー」として、極上の至福を求め、ありとあらゆる風俗への潜入を試みる性欲の権化だ。

性に関していえば、彼の発言にしたがっていればまず間違いはない。

僕らはすぐに「都内 激安ピンサロ」というワードで検索をかけまくった。

「都内」で良いものがなければ、次は「新宿」、「新宿」でだめなら、次は「池袋」

といった具合に手を変え、品を変え、執念深く調べた。

普段大学のレポートの文献を調べる際には、1度検索して良いものがなければ、すぐに諦めてしまう僕らからすれば、考えられないほどの執念である。

こうして執念深く調べていくと、ある興味深い店が僕らの前に現れた。

http://aitata-o.com/top/

見よこのビジュアル。

「あ、痛たた!」といった強烈なネーミングもさることながら、危険色の代表格でもある黒と黄色を基調としたホームページは訪れる者を恐怖の渦へ引きずり込む。

それにこの店にはなんと「10分1000円」というイカれたコースもあるそうだ。

(ふつうのピンサロは30分4000円~が多い。)

僕らは迷わずこの店に足を運ぶことに決めた。

こういった店に行く楽しみの1つとして、「在籍一覧を見る」が挙げられると思うが、「あ、痛たた!」のような地雷店ではそれは当てはまらない。

出勤一覧を見れば見るほど、恐ろしい気分になってしまうのは、前回の人妻パラダイスで経験済みだ。

しかし恐ろしいと分かっていることほどやってしまいたくなるのが世の常だ。

僕らは店に向かう途中、ついつい「在籍一覧」に目を通してしまった。

期待を裏切らない恐ろしさだ。

僕の息子たちが次々と死んでいく音が聞こえた気がした。

ただ「在籍一覧」を見て震え上がり、店へ向かう足取りが重くなった前回とは違って、

今回は前回の経験から「死ぬことは絶対にない」ということを理解していたので、動揺から足取りが重くなることはなかった。

こうして平常心を保ちながら歩いていると、すぐに奴が目に飛び込んできた。

前回とはうって変わって威風堂々とした態度で中に入ると、いつものようにイカしたボーイに無駄に妖艶な暗闇に包まれた1畳ほどの狭いブースに案内された。

しまった。今回は二人で来たため、ブースが隣同士だ。

これでは「流山のバイアグラ」の想像を絶する媚声が聞こえてしまう。

「大丈夫、媚声ぐらいで人間は死なない」

こんなことを考えていると先に隣のブースに黒い影が現れた。

僕は思わず笑ってしまった。

だいたい風俗のホームページ写真というのは、偽りがあるというのが普通だが、

この女性はホームページと全く同じなふくよか体型をしていた。

「あいつ大丈夫かな。」と隣のブースを心配していると、すぐに僕のほうにも影が近づいてきた。

驚いた。

なんと隣に来た女性よりも2倍近くふくよか体型の女性が僕のもとにやって来たのだ。

彼女は驚き硬直した僕をよそに10分という短い時間を無駄にしないために、すぐにサービスを始めた。

キス、フェラチオといった基本サービスは言うまでもなく、彼女の大柄な体格を生かしたハグは僕がこれまで犯した罪や不道徳を全て包み込んでくれるような感触を与えてくれる素晴らしいものだった。

これはまさしく本物のサービスだ。

1000円でこれだけ素晴らしいサービスを提供してくれるとは、日本のサービス業も捨てたものではない。

「自分たちにしかできないサービスを」という日本のサービス業の真髄が「あ、痛たた!」にはつまっている気がした。

冒頭にも述べたようにいま極悪非道で名高いラインペイが1000円を配布するという名誉挽回をかけたキャンペーンを行っている。

ただで1000円を手にしたラインペイユーザーたちはいま1000円の使い道にさぞかし悩んでいることだろう。

そんな時はぜひこの「あ、痛たた!」に行って真のサービスとは何か体験して来てほしい。

吹きつけるのはいつも北風

僕は先日あるバイトを通じて恐ろしい社会の闇を垣間見てしまった。

話は先月にさかのぼる。

僕は先月ウーバーイーツに登録した。

ウーバーイーツとは主に新宿などに生息する、家中の紙を紙幣に変えて消費してもなお余るほどの大金を手にした超上級国民たちが、

ただ金を使うだけでは飽きたらず、小金をエサに僕たち下級国民たちをパシりに使い、配達を行わせるという「現代のアンシャンレジーム」を象徴する階級制サービスである。

ウーバーイーツは基本的に配達の際に、自転車を使うことが多いのだが、僕は自転車で坂を登るのが面倒だったので、

「新宿だったら最悪電車を使えば、歩きでも配達できるだろう」とたかをくくり、歩きで配達を行うことにした。

最初のうちは流石は「天下の摩天楼」新宿。

たった500mの距離でも惜しげもなく配達を頼む特権階級たちのお陰で、「歩き」の遅さを気にすることもなく、配達ができていた。

僕は第三身分としてパシられる人生も案外悪くないと階級社会の良い側面に感謝していた。

しかし「歩き」による負の側面は唐突に現れた。

「〒※※※-※※※※ yotsuya~」

四谷!?

僕はその時南新宿にいた。

南新宿から四谷までは「歩き」を使うと1時間ほどかかってしまう。

あいにく僕は四谷方面の定期券は持っていない。

四谷まで往復で電車に乗ったら、電車賃が配達報酬を越えてしまい、本末転倒になってしまう。

歩くしかない。

僕は自らがブルジョワジーたちの奴隷であることを思い出し、無我夢中で歩いた。

そして歩くこと約1時間、ついに目当ての家にたどり着いた。

配達対象のから揚げはとっくに冷たくなっていた。

僕はそんなことも気にせず、1時間かけて配達したという達成感を覚えながら、意気揚々とインターフォンを鳴らした。

「そこに置いて、さっさと帰って!!」

僕はこの時ほど彼らの恐ろしさを見に染みて体感したことはない。

僕は無意識のうちに「金持ちは生活に余裕があるから心も広い」だなんていう安易な空想を描いていた。

アンシャンレジームの時代を思い出して欲しい。

金持ち階級たちは数百年にも渡って自分たちが有利になるような仕組みを作り続け、貧困に喘ぐ下僕たちから搾取し続けていたのだ。

そんな彼らの心が広いはずがない。

たった1パックのから揚げが思った時間に届かなければ怒り狂う。彼らはそんな種族たちだ。

おそらくアンシャンレジームの時代だったらその場で処刑されていただろう。

僕は現代が表向きは非階級社会であるという事実に感謝しつつも、「さっさと帰る」気力はもはやなく、とぼとぼと家路へ向かった。

はよ帰れ

冷たい言葉を

浴びるとき

吹きつけるのは

いつも北風。

近い将来 恐ろしい税金が日本を席巻する

所得税 相続税 酒税 たばこ税 関税

この世にはありとあらゆる税金が存在する。

税金の種類は年々増え続け、

今では日本は世界2位の重税国とも呼ばれている。

これらの税金の中には特定の市町村に住居をかまえることで発生する住民税や、

食品を購入することで発生する消費税といった人間生活に欠かせない衣食住に関わる税金も存在する。

僕はこうした見境のない重税化の進む日本において、いつかある恐ろしい税金が課される日が来るのではないかと危惧している。

うんこ税だ。

その名の通りうんこ税はうんこをした者に課される税金である。

この図でもわかるように、うんこを処理するためには莫大な時間とお金がかかる。

にもかかわらずこの国のうんこ製造機たちは毎日勤勉に製糞をしている。

つまり現在この国では無償でうんこ処理が行われているのだ。

この状況をエリートうんこ製造機集団たちが見逃すはずがない。

彼らはいつか日本が財政的に困難状況に陥ったとき、この圧倒的に損をしているうんこ処理業界への改革に目をつけるだろう。

一般的に日本製のうんこ製造機たちによる1日の生糞量は200gとされている。http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/014_kids/14_infection_013.htm

これを日本の人口1億7000万人でかけると

1日に約25400トンのうんこが製造されていることになる。

1日2540台もの10トンうんこトラックを作り出せるのだ。

冒頭にも述べたように、うんこを処理するためには莫大な金がかかる。

うんこが農業用肥料に製糞されていた時代ならともかく、

一部の愛好者を除き、全く活用されることなく惰性で製糞されるうんこたちは明らかに金食い糞だ。

この巨大な赤字を出しているうんこ処理産業を改革するには、

うんこが有効活用されていたという過去の栄光にすがり、いまなお無意味にうんこを製糞し続けるうんこ製造機たちに税金を課して、

彼らのケツに火をつけるしかないないだろう。

うんこに一定の税金をかければ、

「無理な食生活をしてもうんこすれば解決♪」なんていう甘い考えも減り、結果的に国民の食生活も改善し、医療費の軽減にもつながる。

以下がうんこ税導入のメリットだ。

1 莫大な赤字を出しているうんこ処理業界の財政健全化。

2 うんこ頼みの無謀な食生活減少による医療費軽減。

3 本当に必要な時のみにうんこが製造されることでうんこの大幅な品質向上。

このようにうんこ税の導入によるメリットには枚挙にいとまがない。

一部には「いやいや うんこしないと人間死んじゃうんだからさすがにうんこ税はないでしょ。」という楽観的な意見もあるかもしれない。

しかし僕が最初に紹介した実際に存在する税金たちを見て欲しい。

これらの中の消費税や住民税は直接人命に関わる分野なのにも関わらず税金がかけられている。

自分たちは素晴らしいうんこを製造していると自糞しているエリートうんこ製造機たちはいくら人命に関わる分野であろうが、金になると分かれば容赦なく税金をかける。

今回紹介したうんこ税のメリットを考慮すれば、そう遠くない将来に彼らがうんこ税を作り出す可能性を水に流すことはできない。

いつか現代を税の心配をすることなく、うんこ製造に勤しめる幸せな時代だったと表現する時代がきっと来る。

僕たちはこの当たり前の幸せを噛みしめて

今日も勤勉に踏ん張り続けなければならないのではないか?

覗き部屋を通じて見えた風俗ブロガーの覚悟と矜持

僕は最近風俗へ行っていなかった。

というのもここ数ヶ月、

沖縄の最安デリへル庶民派デリヘル某ビデオの出演といった壮絶な性体験を経て、

自分の性に対する考え方について、考え過ぎてしまって、純粋に風俗を楽しむことができなくなってしまった。

以前は毎日自らを慰めなければ、眠れないほどの落ち込み症であった僕は

最近この落ち込み症がさらに酷くなり、

いまや慰める気力すら失ってしまった。

人間本当に落ちんこんだ時は、

慰める気力すら起きないものである。

そんなある時、「流山のバイアグラ」という異名を持つほどの精力を誇るしゃおじょんがこんなことを言ってきた。

「覗き部屋行ってみね?」

流石は「流山のバイアグラ」

風俗で多くのものを失ったのにも関わらず、

先月台湾で至福の体験をしたことですっかり忘れている。(詳しくは彼のブログを参照https://dobunezumidesu.hatenablog.com/entry/2019/03/01/194102 )

僕は最初に書いた通り、すっかり精力を失い、身も心も疲れはてていたので、

当初 全く乗り気ではなかった。

その旨を彼に伝えると、どうやら彼もその日の朝に自らを慰めたばかりで、調子は良くないとのこと。

「じゃあ何で行きたがるの?」と僕が聞くと

彼はこんな答えを出した。

「俺は風俗ライターだから行くしかないんだよ。」

圧倒的な精力を武器に世界中の風俗に潜入し、その実態を赤裸々にブログに綴るしゃおじょん。

最近では早稲田大学風俗研究会を設立し、風俗文化の普及に励んでいる。

僕はこの時、彼の風俗ライターとしての熱い想いを目の当たりにした。

彼にとって風俗に行くことはもはや一時の快楽のためだけではなく、立派な仕事のひとつなのだ。

今回は彼が仕事に向き合う姿を捕らえる大変貴重なチャンスだ。

僕はこんな光栄な機会を無にしようとした己を恥じて、しゃおじょん氏の仕事現場に同行させて頂くことにした。

さて今回行った覗き部屋だが、

この写真を見て分かるように、

欲望に支配された街 歌舞伎町の中でも一際異彩を放っている。

中に入ると、すぐに長く薄暗い階段があり、そこを下ると怪しげな男が受付をしていた。

男は僕たちを見つけるとすぐに、

大人2100円、学生1600円という料金説明をした。

500円の割引。とても大きい。

この500円でどれだけ多くの人が救われるだろうか。

僕は自分が大学に進学した意味を再確認した。

料金を払い、安堵したのも束の間、

男は盗撮防止を名目に僕たちに携帯とその他電子機器を預けろと言ってきた。

風俗での盗撮はもちろんご法度だが、

これまでは携帯を預けろと言われたことはない。

もちろん演者を盗撮するつもりなどさらさらないが、

雰囲気を伝えるために何枚か中の写真を取りたかった僕にとっては大きな誤算だった。

しかし受付の周辺には今まで盗撮がバレた客の写真と身分証明書が晒し首のように張られていた。

僕が将来子どもを持って、その子どもがここに来たときに、父親の写真が張られていたらどうだろうか。

僕はこの想像を絶する未来に耐えかねて、しぶしぶ携帯とパソコンを預けた。

こうして受付が全て終了すると、

番号札を渡され、受付の横にある2畳ほどの小さな待合室に案内された。

そして他の風俗と同じく、やたら古いアダルトビデオが流れる待合室で、他の客とともに、しばし気まずい待ちをした後、

ストリップショーの客席に案内された。

客席と言えば聞こえはいいものも、

実際のところ覗き部屋の客席は

人が1人通れるくらいの狭く暗い廊下に、

仕切りがおかれ、5つほどのブースが形成されていて、

ブースの中に入ると小さな椅子と、ティッシュが置いてあり、前面が全てガラス張りになっていて、

ガラス越しに際どい水着を着た演者の姿が見えるという粗末な作りだった。

しばらく座っていると、

この妖艶な雰囲気には場違いな妙にアップテンポな曲がかかりだした。

某サロンもそうだがなぜ風俗店はアップテンポな曲をかけたがるのが?

自分を慰める時にわざわざ湘南乃風をかけるか?

経営者たちは商売がうまくいっていて、

自分を慰める必要がないからわからないのだろう。

それはさておき、話を戻すと

場内ではこのアップテンポな曲に合わせて、演者が際どい水着で体をくねらせるという奇妙な「踊り」を始めていた。

これを「踊り」と表現して良いのかは僕にはわからない。

ただひとつ言えることはこの奇妙な「踊り」は明らかに僕の感情を無に近づけていったということだ。

「踊り」を行っている最中、演者は鏡越しに情に餓えた客がいるという事実に堪えられないのか、ずっと別の方向を向いていた。

そして明らかに視線の合わない状態で、演者は僕のほうに近づき、下着の陰部付近についたヒラヒラを上下に降った。

この不思議な誘惑は、女の裸を見ても全く興奮しない僕の感情を完璧に吸いとった。

僕は完全に虚無になった。

その後はショーが後半になるにつれて、不思議なあえぎ声が場内にかかり、それに合わせて演者も胸→局部の順に下着を脱いでいったが、

僕はもはや何の感情も抱くことなく、

ただただ目の前の奇妙な現実に目を傾けていた。

ふいに僕の虚無感は終わりを告げた。

「抜きやりますか?」

別の演者が僕に向かってこう話しかけていた。

どうやら覗き部屋ではオプションとして

演者がいっしょに慰めてくれるというサービスがあるらしい。

ショーの最中、普段から身長コンプレックスに悩む僕の息子はいつも以上にコンプレックスに悩まされていたため、

そんなサービスを受ける余裕もなく、

僕はすぐに「いらないです。」と返事をした。

すると彼女はあろうことか、僕に聞こえるほどの大きな音で舌打ちをして、その場を去っていった。

後でしゃおじょんに話を聞くと、彼もまた同じように舌打ちをされたとのこと。

そして最後にショーは「イク イク イク アーン」といった大げさなあえぎ声が場内にこだまするとともにあえなく終了し、

僕は言いがたい虚無感を抱えて覗き部屋を後にした。

僕はこの虚無感をすぐに誰かと共有したかったので、

すぐにしゃおじょんにその日の体験を話した。

すると彼も僕と同様にあまり良い思いをしていなかったらしく、

もう二度と行かないと言いたげな感じだった。

僕は歴史上類を見ないほどの精力を持つ彼ですらこのような反応をしたことで少し安心した。

しかし 次の瞬間そんな僕の安心を吹き飛ばす言葉を彼は発した。

「俺 1回抜いたわ」

 は??????

何言ってんだこいつ。

あの環境で抜いた?

覗き部屋のブースの中は人が1人座れるくらいの狭い部屋だ。

それにあの内容。

どう考えても抜ける要素はない。

詳しく話を聞くと、彼も実際かなり覗き部屋を渋く感じていたそうだが、

風俗ライターとして抜かない訳にはいかなかったとのこと。

いくら風俗のサービスが悪くても、

それに文句をつけることなく、

無心で性欲を高め、発散する。

素晴らしい。

これこそ真の風俗ライターだ。

配偶者がいるのにも関わらず、

一時の快楽に溺れ風俗へ足を運ぶような奴が多いこの腐った世の中で

彼ほどの覚悟を持って風俗に行く男がどれほどいるだろうか?

ちょっと風俗のサービスが悪かったぐらいで、こうしてブログに憂さ晴らしをしている僕とは雲泥の差だ。

彼は圧倒的な精力だけでなく、風俗に行く上での並々ならぬ覚悟も兼ね備えた最強の風俗ブロガーだ。

今回はそんな彼の超人的な一面を垣間見ることができた貴重な経験だった。

今後の彼の活躍に目が離せない。

真面目なおじさんが報われる世界になって欲しい。

先日 僕は21歳の誕生日を迎えた。

誕生日は誕生日でなかなか素晴らしい出来事がたくさんあったのだが、

どれもこれも素晴らしすぎて、

ブログ向きではないので、

今回は全て割愛させていただく。

ではなぜ今回 わざわざ誕生日であったことを報告したのかというと、

誕生日を迎えたことによってある恐ろしい事実が浮かびあがっていたことに気づいたからだ。

それは誕生日を迎えたことでまたひとつ

 「おじさん」に近づいてしまったということだ。

世間の「おじさん」への風当たりは常軌を逸するほど冷たい。

最も公正とされるGoogleで「おじさん」や「中年男性」と検索するとこうなる。

ひどい。ひどすぎる。

ちなみにおばさんだとこうだ。

何という違い。

この国では「おじさん」というのは存在しているだけで場の空気を乱す害虫として扱われるのだ。

僕はこれらの記事を全て読んだ。

もちろん 「おじさん」擁護派の僕ですら

気持ち悪いと思う内容もいくつかあったが、

その多くは男子大学生たちがやっていてもおかしくないような内容だった。

確かに近年は下記のような「おじさん」によるデリカシーのない発言が世間を賑わすことが多い。

https://twitter.com/wonna57716011/status/1120340900343734272?s=19

実際 僕もこうした「おじさん」たちの時代遅れな発言や思考はもちろん批判されるべきだと思う。

しかしここで納得いかないのが、

こうした一部の「狂ったおじさん」たちのせいで、

最初の写真のような歪んだ「おじさん」イメージが作られてしまうことだ。

「おじさん」にもいろんな種類がある。

こうした「狂ったおじさん」たちが社会を賑わすということは裏を返せば、

大多数の「おじさん」は家族や自分のために真面目に働いて生きているということだ。

そうした「真面目なおじさん」たちは、

「狂ったおじさん」たちのせいで作られたイメージのせいで、

真面目に生きているのにも関わらず、

常に肩身の狭い思いをしている。

狂った「おじさん」の中には、

真面目に生きていても報われない「おじさん」の宿命にやけになって内なる狂気を解き放った者もいるかもしれない。

もちろん元をたどれば、全て「狂ったおじさん」が悪いし、

こいつらが自分の年をわきまえて行動すればいいだけの話ではある。

ただ、これまでどの年代にも「狂ったおじさん」が一定数いたことを考慮すると、

「狂ったおじさん」そのものがいなくなるということはないだろう。

そういった時に「おじさん」そのものを忌避するのではなくて、

「おじさん」一人一人を正当に評価する世の中になるべきだと思う。

世の中まだまだ「真面目なおじさん」たちを中心に動いている。

いくら男性中心の社会を批判したいからって、そうした「真面目なおじさん」たちまで叩くのは明らかに間違ってると思う。

僕が「おじさん」になるまでに、少しでも「おじさん」の地位が上がってますように。

「おしりを出した子一等賞」にみる人間のあるべき姿

「おしりを出した子一等賞」

この歌詞はまんが日本昔ばなしの主題歌

「にんげんっていいな」に登場する歌詞である。https://youtu.be/dUXeJTzSCjc

日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう名フレーズだ。

しかしここで一度歌詞全体をおさらいしてほしい。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日 まーた明日♪

いいな いいな にんげんっていいな♪

おかしい 明らかにおかしいフレーズが一つ混ざっている。

なぜかくれんぼをしている時に、

おしりを出したら一等賞になるのか?

おしりを出すという行為が誉められるのは基本的に某ビデオの撮影時のみで、

何も知らない公衆の面前でおしりを出せば、

一等賞どころの騒ぎではないのは目に見えている。

それにこの歌詞の文脈上、

かくれんぼが行われている。

かくれんぼというのは基本的に外で行われるため、

むやみにおしりを出せば、鬼に捕まるだけでなく、国家権力にも捕まってしまう。

とにかく子どもたちも見ているであろう公共の電波で、

「かくれんぼ中におしりを出したら一等賞だ。」と伝えるのはあまりにも無責任だ。

この曲の歌詞自体、

特にこれといったメッセージが

ないのではないかという意見もあるだろう。

そういう方には是非2番の歌詞を見て頂きたい。

もぐらが見ていた 運動会♪

びりっこ元気だ 一等賞♪

夕やけこやけで またあした またあした♪

この歌詞を見る限り、

明らかに2番では

「運動会で順位はビリだとしても一所懸命元気に動くことが大切」だというメッセージを残している。

となるとなおさら

「おしりを出したら一等賞」という歌詞に謎が残る。

Youtubeのコメント欄にも多くの僕と同じ疑問を抱えている者がいた。

中には2枚目のような「頭隠して尻隠さず」という成語を持ち出して説得力をつけてる者もいたが、

彼は「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた状態として捉えている。

みなさんは「おしりを出す」と聞いたとき、

どんな行為を想像するだろうか?

答えは「ズボンを脱いでおしりを見せる」という行為に違いない。

そうでなければ、「おしりを出す」という行為が下劣な行為と捉えられるはずがない。

「おしりを出す」という行為を

ズボンをはいた行為として捉えた時点で、

コメント欄の彼は重大な間違いを犯している。

全人類の叡知を集めたYoutubeですら答えを出すことができない。

いったい「おしりを出した子一等賞」という歌詞の意味は何なのか?

僕はこの深淵な疑問について、

「おしりを出した子一等賞」=この世で一番賢くなれる方法は「おしりを出すこと」と解釈し、

おしりを出しながら必死に考えた。

すると僕のおしりからある仮説が産み落とされた。

「おしりを出した子一等賞」の歌詞の前に

何かおしりを出すイベントが行われている。

は? 何言ってるんだこいつ、

ただケツ出したかっただけじゃねぇのと思ったそこのあなた。

まあゆっくり尻でも出しながら話を聞いてくだせぇ。

まず歌詞を軽くおさらいしよう。

くまのこ見ていたかくれんぼ♪

おしりを出した子一等賞♪

夕焼けこやけでまた明日♪ また明日♪

冒頭でも述べた通り、

かくれんぼとおしりを出すことにはどう言いがかりをつけても接点はない。

となると見るべき点は「おしりを出した子一等賞」の次 「夕焼けこやけでまた明日」の部分になるだろう。

「くまのこ見ていたかくれんぼ」   

               ↓

   「夕焼けこやけでまた明日」

という歌詞の流れを整理すると、

かくれんぼをしていたら夕方になったという状況が見えてくる。

ここで考えてみてほしいのは

かくれんぼだけで夕方までもつのかということだ。

確かにかくれんぼは面白い。

子どものころ誰しも一度は遊んだことがあるだろう。

しかしかくれんぼは何度も繰り返し行っていると隠れる場所がなくなってマンネリ化する。

つまりかくれんぼだけで夕方まで遊ぶのは不可能であるということだ。

となると、かくれんぼをしていたころから夕方までの間に何か別のことをしていたということになる。

その別の遊びの種類を当てる上で、最大のヒントになるのが

「おしりを出した子一等賞」だ。

おそらく「にんげんっていいな」という歌詞のモデルとなった子どもたちは

「かくれんぼ」で遊ぶという「子どもらしさ」の強要に嫌気がさし、

大人の考えた「子ども=健全」という歪んだ子ども像から解放され、真の自由を手に入れるために、裸になって歌い踊ったのだろう。

しかしここで「裸になった子一等賞」と言ってしまえば、

すぐに歪んだ大人たちに改悪されてしまう。

あくまで小さい子どもたちなら笑ってすまされるだろう「おしりを出す」という行為に変えることで、

現在に至るまで残る歌詞になったのだ。

さんざん書いたくせにそんなお粗末なケツ論か。

お粗末なのはお前のケツだけにしとけと思ったであろう読者の方々に

最後 とっておきの証拠を見せたいと思う。

これは「にんげんっていいな」が流れるときの子どもたちの映像だ。

ご覧の通りこいつらは尻を出すどころか顔から胸、局部に至るまでの全てを出している。

これはこいつらが裸になって踊っていたという紛れもない証拠だ。

そしてこいつらはこのあられもない姿でこう歌っているのだ。

「にんげんっていいな」

ラーメン二郎デビューしようとした、しかし挫折した。

僕はコスプレをしているとき、

たまにこんな疑問をぶつけられることがある。

「コスプレのお金どうしてるの?」

確かにコスプレは高い。

1着3000円は平気でするし、

前学期は「1度着たコスプレは2度と着ないというルール」を設けていたので、

月に2~3万円はコスプレに使っていたと思う。

これに旅行風俗代まで重なると、

もう僕の財政は火の車だ。

僕はこの状況を打破するために、

様々なバイトに手と尻を出してきた。

その一方で僕はコスプレを始めて以降、

徹底的な節約をしていた。

例えばバイト先での食事はお金のかかるまかないではなく、

家からパックご飯と納豆を持ち込んだり、

学校にいるときは常に家で作ったおにぎりを持ち歩き、

おやつなどに無駄遣いをしないようにしていた。

こんな感じで食費をバンバン削っていくと、

必然的に食事がショボくなる。

最近まであまり気にしてなかったが、

先月台湾に3週間滞在して、

いろいろな美味しいものを食べた結果、

この世界が美食に溢れていることに感動し、

「なぜ自分はこんなひもじいものばっかり食べているのか。」と思うようになった。

今学期はコスプレ頼みから脱却するために、

コスプレの回数を減らすので、

予算を食事にまわすこともできる。

入学以来 食事に関して、

ずっと僕は一つの夢を持っていた。

「ラーメン二郎に行きたい。」

ラーメン二郎といえば

「豚のエサ」と揶揄されるほどのデカ盛りと

「ヤサイマシマシ」といった呪文のような注文方法で有名な

言わずと知れた超有名ラーメン店だ。

僕は大学1年の時には、

「高田馬場はラーメン激戦区」だという噂を

聞いて毎日のようにラーメン店をはしごしていたほどのラーメン好きだ

しかし高田馬場にはラーメン二郎の支店はなく、

以前ラーメン好きの友達とラーメンの話をしていたときに、

「お前 二郎行ったことないの?」とマウントをとられた苦い経験がある。

それ以来 僕はこの世のラーメン好きたちを見返すために

ラーメン二郎に行く機会を虎視眈々とうかがっていた。

突然 その機会はやってきた。

今日 僕は最近流行りのウーバーイーツのバッグを受けとるために関内方面に出掛けた。

二日酔いでぐらぐらする頭のなかで

必死に説明を聞いて、バッグを受け取り、

外に出たとき、あることに気づいた。

「関内にはラーメン二郎がある!」

すぐさま携帯を開いてラーメン二郎横浜関内店を調べると

ビンゴ! 自転車で数分の距離にあった。

しかもラーメン二郎横浜関内店のオープン時間は18:00から。

ウーバーイーツの説明が終わったのは17:30くらいだったので時間的にもちょうどよかった。

これは間違いなくラーメン二郎に行っていなかったことで

不遇の時期を過ごしていた僕に対する神様からのプレゼントだ。

僕は迷いなくラーメン二郎横浜関内店に向かった。

「やっと二郎が食える。」

僕は期待に胸を膨らませ、ウキウキで自転車をこいだ。

しかし店に近づくにつれ、

僕は店の方から連なる不穏な人影が見えるのに気づいた。

「開店前だしまさか並んでる奴なんていないだろう」

そう僕はたかをくくって、近くに自転車をとめ、ラーメン二郎に向かった。

僕は完全にラーメン二郎の人気をなめていた。

僕が見ていた人影は二日酔いからくる幻ではなく、

ラーメン二郎を食べるために並ぶ人々の行列だったのだ。

僕は悩んだ。

店内の店員はたったの二人。

おそらくこの列ではラーメンを食べるまでに

2時間はかかるだろう。

家にはおそらく夕飯がある。

ここで2時間待てば、夕飯が食べられなくなり、

また母親から小言を言われるのは目に見えている。

僕は路頭に迷って近くの繁華街をうろついていた。

その時、こんな広告が僕の目に飛び込んだ。

「G朗ラーメン」

明らかにラーメン二郎を意識したネーミング。

おそらく「二郎ラーメン」にすると本家から苦情がくることを予測してのネーミングなのだろう。

僕は再び悩んだ。

もう二度とラーメン二郎に行くチャンスはないかもしれないのに、

ここでこんなパチもんを食べていいのか?

食欲とは時に恐ろしいものである。

僕の足は悩みながらも確実に店内へ向かっていた。

幸いこの店は空いていたので、すぐに入ることができた。

そして悩み抜いた末に手に入れたラーメンがこれだ。

うまかった。めちゃくちゃうまかった。

ラーメン二郎なんてくそくらえ。

これから「G朗ラーメン」の時代だ。

だいたい何でラーメン一杯食うために、

2時間も3時間も待たなくちゃいけないんだ。

さっと入ってさっと食えるのがラーメンのいいところだろ。

本家の味なんか知らなくたっていい。

食ったもんがうまかったらそれでいいんだ。

大事なことを教えてくれてありがとうラーメン伊勢佐木家