はいぐ~の小さな野望 ~手作りケバブを堪能したい~

小学校時代、あるキッチンカーに僕の視線は釘付けとなった。

「ドネルケバブ」

実際に当時僕が感動していたケバブカー(現在は閉店)

見たこともない巨大な肉、ケバブサンドとかいう未知の料理、「オニイサン!ケバブドウ?」と声をかけてくる謎のトルコ人。

閉鎖的な極東の島国日本において、ありとあらゆる要素が異質なこのキッチンカーは、僕の注意を引くには十分すぎるものであった。

僕はなけなしのお小遣いから350円を出し、チキンサンドとやらを注文した。

呼び込みの元気な声からうって変わって、そっけない返事をしたトルコ人がこれまた巨大なナイフで肉を削いでいく。

あれで刺されたら即死だろう…

そんなことを考えていると、あっという間にチキンサンドなるものが出来上がり、僕の手に渡った。

サンドイッチ? ナン?

味の検討はほとんどついていなかった。

とりあえず「サンド」という名前を信じてかぶりつく。

うまい!

チキン、ソース、野菜、パン。全てが最高のバランスだった。

こんなうまいもんをどうして今まで食べていなかったのか。

当時小学生の僕は異国から来たケバブなるものに大いに感動した。

あれから10年。

僕が感動した店はいつの間にか無くなり、僕がケバブを食べることも無くなった。

既に僕の生活からケバブは姿を消していた。

しかしあの頃見た巨大な肉の残像は僕の頭の片隅の片隅に残り続けていた。

デカイ肉にはロマンがある。

過酷な就活戦争、卒論戦争を控え、ロマンを失いつつある僕の生活にロマンを取り戻すために。

僕はケバブ作りを決意した。

ケバブ作りに必要なのはやはり肉だ。

さすがはネット社会「ケバブ 肉 購入」と打ち込むだけですぐさまケバブ肉情報が現れた。

凄まじい再現度。

これは間違いなくあの頃見た巨大肉だ。

僕の心は踊った。

しかし巨大な肉には巨大ならではの問題があった。

ケバブ1人前で使う肉量は約80グラムである。

この巨大肉は最低でも10kgからの購入となり、単純計算で125人前のケバブを用意してしまう。

残念なことに僕にはケバブの感動を分かち合える友人は125人もいないし、125人分の胃袋もない。

ケバブ肉購入計画はあえなく立ち消えとなった。

ケバブ肉を購入することができるのはこのご時世でも125人もの人間を集めることができる巨大な人望もしくは125人分の胃袋を持った者だけなのだ。

ケバブ肉の巨大さは人望に比例する。

身の丈に合わない巨大さは虚栄心の肥大と破滅を招くだけだ。

僕は方針を転換し、身の丈にあった巨大さを持った肉を準備した。

僕の現在の人望と胃袋を考慮すればこのサイズの肉は十分身の丈にあった巨大さであろう。

#身の丈にあった人生を

一難去ってまた一難。肉問題を解決した僕に次なる試練がやって来た。

肉の仕込み。

どうやらこのケバブとやらは適当に塩焼きすれば良いという訳ではないらしい。

「ケバブ肉 仕込み」と検索すると難解なレシピが現れた。

クミン? オレガノ? なんやそれ

僕の家はあいにく香辛料専門店ではない。

家にある香辛料といえばせいぜい胡椒ぐらいである。

パイナップル? なんやそれ

僕の家はあいにくフルーツ専門店ではない。

家にあるフルーツといえばせいぜいみかんぐらいである。

玉ねぎ? なんやそれ

僕の家はあいにく青果店ではない。

家にある野菜もいえばせいぜい長ネギぐらいである。

相次ぐ食材の不足。

いかにしてこの不足を補うか。 僕は冷蔵庫をしらみ潰しに探した。

すると冷蔵庫の奥底にまさしくケバブのためとも言える万能調味料があるのを発見した。

ピエトロドレッシング

主原料 オリーブオイル、酢、玉ねぎ、香辛料

完璧だ。ケバブ肉に必要な要素を網羅している。

これからはケバブ汁に名前を変えるべきであろう。

僕はこの万能ケバブ汁とその他もろもろの調味料を混ぜ合わせ、仕込みタレを精製し、肉塊を放り込んだ。

茶ピンク色という全く食欲をそそらないルックスだが、どうやらケバブとやらはこんなもんで良いらしい。

僕はこの茶ピンクの肉塊を冷蔵庫に放り込んだ後、己の肉塊もベッドに放り込んだ。

明くる日の正午。

僕は眠い眼をこすりながら、冷蔵庫から肉塊を取り出した。

ルックスに特に変化は無い。

ただ「一晩浸けた」という行為がなんとなく美味しくなったのではと感じさせる。

あとは火を入れるだけだ。

いやちょっと待てよ

このままただフライパンで焼くだけで良いのか。

僕はロマンを感じるためにケバブを作り始めたのだ。

はいぐ~の小さな野望はただの焼き肉ではない。

僕は忘れかけていた本企画の趣旨を再び思い出した。

しかしフライパン以外でいったい何を使って焼けば良いのか。

ごくごく平凡家庭のはいぐ~家にはもちろん屋台で使われるケバブ焼き器はない。

いやある。

一つだけケバブ焼き器が。

リビングに堂々と鎮座し、日々はいぐ~家を焼き続ける熱き鉄塊。

その熱量たるもの本場のケバブ焼き機にも決して劣らないはずだ。

僕はこの鉄塊の温度を最熱に設定し、ケバブ肉を近づけ、屋台風に回転させた。

熱い。凄まじい熱さ。このまま近づきっぱなしでは僕のほうが先にケバブと化してしまうだろう。

そんなこと言ってはケバブを焼くことはできない、僕はじっと熱に耐え、肉を回し続けた

回すこと10分、僕は自らの熱耐性に限界を感じ、焼けてきていることを信じ、肉を確認した。

                  生

あれだけの熱に曝されたのにも関わらず、ケバブ肉に日が通った痕跡は無し。

#肉回る、されど焼けず

これまでの僕の10分間はいったい何だったのか。

ただストーブの前で肉の着いた箸を回しただけだ。

僕の徒労を嘲笑うウサギ(画面右下)

僕は凄まじい徒労感を抱いた。

しかしそれと同時にあれだけ巨大な肉をこんがりと焼き上げる屋台のケバブ焼き機の火力に恐怖を覚えた。

あの機械の隣で何事もないかのようにケバブ肉を切り落とすトルコ人。

彼らはきっと血の滲むような努力を重ね、ケバブ焼き機の隣で作業ができるくらいの熱耐性を獲得したのだろう。

ケバブロマンというのは僕のような素人が突然獲得できるものではないのだ。

僕は自らの甘さ、弱さを痛感し、そっとストーブを消し、キッチンへ移動した。

ps 手作り肉塊焼きは美味しかった。

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