欲望の国

「ディズニーは本当に楽しいのか?」

僕は長年ずっとこの疑問を抱えていた。

世間では「夢の国」と持て囃され、

SNSではディズニーに行った投稿が溢れ、

多くのいいねを貰っている。

まるで娯楽の頂点にディズニーがあるかのような風潮すら感じる。

僕も以前こうした風潮に流され、

ディズニーに行ったことがある。

確かにある程度楽しさはあったが、

5時間近い待ち時間や僕自信のディズニーへの無知もあり、

楽しみ切れない点も多く、

娯楽の頂点であるかと聞かれれば微妙だと感じた。

そんな苦い経験から5年がたった。



現在もディズニーは

当時と変わらず覇権を握り続けている。

僕はふと思った。

「ディズニーはとても楽しいのではないか?

僕が斜に構えていただけなのではないか?」

こうして僕はこれまでの先入観を捨て、

ディズニーと真剣に向き合うことにした。

僕はまずディズニーを最高に楽しむ条件を見出だすために、

instagramのディズニー投稿を徹底的に研究した。

目眩がするほどに眩しいディズニー投稿を見ていくうちに

僕はディズニー投稿の多くが男女数人のグループであることに気づいた。

つまりディズニーを楽しむうえでの第一条件は

  • 男女数人のグループで行く

この条件を満たすために、

僕はいま一番コミットしてるコミュニティである

大学の中国文学コースのグループで呼び掛けてみることにした。

昨年の4月から始まったコースとしての活動。

様々なテストや課題を乗り越え、

その度に打ち上げをして結束を深めてきたコースのメンバー。

彼らにこの娯楽の頂点に君臨するディズニーの誘いをすれば、

必ず乗ってくれるに違いない。

そんな淡い期待は見るも無惨に打ち砕かれた。

残酷なことに僕以外投票する者は誰もいなかった。

考えてみれば当然である。

ご存じの通り僕は毎日コスプレをしている。

コスプレを始めた当初はコースのメンバーも

一定の反応をしていたが、

最近は、コスプレした僕の姿に飽きて、

明らかに反応が薄くなっていた。

つまり僕は明らかにコース内で浮いていたのだ。

毎日変な格好をしている浮いた奴が

急にディズニーに誘ってきたら、

この反応になるのも無理はない。



しかし幸いなことにこの世には「1人ディズニー」

という言葉もある。

娯楽の頂点に君臨する夢の国ディズニーランドは

1人でも思う存分楽しめるはずなのだ。

僕は迷わず1人ディズニーをすることに決めた。

ディズニーランドといえばまずはアトラクションだ。

人の並びができづらい入園開始直後に

アトラクションを乗り回すのはテーマパークの基本だろう。

僕もこの基本に習って多くのアトラクションに乗った。

さすがは夢の国。

どのアトラクションもレベルが高く、

それなりに楽しかった。

しかし僕はここである違和感を覚えた。

入園直後はこの違和感の正体が、

よくわからなかった。

ディズニー満喫を試みるうちに、

この違和感が現れていくこととなった。



ディズニーといえば写真撮影だ。

ディズニーはアトラクションの待ち時間が長い。

また非日常的な空間であることから、

写真撮影は暇つぶしとSNS映えの両方を可能にする

ディズニーにピッタリの娯楽である。

ディズニーを満喫するうえで、

この写真撮影は欠かせない。

僕は再びディズニー投稿を徹底的に研究し、

シンデレラ城前での写真が最も映えるという結論を導きだした。

もちろん僕の他にも多くの者が写真を取っていた。

ここで僕は最初に感じた違和感の正体に気づいた。

ディズニーに来ている者は

待ち時間はおろかアトラクション中にも写真をとっていた。

これらの写真の多くはSNSに載せられ、

いいねという名の承認欲求を

満たす材料として使われていくのだろう。

もしかするとディズニーは

アトラクションを純粋に楽しむテーマパークではなく

仲間たちと自分が最も映える写真を

撮るためのスタジオなのかもしれない。

僕が感じた違和感の正体はこれだ。

つまり最も重要なのは「ディズニーで楽しむ」ことではなく、

「ディズニーに行ったという事実を残す」ことなのかもしれない。

ディズニーはもはや「夢の国」でもなんでもない。

行った者の承認欲求満たす道具となる「欲望の国」なのだ。



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