マスク不足。
この言葉が世間を賑わせるようになってからどれだけの月日が経っただろうか。
街にはマスクを求め集まる人が溢れ、ネットには製造地不明の高額なマスクが溢れ、といった具合に依然としてマスク不足の現実は続いている。
森羅万象担当大臣安倍晋三氏渾身のマスク配布作戦も不良品が多く混じるなど根本的な問題解決に寄与しているとは言い難い。
そんな中、巷では今世紀最大と言えるであろうマスク作りブームが訪れている。
#手作りマスクや#マスク作りとひとたび検索をかければ、時間と自己顕示欲をもて余した人々たちによる自信の作品たちが画面を多い尽くす。
マスクが無いなら作れば良い。
石油が無いなら作れば良いといった具合で石炭から石油を作ろうとしていた戦時中を彷彿とさせるような日本の代用精神は今もなお脈々と受け継がれていたのだ。
それにしても老脈男女をこれほどまでに熱狂させるマスク作りとはいったい何なのか。
彼らは単に「マスクが無いから」という固定観念に縛られ、半強制的にマスクを作っているのか。
はたまたマスク作りに人々を興奮させる強烈な魅力が存在するのか。
家庭科の授業以来一切裁縫に触れていない僕の想像力では「マスク作り」が生み出す化学反応が何なのか全く分からなかった。
想像できないなら創造しろ。
某有名動画配信者が以前語っていたこの言葉のように、世の中には当事者にしか理解し得ない感情がある。
実際にマスクを作ってみれば、マスク作りが持つ力を理解できるかもしれない。
こうして僕はマスク作りを始めた。
マスク作りに必要な物は布、ヒモ、針、糸とそれほど多くはない。
僕はまずメルカリにて600円で購入した正体不明の白い布を裁断し三つ折りにした。

マスク作りのサイトには横57cm×縦21cmで裁断すると書いてあったが、生地の長さが縦30cmだったため、9cmという微妙な長さの生地が余ることを嫌い、縦の長さの調整を怠った。
まあ僕は顔がデカいから大丈夫だろう。
#デカさは強さ
この怠惰が後に大きな悲劇を呼ぶこととなる。
次に左端と右端を2cm折り、縫い合わせた。
文章にすればたった一秒で終わるこの工程も裁縫不足の僕にとっては永遠に感じるようなものであった。
固すぎる布
たま結び失敗による糸のすり抜け
原因不明の絡まり
針の紛失
目立つ縫い目
なぜ人々はこんなにも面倒な作業に熱中するのか。
当時の僕には全く理解することができなかった。
こうして悪戦苦闘すること1時間、ようやく両端を縫い合わせることに成功した。
あとはヒモをつけるだけ。
あいにく僕はこの時マスクのヒモを切らしていたため、使い捨てマスクのヒモを切って用いることにした。

マスクを使ってマスクを作る。
マスク不足の解消には全く寄与していないこの方法だが、ただマスクを作りたいだけの僕にとっては何の関係もない。
僕が解消したいのはマスク不足ではなく、マスク作りの持つパワーを理解できないということから端を発するストレスだ。
つまりハンドメイドマスクパワーをノットアンダースタンドなのがストレスフルなのだ。
そんな訳で僕は使い捨てマスクのヒモを左右四ヶ所に縫い合わせ、初めてのマスクを完成させた。

デカい。 明らかにデカい。
布マスクは洗う度に縮むため、大きめに作ったほうが良いという定説があるが、それを考慮してもこのマスクはデカ過ぎる。

21cmという推奨を無視したことが大きな仇となった。
仮に政府が配布していたら間違いなく暴動が起きるレベルのサイズである。
試しにこの状態で近所を歩いたところ驚異の2度見率50%超えを獲得した。
これはコスプレ時の2度見率に匹敵する高い数字である。
色も形も均一化された市販マスクでは決してなし得ない結果であろう。
僕は手作りの持つパワーが何たるかをようやく実感したような気がした。
手作りマスクは自由度が高い。
布もサイズもカラーも作り手の思うがままだ。
数多くの楽しみが消えた殺伐としたご時世では、マスク作りが気軽に自らの個性を出せる自由度の高いコンテンツとして人気を博しているのだろう。
単に生活必需品製造に留まらず、作り手の創作意欲も掻き立てる。
これこそがマスク作りの持つパワーだと僕は感じた。
PS 僕の作ったマスクは着用2日目でヒモが外れた。