裸にまつわるエトセトラ

                  裸だったら何が悪い

この某草なぎ剛氏によるゲイノウ人生を賭けた問題提起から早10年がたとうとしている。

しかしいまだに私たち人類はこの深淵な議題に対して明確な回答を出せていない。

人間は元々裸だった。

僕が先日紹介した縄文人も裸だった。

なぜ人間は裸を捨てたのか。そしてそこにはどんな理由があったのか。いったい裸でいることにどんな問題があるのか。と疑問は尽きない。

今回は人類のさらなる発展に不可欠なのにも関わらず、数億年にわたって見過ごされてきたこの議題について考察していこうと思う。

まず裸を語るうえで切っても切れない関係にあるのは衣服の存在である。

現在多くの人類が衣服を着用していることから、衣服の誕生を紐解いていくことが、人類が裸を捨てた理由に近づくきっかけになるのは言うまでもない。

人類が衣服を着用するようになったのは約7万年前といわれている。

理由はいたって簡単。寒くなったからである。(wikipediaより)

寒くなったから服を着て暖をとる。あたりまえ。

正直この理論には突っ込む余地もないし、突っ込む気も起きない。

ここでの問題はその逆である。寒いという肉体的な理由で服を着始めたのにも関わらず、なぜ暑くなったときに服を脱がないのか。

しばしば通気性のよい服といった広告を見かけるが一番通気性がいいのは間違いなく全裸である。

そんなこと少し考えれば誰でもわかるはずだ。

暑いと言うなら裸になれ。

なぜ人間は裸になることを恐れるようになってしまったのか。

裸になることが問題視される理由の一つとして、しばしば性器の露出が挙げられる。

多くが他人の性器を気持ち悪く思うということに僕は異論はない。

しかし気持ち悪いという理由だけで性器を排せいきしようというなら、キモイ顔は常にガスマスクをつけなければならなくならず、

すだれ禿は常に帽子をかぶらなければならなくなる。

ブスと露出狂は3日で慣れるという言葉をあるように、人間はどんなに気持ち悪いものでも慣れてしまうのである。

ここで誤解して欲しくないのは、僕は裸になることが好きなだけで、必ずしも服の存在を否定しているわけではない。

寒い時には服を着るし、なんなら暑いときにも着ている。つまりただの服依存者だ。

服の暖をとれるという良さを理解しつつも、 裸になりたいときは裸になれる

そんな自由な世の中になって欲しい

それこそが某氏が伝えたかったメッセージだと僕は思う。


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