google adsenceはブログ界の癌

google adsenseはブログ界の癌だ。

(google adsenseとは何ぞやという方はこちらをご確認下さい。↓)

https://dekiru-net.cdn.ampproject.org/v/s/dekiru.net/article/5445/amp/?amp_js_v=a2&amp_gsa=1&usqp=mq331AQECAFYAQ%3D%3D#referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&ampshare=https%3A%2F%2Fdekiru.net%2Farticle%2F5445%2F

まず第一にプログラムポリシーが多すぎる。

説明するのもだるいので簡単に言うと、

下ネタ禁止

批判禁止

過激ネタ禁止

といったところだ。

google adsenseは自分の好きなことで、

お金を稼ぐことを応援するとほざいているが、

結局はgoogle adsenseの指定した内容でしか

ブログを書くことができないのだ。

自分の書きたいことを書くために

ブログを始めたのに、

結局 他人に指定された内容でしか、

ブログを書けないのは

本末転倒ではないか。

僕は当初 ブログを収益化するために

さまざまなサイトを調べていた。

すると

どのサイトも google adsenseを絶賛していた。

「google adsenseは収益率が高い。」

「審査は厳しいけど、絶対に通るようになる。

通らないのはあなたのサイトが悪い。」

当時はなぜここまでgoogle adsenseが

絶賛されているのが謎だったが、

今になってやっと謎が解けた。

そういうサイトは

みんなgoogle adsenseの利用者だからだ。

冒頭にも述べたように

google adsenseは利用者が

ブログで特定の個人や団体を批判することを禁止している。

つまり google adsenseを批判するような記事を書けば、

すぐに利用停止になってしまうから、

批判することができないのだ。

これはまさしく言論封殺ではないか。

google adsenseは

言論の自由をできる限り尊重すると言いながら

言論封殺を推し進める極悪非道な団体なのだ。

このようにgoogle adsenseは本来

ブログが持つべき多様性を著しく

阻害している。

google adsenseの指示通りに

文章を書かなければならないなら、

個人ブログでなくてもいいし、

自由であるからこそ

それぞれの個性が出ておもしろくなるのが

個人ブログの良さだと僕は思う。

僕がコスプレをする理由

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は1ヶ月ほど前から大学に行く際、

毎日何かしらのコスプレをしている。

最近は私服を着ていることのほうが少ないので、

もはやコスプレが私服なのではないかと、

感じてきている僕だが、

ここまでコスプレを続けているのには、

3つの大きな理由がある。

まず一つ目は

楽しさだ。

街でコスプレをしていると、

驚く人 怖がる人 笑う人 無反応な人

といったさまざまな反応がある。

これらの反応は普段私服で歩いている時には

絶対に見られない。

コスプレをしていると、

人のさまざまな反応を楽しむことができる。

言い換えれば、コスプレしていると、

歩いてるだけで楽しくなるのだ。

また最近は僕のコスプレを楽しみにしている人も増えてきた。

僕が何のコスプレをしてくるか

予想している人たちの度肝を抜くのも

コスプレの楽しさの一つだ。

二つ目は

大学生=おしゃれをすべき  という風潮を壊したい。

僕はこの風潮が大嫌いだ。

以前僕の友人が高校時代のジャージで登校した時に

みんなから「何でジャージなの?」と質問責めにあっていた。

これはおかしい。

どんな服を着ててもいいだろ。

大学に入って、制服がなくなって以降

私服を重要視し過ぎていると僕は思う。

周りがおしゃれにしているから、

それに合わせないといけないという風潮は

害悪極まりない。  

おしゃれするのにも金がかかる。

周り合わせるために

したくもないおしゃれに

金を使わなければならないのは間違っている。

もちろんおしゃれしたい人は

そのままおしゃれすればいいと思うが、

もし周りに合わせるために

おしゃれをさせられている人がいるのであれば、

好き勝手コスプレしている僕の姿を見て、

「無理におしゃれしないで、自分のしたい格好をしていいんだ。」

と思ってくれたらうれしい。

3つ目は

本当にヤバい奴が誰なのかを考えて欲しい。

もちろんコスプレをしていれば、

常に良い反応がもらえるという訳ではない。

時には電車で僕の目の前に座った人が逃げてしまったり、

「ヤバい。気持ち悪い。」といったネガティブな反応を受けることもある。

確かに時に僕のコスプレはおもしろいを越えて

「怖い。ヤバい」といった恐怖に到達してしまうことがある。

しかし本当に自分がヤバいことをする意思を持つある奴が、

わざわざ人を怖がらせる外見をするだろうか?

例えるならこれから通り魔をしようとしている奴が、

家を出てからずっと包丁持って歩くだろうか?

みなさんの中にも自覚がある方もいるかもしれないが、

本当にヤバい奴というのは

最初からヤバい格好をしない。

むしろ普段は普通の良い人を装っている。

言い換えれば、本当にヤバい奴というのは、

普通の格好をして日常生活に紛れ込んでいるのだ。

そういう奴を見抜く努力もしないで、

単に見た目がヤバいからといって、

ヤバい奴認定するのは、

本当にヤバい奴にとっては

願ったり叶ったりだ。

だから僕はコスプレをしている時は、

見た目がヤバくても、  

特に危害を与えることはないということを伝えるために、

あえて できるだけ普段と同じ生活をすることを心がけている。

僕がコスプレを続ける大きな理由は以上だ。

これからもコスプレを続けて、

楽しみながら、

少しでも僕の考えを広げていけたら良いと思う。

ストーリーが聞きたいんだ

僕は先日某講義で5度目の欠席をしてしまった。

この欠席には深い理由がある。

まず僕はその日

スイカになるために購入した

スイカのコスチュームが

届くのを待っていた。

お届け予定時間は8:00~12:00

しかし待てど待てどスイカはトドカナイ。

その日の講義は3限だったため、

家から大学まで1時間30分かかる僕は

11:30には家を出なければならない。

やきもきしながら待っていると、

あっという間に時刻は11:30

僕は大きな選択に迫られた。

単位のために

毎日違うコスプレをするという

ポリシーを捨てるか、

そのポリシーを守るために

単位を捨てるか。

僕は一瞬悩んだ。

しかし答えは簡単だ。

授業は再履できても

コスプレは再履できない。

一年の中でビタミンの日は

今日しかない。

言い換えればスイカを着れるのは今日しかないのだ。

僕は待つことにした。

それから待つこと1時間30分

やっとスイカが家にやって来た。

「やっと大学に行ける!」

喜びと安堵感に包まれた僕は

急いでいたことも忘れて、

途中に果物屋に寄ったりして、

のんびり学校へ向かった。

学校についた頃には3限はおろか、

4限が既に始まっていた。

以上が僕の5度目の欠席に至るまでのストーリーである。

この話がおもしろいかどうかはさておき、

最近単に授業を切ったことや

単位を落としたこと、

あるいは留年したことを

ネタにし過ぎてるのではないだろうか?

授業を切っている奴や、

単位を落としている奴

ましてや留年する奴

大学探せばいくらでもいる。

「今期何単位落としたー」

「留年決まったー」

みたいなただのクズアピールは

もう聞き飽きた。

僕が聞きたいのは

ストーリーだ。

自称クズ行為をするように至った

ストーリーはみんな違うはずだ。

せっかく自分の大学生活をかけたネタを

するならそのストーリーに

情熱をそそぐべきなのではないか。

1日限定のstoryなんかあげてる暇があったら

自分のストーリーを聞かせてくれ。

メロンとスイカとレモン

気づいたときにはもう

街からスイカが消えていた

僕は本日12/13がビタミンの日であることを知った。

ビタミンとくだものは同じ4文字

という安直な発想で僕は

果物の王様ドリアンと同じ

果物というカテゴリーに所属する

スイカのコスプレをすることにした。

そして前日の記事の予告通り

意味不明な奴であり続けるために、

何か果物を配ろうと考えていた。

ここでもまた安直に

スイカの格好をしているのだから、

スイカを配ろうと思って、

果物専門店に向かった。

しかしそこには衝撃の光景が広がっていた。

スイカがない

代わりにあったのはスイカと同じ瓜友達の

メロンだった。

それも奴らは自らの果物界での権力を示すかのように

店の一番上に掲げられていた。

なぜスイカではなくメロンなのか

思えば英語でスイカはウォーターメロンだ。

水っぽいメロン?

同じ瓜友達のはずなのに、

スイカとメロンでは

扱いに差がありすぎるのではないか。

僕は果物屋からも見捨てられたスイカのこと

を思うといたたまれなくなり、

なんとしてもスイカを見つけようと

ありとあらゆるスーパーを訪れた。

しかしスーパーにはスイカはおろかメロンすら

置かれていなかった。

見捨てられていたのはスイカだけでは

なかったのだ。

メロンもまた果物業界から

追放される寸前にあったのだ。

果物屋で高い場所に掲げられていたのは、

権威があるからではなくて、

人気がないから、客の手が届きにくい場所に

追いやられていたからなのだろう。

僕はこの瓜科たちの哀れな境遇を

変えるため

せめて1個3000円のメロンを配ろうと考えた。

しかしメロンの上に不吉な文字があるのを発見した。

「マスク」

以前僕は宇宙人マスクをつけて

登校した際に

キャンパスの守衛から

「マスク」のキャンパス内への持ち込みは

禁止であると伝えられた。

この理論でいくとマスクメロンを持ち込んだ

際にも同じ対応をされることが予想できる。

あの守衛にマスクメロンを

没収されるのはしゃくなので

僕はマスクメロンを諦めた。

しかし前日の予告を裏切らないようにするために、

何とかしてメロンかスイカを調達しなければならない。

有言不実行は人間界を追放される可能性のある大罪だ。

焦った僕はメロンとスイカが無いことを

薄々気づきながらも、

大学付近のマイバスケットに入った。

僕は目を疑った。

なんとそこにはメロンが売っていたのだ。

それも1個100円という破格。

やや小ぶりで黄色いところが少し気になったが、

そういう品種もあるのだろう。

僕は迷わずメロンを購入し、

意気揚々と10分ほど遅刻した授業に乗り込んだ。

まあメロンをあげれば、遅刻なんて

すぐにチャラになるだろう

僕は教授に 「遅れてすいません。お詫びにメロンをどうぞ」と言った。

すると教授は衝撃の一言を言った。

「これはレモンです。」



意味不明な奴は果物を配る

ご存知の通り 本ブログのタイトルは

「意味不明な奴でありたい。」だ。

僕はこれまでこのタイトルに

恥じないようにするために

さまざまな企画に挑戦してきた。

こうした企画の中で、

僕はさまざまな人に出会ってきた。

もちろんみんないい人たちばかりであったが、

いい意味で本当に意味不明な奴も中には存在した。

そして僕は彼らの中にある共通点があることを発見した。

奴らは果物を配る 続きを読む 意味不明な奴は果物を配る

万が一ってなんなんだ

「万が一あなたたちが配ったバナナで食中毒が起きたらどうするんだ。」

さんざん僕を笑い物にしたあげく

S務課は語った。

話は先月に遡る。

僕は友人と共にバナナの格好をして

キャンパス内でバナナを配るという企画を行った。

バナナ配布企画は早稲田生のノリの良さもあって、

1時間足らずで250本を配りきるという成功を収めた。

この成功に感動した僕たちは、

さらに人数を増やし、

今度は全キャンパスで同時にバナナを配ろうと意気込んでいた。

(通称同時多発バナナテロ)

こうして集ったバナナテロリストたちは

テロリストたちだけの極秘サロンで

日程調整を進め、

本日12/10を決行日に定めた。

そして迎えた当日。

決行日情報が諜報機関に漏れてしまったせいか、

当局による 「睡眠欲」妨害を受け、

テロリストたちは集合時間から大幅に

遅刻することを余儀なくされた。

これでは武器となるバナナを購入する時間がないかもしれない。

しかし安価なバナナを大量に供給する

密輸業者100ローの協力もあり、

なんとか500本のバナナを確保することに成功した。

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そしてテロリストたちは大量のバナナを持って、

各自現場へ向かっていった。

僕は理工学部の学生と同じ最寄り駅を使っていて、

彼らの生体を知ったかぶっているという

理由で西早稲田キャンパスに派遣された。

こうしてキャンパス内にたどり着いた僕は、

バナナの手入れをしながら、

刻一刻と迫り来る決行時間を待っていた。

その時はすぐにやってきた。

僕は決行時間になったのを確認し、

すぐさま常識と書いたバナナを

学生たちに突きつけた。

すると彼らはバナナを恐れることもなく、

笑顔で受け取ってくれた。

キャンパスは違えどバナナを愛する気持ちは

変わらない。

僕は今回もテロの成功を確信した。

そう安心した次の瞬間だった。

奴らは背後から突然現れた。

青服「今 なにをされているのですか?」

僕 「バナナを配っています。」

青服 「ものを配る場合にはS務課の許可を取って下さい。」

要は許可を取ればいいんだろ。

「バナナを配って

みんなを笑顔にするテロをしています。」

と語れば、務課も人間だ。

すぐに許可を出すだろう。

僕は確信して、大人しく一度S務課へ向かった。

しかしそんな僕の淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。

S務課は僕を見るとすぐに、

気持ち悪い薄ら笑いを浮かべ、

一通り質問した後、本稿冒頭にもあったように

「万が一あなたが配ったバナナで

食中毒を起こした学生があなたを訴えたら

責任を取れるのか」

「これはあなたのために言っている」

などというふざけた説教を始めた。

万が一ってなんなんだ。

万が一 万が一 って言ってたらなんにも出来ないだろ。

お前は 万が一 通り魔が現れたら危険だからと言って、

外にでないのか。

万が一というのは文字通り

1万回に1回起こるか起こらないかの出来事だ。

1万回に1回起こるか起こらないことを気にして、

1万回のうち9999回以上起こることを疎かにしてどうすんだよ。

そんな事いってたら人に食べ物あげられねーよ

お土産を配ることが良くて、

何でバナナを配るのがダメなんだよ。

お土産配る時にいちいち

これ食べた人が食中毒になって、

自分を訴えられたらどうしようなんて

考えが起こる世の中なんて

僕はまっぴらゴメンだね。

こうしてあえなく許可取得に失敗しS務課から釈放された僕は

細々とキャンパス外でバナナ配りを行っていた。

もちろんキャンパス外は人も少なく、

決して配りに向いているとはいえなかった。

しかしそんな中でも、

バナナを受け取った学生は

みんないい笑顔になっていた。

僕にはみんなを喜ばせる

テロリストととしての使命がある。

S務課なんて関係ない。

奴らに学生の笑顔を奪う権利はないはずだ。

僕はもう一度キャンパス内へ足を踏み入れた。

一度キャンパスを捨てて、

逃げ帰ろうとした僕なのに

学生たちはとても優しかった。

彼らは笑顔でバナナを受け取り、

写真をとったり、

バナナに書かれたメッセージを読んだりして

各自 楽しんでいた。

S務課に大人しく従っていたら

この幸せな景色は決してなかっただろう。

僕は今回の件では間違いなく

自分が正しいと思う。

長いものに巻かれることが

常に正しいとは限らない。

自分の行動を最後に決めるのは

自分自身なのだ。



続きを読む 万が一ってなんなんだ

いきなりCHINA その3

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う。

旅の2日目は

12時間かけて到着した西安駅から始まった。

30分後に到着すると言う友達を待つ間、

北京にはなかったコンビニがあったので、

入ってみた。

するとそこには驚愕の景色が広がっていた。

この棚 全てが乳製品である。

あり得ない。

日本のコンビニにも牛乳は置かれているが、

レモンティーやフルーツジュースなどの

逆賊たちとの

共存を余儀なくされている。

見せかけの多様性など悪でしかない。

僕が見たかったのは

一面白に覆われたこの景色だ。

西安の牛乳人気はすさまじい。

また量もさることながら、

値段もすばらしい

この写真の1パックで48円だ

これならいつでも気軽に強くなることができる。

道行く西安市民は皆屈強な体格をしていたのも

牛乳のおかげなのかもしれない。

こうしているうちに友人が到着した。

「西安に行く」と伝えたのは前日であったにも関わらず

なんとドライバーとしていとこまで連れてきた。

まさに至れり尽くせりである。

僕は西安住みの友達に連れられ、

3時間という短い時間で、

世界遺産の大雁塔や

西安の繁華街を巡り、

昼食をとった。

発展した西安の町と歴史的建造物は

もちろんすごかったが、

それ以上にすごかったのが

友達のいとこの

好客(日本語でおもてなし好き)精神である。

前日に呼び出されたにも関わらず、

嫌な顔ひとつせずに、

縁もゆかりもない日本人のドライバーを

半日務め、

昼食では店で一番高いメニューをおごり、

<

自分は1人先に食事を済ませ、

外にでるという気遣いまでしてくれた。

おいおいかっこよすぎるだろ。

西安の観光地がどこも駅から遠かったことを考慮すると、

彼がいなければ、

まともに観光することはおろか、

高速鉄道の発車時間に間に合わなかったかもしれない。

本当にありがとうございました。

こうしてなんとか高速鉄道に乗り込むことに成功した僕は

友達がお土産にくれた

謎の甘いお餅を食べながら、

幸せに浸っていた。

ん? 何かがおかしい。

確かに日本で仲良くしていた友人と

中国で再会し、

街を案内してもらうというのは初体験で

楽しかった。

しかし僕が求めているのは

何が起こるか分からないことが魅力の旅だ。

現地人に案内を頼むのは

もはやガイドをつけた旅行と変わらないのではないだろうか。

時間はなかったが、

僕はもう一度原点に帰って、

最後に何かこの中国という地で

何が起こるか分からない

ワクワクすることをしようと思った。

中国は寒かった。

北京は最低気温がマイナス10度を下回っていたし、

西安では雪が降っていた。

人は寒いと厚着をする。

これはどの国でも同じだ。

事実北京でも多くの人が

日本では見たことないぐらいの厚着をしていた。

ここで服を脱いだらどうなるのだろうか?

この疑問が浮かんだ後の記憶が僕にはあまりない。

気がつくと僕は北京駅の中心で

上裸になって乾布摩擦をしていた。

当初あまり人が集まってなかったが、

僕が 「一 二 三 四 五 六」と叫んでいると

少しずつ人が集まってきた。

彼らは皆は「冷吗 (寒くないのか) 」

と聞いてきた。

僕は 「太热了!」 (暑すぎる)」と答えた。

その後も何か質問をしてきたが、

よく聞き取れなかったのでとりあえず、

「太热了!」と叫び続けていた。

するとどんどん人が集まってきて

最終的にはこんな感じになった。

彼らは皆、笑って写真を取っていた。

僕が乾布摩擦をしていた場所の正面には

交番があったが、公安が声をかけてくることもなかった。

僕は来年から北京へ留学する。

もちろん北京でもさまざまな事に

挑戦するつもりだ。

しかし僕は自分のやってきたことが、

北京の人々に受け入れられるのか

とても不安だった。

今日この北京市民の反応を見て、

「おもしろい」という感情に

国境はないということを確信した。

だから僕はこれまで通り

どんな場所に行っても

自分が「おもしろい」と思ったことを

実行し続ける。

僕は今後の方向性を確信した。

今回はそんな旅だった。

いきなりCHINA その2

前回に引き続き今回も中国旅について書こうと思う

こうして北京空港に着いた僕はまず

空港のフリーwifiを繋ごうとした。

しかし僕の社会不適携帯番号は

何度登録しようとしても

北京空港に適合することはなかった。

僕の旅はノープランを売りにしているので、

現地で携帯が使えないのは致命的だ。

どうしようかと悩んで携帯を見ると

電波が通っていることを

示すマークと

データローミングが

どうたらこうたらという通知

とりあえず データローミングをオンしてみた。

すると あっさりネットに繋がった

人生でこんなに携帯が使えることに

感動する瞬間はこの先ないだろう。

後で調べてところ、

1日に3000円近く

かかる可能性もあるとのことだが、https://www.nttdocomo.co.jp/service/world/roaming/area/

そんなことはどうでもいい。

要は金さえ払えばいいのだ。

こうして携帯を手中に収めた僕は

以前このブログでも紹介した

先日中国に帰国した友人に

「中国に来たら連絡して」

と言われていたのを思いだし、

「北京に着いた」と連絡した。

すると「西安に来て」とのこと、

空港でノーマンに

なってしまったことを

強く後悔していた僕は

友人の「北京と西安は近いよ」

という言葉を信じ迷わず

「西安に行く」と答えた。

イエスと答えたからには行くしかない。

早速北京から西安駅の電車を調べると、

夜行列車で12時間かかるとのこと。

どこが近いのか?

まあ考えてみれば当然だ。

北京から西安までは1000km以上ある。

日本で言えば東京から博多までの距離と同じだ。

2日後の14:00からは

バイトのシフトが入っていたため

その時間までには帰らなくてはならない。

しかし僕は西安に行くと言った。

有言不実行だけは絶対にやってはならない。

冷静に考えれば

三週間前にシフトを提出している

バイトのほうが圧倒的に先約ではあるが、

バイトを放棄し、

しばらく西安に骨を埋めようかとも考えた。

ただでさえお金がないのに、

貴重なバイトの機会を失う訳にはいかないので、

何とかして別の方法を調べていると、

北京から西安まで

たったの4時間で行けるという高速鉄道を発見!

運賃もたったの8000円。

日本だったらその3倍は取られるだろう。

恐るべし中国。

こうして西安までのルートを確保した僕は

電車の時間までしばらく北京で暇を潰すことにした。

ご存知の方もいるかもしれないが、

僕は早稲田大学禁酒会の代表を務めている。

禁酒会としてデモの聖地?

とも言われる天安門広場で

デモを行うと言うのはとても魅力的で、

禁酒会を世界に広めるチャンスだ。

僕は北京駅を降りてから

すぐに天安門広場へと向かった。

その前に一つ重要なことを忘れていた。

禁酒会のデモには牛乳が不可欠だ。

途中でスーパーに立ち寄ろうと、

探していると、

一人の老婆が声をかけてきた。

何を言ってるのかわからなかったので、

取り敢えずスーパーに行きたいと伝えると

彼女はここがスーパーだと自信満々に答えた。

奴の指示に従い、

中に入ると また一人の男が近づいてきて、

僕に何かを握らせた。

カイロだ。

何故だか分からないが、

握るととても熱くなった。

すると奴は

「お前は今このカイロを触ったのだから買え」

と言って無理やり買わせようとしてきた。

僕は今から禁酒会革命を起こそうとしているのに

邪魔をするな。

お前に付き合ってる暇はない。

僕が 「不想买 我想的只是牛奶。」

(いらない。私が欲しいのは牛乳だけだ)」

と答えると彼は困り顔でその場を去っていった。

牛乳の力は偉大だ。

これが酒だったら、

店にあったお土産用の高い酒を

買わされているところだっただろう。

ちなみにその店に牛乳はなかった。

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別の店で牛乳を調達し、

天安門広場に乗り込んだ。

そこで僕は衝撃を受けた。

広場でデモをしてる者はおらず、

代わりにいたのは、

写真を取るために群がった観光客であった。

悲しかった。

長い歴史の中で、

多くの人々が夢と希望を叫び、

散っていった天安門広場が

今ではただの観光地に成り下がっていた。

思いは違えど、僕は禁酒会として

この広場で夢を叫ぼう。

>(日本語で禁酒 牛乳 興奮しすぎて奶の字を間違えた。)

僕はこのスケッチブックと牛乳を持って、

「戒酒 牛奶 ジエジウ ニウナイ」

と叫びながら天安門広場を行進した。

するとすぐに

数人の警官に囲まれた。

そのまま公安の本部に連れて行かれるのかと思ったが、

どうやらスケッチブックをしまえとのこと、

いつの時代も革命家は

公安との対立を避けられない。

僕は大人しくスケッチブックをしまった。

しかしここで諦めてしまえば、

禁酒会の名が廃る。

考えてみれば、

公安はスケッチブックをしまえと言っただけで、

デモを辞めろとは言っていない。

僕は牛乳だけを持って再び叫び始めた。

多くの人々が好奇の目でこちらを見ていたが、

公安が再び声をかけてくることはなかった。

禁酒会が権力を打ち破った瞬間だった。

これから天安門事件とは何だ

という質問には

今日の事件が挙げられるようになるだろう。

今日という日は禁酒会にとって大きな一歩となる

歴史的な1日だった。

こうして有意義なデモを終えた僕は

西安行きの夜行列車に乗り込んだ。

次回へ続く



いきなりCHINA その1

僕は人生で一度も海外旅行をしたことがなかった。

これまでは特に気にしてはいなかったが、

大学生になり、多くが何かしらの理由で海外へ行き、

帰国後、海外旅行経験でマウントを取っていた。

「悔しい」 

たかが数日の旅行で何が変わるというのか。

たった数日で人をここまで傲慢にさせる

海外旅行とはいったい何者なのか。

僕は海外旅行への興味が

急激に湧いているのを感じた。

また僕は来年から中国に留学する。

留学前に一度現地を確かめておきたい。

こうして僕は初海外で中国へ行くことに決めた。

しかし普通に予約をとって旅行するのではどうも味気ない。

人生に一度の初海外なのだから

なにか記憶に残ることがしたい。

そこで僕は「イエスマン」という映画にあった、

予約を取らずに空港に行き

「何でもいいのでチケットをください」と言って

渡されたチケットで旅をするというシーンの

中国バージョンをやってみようと思った。

つまり何も予約を取らずに

「中国に行きたい」とだけ伝えて旅をするのだ。

我ながらとてもワクワクするアイディアで

決行日が近づくにつれて興奮が高まっていた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イエスマン_“YES”は人生のパスワード


そして迎えた当日。

僕はワクワクしすぎて前日バイトだったのにも関わらず、

全く眠気が起きず、家に帰ってから一睡もせずに羽田空港に向かった。

空港についた時間は4:30。

流石にこんな早くから何便も運行している訳ないだろうと

出発予定表を見ると、 台北 香港 北京 と有名どころがずらずら。

しかしここで僕は大きな見落としに気づいた。

各便を運営している会社が違うのだ。

空港職員はもちろん他社のフライト情報には詳しくない。

つまり「イエスマン」で登場した全フライト情報を管理するようなスーパー職員は

存在しないだ。

早速一番の企画が壊れてしまった僕だったが、

とりあえず一番早くに乗れる中国行きの便として香港行きの便にのろうと、

僕は職員に「予約をとっていないが、この飛行機に乗りたい」と話しかけた。

すると職員は「あちらのカウンターでお待ちください」とのこと

これはいけると意気揚々とカウンターに向かった次の瞬間、僕は耳を疑った。

「こちら正規の料金なので22万円でございます。」

は!?

確かに国際線が高いという情報は耳にしていたが、

22万円はおかしい。

22万円は臓器の闇市場で目玉二つを差し出してもまだ足りない程の金額である。

http://karapaia.com/archives/52132790.html

友人から薦められた「イエスマン」を

全く観ようとしなかったレベルのイエスマンな僕は

このレベルのイエスマンキャラを守るために、

二度と本家「イエスマン」を観れなくなってしまう恐怖に怯えあっさり「ノー」

と答えてしまった。

このまま「ノー」を言い続けていては「イエスマン」企画が「ノーマン」企画に変わってしまう。

せめて行先だけは空港の意志に従おう。

僕はとりあえず、一番早く行ける中国行きの便ということで、

香港の次にあった北京便の値段を調べた。

5万円。

安い。というより実際は高いのかもしれないが、

22万円という狂気を目の当たりにした後は全てが安く感じる。

たった5万円で北京に行けるのだ。

僕は迷わず北京行きのチケットを取り、

手荷物検査へと向かった。

僕は以前、国内線で出発前日に使用したハサミを抜き忘れ、


テロリストになりかけた経験から、

荷物に関しては万全を期したつもりだった。

しかしそれでも手荷物検査を僕の荷物はクリアすることはできなかった。

「一度中身を確認してもよろしいでしょうか」

無作為に掻き出される荷物たち。

なかなか検査に引っかかった社会不適合物は見つからない。

リュックの小ポケットに手をかけた、その時

目当てのブツが見つかった。

プロテインだ。

それも今回は旅先で水筒として活用するために、 

いつもの倍の量をいれていた。

「処分するか、こちらで飲んでください。」

せっかく長期的に強くなるためにたくさん持ってきたのに、

ここで飲み干しては強くなりすぎて僕自身が危険物として

処分されてしまうかもしれない。

ただここで処分するのは、あまりにもったいないので、

僕は泣く泣く500mlを飲み干した。

トレーニングをした後ではないので、強くなることは無かったが、

僕はプロテイン以上に危険なものを大量に持ち込んでいた気がする。

パソコンだって思いっきり殴れば人を殺せるし、 

シャーペンだってまとめて首筋に刺せば、致命傷になる。

プロテインにできることは、

せいぜいトレーニング後の人間を強くすることぐらいだ。

目先のプロテインにとらわれて、

その陰に隠れた危険物を見逃してはいけないと僕は思う。

話がそれたが、なんだかんだあって僕は北京行きの飛行機に乗り込んだ。

<

機内では睡眠中に突如現れた朝食を口にしながら、

北京でやりたいことを考えていると、

あっという間に北京に到着。

さて何から手をつけようか。

次回へ続く

うんこが汚いわけないだろ

うんこ=汚物

世界はこの風潮で溢れている。

「うんこは臭くて汚い」

「食事中にうんこの話をするな」

などうんこへのヘイトは尽きることがない。

確かに人間は鼻水や汗といった、自分から排出されたものを

汚いと感じることが多い。うんこもその一例だ

しかし汗たちとうんこの間には決定的な扱いの違いが存在する。

「食事中にうんこの話をするな」という意見はあるが、

「食事中に汗の話をするな」という話は聞いたことがないし、

むしろ汗をだらだら流すスポーツ選手を観ながら、食事をする者もいる。

なぜうんこはここまで嫌われているのだろうか。

一度考えてみてほしい。

元々うんこは自分の体の中にあった。

つまり排便前、僕たちはうんこと一体化していたのである。

うんこをイメージした時、多くは排出後の姿を想像するだろう。

排便前のうんこを「臭い」「汚い」と罵倒する者はいない。

自分と一体化するほどの仲であったうんこを

自分の都合で排出したあげく、

汚物の象徴として扱うのは、あまりにも酷すぎるのではないだろうか。

他方 この「うんこ」という単語は、

うんこドリルが小学生の間で爆発的な人気を獲得していることも考慮すると、

小学生の中では屈指の人気ワードである。

自分たちの小学生時代を思い出してほしい。

当時は「うんこ」という単語が飛び交う度に笑いが起きていた。

いま大学で「うんこ」「うんこ」と言っていれば、すぐに狂人扱いを受けるだろう。

大学生と小学生を単に比較することはできないが、

小学生のような単純なことで

単純に笑える世界もアリではないかと僕は思う。

何でもかんでも「くだらない」「幼稚だ」

って言ってたら自分の行動をどんどん狭めてしまう。

話が少しそれたが、

「うんこ」とは人を笑顔にする役割も

持ったハイテクなうんこなのである。

僕はいつか皆が再び「うんこ」の機能性に気づき、

「うんこ」が褒め言葉に使われる世界になることを願う。 /p>