いまやフォロワー数3000人を越え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで早稲田界隈を蹂躙する早稲田大学黙認風俗ブロガーしゃおじょん。
そんな彼がブログを始めた当初にこんなタイトルの記事を書いていたことを皆さんは知っているだろうか?
「大食いの称号が欲しかった、しかし挫折した。」https://www.xiao3zhong3.com/entry/2018/11/06/185908
「大食いの称号」という取るに足りない称号。
「しかし挫折した」の圧倒的な語呂の良さ。
僕はこのタイトルが大好きだ。
誠に恐縮ながら、僕は何度かこの「しかし挫折した構文」をタイトルに使わせて頂いている。
これらの例からも分かるようにこの「挫折した構文」は大食いの称号以外にも組み合わせることができるほどの強い柔軟性を持っている。
しかし、この「挫折した構文」の基本的な流れは「(何らかの挑戦)→挫折」である。
それゆえに「挫折した構文」は最後が必ず失敗談になってしまうという欠点を抱えている。
僕はこの「挫折した構文」の更なる可能性を追い求めるために、ある修正を加えることにした。
そう「左折」だ。
「挫折」の部分を「左折」に変えてしまえば、「挫折」の持つネガティブな部分を取り除くことができる。
また 「挫折」の部分を語感の似た「左折」に変えることによって「挫折した構文」の語呂の良さを維持することもできる。
僕はこの「左折した構文」を使うことで、「挫折した構文」界隈に新たな風を吹きいれることができると確信した。
以下は「左折した構文」の使用実験の詳細だ。とくとご覧あれ。
令和元年 6月某日
「右折の聖地」西早稲田駅に僕はいた。

何故西早稲田駅にいたのか。
理由は一つだ。
僕は最近 曲がり角を見ると無意識のうちに
体が右向きになる難病「室外左折障害」に悩まされている。
今回は右折先に日本一の繁華街である「新宿二丁目」を持ち、右折の聖地として名低い西早稲田駅に降り立ち、「室外左折障害」の治療を行おうと考えたのだ。
いかに「新宿二丁目」らが発する強烈な右折欲に打ち勝ち左折するかというのが今回の重要なテーマである。
そうこう話しているうちに、最初かつ最大の難関とも言われる西早稲田駅前が僕の前に現れた。

右折先にある新宿二丁目を目指して、多くの人々が右折していく。
恐るべし「新宿二丁目」

血走った目で新宿二丁目を目指す彼らの姿を見ていると、僕は男優としての血が騒ぎ、無意識のうちに体が右へ傾いていくのが分かった。
「止まれ 左折しろ❗」
ダメだ止まらない。僕の体は着実に右へ向きを変え、足を踏み出そうとしている。
ここで僕の脳裏にある場面が浮かんだ。
それは4ヶ月前のことである。
僕は処女作の撮影を前にこんなメールを受け取っていた。

「お尻をほぐす」とはいったいなんなのか。
マッサージのことだろうか?
当時の僕には全く検討もつかなかったので、とりあえず片っ端から「お尻 ほぐす 方法」と検索した。
すると「お尻をほぐす」というのはどうやら指をお尻に入れてお尻の穴を広げることだということが分かった。
僕は早速その日の夜、風呂場で股を大きく開き、切れ痔にならないよう入念に石鹸をつけてまずは小指をお尻の穴に入れようと試みた。
「入らない」
僕のお尻は決して破られることない北緯38度線の如く固く閉ざされていた。
それからというもの、僕はいつか訪れるであろう平和の瞬間をつかみとるために、来る日も来る日も「お尻ほぐし」を試み続けた。
「お尻ほぐし」を始めてから何日がたったころであろうか。
ついにその瞬間はやって来た。
僕はその日、これまでの小指ではなく、人差し指に「ほぐし指」を変えた。
そしていつものように風呂場で股を大きく開いてしゃがみこむ。
「入る! 入る!」
僕の人差し指はこれまでの苦戦が嘘のようにケツ緯38度線を越え、未知の領域へ侵入した。
そこで待っていたのはここ数日の努力が報われた達成感と、ついに達成した未知の性感帯が生み出す「圧倒的な快楽」だった。
僕はこの「圧倒的な快楽」の前にひれ伏すほかなく、ただただ「アハハハハハハハ」と大声で笑い続けていた。
「どうしたの?」
ふいに僕の背中からやけに高い声が聞こえた。
振り替えるとそこには「唖然」という言葉を全身全霊で体現したような顔をした妹(12)の姿があった。
彼女は股を広げ、指をケツに突っ込みながら満面の笑みを浮かべる兄の姿を見て、風呂の扉を閉め何も言わず立ち去っていった。
僕はあの時の彼女の顔を忘れてはいけない。
芸は身を助けるが、ゲイは身を滅ぼす。
安直なゲイ合は周囲の人々を大いに傷つける可能性がある。
絶対に右折するゲイたちに惑わされてはいけない。
僕は右に向きかけた体を360度回転させ、決死の思いで左折した。

左折先には肛門から直腸にかけての空間を彷彿とさせる広大な空間が広がっていた。
新宿二丁目へ向かう欲の亡者たちで埋め尽くされた右折先とはまさに天とケツの差だった。

やはり天上の至福をもたらすのは左折に違いない。
僕はこれからも「室外左折障害」の症状が出たときは必ず左折することを心に決めて生活を送っていこう。