1匹のアジ

「日本は貧しくなった」

1億総貧困時代と揶揄される現代日本社会でしばしば取り上げられるようになったこの言葉。

1人あたりのGDPが下がったから貧しくなっただとか理由は探せば山ほど出てくる。

生産力低下=貧しくなった

本当にそうなのか

僕はこの「日本は貧しくなった説」は間違っていると思う。

なぜ間違っているのか

百聞は一見に如かず。

まずは都内某所で撮影されたこの写真を見て頂きたい。

アジだ。

道路の真ん中に理路整然と置かれた1匹のアジ。

なぜ?  どこから? 

疑問は次々と沸いてくる。

ただ一つ言えるのは一匹のアジが放置されているという異様な光景が僕の目の前に広がっているということだ。

僕は配達中のウーバー案件も忘れ、しばらくこのアジを観察した。

飲食店の仕入れ中にトラックから落ちたのだろうか。はたまた誰かが猫にでもエサをあげようと設置したのか。

考えに考えても結論は出ない。むしろ新たに生まれた疑問が僕を襲った。

なぜ僕はこのアジを眺めているのか

この世に鑑賞目的でアジを飼っている者は恐らくいない。

アジは間違いなく「食」の対象であり、鑑賞の対象ではないはずだ。

しかし僕を含めた街の人々はこのアジに奇妙な視線を浮かべるばかりだ。

このアジを拾おうとしたり、ましてや食べ始める者など一人もいない。

これがもし今日を生き抜くための食糧を確保するのに苦心する国であったらどうだろうか。 

食に飢え血走った目で落ちたアジに向かって我先にと飛び込んでいるだろう。

アジの写真を撮ろうとした僕は貴重な食糧をみすみす逃した愚人として激しい罵倒を受けるだろう。

しかし現在日本という国ではそのような状況にはならない。

道端に落ちた奇妙なアジに不安を感じられる心と生活の余裕がある。

僕たちは豊かだ。

道端に落ちたアジを食べなくても、居酒屋で紙切れを渡せば美味しいアジフライが食べられる。

本当に日本が貧しくなった時、僕たちに「貧しくなった」と言っている余裕はない。

ただ目の前のアジに全力で飛び込むことしかできないのだ。

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