2年の月日で変わったのと変わらないもの

6月某日 都内近郊某大学説明会にて

「困っている学生を助けることができるのが大学職員の一番の魅力です。」

彼は親の敵のごとく忌避していたスーツを羽織り、淀みなく言い切った。

2019年 夏

僕たちは尖りに尖っていた。

「早稲田から1トン増やす会」を作り、ちゃんこ配布企画、ハチミツパン配布企画、そしてプール企画、ありとあらゆる企画を実行した。

新たな企画を生み出し続ける楽しさは何ものにも変えがたい経験であったし、学生生活を振り返った時、真っ先に思い浮かぶ場面の1つであろう。

しかしそんな僕たちのささやかな楽しさに水を差し続けていた存在がいた。

そう 他でもない大学職員だ。

バナナ配布企画では職員室呼び出し、ちゃんこ配布企画では警備員を派遣し撤収強要、極めつけはプール企画での人格否定。 

彼らはことあるごとに僕たちの前に現れ、楽しさを奪っていった。

「大学職員はつまらん奴ら」「あんな風になったら終わりだ」

僕たちはそんな恨み口を言っては大学職員に妨害された憎しみを晴らしていた。 

「あいつらがいなければ」そんな感情を抱いたことも一度や二度ではなかった。

当時の僕たちにとって大学職員は僕たちを困らせる「天敵」であったのだ。

それからいくぶん月日が経った。

どのような心境の変化があったか定かではないが彼は大学職員になった。

そしてこの瞬間 彼は未来の「天敵候補」たちに向けて大学職員の魅力を語っている。

あの時、恨み、憎しみ、蔑んだ「大学職員」に対して。

面白い。最高に意味不明だ。

彼の2年がかりの壮大なギャグは僕の笑いのツボを破壊するに十分なものであった。

いま目の前で「大学職員」の魅力を話す彼の姿と2年前「天敵」に向けて憎悪を向ける彼の姿が交互に現れる。

ダメだ。面白すぎる。

いまこの世界の誰よりも意味不明で面白いのは君だ。

#絶対に笑ってはいけない説明会

僕は彼のあまりの変化に対して心の中で大いに爆笑した。

ただその一方で 

ほんの少しだけ「さみしさ」を感じた。

天敵への憎しみを共有し、「無意味でくだらない」ことへ全力投球したあの時の彼といまの彼は違う。

1人の男として社会で生き抜くために過去の想いには触れず、大学職員の仕事を楽しんでいる。

いや彼だけじゃない。僕もだ。

以前の僕だったら天敵の魅力を雄弁に語る彼の姿に面白さを感じることはないだろう。

「そんなんはつまんねーよ」と一刀両断して、「AV出ろよ」とか面白いことの実現を強要しているだろう。

でもいまの僕は彼の変わり身っぷりに面白さを感じ、ゲラゲラ笑っている。

2年という短い月日の中で僕たちは変わった。

もう互いに社会に一泡吹かせようと結束することは無いかもしれない。

ただ僕たちの関係性は今も続いている。

今後も互いに変わり続けていくだろう。

それでも関係性だけは切れないなら良いんじゃないかと僕は思っている。

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