今年1月の発生以降猛威を振るい続ける新型コロナウイルス。
世界での感染者数は既に170万人を越え、各方面への影響も計り知れない。
我が国日本にとってもこの窮状は例外ではなく、先日緊急事態宣言が出されたのを皮切りに、国全体にかつてないほどの緊張が走っている。
その一方で発生地である中国にほど近く、2月上旬から感染者が出ていたのにも関わらず、比較的感染のピークを遅らせた日本の対策を評価する見方もある。
この要因は諸説あるが、その1つに日本人の衛生意識の高さが指摘されている。
「日本人は西欧人のように挨拶代わりの握手やハグをしない。」
他国のような強権的な政策を行っていないにも関わらず、比較的感染者を抑えることに成功していることを考慮すると、この説には一定の信憑性があると私も感じる。
しかし遡ること約15年ほど前、この日本を救った公衆衛生の意識を破壊しようとする危険な動きがあったことを皆さんはご存知だろうか。
まずはこの曲をお聴き頂きたい。
この曲は2005年から国民的アニメ「ドラえもん」のオープニングに使われた「はぐしちゃお」である。
歌詞の中心部には
はぐしちゃお はぐしちゃお
大人も子どももはぐしちゃお
はぐしちゃお はぐしちゃお
犬にも猫にもはぐしちゃお
といった「人と人との接触を8割減らす」という現在の考えとは真っ向から反する価値観が語られている。
それまでのドラえもんのオープニングは「あんなこといいな♪できたらいいな♪」でお馴染みの「ドラえもんの歌」が約20年ほど使われていた。
すっかりお茶の間に馴染んだ「ドラえもんの歌」を切り捨て、日本人に全く馴染みのないバグを強要する「ハグしちゃお」を起用するという手法には強い疑問が残ると言わざるを得えない。
なぜ「ハグしちゃお」がドラえもんの主題歌となったのか。
そこには数十年後を見越した危険な陰謀が隠されていると私は考える。
西洋諜報機関によるハグ文化定着を足掛かりとした国力低下工作
日本は時にこう呼ばれることがある。
「スパイ天国」
ひとえにスパイ防止法が存在せず、仮にスパイ行為が発覚しても重罪を課されることが無いということがこの不名誉な名称に繋がっている。
それゆえに日本では第二次世界大戦後からアメリカを筆頭に様々な国家のスパイたちの温床となってきた。https://diamond.jp/articles/amp/213851?page=2&skin=amp&device=smartphone&display=b
戦後急速な経済発展を遂げ、西洋諸国をも脅かす存在となった日本を機密情報と妨害工作によってコントロールするのは彼らにとって重要課題であったに違いない。
先ほど掲載したリンクの情報が正しければ、政界から経済界はたまたエンタメ業界まで、西洋諜報機関が多くの役割を果たしてきたのは確かである。
しかしそんな西洋諜報機関をもってしても崩すことのできなかった概念がある。
「公衆衛生への意識」
終戦から現在まで日本は多くの分野において進歩的、開明的と称して西洋の考えや流行を取り入れてきた。
ある者は常々西洋的な生活を自慢し、またある者は西洋と日本の違いを日本の劣等性と捉え、批判を続けてきた。
そんなすっかり西洋かぶれした日本において唯一といっていいほどに浸透しなかったのが衛生観念に関係する文化である。
握手やハグ、そして土足へ家に上がるといった西洋では当たり前のように存在する文化。
どれも日本では「汚い」「気持ち悪い」といった理由で浸透することは無かった。
これらの衛生意識の高さは思うが儘に日本を管理してきた西洋諸国にとってはさぞかし歯がゆいものであったに違いない。
またそれと同時に衛生意識の高さを問うような世界規模の災難が起きた場合に日本の一人勝ちを許してしまうのではないかという危機感を募らせるに十分なものであっただろう。
いかにして日本人の衛生意識の高さを崩していけば良いのか。
特にバブル経済が崩壊し、経済面において日本が脅威でなくなった1990年代後半以降にはこの問題に関する議論が盛んに行われていた可能性が高い。
「握手はあいさつ」「ハグはコミュニケーション」
彼らは薄っぺらい標語を使い日本に濃厚接触文化を根付かせようと試みた。
しかし西洋かぶれしたうさん臭い中年の言葉に耳を傾ける者は多くはなく、時間だけがただただ空しく過ぎていった。
そんな時彼らが目をつけたのが国民的アニメ「ドラえもん」であった。
「アニメキャラを通じてハグ=友好の証という印象を子供たちに植え付ける。そしてハグは素晴らしいものという価値観を持って成長した子供たちが十年後若者の最先端の文化としてハグを広める。」
ざっと彼らの計算はこんなところであろう。
2005年4月「ドラえもん」はリニューアルと称してキャスト、画風、そしてオープニングを一掃した。
キャストの高齢化や時代に合わせた画風の変化は理解できるものも、オープニングに関しては、
アニメ版「ドラえもん」において歴代オープニング曲のタイトルに「ドラえもん」という名称が使われていないのはこの「はぐしちゃお」のみである。
国民的アニメのリニューアルのオープニング曲という重要な局面に日本人にとって馴染みの浅いハグを全面的に推し出す曲の選出は不可解である。
私はこの「はぐしちゃお」の選出過程において西洋諜報機関が何らかの形で関わっていたと考える。
先述のリンク先には西洋諸国の諜報員は日本の様々な大企業に属しているという記述があった。
産業スパイの目的の一つに「利益追求の目的達成を阻害したり、その機能を破壊する行為」があるということを考慮すれば、
従来の慣習通り「ドラえもん」というタイトルが入ったオープニングを採用するという「目的」を大企業に潜む諜報員がハグ文化推進のために「破壊」した可能性も大いに考えられる。
さらに西洋諜報機関の影響を示す根拠はこの「はぐしちゃお」の曲そのものにも強く表れている。
はぐしちゃお はぐしちゃお
大人も子どももはぐしちゃお
はぐしちゃお はぐしちゃお
犬にも猫にもはぐしちゃお
互いにハグをする愛くるしいキャラクターと共に「はぐしちゃお」というフレーズ繰り返し、子どもたちの脳の中に刷り込む。
明らかに洗脳だ。これを洗脳と呼ばずして何を洗脳と呼ぼうか。
これを聞いた無知な子供たちは「ドラえもんがやってるから正しいことなんだ」と考えるようになってしまってもなんらおかしくはない。
またこの曲の中心である「はぐしちゃお」というフレーズにも西洋諜報機関の特徴が存在する。
この曲はあくまで「はぐをしろ」という命令形ではなく「はぐしちゃお」という自発系を使っている。
先述のリンクに諜報機関の特徴としてこのようなことが書かれていた。
「脅迫をするのではなく、そこを突破口にして、あくまで自発的に協力をしてくれるように仕向けていくのだ。」https://diamond.jp/articles/amp/213851?page=2&skin=amp&device=smartphone&display=b
「ハグしろ」ではなく「はぐしちゃお」強要ではなく自発。
やらされるものというイメージの強い「ハグ」ではなく自分でもできそうと感じられるような柔らかイメージの「はぐ」
自発的に「はぐ」をするように仕向ける諜報機関特性がはっきりと表れている。
以上の根拠からも分かるように、この「はぐしちゃお」は明らかに西洋諜報機関によるハグ文化推進を睨んだプロパガンダである。
彼はこのハグ文化推進を足掛かりにして、様々な西洋不衛生文化を浸透させ、日本人の衛生意識低下を目論んでいたのである。
幸運なことにこの忌々しきプロパガンダソング「はぐしちゃお」はわずか2年でドラえもんのオープニング曲の座を失い、日本にハグ文化が大きく広まることは無かった。
一見自然発生のように見える流行や習慣の登場の裏には様々な機関の思惑が存在するということが世の中には多々あるのだ。